「いざゆかん、ターフを地獄に染めあげようぞ」
ゲートに入り自分自身を元気づけようとしてトドロキはつぶやいた。
同時にゲートが開く。
戦いの幕が切って落とされた。
レースは案の定ハイペースでスタートした。少なくともpreOP戦に出るウマ娘であれば争い合う相手の情報の取得とそれを元にした対策をするのが一般的だ。
アスター賞に出走するウマ娘の中での共通認識は、やはりトウショウトドロキだった。
ルドルフ程では無いにしても十分なインパクトをメイクデビューで残している上に、奇術で相手を惑わし勝ち筋を奪うやり方は十分に警戒するにあたいするものだった。
一戦の勝利で警戒されるほど、トドロキの走りは周囲にとって厄介なものだった。
自身は気をつけていても周囲が巻き込まれたらなし崩し的に巻き込まれる。最早事故とか災害とかそういった類の方が近いのかもしれない。
全10人のレースでトドロキ本人を除いて6名がトドロキを警戒してスタート直後にブロックに走った。特に打ち合わせがあったわけでも無い。純粋にレース出走経験が多い捲りと差しのウマ娘が中心となって動いたのに周りが乗っかった形だった。
この事態に観客が悲鳴をあげた。
1番人気、トウショウトドロキ。序盤で持ち味を潰される。
「うるさいなあ、
前列で見ていたスズマッハの耳にも悲鳴に似た声が響いて反射的に耳を絞った。
「たかだかバ群に沈んだくらいじゃ、トドロキは止まらないよ」
その瞳には狂気の光が浮かんでいた。
動かなかった3人のうち逃げを除いた2人がブロックに巻き込まれる形でトドロキの前に出た。
(あれえ?なんか全体が速いようなスタートで前に出れなかった。……確かにハイペースだ)
相変わらずのスタートを決めたものの、すんなりと前に行けずブロックされ後方に無理やり押し込められる形となったトドロキは、ハイペースを強いらせるつもりもなく、すぐに減速し集団最後尾、9位位置のウマ娘の真後ろにぴったりくっつく。元々前に出る必要もないが持ち味のスタートダッシュを封殺される形となり後半に備えて脚を溜める方向に動きをシフトした。
速い話が、一定ペースでの走りが苦手な上いつも通りの走りが出来ないのであれば、同じ捲りと思われるウマ娘に当たりをつけてペースメーカーに仕立てようとした。
ついでにスリップストリームも使えないかという算段だった。
(なんでくっついてくるの⁈それも近いんだけど!)
問題だったのは近づき過ぎているという事だった。さらにブロックに巻き込まれたウマ娘だったのが幸いした。トドロキとそのウマ娘の最も接近する位置の合間は僅か10センチほどしか無い。
隻眼の相手が接触寸前まで詰めてくるなど一歩間違えたら事故につながりかねない。
あまりにも異常な接近に観ている側も困惑する。
(片目で走っているから距離感が掴みづらいとは言えそこまでするのか?)
何か意図がある。そう思っただろう。
そんな近距離で後ろから煽られれば怖くて仕方がない。一瞬だけ振り返れば、真剣そのものでまっすぐ前を見つめ、刺さるような視線を浴びせられた。ブロックしたら背後から異様に煽りを受ける状況に無意識に足は加速していく。
左右に逃げるには隙間がない。その上に下りだからまだ加速しても大丈夫と考えたのだろう。
下りが長く続く中山ではそういう考えに至りやすい。
実のところ下りも平坦もスタミナの消耗具合で言えば変わらない。むしろ平坦な道に戻った時にハイペースのまま突入しやすくその点では消耗が激しくなりやすい。
バ群が見るからにトドロキによって圧迫される。あからさまな状態に中段にいた2人が慌てて左右に割れた。無理に押し込もうとしても強引に押し通って来そうなトドロキを目にして、逆に全員で囲ってしまおうと考えたらしい。煽られるウマ娘と煽るウマ娘がその空いた空間に入り込んだ。
(そう言えばこんなハイペースで大丈夫なのかな…)
ようやく前のウマ娘がかなりの速度で走っているのに気がついてトドロキはペースを落とした。とは言えどトドロキにとってはいつものペースにしただけである。
加速を終えたトドロキが上手くバ群真ん中に入った。しかしこの時点で周りのウマ娘は安心できていなかった。ただでさえトドロキを抑えようとハイペース化した全体が速度を落としてペースを抑える前に後ろから強引に突き上げられたせいでバ群はかなり無秩序になっていた。
その上にそれに付き合わされたせいで案外スタミナが消耗していた。ここで一度呼吸を入れてスタミナの消費を抑えスパートに備えたい。その考えがあったものの、トドロキのペースに乗せられている上に下りが4コーナーまで続く為減速しづらい雰囲気が出てしまっていた。
実はトドロキのペース速度はアスター賞の出走ウマ娘の中で最速の相手よりコンマ数秒の差で速い。あくまでも一定の速度で走った場合最もスタミナが保つ効率のいい速度であるが、基本中盤はこの速度で走る場合が殆どだ。
タイムとしては殆どハナ差になるかどうか程度のものでしか無いが、集団で走る場合そのずれが致命傷となる。
最もペース速度が遅いウマ娘もいる為差は顕著になる。
それを押さえ込もうとするもののトドロキの視線と自然と溢れ出る重い気配に普段のペースを維持できない。それが心的疲労に繋がっていく。
先頭で逃げに入ったウマ娘のみが自分のペースで走れている状態だった。
「いいぞトドロキ!後は集団から抜け出せ!」
走るウマ娘達の表情からそれを読み取ったトレーナーは笑みを浮かべた。まだ難関はあるが少なくとも術は決まっている。そう見えたからだ。
(流石に囲まれたままじゃ抜け出せない……仕掛けるしかないか)
4コーナー手前、3コーナー中盤でトドロキは加速しようとした。
正確には加速するふりをした。
(ロングスパートか、いかせない‼︎)
捲りがスパートをかけようとするタイミングを潰そうとトドロキの前と左のウマ娘がブロックしようとして加速する。
メイクデビューでロングスパートを披露していた為それを潰そうという魂胆だ。
しかし本来のトドロキのスパートは平均的なスパートだった。加速自体もロングスパートのような緩めの加速ではなくむしろショートスパート型のような急加速でトップスピードに上がる。
そっちの方がトドロキは好きだった。一応ロングスパートも出来ないわけではない。
特徴的なのは加速し切った後にトップスピードを維持し続ける持久力と瞬発力を持っているのが彼女の持ち味だった。ただしトドロキもこの時点でスタートを上手く決められなかったせいで多少スタミナのロスが起こっていた。
だがブロックしてスパート位置をずらせたと考えている周囲のウマ娘よりかはスタミナは残っていた。
加速したトドロキを押さえ込もうとして逆に接触寸前まで近づかれる。ブロックしようとした側は動きを封じようとするたびに背後から押されているような感覚を覚えた。勿論トドロキは触っていない。そう思えるほどに接近していただけだった。
スパートに引きずられた強引な加速をする羽目になったのは、そんなトドロキの接触寸前まで距離を詰めてくるその動きに怖気付きながらもそれを無理やり抑えようとしたせいだった。それでもスパートの加速を抑えることはできた。
(こ、怖ッ!しかもなんで……加速できるの⁈)
ブロックの為に序盤で加速したのが原因で全体的にスタミナがすり減っていた。
前方の位置にいた2人を含めた4人が加速に巻きこまれ速度を上げるが、そこで曲線がキツくなる4コーナーにもつれ込んだ。
普通ならこの速度でも曲がり切れるかもしれないが、スタミナの消耗で踏ん張りが効かない。
加速を手前でそっと抑えたトドロキと、コンマ数秒加速を続け過ぎた4人のラインがクロスする。
速度も乗って加速し続けていたため4人が4コーナーで外側に膨らんだ。
前4人が外に膨らんで自然と内側に隙間が空いた。1人分通れる程度の合間だったがそれだけあれば全体的に小柄なトドロキなら問題なかった。
本当のスパートをかけたトドロキがその隙間に飛び込みコーナーを処理していく。一気に順位を上げ
一気に逃げウマ娘の背後に飛び込んだ。再びスリップストリームに入る。
4コーナー終了。直線区間に入る。直後に坂に入った。
スパートをかけたのは他のウマ娘も一緒であったが、翻弄された挙句無理に序盤でブロックを行い、さらにダメ押しと言わんばかりのトドロキの押し上げによって自覚しないうちにスタミナ減らされていた。脚が保たない。強引な加速をしてももう既にトドロキと一瞬並べても追いつくことはできなかった。
唯一、差しウマ娘が飛び込みをかけるもの、2人の距離は離される一方だった。
トドロキが真後ろに来た逃げウマ娘も最後の直線勝負で本気で勝ちに向かって力を出そうとしていた。
逃げウマ娘は序盤からずっとハイペースでレースを牽引していく関係で最後のスパートをかけることが出来ない。正確にはスパートをかけるだけのスタミナを残すことが出来ない。精々がトップスピードを維持するだけ。一部のウマ娘は中盤に足を緩めて終盤にスパートをかけるだけのスタミナを残す場合もあるが、彼女はそういうタイプではなかった。
さらに坂に飛び込んだせいで速度はさらに落ちた。そこをトドロキは見逃さない。一度もトドロキの毒歯にかからなかったものの、それでもトドロキから逃げる事はできなかった。
それは残酷にも逃げウマ娘の速さより、トドロキの速さの方が速いことを意味していた。
後ろを振り返った逃げウマ娘が迫ってくるトドロキに怖気付いた。
殆ど音を立てない静かな、それでいて速度が出る走りで追撃する。片目だけがギラついて、真っ直ぐに自分を見つめている。
黒の瞳は何も映っていなくて反射しているはずの景色や自分自身ですら見えることはなかった。
本能が危険な相手と判断してしまい、理性でそれを抑える前に少しだけ脚のリズムが乱れる。歩幅が狂って足を動かすペースが崩れて一気に疲労が脚に溜まった。
心臓が急速に苦しさを増し、脚が重たくなる。逃げウマ娘のすぐ横を、白い髪の毛が通り過ぎていくのが視界に見えた。追いつこうと足掻いたところで距離は一方的に開くだけ。突き放される絶望感をトドロキは気が付かず、さらに距離を取った。
ゴール板を通過するまでに5バ身。
それが2着に入った逃げウマ娘とトドロキとの合間にできた距離だった。
「やった!勝った!勝ったよトレーナー‼︎」
圧勝と呼ぶのにふさわしい結果だった。素のままに飛び跳ねながらトレーナーのところに向かう姿は無邪気さの表れのようにも見えた。
「おう!よく頑張った!これで2勝目だな」
圧倒的勝利を轟かせたトドロキ。その代償は畏怖によって支払われることになった。
観ている側は憧れても一緒に走る側には逆効果になっていた。
「あれ?……ひとりぼっち」
たとえ早く走れても、圧倒的な勝ちを生み出しても、そこには勝者と敗者の断崖が出来上がってしまう事にトドロキは気づかなかった。
「……で、でも勝ちは勝ち……チヤホヤされたいって思いが無いわけじゃないけど……ちょっとくらい一緒に走ろうって子が出てきても……」
レースで走ろうというウマ娘は出てきたとしても併走トレーニングをしようというウマ娘が出てこないのは一概に彼女の走法と戦術によるものなのだが残念ながらそれに気がつくのはまだ先のことだった。