「もう帰るのか?」
空港のロビーで、ガッツリ変装したはずのトウショウトドロキと沖野に声をかけたウマ娘がいた。
トウショウトドロキは一躍イギリス中でも有名人になってしまった。
それこそ14年前のニジンスキーに次ぐイギリスクラシック三冠達成という偉業を成し遂げたのだ。だから帰国の日はメディアには明かさなかった。
明かしたら空港に記者やファンやらが大量に押し寄せることになるのは明白だった。
そのため極度の混雑やメディア露出を嫌うトドロキの事情を考慮した結果非公開でこっそりとイギリスを後にする予定だった。
しかし黙って帰国するはずが何故か空港にはエルグランセニョールがいた。
「かの大帝国で我が成し遂げたかったことは達することができた。後は母国で待つ盟友と決闘をしにいく」
ついでにいい加減日本のレースに出ないと日本ウマ娘だということを忘れ去られそうな気がしていたからだ。
正直クラシック期間の合間まだ日本のレースを走っていない。
現在時点でのトウショウトドロキの主な戦績は殆どが海外のG1だったのだ。
一部のゴシック誌では日本の芝に脚質が合っていないのではとまで言われていた。
「そうか……なんだか寂しくなる気がするな」
相手の気配に敏感なトドロキは咄嗟に提案をした。
「ならジャパンカップで……」
「まだ脚が治らないから無理だ。まあチーフがもしかしたらいくかもしれないな」
「そういえば共闘者の姿が見えないが」
そのチーフシンガーは空港にはいなかった。共に戦った身としてトドロキも最後くらい顔を合わせたかったが、中々都合が合わなかったのだ。
「誘ったが来なかったよ」
少し寂しいと思ってしまったトドロキだったが、彼女から向けられていた複雑な視線を考えたら仕方がない事だと気持ちを切り替えようとした。
「それでは日本での健闘期待している」
「勇者こそ必ず……」
空港を後にしたエルグランセニョールは久しぶりにタクシーでも捕まえて帰ろうかと思いターミナルのバス停やタクシー乗り場、送り迎えの車が一時的に止まるランプを歩いているとやや重たい排気音を響かせた側車付きが隣にやってきた。
「来れるのなら顔くらい見せたらよかったじゃないか。寂しがってたぞ」
エンジンを切ってヘルメットを外した少女を見たエルグランセニョールは呆れたように言った。
「必要ありませんわ。顔を出したところでさして話すこともありませんし」
バイクの運転手はチーフシンガーだった。
「そのくせして随分と寂しそうな顔してるじゃないか」
チーフにとっては嫉妬の対象でもあったはずの彼女だったが、それがいつしか心の中ではかなり場所を取る存在になっていたらしいんそれが急にいなくなるのだかから一時的な寂しさを感じても当然。彼女はそう思い込むことにした。
「気のせいですわ!さ…帰りますわよ」
ノートンコマンドのエンジンを始動させたチーフシンガー。車体に取り付けられた側車に乗り込んだエルグランセニョールは、ヘルメットを被りながら尋ねた。
「ところでいつ免許取ったんだ?」
「8月中に。バイクは廃車で転がっていたのを直しましたのよ」
「なんだ?バイクの修理もできたのか」
「こう見えても叔父が自動車の修理工場やってましたの」
見た目お嬢様、中身英国ウマ娘随一の何でも屋。
エルグランセニョールの中でチーフシンガーへの評価が激変した瞬間だった。
「やあ、久しぶりだねトドロキ。最後に会ったのは去年の今頃だったかな?」
羽田空港で黒沢に拾われたトドロキは学園に戻るや否や真っ先にシンボリルドルフの所へ向かった。
彼女は丁度クラシック三冠最後の菊花賞に向けて調整をしていた。
一度確認を込めて2日後にセントライト記念に出走する予定だった。そんな忙しい時でもトドロキが会いにきたとなれば喜ばないわけがなかった。
「あれは厳格なる冬将軍の来訪を知らせる時期。地の生き物がコールドスリープに入る準備をしていた時だったな」
通訳が欲しくなる言葉遣いもどこか久しぶりに聞いたなとルドルフは懐かしさに浸っていた。あの時声をかけた少女がここまで立派になったのだ。ルドルフとしては喜ばずにはいられない。
「相変わらずのようだね。さて、時代の開拓者になった今の君は、あの時より随分と顔色も良くなったように思える」
「盟友が増えたからな!」
そしてその十数倍ものウマ娘に敗北とトラウマを植え付けているが本人は知らなかった。
「それは良かったよ」
「獅子王も次を勝てば無敗の三冠王ではないか!」
未だ誰もなし得たことのない無敗の三冠。まさしく伝説が今ここにも生まれそうになっていた。
「そうだな。ならばその後対決と行こうじゃないかも所でトドロキ、君は次の出走は何処を予定しているんだい?」
「我は……ジャパンカップを予定している!」
9月も終わりに近いこの時期に帰ってきたばかりのトドロキでは出走届を出そうにも直近のレースはもうすでに締め切りになっている。
その上、移動の疲れを取ったり芝に脚を馴染ませたりする調整が必要だからトドロキにとっては11月のレースから挑戦をするつもりだった。
「そうか……ジャパンカップは菊花のすぐ後……」
今のルドルフなら体調さえ万全に出来れば強行することも可能だった。
そしてルドルフの闘争心がトドロキとの勝負を欲した。
トドロキはルドルフの内心を図り損ねていた。彼女はルドルフと戦うのであれば有馬記念になるだろうと考えていた。
そのすれ違いは、やがて波紋を呼ぶ事になる。
「トドロキ?帰ってきてたの?」
「つい数刻前に故郷の国に戻ったばかりであるがな!」
学園の廊下で偶然にもトウショウトドロキと遭遇したスズマッハは内心驚いていた。
トドロキの学園での評価はイギリスで大暴れしているウマ娘。概ねそういう認識だったし三冠を達成した偉業の後も凱旋門にでも出るのではないか。またはアメリカに上陸してアメリカ本土戦でもするのではないかと言われていたのだ。
流石にアメリカに行くのはあり得ないと思っていたスズマッハだったが、それでももう少し海外で走っているのではないかと思っていた。
「そっか……じゃあこれからはこっちで走るのね」
「ああ!盟友達を待たせてしまったからな!」
彼女の言う盟友をスズマッハは知らなかった。ただ、この世代に重なってしまったウマ娘達を彼女は憐れんだ。自分自身も含めてだった。
同期が無敗2冠、イギリス三冠。なんと言う事だG1レースの勝者の名前がこの2人で埋め尽くされてしまう。
NHK杯、札幌記念と勝利を確実に積み上げたスズマッハはトウショウトドロキが帰国してきた事に、ついにこの時が来たかと内心決意を固めざる終えなくなった。
(おそらく彼女が次に出るのはジャパンカップ……あの子に戦いを挑みに行くにはそれか……後は有馬記念だけど……)
トドロキが挨拶回りも兼ねて何処かへ駆けて行った後もスズマッハは考え続けていた。
彼女の距離適正はガッツリとトドロキと重なっている。
適正外にはならない。
問題はレース場だった。
スズマッハは東京レース場のコースがどうにもダメだったのだ。何度か走ったものの悉くが負けている。メイクデビューが東京レース場だったのだがそこで惨敗。その次の未勝利戦でしっかりと2バ身の差をつけて勝利しているあたり東京レース場に嫌われている体質なのかもしれないと本気で本人は考えていた。
特定のレース場に愛されるウマ娘も居れば特定のレース場に呪われるウマ娘もいる。
そして東京レース場を避けた場合トドロキと戦える可能性が残っているのは有馬記念だった。
しかし有馬記念はそう簡単に出走登録ができるレースではなかった。
G1と謳っているレースで宝塚と並んで有馬記念はファンによる投票で出走可能かどうかが決まるのだ。
要は有馬はファンやURAからすればお祭り。その年に活躍した名ウマ娘を一同に集めるトゥインクルとドリームの中間にいるようなレース気質なのだ。
現在のスズマッハの戦績、人気で有馬記念の投票を突破することが出来るかと問われたらスズマッハは難しいと答えるしか無くなる。
本人が卑下しているわけではなくて実際にそうならざる終えないのだ。
同期は間も無く無敗の三冠に手が届くシンボリルドルフ。一つ上の世代にはまたもやタブーを破る三冠ウマ娘。そして英国三冠ウマ娘のトウショウトドロキ。
正直最初にスズマッハが考えたのは人気投票で出走が決まる有馬ではほぼ無理ではないかという疑問だった。
G1で一勝くらい挙げていないと難しい可能性がある。しかしスズマッハは堅実に勝ちを拾いにいき、更に無理な戦いや手の内を見せざる終えない戦いを避けてきた。その代償としてG1未挑戦かつ未勝利。
「やっぱりG1に挑むべきかしら……」
G1に一勝さえしていれば有馬でトドロキと闘える。生半可な実力や戦い方では勝てるはずがないG1という舞台。スズマッハだって本気と全力で挑まないといけない。しかし手の内を見せてしまうとトドロキに勝てる可能性がうんと低くなる。
少なくとも妹より才能がないと自負しているスズマッハは決断を迫られた。
同室のウマ娘が戻ってきた後も1人机に向かって悩んでいたスズマッハが最終的に導き出した道。それが静かに机の上の紙を会場にして踊っていた。
マイルCS。
11月18日に行われるG1レース。そしてそれに挑む場合11月25日のジャパンカップでのトドロキとの対決は捨てたも当然だった。
そうまでして彼女はトドロキに勝ちたかった。レース人生を投げ打って、全てをひっくり返して叩き売りにしたのだ。それだけトウショウトドロキというウマ娘に彼女は身を焼かれたのだ。もうスズマッハは誰にも止められない。
「やったからにはこの一戦……ここで決着をつける」
別にトドロキにライバルだと言われたわけでも戦おうと言われたわけでもない。ただ、自分自身がトドロキと最後まで張り合って勝ちたいと言う闘争本能に決着をつける。今の彼女にはその舞台が必要だった。