「走り方の究極はどのようなものになるでしょうルドルフ」
合田トレーナーの問いは、トレーニングで熱くなった頭をさらに熱くした。
「究極、つまりそれ自体が他に代替できないレベルで極まった最高位の方法と言うことかな?」
半分は感情的になった答えだった。
「その認識であっています」
「であれば、私の答えはこれだ。最終的に先頭でゴールを通過する」
事実として中間でどれほど白熱した勝負をしようが、誰も寄せ付けず孤高に先頭を走ろうが、最後尾から集団を観察していようが最終的にゴールラインを1番で抜けてしまえば良いのだ。
「全くもって問題ありません。理解しているのであれば話は早い。ならばその欠点もお分かりでしょう」
「……つまらないか」
「その通りです。そしてその欠点は時に勝敗をも左右します」
「ならば究極と言うのは当てはまらないのでは無いかな?」
「究極とは言いましたが絶対とは言っていません。絶対に仕立てるには欠点を補う必要があります。それが私のしているトレーニングです」
合田トレーナーは言わなかったが、彼女のトレーニングにはもう一つの意味がある。海外遠征が終わっても彼女とトレーナーの契約を結び続けているのには理由があるのだ。
「劇場型……魅せるパフォーマンス……」
そしてそれは純粋な力だけでは成し得ない戦術という複合的な要素の絡むレースにおいて重要な武器となる。
魅せるというのは勝負事においても侮れない。
特にピークを過ぎ始めている私にとって純粋な力が低下するのを抑えるためにも合田トレーナーは習得させていた。純粋な力だけではもう次の世代には勝てない。そのどうしても覆せない現実は、チームリギルの場合すぐにドリームリーグへの移籍と言う形で対処する。なるほど、それも道理だろう。
しかしトドロキが走り続けるのならそれまでは私も走り続ける。そう誓ったのだ。
「なぜこのようなことを今更貴女に話すと思いますか?」
「それは……」
「ミストウショウトドロキが模擬レースを打診してきました」
向こうから話を持ちかけてきた。今までに無かったことだ。トドロキはレースは好きなようだがこと模擬レースに関してはこちらから誘わない限りしないと言うスタンスだった。
「私にか?」
「ええ、ですがこちらとしては現状の貴女を模擬レースに出すわけにはいきません。トウショウトドロキにはシリウスを当てます」
残念だ。前までの私なら真っ先に出ていたが、脚の寿命も近い故に本番以外で無理をすることができない。
それに手の内を見せることにも繋がる模擬レースは現役で凌ぎを削っているウマ娘からすれば諸刃の剣にもなりかねない。ライバルがどのような戦術と戦略を持っているのか、どのような癖があるのか、性格は……etc
そのような情報でも集めてみれば相手への理解は深まる。情報戦の一種だ。
「……トレーナーの方針に異論はない」
だが純粋にトウショウトドロキと走りたいという気持ちが心を刺す感覚だけは理屈では抑えられないものだった。
名実ともに私と対等なのは今のところ彼女しかいない。もしかしたらまだ次の世代には私を超える存在も居るかもしれない。だが、その時に私は全盛期の力で戦うことは出来ないだろう。
レース自体は見学自由だ。だから私は1番にレースが行われる練習用のコースにやってきた。
まだ人は殆どいない。だけれど流石にレースが始まる頃になると噂を聞いたであろうウマ娘やトレーナー、そしてレースに呼ばれたチームのメンバーが集まり始めた。
練習用のコースはレース場と比べて平坦で綺麗な楕円を描いている。
それゆえに場を使った駆け引きが少なくなる分実力差が出やすい。
そしてこの日は晴天、風は強いが場は良場だ。
そのレース場に学園が所有するゲートが押し込まれた。
その頃になってやっとトドロキは現れた。他のメンバーも集合してくる。合計で8人か、少し少ないが模擬レースにしては多い方だ。
さてトドロキ、君はどんなレースを見せてくれるのかな?
なんだかんだと考えた結果ではあるが純粋に前を走る。私の原点に立ち返ったらそんな単純な事に舞い戻っていた。
それならば小細工などせず純粋に前を走れば良かったのだ。
なんのかんのと私は自らに、周りに言い訳をしていた。君が負けたのは私が小細工をしていたからだ。そう言い訳を作っていた。相手にとってもそう考える方が傷が深くつかなくて済んでいた。小細工勝負を使う相手に負けたところでなんだと言うんだ。なんて……その結果が我なのだろう。
ならばもう一度原点に立ち返って、「レースを始めよう」
ゲートが開き日の明かりが顔に当たる。
力は最初から全部解放。想定した距離は2400m、全てを使い切る!もはや隠すことも欺くこともしない。さあ、我はここにいるぞ!
「これは……」
繰り広げられていたのは、ただの速さの暴力だった。
いやそう錯覚するだけで、あれの本質は感情の爆発だ。トウショウトドロキが放つプレッシャーにも似た溢れ出るほどの感情……情熱、焦燥、憧れその全てが場を支配していた。
今まで全てを押さえているか居ないか、どこから仕掛けてくるのか分からなかった彼女が逆に周りを圧迫する。全くもって真逆だ。そして何より、力押しをしていた。
戦術も何もあったものではない、ただ前に、バ群を引き裂いて突き抜けて行く。終盤に差し掛かる頃にはもう先頭だ。そのまま伸びていく、全員がスパートをかけて追い縋るが、影を踏ませる事なく前をキープし続けた。
ティアラが有力視されるメジロの令嬢、メジロラモーヌも私を追い越す事を目標として力を入れている同じシンボリの名を持つシリウスもまるで歯が立たない。フィジカルの暴力。リミッターが外れたかのような走り。
それを見た全員が例外なく心を鷲掴みにされるレースだった。
圧倒的な支配者、そして溢れ出るほどの情熱。それらがいっぺんに襲いかかってくるのだ。
「……はは」
全身の血が沸騰していた。これは高揚?まるで楽しい事を見つけた子供のようではないか!私が、シンボリルドルフが!これほどまでに高揚するなんて……
「ああ面白い!全くもって君は……私を楽しませてくれる!」
ああ次のレースが途端に待ち遠しくなった。あれと真っ向から戦うなんて素敵だ。大好きだ。今の私はどう言う顔をしているのだろうか。きっと笑っているのだろう。
そうだ、堪らなく楽しいのだ。ああトドロキ、私は君と同じ時にレースを出来てこの上なく幸せだ。
だが同時に今の彼女を倒すためのプランが見つからないと言う焦りと敗北感もまた心の底に溜まっていた。
攻略方法が思いつかない。なるほど……だから見せつけるかのように模擬レースをしたと言うわけか。
「ルドルフ、満足しましたか?」
トレーナーの声が聞こえた。シリウスもいつのまにか私の隣に戻ってきていた。
「ああ、満足だとも」
本当に、満足だ。そして今度は私が挑む番だ。
「最初から最後まで前方を走りなおかつ全員を掛からせる……これは厄介ですね」
「合田トレーナー、勝つ方法はあるのだろう?」
「今のところ1プランのみですが有ります」
ならばそれに賭けよう。
まるで不死鳥のようだった。白い彼女の周りに炎のような幻影が見えた気がした。
普段の態度や格好を抜きにして素のトドロキは見蕩れてしまうくらい綺麗なひとだっていうのは知っていた。だけれどどこかそれを隠すように今までの彼女は振る舞い続けていた。それがだんだんと当たり前として浸透して彼女に対しての色眼鏡となっていた。それを彼女自身は打ち砕いた。
走り出してからそれは顕著に現れた。その、白さ。秀美さ。
第一の違いは今までツインテールをやめていたこと。
おろした白い髪の毛が長く後ろに伸びていく。少し雰囲気が違うだけと思っていたけれどこうも違いが出るとはね。
気がつけばそれが遠のく。見惚れていたものが遠くなっていく事に焦燥感が込み上げてくる。
どうしようもなく、全身が焦り始めるのを理性で抑えようとするけれど、全員が全員それができるわけでは無い。
(どうしてまだここにいるの?)
そんな声が後ろから聞こえてきた気がした。勿論幻聴だ。誰もそんな事話してはいない。
集中力が途切れているとか、そういう次元じゃなかった。身体の内側、魂の奥底から、レース中ではしまっておくべき感情が溢れ出る。引き摺り出される。
渇望、欲望、そしてその全てがレースという巨大な情緒の中に引き込まれていく。これほどまでにレース中に呑まれたのは初めてだった。
それはどうやら見学している側にも波及しているようで様々な声が、なんとなく聞こえてくるような気がした。
第3コーナーを回って、気がつけば皆息が上がっていた。あまりのハイペースに呑まれているのだ。それすら気が付かない状態だなんて……だけれど。
私はまだ……まだ諦めてはいないわ。
レースの結果はトウショウトドロキの圧勝だった。次が私とシリウスと言ったかしら、その子だった。
「悪くないわ……むしろ、面白いじゃない」
知性と戦略で場を支配するその姿に私は憧れていた。そう思っていた。だが実際には私が憧れていたのは冷静なレース運びの中に微かに見えていたその熱情。
今日のレースでそれが良く分かった。
そして殻を脱いだ貴女はまさしく全てを焦がす力を持っていた。あれは近くで見続けたらいけない。引っ張られてしまうわ。
それは貴女以外の子にはある意味幸運なのかもしれない。だけれど、貴女がターフに立つのは一年も無い。
なんて、皮肉なのでしょうね。
私が彼女と戦うとすれば有馬だけ……たったそれだけ。ああ、今の貴女と戦えるのがたった一戦だけだなんて悲しすぎるわ。
「どうだろうか。令嬢よ!」
「面白かったわ。まだ戦いたいくらいにわね」
ああ、トドロキ。貴女は月のようだと思っていたけれど、太陽だったのね。
でもこれは流石に強すぎる光ね。人によっては惹き寄せられすぎて逆に落ちてしまうわ。
貴女こそ魔性よトウショウトドロキ、あまりにも危険すぎる……