我の復帰戦はすぐに決まった。
決まったのだが……そのレースは我にとっては些か疑問がつきそうなレースだった。
G1レース。天皇賞。4月29日に開催される春天と呼ばれる方の天皇賞だ。
コース距離は世界でも五本の指に入る3200m。走破適正が低い長距離のレースだった。
ルドルフさんとミスターシービーさんが出るって言ってたからつい反射で選んだけど長距離だったなんて……
いやまあ知っていたというか薄々気がついていたのだけれど。
「いきなりG1レースなのだな」
さらに言えば長距離レースが復帰一本目だった。普通は段階を踏むのだが長距離レースが少ない影響でこうなったわけだ。
一応ステップとしては阪神大賞典、日経賞があるものの、出走の登録が間に合わない、日経賞は日程の調整をどうにかすればいけるのだが……
「お前さんの場合復帰戦でもG2レースなんかやったら蹂躙になって終わるだろうが、トラウマ植え付けてどうする」
バッサリと切り捨てられた。何故かその意見にはタケホープもラモーヌも賛同していた。解せぬ……
未経験の長距離が復帰戦となったわけで世間ではかなり意見が割れていたようだ。全く気にしていなかったが……
「それもそうだがいきなり盟友と戦うのか……」
「今のお前さんなら後は気持ちの問題だ」
沖野トレーナーはそう言って背中を押してくれた。ただそれで気持ちは何処か落ち着いた。
それでも沖野トレーナーにステイヤーの知り合いが少ないせいで中々練習は手探りが続いた。
どうにも長距離での決め手に欠ける。そんな感じだった。
一応長距離自体は走ったことはあるにしても今回はシニア級。小手先の技だけでは通じない。
だからこそ体も長距離に合わせた調整をしていたが、結果は思っていたよりも伸びていなかった。
そんな中でステイヤーを見つけたのは偶然の事だった。
「あ……あの!」
先に部屋に戻っていたライスシャワーが、そう話しかけて来たのは我が部屋に入ってから30分後だった。
ここ数ヶ月で彼女の性格はわかって来た。引っ込み思案。かつシャイ。ネガティブ寄りな思考。我と重なるところが多々ある。
勝手に似たもの同士と呼び始めた。
「天皇賞、出るんですねトドロキさん」
どう話しかけようかとずっと悩んでいたらしく、彼女の手元の作業はずっと止まっていた。
「同士よ耳が良いのだな」
「ライスね、長距離の方が得意だから……」
とんでもない近くにステイヤーの卵がいた。
「なるほど、漆黒のステイヤーと言うわけか」
比較的小柄な体で長距離を駆け抜ける姿を想像。なんだ凄いかっこいい姿が見えるぞ。
「そんな程じゃ……で、でも長距離は得意だから……」
「ならば走りの美学を教えてほしい!」
「えあ……ライスに出来ることなら……」
長距離を走るのなら長距離を得意とするウマ娘に聞けば良かったのだ!幸い同士はそれはそれは明晰で学年でもトップな学力を有しているではないか。
その日からチームスピカにライスシャワーの姿が高頻度で見られるようになった。
天皇賞春の3200mは世界でもほとんど数がない3000m超えのレースとなる。
我らが普段走っている2400mから800mプラス。短距離に相当しそうな距離差だ。
そのため走法から何から全く異なる走りをする事になる。
ライスに教えてもらった限りでは心拍数が最後まで上がりづらいレースを心掛けるのが定石のようだ。結局持久走に性質が近いものの、ラストのスパートでは速度も中距離と変わらないと言う特殊性を保つためにスタミナ管理が必須になる。
最終的な敵は自分自身というわけだ。ただ、我も盟友もステイヤーではない。あまりそれらに拘りすぎても付け焼き刃にしかならないから最後のスパートまでスタミナが保てばいい程度で良いらしい。
ちなみに同士は目をつけた相手の後ろにぴったりくっついてスリップストリームを最後まで使って走るらしい。彼女らしいと言えばらしい走りだ。
京都レース場。その外回りコースを1周半する長距離戦という大まかなレイアウトは芝3000メートルと同じだが、スタート地点が200メートルだけ2コーナー方向に寄せられる。
そのぶん最初の3コーナーまで距離が延びて先行争いにはゆとりができるが、3コーナー付近の上り下りを丸々2回走ることになる。長距離戦だけにどこかでペースが緩むのが通例。2周目の3コーナー過ぎの坂の下りからはラストスパートが始まって、ゴールまでの800メートルほどが最後のスパート区間。激しい攻防が続く。直線は403.7メートルで、平坦のため上がりは速くなりやすい。スタミナだけでなく切れ味も求められるのが京都の長距離戦の特徴だ。
そんな未知の世界をこれから我は戦わなければならない。
しかし裏を返せば欧州での戦いもずっとそのようなものだった。思えば遠くまできた気がする。
パドックに行くとそこには久しぶりに会う顔がいた。
「久しぶりだ盟友!」
欧州にいた時よりも凛々しさが増していた盟友は、我を認めると雰囲気が柔らかくなった。
「トドロキ、怪我はもう大丈夫なのだな」
「あの程度の怪我で我が力は衰えたりしないからな!」
「ふふ、安心した。遠慮なく全力で来てくれ」
ああ、盟友の調子が良くなっていく。覇気が溢れ出ている。
その覇気に当てられて思わず我も笑みを浮かべていた。
我の復帰戦は、盛大な宴としようではないか悪魔神!
「ふふ、戻って来てくれて嬉しいよ」
ミスターシービーだった。
「う、うむ!海の外での戦いは矛を収めたが我の矛はまだ鈍っていないぞ」
「それは良かった。楽しもうねー」
一言挨拶しただけでもう他のところに歩いて行ってしまった。やっぱり奔放な人だなあ……
『さあやってまいりました天皇賞。間も無くレースが始まりますが今年はかつてない盛り上がりを見せています』
実況の席は会場の喧騒から切り離されていたが熱気までは抑えきれない。
『なんと言っても注目はこの2人、皇帝の異名をもつシンボリルドルフ、そして最大のライバルで海外でも幾度となく戦った稀代の怪物トウショウトドロキ』
双方共に中距離をメインに戦って来たウマ娘だった。3000m超の長距離に不安は残るが人々はその長距離すら勝てると踏んでいた。
事前投票ではシンボリルドルフが1番人気に推された。
『トウショウトドロキは怪我からの復帰戦がこの京都3200mですが大丈夫でしょうか?』
『むしろ復帰戦に選んだのです。相当な仕上がりと見て良いでしょう。勝負服も今までのものから戻しているようです。気合いの入り方も一味違うでしょう』
ステップも踏まずいきなりの復帰戦に慣れない長距離。シンボリルドルフとは反対にトドロキは人気投票では5番手だった。それでも解説と実況の言うようにルドルフとの一騎打ちを演じられるスペックを持っているのは現状トドロキだけだった。
あくまでも対ルドルフにおいてはだが……
ファンファーレが鳴り響き、各ウマ娘がゲートに向かっていく。
会場が息を呑む中、全員がゲートに入りレース前のわずかな静寂が場を支配した。
ガタリ、静寂のピークにゲートが開いた。
歓声が上がるのと同時に全ウマ娘が飛び出した。最初こそ全員が様子見をするためかほぼ横一直線となる。上り坂の途中でようやくバ群が伸び始めた。
シンボリルドルフは前から5番手、バ群の中にあえて入り込んだ。
前方からナンシンエクセラー、メジロモンスニー、アヴァンティーの3人が前方。3バ身開いてニシノライデン、スズカコバンと並ぶようにシンボリルドルフ。
バ群が逃げウマ娘に近く前方方向に形成されていた。その代わり後方は間延びしていた。
『注目のシンボリルドルフは5番、その後ろにゴールドウェイ、ダイナアイランドと続きます』
トウショウトドロキはその姿を完全に消していた。そこにいないかのように、周囲の意識にすら入り込むようにトドロキの存在そのものを消し飛ばしていた。そうして彼女は最後尾、ホッカイペガサスの後ろにつけていた。ペガサスの前はミスターシービー。
縦に伸びて先頭とは8バ身差。トドロキへの意識は全員がすでに失念していた。視界に居ないのなら問題ない。不自然に皆そう思って、存在を頭の端から抹消していた。常に警戒し続けるほど集中力を割いている余裕は無かった。
その原因がシンボリルドルフとニシノライデンだった。
ルドルフのプレッシャーに気圧されて我慢できなくなったゴールドウェイが少しづつ前に出ていく。ジリジリとした加速でスタミナの消費を抑えてはいるが前に出ると言うことはそれだけ最後の勝負で使える力が削がれるということだ。その上ルドルフを風除けとして利用していた彼女は今度はルドルフに風除けとして利用される側になってしまったのだった。
そしてもう1人のニシノライデンだったが、彼女の場合はその斜行癖が問題だった。
その上斜行しているのにやたら速いと来たら目が当てられない。その為癖が強すぎて警戒しておかないと進路を塞がれるか妨害される。これに関してはルドルフも同じ考えだったが彼女の癖が強く出るのは最終直線に入ってからだった。要はそこまでに前に出ていれば良いのだ。その為彼女だけは周りほどニシノライデンを気にしてはいなかった。
無論そんな爆弾がいるのはトドロキも知っていた。だが気にするよりかは利用しようとする考えが大きかった。
正直斜行癖はルドルフも持っている。矯正でどうにか抑えているが本気で競り合うと僅かだが左に逸れる癖があった。
ニシノライデンとは真逆の方向への斜行だ。
(上手くいけばルドルフさんを抑えられる……でもそれだと全力にならないかも……)
故にトドロキは手出しをできるだけ避けた。正直愚直に感情的になりやすくその分火事場の馬鹿力を出すようなニシノライデンはルドルフもトドロキも影響を与えづらいのだった。
1000m通過地点でも全体的にはまだ動かない。ルドルフが影響をさらに広げて周囲のウマ娘が若干掛かったくらいだが、距離が長いレースでは掛かっても冷静になりやすい。
全体的におとなしいルドルフに周囲も違和感を感じる。
あれだけ大暴れしていたルドルフがこうも静かだと逆に恐ろしい。そしてそれはもう1人の大暴れなウマ娘を意識させるに至った。
そう言えばトドロキはどこだ?
そのトドロキは、いまだに最後尾でホッカイペガサスの真後ろに付けていた。陰に隠れるように、体が接触するスレスレまで近づいて隠れていた。
レースはもうすぐ後半戦に入る。その手前で少しばかり全体が息をつく。ペースが緩み始め緩急がついたように足の回転が遅くなっていく。何人かは全体のタイミングを見損なってペースダウンが遅れてしまう。
それによるリズムの乱れで全体的な混乱が発生する。特に相手との距離が縮まるバ群内部はその影響が大きく出た。
それでもすぐに混乱は収束に向かう。それを利用してルドルフは大きく外側に抜け出ていた。
(ペース配分は今のところ問題ない、仕掛けも十分だ……)
同時にトドロキもまたホッカイペガサスごと動く用意をしていた。
(ルドルフさんなら仕掛けるポイントは……)
((2200m通過時点!))
(あーやっぱり2人とも動くポイントは一緒かなあ……)
レースはまだ後半に入ったばかりだった。