有馬記念の出走者は、当たり前だが強豪揃いだ。
ファン投票で選ばれるのだから当然だが、中には例外もあったりする。
その為ドリームリーグとトゥインクルの中間に位置するレースとも言われる。
そのレースで私は最も不利と言われる外側の一番端からのスタートとなった。
まあ有利不利と言っても内側が最も有利と言うのはどのレース場でも言われていることだ。今更な事でもある。それに大外の位置は差しや追い込みの走りをするのなら周囲の観察がしやすい位置でもある。
対するトドロキはシービーとカツラギエースを挟んだ内側。
三冠ウマ娘が揃いも揃って外側の位置にいるわけだ。
間も無くレースが始まる。ゲートを牽引しているトラクターに職員が乗り込んだ。
出走が始まってすぐにトラクターがゲートを引っ張りコースを安全なものにする。
ゲートの中で扉が開くのを待つのはどうしても落ち着かないものだ。だけれど落ち着かないからと気を焦っても仕方がない。
静かに、神経を研ぎ澄ます。
ここに出走する全員の走り方を予測してどのような展開になるのか。大方シミュレーション出来た。後はそこから私の勝ち筋を導き出す。最大の不安定要素はシービーとトドロキ。
間も無くレースだ。
ゲートが開いた。
スタートは完璧に決まった。同時に高まっていた鼓動が一気に下がり、冷静さとなって頭の回転をもあげた。
駆け出してすぐに中段に入り込む。前に前にと本能が昂るのを抑え込んで、周囲を観察すればスタートで出遅れたのは居なかったらしい。
足音からしてシービーとトドロキは最後尾あたり。私の周りと後ろ側に殆ど固まっている。
既に集団が形成され、先頭は鹿毛の子が逃げで全体を引っ張っていた。
その後ろにカツラギエース。
ふむ、想定通りだ。
出だしはこれで位置が固定される。何もしなければこのまま終盤までは現状維持となるのだろう。それでも十分私の勝ちを引き出すことはできる。
だが、後ろの2人がそれをさせまいとするだろう。既に背後から挑戦状が届けられている。
勝ち筋を潰そうとしてくる。まるで将棋のようだ。
ならば私はそれに応えよう。その上で勝ちに行く。さあここからが勝負の始まりだ。
トドロキとの初めての勝負。その日になっても不思議と緊張はしていなかった。
誰かに見られていると言う感覚はもうない。周囲の勝てなかったら、何位だったらなんて言う考えも既に無くしていた。ただ、あの子に勝ちたい。その気持ちが緊張を消しとばしているようだった。
中山レース場に到着したのは昼少し前だった。
別に寝坊したわけではない。ただ、いつものルーティンだ。
世紀の大戦を見ようとレース場は大勢の人で混み合っていた。
それもそうだ。世間から見ればジャパンカップに続いて3人の三冠王が戦うのだから。
それ以外にも出走ウマ娘のファンが大勢きている。
もちろん私のファンだっているのだろう。こんな私でも誰かを喜ばせたりする事が出来る。心を動かせていると言うのはなんだかふしぎなのだけれど、今ではそれも慣れた。
パドックに出てきたトドロキは相変わらず調子が良さそうだった。
そもそもトドロキが今までレースに出て調子が悪かった事など無い。それだけ見てもかなり規格外だ。正直ウマ娘はメンタルも体調も、人間より圧倒的に崩しやすい繊細なものなのだ。
それを毎レース事に調整して整えるのはそれだけで言っても才能だしトレーナーの腕の見せ所でもある。
良いトレーナーなのでしょうね沖野って人は。人の足勝手に触ってくる変態だけれど。
私もパドックでアピールをする。G1レース2回目の勝負服はまだほつれや傷もなく、色の褪色もしていない。
まあある程度使ったら交換するから実際勝負服の年季なんてのはそうそう無いけれど。
そんな真新しい勝負服だからかまだ着せられている感が諫めない。
それでもコンディションは良い、靴の履き慣らしも終わった。
先輩たちが多い。当たり前だけれど有馬記念はファン投票だからシニア級で走る先輩とも戦う。
戦歴が長い分駆け引きや戦術駆使の技術が段違いだ。
私はずっとトドロキと戦うために努力をして行ったけれどそれが届くかどうか不安になってきた。
「深淵に飲まれる事のないよう祈っている!」
逆にトドロキとかルドルフとかそこらへんケロッとしていると言うか不安を表に出さないのが上手い。
まああっちがあれだけリラックスしているのなら私も必要以上に気負う必要はないのだろう。
元々私自身にそこまで期待もしていなければ絶望もしていない。走りに関しては優秀な妹と比べられてきたから。
ゲートに入って1人になったら、隣に誰がいるのか。それさえも忘れてしまいそうだった。それだけ私はトドロキしか見えていないのかもしれない。
それでは足を掬われてしまうかもしれない。しかしそれは仮定の話でしかない。
さあ勝負の時よ。トウショウトドロキ。
ゲートが開き目の前が眩しくなるのと同時に私は駆け出した。
バ群が形成される前に、真ん中を突き進んで行く。狙うは先頭。
もう1人先頭に行こうとしていたけれど少し牽制気味に押し込んで前に行かせてもらう。
トドロキ、貴女が示してくれたのよ。大逃げの最速パターン。それと開花した私の……。
真っ先に先頭に飛び出したのはスズマッハだった。
学園でも同じクラスで何度か模擬レースをした事があるからトドロキも覚えていた。
最初から10バ身ほどバ群から離れて走る彼女をトドロキは大逃げをするのだろうと把握する。
(あの走り方はアレンジされているけれど我の走り方……逃げて刺すだな)
大きく逃げてリードを作りリード分を使って脚を休ませてから再度加速する。
2度の加速を短期間で行うための急速な体力の回復を必要とし、それでも足りない分を脚の寿命すらすり減らす脚への負担が恐ろしいほど大きな走法。
だが理論上最も速くなる走りでもある。
ラップ走法よりも瞬間速度に優れ、走破時間も短い。
最後尾にいるトドロキとの差は15バ身ほど。スズマッハの後ろにいるカツラギエースが通常の逃げをしているがそれとの合間だけでも7バ身の距離がある。
(この距離じゃ手出しはできないでしょうトドロキ!)
トドロキとしては厄介だった。
距離が純粋に離れすぎていて干渉する事ができない。更に捲りとしてスパートをかけてもトップスピードを出して追いつくためには速度を維持できる直線は中山レース場では短い。
ならばとトドロキは加速した。
まだ序盤だからと速度を緩めて体力を残すミスターシービーを外側から追い越し、バ群最後尾のダイナカールの真後ろについた。
スリップストリームを使いながらじわじわとダイナカールに圧力をかけていく。
真後ろを見ることは出来ないが気配はしっかりとする。殺気に似た気配にダイナカールも足が狂う。少しづつ、それでも平然を保とうとするものの段々とバ群中団に押し込まれていく様だった。
そこまできて、ふと後ろからの気配が消えた。
(どこかに行った?)
真後ろから消えた気配を探ろうとした時、真横を風が抜けた。
真横に来てなお気づかなかった。足音どころか呼吸の仕方、服の擦れる音そして心臓の音すら察する事ができない。完全にダイナカールに擬態していた。
その目線から火花が散り、ダイナカール左前にいたシンボリルドルフの後ろにつけた。心拍数と足音が少しづつ戻っていく。
ルドルフもそれに気がつく。
真後ろにトドロキが来た。既に1000m通過。間も無く折り返しとなる。
上りが終わり平坦のコースに切り替わる。少しづつバ群が加速し始めた。
原因を作るのは勿論ルドルフとトドロキ。
スズマッハが逃げて差すの走りをしているのはルドルフも知っていた。
既にスズマッハの最初の逃げは終わり現在はクールダウンに入っている。速度が鈍るこのタイミングで距離を縮めたい、だけれど他の走者はなるべくスタミナを削らせたい。2人の意思が一致する。
ルドルフが最初に動き左右に少しだけ揺れる。僅かな揺れだが左右を挟む形で走っていたメジロシートンとダスゲニーからすれば幅寄せに感じる。
それが鬱陶しくて更に進路を塞がれると言う切迫感も感じ2人が加速する。
次にトドロキが後ろに向けて嘲笑うような笑みで振り返った。
キョウワサンダーがその笑みを挑発と捉えて負けてたまるかと言う負けん気を起こした。
トドロキを追い越そうと加速する。バ群の前と後ろで加速が起きれば全体がそれに引っ張られる。
それを利用してルドルフが、数センチ後という接触寸前の位置にいるトドロキがそれぞれ加速する。
3コーナーに入るとそこからは下り坂になる。コーナーと複合した下りでは脚の踏み込みが一層強くなる。さらに今は全体が加速している。バ群全体が大きく外側に膨れ始めた。
3コーナー前であえて減速を始めたトドロキとルドルフが、最後尾で様子を伺いつつついて行っていたシービーが一直線で内側に開いた空間に飛び込んだ。中山の直線に入る前からスパートをかける。
前方を塞ぐものはない。ルドルフが内埒に勝負服の袖をこすりながら通過していく。その軌跡を追うように数センチ後ろをトドロキ、2人に追いついたシービーが駆け抜けていく。
4コーナー中盤に差し掛かっていたスズマッハと彼女に追いついていたカツラギエースも後ろから追い上げてくる3人に気がつく。
スズマッハは少し早いがスパートをかけた。ためた脚を解放するように地面を強く蹴り上げ、スパートをかけた。それでも刺しや先行策をとった時よりも加速もトップスピードも鈍る。それは仕方がない事だったが、それでも何とか逃げ切るつもりだった。
カツラギエースはスズマッハにペースを乱され加速が鈍る。元々通常の逃げに打って出ていた彼女にはスパートをかける余裕はない。それでもスタミナを考えれば直線分のスパートはかけられる。それまで何とか後ろを押さえなければならない。
後ろからする足音を頼りに少しづつ体の位置を移動させる。4コーナーの終盤で彼女の努力が実った。ルドルフの体の左半分とエースの体の右半分がそれぞれ重なった。
一瞬左右どちらに抜けるかルドルフに迷いが生じた。
脚こそ鈍らないがそれでも動きが僅かに止まる。
その隙にトドロキが影から飛び出した。
内側に入り込むように飛び込む。カツラギエースの勝負服とトドロキの勝負服が僅かに擦れ、装飾の一部が激しくぶつかって火花が散った。
(しまった‼︎)
(我はまだ! ここからだ!)
エースを追い越したトドロキと半バ身だけ遅れて彼女を追い越したルドルフが直線に入った。
スズマッハまで1バ身。
「あは!」
トドロキとルドルフの視界が大ききぶれたのはその時だった。
足元の地面が芝から砂漠のような細かい砂粒に変わったように見えた。
肌寒い12月の風が、体を焦がす熱風に変わる。
どこかの砂漠。だがその景色と同時に中山のコースも同じく視界に入っている。相反する二つの世界がそれぞれ混ざろうとする。
虚構と現実。砂に脚を取られる感触。
目の前にいるスズマッハが更に遠くに砂の上を飛んでいくように小さくなっていく。蜃気楼のような揺らめきでその姿すら観測ができなくなるようだった。まるでそこに存在したりしなかったりする不思議な感覚だった。
1バ身がバ身で表せる距離よりも遠く感じる。
(これは……まさか)
(我がこのようなもので……勝負事を中断するほど軟弱じゃない! 私は……勝つんだ! 悪魔神‼︎ 私に力を‼︎)
トドロキが目を瞑る。異常な視界を閉じた。
視界が深淵に染まり、周囲の呼吸とスタンドからの歓声、自分の心臓の音。その全てがクリアに聞こえる。
どこに何があるのか、見えていないが視えている。不思議な感じだった。
あれだけ遠くにいるように思えたスズマッハが、結局変わらない1バ身の位置にいた。
目を開く。
相変わらず世界は虚構と現実の合間にあった。だが砂漠の砂を覆い隠すかのように黒い闇が地面を隠した。影や闇ではなくまるでバケツに入れた黒い絵の具を地面にぶちまけたかのように虚構が侵食されていく。
砂の感覚は今度は芝、そしてアスファルトのような硬いものに変わっていった。
ただ、それはトドロキには走りやすい地面だった。
虚構の侵食はスズマッハにも襲いかかった。
軽く飛べるように走れていた脚が急に鎖で引っ張られたかのように地面に押さえつけられた。
(……は⁈)
闇が脚を押さえつけている。そのような幻覚が見えた気がした。
脚を見ている暇はなかった。ゴール板はもう目前だった。
ともかくあそこを通り抜けないと。
そう思い前を向いた時、視界の端に白色の髪と鹿毛の髪がチラついた。
(まさか‼︎)
「私が‼︎ 絶対だ!」
「我が! 1番だ!」
「ふざけるなああああ‼︎」
その瞳には互いに火花が散っていた。
前に。ただ前に。今だけは、誰よりも速く駆け抜けることに全てを賭けたケモノとして。
彼女達の脚からは閃光のような幻覚すら巻き起こっていた。
ゴールを目撃した人々は歓声を上げるのを一瞬忘れた。
直線でデッドヒートを繰り広げた3人がほぼ並んでゴール板を通過した。