メジロの娘。   作:宮川 宗介

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登場人物:メジロレム
※オリウマ娘注意です。

誕生日:4月22日
体重:もうこれ以上ない、最高の仕上がり。
身長:158センチ
スリーサイズ:89・58・85



最終話

わたくしは小さい頃から、クリスマスが大好きでした。

 

プレゼントを買ってもらえて美味しいケーキが食べられる、ということももちろんございましたが、それ以上に真冬なのに少し暖かく感じる、明るくて心躍るような雰囲気が好きなのです。

 

街中は言うに及ばず、学園内もクリスマスらしい空気があちこちに漂っておりました。

 

期間限定メニューが並ぶカフェテラス。

クリスマス仕様に飾り付けされた中庭。

 

サンタクロースの帽子を被ったり、コスプレをしている生徒たちに、同じような格好をしているちょっと羽目を外したトレーナーや先生たちも見受けられました。

 

そんな楽しげな方たちを横目に見ながら、わたくしたちはトレーナー室に戻ってきました。

 

本当であれば様々な飾り付けをして、クリスマスらしい華やかな雰囲気に満ちているはずのトレーナー室に。

 

入室してすぐにトレーナーさんが部屋の明かりをつけ、暖房を入れてくださいます。

……二人の間にクリスマスらしからぬ重苦しい沈黙が流れているのは、決して寒い室温のせいだけではありませんでした。

 

お互いに黙り込んだまま、とりあえずといった感じで椅子に腰掛けます。

 

「……終わりにしましょう」

 

わたくしの右脚をじっと見つめながら、重々しくトレーナーさんがおっしゃいました。

トレーナーさんの視線の先には固く包帯が巻かれ、ギブスで守られたわたくしの右脚がありました。

 

「…………」

 

彼女の言葉に、わたくしは何も言い返せませんでした。

というより、何を言っていいのか、わからなかったのです。

 

「復帰まで早くて一年。仮に復帰できたとしてもまたいつ壊れるかわからない。お医者さんは引退を勧告してる。そんな状態の脚でこれ以上現役生活を続けさせることは、トレーナーとして許容できないわ」

 

トレーナーさんは今までわたくしに見せたことのないような厳しい表情で、宣告するようにそうおっしゃいました。

 

*

 

悲劇は、唐突にやってきました。

わたくしは今朝、いつもと同じようにダートをキャンターで走っていたのです。

 

マイルチャンピオンシップ以降、わたくしは休養に入っておりましたから、筋肉や走る感覚を維持するためのリハビリ的な軽めのトレーニングです。

 

当然スピードもそれほど出していたわけではなかったのですが……突然、焼け付くような痛みが右脚を襲いました。

 

あっ、この痛みは……と思った瞬間にはもう地面に倒れ込んでおり、わたくしにできたことと言えば、脂汗を流しながら激痛に耐えることぐらいのものでした。

 

とりあえずその場で応急処置を受け、病院に向かって診察してもらった結果は、右脚の骨折。

クラシック級のときに骨折し、今年の阪急杯前に痛めた箇所と、同じ部位で起こったケガでした。

 

レントゲンを見ながら、お医者様は渋い表情を浮かべられました。

 

『これは……おそらく疲労骨折ですね。原因はおそらく、酷使によるものでしょう』

 

お医者様の診断に、わたくしは脚の痛みからくるものとはまた違う、嫌な汗が額と背中からにじみ出てくるのを感じておりました。

確かに、マイルチャンピオンシップの直前には学園でのトレーニングに加え、トレーナーさんに内緒で自宅の坂路を走り込んだりしておりました。

 

もちろん、自分では無理のない範囲で収めていたつもりだったのですが……。

 

『メジロレムさんは以前も同じ箇所をケガしていらっしゃるみたいですし、治癒は早くて1年といったところでしょうか。しかも、非常に再発しやすくなってしまっている。もちろん最終的には本人の意志次第ですが、ウマ娘の専門医としましてはこれ以上現役を続けることは、とてもおすすめできません。周りの方ともしっかり相談して、よくご考慮されてから決断なさってください』

 

そう言ってくださるお医者様にわたくしは『承知いたしました。ありがとうございました』とだけご挨拶して、診察室を辞しました。

 

そしてチキンもケーキも買うことなく、トレーナーさんとここに戻ってきて今に至る、というわけです。

 

*

 

「あの……トレーナーさん」

「なに?」

「わたくしの進退については、お母様や……家族や友人とも相談したいので、もうしばらく猶予をいただくわけにはいかないでしょうか?」

 

そう尋ねるわたくしに、トレーナーさんはいかにも渋々と言った感じで首を縦に振ってくださいました。

 

「わかったわ。レムが納得できるまで、周りの人と相談して考えてみてちょうだい。でも、私はあなたがこれ以上現役を続けることには反対だ、ってことだけは頭の隅に置いておいて」

 

トレーナーさんがつっけんどんなのは、ケガをして使い物にならなくなった担当ウマ娘を邪魔にしているわけでは決してなく、わたくしのことを本当に心配してくださっているからこそなのでしょう。

 

車とほとんど変わらないスピードを生み出す脚力を持つウマ娘の脚のケガは、場合によってはとりかえしのつかないことにならないとも限りませんから……。

 

それに、故障して使えなくなったウマ娘を邪険にするようなトレーナーだったら、わたくしがまだ海の物とも山の物ともつかなかったクラシック級の時期にケガをしたとき、さっさと見限っているはずです。

 

「そろそろ、迎えの車が正門前まで来てくれる頃だと思いますわ。では、今日のところはこれで失礼いたします」

 

本当は迎えの車が来るまではもう少し時間がありそうだったのですが、気まずさを覚えたわたくしは松葉杖を持って立ち上がり、一礼して部屋を辞そうといたしました。

 

「レム」

「いかがなさいましたか?」

「あなたには、自制の大切さをもっと真剣に教えておくべきだったわね。今回のあなたのケガは、私の指導力不足のせいだわ。本当に、ごめんなさい」

 

そんなことをおっしゃるトレーナーさんに振り返ると、彼女はボロボロ涙をこぼしながらわたくしに深く、深く頭を下げていらっしゃいました。

 

そんなトレーナーさんを見ていると、わたくしもいたたまれなくなって……

 

「やめてください、トレーナーさん……そんなの、やめて……わたくしが、トレーナーさんに相談もせず、勝手にトレーニングを……」

 

そこから先は、言葉になりませんでした。

 

わたくしたちはただただ泣きじゃくり、お互いに謝罪の言葉を延々と繰り返すだけでした。

 

*

 

自宅の食堂は、聖夜の夕食後とはとても思えない暗然とした雰囲気に包まれておりました。

この場にいるのは、わたくし、お母様、お姉様、お父様の家族四名だけです。

 

「俺はもう、引退したほうがいいと思う」

 

口火を切ったのは、元トレーナーのお父様でした。

 

「全盛期にケガをしてしまって悔しいという気持ちは痛いほど分かるが、ウマ娘にとってシニアの1年はあまりにも大きい。ジュニア級やクラシック級の時期にケガをしてしまって、1年療養に努めて復帰する、というのとはわけが違う」

 

お母様を含め、様々なウマ娘の人生を預かってきたお父様のお言葉には、重みがありました。

 

「仮に復帰できたとしても、休養前と同じような走りができるとは限らない。それにな、現役中は意識もしないだろうが、人生はレースを引退してからのほうが長いんだ。後遺症が残るようなケガをする前にレースからは身を引いて、その後の人生に備えるということは大切なことだと俺は思うぞ」

「……それはそれで一理あるけど、私はレムの引退には反対だわ」

 

お父様の見解に反論したのは、お姉様です。

 

「レムはできれば、現役を続行したいと思っているのでしょう?戦っているのはレムなんだから、レムの意志が最大限尊重されるのは当然だと思う。休養中に全盛期の走力が失われてしまう可能性があるからって『だから走るな、引退しろ』というのは周りのエゴだと私は思うのよ」

 

お姉様は負けるたびに立ち上がり、そして強くなってきた不屈のウマ娘です。

そのお姉様にそうおっしゃっていただけると、もう少し頑張ってみたいという思いが強くなります。

 

そして、家族の視線はわたくしの母であり、メジロ家の現当主であるメジロマックイーンに集まりました。

 

「私は……」

 

家族全員の視線を受け止め、お母様は息を整えられました。

 

「私は、レムが決めるべきことだと思います。こうして身近な人に相談するのももちろんよいでしょう。しかし、進退を決断するのはレム自身であるべきです」

「……お母様。それはあまりに放任主義が過ぎるんじゃない?難しい問題だからこそ、レムも私たちに相談してくれてるわけだし」

 

お母様のご意見に、お姉様が非難めいた視線を向けられました。

 

「ではラム。あなたはここで多数決でも取って、票の多い方の意見にレムは従うべきだ、とでも言うのですか?」

「そういうことを言ってるんじゃなくて……」

 

なおも反論しようとするお姉様を、お父様はそれとなく手で制止なさってから、わたくしの方へ振り向かれました。

 

「レム。他にお母さんに聞いておきたいことはないかい?」

「……ええ」

「だそうだ。マックイーン。あとは俺に任せて、もう休んでくれ。最近激務で疲れているだろう?」

「娘の一大事に寄り添えないほど疲れているわけでございませんが……あなたがそうおっしゃってくださるなら、先に休ませてもらいますわね」

 

そう言うとお母様はおやすみなさいませ、と家族みんなに挨拶して、なにごともなかったかのように食堂をあとにされました。

 

「……何あの態度。いくら仕事で疲れているからと言って、娘が大変なときにあんな無責任な言い方はないでしょうよ」

 

憤慨するお姉様に、お父様は苦笑いを浮かべられました。

 

「ラム、違うんだよ。マックイーンも昔、同じような決断を迫られたことがあるからこその、慎重な言い回しなんだ」

 

遠い目をしてそういうお父様に、お姉様はちょっとバツの悪い表情をなさいます。

 

「知ってるわよ。それならなおさら、レムに良いアドバイスできたんじゃないの?」

 

それは、実はわたくしも内心ではそう思っておりました。

今のわたくしと同じように、今まさにこれからという時にケガをなさって引退することを決断されたお母様からなら、現状での最善のアドバイスが頂けるのではないか、と期待していたことは、事実です。

 

「あ~……。まぁ、もうお前たちも小さい子供じゃないし、知っておいてもいいだろう」

 

そんな前置きをしてから、お父様は続けられました。

 

「お母さん……マックイーンがシニア三年目での京都大賞典を歴史的レコードで勝利した直後に、大きなケガをしてしまったのは、ふたりとも知っているね?」

 

お父様の問いかけに、わたくしたち姉妹は同時に首肯します。

 

「あの時のマックイーンは、ケガを治して復帰してからでも一流どころとやりあえる力は十分にあったし、本人もその気でいたんだよ。でもな、当時メジロ家の当主だったメジロアサマおばあさまに現役引退を勧告されては、もうそれは逆らえなかったんだ」

 

それは、初めて聞くお話でした。

お母様が引退なさったときのお話は『レース場でやるべきことは、全てやり終えましたわ』と言って鮮やかにターフを去ったとしか、周りからは聞いていなかったのです。

 

「俺もさ、若かったからマックイーンと一緒にその【おばあさま】に物申しに言ったんだけどな。ご当主さまは俺の方なんか見向きもしないでお母さんに『あなたはもう、レース場での使命を全て終えたのです。これからは未来のメジロ家の当主として、どうあるべきかを考えなさい』って言ってね。それでもう、マックイーンは何も言えなくなってしまった。で、おばあさまがやっと俺の方を見てくれたかと思ったら『トレーナーさん。良かったからこれからもこの子を支えてやってください』なんて言ってくれてなぁ」

 

ひょっとしたらあの時にはもう、マックイーンと付き合ってたのがバレたのかもなとか、馴れ初め的なことを語り始めたので、わたくしたちは同時にため息をついてお父様の話を聞き流すことにいたしました。

 

娘たちが白けた顔をしているのに気づいたのか、お父様はコホン、とわざとらしく咳をして喉の調子を整えます。

 

「ま、そんな経験があるから【当主】の立場にあるお母さんからは、自分の意見を述べにくかったんだろうね。たとえばマックイーンが母親としての立場から心配して『もう引退を考えてみてはどうかしら?』って勧めたとしても、世間は【メジロ家の当主は、故障したウマ娘は早々に引退すべきだと考えているようだ】ってふうに取るだろうしな」

「……要するに世間体が大事ってことでしょ。つまんない話だわ」

 

それに関しては正直、わたくしもお姉様と同意見でございました。

こんな時ぐらいお母様には【メジロ家の当主】ではなく、【娘の母親】として振る舞っていただきたいと思うのは、わたくしのわがままなのでしょうか。

 

「そういうお前たちの気持ちもよく分かるよ。これがレースのことじゃなかったら、マックイーンも心のままに母親としての意見を聞かせてくれただろうけどな。今レースを走っている全メジロ家のウマ娘のことを考えると、当主が自分の娘のこととはいえ、おいそれとメジロ家のウマ娘の進退についてなにかを言うわけにはいかないんだよ」

 

同意してくれとは言わないが、理解は示してやってくれというお言葉に、娘と妻とメジロ家の三方向から板挟みにされているお父様の苦悩が、見え隠れしたような気がいたしました。

 

「それはともかくとしてだ。レム、進退についてはもう少し自分で考えてみなさい。それに、こういうことを相談できるのは、俺たち家族だけというわけじゃないだろう?色々な人の話を聞いてみて、結論を自分で出すという経験は、決して無駄にはならないとお父さんは思うぞ」

 

普段はどことなく頼りないお父様なのですが、今日色々とお話を伺うことができて、お母様がどうしてお父様を伴侶としてお選びになったのか、少しわかった気がいたしました。

 

「そうですわね……。友人たちにも相談してみて、もうちょっと、自分で考えてみるといたしますわ」

 

*

 

「なるほど……トレーナーさんには引退した方がいいって言われちゃったのね」

 

ポイ、とチップを投げながら難しい顔でそうおっしゃったのは、レアさんです。

 

今、わたくしはレアさんとアデリナさんが普段生活していらっしゃる寮のお部屋にお邪魔していました。

 

普通の学校であればこの時期はもう冬休みに入っていて、寮生活の学生も実家に戻ったりするものなのでしょうが、レース界の12月は大レースが年末まで目白押しのため、トレセン学園の冬休みは1月1日からとなっているのですね。

 

昨夜相談事があるから少しお話を聞いていただきたい、との旨をお二人のグループLANEに送信すると、『トレーニングのあとなら大丈夫。そちらのスケジュールが空いてるなら、よかったら明日にでも自分たちの部屋においでよ』と返信してくださったので、そのお言葉に甘えてお部屋の方に寄せていただいたというわけです。

 

「ええ。わたくしとしてはもう少し頑張りたい、とも思う反面、周りに心配をかけながら休養して無理に復帰を目指すというのもいかがなものか、と迷っているわけでございまして」

「確かにね……。あたしがレムさんみたいな状況に置かれたら、不眠になるまで悩みそう……」

 

レアさんのレイズを見て、アデリナさんは手にしていたカードをマック(わたくしのお母様のことではなく、勝負から降りて使わなくなったカードの置き場のことです)に投げ入れます。

 

「でもさ、トレーナーさんの言い分はともかく、本人に少しでも『がんばってみたい』って気持ちが残ってるなら、復帰目指して休養する、というのはありなんじゃないかな。まさかトレーナーさんもそれならあんたとの契約は打ち切りだ、とまでは言わないでしょ」

 

手慣れた感じで手元のチップをシャッフルしながら、アデリナさんが眉間にしわを寄せてご自分の考えを聞かせてくださいました。

 

「そうは言っても現実問題として、もし復帰できたとしてもシニア級3年めの今ぐらいになるわけよね?」

 

アデリナさんの意見に厳しい表情を浮かべて、レアさんがわたくしの目をみて確かめるように問いかけてこられます。

 

「というのが、お医者様の見立てですわね」

「そうなると、復帰するためのトレーニング期間もあることだし、実際にレースに出られるようになるのは早くてもシニア4年目の春先ぐらいよね。ダートを主戦場にしているウマ娘なら、わたしのお母さんとかワンダーアキュートさんみたいに、そのぐらいの歳まで第一線で走ってる人も結構いるけど……。芝のオープンクラスのウマ娘となると、そういう人って結構少なくならない?」

「その問題もありますわね……」

 

芝のレースはダートのレースに比べると競走寿命の消耗が激しく、シニアの4年目まで芝で走るウマ娘はあまりいません。

シニア4年目で芝G1を勝ったウマ娘ともなると、カンパニーさま、キンシャサノキセキさま、それに香港からスプリンターズステークスに参戦された海外ウマ娘のウルトラファンタジーさまの3人しかいないのです。

 

わたくしはお母様の晩成の血を受け継いでいるので、仮に1年間休養したとしても急激に力が衰えるということはないと思われますが、それでも復帰してG1で勝ち負けできるほどの実力を維持できているかは、正直のところ未知数です。

 

「余力を残して引退するのか、燃え尽きるまでやり切りたいのかっていうのは、わたしたちアスリートの永遠の命題よね。わたしなんかは全盛期が過ぎたら、戦いの舞台から去りたいって考えている方だから」

「全盛期を過ぎたら、ですか?それでしたら、レアさんの引退はさすがに早すぎるのでは……」

 

今秋アメリカのブリーダーズカップ・クラシックを制したレアさんは、今年最後に行われるG1・東京大賞典を最後に引退することを宣言なさっていました。

 

まだシニア1年めでの彼女の引退宣言はレース界に大きな衝撃を与えましたが、レアさんはその理由をはっきりと世間に公表していません。

 

しかし、引退を決めたウマ娘の心境とはどんなものなのか。

今日レアさんに相談を持ちかけたのは、それを聞きたいという気持ちも多分にございました。

 

「ん~……。東京大賞典で最大のライバルになりそうなアデリナがいるから、あまり言いたくないんだけれけども。まぁ、それが勝負に決定的な影響を与えるわけじゃないし、レムが参考にしてくれるなら別にいいかしら」

 

わたくしのコールを確かめてから、レアさんは最後のカードをボードに置きます。

 

ボードに落ちたのは、スペードのエース。

それは、非常に判断の難しいカードでした。

 

「前の学校でわたしを担当してくれていたトレーナーに言われたんだけどね。わたしってどうやら、元々は早熟のスピードタイプみたいなのよ。こういうタイプは早くから活躍できる代わりに、全盛期がとても短いのが特徴なのね」

 

確かにレアさんはジュニア級のころから大活躍なさっているようですし、早熟のウマ娘にはそのような傾向があるということは知っています。

ですが、今まで負け知らずで、しかもG1を10勝もしていらっしゃるレアさんが全盛期を過ぎたからといって、急激に力が衰えるということはないでしょう。

 

「今のトレーナーの見立てもそうだし、わたしの中の直感も、全盛期は今年いっぱいだと言ってるのよ。もちろん、全盛期を過ぎたからといって走れなくなるわけじゃない。身も心も燃え尽きるまで走り切る、というのも、一つの美学だとは思う」

 

そういってレアさんは自分が持っているチップをすべてポットに押し出しました。

オールインです。

 

「でもわたしは、衰えていると分かっている身体でライバルたちと戦いたくないの。全盛期を過ぎたら身を引きたい、というのはよく言えばわたしの美学、悪く言えばわがままみたいなものね」

 

一時代を築いた稀代のウマ娘の潔い引き際は、いずれわたくしがレースから身を引く時の参考にさせていただけそうです。

 

「なるほど、レアちゃんの考え方はわかったけど。まさか楽に華麗に勝利して有終の美を飾れる、だなんて思ってないよね?」

 

自らの美学を説くレアさんに、アデリナさんは少しばかり挑発的な笑みを浮かべて問いかけられました。

 

アデリナさんはマイルチャンピオンシップ南部杯、チャンピオンズカップとすでにふたつのG1を勝利されているのですが……。

 

【海外に遠征していたファルコンレアが出走していたなら、フラッシュアデリナはきっと勝てていなかっただろう】とファンや関係者から囁かれている現状を面白いと思っているわけがなく、最後の機会になるであろう【G1という大舞台での打倒ファルコンレア】に燃えていらっしゃることでしょう。

 

「もちろんよ。わたしが楽して勝たせてもらったレースなんて、一つもないわ。まぁ、わたしの戦歴からそれを信じてもらうのは難しいでしょうけどね」

 

戦いの場に挑むお二人のバチバチなやり合いを、わたくしはなにかひどくまぶしいものを遠くから眺めるような、そんな気持ちで眺めておりました。

 

*

 

放課後、中庭のベンチで待っていたわたくしに、ライラクロスさんは蜂蜜入りのにんじんジュースを差し出してくださいました。

 

「お呼び立てした上に、気を使わせてしまって申し訳ありません。おいくらですか?」

「ああ、いいよいいよ。ごちそうしておくわ。私はアメリカンドリームを掴んだんだもの。これぐらいの器量は見せないとね」

 

冗談っぽく笑顔でそう言いながら、ライラクロスさんはわたくしの隣に腰掛けられます。

 

「LANE見た時はびっくりしたわ。ケガで引退することを考えているんですって?」

 

ストローでジュースを吸い上げながら、神妙な口調でライラクロスさんは切り出しました。

G1で勝ち負けを競った彼女にこういった相談を持ちかけるのは少し図々しいかな、と思いつつも、実際にわたくしと戦った人の意見も聞いてみたい、という気持ちが抑えられませんでした。

 

「はい。でも、わたくしの中には現役を続けたい、レースを走り続けたいという気持ちもありまして……」

「ごめん、こんなこと気軽に言うべきじゃないんだろうけど、なんとなく気持ちは分かる気がするわ。私も今はなんとか元気にやってるけど、ふとしたときに、『もし大ケガでもして現役を続けられなくなったら、私、どうなるんだろう』とか考えちゃうもん」

 

こういう悩みはウマ娘に限らず、アスリートであれば誰もが抱えるものなのかもしれません。

もちろんわたくしも【万一のこと】を想像しないことはなかったのですが、そんなこと今考えても仕方ない、と沸いてくる不安を打ち払って、目の前のトレーニングに励むしかありませんでした。

 

「トレーナーさんはなんて言ってるの?」

「元々脚部不安を持っているわけだし、なにか大事になる前に引退した方がいい、とおっしゃっています。それでも、どうしてもわたくしの中で踏ん切りがつかなくて、ご相談させていただいた次第です」

「なるほどね~……」

 

ライラクロスさんは神妙な表情のままストローから口を離し、三女神像が設置してある噴水に視線を移されます。

噴水の水面は冬の優しい陽光を浴びてキラキラと美しく輝いており、しばらくの間、二人とも無言で見慣れているはずのきらめきをまぶしげに眺めておりました。

 

「ごめん!」

 

沈黙を破ったのは、ライラクロスさんの謝罪でした。

 

「えっ、どうなされたのです?」

「いえ、色々考えてみたのよ。私がもしメジロレムさんの立場ならどうするかな、とか、そういうときトレーナーさんに引退した方がいいって言われたら、どう思うかな、とか」

 

そうしてわたくしの悩みを真剣に考えてくださっただけでも、勇気を出して彼女に相談させていただいた甲斐がありました。

 

「もちろん【今の私が考えるその時の私】ならたぶんこうするなぁ、とかきっとこういうだろうな、ってことは言える。でも、本当にその時になったらどういう行動を取るかなんかわからないし、それを伝えるのはあまりに不誠実だと思うの。だから、ごめんなさい。私はあなたの進退については、何も言えないというのが正直な気持ちだわ」

 

ライラクロスさんは、本当に誠実な方なのでしょう。

だからこそ、おためごかしや気休めを言ったりせず、結論が出せないという本音を聞かせてくださったのだと思います。

 

「いえ、わたくしの方こそ急にこのようなことを相談してしまって、申し訳ありませんでした。もう少し、自分で考えてみますわね」

「うん。せっかく相談してくれたのに、大したこと言えないで本当にごめんね。早くメジロレムさんのケガが治るよう、三女神様にお祈りしておくわ」

 

そう言って彼女は席を立つと、お大事に、と笑顔で言ってくださってから、校舎に向かって去ってゆかれました。

 

おそらくそのまま、トレーニングに向かわれるのでしょう。

 

走れないわたくしに気を使ってそのことを言わずに立ち去った彼女の気遣いに、わたくしは感謝するとともに、ちょっとした心の痛みを感じずにいられませんでした。

 

*

 

お昼休みのカフェテリアは、学園中のウマ娘が集結しているのではないかと錯覚させるほど、混雑しています。

自宅通いでお弁当を持ってきている娘もここで食べたりしていますから、あながちその印象も間違っていないのかもしれません。

 

「あの、ここよろしいでしょうか?」

 

そんなカフェテリアの一角に空席を見つけたわたくしは、先に席を取ってサンドイッチを食べていた娘に相席を申し入れます。

 

「あ、うん。大丈夫だよ!お昼休みってほんとここ混むわよね~……って。なんだ、あなたか」

 

最初の愛想はどこへやら、彼女はわたくしの顔を見た途端に無愛想な仏頂面になってしまいました。

 

「そこまで露骨に態度を変えられると、わたくしと言えどもさすがに悲しいのですが」

「なにあなた、ひょっとして私に友好的な態度で接してもらえるとでも思っていたわけ?お嬢様って人の心がわからないサイコパスな人が多いの?」

「わたくしも人の機微にさとくないのは自覚しておりますが、サイコパスはいい過ぎではありませんこと?」

 

わたくしが遺憾の意を表明しても、彼女――リナアラビアンさん――は何食わぬ顔をしてサンドイッチをぱくついているだけでした。

 

「で、メジロ家のご令嬢が私のような下々の娘に何か用でございますか?」

「リナアラビアンさん」

「なによ、あらたまって」

「こんなに混んでいるカフェテリアで一人お食事とは……ひょっとしてご友人がいらっしゃらないのですか?」

「ぶふぉっ!?」

 

わたくしの素朴な疑問に、なぜか彼女は飲みかけていたミルクティーを吹き出しそうになっておられました。

 

「ごぼっ、ごほっ……ごほっ………」

「だ、大丈夫ですか?」

「と、友達ぐらいいるわよ!今日はたまたまその娘が風邪引いて休んでるから、一人で食べているだけ!!」

 

確かに最近寒いですし、インフルエンザも流行ってきているようですから、そのようなこともあるのかもしれません。

わたくしも人のことを心配できるほど友人が多いわけではございませんが……彼女のご友人はその方しかいらっしゃらないのでしょうか?

 

先程も申しましたとおり、わたくしはそれほど人の気持ちがわかるタイプではないのですが、さすがにここはなにかフォローしておいたほうが良いような気がしてまいりました。

 

「リナアラビアンさん。友人の数が人間の価値を決めるわけではございませんわ。どうぞ、お気になさらず。それにリナアラビアンさんは、ウマドルとしてたくさんの方に愛されているではありませんか」

「……あなた、ひょっとして私にケンカ売りに来たの?」

 

なぜ、彼女はそのような結論に至ったのでしょう?

それはとんでもない誤解です。

 

う~ん……。

どうにも彼女とは会話の波長があわないようですわね……。

 

「いえ、断じて違いますわ。実はあなたにお祝いを持ってまいりましたの。香港マイル制覇、おめでとうございます」

 

わたくしは祝辞を述べながら、リナアラビアンさんに小洒落た小箱を差し出しました。

 

「あなたからのお祝い~?そんなものを差し出されると、なんだかケンカを売りに来たと言われる方がまだしっくり来るわね……」

 

これ以上ないほどのしかめっ面をこしらえて、そんな減らず口を叩きながらも彼女はわたくしのお祝いの品を受け取ってくださいました。

 

「これ、私が好きな店のモンブランじゃない。どうしてあなたが私の好物を知ってるのよ」

「……在校生ウマ娘名鑑のあなたのページに、好きなものとして書かれていたのを見ただけですわ」

 

どうせならサイコパスっぽく『大好きなあなたのことなら何でも知っておりますわ、うふふ』とか言って差し上げようかと思ったのですが、後輩をからかっても仕方ないですからね。

 

リナアラビアンさんはあ~、そういやそんなこと書いたっけ……と不機嫌につぶやきながらも、一応「ありがと」とお礼を言ってくださいました。

 

「それと、あなたに相談したいことがございまして」

「は?私に、相談事?」

 

ライバル、というより感情的にはカタキに近いわたくしの言葉に、彼女は怪訝さを隠そうともせず、わたくしの顔と手にしていた松葉杖を交互に視線をやります。

 

「……ま、もらうものだけもらって私の前から立ち去りなさい、じゃあまるでお金持ちのお嬢様みたいだし。聞くだけ聞いてあげるわ」

 

わたくしが彼女の定義するその【お嬢様】に当てはまるかは定かではありませんが、どうも彼女は【お嬢様】というものに偏見をお持ちのようです。

 

「……リナアラビアンさんは、そんなお金持ちのお嬢様にお会いしたことがあるのですか?少なくとも、わたくしはないのですが」

「奇遇ね、私もないわ。でも、私がイメージするお嬢様って人種はそういうことを言いそうだから別にいいのよ。で、話って何?」

 

その方の経済状況に特定の偏見を持って接するのはあまり良くないような気がするのですが、まぁその話は今度にいたしましょう。

 

「ご覧のとおり、先日のトレーニング中にこのようなケガをしてしまいまして。それで、トレーナーさんやお医者様からは引退を勧告されておりますの」

「あぁ、そうなんだ。それで?」

 

わたくしの話などまるで興味なさげに聞き流しながら、残っていたミルクティーを口に運ばれます。

 

「専門家のおっしゃることも分かるのですが、わたくしの中にはまだ、現役を続けたいという気持ちも残っておりまして。それで、どうしたものかと悩んでいるというのが目下の相談事でございますわ」

「あ~……そんなん好きにすれば?続けたいなら続ければいいし、やめたいならやめればいいじゃない」

 

にべもなくそう言うと、彼女はサンドイッチの最後のひとかけらを口に放り込みました。

 

「でも、あのマイルチャンピオンシップのあと、私言ったわよね?勝ち逃げは許さないって」

「わたくしもあなたとの再戦を楽しみにしているのですが……復帰までにはどうやら一年近くかかるようでして。仮に復帰できたとしても、その時に今の実力を維持できているかわからないのです」

 

わたくしの現状を聞いても、彼女はふん、と鼻を鳴らすばかりでした。

 

「それならさっさと治してターフに戻ってきなさいよ。落ちぶれて尾羽打ち枯らしたあなたに勝ったって、リベンジになりゃしないんだから。こんなところで私をダベってる暇があるなら、安静にしているなり、リハビリしたりしたほうがいいんじゃないの?」

 

そう言って彼女は荒々しく席を立ちます。

 

「勝ち逃げも、ケガを言い訳にして力を落とすことも許さないから」

 

こちらに指を突きつけ、そのまま立ち去ろうとしたリナアラビアンさんでしたが、一度こちらに振り返って「……とにかく、早く治すこと。いいわね?」と言い残したあたり、あの人も根は悪い人ではないのでしょうね。

 

*

 

午後の授業を終えて自宅に戻ると、時刻は4時半でございました。

 

いつも放課後は当然のことながらトレーニングに励んでおりましたから、このような時間に自宅にいると、なんだか気持ちが落ち着きません。

 

「……少し、疲れましたわね……」

 

お行儀悪く教科書の入ったバッグをソファーに投げ入れ、わたくしもそこにどさっと腰掛けます。

 

身体を動かしていないわけですから、疲れなど感じるはずもないのですが、どういうわけかそれでもわたくしは結構な疲労感を覚えておりました。

 

わたくしは一体、何に疲れているのでしょう。

自分のことが自分でよくわからなくなる、ということはきっと誰にでもあることなのだと思います。

そんなときわたくしはゆっくりと目を閉じ、自分との対話を試みます。

 

呼吸に意識を集中し、湧き出てきた自分への疑問を観察するのです。

 

わたくしは、どうして疲れているのか。

 

わたくしは、なんのために走ってきたのか。

 

わたくしは、誰のために走ってきたのか。

 

わたくしは……。

 

*

 

三人のウマ娘が、広い広い草原を疾走していました。

 

力強く、華麗に、自由に。

 

その中のひとりが一歩抜け出し、その差をさらに広げてゆきます。

そして、その先にいた一人のウマ娘に光り輝くバトンを手渡しました。

 

バトンを受け取ったウマ娘はコクリとうなずくと、彼女も駆け出してゆきます。

それからまた、バトンは次のウマ娘に託されました。

 

そんなバトンリレーが、幾度となく繰り返されます。

 

*

 

レース場は、熱気に包まれておりました。

 

『先頭はメジロアサマ、メジロアサマが先頭!内からは阪神大賞典ウマ娘が、外からは菊花賞ウマ娘が襲いかかる!しかし先頭はメジロアサマ!メジロアサマ、今一着でゴールイン!短距離向きのウマ娘と思われていたメジロアサマが、なんとなんと、長丁場の天皇賞を制しました!』

 

メジロアサマ……天皇賞を勝利した曾祖母様は大観衆に手を振りながら、ターフを、そして遥かその光の先まで駆けてゆかれました。

 

そして手にした煌々と輝くバトンを、光の先で一人の芦毛のウマ娘に手渡しました。

彼女はそれを受け取ると、使命感に満ちた表情で走り出します。

 

『さぁ最後の直線勝負、先頭はメジロティターン、メジロティターンが先頭!抜け出した抜け出した、菊花賞ウマ娘追いすがる、有馬記念ウマ娘も迫る!しかし粘る、メジロティターン粘る!メジロティターンが先頭でゴール板に飛び込んだ!優勝はメジロティターンです!『天皇賞ウマ娘の子は走らない』というジンクスを見事打ち砕き、母娘二代天皇賞制覇を成し遂げました!』

 

その光のバトンは、お祖母様からお母様へと手渡されました。

 

『天皇賞もクライマックスの直線を迎えました。先頭はメジロマックイーン、マックイーンが先頭!そのリードが二バ身、三バ身と開いていく!メジロパーマーも食い下がる、メジロライアンも来ている!しかし譲らない、メジロマックイーン譲らない!メジロマックイーン、今一着でゴールイン!春の盾を制したのはメジロマックイーン!メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンと母娘三代天皇賞制覇の偉業が今達成されました!』

 

そしてお母様の右手からお姉様に、左手からわたくしにバトンが手渡されます。

 

バトンを受け取り、先に駆け出したのはお姉様です。

わたくしは、一生懸命その背中を追いました。

遠い遠い、天才の背中を。

 

一生届かないと思っていた、その背中を……。

 

*

 

 

「……ム。レム?こんなところで寝ていると、風邪を引きますわよ」

「お母様……」

 

優しく揺らされた感覚に気づいて瞳を開けると、そこにはスーツ姿のお母様がいらっしゃいました。

おそらくなにか用事があって、仕事中に自宅へ戻ってこられたのでしょう。

 

どうやらわたくしはいつの間にか寝入ってしまい、夢を見ていたようです。

 

それは、不思議な夢でした。

 

連綿と繋がれてきた、レースを走り競うウマ娘のバトン。

 

曾祖母様から、お祖母様へ。

お祖母様から、お母様へ。

お母様から、お姉様へ、わたくしへ。

 

そのバトンのつながりは、血の繋がりだけではありません。

大レースに勝利し、歴史に名を刻んだ名ウマ娘も。

一度も勝てずにレースから身を引いた、無名のウマ娘も。

みなそれぞれに【想い】というバトンを握りしめて、懸命にレース場を駆け抜けたはずです。

はるか古の時代のウマ娘から、遠い未来のウマ娘へ。

これからも、そのバトンは受け継がれてゆくのでしょう。

 

自分と向き合っているうちにこのような暗示的な夢を見た、ということは、わたくしにも誰かにそのバトンを手渡す時がやってきたのかもしれませんね。

 

「お母様」

「どうしました?」

「わたくし、引退いたしますわ。おそらくわたくしはもう、レース場での使命を終えたのです。そうであるなら【想い】のバトンを、後続の方々にお渡ししたいと思います。お母様やおばあさま、それにひいおばあさま……先達の皆さまが、そうなさってきたように」

 

*

 

年が明け、そろそろ新年気分も抜けてくる時期の東京レース場にわたくしはいました。

 

広い東京の本バ場に立っているウマ娘は、まるで新品のように美しい勝負服に身を包んだわたくしだけです。

 

「レム、長い間お疲れ様!」

「決して丈夫でない脚で、お前は頑張った!よく無事に走り抜いてくれた!!」

「レム、今までありがとう!本当にありがとう!!」

 

笑顔で手を振るわたくしに、スタンドからたくさんの温かい声が聞こえてきます。

わたくしがターフに立つ最後の日に、これだけの人が集まってくださったことを本当に嬉しく思いました。

 

本日のレースが全て終わり、陽が傾き始めた東京レース場で、URAがわたくしのために引退式を主催してくださったのですね。

 

引退式などわたくしにとって過分な待遇であることは承知しておりますが、引退を発表した直後、URAの理事会から『メジロレムさんは史上初のスプリント・マイル・中距離の三階級制覇を成し遂げた名ウマ娘ですから、ぜひファンの皆さんに最後のあいさつをお願いします』と言っていただき、そういうことなら、とセレモニーを執り行っていただくことにしました。

 

*

 

引退を決めた際の、周囲の反響は様々でした。

 

お父様は「それがいい。今までよくがんばったな。お疲れ様」と言ってくださり、URA理事の一人として、わたくしの引退式の準備に奔走してくださいました。

 

そうしてねぎらってくださったのは、とても嬉しかったのですが……。

 

「レムがレースという厳しい世界から無事に引退できてホッとしたよ。でも、次はお前にできる恋人が心配だな……。いいか、レム。男はやはり、誠実なヤツが一番なんだ。だから、トレーナーと付き合うことだけは絶対に許さん。トレーナーになる男なんて、ろくなヤツがおらんからな!」

 

いや、お父様。

お姉様の恋人はトレーナーですし、お父様も元トレーナーでいらっしゃいますよね?

 

そういやアデリナさん(彼女のお母様はエイシンフラッシュさまです)ところも、お父様がトレーナーでいらっしゃり、どういうわけか同じようなことを言われているそうです。

 

ウマ娘を娶っているトレーナーが、ウマ娘の自分の娘たちに『トレーナーはいかん。信用できん!』と異口同音に言い聞かせるのは、なにかご自身にやましいことがあるからなのではないか、と勘ぐらざるを得ません。

 

そのアデリナさんとレアさんは、わたくしが引退することをお伝えしても、特別悲壮がるようなことはなさらず、それぞれに「そっか。長い間、本当にお疲れ様でした!」「自分で決めたことなら、きっと後悔はないわ」と短く餞別のお言葉をくださいました。

 

 

レアさんは宣言通り、年末の東京大賞典をラストランとし、引退なさいました。

 

「引退したらゆっくりできると思ってたけど、今度は引退式で全国から引っ張りだこでね。落ち着くのはしばらく先になりそう」

 

年明けすぐにお会いしたとき、彼女は贅沢なことをいって苦笑いを浮かべておられました。

 

レアさんほどの歴史的名ウマ娘になると、あちこちでG1を勝っているものですから、全国から『ぜひうちのレース場で引退式をしてください!』とお声がかかるのですね。

 

彼女のように複数のレース場でG1を勝っているウマ娘の引退式は、通常学園に一番近い東京レース場か、初めてG1を勝ったりしたような思い出深いレース場で引退式を行って、あとは丁重にお断りする、というのが定番なのですが、レアさんは声をかけてもらったレース場の引退式にはできる限り出席したい、とおっしゃっていました。

 

「やっぱり、ファンあってのレースだから。わたしを応援してくれたファンに最後の挨拶ができる機会があるなら、それは喜んで出席させていただくわ」

 

ファンのためなら文字通り東奔西走、まったく労を厭わない姿勢は、きっとお母様のスマートファルコンさまの影響なのでしょうね。

 

わたくしも人のことを言えませんが、血は争えないとはよく言ったものだと思います。

 

 

アデリナさんは無事にシニア二年目を迎えられ、今年はフェブラリーステークスから始動なさるんだそうです。

 

「レアちゃんが去ったあと、日本のダート界を引っ張るのはあたしだからがんばらなきゃ!」

 

元日、そんなメッセージとともに新年早々トレーニングに励んで汗だくになっている彼女の写った写真が送られてきました。

 

そんな努力家の彼女ならきっと、ファルコンレアという巨星が去ったあとの日本のダート界を、今以上に盛り上げてくださることでしょう。

 

 

ライラクロスさんも現役続行を表明なさっており、今年の目標にはなんと高松宮記念・安田記念・スプリンターズステークス・マイルチャンピオンシップの日本の短距離G1完全制覇を掲げていらっしゃいます。

 

「去年三階級制覇を成し遂げたメジロレムさんの引退は、非常に残念に思います。ですが短距離界には彼女以外にもリナアラビアンさんやピクトアデーラさんなどを筆頭に、優れたウマ娘がキラ星のごとくたくさんいます。そんな中で私は、あえて高い目標を掲げてそれに挑みたいと思っています!」

 

お正月の特番に出演なさっていた彼女は、全国ネットでそう宣言なさっていました。

 

「ファンの皆様の中には『短距離はすぐ終わっちゃうから、ダービーや天皇賞みたいにウマ娘同士の駆け引きを楽しむ間がなくつまらない』と言う方もいらっしゃいます。でも、そんな方たちにも絶対に熱くなっていただけるレースをするつもりでいます。短距離という刹那の時間に人生を懸けて、ひたむきに走るウマ娘たちにぜひご注目いただきたいです!」

 

それは彼女と同じく短距離を主戦場にしていたわたくしも、ひそかに願っていたことでありました。

ライラクロスさんならきっと、たくさんのファンの方たちを短距離路線に引きつけてくださることでしょう。

 

 

リナアラビアンさんはわたくしの引退に関してマスコミにマイクを向けられても、「そうなんですか。残念なことだと思います」と無味乾燥な社交辞令をおっしゃっただけでした。

 

本当は約束を守れなかったわたくしに怒り心頭だったかもしれませんし、案外、本当に何も感じていなかったのかもしれません。

 

そんな彼女は活躍の場を今年は世界中に求め、芝の1600Mのレースがある国へ積極的に遠征すると公式ウマックスにポストされていました。

 

実際今年の始動レースはオーストラリアのチッピングノートンステークスに標的を定め、その後は香港、アメリカへ転戦する予定だそうです。

 

ジャックルマロワ賞に香港マイルという、環境も芝の状態もまったく違う二カ国のG1をすでに勝っていらっしゃる彼女ですから、世界中どこに行ってもきっと素晴らしいレースを見せてくださることでしょう。

 

結局、彼女とは最後まで良い関係にはなれなかったのですが、こういう出会いと別れもまた、ひとつの人生経験なのでしょうね。

 

 

天皇賞のあと、お姉様は有マ記念を万全の状態で臨むためにジャパンカップを回避なさり、その執念が実って見事勝利を収められました。

 

そしてその有マ記念の勝利ウマ娘インタビューで『これが私の国内最後の勝利になるわ』という衝撃発言から、翌年の長期ヨーロッパ遠征計画を発表なさいました。

そのプランの内容は欧州のシニアレースシーズンが始まる初夏まで現地で生活してトレーニングを積み、6月から始まる欧州シニア路線レースのプリンスオブウェールズステークス、サンクルー大賞、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス、愛チャンピオンステークスに出走し、そしてその総決算として凱旋門賞に挑むという、遠大なものでした。

 

『私は必ず、世界一のウマ娘になってここへ帰ってくるわ』

 

年が明けてすぐ、お姉様は家族にそう宣言してフランスへ旅立たれました。

もちろんお姉様には世界一のウマ娘になっていただきたいのですが、なによりまず彼の地で無事にレースを走り切り、元気な姿でわたくしたちの家へ戻ってほしいと心より願っております。

 

 

お母様は「本当にそれで後悔はありませんか?」とわたくしの気持ちを確かめてくださり、その問いかけにわたくしは「はい。家族の……お母様の支えがあったからこそ、わたくしは最後までやりきることができました」と胸を張ってお返事することができました。

 

「レム。本当に、お疲れさまでした。がんばりましたね」

「お母様。わたくしはお母様の娘として……メジロの娘として、恥ずかしくないウマ娘になれたでしょうか?」

 

そんな問いかけに、お母様は言葉ではなく、わたくしを力いっぱい抱きしめることでお答えくださいました。

 

お母様の抱擁から与えられる安心感と喜びに、きっとわたくしはいつまでもお母様の子供なんだろうな、と思わずにいられませんでした。

 

*

 

脚のケガのせいで、東京レース場にお集まりいただいたファンの皆様に披露できたのは最後のウイニングランならぬ、ウイニングウォークになってしまいました。

 

それでも今日集まってくださったファンの皆様は、わたくしの名を繰り返し呼び、戦いの場から去ろうとしているわたくしを惜しむ声をたくさんかけてくださいました。

 

「レム。おつかれさま」

 

わたくしが通過する最後のゴール板前で待っていてくださったのは、笑顔のトレーナーさんでした。

 

思えば勝利して栄冠を掴んだときの感動も、負けて悔し涙に泣きぬれた無念も、わたくしのゴールを待っていてくださったトレーナーさんと分け合ってまいりました。

 

わたくしのレース人生は決して平坦なものではありませんでしたが、いつもわたくしを信じて待っていてくれるトレーナーさんがいたからこそ、きっと最後まで戦い続けることができたのでしょう。

 

「トレーナーさんも、お疲れ様でございました」

「こうしてレース場にあなたとやってくるのも、今日が最後なのね」

 

【ふたり】で戦い抜いたレース場を見渡しながら、トレーナーさんは感慨深くおっしゃいます。

 

「そうですわね。ありきたりな言い回しになってしまいますが、長いようで短かったレース生活でしたわ」

「確かにね」

 

引退するとなると、トレーナーさんとはもう、毎日顔を合わせるということがなくなってしまいます。

 

同じ学園にいるわけですからこれが今生の別れになるというわけでもないのですが、わたくしはこれから大学進学へ向けて勉学に励むことになりますし、トレーナーさんもきっとすぐに、新しいウマ娘を担当なさることでしょう。

 

お互いの存在が、日常から少しずつ、思い出になってゆくのです。

 

これからはもう、意見をぶつけ合ったり、そのせいで時には言い争いになったり……ふたりでお茶でも飲みながらたわいもないお話をして笑い合う、なんてこともなくなってしまいます。

 

「トレーナーさん」

「なに?」

「長い間、本当にお世話になりました。あなたがトレーナーでなければ、わたくしはきっと最後まで競走生活をまっとうすることができなかったことでしょう。あなたがわたくしのトレーナーで、本当に幸せでした」

 

わたくしは今までの感謝と、彼女が注いでくださった愛情に対して敬意を込めて、カーテシーで膝を折り、深くお辞儀をいたしました。

 

「……私の方こそ、あなたを担当できて幸せだったわ。本当に、ありがとう。そして、ごめんなさい。至らないところばかりで、あなたには余計な心配と苦労を……」

 

今日は絶対に泣かない、笑顔でレムを見送ろうって決めてたのに……というつぶやきとともに、頭上から熱いしずくが滴り落ちてくるのが感じられました。

 

冬枯れの東京レース場の芝生の上に小さな水滴がたくさん散らばっていたのは、きっとそのせいでありましょう。

 

*

 

レースから身を引いたわたくしは、ウマ娘外科の医師になるべく、勉学を開始いたしました。

 

わたくしのように、ケガに泣くウマ娘たちを減らしたい。

立派なお医者様になって、少しでもウマ娘医学の発展に貢献したい。

 

そんな思いから医学の道を志すことにしたのです。

 

勉強は元々それほど苦手というわけではなかったのですが、医学部を目指すとなると学力的に至らないところだらけであり、現役時のトレーニング以上の時間を勉強に割り当てることになりました。

 

でも、つらいことなんて少しもありません。

それに、根性だけはそれなりに鍛えてきたという自負がございますからね。

 

新しい夢に向かって、わたくしの【レース】は今始まったばかりです。

 

 

レース場には、今日も新しいヒロインの登場を待ち望むたくさんのファンの方が詰めかけます。

 

その期待に応えるべく、我がメジロ家も次々と新たなヒロインをレース界に送り込んでおりました。

 

メジロブライト様のご令嬢で、去年の菊花賞を制したメジロプリンセスさん。

今年の川崎記念を制し、フェブラリーステークスでもフラッシュアデリナさんの2着に入ったメジロの砂の新星、メジロアルタイルさん。

シルクロードステークスであのライラクロスさんと接戦を演じ、今年の短距離路線の惑星として注目を集めるメジロガーベラさん。

 

シニア戦線だけでなく、クラシック路線にも何名ものメジロ家の俊英が名乗りを上げており、きっと彼女たちは今年の王道路線を盛り上げてくれることでしょう。

 

もちろんメジロの娘たちがレース界を盛り上げるのは、今年に限った話ではございません。

 

この世にレースというものがある限り、ウマ娘というものがファンに愛され続ける限り、メジロ家はターフに、ダートにその栄光を刻み続けるのです。

 

*

 

メジロレム主要データ

 

誕生日:4月22日

体重:もうこれ以上ない、最高の仕上がり。

身長:158センチ

スリーサイズ:89・58・85

 

母:メジロマックイーン

 

 

全成績

 

・ジュニア級

メイクデビュー芝1200M:3番人気 2着 勝ち(2着)ウマ娘:キャロットキャロル

 

未勝利戦芝1400M:2番人気 1着 勝ち(2着)ウマ娘:(リボンアルテア)

 

プレオープン芝1200M:3番人気 2着 勝ち(2着)ウマ娘:ライトブレイヴ

 

・クラシック級

マーガレットS(OP)芝1200M:5番人気 1着 勝ち(2着)ウマ娘:(カリンシュガー)

 

・シニア級

 

ラピスラズリS(OP)芝1200M:4番人気 1着 勝ち(2着)ウマ娘:(ホーリーサイレンス)

 

シルクロードS(GⅢ)芝1200M:4番人気 2着 勝ち(2着)ウマ娘:ライラクロス

 

高松宮記念(GⅠ)芝1200M:8番人気 1着 勝ち(2着)ウマ娘:(ライラクロス)

 

安田記念(GⅠ)芝1600M:6番人気 2着 勝ち(2着)ウマ娘:リナアラビアン

 

スプリンターズS(GⅠ)芝1200M:3番人気 1着 勝ち(2着)ウマ娘:(ライラクロス)

 

天皇賞秋(G1)芝2000M:4番人気・1着 勝ち(2着):ウマ娘:(メジロラム)

 

マイルチャンピオンシップ(G1)芝1600M:1番人気 1着 勝ち(2着)ウマ娘:(リナアラビアン)

 

11戦7勝

 

主な勝ちレース

高松宮記念

スプリンターズステークス

天皇賞・秋

マイルチャンピオンシップ

 




読了お疲れさまでした。

およそ半年に渡って掲載させていただいた【メジロの娘】も、
今回を持って最終回にさせていただきました。

アスリートの引退というのは、ただの感動とかだけではなく、
なにか強烈に訴えかけるものがあるように思います。

一人の人間が人生を懸けて打ち込んできたものの幕を引く、
というのはどのような気持ちなのか。

人はみんな、どんなことでもいつか幕を引かねばなりません。
それはきっと、仕事だったり、趣味だったり、
もしくは人間関係だったりすることでしょう。

悲しいことを言えば、誰もがいつか必ず、人生という舞台に
幕を下ろさねばならないのです。

誰にでもいずれやってくるその瞬間に思いを重ね合わせるから、
アスリートの引退に心が引き付けられるのかもしれませんね。

実のところ【メジロの娘】は前回連載していた
【エイシンフラッシュの娘】ほど数字は伸びませんでしたし、
こういう話を面白いと思っているのは自分だけなのかなあ……などと
疑心暗鬼になりながら書いていた時期もありました。

それでも温かい感想や高評価をいただけたこともあり、
それを支えにしてなんとか最後まで書き上げることができました。

私のようなアマ物書きは、もちろん書く本人が楽しいから書いているわけですが、
やはり読んで反応をくださる方がいないと、書き続けるのは難しいのですね。

媚びているように聞こえなければよいのですが、この作品は書いた私と
よんでくださった皆様で書き上げたものだと思っています。

拙い作品を最後まで支えてくださった読者様には、感謝しかございません。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

皆様のウマ娘ライフにガチャ運と育成上振れが訪れることを祈りつつ、
筆を置きたいと思います。
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