骨折したとしても入院する事態には中々ならなかった。精密検査でその日のうちに他の異常が出なかった事もあり、夜中にはトレセン学園の自室に軟禁という形で押し込まれていた。
事故にあったと言う情報をどこからか聞きつけてきたマスコミがわんさか来て余計なストレスを与えるのを防ぐためだとトレーナーは言っていた。
ただ、半年以上空けていたトレセン学園の寮部屋は、どこか違和感があった。
空いているはずの隣のベッドと机に、生活感が溢れていた。私物の物、教科書やノートが机に乗っていた。
不意に扉が開いた。振り返った我と、部屋に人がいるなんて思っていなかったせいかポカンと呆気に取られた顔をした少女の目線が合った。
「あ!お帰りなさい」
黒い髪を腰あたりまで伸ばしたロングで片目も髪の毛で隠れていた。なんだかかっこいい……片目隠しかっこいいぞ!と思ったけれど我も眼帯で隠しているんだった。
「う、うむ!王の凱旋である!」
「えっと……あ、私はライしゅ……ライスシャワー。よろしくね」
身長からしておそらく今年入学の中等部の子だろう。
「我が名はトウショウトドロキ!悪魔神を宿す神力の代行者!」
と、決めポーズでそう言った。
「その、ライス、何度もトドロキさんの事テレビで見て憧れていたんです。同じ寮部屋だって言われてすっごく嬉しかった……でも海外に行ってて居なくって、怪我したって聞いて心配していました」
ギブスで固定された腕を目線が追っていた。脚じゃなかったのが幸いだった。だけれど同時に難しいところでもあった。
「それは……なんかごめん」
ものすごく寂しい思いさせてた?
「でもこうして面と向かって話せてる、ライス、それだけで幸せだよ!だから……これからよろしくお願いします!」
初めての同室は可愛い後輩でした。
トレーニングも怪我が治るまでお休みだったこともありデビュー前のライスシャワーとは、かなりの時間を一緒に過ごす事ができた気がした。なんだか一ヶ月が濃密だった。
ちなみに同じく怪我で休養しているスズマッハさんは既に松葉杖はついていなかったけれど本格的な復帰は来年になるそうだった。
怪我休養なんてお揃いにしなくて良いのにと言われたがこればかりは不可抗力だ。悪魔神の力はあくまでレースでしか発揮されないからな。
「やっぱりタイムが落ちているな」
怪我あけ直ぐのトレーニングは現状を把握するところだった。既に有馬記念まで一ヶ月を切っていた。
学園生活でずっとつけていたギブスが取れた後、そのまま病院でのリハビリと学園との往復をしていたせいでここ二ヶ月はほとんど走ることすらできていなかった。
そのせいもあってか体は普段よりも数倍重たかった。息の上がり具合も悪い。
「リハビリも予定通りだったがこれはなんともなあ……やっぱり有馬は回避だ」
沖野トレーナーは残念そうな顔でそう言った。
私はどんな顔をしているのだろう。自らの表情がどうなのかわからないよう
「そう……か」
自覚はしていた。だが面と言われたらショックだった。
「お前さんがルドルフとの約束に拘るのは分かるが、現状無理だ。ラモーヌにすらタイムで負けているんだ。まあ、あいつはあいつでティアラ三冠狙ってるから一概に比較はできないが」
そのラモーヌは我と同じコースでタケホープと併走トレーニングをしていた。
トレーナー自身が併走するためか指導量にラモーヌも圧倒されていた。
「まずは矯正からと行きたいが……身体の重量を均等にするところからだな」
難しい顔をしながら沖野トレーナーは我の腕を軽く触った。
骨折した左腕は治ったものの明らかに筋力量が落ちていた。
リハビリで治せるのは日常生活に支障をきたさない程度。そのため左右の筋力量の差が腕の振り、重心の変動に影響してフォームが乱れている。……らしい。
「少なくとも左右に軸がぶれている。付け焼き刃の対処じゃG1戦線は戦えないからな」
そもそもがルドルフにすら勝てるかどうかわからない。無理をすれば勝てるかもしれないがそんな事をすれば競技人生はその時点で終わる。スズマッハが身をもって証明したことではないか。
「となるとトレーニングは……」
「左腕の筋力アップだ。重量を上げるには筋肉をつけるのが手っ取り早いからな」
ついでに言えば同時に全体のパワーも底上げを図りたいらしい。しかしそれで有馬を回避したとして間に合うのだろうか……いや間に合わせるしかないのだけれど。
「特に今のルドルフは欧州で走っていた時より数段跳ね上がってる。あの時よりもさらに上にいかないといけないからな」
さらりと沖野トレーナーはとんでもないことを言い出した。
「……」
「怖気付いたか?」
「まさか、我が悪魔神と手を組めば容易いこと」
それに、ルドルフは待っているのだ。我が前で待つのが苦手だから……ならばそれに応えなければならぬ。それが私のできる精一杯の償いだから。
少しだけ沖野トレーナーが引いている気がした。
後で見学席にいたライスシャワーに話を聞いたら、曰く獲物を見つけた猛獣みたいな顔していたそうだ。
そうして一ヶ月切っていた時間はすぐに過ぎ去り、未だ本調子とはいえないまでも力を取り戻し始めたところでその日は訪れた。
12月の東京は雪が降らないものの、その分空気は乾燥して寒い。スズマッハからもらった手袋とお手製のマフラーに黒スーツとハットを被った世を忍姿で我はレース場に向かった。
有馬記念。その舞台に私が立つことは無かった。だけれど、その場に行かないと言う選択肢はなかった。
出走するウマ娘達の熱意と思いでレース場は溢れていた。
その熱意を浴びるたびにその場に立てなかった悔しさで心が冷えていく。
ライスシャワーは同学年の子と見に行くらしい。学園用に用意された前方席にいるらしい。
我は一般で入場し高い位置からレースを俯瞰できる席を選んだ。
冷め始めた心を、精一杯利用したかった。
1番人気はやっぱりシンボリルドルフだった。
と言うよりもこの場にいる多くの人々がシンボリルドルフの勝利を信じてやまなかった。まるでそれ以外の子の勝利への熱意は無謀であるかのうだった。
否定されている。いや、否定はしていないがどことなく感じる雰囲気はそんなものだった。嗚呼きっと、我が走る時もそうだったのだろう。常勝、あるいはそれに近い勝利を重ねた怪物。
そしてルドルフさん、どうしてそんなに目が怖いの?私と走っている時はもっと柔らかいのに……
「観客席から自分を見る気分はどうだ?」
見知った声が隣から聞こえてきた。横を向けばそこにはイギリスで戦い続けた盟友がいた。
「エルグランセニョール!」
「久しぶりだなトウショウトドロキ」
髪は最後に走った時よりも随分と伸びていた。だけれど体から溢れ出るオーラはあの時と同じ、いやそれ以上のものだった。そんな彼女の言葉だからこそ心の奥にストンと入ってきた。
「あれが我の……か」
「まあ彼女ほど目は鋭くないが、場の空気の作られ方はあいつもあんたも同じさ。いやこればかりは王者の定めなのかもしれないな」
そして同時に、人々は王を倒す勇者を求める。
それは紀元前から繰り返されてきた英雄の物語の根幹でもある。
その勇者は、誰なのだろうか。皆は誰が勇者のほうがいいのだろうか。
ファンファーレが鳴った。
用意されたゲートにウマ娘達が入っていく。ルドルフさんの目線が観客席を見ていた。誰かを探している……けれど見つけられなくてすぐに目線を戻した。一瞬の出来事だったけれど我にはわかった。
ゲートを牽引するトラクターにも火が入る。
静まり返る会場。そしてゲートが開いた。
全員横一列の綺麗な飛び出し。けれどルドルフさんだけが一歩後ろだった。
前方に形成されていくバ群。100mもいかないうちに大体の位置が決まる。けれどそのレースは随分と変動が多かった。
前方での入れ替わりが激しい。ルドルフさんも少し前後に動いていた。
普通にレースを観戦する人には何が起こっているのか分からない。
けれど、あれがなんなのかは我にもエルグランセニョールにも分かっていた。
「凄いな。一人一人に照準を合わせて勝ち筋を潰していっている」
個別に勝ち目を消していく。それも複数人を同時に相手取ってだ。なるほど沖野トレーナーが言っていた意味がわかった。数段進化している。その上で基礎能力すらさらに上げている。正直ルドルフさんはあそこまでレースを支配しなくても純粋な力だけで勝つことも出来る。けれどルドルフさんはそれをすると一つの癖が出ると言っていた。
だからルドルフさんはその癖は皇帝として、絶対としてふさわしくはないと呟いていた。
あの合田と言う契約者はルドルフさんを皇帝としようとしていた。
最後の直線に入った。ルドルフさんの視界をイメージして投影する。ああ、もう既に勝ちは決まっていた。コースはオールクリア。最後尾だけれど全く問題ない。スパートがかかった。一気にど真ん中を突っ切っていく。その道すら自らの策略で作り出したものにすぎない。こじ開けるなんて行為は要らない。
あっさりと先頭に立ち、そして後方を突き放した。
ウマ娘達の想いを粉砕し頂点に立つ存在としてその姿を全員に見せつけた。だからこそ皇帝……ただの王あらず。
歓声の中、エルグランセニョールは席から立ち上がった。
「私も復帰戦がある。長居は出来ないが、モンスターのレースも楽しみにしているよ」
モンスター、私につけられた通称。称号……
そしてルドルフさんの皇帝と対をなしながらも同じ意味を持つ言葉。
「我は、勇者になっても良いのか?」
「それを決めるのは君じゃない」
そっか……面と言われてしまうとちょっと辛い。けれど、我にはその言葉が示してみせよと言っているようだった。
「ならば盟友、其方も我が勇者となれるよう王になるのだな」
「それは御免だね、私は常に勇者側にいるよ」
その言葉が終わるか終わらないか。その時には盟友は人混みの中に消えていった。
さて、我も怪物の英雄章を始めるとするかな。