メジロの娘。   作:宮川 宗介

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第一話

わたくしはレース界においてその名を知らぬものはいないであろう、メジロ家の一員として生を受けました。

 

当然わたくしもその誇りを胸に、非才の身でありながら精一杯ターフを駆け巡っていたのですけれども……現在はトレーニング中に負った不慮のケガの治療のために、療養中なのでございます。

 

そんなわたくし自身の話とともに、少しばかり退屈かもしれませんが、わたくしの大切な家族の話にもお付き合いください。

 

父は元トレーナーで、現在はURAの理事をしております。

なんでもお父様はお母様の担当トレーナーだったそうで、それが縁になってお二人は結婚したそうです。

母は……メジロの至宝とまでいわれた、メジロマックイーン。

 

そして、双子の姉がおります。

 

わたくしたち双子はどちらも分け隔てなく、両親と執事さん、メイドさんたちに囲まれて、愛情いっぱいに育てられました。

 

もちろんメジロ家のウマ娘として生まれたからには、いずれレースの世界に飛び込むわけですから、幼き日より厳しいトレーニングを課されておりました。

 

でも、それを辛いと思ったことは、一度もありません。

 

それがメジロ家に生まれたものの宿命なのですから。

 

レースをご覧になる方々ならご存知かと思いますが、メジロ家は代々、長距離のレースで輝かしい栄光を刻んでまいりました。

 

お母様・お祖母様・ひいお祖母様の天皇賞春母娘三代制覇は言うに及ばず。

 

お母様の天皇賞春2連覇。

メジロデュレン様の菊花賞。

メジロブライト様の天皇賞。

メジロパーマー様の有馬記念……。

 

先達たちの栄光の軌跡をあげれば、まさに枚挙のいとまがないほどでございます。

 

そのような伝統のこともあり、わたくしたちメジロのウマ娘は本格的なトレーニングを前に、まず距離適性の確認をおこないます。

 

姉は、長距離に関して素晴らしい適性を持っておりました。

お母様のステイヤーとしての才能をそのまま受け継ぎ、距離が伸びれば伸びるほど、その才能は輝きを増すようでした。

スタミナだけでなく、柔軟性やスピードも天稟のものがあり、レースの記者たちは幼い頃の姉の走りを見て『この娘がその気になれば、マイルチャンピオンシップや安田記念でも勝ち負けできるだろう』とささやきあっていたほどです。

 

【次世代のメジロを背負う逸材】

【名優・メジロマックイーンの後継者】

 

幼い頃から、姉を扱った記事にはそんな文言が乱れ飛んでおりました。

そしてその評判に違わぬ活躍を、中学までの模擬レースでも見せつけます。

 

姉は桁外れの競走能力だけでなく、明晰な頭脳と丈夫な体も持って生まれたようでした。

姉がケガをしたり、病気で寝込んだりしているのをわたくしは見たことがありません。

 

そんな姉はジュニアの8月にデビューすると、瞬く間に連勝を重ね、まるで決められた運命であったかのようにジュニアG1・ホープフルステークスを制覇。

 

お母様が奥手なタイプのウマ娘だったので、早くからの活躍は難しいのではないかとも言われていましたが、姉はそんな前評判を自らの実績で封殺してしまいました。

 

その後、皐月賞こそ2着に敗れたものの、距離が伸びたダービーではメジロ家悲願のダービー制覇を成し遂げ、秋には菊花賞を大楽勝し、こともなげに母娘制覇を達成。

 

この年の2冠ウマ娘に輝きます。

 

翌年の天皇賞春でも、長距離を走るために生まれてきた才能をいかんなく発揮し、日本レース史上初、天皇賞母娘4代制覇しました。

 

あのときのお母様の涙は、いまだに忘れられません。

 

姉はその後……。

 

そうですね。

これではわたくしがただ家族自慢をしたい、嫌なウマ娘に見えてしまいますわね。

 

そろそろ、わたくしの競走成績も聞いていただきましょう。

 

わたくしの競走成績は……4戦2勝。

クラスはシニアの1年めです。

 

わたくしは姉と違い、かなり奥手なタイプでした。

デビューを迎えたのは、ジュニアの12月。

 

姉が華々しくG1を制覇したその日の中山メイクデビュー・芝1200Mで、ひっそりとデビューしました。

 

そのレースで2着になったあと、年明けの3週間後、同じく中山の未勝利戦1400Mで初勝利を挙げます。

 

その後1200Mのプレオープンの2着を挟んでようやく、オープン戦のマーガレットステークス(芝1200M)で2勝目。

 

ここまでの戦歴をお聞きになって、お気づきになられた方もいらっしゃるでしょう。

残念なことに、わたくしには姉やお母様と違い、長距離を走るための才能がまるでありませんでした。

このことは幼き日に距離適性テストを受けた時から、分かっていたことでした。

 

絶対に勘違いなさらないでほしいのですが、そのことで親族になにかを言われたことはありませんし、不当な扱いを受けたことは一切ございません。

 

……ただ、やはり周りはとやかく言いますし、それを真に受けたわけでもございませんけど……自分で勝手に肩身を狭く思っていたのは事実です。

 

それでも非才は非才なりに努力し、お姉様とは比べるべくもないけど、なんとかわたくしもトゥインクルでやっていけそう……そう思っていた矢先でした。

 

3勝目を目指してのトレーニング中に、競走生命も危ぶまれる大ケガをしてしまいます。

診断は早くて全治1年というもので、主治医からは引退勧告さえ受けたほどのケガでした。

 

でも、わたくしは負けたくありませんでした。

非才の身であることは十分に承知しておりましたけど、わたくしもメジロの娘ですから。

 

どんなに地味で退屈で、辛いリハビリでも我慢する。

だから自分を、ターフに戻すための最大限の治療をしてほしい。

 

わたくしが主治医にそう懇願すると、『肉体的にも精神的にも辛い長期のリハビリになりますが、よろしいですね?』と念を押してきました。

 

むろんわたくしは、力強くうなずくのみでした。

 

リハビリは想像以上に退屈で長いものになりました。

 

そのリハビリはまず、車いすから立つための訓練から始まりました。

自分の意志で立って歩けるということがどれほど恵まれたことだったのか、このときわたくしは嫌というほど思い知りました。

 

なんとか自分一人の力で立てるようになると、ようやく杖を使った歩行訓練が始まります。

 

大した才能ではないといえ、ターフを駆け回っていたときのことを考えると、歩くことすらままならない、というのは相当なストレスでした。

 

そんなリハビリを続け、ようやく杖無しで歩けるようになったのは、お姉様が春の天皇賞を勝ったときでした。

 

ただ、それからの回復ペースは医師が驚くほど順調で、お姉様が宝塚記念を勝たれたときにはすでに普通に歩けるようになっていましたし、毎日王冠をレコード勝ちされたときには、ダートコースをキャンターで走れるぐらいまでには回復しておりました。

 

このときですね。

わたくしも、ターフに戻れるのではと希望を持つことができたのは。

 

そしてお姉様がメジロ家の悲願でもあった天皇賞春秋制覇を成し遂げた日に、わたくしはひっそりとトレセン学園の練習バ場に戻ってくることができたのです。

 

わたくしの復帰を殊の外喜んでくださったのは、わたくしを担当してくださっているトレーナーさんでした。

 

わたくしのトレーナーさんはわたくしがデビューした年にトレーナーとしてのキャリアをスタートさせた若い女性の方で、年の離れたG1トレーナーのお姉様に憧れて同じ職業を目指したんだそうです。

 

偉大な姉がいる者同士意気投合し、そんなこともあってわたくしの面倒を見てくださっているのですが……。

わたくしがケガをしてしまったときは相当深刻に思い詰めてしまったようで、『あなたのケガは、私のせいだ。責任を取ってトレーナーを辞める』とまでおっしゃっていました。

 

しかし、『このケガは誰のせいでもありませんよ。それでも、どうしても責任を取りたいとおっしゃってくださるのであれば、わたくしがターフに復帰するまで、責任を持ってリハビリに付き合ってくださいませ』といって説得したのですね。

 

リハビリは主に家の敷地内とメジロ家ゆかりの病院でおこなっていたのですが……この1年、彼女はご自身の休みの日はもちろんのこと、学園での仕事が終わってから毎日わたくしを訪ねてきてくださり、病院に付き添ってくださったり、リハビリのお手伝いをしてくださったりと、心身ともに支えてくださったのです。

 

結局復帰には1年以上の歳月がかかってしまいましたが……それでも、体が走ることを覚えているうちに戻ってこられたのは僥倖でした。

 

幸い、復帰戦は年内に間に合いそうですからね。

 

無理して走り込み過ぎないよう、主治医からもトレーナーさんからも言われているのですけれども。

またレースを走れるのだと思うと、身体がうずいて仕方ありません。

 

少しだけ、練習場を走ってこようかしら。

こういう時は、自宅にバ場があるとありがたいですね。

 

そう思って椅子から立ち上がると、コンコンと自室のノックが鳴りました。

 

「どうぞ」

 

わたくしがノックに返事すると、静かに扉が開いて二人のウマ娘が入室してきました。

 

「お母様。お姉様」

「レム。脚の調子はいかがですか?」

「今週末はいよいよ復帰戦ね。陣中見舞いってわけじゃないけど、お茶とお菓子を持って激励にやってきたわ」

 

お母様がお紅茶を、お姉様がお菓子を持って、今度の日曜日にレースを控えたわたくしのためにやってきてくれたのでした。

 

名前に関していうと、わたくしが生まれた年のメジロの娘たちはみな、小説の登場人物から名付けられたらしいのです。

 

双子であったわたくしたちは、ある小説に登場する双子から名前を拝借し、お姉様はメジロラム、わたくしの名前はメジロレムと命名されました。

 

小学生の頃に自分の名前のもとになった小説を拝見したことがございますけど、物語を読み進めるうちになんとも皮肉なネーミングになったものだ、と苦笑せざるを得ませんでした。

 

小説に登場なさるレムさんは、わたくしなんかよりよっぽど才能に恵まれていましたけどね。

お姉様のラムさんに関していうなら、勝ち気なところと神童なところは、まさに原作通りといったところでしょうか。

 

「脚の調子は、問題ありません。今から練習場を少し走ってこようかと思っていたところなんですよ」

 

わたくしがそう言うと、お二人はお茶会の準備をしながら柔らかく微笑んでくださいました。

 

「それもいいと思いますけれども。今日のところは美味しいお茶とお菓子で英気を養っておくのも悪くないと思いますわよ」

「そうそう。今日用意したお菓子は人気洋菓子店の【ふらっしゅのおかしやさん】から取り寄せたシュネーバルなのよ。美味しいものを食べればきっと、週末のレースに力を出し切れるはずよ」

 

うう……あのドイツ菓子の名店【ふらっしゅのおかしやさん】のシュネーバルですか……。

 

どうもわたくしは意思が弱いのか、甘いものと聞くと自制心を発揮するのが難しい時がありまして……。

 

「お二人がそう言ってくださるのであれば、少しばかり、呼ばれるといたしますわ」

 

そして始まったお茶会は、とても楽しいものでした。

お母様、そしてお姉様とこれだけゆっくりお話させていただいたのは、久しぶりかもしれません。

お二人ともケガをしたわたくしに気を使ってくださっていたのか、休養中は少し、会話の距離のとり方を測りかねておられたようでしたから。

 

気を使わせていたのは会話ばかりではないようで……。

今日のお茶会も、復帰戦を前にして緊張しているわたくしの食欲が、ここのところあまりないことをお二人がメイドさんたちに聞いて、『好きなものなら、少しでも食べられるのでは?』と気を配ってくださったのだと思います。

 

甘いものは別腹、とよく申しますけれども、まったくそのようでございまして、久しぶりに食べ物を【おいしい】と感じていただけたかもしれません。

 

もちろんその美味しさは、お母様とお姉様と楽しく談笑しながらのものだったから、というのも大きいとわたくしは思っております。

 

 

トレセン学園の放課後の練習バ場は活気に満ち溢れており、ここにいるだけでやる気と気力が満ち溢れてきます。

 

「はぁっ……ふぅっ」

 

トレーナーさんの指示通り、ダートを目一杯追ったわたくしは、足を止めて一息ついておりました。

 

やっぱり、全力で走れるというのは気持ちのよいものです。

 

「は~い、レム。おつかれ!」

 

笑顔でそう言って、タオルを渡してくださったのは、わたくしを担当してくださっているトレーナーさんです。

彼女は女性のわたくしから見ても美しい女(ひと)で、少し茶色かかった髪をショートカットにしていらっしゃり、その細い首には存在を主張しすぎない、上品なネックレスをかけていらっしゃいます。

 

今は学園にいるので動きやすいジャージを着ていらっしゃいますが、着飾ったらきっと、どこの社交界に出ても注目を集める逸材だとわたくしは密かに思っていたりします。

 

いつか彼女を、メジロ家主催のダンスパーティーに招待したいと思っているんですけどね。

 

「ありがとうございます」

 

そんなことはおくびにも出さず、わたくしは息を整えながらそれを受け取り、冬場にもかかわらず大量に出た汗をそれで拭き取りました。

そのタオルから漂ってくる香りは、わたくしの好きな柔軟剤の香りでした。

ずい分前にわたくしが『良い香りですね』で言ったのを、きっと彼女は覚えていてくれたのでしょう。

こういう細かい気遣いが、嬉しいのですね。

 

「脚の調子はどう?」

「はい。お陰様で絶好調です」

「それはよかった。タイムもいい感じだし、レースが楽しみね」

 

朗らかに笑いながら彼女はタブレットを操作し、わたくしのタイムをメモしていきます。

 

「復帰戦のラピスラズリステークスはオープン戦の中でも強い娘達が集まるレースだけど、あなたならきっと勝利できると信じているわ」

 

期待を込めてそう言ってくださるトレーナーさんに、一層身が引き締まります。

 

「もちろん、精一杯頑張るつもりです」

「その意気よ!よ~し、じゃあ坂路もう一本いっとこうか。友情努力、そして勝利!少年漫画もウマ娘も、根底は同じよね!さ、がんばって!」

 

その理論はよくわからなかったのですが、努力なくして勝利がないことだけは確かなので、わたくしは苦笑を浮かべながら、坂路コースへを脚を向けたのでした。

 

 

一年半以上ぶりに訪れた冬の中山のパドックは、わたくしが想像していた以上に熱気に満ちていました。

年末の有マ記念に向けて、これからますます、盛り上がっていくのでしょう。

 

わたくしがパドックの舞台に立つと、まばらな拍手が起こりました。

今日のわたくしは4番人気に支持されており、長期休み明けのウマ娘の評価としては良い方だと思います。

きっと追い切りの時計が良かったのがある程度評価されたのでしょう。

 

「レム!ケガはもう大丈夫か~!」

「今日は頑張れよ~!」

 

1年以上休んでいたわたくしにこんな優しい言葉を掛けてくださるファンが居ることを、わたくしは本当に嬉しく思いました。

胸に宿った温かい気持ちを少しでもお返しするために丁寧にお辞儀をしていると、こんな声が聞こえてきました。

 

「おかえりなさい、レム!あなたがターフに戻ってくるの、待ってたわ!」

 

……わたくしのような非才なウマ娘を、待っていてくれたファンの方がいるのですね……。

 

この方のためにも、勝ちたい。

 

その声を聞いただけで、わたくしの闘志に火がつくを感じられたのでした。

 

 

その後は滞りなく本バ場に入場し、ゲートインが完了します。

やはり、レース場のターフを踏みしめる感触は、良いものです。

 

ウマ娘の本能なのでしょうか、これから全速力で走れるのだ、と思うとわけもなく気持ちがワクワクしてしまいます。

 

ガチャン!

 

ゲートが開く音は、いつもわたくしの心を高揚させてくれます。

……その心に脚が若干、ついてきてくれないのが残念ではあるのですけれども。

要するに、わたくしはあまりスタートが上手ではないのです。

 

今日も少し後ろからのレースになってしまいました。

今日のレースの出走人数は14人で、わたくしの位置取りは中団よりやや後ろ。

距離は1200Mしかない上に、一番人気の6枠の方も同じ【差し】の脚質なので、今日のレースはよりシビアな仕掛けのタイミングが要求されそうです。

 

淡々としたペースでレースは進み、残り600Mの標識を通過しました。

中山の直線は短いので、そろそろ仕掛けなければなりません。

わたくしは1段ギアを上げ、少しずつ順位を上げていきます。

それほどわたくしを警戒している方がいらっしゃらないのは、幸運でした。

するすると無理なくバ群をさばき、最後の直線に入るころには絶好の位置にいることができました。

 

さあ、最後の直線勝負です!

先頭を行くのは、このレースを作っていた逃げの方。

差は5バ身程でしょうか。

 

少し前にいた6枠の方が、ギアを全開にして先頭を捉えにかかります。

それを見て、わたくしも全力前進です!

 

6枠の方があっという間に逃げていた方をかわし、先頭に立ちました。

ここ2戦連勝中で一番人気に推されているのは、だてではないようです。

そのまま逃げ切る心積もりなのでしょうが……そうさせるわけにも参りません。

 

わたくしは外からその方に競りかけ、一気に追い抜こうとします。

もちろんそう簡単に譲ってくれるはずがなく、彼女も必死にわたくしを突き放そうとさらに脚の回転を上げました。

 

久しぶりにレースを走ったわたくしの脚の疲労はほぼ限界に達していましたが、そこからしつこいのが、わたくしなのです。

 

わたくしは彼女に食い下がり、根性を見せて今度はこちらが半バ身ばかり前に出ました。

しかし彼女もさる者、ひじをこすりつけるような至近距離で競り合ってわたくしを競り潰そうとしてきます。

 

しかし、そういった展開は、わたくしがもっとも得意とするところ……!

 

絶対に譲るものですか!と気合を入れて相手を睨めつけ、必死に腕を振り、スタミナの限界を迎えている脚に鞭打って動かします。

 

そうして、二人並んだままゴール板を駆け抜けてゴールイン!

 

メインレースとはいえ、ただのオープン戦とは思えない爆発的な歓声が、スタンドから聞こえてきました。

 

僅差のレースと言うのは案外、実際走っている方からするとゴールした瞬間に結果がわかってしまうものです。

 

……おそらく、わたくしが勝っているでしょう。

 

実際、最後までわたくしと競り合った6番の方は、苦虫を噛み潰したような表情で掲示板を眺めていらっしゃいました。

 

久しぶりでわたくしのレース勘がトチ狂っていなければ、勝っているはず。

大丈夫。

 

そう確信しつつ掲示板を見つめていると、順位が表示されました。

 

1着 2

2着 6 ハナ

3着 ……

 

その結果に、またもやスタンドからは大歓声があがります。

 

「1年以上のブランクがあるのに、レベルの高いオープン戦を……。すげえぞレム!よくやった!!」

「苦しい時も投げ出さずにがんばれば、あなたのようになれるのね……ありがとう!」

 

そんな声が、聞こえてきました。

 

レースというのは、見てる方々からすれば、ただの娯楽です。

ウマ娘が走るだけの、たかが娯楽なのです。

 

でも、レースを見てくださる人々はそこに様々なドラマや意味を見出し、おのが人生に重ね合わせます。

そしてまた、自分の人生の明日へと向かって歩き始めるのです。

 

だからこそ、たくさんの方がわたくしたちウマ娘を応援し、支えてくださるのですね。

 

わたくしはただただ、わたくしたちを応援してくださった方々に向かって深くこうべを垂れるだけでした。

 

勝者が応援してくださった方々に、涙を見せるわけにいきませんから。

 

 

「すごいわ、レム!うん、すごい……すごいわ!とっても、すごいわ!!ありがとう!!」

 

控室に戻ったわたくしを出迎えてくださったのは、泣きじゃくって語彙力を失ったわがトレーナー様でございました。

 

「こ、こちらこそ、ありがとうございます……。とりあえずこれで涙をお拭きになって……」

 

涙は女の武器、なんて言われたりしますけれども、これだけ大泣きされると、同じ女性のわたくしでも、ちょっと、いや、かなり引いてしまいます。

 

綺麗な顔をしていらっしゃるせいか、なんだか余計にその泣き顔が凄惨に見えてしまいますわね……。

 

「ありがとう……。ずびび……」

 

わたくしが手渡した数枚のティッシュで涙を拭き、そしてハナをかんだ彼女はそれをわたくしに返そうとしてきますが、さすがに受け取るのはちょっと嫌だったので、さりげなくゴミ箱を彼女の前に差し出しました。

 

「あ、うん。ごめん。捨てちゃうわね……。レース前は強気なことを言ったけど……復帰初戦に勝てるだなんて思っていなかったから……。こんな奇跡みたいなことが起こるだなんて……」

 

あらあら。

ずいぶん寂しいことをおっしゃいますわね。

 

わたくしは……。

 

「わたくしは、今日の勝利を偶然の産物だとは思いませんわ。だって【ふたり】であれだけ努力を積み重ねてきたではありませんか」

「レム~!!」

 

わたくしが笑顔でそういうと、トレーナーさんはハグというにはあまりにも力強くわたくしを抱きしめ、ワンワン泣き始めてしまいました。

 

「あなたはなんて、強くて優しい娘なの!私、あなたのトレーナーで、本当に良かった!もう今日トレーナーを廃業しても、我が人生に一片の悔い無しだわ!」

「あの、それはわたくしが困りますし、それだと今までの努力が水の泡になってしまうので。どうぞお考え直しの程をお願い致しますわ」

 

苦笑いを浮かべ、冗談めかしてそんなことを言いつつ、トレーナーさんの肩をポンポン叩いていましたが……。

 

そんな道化じみたことでもしていないと、わたくしもトレーナーさんに抱きついて、ワンワン泣き出してしまいそうでした。

 

人前で簡単に、涙を見せるわけにはまいりません。

それがたとえ、信頼すべきトレーナーさんの前であっても、です。

 

だってわたくしは、メジロの娘なのですから。

 

 

わたくしの久しぶりの勝利に、お母様やお姉様は控えめに『おめでとう』と言ってくださいました。

お母様は言うに及ばず、お姉様も第一線で戦っている超一流のウマ娘ですから、たとえ長期休養明けのメモリアル的な勝利であったとしても、身内の一つの勝ち星を大げさに喜んだりはいたしません。

 

わたくしも、そちらのほうが気が楽だったりするものです。

 

お二人のことですから、きっとそのあたりも理解してくださっているのでしょう。

 

 

トレーナーさんと今後のことを相談したところ、ケガの長期休養明けのレース後ということもあり、今年の残りは大事を取って検査と休養に当て、本格始動は来年から、ということになりました。

 

 

幸い検査結果は、なんの異常もありませんでした。

 

ただ主治医には、わたくしの脚は元々虚弱なところがある上に、故障箇所はケガが再発しやすいとのことで、トレーニングやレースのローテーションには十分に気をつけてほしいという旨のことを、かなりシリアスな表情で伝えられました。

 

そんな条件付きながらわたくしは【戦うウマ娘】として、またターフを駆け巡ることを許されたのです。

 

 

年の瀬迫る、ある日の早朝。

わたくしはタブレット片手にテラスに出て、メイドさんが淹れてくれた紅茶に舌鼓を打っておりました。

 

もちろん、お茶請けのクッキー(カロリーのことも考えておからクッキーです)も忘れてはおりません。

 

師走の朝の空気はかなり冷たいのですが、早朝の静謐な日差しを浴びながら飲む紅茶は、格別のものがあります。

 

紅茶の熱を喉に感じながら【月刊トゥインクル】をタブレットで読んでいると、わたくしの記事が目に飛び込んでまいりました。

 

【今月中旬に行われたオープン・ラピスラズリステークスでメジロレムが勝利を飾った。メジロレムはケガのため長期に渡って休養しており、今回の勝利は実に約1年半振り。ウイニングライブでは不屈の精神でケガを克服し勝利した彼女に、涙ながらサイリウムを振るファンの姿も見られた】

 

わたくしのライブパフォーマンスなんて児戯に等しいものなのですが……それでもそういうファンの方の姿をみると、苦手なダンスも一生懸命練習しておいてよかったな、と思わせてくれます。

 

だた、これからはダンスやわたくし個人の状況ではなく、レースで感動させるウマ娘になっていきたいものですね。

 

そう決意を新たにし、記事を読み進めていきます。

 

【素質あるウマ娘の復活を、心からお祝いしたい。ただ、もう少し長い距離で活躍する彼女も見てみたいと私は切に思う。メジロレムはあのメジロマックイーンの娘で、メジロラムの妹なのだから】

 

……まあ、それも個人の感想ですわね。

わたくしは小さくため息をつきつつ、そっとタブレットの電源を切ろうとしたときでした。

 

「はっ!まったくつまらないこと書く記者もいたものね」

「お姉様」

 

いつからいらっしゃったのか、お姉様はその整った顔にあきれた表情を浮かべ、いつのまにかわたくしの後ろからタブレットを覗いておられました。

 

お姉様はお母様譲りのツリメ気味の涼やかな瞳をしていらっしゃり、これもお母様譲りの芦毛をショートカットにしておられます。

 

お母様を始めとして、いろんな方が言うにはわたくしも一応、似たような顔立ちをしているらしいのですが……。

 

どうにもわたくしにはお姉様が持っているような、気品や品位が備わっていないように思えてしまい、【双子なだけあってよく似ている】と言われるたびに、少し恥ずかしい思いをいたします。

 

だからというわけではないのですけれども、わたくしは髪を長くして、できるだけお姉様と風貌を結び付けれないよう、小細工していたりするのです。

 

お姉様はその美しいプラチナブロンドの髪をかきあげながら、優しくわたくしの肩に手を置きました。

 

「レム、気にしなくていいわよ。あいつら、こういう血統の因縁話が大好きなだけだから。まったく、見ているだけの奴らは気楽でいいわよね」

 

わたくしはそこまでは思わなかったのですが、似たような感情を抱いていたことは否定いたしません。

これも双子のシンパシーなのでしょうか。

 

「私のこともそうよ。年末の有マ記念を取り逃がすと【まるでマックイーンのレースの再演を見ているようだった】なんて、好き勝手に書いてくれちゃって」

 

心底つまらなそうな声でお姉様はそんなことを言ってわたくしの正面に腰掛けると、「一つちょうだいね」とわたくしの返事を待つ間もなく、おからクッキーをつまみ上げてその小さな口に放り込んでしまいました。

 

「……有マ記念は、残念でしたね」

 

お姉様は年末の有マ記念に圧倒的一番人気で臨まれたのですが、残念ながら僅差の2着に敗れてしまっていました。

 

「ふん、私を破ったのは今年の2冠ウマ娘よ。簡単に勝てる相手じゃないわ。でも、この借りは必ず返す。必ずね!」

 

もうすでに6つのG1を手中に収めているお姉様ですが、アニメやライトノベルによく出てくるような、完全無敵のヒロインというわけではありません。

一見華麗に見えるお姉様のレース戦歴ですが、手痛い敗戦も幾度となく経験なさっています。

 

もう勝負づけは済んだ、と思われていた相手に足元をすくわれた皐月賞。

先輩方に経験の差を見せつけられ、初めて連を外したクラシック級での有マ記念。

名物大逃げウマ娘に、一世一代の逃げ切り勝ちを許してしまったシニア初戦での大阪杯。

日本総大将と期待されながら、アメリカからやってきたターフ・トリニティ完全制覇ウマ娘にハナ差敗れたジャパンカップ。

 

そして今年の有マ記念。

 

これらのレースで、お姉様はすべて1番人気に推されながら武運拙く敗れていらっしゃいます。

 

ですがそのたびに立ち上がり、次のレースでは前走の敗戦の痛手をまったく感じさせない、堂々たる【主演】の走りを見せるお姉様を、ファンは【勝つことも負けることも知り尽くした、当代最強ウマ娘】と称えるのです。

 

「まぁ、私のことはともかくとして。レムの次走の予定はどうなっているの?」

「わたくしの次走ですか?」

 

こうしてお姉様とレースのお話させていただくのは、トゥインクルにデビューしてから初めてかもしれません。

……お姉様とわたくしではキャリアが違いすぎますし、休養中は気を使わせてしまって、何気ない世間話くらいしかお姉様とはかわしておりませんでしたから。

 

「まだトレーナーさんとは軽くお話しているだけですけど、1月中旬にあるシルクロードステークスを予定しておりますわ。もしその結果が良ければ……」

「良ければ?」

「いえ。良ければいいな、というお話です」

 

わたくしはそう言って曖昧な苦笑いを浮かべたのですけれども、そんなわたくしに、お姉様は少し怒ったような表情を浮かべられました。

 

「レム。手に入れたい物や目標があるのなら、はっきり口に出しなさい。そうしなければ、あなたも、周りの人間も、何も動き出しやしないわ」

 

……お姉様のおっしゃりたいことは、よくわかります。

お姉様が時にビッグマウスと陰口を叩かれながらも大きな目標を周囲に公表し、その壮大な目標を達成するために努力を重ね、素晴らしい成績を収められてきたのは事実です。

でもそれは、お姉様ほどの才能あるウマ娘だからこそできた離れ業であり、わたくしのような非才なウマ娘がそれをしても、物笑いの種になるのがオチでしょう。

 

でも、本当は……。

 

気心しれた家族になら、多少の夢想を語っても許されますよね?

 

わたくしは照れたような小さな苦笑を浮かべながら、トレーナーさんと立てていたスケジュールのことをお話することにしました。

 

「……その結果が良ければ、G1・高松宮記念に出走したいと考えておりました」

「出走したい?それだけ?」

 

お姉様はわたくしをまっすぐ見据え、少し厳しい口調で問いかけてこられましたが、さすがにそれ以上のことは、言えませんでした。

 

「ま、その謙虚さと慎重さはあなたの長所でもあるからね」

 

そういってお姉様はようやく笑みを浮かべてくださいましたが……。

 

「謙虚さは美徳よ。でもそれに甘えて『どうせ自分なんか』と思っちゃ、絶対ダメ。謙虚と自虐を混同すると、自分への手綱を知らないうちに緩めてしまうから」

 

そう言ってもうひとつおからクッキーをつまみ上げると、お姉様は椅子から立ち上がりました。

 

「レム。私は来年こそ、シニア中長距離路線・G1完全制覇をやり遂げるつもりよ」

 

シニア中長距離路線・G1完全制覇。

 

それは大阪杯・天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念すべてを勝利するという、とほうもない大記録です。

 

お姉様は今年の年頭にマスコミを通じてそれを公表し、実際すべてのレースに出走したのですが、残念ながら偉業達成というわけにはまいりませんでした。

 

それでも天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋のG1・3勝の成績は、最優秀シニアウマ娘と年度代表ウマ娘を獲得するに十分な実績だったわけですけど。

 

誰も踏破したことのない、前人未到の最高峰への再挑戦。

実にお姉様らしい、壮大な目標だと思います。

 

「だからレム。あなたは【シニア短距離路線完全制覇】を目標になさい。ありとあらゆるターフの距離で、メジロ家が、いえ、私達姉妹が覇を唱えるのよ!」

「……!」

 

シニア短距離路線完全制覇とは、高松宮記念・安田記念・スプリンターズステークス・マイルチャンピオンシップという、日本を代表するすべての短距離G1レースを制覇することをいうのですが……。

 

あまたの名だたる名短距離ウマ娘が挑戦するも成し遂げることが叶わず、そして日本史上最強短距離ウマ娘と言われたタイキシャトルさんでさえ、達成できなかった偉業です。

 

そんな偉業に挑むどころか、わたくしぐらいの実績では、まだG1に出られるかすら分かりませんのに……。

 

まぁ、お姉様はそれぐらいの気概でレースとトレーニングに取り組みなさいと発破をかけてくださっているのでしょう。

 

「お姉様からの激励、感謝いたしますわ。さすがにそれは高望みが過ぎると思いますが、非才なりに精一杯頑張るつもりです」

「非才、ね」

 

わたくしの言葉にお姉様は吐息のようにそれだけいうと、「がんばりなさいよ。私、待ってるから」と言って、手をひらひら振りながら屋敷の中へと戻っていかれました。

 

待っている、とは、どういう意味なのでしょう……?

 

お姉様は昔から口調は厳しいのですが、なかなか本音を見せてくださることが少なく、いつもその真意をわたくしのあまりデキの良くない頭で考えなければいけません。

 

IQが違いすぎると会話が噛み合わなくなる、なんて話はよく聞きますけれども、わたくしの経験からするに、それはきっと本当のことなのでしょうね。

 

……優秀なお姉様はまちがいなくわたくしにとって誇らしい存在なのですが、同時にコンプレックスを感じさせる身内でもあるのです。

 

少しばかり冷えてきましたし、ちょうど紅茶も飲み切りました。

わたくしは残っていたおからクッキーをそっとつまんで口に入れると、自室に戻るために席を立ったのでした。




最後までお読みくださり、まことにありがとうございます。

新シリーズ【メジロの娘。】をお送りしましたが、いかがだったでしょうか?

前作【エイシンフラッシュの娘。】も名ウマ娘の子、という設定で
お送りしたわけですが、今回は同じシチュエーションながらも
【名家の娘】という少し違った視点で楽しんでいただけるといいなあ、と
思っております。

それではまた、近いうちにお会いいたしましょう!
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