ああ負けた。
漠然とした悲しさが心の底に広がっていった。
あれ?そういえば……どうして私、こんな感情が心に広がって……?
「勝った!これでやっと土俵に立てた!」
日本語、ルドルフさんの声だった。もう既に息を整え終わっていたのか汗を流しながらも呼吸はいつも通りになっていた。
「負けた……くやしい……」
あれ?今自分でなんて?どうしてそんな言葉が?視界がぼやけそうになる。あはは……こんなこと今まで一度もなかったのになあ……
「くやしい?」
「負けたいのに……勝つが辛いのに……くやしい?」
「あれ、なんで私……全力で……」
全力出せてた?
なんとなく歓声が、怒号が、この場所にいること自体がすごく空虚に感じて、居た堪れなくなった。居場所がない。落ち着かない。
忘れかけていた感情が再び戻り出そうとしていた。
それを止めたのは、やっぱり盟友の声だった。
「トドロキ!」
「ルドルフさん……」
「君から逃げない。君を一人にはしない。それを証明するために、私はここに来た」
「……え?」
追いかけてきていた理由。ようやくわかった気がした。
「私は強い。君の全力を受け止めてなお勝てる程に」
私は強い……その言葉が1番しっくりくるのは確かにルドルフさんくらいだ。しかもその目は真剣そのものだった。
「……だから次は全力で来てくれ」
全て見透かされているようだった。
全力。そういえば全力を出せたのっていつだったっけ?あはは、そんなこと忘れちゃうくらいいつのまにか全力を出すのを止めちゃっていたなんだ。なんだ、それじゃあ勝てなくて当たり前だ。悔しくて……でも悔しいだけじゃないモヤモヤも残って当たり前だ。
我が何も言えずに黙ってしまっていると、ルドルフさんも少し慌てたのか、動揺し始めたのかオロオロし始めた。
「トドロキ、凱旋門で勝負だ。同じ土俵でようやく……」
「それより先は言うな!次は……我が勝つ!」
ああ、ルドルフさんはやっぱりすごいや。
「ああ、受けてたとうトドロキ」
凱旋門か……
去年は行かなかった世界……ルドルフさんとそこで走る……。なんだか燃えてきた。
控え室に戻ると、契約者は笑顔だった。ただどこか含みがあるような、獰猛な感じがした。
「お帰り。なんか憑き物が落ちたって感じだね」
そうなのだろうか?
「次は凱旋門だ」
「まーだ暴れたりないか。お前ら本当に欧州に喧嘩売りすぎだ。いいぜ、とことんやってこい」
そこまで欧州に喧嘩を売った覚えは無いのだけれど……ううん、やっぱりわからない。
「そう簡単に言うが策は用意できるのであろう?」
「元々策を練ってたのはトドロキだろう。私らはそれを最大限サポートするまでよ」
あ……確かにそうだったかも。
「それに凱旋門に出るなら沖野の力も必要だ。呼ばないとな……」
凱旋門賞に参加すると聞いて沖野トレーナーまでもがやってきた。代わりにメジロラモーヌさんはタケホープがトレーニング遠行うために入れ替わるようにして一足先に帰国して行った。
「よ!久しぶりだな」
「契約者よ。久しぶりのタッグを組む時が来たようだ」
いつもと変わらない服装の契約者は、早速現地で買った謎の飴を舐めながら凱旋門賞へ向けての我のトレーニングを見直していた。基本はタケホープさんが作ったメニューのままだったけれど、そこに沖野トレーナーはマッサージを追加していた。
その合間にシリウスとか言うシンボリ家のウマ娘がアイリッシュダービーを制覇したりスペインのG1で2着に入ったりしていたらしい。
もしかしてルドルフさんと一緒にいたあのウマ娘かな?
そうして10月にもなればフランスは一気に気温が下がって冬の気温になっていた。日本と比べて緯度が高いからやっぱり寒い。それでも人々の熱気は高い状態になっていた。
凱旋門賞を観にこようと各国から人がやってくるのだからそれもそうだ。国際大会の熱気は普通のG1とは異なる物だ。ただ、凱旋門賞って正直に言うと我は好きではない。
聞こえはいいし権威は凄いからかっこいいとかそう言う意味では好きだけれど、凱旋門賞を取り巻く環境は好きではない。
フランスでは、19世紀半ばに国際的なクラシック級レースとしてパリ大賞が創設され、国外からも一流のウマ娘集めて成功していた。
これにならってシニア級のための大競走が企画され、1920年に創設された。これが凱旋門賞である。
つまりこの時点で凱旋門賞は欧州の名高いレースの中では新しい部類に入るレースだ。古さで言えばイギリスのレースの方が軒並み歴史を辿ると古い。
しかも初めの30年間は国外からの一流のウマ娘の参戦はなく創設の目的を果たせなかった。
それもそのはずでシニア級ともなれば普通にイギリスのシニア級国際レースの方が権威も歴史も高かった。
陸続きの欧州では各国固有のレースが育ちにくく、わざわざ自国のレースに出るくらいなら権威あるレースをイギリスがアイルランドがやっているのだからと言う風潮に凱旋門賞もう流されていたのだ。
結局それを打開するに至ったのは金だった。1949年に大幅な賞金増によって世界一の高額賞金レースとなると徐々に注目を集めるようになり、シーバードやミルリーフと言ったウマ娘が戦績ではるかに勝るウマ娘を相手に勝つことで、凱旋門賞の国際的な名声はますます高まった。
凱旋門賞の成功にあやかって、世界各地に国際的な大競走が創設されたのだが、これらの多くは極めて高い賞金を出して凱旋門賞より権威を高めようとした。そのため現在ではいくつかのレースは凱旋門賞を超える賞金を出すようになった。
一方、凱旋門賞は世界最高賞金の座を奪還するためにスポンサーと契約し更なる賞金の積み増しを行なっている。
と言うわけで年々賞金は高額となり年々金がかかる演出が増え権威を売り出す姿勢を強めているのが凱旋門賞なのだけれど……
それにも関わらずロンシャンレース場は我も何度か走ったがこの時期になると幾つかの問題点が浮かび上がってくる。
ロンシャンレース場はあまり整備を行わないのだ。それでも年初めから半年まではまだ状態は良かった。
土の踏み固めを行ったりして整備を一応はするからだ。
夏を過ぎるとレース場はモグラが穴を掘るため地盤が弱くなり、尚且つ凱旋門賞の時期は決まって雨が降る。足元はかなり悪くなるのだ。
芝は禿げ始め、地面は想像以上にでこぼこときた。おまけに雨付き。
「基本的に今まで走ったロンシャンよりも数段悪い状態だと思った方がいい。乾燥しているなら別だけど雨のロンシャンは化けるからさ」
日本のレース場のように放っておくと芝もダートも半年で使い物にならなくなる気候では地面をコンクリで固めてその上に土を敷き芝を作る徹底した整備を行う。
だが元から自然的な状態を好む欧州では基本的に芝の張り替えや土の踏み固めと補充のみで地盤改良などは行わない。草原を走るのとなんら変わりないのだ。
それの悪い面が一気に噴出するのが凱旋門賞の時期のレース場と言うわけだった。
賞金を上げるためにロビー活動したりこうして祭りのように人を呼び込もうとする広告に力を入れるのは良いが走る側からしたらコースの質の悪さが目立つ。
だから凱旋門賞は好きではないのだ。だがそれでも盟友と約束したのだ。レースで勝負すると、我の全力で必ず彼女を撃ち倒すと……
それに一流ウマ娘が各国から集まってくる。それだけで燃えないなんてことはあり得ない。
「では……行ってくる」
「おう、行ってこい。ラモーヌの奴も観客席で応援しているからな」
あれ?ラモーヌさん来週が確かメイクデビューだったんじゃなかったっけ?まさか観戦した後蜻蛉返りでレースに出走するのだろうか。
チームの後輩として殆ど会っていないけれど大丈夫……だよね?
パドックに行く途中シンボリルドルフさんとすれ違った。かなり先にパドックでお披露目をしていたらしい。
かなり仕上がっている。蛍光灯の光の下でもよく分かった。勝負服遠纏いながらも隠しきれない覇者としての風格。近くにいたら気持ちが昂って空回りしそうだった。
「来てくれたかトドロキ……」
「フハハ!皇帝、我が悪魔神の全力。どこまで耐えられる?」
「ふふ、皇帝を侮るな」
ああ、そばにいるだけで闘争心を刺激される。今までどうして気がつかなかったんだろう。
いや気づいていたけれど気づいていないふりをして来ただけだった。
それにルドルフさんだけではない。流石にルドルフさん以外だって海外トップクラスのウマ娘が集まる。凱旋門賞の格は高いのだ。
英2000ギニーとエクリプスステークスの勝者ダンシングブレーヴさん。
マルセルブサック賞、愛2000ギニーをはじめG1でほぼ上位3着以内を維持するトリプティックさん。数えたらキリがない。
今更ながらそんな人達とレースするんだって重圧がのしかかってきた。やっぱり性格と合わないや……でもここまで来て逃げるわけにもいかない。やるしかないんだ。
レースはもうすぐだ。
「ふん、日本のウマ娘がいい気になるな」
あ……ルドルフさん絡まれてる。だ、大丈夫かな?
一歩も引かない様子だけど。わ、た、助けた方が良いよね?
「おい貴様、我が盟友に何か用かな?彼方で我が悪夢神がお茶会を開いて話を聞こうと申すのだ」
「……チ、面倒な奴だ。あんたら仲良く連んで走っていれば良いじゃないか」
あ……あっさりどこか行っちゃった。ええ……我の考えた挑発とかっこいいセリフ全く言えなかったよ。
「すまないな。トドロキ、挑発くらい受け流しておくべきだったのだが」
バツが悪そうな顔で謝るルドルフさん。別に大したことはしていないのだけれど……
「気にするでない我が盟友。レース前に気を揉まれるようでは全力を迎え撃つのが難しくなるのではないかなと思ってな」
「……大丈夫だトドロキ。全力で来てくれ」
「承知した。盟友、君主が我が悪夢神に命ずる!必要なのは勝利!そのための力!故に我が体に一切の余力なく。全てを持って勝利を掴みに行こうぞ!」
だからルドルフさんお相手、よろしくお願いしますね。