「さあ最後の直線!大外からトウショウトドロキ、チーフシンガー!内側からシンボリルドルフとエルグランセニョールがあがってきた!4人並んで坂を開け上がる!」
実況の叫びと観客の悲鳴にも似た歓声が会場を埋め尽くしていく。コーナーを抜けて4人が飛び出した。
長い直線区間。沖野トレーナーには僅か10数秒の出来事が何分にも感じられるほど引き伸ばされていた。
「シンボリルドルフが前に出たか⁈シンボリルドルフが前か!いや、トウショウトドロキが巻き返した!エルグランセニョールは間に合わない!トウショウトドロキ先頭!トウショウトドロキが先頭!」
先頭が細かく入れ替わる。4人揃って一歩も譲らない接戦だった。
最後の最後にギアが上がったのはトドロキとルドルフの2人だった。少しづつ4人の接戦が2人の一騎打ちになった。
ルドルフの姿が後ろにずれた。加速が鈍ったのではない。トドロキが意地を見せたのだ。
ゴールした途端に割れるような歓声が響く。歓声で歓声が掻き消される。大舞台の終焉の美だ。
「勝ったな」
「やった!」
沖野トレーナーはトドロキが勝ったことより、無事に走り終えてくれた事が何より嬉しかった。勝ったのは自分自身の力ではない。あくまでもトドロキの力だ。けれど無事に走り終えられるかどうかはトレーナーの腕にかかっているのだと沖野トレーナーは考えていた。
同時に感慨に耽っている時間はなかった。
「よしタケ、体のケアの用意だ。タオルは持ったな?」
「勿論だよトレーナー」
ターフの上でトドロキは足を投げ出して座り込んでいた。体を襲う疲労が彼女をそうさせていた。
勝てた。その嬉しさと同時に、頭はすっきりとしていた。
頬を流れた汗が、冷たい風を浴びて熱くほてった体を冷ましていく。鼓動がようやく収まってきて、ようやくトドロキは話しかけられていることに気がついた。
そこにはグランエルセニョールの姿があった。記憶にある彼女よりも少し大人びた感じがするなとぼんやり考えながら、トドロキは笑顔を浮かべた。
「挨拶はまだだったか…勇者よ」
「そうだな。本当なら勝って挨拶をするつもりだったが、今回も叶わなかったな」
全力を出して、そして負けた。けれど最後の最後まで闘志は尽きなかった。
「他人の夢を叶えさせない。それでいて我の夢を押し通す。それが魔王と言うものよ」
「そうだな。あんたは確かに魔王だ。楽しかったよ」
こちらこそ楽しかったよ。ありがとう。
「あ……あれ?」
いい加減立ち上がらないといけないなと思ったトウショウトドロキだったが、腰が全く上がらないことに気がついた。どうやら腰が完全に抜けてしまったらしい。
「大丈夫か?魔王」
なかなか立ち上がらないトウショウトドロキが心配になったエルグランセニョールが手を貸した。
「我は大丈夫、ただ腰が抜けたみたいだ」
「つかまれ」
「あ、ありがとう」
「礼はいい、魔物と戦えた。それだけで十分だ。それよりも貴様のライバルが待っているぞ」
トウショウトドロキの後ろにはシンボリルドルフが立っていた。
「あ、ルドルフさん」
「領域で地力を通す下地を作る……全く以て、君は恐ろしいよ。だがだからこそ、心が踊る」
今回、シンボリルドルフだけが見えていた。バ群の側で発せられる黒い影のようなもの。今回はシンボリルドルフ以外には見えなかったほどの潜伏性だった。それはトウショウトドロキがそうあれと思っていたからだった。
「我も、今宵の宴は楽しかった」
「そちらのミス・エルグランセニョールも、良い勝負だったよ」
いつのまにか顔見知りにまでなっていたシンボリルドルフとエルグランセニョールにトウショウトドロキの頬が膨らんだ。
「用事はすみました?行きますわよエルグランセニョール」
「チーフシンガー、お疲れ様」
「ありがとうトウショウトドロキ。お疲れ様、良い走りだったわ」
振り返ることもなくチーフシンガーはトウショウトドロキを労った。チーフシンガーはどんな顔をして良いのかわからなかった。
時間がないからとエルグランセニョールを連れて足早にターフを去っていった。
この後はウィニングライブだ。それに向けての着直しや身体のチェックがある。トウショウトドロキも観客席の一角にお辞儀をしてターフを降りた。
トウショウトドロキが有マ記念でトゥインクルシリーズを引退すると発表したのは、優勝者インタビューの最後だった。
なおチーフシンガーとエルグランセニョールはホテルに向かう予定を変更してトウショウトドロキの元に突撃する事態になった。
それをどうにか事情を説明して落ち着いてもらった直後に今度はシンボリルドルフまでもが同じ有マ記念でトゥインクルシリーズを引退する事を発表したため日本中に衝撃が走ったのは言うまでもなかった。
一ヶ月間隔での連戦になるトウショウトドロキとシンボリルドルフには時間が無かった。
拍車をかけるように連日詰めかけようとする報道陣への対処もありジャパンカップから四日はお互いに会うことは出来なかった。
落ち着いて顔を合わせることができたのは、学園が休みの土曜日。シンボリルドルフの部屋だった。
偶然学園の廊下で会うことができたシンボリルドルフがトウショウトドロキを誘う形で部屋に招待したのだ。
「部屋の相方は今日は夜まで出かけているらしくてね。まあ座ってくれ」
部屋の左半分、シンボリルドルフのエリアには私物は殆どない。
整頓され、無味のように人の生活感が薄い場所を見ながらトウショウトドロキは部屋に備え付けの椅子に腰掛けた。
「あの……」
「この前は急な発表をしてしまってすまなかった」
真っ先にシンボリルドルフが頭を下げた。
「そんな!わ、我も言い出せてなくて……直前に発表する形になっちゃって…」
「いや、本当は君に伝えておくべきだったんだ。きっと君は、自分が引退して私が取り残されてしまうと心配していたんだろう?」
もっと一緒に走っていたかった。そう言われるのがトウショウトドロキは怖くなっていた。親友を悲しませたくないと言う思いと親友を欺き続けている後ろめたさが恐怖という感情に集結していたのだ。
「それは……」
「安心してほしい、私も引退を発表するのが少し怖くてね。君を置いていってしまうんじゃないかって」
「……そんなことない。誰だって走れなくなることはある、それはもう割り切っている」
トウショウトドロキもシンボリルドルフもレースで勝負をした相手が先に引退していくのを見ることが多かった。それゆえに心のどこかで互いの事を不必要なまでに心配していたのだった。
それが杞憂に終わったことにどこか心の錘がなくなった気がした。
「…ドリームリーグには移籍するのだろう?」
「無論、赤い夢の出演者に名を連ねるつもりだ」
「なら、互いにまた走れるな」
「また夢の続きを走れる……かな?」
例えトゥインクルをやめてもまだ夢がある。2人とも夢はまだ終わらせないつもりだった。
「勿論だとも。だから有マ記念は互いに悔いのないように走ろう」
「最後の共演か。良い。最後まで悔いなく走ろう」
有マ記念と言う年末の大レースで勇退出来ること自体が2人にとっては幸運な事だ。
「ふふ、ここまで負け続きだが最後は勝たせて貰うよ」
「それはこっちのセリフ!最後まで我が勝つ!全力で迎え撃つ!」
「そう言い合える友人は初めてだ。きっと私も君のような友達をどこかで望んでいたのかもしれないな」
「それは私も、同じだよルドルフさん」
全力で楽しいレース。それがトウショウトドロキのウマソウルが求めた信念だった。