メジロの娘。   作:宮川 宗介

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登場人物:メジロレム
※オリウマ娘注意です。

誕生日:4月22日
体重:引き締まって怖いぐらいの仕上がり。
身長:158センチ
スリーサイズ:89・58・85




第十二話

ひとけのない古びたトレーニング場に、女性の大きな声が響き渡りました。

 

「レム!もうバテたの!?スピードも落ちてきてるし、フォームもバラバラよ!そんなことで東京のタフな2000Mを走りきれると思ってんの!?」

「申し訳ありません!!」

 

トレーナーさんの激に応え、わたくしは脚と腕にムチを入れてフォームを修正し、スピードを上げ直しました。

 

秋の天皇賞で勝利するために、フォームを中距離向けに改造しつつ、スタミナを土台から鍛え直す。

 

言葉にすれば安易なのですが、その実現に向けてのトレーニングのなんと過酷なことか。

ライスシャワーさまがいみじくもおっしゃったように、その過酷さはわたくしの身を、心を、容赦なくうち砕こうとしてきます。

 

しかし、わたくしがここで折れてしまうわけにはまいりません。

わたくしが秋の天皇賞で好勝負……いえ、勝利をおさめることができなければ、【日本の短距離ウマ娘はレベルが低い】と見下した姉の言葉が正しかったということになってしまいます。

 

そのことだけは断固として、認めることはできません。

 

人生を賭してわたくしと戦ってきたウマ娘たちのためにも、わたくしは天皇賞で、そして自分自身にも負けるわけにはいきませんでした。

 

*

 

今回の【自主合宿】の最中だけに限った話ではないのですが……スピードを上げるたび、脚を酷使するたびに心の奥底からささやき声が聞こえてきます。

 

これ以上やると、壊れてしまうのではないだろうか。

 

故障への不安は普段のトレーニング中に、レースを走っているときに、ときには日常の何気ない動作にさえ、常にわたくしにつきまとってきます。

 

平均的な頑丈さを持っているウマ娘なら、ある程度体調を整えておけば厳しいトレーニングを課したとしても、故障するリスクはほとんどないと言われています。

 

しかし――年齢とともに多少は改善されてきたとはいえ――元々わたくしのように脚が決して丈夫とは言えないウマ娘のトレーニングは、一本一本の走り込みが綱渡りのようなものになります。

たとえ万全の体調でトレーニングに臨んだとしても、常に何%かの故障のリスクが生じてしまうからです。

 

もちろんわたくしもトレーナーさんもそのリスクを受け入れた上で、細心の注意をはらい、限界ギリギリのトレーニングを行っているのですが……。

 

正直なことを言えば、【せめて普通くらいに丈夫な体にさえ生まれていれば……】と思う気持ちも、ないわけではございません。

 

しかし、持って生まれた体質に文句を言っても仕方ない、というのは厳しいながらも真実です。

 

それを受け入れ、なんとか工夫していくしかありません。

 

でもそのような状況に置かれているのはきっと、わたくしに限った話ではないのだと思います。

 

 

今週末に決戦を控えた、水曜日のトレーニング終了後。

わたくしとトレーナーさんは、表示された数字を見てため息をついておりました。

 

「マイナス3キロ。思ったより絞れたわね」

「ですわね」

 

ライスシャワーさまから託されたノートを元に厳しいダートトレーニングを開始してから、確実に体つきが変わってきておりました。

脂肪が削げ落ち、尻やももが引き締まって、体型は明らかに中距離ランナーのそれになりつつありました。

顔も幾分シャープになり、自分で言うのもなんですが、精悍な印象を与える顔つきになったように感じます。

 

……お母様譲りのツリ目も相まって、少々人相が悪くなってしまったかもしれませんね。

見てくださる方が、これも気合の表れと取ってくださるといいのですが。

 

「限界まで鍛え上げられたウマ娘ってのは、ここまで美しいものなのね。昔からウマ娘絵画って絵のジャンルがあるのが分かる気がするわ」

 

頭の天辺から足の爪先まで、わたくしの全身をくまなく見渡したトレーナーさんは、そんな感嘆の声を上げられます。

 

面と向かって言われると少々気恥ずかしいのですが、そう言っていただけると限界まで追い込んだ甲斐もあった、というものです。

 

「やれるだけのことは、やったと思う。あとは明日の最終追い切りだけね」

「そうですわね」

 

これで負けたのなら、お姉様がおっしゃられた通り【持って生まれた才能が違った】ということなのでしょう。

 

そういい切れるだけのことを、わたくしはやりきったという自負がございました。

 

 

焚き火台は、もうすっかり暗くなったテントの周りを照らしてくれておりました。

 

「決戦まで、あと四日……」

 

その中でくゆる炎を見つめながら、わたくしはつぶやきます。

 

天皇賞。

 

メジロ家のウマ娘にとって、特別な意味を持つレース。

できればなんの憂いも気負いもなく、伝統のレースに出走できる喜びを、ただ純粋に噛み締めたかったものです。

 

「レム~!」

 

スマホを手にして席を外していらっしゃったトレーナーさんが、なぜか息を切らせて小走りに戻ってこられました。

 

「トレーナーさん。どうなさいました?」

「明日の最終追い切り、学園に戻ってやるわよ」

「はぁ、それは構わないのですが。どうしてわざわざ学園の方へ?別にここでもよろしいではありませんか」

 

トレーナーさんの唐突な指示にわたくしが首を傾げると、彼女は笑顏でサムズアップを飛ばしてこられました。

 

「今回のトレーニングの総仕上げよ。その成果をみんなに見てもらいましょう!」

 

*

 

木曜日のトレセン学園は、活気に満ち溢れております。

 

週末行われるレースの最終追い切りのためにウマ娘たちが全力で疾走し、それを取材するマスコミの方々が大勢訪れるからです。

 

昨夜トレーナーさんがおっしゃった意味がわかったのは、学園へ戻ってきてからのことでした。

 

「え、最終追い切りは芝の2000Mで行うのですか?」

「そう。今のレムの実力を、世間に、天皇賞に出走するウマ娘たちに見せつけてやりましょう!」

 

ああ、なるほど。

わたくしはここのところG1に出走しても下位人気に甘んじている現状に、少しばかりモチベーションが下がっておりました。

 

今のまま天皇賞に出走したとしても、ギリギリ一桁人気になればよい方でしょう。

現に専門誌などの前予想では、9番人気と10番人気を行ったり来たりしておりました。

 

勝利したレースの最長距離が1400Mなので仕方ないといえば仕方ないのですが……G1を二勝している身としましては、正直、残念に思うところもございます。

 

そんな状況にトレーナーさんが一案を講じて、このような場を設けてくださったのでしょう。

 

追い切りとはいえ、芝の2000Mで良いタイムを出せば絶好のアピールになることに間違いありませんし、実際のレースと同じバ場・距離を走っておくことは決して悪いことではありません。

 

「わかりましたわ。それでは、準備いたしますわね」

 

わたくしはバッグから中距離用のレースシューズを取り出して履き替え、スタート地点に立ちました。

 

そして、一度大きく深呼吸をして……。

 

「はっ!」

 

美しく整備された芝を思い切り蹴り上げ、わたくしはコースに駆け出しました。

 

ああ。

やっぱり、芝を駆け抜けて感じる風の感触は最高ですわね。

 

しかし、芝と風を楽しむことばかりに気を取られている場合ではありません。

意識すべきことは、たくさんあります。

 

2000Mの【長丁場】を走り切るためのペース配分。

コース勾配に対応するためのスピード調整。

それを維持するためのフォーム。

 

わたくしは本番のレースのつもりで、それらを着実にこなしていきます。

 

「ん、芝での最終追い切りってのは珍しいな」

「あれは……メジロレムか。あの娘の天皇賞への挑戦は、ちょっと無謀だと俺は思ってるんだけどね」

「でも、悪くない走りっぷりだな。少し取材していくか」

 

少し懐疑的な取材陣の声が、わたくしの耳に入ってきます。

しかし、残り距離が少なくなるごとに、取材陣の数とざわめきが少しずつ増えてきているのがわかりました。

 

「……!悪くないどころじゃないわ!これはスクープになるかも!」

 

そんな女性記者の声が聞こえてきたところで、残り500Mを迎えます。

残っているスタミナも、脚の疲労感も、前回の安田記念の時よりかなり余裕がありました。

 

「ふっ!」

 

東京レース場の最後の直線をイメージし、わたくしはギアを最大に切り替えます。

 

「!!」

 

加速した瞬間、感じる風が変わったのがわかりました。

頬を刺激する、痛いほどの風。

 

そして経験したことのない、未知のスピード……!

 

「これは……!」

 

わたくしの走りに、マスコミの方々が騒がしくなってくるのを感じます。

それを小気味よく思いながら、わたくしはゴールを目指して秋の芝の上を駆け抜けました。

 

そして、トレーナーさんがストップウォッチを持って待っていらっしゃる場所を通過し……。

 

「トレーナーさん、タイムは!?」

 

大声でタイムを確認したのは、わたくしではなくあの女性記者でした。

 

「え、あぁ……タイムは……」

 

わたくしはトレーナーさんから少し離れたところで立ち止まり、息を整えながらそのやりとりに耳を傾けます。

 

「!1分57秒フラット!乙名史さん、1分57秒フラットですよ!」

「すごいです!十分、天皇賞でも勝ち負けになりうるタイムですね!」

 

お二人は興奮気味にそんな言葉をかわしていらっしゃるようです。

その声に惹かれたのか、取材陣の方々がトレーナーさんの周りに集まりだしました。

 

「メジロレムさん、素晴らしい仕上がりですね!」

「やはり、あのメジロラムさんの【挑発】に発奮なさったからですか!?」

「ぜひ、メジロレムさんに直接お話を!」

 

あっというまにそんな喧騒に囲まれてしまったトレーナーさんでしたが、しかしそこはマスコミ慣れしている彼女です。

 

「レムは天皇賞という大レースに向けて、やれることをやってきたというだけです。彼女の今日の追い切りを見ていただければ、その成果がわかっていただけたかと思います。距離の壁もありますし、相手が強いのは十分に承知していますが、決して恥ずかしいレースにはならないと私は思っています」

 

マスコミの皆様にそう宣言すると、トレーナーさんは「ミーティングをするから、先にトレーナー室へ行っててちょうだい」と指示を出し、うまくわたくしを取材陣から遠ざけてくださいました。

 

……人間の内面を引きずり出すことにかけては百戦錬磨のマスコミの方々に、心の柔らかい部分を突かれるような質問を受けてしまっては、今のわたくしが何を言い出すかわかったものではない、ということをトレーナーさんもきっと察してくださっていたのでしょう。

 

*

 

天皇賞当日は、素晴らしい秋晴れに恵まれました。

気温もこの季節らしく涼しげな風が吹いていて過ごしやすく、まさにレース日和といった感じです。

 

初めてG1に挑戦した高松宮記念ではバ場状態が悪いことを喜んだりもいたしましたが、今回はそれほど気になりませんでした。

 

人気上位陣はみな重バ場を得意としている、という理由もありましたが、今のわたくしならどんなバ場状態でも100%以上の実力を出し切れるという自信があったからです。

 

控室を出る際、『精一杯、やってらっしゃい』との短い激励をトレーナーさんから受けてパドックに向かうと、すでに出走メンバーがファンの皆様方に顔見世していらっしゃいました。

 

今舞台の上で観客席に手を振っていらっしゃるのは、三番人気のファストレクトさんでした。

ファストレクトさんは2年前の皐月賞でお姉様を破り、結果的に三冠を阻止した強豪です。

その皐月賞以後は不調に悩まされていたようですが、9ヶ月休養明けの今年の毎日王冠をレコード勝ち。

メジロラムすら破った得意の2000Mという距離で、捲土重来を期していらっしゃることでしょう。

 

彼女が舞台から降り、次のウマ娘が登壇するやいなや、観客席から熱烈な応援の声があがります。

 

「ライザ様~!!今日こそ、今日こそは絶対に栄光を掴んでください!」

「ライザ!あいつに勝てるのは、もうお前しか残ってない!頑張ってくれ!!」

 

熱狂的な声援を受けながら登壇した2番人気のシンボリライザ生徒会長閣下は、トレードマークであるマントを翻し、強気な笑みを浮かべて絶好調をアピールなさいました。

 

春の三冠全てでお姉様の2着に甘んじた彼女は、今度こそはの想いで、もうこれ以上は負けられないという覚悟でこの舞台に臨んでいるはずです。

 

閣下から発せられるオーラは、【皇帝】とまで言われた彼女のお母様を彷彿とさせるものがありました。

 

シンボリライザ閣下が降壇したあと、三名のウマ娘がそれぞれにファンにご挨拶し……そして【主役】の登場とともに観客席のボルテージは最高潮に達しました。

 

今日の主役は【エレガンス・ライン】の勝負服に身を包み、溢れ出る才気を隠そうともせず、不遜に思えるほど堂々とした態度で舞台にあがります。

 

……お姉様はお母様に勝負服のデザインはどんなものがいいか聞かれた時に、一切の迷いなく『お母様と同じものを』と答えられました。

 

そして勝負服ができあがり、お母様から賜った際にこう言ったのです。

 

『私がこの勝負服を着始めてしばらくは、きっとみんな【メジロマックイーンの勝負服をメジロラムが着ている】と言うことでしょうね。でも、いずれ必ずこのエレガンスラインを見た人たちから【メジロラムの勝負服を、メジロマックイーンも着ていた】と言われるようになってみせるわ』

 

その宣誓はお母様の実績と名声を超えてみせるという、お姉様の決意と覚悟でありました。

そして今では、エレガンスラインと言えば?と聞かれれば、ほとんどのファンの方が【メジロラムの勝負服】と答えることでしょう。

 

お姉様はその実力と実績を持って、世間の認識を塗り替えたのです。

 

「ラムさま……ラム様~!!きゃあぁあぁっ!!」

「ラム、お前ファル子の部屋であれだけの大口叩いたんだ。今日は絶対負けられねえぞ!」

「お前のことは好きじゃないが、お前の走りには惚れ込んじまってるんだ!!今日も【天才】の走りを見せてくれよな!!」

 

メジロラムというウマ娘は、ファンもアンチもとても多いというのが特徴です。

しかし、アンチですら認めざるを得ない事実があります。

 

それはここまで16戦11勝、内G1・9勝という成績を残してきたお姉様の【圧倒的な実力】です。

 

現にお姉様の今日の単勝推し率は78%に登っていました。

あのサイレンススズカさまでさえ、天皇賞当日の単勝推し率は61%ほどだったと記憶しています。

 

G1という超のつく強豪が集結する大舞台で、その人間性の好悪に関わらず、8割近い人々がメジロラムが勝つと信じているのです。

 

そのメジロラムは『今日も私が勝つんだから、黙ってみていなさい』と言わんばかりに腰に手を当てて薄い胸をピンと張り、強烈な覇気を舞台の上から放っています。

 

そんな姉を、わたくしは思ったよりも平静な気持ちでパドックから見上げていました。

 

*

 

そして最後にファンの皆様方に挨拶するのは、4番人気に推されたわたくしです。

 

あの追い切りでのタイムが金曜日に発行される【週刊ウマ娘】の天皇賞特集に掲載され、名物記者の乙名史さんが記事を書いたことで(なぜ彼女の記事に登場する人物はあんなに強気な発言をしたように書かれてしまうのでしょう……)、土日にわたくしへ投票してくださった方が一気に増えたと思われます。

 

わたくしが舞台に登場すると、観客席にどよめきが起こりました。

 

「えっ、なんかレムずいぶん痩せてない?タイムはいいって聞いたけど、本当に大丈夫なのかな……」

「違うよ。あれは痩せたんじゃない。今日のレースに合わせて絞り込んできたんだ」

「そうなんだ。レムの勝負服ってほとんど露出ないのに、どうしてそんな事がわかるの?」

「首筋の筋肉とあの娘が発している雰囲気を見れば、どれだけのトレーニングを積んできたかだいたい分かるもんだよ」

 

さすが、トゥインクルのファンの皆様はウマ娘を見る目が肥えていらっしゃるようです。

ふふっ。

しかしこのような会話を聞いてしまうと、ウマ娘の勝負服がわりと薄手のデザインのものが多いことも分かる気がします。

 

鍛え上げた肉体を披露するのであれば、そちらのほうが都合がいいでしょうから。

 

今度一回水着で出走してみようかしら、なんて思えるあたり、わたくしはかなりリラックスしているのでしょうね。

 

よい精神状態で、レースを迎えられそうです。

 

わたくしがいつものようにカーテシーでお辞儀をすると、大きな拍手とともに「がんばれよ!」「お姉さんに負けないでね!」との温かい声援がたくさん聞こえてきました。

 

そうですわね……。

 

その声を聞いて、わたくしの【私情】のためだけでなく、わたくしを応援してくださっているファンの方々のためにも、今日のレースで不甲斐ない姿を晒すわけにはいかない、と改めて気を引き締め直しました。

 

*

 

天皇賞というシニア級最高峰の舞台で、ゲート入りに難を示すウマ娘など一人もいませんでした。

 

歴戦の勇者達18人の、ゲートインが完了します。

 

秋の東京レース場にゲートの開く乾いた音が響き渡り、伝統の一戦がスタートしました。

 

18人見事に揃ったスタートからハナを切って行ったのは、今年の京都大賞典をレコードで逃げ切り勝ちしたサンダーテクノさんです。

 

他にも何人か逃げ脚質の方もいらっしゃったのですが、好調の彼女と競り合って必要以上に速い流れになることを嫌ったのか、自分のペースでレースを進めることにしたようですね。

 

逃げ脚質の彼女らの後ろで一団を作っている先行勢のポジション争いは、熾烈な心理戦になっているようでした。

 

なんせ一番人気のメジロラム、二番人気のシンボリライザ、三番人気のファストレクトという実力上位陣がみな先行脚質なのですから。

 

この3人の他にも5名もの先行脚質の方たちがいて、皆が自分が一番良いポジションを確保しつつ、他の娘たちには楽なレースをさせまいとお互いに細かく位置取りを替えています。

 

しかし、その中でも勝手にしなさいと言わんばかりにまったく位置取りを替えずに走り続ける唯我独尊のウマ娘が、メジロラムでした。

 

圧倒的に地力で勝るお姉様にそのようなポジショニングをされてしまうと、他の方たちはそれを意識しないわけには参りません。

 

それは二冠ウマ娘のライザ閣下や、お姉様の三冠を阻止したファストレクトさんさえも例外ではありませんでした。

 

結局お姉様の位置取りが他の方たちのポジションを決めてしまったようで、お姉様を取り囲むような形で先行集団の駆け引きは落ち着いたようです。

 

そんな彼女たちの序盤のやり取りを眺めつつ、後方でレースを運ぶわたくしたち差し・追い込み勢のウマ娘は、彼女たちの作るペースを読み取り、終盤の仕掛けどころに思考を巡らせます。

 

序盤のレースを作るのは確かに前にいる逃げ・先行勢なのですが、終盤の勝負どころの鍵を握っているのは、わたくしたち後ろから行くウマ娘なのです。

 

細かい折衝があったものの大きな順位変動はなく、1000Mのハロン棒を通過しました。

 

体感的に平均ペースか、やや速いか、といったところでしょうか。

 

こういう流れになれば脚質による有利不利はほとんどなくなり、最後は実力勝負になることでしょう。

 

残り800Mを通過した時点で、何人かのウマ娘が仕掛けに出ました。

スタミナに自信があり、長く良い脚を使えるタイプは、だいたいこのあたりから仕掛けに出ます。

 

1600M以下の短い距離であれば、わたくしもそのタイプに属するのですが……今回の2000Mという距離はわたくしにとって【距離の臨界値】にあたります。

 

そんなわたくしに勝機があるとすればギリギリまでスタミナと末脚を温存し、一瞬のキレを活かして先行勢をまとめて差し切る、というパターンしかありません。

 

その瞬発力を鍛えるために、あのハードなダートトレーニングの合間を縫って上半身のパンプアップも欠かしておりませんでした。

 

先頭にいるサンダーテクノさんが、残り600Mのハロン棒を通過しました。

 

その時です。

 

観客席から、大きな歓声があがりました。

 

いよいよ大本命ウマ娘のメジロラムが仕掛け、徐々に順位を上げ始めたようです。

 

他者の動きなどまったく気にもとめない、自身が最高だと思うタイミングでの覇道の仕掛け。

 

一番人気が動いたのと同時に、周りの実力者達も遅れを取るまいと一斉にお姉様を追いかけます。

 

レースは突如として激しい流れになりました。

 

この流れに身を任せてしまいたくなるのですが……まだ、その時ではありません。

仕掛けが早すぎれば、スタミナが持たない。

遅すぎれば、捉えきれない。

 

勝ち負けになる仕掛けの機会は、わたくしの距離適性とスタミナからして、おそらく刹那の一瞬でしょう。

 

それを逃さぬよう、わたくしは全神経を集中させてレースの流れを見守ります。

 

第四コーナーをカーブして、いよいよ最後の直線です。

 

先頭は相変わらずサンダーテクノさんでしたが、後ろから迫る三強との脚色は歴然としていて、捕まるのは時間の問題のように思われました。

 

そんな彼女を最初にかわし、内から差し込んで先頭を奪い取ったのは、やはり最強ウマ娘のメジロラムでした。

 

お姉様が先頭に立ったのを見てわたくしは少し外に膨らみ、一気にトップギアに持っていきます。

 

一人かわし、二人かわし……逃げ粘るサンダーテクノさんもかわして、わたくしは四番手にまで浮上しました。

 

残り400M。

 

先頭のメジロラムまでは、およそ五バ身。

 

ここです!

 

初めての、2000Mという大レースのラストストレートで、わたくしは今まで積み重ねてきた努力と自分の勝負勘を信じ、持てるスタミナと根性をすべて脚に注ぎ込んでトップスピードを繰り出しました。

 

一気に差を詰めてくるわたくしの気配に気づいたのでしょう。

先頭のお姉様を追いかけることだけに集中していたお二人が、一瞬だけこちらに振り返ります。

 

その一瞬の間に、わたくしは外側から二人に並びかけました。

 

後続はもう、足音さえ聞こえぬほどはるか後方のようです。

 

その豪脚に物を言わせて先頭を征く絶対王者・メジロラムへの挑戦権を懸け、生き残った三人での激しい叩き合いが始まりました。

 

「いつまでもあなた達【メジロラム世代】に幅を利かせられていても困る!もう十分だろう、あなたたちにはそろそろ【王道】からご退場願おうか!」

 

啖呵を切って一歩抜け出したのは、シンボリライザ閣下でした。

二冠を制し、有マ記念でメジロラムを破ってもなお、周囲から『あの世代のウマ娘たちはメジロラムの世代と比べると小粒』と言われ続けたことに、忸怩たる思いがあったのでしょう。

 

「あたしがメジロラムに勝ったのは、まぐれなんかじゃない!あたしは絶対に今日の天皇賞に勝利して……それを実証してみせる!」

 

シンボリライザ閣下に呼応するように咆哮を上げて、ファストレクトさんも必死に食い下がります。

 

皐月賞のあと長いスランプに陥り、思うような成績を上げられず、心ないファンやマスコミから【結果的にフロックでメジロラムの三冠を阻止しただけのウマ娘】と蔑まれた日々は、耐え難いものがあったに違いありません。

 

しかし、わたくしにも負けられない理由があります。

 

(あの娘も決して悪いウマ娘じゃないんだけど、お姉ちゃんと比べちゃうとねぇ)

(やっぱりメジロ家のウマ娘は、長距離を走ってこそって感じがするよな)

(気にするなよ。お姉さんは三女神に選ばれた、特別なウマ娘なんだ。君は君でがんばればいいのさ)

 

わたくしは幼い頃から、クラブのトレーナーやマスコミたちにそんなことを言われながら走り続けてまいりました。

そんな環境にあっても、親族や家族……そしてお姉様は、わたくしの非才を揶揄するようなことを、決してなさいませんでした。

 

なのに……。

 

『どうして私がレムを意識する必要があるわけ?だいたい、あの娘と私じゃ気の毒だけど持って生まれた才能が違うわ』

『私は小さい頃からあの娘の走りを見てきたけどね。あの娘のレースやトレーニングを見て【才能がある】って思ったことは一度もない』

『あの娘が勝ち負けできるぐらいのレベルって、日本の短距離G1ウマ娘のレベル自体が下がってるんじゃないかって』

 

心から信頼していた姉からの侮蔑の言葉は、わたくしの精神を激しく打ちつけました。

 

その痛みが、わたくしに囁きます。

 

痛いでしょう?

辛いでしょう?

 

自分だけでなく、自分のライバルたちも侮辱されて、悔しかったのでしょう!?

 

なら、あの傲岸不遜の姉を打ち負かして、屈辱を晴らすのです!

 

「わたくしも……絶対に、負けられないっ!」

 

その言葉の鞭はわたくしの闘志と脚に活を入れ、もうすでに限界を迎えていた脚に最後の力を与えてくれました。

 

前をゆく二人をめがけ、わたくしは身体を沈めて大地を踏み破らんばかりに芝を蹴り込みます。

 

「なにっ……!」

「まだあれだけの脚を残していたの……!?」

 

そんな驚愕の声を置き去りにして、わたくしは大外から一気に【怨讐の皐月賞ウマ娘】も、【皇帝の子】さえも葬り去りました。

 

さぁ。

 

あとは、先頭を駆けるメジロラムただ一人!

 

過酷なトレーニングで鍛え上げたスタミナは、わたくしの脚の勢いをしっかりと支えてくれており……幼い頃から追いかけてきた背中が、あれだけ遠かった姉の背中が少しずつ、少しずつ、近づいてきていました。

 

(まさか、本当にお姉ちゃんに勝てるの……)

 

ここまで来ても、わたくしはまだ、お姉様に……あのメジロラムに追いつける、追い抜かせるとは思っておりませんでした。

 

 

(またお姉ちゃんに勝てませんでしたわ……。どうしてお姉ちゃんは、そんなに走るのが速いのですか?)

(ふふん、そんなの決まっているわ。それは私が誰よりもトレーニングしているからよ。レムも私がたくさん練習していることは知っているでしょう?)

(お姉ちゃんのように、たくさん練習したら……そうしたらわたくしもいつか、お姉ちゃんのように速く走れるようになれますか?)

 

そんな会話をかわしたのは、就学前のことだったか、小学校低学年の頃だったか。

それさえ定かでない古い記憶が、なぜか自分の意識とは無関係に蘇ってきました。

 

その記憶とともに流れた涙は、いったいどんな感情のものだったのでしょうか。

 

(そうね。たくさんトレーニングしたら、レムはきっと、私より速く走れるようになれると思うわ)

 

 

>>

『横一線から抜け出したのは、なんとメジロレム、メジロレムが抜け出した!シンボリライザとファストレクトを競り潰して、その勢いのままメジロラムに襲いかかる!かわすか、かわすか、その鬼脚でかわしてしまうのか、メジロレムここでかわした!メジロレムがとうとう先頭に立った!』

 

『メジロラム懸命に追いすがるが1バ身、2バ身差、差が広がる、広がっていく!秋天での母の無念を晴らしたかったシンボリライザも、天皇賞二年連続春秋連覇という偉業が懸かったメジロラムもここまでか!』

 

『頑張れ、メジロラム、今年だけ、もう一度頑張れ、メジロラム!!』

 

『しかし先頭は変わらずメジロレム、今一着でゴールイン!勝ったのは、なんとなんとメジロレム!メジロはメジロでも、レムの方です!メジロレム、スプリンターズステークスに続き、天皇賞でも圧倒的一番人気のメジロラムを破りました!』

 

>>

 

わたくしがゴールした瞬間の東京レース場は、奇妙な沈黙に支配されていました。

 

直線の途中からスタンドからの声は耳に入ってこなくなっていたのは気づいておりましたが、それはきっとわたくしがレースに集中しているからだろうと思いこんでいました。

 

しかしどうやらメジロラムの敗北という衝撃に、本当に観客席が静まり返ってしまっているようです。

 

わたくしの声が必要以上に東京レース場に響き渡ったのは、きっとそのせいだったのでしょう。

 

「お姉ちゃん、見たでしょう!?わたくしも、そして、わたくしと短距離で戦ってきたライバルたちも……絶対にレベルの低いウマ娘なんかじゃない!」

 

わたくしの叫びを二着でゴールしたお姉様はどんな心境で聞いたのでしょう。

しかしお姉様はわたくしに何を言い返すでもなく、無表情のままバ場連絡口へと足を向けます。

 

「ラム、お前なんとか言えよ!」

「あれだけ大きなこと言っておいて、その結果は何だよ!」

 

わたくしの怒りの声に続くように、静まり返っていたスタンドのファンたちからのそんな野次が飛び交いました。

それでもお姉様は反応することなく、黙々と歩き続けるのみ。

 

わたくしは常々、いくらファンの人といえどあまりにキツい野次や罵倒は謹んで頂きたいものだ、と思っております。

 

しかし今回ばかりは、そんな批判にさらされている姉をフォローする気にも、庇おうとする気にもなれませんでした。

 

*

 

「メジロレムさん、天皇賞優勝おめでとうございます!今のお気持ちをぜひ聞かせてください!」

 

ウィナーズサークルへやってくると、マスコミの方たちが我先にとマイクを差し出してこられました。

 

「ありがとうございます。天皇賞は皆様もご承知のとおり、メジロ家にゆかりの深いレースですので……そんなレースに勝利することができて、感無量でございますわ」

「今日のメジロレムさんは本当に強い勝ち方だったと思います。……やはり、お姉様への反骨精神が勝利への原動力になったということもありますか?」

 

本来であればこの手のインタビューは無視して、もっと当たり障りのないことを聞いてくださる記者のそれに答えるべきなのでしょうが、今回ばかりはこの質問を待っておりました。

 

「姉はあのようなことを言いましたが……今日わたくしのレースを見てくださった方々には、きっとご理解いただけたことでありましょう。日本の短距離ウマ娘のレベルは、決して低くなどないということを!」

 

わたくしがそう言い放つと、その瞬間構えられたカメラから一斉にフラッシュが焚かれました。

この様子とわたくしの発言はマスコミを通じて、たくさんの方々に広まっていくはずです。

 

さて。

わたくしはもう、言うべきことを全て言い終えました。

 

まだ飛んできている質問にわたくしはカーテシーを持っておしまいを意思表示し、ライブの準備に向かおうとしました。

 

「メジロレムさん!次走は当然三階級制覇を懸けて、【最強で無敵のウマドル】も出走するマイルチャンピオンシップですよね!?」

 

ふむ。

その質問にだけは、答えなければならないでしょう。

 

「もちろんです。わたくしは引き続き【挑戦者】として、マイルチャンピオンシップに出走するつもりでおりますわ」

 

その回答は当然のことながら【前人未到の三階級制覇に挑戦する者】という意味もありましたが……。

自分はなにも臆することなく、ジャックルマロワ賞を制した【世界チャンピオン・リナアラビアン】に必ず挑戦する、という意味も含んでおりました。

 

*

 

ウイニングライブの準主役とも言うべき、2着でゴールしたお姉様は【レース後、脚部不安が生じたため】という理由でライブを欠席なさいました。

 

誰が聞いても不自然に思うこのような事態は、実は過去にも度々起こっております。

 

例えば、圧倒的1番人気に推されていた娘が惨敗を喫してしまった場合などです。

 

レース前はまさに【不動のセンター】として扱われていた彼女に対して、敗北したレースのあとのウイニングライブで『今日お前は負けたんだから、バックダンサーとして目立たぬ位置で踊れ』というのはあまりに酷な話でしょう。

もちろんそんなことはまったく気にせず、ライブに参加する方もいます。

しかし、こういった状況で惨敗した娘がライブを辞退したい、と言っても関係者は無理に参加を促すようなことはいたしません。

 

そしてそのレースに参加したウマ娘たちも、彼女の気持ちを慮って何事もなかったかのように振る舞います。

 

それが武士の情けというものです。

 

他のケースでは……今回のようにレース前にウマ娘や関係者の間にひと悶着あってギクシャクしている時なども、このようなことが起こります。

 

特に負けた側にそのいざこざの原因があった時は、その気まずさから何らかの理由をつけてライブを辞退する、ということがままあったりいたします。

 

当然このようなことをすれば各方面からの批判は避けられませんが、それでも『自分を打ち負かしたヤツの引き立て役になるよりかはマシだ』と考えるのか、今日のお姉様のように明らかにわざとらしい理由をつけてでもライブには出ない、というウマ娘が多いのですね。

 

まぁしかし、そんなことは勝利したわたくしにとっても、ライブを楽しみにしてくださっているファンの皆様にとっても、ささいなことです。

 

ちょっとしたイレギュラーはありましたが、ともに今日のレースを戦い抜いたシンボリライザ閣下とファストレクトさんがわたくしを完璧にフォローしてくださったおかげで、応援してくださったファンの皆様に良いライブを届けられたと思います。

 

それでもできれば、センターのわたくしの隣にあのメジロラムを立たせたかった、と思ってしまったのは、元々わたくしの性格が少し悪いからなのかもしれません。

 

*

 

焚き火台はいつものように、優しい明かりでこの寂れたトレーニング場の夜を照らし出してくれておりました。

あの歓喜の天皇賞制覇から、もうすでに3日が経っていました。

 

「レム。夕食ができたわよ」

「ありがとうございます。いただきますわね」

 

にも関わらずわたくしは未だに古いトレーニング場にキャンプを張って、ここのテントで寝泊まりしておりました。

 

確かにわたくしは、天皇賞であのメジロラムに勝利を収めました。

そしてメジロラム本人にも、マスコミを通じて世間様に対しても、伝えるべきことを伝えたはずです。

 

それでもどういうわけだか、お姉様に対して今回のことは水に流して今までと同じように付き合っていこう、という気にはなれませんでした。

 

そんなわたくしにトレーナーさんは『それならレムの気持ちが落ち着くまで、私で良ければ付き合ってあげる』と言ってくださり、そのお言葉に甘えて【家出】のマネごとのようなことをしているわけです。

 

とはいえ、わたくしももう小さな子供ではないのでこのような【家出】がいつまでも続けられるとは思っておりません。

 

といいますか、身の回りのほとんどのことをトレーナーさんに丸投げし、経済的にもお母様から預かっているクレジットカードとスマホに頼り切りという状態を【家出】というのは、自分のことながら失笑してしまいます。

 

これは小さい子供が親子ケンカや兄弟ケンカしたときによくやる、『家出してやるんだから!』とか言って近所の公園やスーパーで暗くなるまで時間を潰し、結局夕食までには家の人に迎えに来られて帰る、というお決まりのパターンの延長線みたいなものです。

 

「明日の朝ごはん、どうしよっか」

「そうですわねえ……ツナをつかったホットサンドなんていかがですか?わたくしもホットサンドメーカーの使い方にも慣れてきましたし」

「あ~、それも悪くないわねえ」

 

特に意味のない、気まずい沈黙と話題を避けるための会話。

天皇賞が終わってから、トレーナーさんとはこんなお話ばかりしておりました。

 

こんな生活を、いったいいつまでわたくしは続けるつもりでいるのか……と憂鬱な気持ちになりながらスープを口に運んでいると、このひとけのない場所の、ひとけのない時間に正門の方から人の気配が感じられました。

 

ここでキャンプを張るに当たっては、学園の許可は取ってあるのですが……。

場所の貸出の理由でもあり、目標だった天皇賞も終わったにもかかわらず、ほとんど意味の感じられないキャンプを張って場所を専有していることに対して、さすがに誰かがお説教をしに来たのかもしれませんわね。

 

しかしわざわざ、こんな時間にやってこなくても……。

 

「メジロマックイーンさん!?」

 

その人物をわたくしが確認する前に、トレーナーさんが驚きの声を上げられました。

おそらく彼女以上に驚いたであろうわたくしは、とりあえずスープの入った紙皿をテーブルに置き、慌てて後ろを振り返ります。

 

「お母様」

 

そこには秋の装いをいつものように上品に着こなしたお母様が、微笑みをたたえて立っていらっしゃいました。

 

「レム。なんだか久しぶりですわね」

 

どうしてここが、なんて決まりきったセリフは必要ありませんでした。

キャンプを張る前にはさすがにお父様とお母様からその許可をいただきましたし、わたくしのスマホには位置共有アプリが入っているのですから。

 

「お母様。どうしてここへ……」

「決まっていますわ。天皇賞に勝利した我が娘を称えに来たのです。レム、よくやってくれました。あなたはメジロの、そして私の誇りですわ」

「ありがとうございます……」

 

できることならそのお祝いの言葉はこんな打ち捨てられたようなトレーニング場ではなく、もっとそれにふさわしい場所で聞きたかったものです。

それなら家出なんかしていないで、さっさと自宅に戻ってパーティーでも開催してもらっていたらどうなの?という話になってしまいますが。

 

わたくしに祝辞を述べると、お母様はトレーナーさんの方に振り向いて深くお辞儀をなさいました。

 

「トレーナーさん、不肖の娘がいつもお世話になっております。今回は娘のために長期間このようなトレーニングにつきあっていただいて……感謝の言葉もございませんわ」

「いえ。担当するウマ娘を最高の状態に仕上げて、最高のレースをしてもらうのがトレーナーの仕事ですのでどうぞお気になさらずに」

「そう言っていただけると、こちらも気が楽になりますわ。こちらのものはトレーナーさんへの天皇賞制覇のお祝いと、娘がお世話になっているお礼です。気持ちばかりですが、どうぞお召し上がりになってくださいませ」

「あ、気を使わせてしまってすみません」

 

笑顔で恐縮しながらトレーナーさんは黒い森が描かれた紙袋をお母様からお受け取りになります。

その袋には【Frucht's Kuchenladen Schwarzwelder Kirschtorte】と書かれておりました。

 

……袋の中には【ふらっしゅのおかしやさん】で購入できるケーキの中でも最高級品である【シュヴァルツベルダー キルシュトルテ】が入っているに違いありません。

 

あの品は数量限定で手に入れるのに数ヶ月待ちは当たり前、ちょっとやそっとのコネで手に入れられる代物ではないのですが……。

 

「ってこれ、ふらっしゅのおかしやさんのキルシュトルテじゃないですか!こんな滅多にお目にかかれないものを……いいんですか?」

 

トレーナーさんもそのことはご存知だったようで、驚嘆の表情を隠せなかったようです。

 

「ええ、もちろんですわ。エイシンフラッシュさんにはかなり無理なお願いをしてしまったのですが……『秋の天皇賞の優勝祝いということなら、引き受けないわけにはいきませんね』とおっしゃってくださいまして」

 

秋の天皇賞はエイシンフラッシュさまにとっても思い出深いレースということもあって、きっとあちこちに無理を言ってお母様にお譲りくださったのでしょう。

 

「それから……少し、トレーナーさんとお話があるのですが」

 

そうおっしゃいながら、なぜかお母様はわたくしのほうにちらり、と視線を送ってこられます。

 

「あ、それならこのケーキを3人で食べながらお話しませんか?ワンホールのケーキなんて、レムと二人でも食べきれませんし。今ホットコーヒーを入れましょう」

 

そんなお母様に、なにか感じるものがあったのでしょう。

少しわざとらしくそう言って、トレーナーさんはマグカップを用意し始めました。

 

「まぁまぁ、よろしいのですの?そんなつもりで持ってきたわけではないのですが、娘がお世話になっているトレーナーさんの好意を無碍にするのもなんでございますし……。そうおっしゃってくださるのであれば、少しばかりごちそうになろうかしら」

 

あの、お母様。

その締まらない笑顔から本音がダダ漏れでございますわ。

 

……さすがにあの視線は『私も一緒にケーキを食べたい』という意味ではない、と信じておりますわよ?

 

お母様の疑惑の笑顔にツッコミを入れるでもなく、スマートにケーキを取り出してナイフで切り分けるトレーナーさんは、普段あんな感じでもやっぱり大人なんだなーと改めて感じられました。

 

*

 

「お話、というのは実はもう一人の我が娘、ラムのことなのです」

 

お母様はケーキをプラスチックフォークで小さく切り分けると、上品にそれを口に運ばれます。

それに習って、わたくしも同じようにケーキを口にいたしました。

 

ふ~む。

 

「…………」

 

わたくしはもくもくと、二口目を口に運びます。

こんな美味しいものを食べている時にあまり愉快でない話題のおしゃべりするなど、なんとももったいないことです。

 

「……レムはケーキに夢中でお話を聞いていないようですね。今からお話させていただくことは……ラムには『レムには黙っておいて』と言われておりましたが、これなら問題ないでしょう」

 

そんな芝居めいた言い方をしてから、お母様は語りだしました。

 

「あの問題の生放送があった夜、私はラムを部屋に呼び出してお説教をしたのです。どうしてあなたはいつもあのような攻撃的なものの言い方をするのか。何度も注意しましたよね、と」

 

「ラムはしばらく黙り込んでいたのですが、やがて諦めたように口を開きました。『今のあの子の力なら、私を負かしてしまうかもしれない』」

 

「そう思ったのは、夏合宿最終日の試験レースを見たときだったそうです」

 

「娘は続けました。『今度の秋天には私の連覇とシニア路線王道完全制覇の夢が懸かってる。それをあの子が【ぶち壊した】となると、ファンやマスコミからきっと色々言われてしまうわ』」

 

「娘がその話をしたがらなかったのは、照れくささもあったのかもしれませんが……私とライスシャワーさんのことを思い出して、あの子なりに気を使っていたからかもしれませんわね」

 

「ふふっ、こんなことを思うあたり私も親バカなのかもしれませんわね。でも、あの子もプライドが高い子ですから……。『もちろん、私は負けるつもりなんてこれっぽっちもないわ。まぁ、私が負ける確率は、文字通り万が一でしょうね』なんてことも言っておりましたわ」

 

「『でももしレムが私を打ち負かして周りになにか言われたら……あの娘は優しい子だから、きっと深く傷ついてしまう。私が【ビッグマウス】を叩いて敵役になっておけば、レムが勝ってもきっと世間はあの子を称賛するでしょうから』。それを聞いた私はあなたの気持ちはわかったが、あなたの発言を不愉快に思った人たちには謝罪すべきだと諌めましたわ」

 

「ですが、『それについてもちゃんと考えているから』と言うあの子に、私はもうそれ以上は何も言えませんでした」

 

お母様のお話を聞いているうちに、わたくしはだんだんと腹が立ってきました。

 

お姉様のわたくしへの甘やかしっぷりと、それに気づかなかった自分への鈍感さに。

 

わたくしはケーキを食べ終えると、フォークをそっと置いて普段は飲まないブラックコーヒーで口内の甘みを洗い流します。

 

その苦味はここでとる最後の食事に、ふさわしい気がいたしました。

 

*

 

留守にしていたのはたった半月ほどだったにも関わらず、帰宅した我が家はなんだか懐かしい感じがいたしました。

 

この時間なら、お姉様は自室にいらっしゃるか……。

 

「お姉様!」

 

テラスで紅茶を飲みながら読書に励んでいらっしゃるかどちらかだろう、とあたりをつけて庭を覗くと、やはりそこには秋の優しい日差しの中で本を手にしたお姉様がいらっしゃいました。

 

「あら、レム。帰ってきたのね。おかえりなさい」

 

まるで何事もなかったかのように、お姉様はわたくしを出迎えてくださいます。

 

「お姉様。お母様からあの発言の真意を聞きましたわ。その……」

 

わたくしが言葉を紡ぐ前に、お姉様は大きなため息をついてそれを中断させました。

 

「はぁ……まったく、お母様は体重は重たいくせに口が軽いんだから……。レムには機を見て私から話すから黙っててってお願いしたのにね」

 

そんな毒舌を吐いてお姉様は読んでいた本をテーブルに置かれると、わたくしを手招きして「まぁ、座りなさいな」とうながされました。

 

「で、お母様からはどんなふうに聞いたの?」

「……あの発言はわたくしが勝った時に【お姉様の記録をぶち壊した】と世間から言われないように、わたくしを守るためのものだったと聞きました。自分が敵役になれば、わたくしの勝利への批判はきっと称賛に変わるだろうから、と」

「まぁ、おおよそは間違ってないわ。でも、理由はそれだけじゃなかったのよ」

 

お姉様は両肘をテーブルに立て、胸の間で両手を組まれました。

 

「私の発言には、確かにあなたを世間からかばってあげたいって意図もあったわ。だけどそれと同じぐらい、全力のあなたと戦ってみたいって気持ちもあった」

「……と、言いますと……?」

 

わたくしはお姉様の真意が理解できず、首を傾げました。

 

「もしあのまま何事もなく天皇賞を迎えていたら……あなたは心の奥底で【あのメジロラムに勝てるわけがない】ってブレーキを掛けてしまって、本当の実力を出しきれなかったかもしれない」

「……そんなことは」

 

瞬間的に否定できなかったということは、心のどこかでわたくしもその意見に同意してしまったのかもしれません。

そんなわたくしの心中を知ってか知らずか、お姉様は静かに首を横に振ります。

 

「そんなことは関係ないって、あなたは言うかもしれない。けど、そういうささいなことが勝負のアヤってものなのよ。勝負事ってのは、そのレベルが高くなればなるほど精神的な比重が増してくる。トップレベルの場に集うプレイヤーの能力やスキルは、ほとんど変わらないのだから」

 

……確かにおっしゃるとおり、あのお姉様の【挑発】がなければ、わたくしはお姉様に対してあそこまでの闘志を向けるのは難しかったでしょう。

 

しかしそれだけために他のウマ娘を貶めるというのは、さすがにやりすぎだったのではないでしょうか。

 

「強いウマ娘とどうしても本気で戦いたい、走ってみたい、と思うのは私のように闘争本能が強いウマ娘の業のようなものね……。まぁでも、そんなことはただの私のエゴ、わがままだってことももちろんわかってる。自分の失言の責任ぐらいは、自分で取らないとね」

 

そう言ってお姉様は立ち上がると、深々と私に対して頭を下げられました。

 

「ごめんなさい。レム、あなたは決して才能のないウマ娘なんかじゃないわ。あの言葉は撤回して、深く謝罪します。あなたは本当に、強いウマ娘だわ。私の自慢の妹よ」

 

……ああ。

 

わたくしはきっと【憧れのお姉ちゃん】に自分の走りを、そしてレースを走るウマ娘としてのわたくしを、心底認めてほしかったのでしょう。

 

幼い頃からきっと渇望していたであろうお姉様のお言葉に、わたくしは溢れ出る感情を抑えることができませんでした。

 

*

 

お姉様は、マスコミを集めての謝罪記者会見という形で失言の責任を果たすおつもりのようでした。

学園が準備した記者会見場には招集を受けて集まったたくさんの記者たちが、今か今かとお姉様を待ち構えていました。

 

桐生院トレーナーとともにお姉様が姿を表すと、まるでおふたりを焼き尽くさんとせんばかりにカメラのフラッシュが向けられます。

そんな暴力的な閃光に怯むこともなく、お二人は落ち着いて用意されていたパイプ椅子に着席なさいました。

 

「この度はお集まりいただき、まことにありがとうございます」

 

毅然とした態度で、お姉様は会見をはじめられました。

そして桐生院トレーナーと一緒に立ち上がると、深くこうべを下げられます。

 

「公共の場であるテレビ番組であのような軽率な発言をし、人生を懸けてレースを戦うウマ娘たちだけではなく、その関係者様、そしてウマ娘を応援してくださっているファンの皆様に不愉快な思いをさせてしまったことを深く陳謝いたします」

「私がトレーナーとして未熟なばかりに担当するウマ娘に指導が行き届かず、このような事態を招いてしまったことを遺憾に思います。このようなことが二度とないようメジロラム本人にも厳しく指導することは当然として、私自身も深く反省し、トレーナーとしてのあり方を見直す所存です」

 

そんなおふたりにまるでロンギヌスの槍のように集音マイクが向けられ、厳しい質問が飛び交います。

 

「結局、今回メジロラムさんが謝罪しようと思ったのは、あなたがバカにしたメジロレムさんに負けたからですよね?もしあなたが天皇賞に勝利していたら、あなたは謝罪すらしなかったのではないですか!?」

「このような事態が起こったのは、前例のない【飛び級制度を利用して免許を取った、若すぎるトレーナー】の雇用が問題だったのでは?そのあたり桐生院トレーナーはどうお考えでしょうか?」

「メジロラムさんの影響力を考えると、今回の件を謝罪だけで済まそうというのは、少し認識が甘すぎると思うのですが。当然、【責任を取ってレースから身を引く】という選択肢も考えておられますよね?」

 

そんな手厳しい質問にも、お姉様と桐生院トレーナーは前を向いて誠意を持って答えられます。

 

「発言に対しての謝罪に関しては、あの番組のあと母にたしなめられたこともあって深く反省し、公共の場で謝罪したいと考えておりました。本来であればすぐにでもそうすべきだったのでしょう。しかし天皇賞という大きなレースの前だったこともあり、色々考えてレース後すぐに謝罪させていただいた方が良いであろうと判断し、今日は皆様にお集まりいただいた次第です」

 

「私の若さゆえの過ちだと言われれば、その通りだと思います。今回のことを貴重な教訓とし、少しでもファンの皆さまとレース界、そしてウマ娘たちに貢献できるようなトレーナーになっていきたいと考えております」

 

「私の発言は確かに許されざるものだったと猛省しておりますが、レースからの引退は考えておりません。それは私の考える【責任のとり方】ではないからです」

 

それからも記者たちからの、まるで尋問のような厳しい追求は続きました。

 

お二人にとってその時間はきっとつらく厳しいものだったでしょうが、取材陣からの質問が止むまで決して離席しようとなさいませんでしたし、言い訳じみたこともおっしゃいませんでした。

 

わたくしは部屋の片隅から、お姉様とそのトレーナーさんの【けじめ】を最後まで見届けました。

 

*

 

そんな記者会見も終わり、自宅へ帰ろうと渡り廊下を歩いていますと、お姉様と桐生院トレーナーが缶ジュースを持って暗い中庭のベンチに腰掛けているのが見えました。

 

「……今日は、申し訳なかったわね」

 

お姉様の、そんな声が聞こえてきます。

わたくしも、なにも気づかなかったことにしてさっさと渡り廊下をわたり切ってしまえばよかったのですが……なぜか来た廊下を少し戻って、そこにさっと身を隠してしまいました。

 

「なに、気にすることないさ。担当ウマ娘が起こしたトラブルの責任を取るのは、トレーナーの仕事なんだから」

「そう言ってもらえると気が楽だわ」

「それに」

 

そう言うと桐生院トレーナーは、お姉様の小さな頭をご自分の肩へ抱き寄せられました。

 

「大変な目にあっている彼女を守るのは、男として当然のことだろう?」

「バカ。カッコつけちゃって。今回のことは本当に私の自業自得だったってだけよ。でも……ありがとう」

 

才子と才女、美男美女のカップルというのは妬み嫉みからか色々と言われがちなのですが、このようなシーンを目撃してしまうと、やっぱりお互いを大切に思い合っているんだな……と感じずにいられませんでした。

 

……わたくしもスカウトしてくださったトレーナーさんが若い男性だったのなら、こんなロマンスもあったのかもしれませんわね。

 

いやまあ別に、今のトレーナーさんに不満があるわけではないのですけれどもね。

 

わたくしはやれやれごちそうさまですわ、と心のなかでつぶやきながら、お二人に気づかれないよう忍び足で素早く渡り廊下を通り抜けて帰路についたのでありました。

 

*

 

我が家には【盾の間】という部屋があり、そこにはメジロ家の歴代天皇賞ウマ娘の肖像画と下賜された盾が飾られております。

 

メジロ家最初の天皇賞ウマ娘・メジロタイヨウ様。

メジロ家四代天皇賞制覇の始祖であり、わたくしの曾祖母であらせられるメジロアサマひいおばあ様。

日本のウマ娘が海外G1を勝つことなど夢のまた夢だった時代に、果敢にも凱旋門賞に挑戦されたメジロムサシ様。

史上初の母娘二代天皇賞制覇を成し遂げ、メジロマックイーンを産んだ偉大なる中興の祖・メジロティターンおばあ様。

こちらも史上初、春の天皇賞を二連覇したメジロ家の至宝・メジロマックイーンお母様。

大器晩成の天皇賞ウマ娘・メジロブライト様。

メジロアサマから連なる四代目天皇賞ウマ娘であり、メジロ家悲願のダービーウマ娘・メジロラムお姉様。

 

彼女たちはいずれもメジロ家を支え、守護してきた、まさに【盾の勇者】たちです。

わたくしは我が一族の誇りともいうべき御歴々の肖像画を、一枚一枚敬意を持って見上げておりました。

 

「レム。届きましたわよ」

 

お母様の声とともに、業者の方が大きな額縁を持って部屋に入ってこられます。

 

「お飾りするのは、ここでよろしいですか?」

「ええ、お願い致しますわ」

 

お母様の指示の下、業者の方がお姉様の肖像画の隣に飾ってくださった絵画は、わたくしの肖像画でございました。

 

アフタヌーンドレス風の勝負服に身を包み、おすまし顔でこちらを向いている肖像画の中のわたくしは実物よりちょっとばかり美人な気がいたしましたが、これはデフォルメという絵画の技法、ということにしておきましょう。

 

そしてその絵の下に、白手袋をした業者さんが真新しい一帖の盾を据えられます。

その盾のネームプレートには【天皇賞・秋 優勝ウマ娘 メジロレム】と彫り込まれておりました。

 

わたくしが本当に『天皇賞を制したのだ』と実感したのは、意外にもこの瞬間だったのかもしれません。

 

「このような感じで、よろしいでしょうか?」

「ええ、大丈夫ですわ。ご苦労様でした」

 

お母様のねぎらいに、業者の方々は一礼して盾の間から退出されました。

 

「……立派ですわね」

 

皆様が退出されてからもお母様はその場から立ち去ろうとせず、わたくしの肖像画を見上げると感慨深くそうおっしゃってくださいました。

 

「そうですわね。わたくしには少々、もったいない気がいたしますわ」

 

お母様と同じように自分の画を面映ゆく感じながら眺めていると、不意に全身が温かい感触に包まれました。

 

「お母様」

「あの小さくて脚の弱かったレムが立派に……本当に立派になりました。かあさまは……」

 

レースの世界に飛び込んだ幼い頃から、才能面でも身体面でも心配をかけ通しだったわたくしに掛けたい言葉は、きっとたくさんあったのだと思います。

 

しかし肩口に感じる熱いものは、万の言葉よりお母様の思いをしっかりと伝えてくれていました。

 

最後に抱きしめられたときより小さくなったと感じるお母様の背を抱き返しながら、この天皇賞の勝利が少しでもお母様を安心させられるといいな、と願わずにいられませんでした。

 




読了、お疲れさまでした。

前作からしばらく間が空いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

それは単に今までにないぐらい長文になってしまったから、
ということもあるのですが…。

一番の理由はしばらくモニターを眺めて色々と考えていても
全然文章が出てこない日々が続いてしまった、というものだったりします。

しかしそんな日々を乗り越えて一応仕上げることができたので、
とりあえずは一安心できました。

あとは少しでも、読んでくださる方に楽しんでいただけることを祈るばかりです。

重ね重ねになりますが、いつも長文を最後まで読んでくださり
本当にありがとうございます。

そんな(色んな意味で)長く続いた物語も、いよいよ最終盤に突入します。

もうしばらく、レムのお話に付き合っていただけると幸いです!

それではまた、あとがきでお会いしましょう。
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