イギリス2000ギニーステークス。それへの参戦を発表したのは、トドロキがOP戦を勝利して1週間後のことだった。
十分期間は空いているものの、出走登録はかなり後となって行ったためか飛び入り参加のように世間からは見られていた。
概ね観客やファンの合間ではトドロキは日本からの剣客という扱いだったが、裏を返せば挑戦者よりもイロモノ枠として見られているということだった。
イギリスクラシック3冠。その一戦目となる2000ギニーステークスはその名の通り1809年の第一回のレースの賞金が2000ギニーだったことに由来する。
日本では皐月賞のモデルレースとなっているが、日本の皐月賞は多くのウマ娘が3月頃の決まったステップレースから挑むのに対し、2000ギニーは年の初戦にされることも多い。
このレースも実のところOP戦を挟んだトドロキを除けばステップレースを挟まず直接来たウマ娘ばかりだった。
流石にG1レースともなれば出走者の情報と対策は行われるし相手の情報集めもその力の入れようが違う。
ただ、流石に日本の情報を仕入れるのはそれでも難しい上にトドロキの日本での戦績は必ずしも突出しているわけではなかった。OP戦を含めて3勝1敗G1の勝ちはない。
その戦績でイギリスにやって来たのだから日本国内からは狂気の沙汰とも一部からは言われていた。
そんなトドロキは逆にイギリスのウマ娘、強いてはクラシック3冠に挑むウマ娘からは謎の存在とされていた。走り方に癖があるのは4月のOP戦を見れば明らかだったが、細かい情報を知るには不足していた。
最もそれはトドロキの方も同じであった。
イギリスのウマ娘がどう走るのか、どのような癖があるのかなど全くわからないし出走者の名前を見てもイマイチ誰だかピンとこない。顔と名前が全然一致していないなど致命的だった。
それが致命傷にならないのは純粋にトドロキの観察眼で土壇場で戦略と戦術を予測していたからだ。
そしてOP戦でも国際グレードで決まっているなら実力としては日本のOP戦と変わらないと博打に出たのだ。結果は博打に勝った。だがこれからはそうはいかない。G1と言うグレード最高峰でヨーロッパ決戦の気質を持つレースでは誰を警戒するか。出走者の走法の分布はどうなるか。どうしてもなければ勝ちを拾うのが難しくなる。
だから沖野は出来る限りの情報を集めようと幾つものレース場を周りトレセン学園にも赴いて情報を集めていた。
そしてなんとか事前に警戒するべき相手は絞り込んだ。
エルグランセニョール。アメリカ生まれだが幼い頃にアイルランドに移住したアイルランド育ち。
2人目はチーフシンガー。アイルランド生まれのウマ娘だ。
沖野は宿泊しているホテルの部屋でトドロキとタケホープを呼び写真と得られたデータを見せながら2人に説明していた。
「他にも強豪が勢揃いだが、正直強豪しかいなくて対策を立てても片っ端から潰されそうだ。よって突出したこの2人を主に警戒したほうがいいな」
対策を立てようにも相手もかなりのやり手。情報もまだ揃っていない。それでも沖野は作戦を考えなければならない。
沖野の頭は現在進行形で高速回転していた。
「それにしても身長差が大変だね。トドロキ以外最低でも168cmはあるよ。こりゃ頭一つ分ちっこいからバ群に入ったら抜け出すのは難しいね」
身長が高ければその分体格も変わる。ウマ娘の場合身長と体格は殆ど比例しているから純粋に小柄な部類に入ってしまうトドロキでは日本のようなレースは出来ない。タケホープとしてはそれが心配だった。
「素直に後方位置か前方で先行か……」
正直トドロキのスタートであれば先行位置にいても別に良いはずだった。
「だがトドロキは先行できないだろう。ここはいつも通り後方捲りだ」
本人の気質か或いはかっこよさにこだわるせいか先行は本人が走りたがらないのだった。
「それよりもだ契約者!なぜ我に友達ができない!」
むしろトドロキにとってはそっちの方が問題だった。
あのレースの後挑発をしていたウマ娘も遠巻きに見ていたウマ娘も誰1人として話しかけてこなかったのだ。ライブの後も似たような状態だったため相当トドロキは落ち込んでいた。頑張った英語力は歌唱にしか活かせなかった。
「あんな蹂躙戦したら普通は友達よりも畏怖で見られるんだよ」
「そんなッ我の完璧で秀逸な姿を見せつけたのに……」
そもそも蹂躙した覚えもなければ自覚もない。イギリス相手なら本気出しても問題ないだろうと言う思い込みから心理的なリミッターもしていなかった。
「天性の才能だな」
ざっくりと切られて泣き崩れるトドロキからはモンスターなどと言われるような気迫は全くしなかった。
「そもそも学園に行っているわけじゃないから交流もあったもんじゃないしな」
「ロンドンにでも明日観光に行くかい?フィッシュ&チップスを食べて名所を見れば何か変わるよ」
トドロキに警戒されているエルグランセニョールだったが、彼女のトレーナーもまたトドロキを警戒していた。
流石に沖野と違い情報収集に関しては不自由が少なかったがトドロキだけは別だった。
イギリスにも存在するニューマーケットトレーニングセンター学園の敷地内にあるチームにあてがわれた部屋で、彼女はチームトレーナーからトドロキについての説明を受けていた。
30歳になる中堅のトレーナーは今まで何人ものウマ娘をG1レースで勝たせて来た凄腕のトレーナーでもあった。そんな彼が、懸念していたのがトドロキという存在だった。
イギリスのレースに突如現れたイレギュラー、特異点。OP戦のレース映像を見る限り頭のキレる相手。概ね策士として彼女は見られていた。
つまりは日本ウマ娘でありながら策略でイギリスウマ娘に太刀打ちする存在。
イギリスのレース界での評価はそうなっていた。
「本当にそうだろうか?」
トレーナーの仕入れた情報を聞きながらもエルグランセニョールは考えるときの癖である指の腹を合わせる手の組み方をしながらつぶやいた。
「どう言うことだグラン」
「エベレストの登頂に小細工は通用しないだろう?それと同じでレースに実力以上のものは通用しない」
頭の回転が同世代よりも早い彼女は、トドロキのレース映像をみて策だけでない彼女のその本能を嗅ぎ取っていた。
そもそも彼女が行なっているのは他者に対する威圧と判断への介入。それだけなら彼女のレースは彼女を含めラップタイムはかなり伸びるはずだった。
だが実際にはトドロキの走破タイム自体はレースレコードまでにはいかないが例年の平均タイムを上回る、好走の部類に入るものだった。
事実トドロキに敗れたウマ娘のタイムも決して遅いわけではない。だとすれば当然体力などのフィジカルの面でも彼女はイギリスウマ娘よりも遜色ないと言うことになる。
であればなぜ彼女に勝てないのか。
それは彼女と最後までスパートで競い合える気概とスタミナを奪われるからだ。そこに彼女の巧妙な戦略が潜んでいる。
当然本人はそんなつもりはない。偶然なのだが……
「なら警戒するのかい」
「まさか、王者は慢心をもってして挑戦者を迎え入れる。だが王者が王者たるのは慢心しても勝利も結果を引き寄せるからだ」
無論口ではそう言うが慢心と侮りは違う。敵を侮れば負けるのは自分であると言う自覚はしている。そして慢心は心に余裕があり、挑戦を迎え撃つ心理的余裕があるからこその産物だ。
「まあいい。気をつけてくれよグラン」
ミーティング度終えて部屋を出たエルグランセニョール。だけれどその足はすぐに止まった。扉の横で待ち構えていたようにお嬢様のような気品を放つウマ娘に話しかけられたからだ。
「随分と心配されているのね」
「聞いていたの?チーフシンガー」
チームこそ違うが、エルグランセニョールとチーフシンガーは同郷出身ということもあり仲はそれなりに良好だった。
今回競い合う事になる2000ギニーステークスもまたライバル同士として互いに意識しあっていた。
「ええ、トドロキは警戒しろと私も言われましたわ」
チーフシンガーのトレーナーもまたトドロキに対しての警戒を露わにしていた。
「だが、OP戦に圧勝したとしても所詮は日本のウマ娘だろう?」
侮りではない。今まで積み上げてしまった日本ウマ娘の結果がそう言う判断をさせていた。
欧州に敵わないのに挑んでくる存在。欧州ならどこもそのような評価だった。
「ええ、ただし見た目が奇抜なので日本出身は詐称で他の国からの刺客とまで言われていますが」
三流ゴシックや飛ばし記事のようなものは日本国籍を持っているだけなどと囃し立てていた。だがそのような記事には否定的だった。
「そりゃないだろう。普通にありゃ東洋人だ」
「どちらにしても、警戒しろと言われたからには警戒しますが……」
「難しいな。情報が殆どない。ネットに載っている情報だけじゃ流石に限界があるし」
「日本のトレセン学園に掛け合って練習時や模擬レースの動画を探させてますが、結果は出ていません」
そもそもURAもBHBも交流が殆ど無いに等しい民間企業(BHBは半官半民)で情報の共有など全くしていなかった。
挙句URAは模擬レースなどの動画情報はクローズネットワークでの保存が基本で外部に出す際には媒体に移す必要がある上に媒体が指定されておりBHBが使用する再生機と規格が合わない問題があった。
最も企画が合わないのはBHBとヨーロッパ大陸各国間でもあったので完全にイギリスのガラパゴス問題だったのだが……
「仕方がない。情報はないが全力で叩き潰せば良いだけだ」
「相変わらず貴女は脳筋ですのね」
だがそれが最も正解に近いのかもしれなかった。
「ああそうだ。明日時間はあるかな?」
ふと思い出したかのようにエルグランはチーフを誘った。単純にチーフに荷物持ちをさせたかっただけなのだが、チーフもまた彼女の意図には気づいていてなお、冗談を飛ばした。
「あら?デートのお誘いかしら」
「勿論と言ったらどうするのかな?ロンドンへ出かけないかい?プリンセス」
「フォレストシティは良いわね。たまには息抜きも必要だけれど別に私はプリンセスじゃないわよ。貴女の方がプリンセスじゃなくて?」
エルグランセニョール。その生まれは少々複雑であり元を辿ると母親はカナダのレース界に君臨する名家ノーザン家の、アメリカにある分家で生まれた。
既にレースにおける才能の鱗片を露わにしており、うまくいけば本家に籍を移す予定であった。
だが7歳の時になぜか本家ではなく、ノーザン家と交流があったアイルランドのこれまた名家に籍を移している。大人の事情があったと本人は言うが詳しいことは本人は秘密にしていた。その為肩書きからすれば十分プリンセスに近い存在であるのは間違いなかった。
「それはアメリカの話だろう。こっちではまだ爵位も持っていない」
「構わないわ。さて、誘いはどういたしましょうか」