メジロの娘。   作:宮川 宗介

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登場人物:メジロレム
※オリウマ娘注意です。

誕生日:4月22日
体重:ふっくらとした、いい仕上がり。
身長:158センチ
スリーサイズ:89・58・85



第十話

レースファンの皆様は、我々メジロ家のウマ娘が天皇賞というレースに格別な想いを持って臨んでいるということをご存じの方も多いと思います。

 

なぜメジロ家はそこまで【天皇賞】というレースにこだわるのか。

 

今でこそ【名門の家系】などと呼ばれることもあるメジロ家ですが……そもそものメジロの起源は血筋に関係なく、日本のレース黎明期に【天皇賞で勝つことを競走人生の最大価値としたウマ娘と、その思想に賛同したレース関係者や支援者たちの集まり】でした。

 

その集団から自然発生的に血縁関係が生じて【メジロ家】が興り、現在の発展に至っています。

 

 

天皇賞はメジロ家にとって特別なレースというだけでなく、日本のレースの歴史においても、重要な意味を持つレースです。

 

戦前までのウマ娘は、江戸時代の囲碁棋士が本因坊(最強の碁打ちの称号です)になるためだけに生きたように、天皇陛下から盾を下賜される天皇賞を勝つことを競走人生の目標としてレースを走っていました。

 

当時【現人神】であった天皇の尊称を冠したレースは、最高の名誉が与えられるレースだったからです。

 

このような時代背景があったからこそ、わたくしたちメジロ家のはじまりのように【天皇賞勝利重点主義】とも言える思想を持った人々が登場した、とも言えます。

 

その時代の天皇賞の価値がどれほどのものだったのかと言いますと、【天皇の名を冠したレースを勝ったウマ娘が、同じ天皇賞で負けることは絶対に許されない】という思想のもと、一度天皇賞を勝ったウマ娘はもう天皇賞に出ることはできない、というルールが定められていたほどでした。

 

このようなレースのルールを【勝ち抜け制】といい、1981年までこの制度は残っておりました。

 

もちろんダービーなどの大レースは当時からございましたが、それらのレースには天皇賞ほどの価値は認められていなかったのです。

 

そんな当時の天皇賞を勝ったウマ娘は引退後の待遇も破格で、大学への進学はもちろんのこと、その気になれば財閥系企業でも公務員でも、推薦状一枚でどこでも就職できましたし、結婚相手も皇族や華族、それに財閥のお坊っちゃまなどから引く手あまたでした。

 

……今の時代、お家柄自慢は学歴自慢以上に意味がないのを承知で少しだけ我が家の事情をお話させていただけるのであれば、メジロアサマひいおばあ様の夫、つまりわたくしのひいおじい様に当たるお方は、さる高名な伯爵だそうです。

 

現在では天皇賞を勝ったからと言ってそこまでの未来が約束されているわけではありませんが、【天皇賞を勝ったウマ娘=当代を代表する最強ウマ娘の一人】という価値観がファンの皆様やレース関係者の間にあるのは間違いないでしょう。

 

 

お姉様がご自分の担当トレーナーと連れ立って坂路コースに現れると、場の空気が一気に引き締まりました。

 

超一流のウマ娘は、その場に存在するだけで空気を一変させるのです。

 

「ラム、体調はどうだい?」

「それはあなたが一番良くわかってるんじゃないかしら?」

 

からかうようにいうお姉様に担当トレーナーさんは、苦笑いを浮かべるばかりです。

 

彼はまるで童話の世界から召喚されたかのような王子様然とした美男子で、有名スポーツメーカーのロゴの入ったジャージをスマートに着こなしておられます。

 

容姿端麗なばかりでなく頭脳も明晰で、彼は16歳でアメリカの大学を卒業してウマ娘トレーナーの資格を取り、日本に帰国してトレセン学園のトレーナーとして働いていらっしゃるのですね。

 

現在は当代最強のウマ娘のメジロラムを担当しているトレーナーさんのお名前を、桐生院翼とおっしゃいます。

 

名前は日本風ですが、お父様はアメリカ人というハーフで、明るい栗色の髪に薄いグリーンのかかったブラウンの目をしていらっしゃり、彫りが深くて眼力のある二重の瞳が人目を引きます。

 

名字から察せられるように、彼はあの名門トレーナー一族の桐生院家出身の才子で、お母様はG1ウマ娘のハッピーミークさまをはじめ、数々の名ウマ娘を手掛けた桐生院葵さんという、まさにトレーナー界のサラブレッドです。

 

そんな桐生院トレーナーは10代の若さにしてすでにリーディングトレーナー争いを繰り広げている、担当しているお姉様に引けを取らない天才トレーナーなのですね。

 

 

「……先輩先輩。メジロラムさんってトレーナーさんと【お付き合い】してる、なんて噂がありますけど、本当なんですか?」

「ええ、その話はホントよ。なんでもお互いに一目惚れで、担当が決まった瞬間から付き合ってるらしいわ」

「ロマンチックですね!私もあんなイケメントレーナーにスカウトされたかったな~」

 

噂好きの一年生と、その先輩の会話でしょうか。

そんなヒソヒソ声が、わたくしの耳に入ってきました。

 

そうなのです。

お姉様と桐生院トレーナーは、お姉様がデビューなさる前から恋人同士として【お付き合い】なさっています。

 

このことは学園関係者のみならず、マスコミにも知られている既成事実だったりするのですね。

 

……わたくしの両親もそうなのですが、昔から【若い男性トレーナーとその担当ウマ娘が、現役中からお付き合いする】ということは、普通にありました。

 

お年頃の男女がお互いに目標を持って協力し合いながら邁進し、長い時間一緒にいればそういう仲になってもおかしくないでしょう。

 

そうはいっても【せめて担当しているウマ娘がレースから身を引くまでは周りにそのことを内緒にしておく】というのが暗黙の了解であり、また、周りも【あの二人、きっとお付き合いしてるんだろうな】と気づいていても、黙っておくのがマナーとされています。

 

しかし鳴り物入りでトレセン学園に入学したお姉様は、そんな慣習知ったこっちゃないとばかりに、お姉様の方から入学式当日にトレセン学園に就職したばかりの【天才トレーナー】を【逆指名】し(これも前例のないことです)、『あなた、噂の新人トレーナーね?うん、気に入ったわ。私の担当になって、私の彼氏になりなさい。それが嫌ならこの場でどちらも断りなさい』と【告白】して今に至るというわけです。

 

なぜそんなことを詳細に知っているかと申しますと……その【告白】の現場のおとなりに、わたくしもいたからです。

 

告白する時に実の妹がとなりにいるとか、そんな些細なことはお姉様は気になさらないのですね。

 

そしてその場ですぐに一切の迷いなくオッケーを出した桐生院トレーナーの胆力にも、驚かされたものです。

 

実は、このことについてはお母様も『それはいかがなものか』と【お説教】なさったのですが……。

 

『いや、誰に言われたとしてもお母様にだけは言われたくないわ。どうせお母様も現役中からお父様とお付き合いしてウマぴょいしてたんでしょ?だから私達が生まれてるわけだし』

 

というお姉様の反論に、さすがのお母様も何も言い返せませんでした。

 

 

「今日のトレーニングだけど。坂路4本こなしてからダート1000Mを2本、それから筋トレをしてクールダウンという感じで進めるよ。いけるね?」

「もちろんよ」

 

桐生院トレーナーの指示にお姉様は短く返事すると、トントンと地面をつま先で蹴って、坂の頂上目指して走り出しました。

 

お姉様の体格は、ウマ娘としてそれほど大柄というわけではありません。

それでも大きなストライドで走る姿は雄大で、いつも見るものを圧倒させます。

 

【天才はいる。悔しいが】

 

これはトウカイテイオーさまの才能を表した名キャッチコピーですが、お姉様の走りを見た者も、同じ感想を持つに違いありません。

 

わたくしも同様の思いを胸にいだきながら、力強い足音を立てて坂路を駆けてゆくお姉様の背を、幼少期より一度も追いついたことのないその背を見つめておりました。

 

「……相変わらずハードなトレーニングをしてるわね、メジロラムさん」

 

そんなわたくしのもとに、いつものようにストップウォッチとタブレットを持ってトレーナーさんがやってこられます。

 

「ええ。お姉様はレースの天才であると同時に、努力の天才でもあらせれますから」

 

そういうわたくしに、トレーナーさんがうなずかれました。

 

お姉様の練習量は、学園内でもトップクラスでしょう。

並のウマ娘なら音を上げてしまうような過酷な練習が、お姉様の天才的なレースセンスを支えているのです。

 

「あの練習量に耐えられる頑丈な身体、というのも一つの才能よねぇ。私達は私達で、やれることをやっていきましょう。まずはキャンターで坂路一本、行ってみようか」

「承知いたしましたわ。あの、トレーナーさん。実は今日、トレーニングが終わったらご一緒していただきたいところがあるのですが、お時間大丈夫でしょうか?」

 

わたくしの急なお誘いに、トレーナーさんは少し怪訝なお顔をなさいます。

 

「ええ、それは大丈夫だけど。いったいどこへ行きたいの?」

「天皇賞に挑戦するに当たって、心強いアドバイザーのもとへうかがうつもりですわ。ぜひ、トレーナーさんとも一緒にお話を聞きたいと思いまして」

「?まぁ、レムがそういうなら付き合うけど……いったい、誰にアドバイス貰いに行くつもりなの?」

 

トレーナーさんの至極真っ当な質問に、わたくしは「それは現地に到着してからのお楽しみにしておいてください」ともったいぶって、坂路へ駆け出したのでした。

 

 

彼女のご自宅は、高層マンションの12階にある一室のようでした。

 

オートロックのエントランスに備え付けてあるインターホンに部屋番を入力すると、呼び出し音がしばらく鳴り響きます。

 

『はい?』

「こんにちわ。先日ご連絡差し上げた、メジロレムでございます」

『あ、うん。今開けるから、入ってきて』

 

女性の声でお返事をいただくと、すぐにガラス張りの自動ドアが静かに開きました。

 

「ゆきましょうか」

「ええ」

 

エントラスの自動ドアを抜けると立派なエレベーターがあり、それに乗り込んで12階のボタンを押します。

おそらくですが、指定された階以外は押せない設定になっているエレベーターでしょう。

 

「でも、どうやって彼女の連絡先を手に入れたの?」

「え?いえ、普通にお母様に聞いただけですが」

「あ、それもそうか。マックイーンさんなら知っててもおかしくないものね」

 

そんな会話を交わしているうちに、エレベーターは目的の階に到着いたします。

 

彼女のご自宅前に到着し、インターホンを鳴らすと玄関の扉を開けて彼女ご自身がわたくしたちを出迎えてくださいました。

 

「いらっしゃい。よく来てくれたね」

 

明るい笑顔で歓迎してくださったのは、長い黒髪で右目を覆っているウマ娘でした。

露出している美しいパープルカラーの左目は、現役時代【鬼が宿る】とまで言われた迫力があったそうですが、今は慈愛に満ちたお優しい光をたたえていらっしゃいます。

 

「ライスシャワーさま。この度は突然の訪問、申し訳ありません」

「ううん。今は仕事の締切もまだけっこう先だったから、ぜんぜん大丈夫だよ。さ、入って。トレーナーさんもどうぞ」

 

ライスシャワーさまはそうおっしゃってくださると、わたくしとトレーナーさんをお部屋に招き入れてくださいました。

 

先を歩いているライスシャワーさまの歩様をよく見ると、少しばかり左脚を引きずっていらっしゃるのがわかります。

 

レースに少しでも興味のある方なら、ライスシャワーさまの引退の原因を知らない方のほうが少ないでしょう。

 

あの事故から20年ほど経った今でも、左脚のケガの後遺症が残っているのです。

 

おそらく彼女は、生涯に渡ってあの後遺症と向き合わなければならないでしょう。

 

ライスシャワーさまのようにレース中やトレーニング中に大怪我を負い、その後長期間後遺症に悩まされるウマ娘というのは、決して珍しい存在ではありません。

 

華やかにみえるトゥインクルの、残酷な一面です。

 

そんなライスシャワーさまの救いは、引退されてからは担当していたトレーナーさんと幸せな結婚をなさり、絵本作家として活躍されているということでしょうか。

 

「ふたりとも、紅茶でいいかな?」

 

客間に通してくださったライスシャワーさまは紅茶缶を手に取りながら、わたくしたちに聞いてくださいます。

 

「はい」

「どうぞ、お構いなく」

 

二人で返事をすると、ライスシャワーさまは微笑を浮かべて紅茶の用意をし始めてくださいました。

客間にティーセットが備え付けられているところを見ると、こちらのお宅にはお客様がよく来られるのかもしれませんね。

 

「どうぞ、粗茶ですが」

 

そういって彼女は香り高い紅茶と、お茶請けのクッキーをわたくしたちの前に置いてくださいます。

 

「で、ライスに相談したいことって、いったいなに?」

 

ソファーに腰掛けながら優しく聞いてくださるライスシャワーさまをまっすぐ見つめ、わたくしは手に取りかけたカップを一旦お皿の上に置きました。

 

「ライスシャワーさまは、昨今のレース情勢をご存じですか?」

「そんなに詳しいわけじゃないけど……重賞ぐらいは見てるよ。後輩たちががんばっているのを見たら、ライスもお仕事がんばらなきゃ!って思えるから」

 

なるほど、そういう先達もいらっしゃるのですね。

レースを見てくださっているのなら、単刀直入にこちらの事情を申し上げても大丈夫でしょう。

 

「実はこの秋、わたくしは天皇賞に挑戦したいと考えておりますの」

 

わたくしが本題を切り出すと、ライスシャワーさまの表情が一変いたしました。

優しいお姉さんの顔から、レースというものを知り尽くしたウマ娘の顔に。

 

「そうなんだ」

「その秋の天皇賞にはわたくしの姉……春の三冠を制覇したメジロラムも出走してくることでしょう。おそらくは、圧倒的な一番人気に推されて。しかし、わたくしはそんな姉に勝ちたいと願っております」

 

ライスシャワーさまは瞳を閉じて、何も言わずにわたくしの話を聞いてくださっています。

 

「ライスシャワーさまがわたくしの母、メジロマックイーンを破ったあの天皇賞。当時、ライスシャワーさまがどのような心境で臨まれ、どのようなトレーニングを積まれたのか。それをお聞きしたいと思い、本日は参上いたしました」

 

わたくしが一方的にお話していたにも関わらず、ライスシャワーさまは静かに聞いてくださり、少しの黙考の後、語り始めてくださいました。

 

「……あの天皇賞はね。ライスは菊花賞以上に、勝ち目がないと思っていた。ミホノブルボンさんは確かに天才的なウマ娘だったけど、キャリアはライスとそう変わらなかったからそこに付け入る隙もあった。でも、マックイーンさんは違った。マックイーンさんはあの時すでに18戦もレースという修羅場をくぐった、勝つことも負けることも知り尽くした歴戦の古豪だった」

 

お二人が戦った当時、確かお母様は中等部、ライスシャワーさまは高等部でいらっしゃったはずですが、デビューはお母様のほうが早かったのです。

 

「長い距離の中での一瞬のスピード勝負なら、まだそれほど使い込んでない脚を持っていたライスも引けを取らないと思ってた。でも、豊富な実戦経験はすぐに手に入れられるものじゃないし、長年のレース生活とトレーニングで鍛え上げられた圧倒的なスタミナの差は絶対に普通じゃ埋まらない。ライスにできることは、ひとつだけだった」

「それは……?」

 

先を促すわたくしに、ライスシャワーさまはそれを教えて下さいました。

 

「ダートコースを使った、地味だけど徹底的なトレーニング。走って、走って、絞る。坂路も悪くないと思うけど、基礎的なスタミナをつけるためのトレーニングは地道なダートでのトレーニングが一番効果的だと思う。そうやってライスは前走からさらに4キロ絞って、限界まで……ううん、それ以上に自分を追い込んだの」

 

天皇賞でのライスシャワーさまの鬼気迫る様子は、動画で見ているだけのわたくしにさえ恐怖と畏怖を感じさせるものでありました。

 

当時最強のウマ娘であったメジロマックイーンすら破った、究極に精錬された刀の抜身のような肉体は文字通り限界を超えたトレーニングの賜物であったわけです。

 

「なるほど。確かに坂路は効率的に瞬発力と心肺機能を向上させられるけど、スピードを下支えするための土台的なスタミナ作りは、ダートでのトレーニングのほうが効果的かもしれないわね」

 

今までわたくし達のやり取りを傾聴していたトレーナーさんが、ご自分の意見を述べられます。

 

「うん。でも、言うのは簡単だけど実際に取り組むのはかなりのリスクを伴うよ。生半可な覚悟でやったら、脚だけじゃなく、こころも壊れてしまうかもしれない。……実際、あの天皇賞のあとライスはひどいスランプに陥ったから……」

 

ライスシャワーさまがおっしゃったように、彼女は天皇賞でお母様に勝利したあと、泥沼のような不振に陥られました。

あの劇的な天皇賞での復活までに要した二年という月日が、彼女の精神的なダメージの深刻さを物語っています。

 

身内びいき的な見方をさせて頂くなら、それだけの代償を支払わないと当時最強ウマ娘だったお母様に勝つことができなかった、ということなのでしょう。

 

「それでもやりたいっていうのなら、あの時のライスのトレーニングメニューと食事の内容、あとはメンタルセットなんかも教えてあげられる。でも、そのリスクについてもう少し考えたいっていうのなら、今度連絡くれても……って、もうとっくに、覚悟は決まってるみたいだね」

 

わたくしの顔を見て、ライスシャワーさまは微笑んでくださいました。

 

「うん、そうだね……どのレースももちろん大切だけど、競走人生の中で、どんな代償を支払ってでも勝ちにいかなきゃいけないレースってのが誰にでもある。今回のレースが、メジロレムさんにとってはきっとそうなんだろうね」

 

彼女の、重い、重いお言葉に、わたくしはただただうなずくことしかできませんでした。

 

「ちょっと待ってて。昔お兄様と……あ、夫と一緒に色々書いた、あの時のトレーニング内容と食事を纏めたノートを持ってくるから」

 

そう言って照れ笑いを浮かべながら(ライスシャワーさまはご自分の担当トレーナーさんのことを【お兄様】と呼んでおられたのですね)彼女は席を立ち、10分ぐらいしてから3冊の古びたノートを持ってきてくださいました。

 

「これがそうだよ。これはあなたたちにプレゼントするから……しっかり活用してくれると嬉しいな」

「えっ!?」

 

笑顔でノートを差し出してくださるライスシャワーさまに、わたくしたちは驚きの声を抑えきれませんでした。

 

「いや、でも……」

「さすがに、こんな大切なものをいただくわけには……このノートはライスシャワーさまのトレーナーさん……今の夫君との大切な思い出でもあるのではありませんか?」

「それはそうなんだけど」

 

ライスシャワーさまは言葉を区切ると、少し考えて遠い目をして続けられます。

 

「思い出は形がなくても、ライスの、お兄様の、ファンのみんなの中にきっと残り続ける。でもレースに懸ける【思い】は次の世代に継承していかなくちゃいけない。……ライスにもきっと、その時が来たんだと思う」

 

まだ10代の現役ウマ娘のわたくしと、20代の若いトレーナーさんに、ライスシャワーさまの言葉の真意が完全に理解できたか、といえば、それはおそらくノーだったでしょう。

 

しかし彼女の言葉の重みだけは、手渡された三冊のノートを通じて確かに感じられました。

 

「……ありがとうございます。必ず、ライスシャワーさまの【思い】に恥じない天皇賞にしてみせますわ」

「そんなにかしこまられると、ちょっとこっちが恐縮しちゃうよ」

 

そうおっしゃいながらライスシャワーさまは少しばかり冷めたティーカップを手に取られたのですが、どういうわけかそれに口づけるでもなく、はにかんでわたくしを見つめておられます。

 

……?

 

何か、わたくしに伝えたいことでもあるのでしょうか?

 

「……ライスシャワーさま?いかがなさいましたか」

「あ、ごめんね。ちょっと言いづらいから、どうしようかと思ったんだけど」

 

そういうとライスシャワーさまはおずおずと切り出されました。

 

「もし、ね?メジロレムさんがすっごくがんばって、メジロラムさんに勝ったとするでしょう?」

「ええ。当然そのつもりでおりますが」

「そうしたら、メジロレムさんがみんなに嫌われちゃうかもしれない。メジロラムさん、今回の天皇賞に春秋連覇の偉業と、シニア路線完全制覇への夢がかかっているんでしょう?」

 

ライスシャワーさまはきっと、ご自分の経験に照らし合わせてそう言ってくださっているのでしょう。

当時の世間の反応は、お世辞にもライスシャワーさまに好意的だっとは言えなかったそうですから。

 

「ライスシャワーさま。わたくしの母……メジロマックイーンが自分で生涯最高の走りをしたとわたくしたち娘に教えてくれたレースは、どのレースだったと思われますか?」

「え?そうだね……2連覇を達成した天皇賞か、2分22秒7っていうレコードを出した京都大賞典かな?」

 

唐突なわたくしの質問に、ライスシャワーさまは少し困惑しながらもお答えくださいました。

しかし彼女のお答えに、わたくしは首を横に振ります。

 

「お母様が言うには、ライスシャワーさまに敗れたあの天皇賞だったそうです。走力も全盛期で、気力も体力も完全に仕上げきったあのレースこそが、お母様にとって最高のレースだったのです。『結果が伴わかったのは残念でしたけれども、私を破った相手が【史上最強のステイヤー】のライスさんだったわけですから、敗れて悔いなしでしたわ』と教えて下さいました」

「……そっか。マックイーンさん、ライスのこと、そういうふうに……」

 

その声が少し震えて聞こえたのは、わたくしがお母様を尊敬しているゆえの聞き間違いというわけでもなかったでしょう。

ひょっとしたらライスシャワーさまは、あの勝利から20年近く経った今でも【メジロマックイーンの大記録を阻止してしまった】ということを、気に病んでおられたのかもしれません。

 

「わたくしもライスシャワーさまからいただいたこのノートをしっかり研究して、お姉様にそう思っていただけるレースをするつもりですわ。それに【ヒーロー】に勝って世間に嫌われたからと言って、それがなんだというのでしょう?【ヒール】というものは【ヒーロー】をやっつけて、【ヒーロー】以上の実力を見せつけてこそ、世間に知られ、認められるというもの。そうであるならば、わたくしは喜んで【ヒール】になりましょう」

 

わたくしは生意気にも大先輩に向かってそんな大言壮語を吐き、ソファーから立ち上がりました。

そして深く深く一礼したため、その時の彼女のお顔を拝見することができませんでした。

 

「では、そろそろおいとまさせていただきますわ。ライスシャワーさま、本日は貴重な時間を割いていただいたうえに、このような大切な品まで……お礼の言葉もございません」

「ううん、その、こんなこと言っていいのかわからないけど……メジロレムさんのお母さんのカタキみたいなライスを頼ってきてくれて、嬉しかったよ。天皇賞、がんばってね。応援してる」

「ありがとうございます。それでは、失礼いたしますわ」

 

偉大な先達の激励を受けて、わたくしとトレーナーさんは彼女の自宅をあとにいたしました。

 




読了、お疲れさまでした。

本当はこの十話でレースシーンまで書き、【天皇賞編・完】に
してしまいたかったのですが、いつものごとく『書きたいことはまだまだあるし、
この調子だとまた2万字コースだ…』と書いている最中に気づいたので、
ここで区切ることにいたしました。

ウマ娘の世界と史実をリンクし始めると楽しすぎて、
なかなか妄想が止まりませんね…(笑)。

だからこそ、たくさんのウマ娘の二次創作が世の中に誕生しているのでしょう。

プロットはもうまとまっているので、次回作はわりと早いうちに
お届けできるかと思います。

これがフラグにならないよう頑張って書きますので、
次回作もどうぞよろしくお願いいたします。

今回も長文を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

それではまた、次回のあとがきでお会いしましょう!
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