五連敗からの復活劇。それはトウショウトドロキが既にピークを過ぎてしまったと思いたがっていた人にほど強く衝撃を与えた。その時の記事を見ながらトウショウトドロキは一年くらいしか経っていない事を懐かしんでいた。
「懐かしい記憶の破片だな盟友」
トウショウトドロキは大人しく待つと言うことをしない。成田空港からルドルフ達に再開して生徒会室で待つように言われ、ただ1人ソファに座っていられるほど好奇心は弱くないのだ。
故に棚から新聞のスクラップブックを見つけるのに時間はかからなかったしそれがルドルフが作った自身とトドロキの活躍を記録したものだと見抜くのには数秒も要さなかった。
何処か懐かしいと感じていると、部屋の扉が開いた。入ってきたルドルフはトドロキの手にあるものに気づいて何処か悪戯がバレた子供のようなバツの悪そうな顔をしていた。
「見つかってしまったか。全く君は鋭いね」
隠していたわけじゃないが見られると恥ずかしいな。
「盟友……」
「活躍を記録として残しておくと記憶の補強になるからね」
ルドルフと言えどやはりヒトの子であるが故に記憶の風化は避けられないのだ。
「でもあの興奮は、想いは一生忘れない」
それがレースというものだ。トドロキの言葉はレースを駆けるウマ娘全てに当てはまる。
それを聞いてルドルフは少し懐かしむように微笑んだ。
「夢の共有者として、私の夢は叶ってきたと思うかい?」
それは“ルドルフ”としての言葉だった。全てのウマ娘への幸福。その為にルドルフは様々な事をやっていた。それでも彼女が生徒会長でいられる期間でできることはたかが知れている。それでも幾つもの提案を学園に通してレース以外にもウマ娘達の眼を向けられるようにした。レースだけが全てではない。案外近くに幸福はあるのかもしれない。無論全てのウマ娘が納得するわけでもないしルドルフの思惑通りに行かない事もある。それでもルドルフが学園を去ってからも確実に、芽を伸ばすために仕組まれている。
敗北による絶望も、勝てないことによる焦燥と諦めもルドルフは分かっていた。そしてレースが勝ち負けを決めるものだからそれが生まれないようにするのは不可能だと言うことも。
「確実に、前に進んでいると思う」
傲慢といえばそれまでだが皇帝として、絶対として君臨する者としてそれくらいの傲慢さがなければ学園は動かない。
だからこそ諦める理由にはならなかった。そしてそれはトドロキの言葉で補強される。
「そうか。なら私のしてきたことは間違いじゃなかったと過去の自分に堂々と言えそうだ」
皇帝からいつのまにか少女に戻っていた彼女を現実に戻すようにエアグルーヴが部屋に入ってきた。
「会長、失礼しますが例の件のことを……」
「ああそうだったな。トドロキ、また夢を見ないか?あの時の続きをまた君と」
トドロキとの模擬レースが行われる1週間前
負けた時の悔しさが純粋なまでの透き通っていたのは初めてだった。
だが、だからこそルドルフはそれが出来るトドロキを超えたかった。その上で1番ネックになっていたのはやはりトドロキが見せた幻覚だ。
ダメ元で合田トレーナーにあれはなんなのか。自分自身も時々使えるそれはなんなのかを尋ねた。
答えは随分あっさりと帰ってきた。
「それは領域でしょう。英語でゾーンと呼ばれるものです」
イメージ的にはゾーンの方が近いので呼称はゾーンと致しましょう。
「ゾーン?集中力が極限まで高まった時に出る麻薬症状と似たもののことでしょうか?」
プロのスポーツ選手が時々なるもので驚異的な集中力ゆえに周囲の光景がスローで見えたりどのような動作をすれば良いかが分かると言ったものかとルドルフは漠然とイメージを作り上げていく。
「違いますがプロセスの方は合っています。レース中に集中力が限界まで高まるとどのようなことが起こるでしょう?」
「五感が研ぎ澄まされる?」
「正解です。ですがもう一つ第六感と呼ばれる直感力も同時に研ぎ澄まされます。ゾーンの正体はこれが原因になっていると最近の学説では言われています。話を戻しますが、実は生物は全て未来予知ができるんですよ」
いきなり始まったSFじみた説明にルドルフの頭は一瞬理解を拒んだ。だがあの時起こったこと。そして自身が起こしている事は既に物理のそれを超えている。その事実が素早く彼女を現実に返した。
「いきなり未来予知ですか…」
「あり得ない話ではありません。例えば背後から急に野球ボールが飛んできても、咄嗟に避けたり当たる前に対処ができたりする。そういったケースがありますよね?これは五感が読み取った情報が元になり非常に高い確率で先のことを予測する。それがより正確かつ発生までの時間が長い場合に直感または第六感と言われるようになります」
「言われてみればそのような事例はいくつかあるな」
「第六感とは五感と違い情報を収集するのではなく収集された情報を組み立て発生事象を予測すると言う脳の働きから来るものですがウマ娘がゾーンに入っている場合五感からの情報はより膨大かつ詳細なものが脳に流れ込んでいるようです」
一説によれば人間の数倍の聴覚がこれを補強するらしい。
「知っていますか?普段の生活では脳は精々2割程度しか働きません。ですがゾーンに入っている脳は五感と同じで能力を極限まで発揮するのです。それゆえに組み上げられる予測は通常の直感の比では無いのです。しかし同時にこれは相手または自らの状態がどのようになっているのか。それすら読み解いて正確に再現できてしまいます」
つまりすぐそばに居る他のウマ娘や人が何を考えているのか、その深くまで分かってしまうと言うものだ。
「これが深層心理、イドと呼ばれる無意識下まで読み取ってしまう。或いは相手に読み取らせてしまう。そうすると深層心理に刻まれているある種のイメージ像が相手に伝播或いは自らが相手に伝えてしまうことがあるそうです」
ミス・ルドルフの場合それは草原のようなもの。ミス・トウショウトドロキであれば影なのでしょう。
「そして読み取ってしまった側は相手の深層心理のイメージによって自らの脳内での予測を全く異なるものにしてしまいそれによって不利に転じる…と言うわけか」
つまりあれが見えるものは必然的にゾーンに入り込んでいると言うことでもある。
「あくまでも推論です。ですがトドロキから伸びてきた影に足を掴まれ引っ張られると言ったイメージが付き纏って加速が伸び悩んだのであれば高確率で当たっていますし、ミス・ルドルフが周囲に見せている光景と言うのもそういったものなのでしょう」
「だとすれば対策はゾーンに入らないことだろうか?」
「それは無理です。ウマ娘はほぼ例外なく様々な状況下でもゾーン状態になるのが実験結果で報告されています。ウマ娘とゾーンは切っても切り離せませんし意識してできるものでも止めるものでもありません」
特にレース中はその傾向が強く一説にはレース参加者全員がゾーンに入っている状態になっていると言われている。
一般的にこのゾーンは古くから各国の伝承などに登場している。日本で言えば江戸時代、”ウマ娘が飛脚として活躍していた頃“の民間伝承を纏めたものに言及がある。
海外であればイギリスで近代レースが始まった時のとあるウマ娘の手記にその記載が見られます。
それほどまでにウマ娘と深く密接に関わっているものを影響を除外するというのは不可能です。
「なら実質的には対処不能というわけか」
「ですがこういったゾーンは極度の集中状態になるため殆どの場合発生には条件のようなものがあります。暗示におけるルーティンのようなものですね」
ミス・ルドルフの場合それはレース後半で3人を抜かす。が当てはまります。しかし彼女のゾーンは条件が見出せない。強いて言うならランダムです。
困り果てた演技をしながら合田トレーナーはルドルフに事実を伝えた。トドロキがデビューしてからの全てのレース参加者から証言を集め、映像から見える不可解な箇所を切り抜きそうして出した結論だった。
「不規則なのか?」
「まるで賽子でも振っているかのように。ですが、それがなくても彼女は強いです」
完全に彼女は復活しました。随分と嬉しそうですねミス・ルドルフ。
「ああ、もしかして笑っていたかな?」
だが合田トレーナーも笑っている。似たもの同士なのだろう。
「ええ、とても喜んでいる笑顔ですね。勿論その笑顔をレース後にも見せられるように私もバックアップは行います」
とは言ってもその道のりはかなり険しい物になるのは間違いないだろう。
「次の出走は確か、宝塚記念だったな」
「対策を明日までにまとめます。忙しくなりますよ」
『まぐれでは無かった!トウショウトドロキ二連勝‼︎英国三冠の名は伊達じゃない!』
しかし宝塚記念はトドロキの大暴れとも言えるレースになった。
挙句ゾーンの干渉力もまたいつもより増していた。私が越えるべき壁はどうやら更に高くなっていたようだった。
いやそれ以前に……
「二バ身か…随分と私も衰えてきたのだな」
合田トレーナーはきっと復活したトウショウトドロキもまたピークは過ぎていると言うのだろう。だが衰えの速度で言えば私の方が早いらしい。
「頼む、もう少しだけ……せめて有マまで保たせてくれ」