そのウマ娘がガネー賞に出ると発表した時、フランスは何故こっちに来たと心底煙たそうにしていた。
海外からウマ娘がレースしにくる事自体は全く問題ない。むしろ大歓迎であった。
だが、よりにもよって来た相手がイギリスで大暴れをしていたウマ娘であれば話は別だ。
たとえフランスでの戦績が0勝だったとしてもだ。
さらにトライアルや調整などで下級レースを挟んだりする事なくいきなりG1に殴り込んできたのだ。
さらに日本からは無敗のG1三冠などと言うこれまたトウショウトドロキに負けじ劣らずの戦績と実力を兼ね備えたシンボリルドルフまでもが参戦する。
URAに対してフランスギャロは宣戦布告かどうかを問い合わせたレベルだ。
流石に本人達が個人的にフランスを走るだけでURAが戦争を仕掛けるなどと言うようなことは無いのだが……
しかし嘆いてばかりもいられない。イギリス風情に勝った気になるなと言わんばかりの負けん気でトドロキとの勝負に挑もうとするフランスウマ娘を他所に当の本人は、シンボリルドルフに対してどう接して良いか悩んでいた。
フランス語の野次や多少の挑発も、いまのトドロキには全く効果がなかった。
そんな状態で大丈夫なのかと思うが、それでもトドロキはレースとなれば気持ちをいやでも切り替える。
勝負服は海外用の赤色のものになっているが、むしろ海外ではその勝負服の方が有名であった。
パドックを降り、コースに向かうトドロキと続いてパドックに向かうシンボリルドルフがすれ違った。
「トドロキ、君が何に悩んでいるのか……わからないわけではない。ただこれだけは言わせてもらう……私は、狙ったものは逃さない。そして遠慮がない」
それだけ言ってルドルフはパドックに向かっていった。
それをただ、振り返りもせず聞いていたトドロキはルドルフの本気の一端に触れ、心の底で燻っていた闘争本能が刺激されていた。
「わかっている……わかっているぞ盟友、獅子王」
それでもトドロキは悩み続ける。誰もが笑顔になれるレースとはどうあるべきなのかを……
ロンシャンレース場。
トドロキにとっては2回目、ルドルフにとっては初めて。だが、この2人にとって経験の差など大したことはない。
レースが始まればその場を支配する力を持った2人によってレースは書き換えられる。
それをまだ体験した事がない出走者達は、観客席から同情の目線を送られた。
送っていたのはエルグランセニョール。
一年の合間休養をしていた彼女の脚はようやく、そして奇跡的に回復傾向に向かっていた。
だが本格的な復帰をするにはまだ半年はかかる状態だった。
そんな彼女はトドロキとルドルフという異端による蹂躙をなん度も見ていた。だからこそわかる。あそこにいるウマ娘達は体験するのは初見だ。対処法をすぐに見つけ出さなければ勝負にすらならないだろう。
「だがどちらが勝つかまではわからない。見極めさせてもらうぞ。トウショウトドロキ」
パドックに入る14人。
扉が開くまでのわずかな合間にゲートの中でいくつもの想いが交差する。しかし栄冠をつかめるのはたった1人。それを決める勝負は、ガタンというゲートの開く音と共にコースに溢れ出た。
(さあ、舞台は整った!我の力が火を吹く時はここだ!)
2時間前まで土砂降りの雨だったこともあり場は重場だった。だがそれを見越していたかのようにトドロキは日本国内で重場のコースで練習していた。
だからこそ足にまとわりつく水を含んだ土も、ロンシャンの芝も全てが想定の内だった。
そんな中で彼女がとった策は、珍しく先行4番手につけていた。
殆どのレースで後ろにいる事が多い彼女が前に立った。その事に彼女をよく研究していたウマ娘ほど意識を持っていかれる。
イレギュラーな事態だったからだ。
だがいちいちそのような事で驚いていられるほど彼女達も暇でもなければトドロキに興味はない。そこにいるなら後で抜けば良い。そう考えるのが普通だった。
(左後ろに2人、右側は1人、あとは死角に潜り込んだか)
(なるほど、今までの戦術を捨てて来たか)
最後尾に陣取ったルドルフは、やはり芝の違いに最初の加速でスタミナを予想より多く消費していた。
だがそれでも挑戦者となったルドルフに限界などない。それを表すように、既に前方を蓋する2人飲んではウマ娘に対して、後ろから圧をかける。
日本から来たウマ娘如きに負けるかと、プライドと負けん気があるフランスウマ娘は後ろから迫る気配を感じ取って加速した。ルドルフも遊びと言わんばかりにそれに付き合うそぶりを見せる。少しだけ加速するはずが大きく加速してバ群に飛び込んでしまった2人のウマ娘は、今度はトドロキの歩幅に惑わされて減速が始まっていたウマ娘の1人と接触しそうになる。
咄嗟に急減速、バランスが崩れてバ群後ろで走っていた3人が接触回避で左右に大きくぶれた。
体のバランスも大きく崩れて急減速していく。
それをルドルフはあっさりとパスしてバ群の開いた穴に入り込んだ。
まだ折り返し地点すら超えていないのにも関わらずレースは荒れていた。
右コーナーに入る直前トドロキが後ろを振り返った。
ルドルフの隣にいたウマ娘と目があったようだ。ルドルフからは一瞬だけトドロキに睨まれたウマ娘の顔が強張ったように見えた。
事実その視線には重圧にも似た重くドス黒い感情が混ざっていた。それを向けられた側が引き起こす反応は三つ。無反応か、恐怖か怒り。そのウマ娘は恐怖が浮かんだ。彼女を早めに撃墜しておかないと後で大変な事になる。そういう考えが頭の中を支配してしまった。
コーナー中にも関わらず無理に加速した。そのため本来なら通るべきだった内側の位置から外に外れて、大外を回る事になってしまった。
その事に気がつかない。いや、気がついていてもそれを問題ないと判断してしまった。
レース中に自分の判断ミスを考えるよりも、その先でどうカバーするかが大事だと基本的には教わる。それがこの場合悪い方向に働いた。
そのウマ娘のスタミナは中盤コーナーで大外を振り回せるほどあるわけではない。
一方ちょうど良いと言わんばかりに内側が空いたことからルドルフはコーナーで有利な位置に入り込んだ。コーナーを脱出。
トドロキが緩やかに加速していく。
先行位置でのロングスパートだった。先行位置を維持してなお、ロングスパートをかけるほどのスタミナがあるのはトドロキが3番手のウマ娘の真後ろに入り足跡をなぞるように走る事でスタミナ消費を抑えていたからだった。
当然ルドルフも同じようにバ群の中でスリップストリームをうまく使っていたがそれでもバ群の中なだけあって立ち上がりでは一歩遅れる。
(そこでスパートか!なら付き合おう)
だがルドルフもここで諦めるわけにはいかなかった。歩幅を変化させ、スライド走法に切り替える。
脚への負担は増えるが、それでもルドルフの脚は負荷を受け止めてなお出力を上げる余裕を持っていた。
脚の回転は変わらなくとも歩幅が広がる事で速度は上がっていく。
緑色の軍服にも似た勝負服が後ろに激しく靡いた。
緑色の閃光が走り、ルドルフもスパートに入った。黒色の気配がトドロキの足元にまとわり付いているような幻覚が見えた気がした。
バ群内側から道を強引に開けさせて飛び出す。残り500m。全員がスパートをかけようとするも、ルドルフに後ろから煽られ、前からはトドロキが圧力をかけていたバ群のウマ娘はスタミナが続かない。唯一トドロキの前で逃げを打っていたウマ娘だけが稼いだリードで逃げ切ろうとするも、スパートで速度を乗せたトドロキとスライド走法でさらに加速を鋭くしたルドルフが射程に捉える。2人の視線と気配にここに来て逃げウマ娘が掛かる。余計に加速させようと僅かなスタミナすら使い果たしてしまった。
速度を維持する事ができず逆噴射が起こる。
トドロキがコース外側、トドロキより1バ身だけ後ろのルドルフは内側に飛び退いて回避する。
赤色のコートと、緑色の軍服がせめぎ合う。
トドロキはルドルフに勇気と道を示してもらった。
ルドルフはトドロキから夢の協力者、可能性を受け取った。
だからこそ最後まで本気での勝負で挑みたかった。
トドロキとルドルフが左右に並んだまま限界まで加速する。
ゴール板は間も無くだった。
だがルドルフの脚はまだフランスの芝に慣れきっていなかった。
いくら調整を重ねても、実際のレースではイレギュラーがいくらでも起こる。数時間前まで雨が降っていた重場残りロンシャンをそれぞれのトレーナーも本人達も想定できていなかった。
だがトドロキは重場ばかり走らされていて重場でのタイムの出し方を知っていた。直前になって蹄鉄すら重場用のものに換装して出走しているのだった。
対するルドルフは重場の洋芝まで慣れる時間が無かった。
その結果としてルドルフの走りは重たい。跳ね飛んでいる芝と泥の量はルドルフの方が多い。
ルドルフのパワーにコースが耐えられなくなり力を走りにしっかりと伝えきれていないのだった。
その差がゴール直前に出た。コンマ数秒に満たない差だったが、勝負の世界ではそれで十分だった。
少しだけ、トドロキが前に出た。
クビ差でトドロキが一着でゴール板を駆け抜けた。トドロキとルドルフの戦いの一戦目の結果が決まった。
歓声がレース場を埋め尽くす。フランスG1レースで異例の日本ウマ娘のワンツーフィニッシュ。
その偉業に会場は沸いていた。
ルドルフから後の差は2バ身。2人が突出してデッドヒートをしていた証拠だった。
「どちらが勝ってもおかしくない……だがトドロキ、君の実力なら今のルドルフくらいもっと引き離せたはずだ」
一体どうしたというのだ?
歓声鳴り止まないレース場でエルグランセニョールは1人頭を悩ませていた。
明らかに走りが不調だった。なまじ勝っているため周りは気づかないだろう。だがあの走りでは調子をこれから上げていくであろうルドルフには勝てなくなる。
そういう考えが頭の中にずっと残っていたのだった。