その日、日本国内は大きく沸いていた。少し前にルドルフが無敗のまま日本ダービーを制しクラシック二冠目を達成したと言う功績と、イギリスでトドロキが得たクラシック二冠目にその年は国内外双方でクラシック三冠が得られるのではないか。
歴史的快挙が二つ同時に起こるのではないかと期待が膨らんでいた。
そのせいかルドルフとトドロキは早くもURAがグッズ化に踏み切り現役にしては異例の速さで各種ぬいぐるみやキーホルダーが作られていった。
ただしURAもこの未曾有の事態に対応しきれていたわけではなくて、実のところ混乱なども発生していた。
チームメンバーを新たにスカウトするために帰国した沖野トレーナーは、決してすんなり帰れたわけではない。
トドロキ達と別れたあと1週間ほどはイギリスのBHBに顔を出しては学園の視察など研修が組み込まれていたし帰りの便はフランスのシャルル・ド・ゴール空港からの便だった。
帰国日がダービーステークスの翌日になったのはそれが原因だった。
空港に降り立った沖野は国内の熱気にドン引きしていた。原因の大半は自分も絡んでいるとは言えここまで事が大きくなるとは思っていなかった。
沖野がそう考えるのは無理もない。日英同時クラシック三冠など生きているうちに一回あるかないかの歴史の瞬間だからだ。
トドロキに対して知名度は劣るもそれでもトドロキのトレーナーという事で有名人の仲間入りをしている沖野が公共交通で空港から戻れるわけもなく、学園が手配した車で学園まで帰ることになった。
やってきたのは黒沼トレーナーだった。愛車の黒いスポーツカーをロータリーに横付けしては無言で乗れと合図する。
見た目と無言の圧が周りに多大なる勘違いをもたらしたのはいうまでもない。
「随分な身分になったな沖野」
「お陰様で表立って歩くのが少し不自由になっちまったよ」
今までも何度かG1ウマ娘を輩出するたびに似たようなことをぼやいていた沖野だったが、今回ばかりは時代の開拓者になってしまったのだから桁が違った。
特にトドロキ自身がまだ海外ということでそのトレーナーにインタビューをしようとするマスコミは存外多かった。
「……あいつが帰国する時も迎えに来る」
車は気がつけば旧湾岸線と新湾岸線の分岐に差し掛かっていた。
「ありがとう、担当が忙しい時期なのに悪いな」
「気にするな。スズ姉妹は俺がいなくても上手くやるさ。万が一の時は田原サブトレーナーもいる」
「それにしても…」
そう呟いた沖野の目線の先には、トウショウトドロキの写真を使用したURAの広告が立っていた。高速道路に面した位置にあるその広告は、見た目のインパクトが人一倍突き抜けているトドロキだからかなり目立っている。
「あんな広告まで立てちゃってまあ……」
「そう言うな。URAもブームを利用したいんだよ」
URAも慈善事業でもなければ官営企業でもない。民間企業の一つなのだ。その本流こそ旧財閥の三菱、住友、三井の三大財閥や旧伯爵家のシンボリ、トウショウ、旧メジロ三大伯爵家そして政府官僚組織の一部などが立ち上げた日本有数の力を持った組織だったがそれでも登録は民間だ。
民間であるからには資金の調達は自前でしなければならない。
であればレースブーム、トドロキブーム、ルドルフブーム…etc。使わない手はなかった。
「まあ金が集まってレースの安全性とかに寄与してくれるなら歓迎だがねえ」
問題があるとすれば広告の写真がトドロキ本人にも沖野自身にも許可を取らずに使っていると言う事だろう。
「遅れたがイギリスクラシック二冠達成おめでとう」
「それはトドロキに言ってやってくれ」
学園に戻った沖野は旅の疲れを癒しつつ、すぐにでもスカウトを始めようとしたが、学園理事長にグッズの事で相談があると言われ少しの合間拘束されるハメになったのはいつものことであろうか。問題はそのロイヤリティ。理事長の予測では年末までにかなりの額になるそうだった。
いくらの金額でどこにどのように収めるか。URAならびにトレセン学園が幾らもらうのか。どこまでグッズの許可を下せば良いのか。
割と重要な協議をなし崩し的にすることになった沖野が学園のターフに戻ってくれば既にスカウト合戦はピークになっていた。
「あちゃあ、完全に出遅れた」
沖野、スカウトステークス。大幅出遅れ。
しかしだからと言ってそのまま指を咥えて見ているわけにもいかない。
出遅れたのならどうにかして巻き返さないといけない。
「お、そこのあんた。いい脚しているな」
「……私ですか?」
「そうそう、次のレース走るんだろ。良い走りしそうだ」
「もしかして……トウショウトドロキさんがいるチームのトレーナーさんですか⁈」
「本当ですか⁈チームスピカのトレーナーさん⁈」
流石にトドロキのいるチームであるという効果は大きく普段よりも多くのウマ娘が声をかけてきたし逆に多少の沖野の奇行にも目を瞑ってくれたが最終的にスカウトに成功したのはたった1人だけだった。
チームの方針に合いそうな子、基本放任に近い沖野の方針が受け入れられるのは意外と少数派だった。
それでも残った中でよく相談をした結果だったから沖野としても納得はしていた。
トドロキに引き寄せられるようにしてチームに参加したそのウマ娘は、青鹿毛のウマ娘はトドロキが少なくとも九月まではヨーロッパにいる事になると知って目を細めた。
「あら、それならトドロキは帰ってこないのね……つまらないの」
案の定彼女も癖が強かった。
イギリスでトドロキが泊まっているホテルは、決して高級なホテルでは無い。だけれどURAが手配しただけあって治安の良い場所にありセキュリティもしっかりしている。そして競技を行うウマ娘が長期宿泊を行えるだけの施設と能力を兼ね備えていた。
そのホテルの一室で、タケホープとトドロキによるささやかな祝賀会が行われていた。トドロキきっての要望だった。
ただしトドロキが望んでいた寿司などはどう足掻いてもイギリスで手配できるはずもなくすき焼き鍋となったわけだが……
「さて、ダービー制覇おめでとう」
「ふふふ、我が悪魔神にかかれば聖典の制作など造作もない事」
一緒に過ごす中でトドロキの言葉が理解できるようになったタケホープは、照れ隠しだねえと笑いながら、料理に手を伸ばしていた。
「次のレースの予定だけどクラシック三冠目のセントレジャーステークスは9月だ。それまでの合間期間が開くけれど……」
ダービーが6月の第1週、セントレジャーは9月と三ヶ月期間が開く事になる。無論その合間何もないのであれば一時帰国して国内に戻るというのも手ではある。
しかしトドロキにとって海外は初めて見る景色でいっぱいでありいまだにイギリスを観て周りたい欲求は旺盛だった。
それを知っているのか知らないのかタケホープはトドロキに言った。
「実はね、トドロキ宛にレースの招待が来ているんだ」
「招待?我を宴に誘うと申すか」
レースに招待されるという事があるのかと言えば日本国内でも事例は多々ある。
当然珍しい事ではないが、イギリスからすれば海外のウマ娘であるトドロキをレースに招待するというのは中々珍しい事だった。
勿論イギリス側としてはこのまま勝ち逃げされるのも癪だからとどうにかしてレースをさせて勝ち星を上げたいという感情があった。
「アイリッシュダービーとパリ大賞典なんだけど」
「パリ……アイリッシュ⁇」
トドロキの頭の中でヨーロッパの地図が展開される。
アイリッシュはアイルランドのこと。パリはフランスのパリで違いない。
「是非ともってね。パリの方はイギリス代表の子と一緒らしい。アイリッシュは…エルグランセニョールが掛け合ったらしくてね」
パリ大賞典は文字通りパリで行われるG1レース。
フランスに初めて設けられた、当時唯一の国際競走。フランスとイギリスの一流のクラシック級ウマ娘の対決の舞台として1863年に創設されたレースだ。当時イギリスに遅れをとっていたフランスがイギリスを打ち破る格好の機会として長い合間両者の対決の場となっていたレースだ。
一方のアイリッシュダービーはアイルランドのカラレース場で行われるG1レースだ。
ダービーとつく事からも明確で、イギリスのダービーステークスに倣ったものである。
アイリッシュダービーと名前がつくレースは過去3回創設され、現在でも続くレースは第3代ハウス伯爵・第3代ドロヘダ侯爵・第3代チャールモント伯爵によって1866年に設立されたものが元となっている。
このアイリッシュダービーは有力なウマ娘が集まりやすいレースである。
イギリスダービーやジョッケクルブ賞ことフランスダービーの1か月後に行われるため、無理がないローテーションで英仏ダービーから連戦できるというのが大きな理由である。またヨーロッパのレースにしては賞金が高く設定されているのも参加の意欲を上げる要因となっている。
速い話が英仏代表戦のような気質を持っているレースだ。
エルグランセニョールが招待をしたのも、雌雄を決する舞台ならば自身の育ちの地であるアイルランドで行われるこのレース以外にないと判断したからだった。
「断り辛い……」
「元より断るつもりは無いでしょう?」
「無論!勇者が来るのであれば全力で迎え撃つのも悪魔神の役割!」
イギリスでのトドロキの評価がなまじモンスターだからかトドロキに挑む側になるエルグランなどのウマ娘は勇者呼びが相応しいのが皮肉だった。
「ならば話が早い。パリ大賞典も参加表明をあげておくから、その二つのレースをセントレジャーの叩き台にしようか」
「君はどちらかというとトレーニングよりも実戦を経験させた方が伸び代がいいみたいだし」
とは言ってもしっかりとトレーニングは積ませるつもりのタケホープだった。
「む!そろそろ肉に火が通った感じ」
「おおっと、主役はどんどん食べなさい」
だが今はささやかな祝福を全力で楽しむのが2人にとって最も大事だった。
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黒沼トレーナーの愛車はNISSAN FAIRLADY Z 280ZX
黒とシルバーのマンハッタンカラー