※オリウマ娘注意です。
誕生日:4月22日
体重:ふっくらとした、いい仕上がり。
身長:158センチ
スリーサイズ:89・58・85
メジロレムのヒミツ2・実は双子の姉より胸が大きい。
主に筋トレのために使われるトレーニングルームは、練習バ場とはまた違った熱気に満たされています。
練習バ場で感じるのが外向きで解放感に溢れた熱気だとすると、ここはひたすらに己の内側と向き合って自分と対話するような、そんなストイックな空気に満ちているようにわたくしには感じられます。
「ふぅっ……」
チェストプレスマシンでトレーナーさんに言われた回数をこなしたわたくしは、自分への課題をやりきった小さな達成感を味わいつつ、大きな息を吐き出しました。
シルクロードステークスを2着したあと、ちょっとした故障(とトレーナーさんとのいざこざ)があったりいたしまして、通常の走り込みができなくなったわたくしは、学園内でもトップトレーナーであらせられる、トレーナーさんのご令姉様のアドバイスも得ながら、上半身を鍛えるトレーニングを重点的に行うことにしたのですね。
わたくしのように短距離を走るウマ娘は、中長距離を走るウマ娘よりも、上半身にまとう大きくて強力な筋肉というものがより重要になるということもございます。
上半身を鍛えることにより、短距離に必要な瞬発力を爆発的に引き出すパワーと、体がブレなくなるバランス力が身につくからです。
陸上競技を観戦なさる方々はご存知かと思いますが、長距離ランナーの選手は下半身も上半身も細身の方が多いのですが、長距離選手に比べると、短距離選手の方々は総じて上半身が大きい選手が多いですよね。
それには、先程申し上げたような理由があったりいたします。
「お疲れ、レム。今日の課題はもう終わった?」
よく冷えたスポーツドリンクと清潔なタオルを手にトレーニングルームに入室してきたのは、わたくしのトレーナーさんでございました。
「はい。チェストプレスマシンとダンベル、それに腹筋運動は全て終えましたわ」
「オッケー。じゃあ今日は、この辺にしとこうか。やり過ぎるのも、あんまり良くないみたいだしね」
そうおっしゃりつつ、トレーナーさんはスポーツドリンクとタオルをわたくしに手渡してくださいます。
わたくしはカフェオレやミルクティーなど、甘い飲み物も大好きなのでございますが、激しいレースやトレーニングのあとに飲む冷えたスポーツドリンクは、また格別なものがあります。
「ふぅ……おいしい」
「それはよかった。明日には足首の包帯も取れて通常のトレーニングもできるようになるし、私たちのペースで頑張っていきましょうね」
トレーナーさんのお言葉に身が引き締まったわたくしは、その思いを少しでもお伝えしようと真剣な面持ちでうなずきました。
「走り込みの方はしばらく脚元への負担が少ないポリトラックを中心に、半マイルほどの短いダートや坂路を織り交ぜてやっていくミックストレーニングになるかしらね。上半身の筋トレは、引き続きやっていきましょう。短距離を走るなら、上半身の強化はこれからの課題になってくるだろうし」
「そうですわね。がんばりますわ」
「まぁ、上半身の強化については、あんまり心配してないんだけどね。レムはどう見たって短距離向きの体つきしてるもんねえ」
なにやらいやらしい笑みを浮かべて、トレーナーさんはわたくしの胸部に意味ありげな視線を向けます。
「……女性同士とはいえ、そんな目で胸部を見ないでください」
わたくしの胸部はなんといいますか……少しばかり起伏に富んでいるといいますか、平均より少しばかり、大きいみたいなのですね。
バストが大きいことを羨ましがられることもございますが、周り(特に男性……)からは好奇の目で見られることもございますし、お姉様からは『レムに女性ホルモンを全部持っていかれた』と、よくからかわれます。
ちなみにお姉様は走りの才能も体型もお母様から完全に受け継いだらしく、ステイヤーらしいスレンダーな体つきをしていらっしゃいます。
あまりにお姉様がわたくしの胸部をからかうので、『じゃあおっぱいを差し上げますので、その競走能力を分けてくださいまし』と言い返すと、すごい目で睨まれてしまいました。
……ツリメのお姉様に睨まれると、それはそれは怖いものがあるのです。
わたくしもよく似た瞳の形をしているのですけれどもね。
バストの話で思い出したのですが、そういえば以前、家族で食事をしていた時にこの話になって(わたくしの家の食卓というとお堅いイメージがあるかもしれませんが、そんなことはございません)、お父様いわく、『レムは、メジロ家における北の踊り子の因子が開花したんだろうな』とよくわからないことを仰っていました。
その瞬間、お姉様の突き刺すような視線を浴びつつ、隣に座られていたお母様の肘鉄を食らってスープを吐き出されたのには、不覚にも少し笑ってしまいましたが。
だいたい、【胸の大きいウマ娘は短距離向き・スレンダーなウマ娘は長距離向き】なんて俗説は、しょせん俗説でしかないとわたくしは思っております。
確かにアストンマーチャンさま・タイキシャトルさま・ヤマニンゼファーさまなど、短距離にはスタイルの良い、きらめくばかりの実績を持ったウマ娘が勢ぞろいしているような印象もございますが……。
長距離にはスーパークリークさまやゴールドシップさまというスタイルの良い長距離のレジェンドがいらっしゃいますし、短距離にも【華麗なる一族】・ダイイチルビーさまというスレンダーで美しい名ウマ娘がいらっしゃいます。
これを見ただけでも、ウマ娘の体型と適性は一概に言えるものではない、ということが分かろうものです。
「ま、おっぱいのことはともかくとして、レムが短距離向きのウマ娘なのは間違いないわ。筋肉の付き方が上半身も下半身も、完全に短距離ウマ娘のそれだから」
……それが分かっているのでいらっしゃるのであれば、おっぱいのことは別に言わなくても良かったのではないですか?
言っても詮無いことのような気がしたわたくしは、ただただ黙ってうなずいておくだけにしておいたのでありました。
そんなこんなで筋トレを終えたあと、明日からは通常の走り込みも再開できるということもあり、これからのことを話し合うためのミーティングの時間を設けることにいたしました。
「さて。レムにはなんだかんだ迷惑かけたけど……明日から走り込みも再開できることだし、しっかりとこれからの計画を話し合いましょう!」
意気込むトレーナーさんに、わたくしは同意の頷きを返します。
「なにはともあれ、まずは目標よね。目標のないレース生活なんて、行き先を決めない放浪の旅みたいなものだもの。この春の目標はもちろん……」
そう言ってトレーナーさんはわたくしに手を差し出します。
その先は自分で言いなさい、ということなのでしょう。
「3月末に行われる、G1・高松宮記念ですわね」
わたくしの言葉に、トレーナーさんは満足げにうなずかれました。
「阪急杯は私のミスでダメになっちゃったけど……今度は、あんなヘマは絶対にしない。私のトレーナー生命にかけて、あなたを最高の状態で高松宮記念に出走させてみせるわ。当然、あなたの脚に対するリスクと、トレーニングの質のバランスを考えながらね」
そうおっしゃってくださるトレーナーさんは、以前よりかなり頼もしく見えました。
わたくしが言うのもなんでございますが、今回のことでトレーナーさんも一皮むけたのかもしれません。
「トレーニングルームでもちょっと言ったけど、基本的なトレーニングの方針は、脚への負担が比較的少ないポリトラックを中心に走り込んで、その日の脚の様子を見ながらダートや坂路を織り交ぜていきましょう。あと、今まではあまり取り入れてこなかったけど、プールトレーニングもやっていきたいと思っているのよね」
「プールですか?」
プールは主に心肺機能を高める効果が期待できるトレーニングで、そのあたりの能力の差が如実に出る中長距離を走るウマ娘たちは積極的に取り入れているトレーニングです。
もちろん心肺機能はわたくしのような短距離を走るウマ娘にも必要な能力ではありますが……持っているスピードを瞬間的に引き出すトレーニングや、体幹のバランスを鍛えるトレーニングに比べると優先度がどうしても落ちてしまうので、短距離を主戦場としているウマ娘はあまりトレーニングメニューに組み込まないのが普通です。
「うん、色々な資料や文献、論文を調べて考えてみたんだけどね。やっぱりポリトラックを中心としたトレーニングだけだと、レムの素質を完全に引き出すのは難しいみたいなのよ。かと言って……前回みたいに限界を探るような、無理な走り込みは絶対にさせられない」
トレーナーさんがそれをわざわざ口に出したのは、自分を戒めるためだったのでしょうか。
その言葉に、わたくしは小さく首肯しました。
「それなら他の短距離ウマ娘があまりやらないプールトレーニングを取り入れて、スタミナと持久力を強化してみたらどうかなって思ってね。プールトレーニングなら脚元への負担はほぼゼロだし、レムは特に長くいい脚を使えるタイプだから、そのロングスパートの距離を伸ばすためにも最適なトレーニングだと思うわ」
きっとトレーナーさんも、脚元の弱いわたくしの力を引き出すために一生懸命トレーニングメニューを考えてくださったのでしょう。
それに、今回のトレーニングメニューはただただ厳しいだけでなく、理論に裏打ちされたもののようにわたくしには感じられました。
「とまあ、私の考えはこういう感じなんだけど、レムはどう思う?」
もちろん基本的にウマ娘のトレーニングはトレーナーが組み立てたカリキュラムに沿って行われるわけですけれども、こうしてわたくしの意見を聞こうとしてくださる気持ちが嬉しいのですね。
そうしてくださると、わたくしも二人で目標に向かってがんばっている、という気持ちになれますから。
「はい、良いと思います。G1という大舞台目指して、がんばっていきましょう」
「きっとそう言ってくれると思っていたわ。じゃあ早速、プールに行ってクロール200Mのトレーニングしましょう!」
「あ、申し訳ありません。さすがに今日は水着を持ってきていないので……」
わたくしが苦笑いしてそう言うと、トレーナーさんも同じような表情を浮かべられました。
「それもそっか。なんだか締まらないのも、私たちらしいのかしらね。じゃあ今日はしっかりポリトラック走り込んでおきましょうか」
トレーナーさんのご指示に、わたくしは「承知いたしました」としとやかに答えたのでした。
まだまだ寒い日も多いとはいえ、3月に入るとかすかに春の気配を感じる日もございます。
今日はちょうどそのような日で、気温もこの季節にしては暖かく、空は抜けるような快晴です。
ウマ娘であれば誰しも、1年中こんな天気ならトレーニングもさぞはかどるに違いない、と思うような日に、わたくしはポリトラックを走り込んでおりました。
トレーナーさんがストップウォッチを持って待っていらっしゃるゴールに向かって、目一杯駆け抜けます。
「ゴール!」
トレーナーさんのその声を聞いて、わたくしはギャロップからキャンターへとスピードを落とし、彼女のもとに駆け寄りました。
「ふぅっ……いかがでしょう、タイムのほどは?」
わたくしの問いに、彼女は今日の太陽のような笑顔を浮かべながら、ストップウォッチを私に見せてくださいました。
「自己新更新よ!最近がんばっている成果が少しずつ出始めてる感じね」
彼女のその言葉に、わたくしもつい笑みがこぼれてしまいます。
こうして努力の果実が実を結んでいる実感が得られるというのは、やはり嬉しいものです。
「ありがとうございます。では、もう一本行ってきますね」
そういって駆け出そうとすると……。
「ライラクロス!スピード落ちてきてるぞ!!しっかり脚を動かせ!」
「はいっ!うおぉおぉおぉぉっ!!」
隣の坂路コースから、そんな大きな声が聞こえてきました。
わたくしがここから確認できただけでも、あの坂路ダッシュは4本目のはずです。
シルクロードステークスでわたくしに実力と執念の違いを見せつけ勝利したG1ウマ娘のライラクロスさんは、その後阪急杯に出走し、これを貫禄のレコード勝ち。
【短距離界の新星】として注目を集める彼女は、そのタイトなレーススケジュールの疲労を感じさせるようなこともなく、連日ハードなトレーニングに取り組んでおられました。
あれだけの実績のある娘が、あんなにタフなトレーニングをがんばっていらっしゃる。
わたくしもわたくしなりに努力しておりますが……。
「レム。焦る気持ちはわかるけど、私たちは私たちのペースがあるわ。……って言われても、気になるわよねぇ」
「……ですわね」
硬い表情をしてうなずくわたくしに、トレーナーさんはなぜかニヒルな笑顔でサムズアップを向けてこられました。
「でも、大丈夫!こういう状況だと、誰だって焦りを感じて当然よ。その焦りを不安やリスクの高いオーバーワーク、諦めにしてしまうんじゃなくて、挑戦しているからこその感情と捉えて私達の最善を尽くしましょう」
こういう状況だったら、誰だって焦る。
その焦りを不安にしてしまうではなく、挑戦しているからこその感情と捉える。
そう言っていただけると、強度が大きいトレーニングができないという現実は動かないにせよ、気持ちが前向きになって今できることを、できるだけはやろうという気になってまいります。
こういうお言葉を聞くと、トレーナーさんは本当に変わろうとしていらっしゃるのが感じられます。
わたくしも、それに応えなければ。
「そうですわね。今できることの最善を、ですわよね。……トレーナーさん、ありがとうございます」
わたくしが改めてお礼を言うと、トレーナーさんは照れくさそうに手を振って「はやくスタートラインに立ちなさい」と言ってくださったのでした。
「とまあ、今日のミーティングはこんなところね。なにか質問とか、確認しておきたいことはある?」
「いえ、特には」
トレーナーさんの質問に、わたくしは静かに首を横に振りました。
ここのところ、毎日のようにトレーニング後にはトレーナー室でミーティングを行っております。
わたくしもトレーナーさんも、初めてG1という大舞台に挑むわけでございまして、トレーニングというハード面以外にも資料やデータの収集、お互いの認識の共有などのソフト面もやれることは全部やっておきたい、というところなのですね。
「じゃあ今日はこの辺で……と思ったけど。レム、ちょっと待って」
なにか他に確認しておくことがあったのか、トレーナーさんは席を立ったわたくしを呼び止めます。
「いかがなさいましたか?」
「そういえばG1だと、レースに出走する時は体操服じゃなくて勝負服を着るわよね?レムは勝負服、どうするつもりなの?」
「ああ、そのことですか。勝負服でしたら入学時にお母様から賜っておりますので、それを着てG1に臨むつもりですわ」
わたくしたちメジロのウマ娘は、入学時に母親から『これを3回着られるよう、がんばりなさい』というお言葉を賜りつつ、勝負服を手渡されるのがならわしになっております。
その言葉の真意は、といいますと……メジロ家に生を受けたウマ娘は、たとえ未勝利に終わろうとも、必ず2回は勝負服に袖を通します。
1回目は、勝負服をお母様から賜った日。
2回目は、そのウマ娘によって違います。
初めてG1に出走する日か……引退が決まってレース界にお別れを告げる日です。
引退が決まるとメジロ家のウマ娘は皆、母親から入学時に贈られた勝負服を着て、その姿をカメラに収めます。
当然といえば当然なのですが……3回以上着ることができたウマ娘と、2回しか着ることのなかったウマ娘では、記念撮影に写る表情はまったく違ったものになります。
3回以上着ることのできた先達たちの表情は誇らしいもので、メジロ家の矜持を感じさせるものばかりです。
対照的に、2回しか着ることのできなかった先達たちの表情は様々です。
必死に涙をこらえてカメラを睨みつけている方もいらっしゃれば、なんの感情も感じさせない、無表情で写真に収まっている先達もいらっしゃいます。
もちろん、G1という大舞台に立つことは叶わなかったものの、精一杯トゥインクルを駆け抜けた達成感に満ちた表情で写っていらっしゃる先達も、たくさんいらっしゃいました。
そしてその写真は【メジロ家の歴史】として、連綿と続く先達たちの蹄跡とともに、アルバムに収められるのです。
強調しておきたいのは、この【伝統】を拒否したメジロ家のウマ娘は過去に一人もいなかったということです。
たとえ1度も勝てずにレースから身を引くことになったとしても、メジロ家の名を背負い、人生を懸けてレースを戦ったという事実は、この家に生まれた者にとって誇らしいものなのです。
そういうこともあって、3回勝負服を着ることができたということは、G1に出走することができたということであり、メジロ家の母親が娘に勝負服を手渡す際の言葉には【G1に出られるような立派なウマ娘になって欲しい】という、母親からの激励と期待が込められているのですね。
そのようなことをトレーナーさんに手短にお話すると「メジロ家にとっても、やっぱりG1という舞台は特別なのね……」とつぶやいて、神妙な表情を浮かべられました。
「レム。その大舞台に恥じないレースができるよう、私たちのベストを尽くして挑みましょう」
トレーナーさんの真剣な口調に、わたくしは力強く首を縦に振ったのでした。
充実している日々というものはあっという間に過ぎ去ってしまうものでして、G1・高松宮記念が明日に迫ってまいりました。
初めてのG1に向けたトレーニングは順調そのもので、相変わらず強度の大きいトレーニングを積むことはできなかったものの、最終追い切りではダートを目一杯駆け抜けることができましたし、タイムもその日の一番時計に近いものを出すことができました。
調子はまさに絶好調といったところです。
今日はトレーナーさんの「早めに切り上げるから、明日に備えて英気を養っておいてね」というお言葉もあり、久しぶりに陽のあるうちに帰宅してゆっくりと夕食を楽しむことができました。
夕食は家族みんなでいただいたのですが、G1の前日といえど特に変わった会話があったわけでもなく、お母様、お父様、お姉様それぞれから『明日は初めてのG1だね。がんばりなさい』みたいなことを一言ずつ頂戴したのみでした。
正直にいうと少しばかり拍子抜けしたのですが、お母様やお姉様はいくつもG1を制覇されているわけですし、お父様もURAの理事職につくまでは名トレーナーとして名を馳せ、何度もG1を獲得なさっています。
そう考えると、わたくしがG1に初めて出走するくらいのことは家族にとって何でもないようなことなのでしょうけど、もう少し激励のお言葉をいただきたかった、と思うのは末っ子の甘えなのでしょうか。
「ふぅ……」
そんな思いを抱きつつ、わたくしはバルコニーに赴きました。
わたくしにしては珍しいのですが、いつも就寝する時間になっても眠気がやってこないのです。
やはり明日の大舞台を前に、精神が張りつめているのでしょう。
夜のバルコニーは、小さい頃からわたくしのお気に入りの場所です。
今日のように気持ちが張ってしまっているときや、悩みごとがあって気分が落ち込んだときは、ここにやってきて夜空にまたたくお星さまやお月様を眺めるのですね。
こうして夜空を眺めていると、この宇宙(そら)にある星の数に比べれば、わたくしの悩みなんてささやかなこと、と思えて少しばかり視野が広がるのです。
残念なことに今宵は曇り空で、あまり多くの星を目にすることはできなかったのですが……それでも雲間から垣間見える星たちの明かりは、わたくしの緊張した心を少しばかり慰めてくれたように感じられました。
もう少しだけそんなお星さまたちを眺めて、お部屋に戻るといたしましょうか。
ここから見える星の数を数えているうちに、眠気もやってくるかもしれませんからね。
「レム」
そんなことを考えていますと、不意に背後から声をかけられました。
「お母様」
少しばかり驚いて振り向くと、そこには右手に魔法瓶を携えた、パジャマ姿のお母様がいらっしゃいました。
「やはり、ここにいると思いましたわ。眠れないのですか?」
「ええ。お恥ずかしながら明日のレースのことを思うと、緊張してしまって……」
心配そうなお顔でそう聞いてくださるお母様に、わたくしは苦笑しながら本当のことをお伝えします。
「恥ずかしいことなんてあるものですか。私も初めて出走したG1の前夜は、ほとんど眠れませんでしたからね」
「……そうなのですか?」
お母様は初重賞のタイトルがG1の菊花賞という、その才能にふさわしいキャリアの持ち主です。
そして、お母様ほどファンや関係者にその才能を認められ、【勝って当たり前】と思われていたウマ娘も少ないでしょう。
お母様は現役中に21戦を走っていらっしゃいますが、その中で1番人気にならなかったレースはわずか3戦しかないのです。
そんなお母様でさえ、初G1の前夜は眠れなかったとは。
「まぁ、ラムはそんなことなかったようですけど。あの娘、初G1のホープフルステークスの日の朝はぐっすり寝すぎて寝坊した挙げ句、心配して連絡をくださったトレーナーさんに『乙女の睡眠の邪魔をするとは……これはお説教ね』とか言って時間ギリギリに出かけていきましたからねぇ」
「お姉様は通常の秤を超えた天才でいらっしゃいますから……」
「実力は認めますけれどもね。ラムにはもう少し、メジロ家の一員という自覚を持った言動を心がけてほしいものですわ」
お姉様はその……確かに超一流の天才ウマ娘でいらっしゃるのですが……なんといいますか、大胆素敵と申し上げますか、ある意味天才らしいかなり破天荒なところもあり、わたくしたち凡人には想像もつかない発言や行動で、たびたび周囲を驚かせるのです。
そんなお姉様の言動を思い出されたのでしょう。
ちょっと困ったようなため息をつきながら、お母様は手にしていた魔法瓶をあけると、コップに中身を注がれました。
そして湯気の立つそのコップを、そっとわたくしに差し出してくださいます。
「これは?」
「甘いホットミルクですわ。大レースを前にして眠れない時、私もよく飲んだものです。眠れるかどうかはともかく、体が温まって気持ちが落ち着きますわよ」
この時間ですとキッチンには誰もいないでしょうから、お母様がわたくしのために、わざわざ温めて持ってきてくださったのでしょう。
「お母様……。ありがとうございます」
わたくしはそれを丁寧に受け取り、ゆっくりと口へ運びました。
優しい甘さと暖かさが口内を包み込んでくれて、それが喉からお腹の中に広がっていくのが感じられます。
それはまるで、お母様の優しさがわたくしを包み込んでくださっているようでした。
「お母様。明日のレースはきっと……お母様からいただいた勝負服と、メジロ家の名に恥じないものにいたしますわ」
誓いを口にするわたくしに、お母様はうなずかれると。
「よく言ってくれました。かあさまはそんなあなたを、誇りに思いますよ。でもね、レム」
お母様は持っていた魔法瓶をテーブルに置くと、その空いた手でわたくしの両肩にそっと触れられました。
お母様の温かい手の感触が、わたくしの肩に伝わってきます。
「明日はレムらしい走りでレースを、あなたの大好きな走ることを楽しんでください。そして、ケガなく無事に、私のもとへ帰ってくるのですよ」
優しく微笑んでそう言ってくださるお母様に、わたくしはただただ、うつむき加減でうなずくだけでありました。
決戦当日の朝。
わたくしは自室の窓がなにかたくさんの小さなもので叩かれているような、そんな物音で目を覚ましました。
お母様のホットミルクのおかげでしょうか。
睡眠時間こそいつもより短くなってしまったものの、ぐっすりと眠ることができたようで、寝不足を感じるような目覚めではありませんでした。
いつもより薄暗い自室の窓まで歩き、カーテンを開けると、大きな雨粒が絶え間なく窓を叩いています。
それを見たわたくしは……少々はしたなかったかもしれませんが、思わず小さくガッツポーズを作ってしまいました。
……お母様が敗れ去った、あの天皇賞(春)の当日、ライスシャワーさまの陣営が唯一恐れたものをご存じでしょうか?
それは【雨】です。
お母様は水をたっぷり含んだ重バ場や不良バ場でのレースを、大の得意となされていました。
あの日、もう少しバ場の乾きが遅かったら(当日のバ場状態はやや重でした)歴史が変わっていたとまでは申しませんが……ライスシャワーさまは、もっと苦戦を強いられたはずです。
わたくしは競走能力こそお母様から受け継ぐことはできませんでしたが……この特性だけはしっかりと受け継いたらしく、故障前にあげた2勝は重バ場と不良バ場でのものなのですね。
わたくしにとって、この雨はまさに恵みの雨といったところです。
もちろんこれだけで勝てる条件は整った、などと考えるわけではありませんが、自分の実力以上のものを出せる都合の良い舞台になったことは間違いございません。
「今日のレースは、楽しいことになりそうです」
むろんこれが初G1出走に不安を覚えているウマ娘の強がりであることは否定いたしませんが、ほんの少し本音も織り交ぜてそうひとりごち、パジャマのボタンに手をかけました。
朝から降り続いている雨はまったくやむ気配を見せず、むしろ時間が過ぎるごとに雨脚は強くなる一方でした。
「おはよう、レム。今日はいい天気になったわね」
もうすでに待ち合わせ場所の学園正門前で待ってくださっていたトレーナーさんは、わたくしの顔を見るなり、いたずらっぽい笑みを浮かべてそんなことをおっしゃいます。
「まったくです。天もわたくしの初G1出走をお祝いしてくださっているのでしょう」
差している傘も役に立っているのか怪しいぐらいの土砂降りの中、こんな会話を交わしているのは日本全国でわたくしたちぐらいかもしれません。
そう考えると、大舞台の前だというのになんだか妙に愉快な気持ちになってしまいます。
「待っている間に、今発表されている中京レース場のバ場状態を調べてたんだけどね。どうやら今の時点ですでに重バ場になってるみたい。この調子だとメインレースの時間には、きっと不良バ場になっているわね」
そういうトレーナーさんに、わたくしはにっこり笑ってうなずきます。
バ場の状態が悪くなればなるほど、重バ場適性が高いわたくしにとっては有利な状況になるからです。
「今日がもし、パンパンの良バ場でも私はレムの好走を信じるけど……今日は面白いことになるかもしれないわね」
「そうなるよう、わたくしも死力を尽くすつもりですわ」
そんな言葉をかわしながら、わたくしたちは学園の最寄り駅へ向かって歩き始めました。
「似合うじゃない。とても綺麗よ、レム」
控室の姿見で勝負服の最終チェックをしていたわたくしに、トレーナーさんはそんな言葉をかけてくださいます。
「ありがとうございます。この勝負服はお母様がわたくしのために見繕ってくださったものなので、そう言っていただけると本当に嬉しいですわ」
わたくしの勝負服はアフタヌーンドレスを基調にして、メジロ伝統の配色である白と緑を完璧に調和させた、それは見事な逸品です。
アフタヌーンドレスは女性が着用する衣服の中でも最も格式の高い衣装とされており、G1の舞台にこれ以上ふさわしい勝負服はないでしょう。
あとは、この勝負服に恥じないレースにするだけです。
「さて。そろそろファンの皆様にご挨拶する時間ですわね。行ってまいりますわ」
「ええ。あなたも、私も、やれることは全部やってきたはず。悔いのないレースをしてきてちょうだい」
それだけいうと、トレーナーさんは静かに手を振ってわたくしを控室から送り出してくださいました。
電車の中でも控室でも、始終冷静に振る舞っていらっしゃったトレーナーさんでしたが……振ってくださった右手がかすかに震えていたのを、わたくしは見逃しませんでした。
今日、最高の舞台に揃ったウマ娘たちは、みなわたくしより格上の方ばかりです。
それは百も承知した上で……。
メジロ家の名誉のために。
そして、トレーナーさんのために。
わたくしは強く強く、今日のレースを勝ちたいと願いました。
やむことを忘れたかのような春の雨は、朝方に比べて更に勢いを増したようで、パドックはまるで煙っているようでありました。
春の嵐と言えるような強い雨脚にもかかわらず、パドックには隙間を探すのが大変なほどの人が詰めかけてきてくださっています。
そんなパドックの舞台に一人のウマ娘が登場すると、その熱気が爆発したかのように大観衆が沸き立ちました。
「きゃ~っ!ライラクロスさまっ!こっち向いてー!!」
「ライラクロス、今日もすごいレースを魅せてくれ!!」
去年のスプリンターズステークスの覇者であり、今年に入って重賞2連勝中のライラクロスさんはその大声援に応え、大きく手を振って絶好調ぶりをアピールなさっています。
6枠12番で出走なさるライラクロスさんは単勝支持率55%を集め、圧倒的1番人気に推されていました。
それほど大柄ではない彼女ですが、そのふるまいは今や自分は短距離界を代表する一人なのだ、という矜持と自信に満ち溢れているようです。
ファンへの顔見せを終え、舞台を降りようとするライラクロスさんと目が合うと、彼女は小さくウインクしてサムズアップを飛ばしてきてくれました。
今の彼女からすると、わたくしなど取るに足らないウマ娘のはずなのですが……シルクロードステークスでの接戦を思い出してくださったのかもしれませんね。
今日の主役を務める娘のあとにパドックの舞台にあがるのは、わたくしです。
人によっては『一番人気の娘のあとにパドックの舞台に立つのはちょっと気まずい』とおっしゃる方もいますが、わたくしはあまり気になりません。
それはわたくしがデビュー以来、一度も一番人気になったことがないということも、関係しているのかもしれませんね。
本日8番人気、7枠13番のわたくしが舞台に立つと、先ほどのライラクロスさんの時とは比べ物にならないほどの、小さな拍手とささやかな声援が観客席から聞こえてきました。
「レム~!初G1出走、おめでとう!無理しないでね!」
「素敵な勝負服ね!脚の怪我はもう大丈夫?」
勝利を期待する声があまり聞こえてこないのは少々残念ではありますが、それでもわたくしのことを気にかけてくださる方がいる、というのは嬉しいものです。
わたくしはその少ないファンの方々に控えめに手を振り、小さな笑顔を浮かべました。
そんなわたくしのパフォーマンスはライラクロスさんと比べて地味に見えるかもしれませんが、メンタル・体調の仕上がりは、決して彼女に遅れを取っていないはずです。
一礼して舞台から降り、わたくしは雨中を闊歩する他の娘たちを見回しました。
ライラクロスさんの他に人気を集めているのは、去年の高松宮記念を制したニキータファイアさん、ライラクロスさんが勝利したスプリンターズステークスを3着し、今年の京都レディステークス(G3・芝1400M)を勝ってここに駒を進めてきたピクトアデーラさんなどの重賞・G1の常連メンバーです。
初めて経験する大舞台に、周りはわたくしより格上で強いウマ娘ばかり。
気後れなんてしないと言えば、嘘になってしまいます。
ですが、そんなG1の舞台といえど、わたくしのすることは変わりません。
わたくしの、一番得意で、大好きなことをすればよいのです。
すなわち、それは走ることです。
初めて重賞に挑戦したときに気づいたのですが、わたくしは本バ場に入ってしまえばレースの格はあまり気にならないタイプのようです。
ただ、出走しているウマ娘の発する気合や覇気がG3までとは段違いで、その威圧感に飲み込まれないようにわたくしも静かに内なる闘志を燃やします。
ゲートイン完了。
土砂降りの雨の中、乾いたゲート音とともに、選ばれた18人のウマ娘がいっせいにターフに駆け出します。
沸き上がる大歓声の中、ハナを切っていったのはピクトアデーラさんで、彼女に続いて圧倒的一番人気のライラクロスさんを中心に、先行勢が一団を作りました。
わたくしは彼女たちを見ながらバ群のど真ん中につけ、レース展開を見守ります。
逃げの戦法を取っているのはピクトアデーラさんのみですし、先行勢も同じ脚質のライラクロスさんをマークして迂闊には動けないでしょうから、それほどのハイペースにはならないはずです。
そんなことを考えながらちらり、と後方を確認すると、最後尾を走る古豪・ニキータファイアさんの姿が目に入ります。
彼女は去年の高松宮記念を制したあと、安田記念8着・スプリンターズステークス4着・阪神カップ6着と本来の実力を発揮できていないようですが……。
最終追い切りのタイムは復調気配の好時計をマークしており、その気配を感じ取ってかファンも二番人気に推していて、ディフェンディングチャンピオンはきっとその実力を終盤に発揮してくることでしょう。
淡々とした平均ペースでレースは進み、残りは600M。
シルクロードステークスと同じく、やはりこの時点からライラクロスさんが仕掛けました。
それを見て他のウマ娘たちもスパートをかけ、一気にペースが上がります。
シルクロードステークスでは一呼吸置いてスパートをかけることで、直線で爆発的な末脚を発揮することに成功しましたが……今回はわたくしも同じペースでギアを切り替えました。
いくらわたくしが重いバ場を得意にしているとはいえ、良バ場のあの時と同じような脚は使えないでしょうから。
第四コーナーに差し掛かり、さあ、最後の直線勝負です!
雨中の大観客が、爆発的な歓声で18人のウマ娘を迎えます。
先頭はすでにライラクロスさんが立ち上がっておられました。
今走っている内ラチ一人分だけ開けた経済コースをポジショニングし、そのまま独走体勢を築くおつもりなのでしょう。
……ラクラクとそうさせるわけにも、まいりませんが。
そんな彼女を視界に入れながら、わたくしはバ群を縫うように順位を上げていきます。
前を走るウマ娘の蹴り上げる芝の塊が、わたくしの顔に直撃しました。
お母様譲りの芦毛や顔は泥だらけになり、口の中に入ってきた芝と土の味が、舌の上に広がります。
女性にお優しい人々の中には【女の子の顔を泥まみれにするような競技はけしからん!】なんておっしゃる方もいらっしゃいますが、レース中に顔についた泥というのは、わたくしたちウマ娘にとって勲章のようなものです。
それを拭うこともせずわたくしはただ前を見据えて、脚元の悪いターフを蹴り上げてバ群を捌きます。
この不良バ場に苦戦してつんのめっている三番人気のピクトアデーラさんを追い抜かし、わたくしはとうとう二番手に躍り出ました。
観客席からは、8番人気の穴ウマ娘の激走にどよめきの声が聞こえてきます。
でも、スタンドの皆様がまだ驚くのは早いかもしれません。
わたくしはまだ、脚色に十分余裕があるのですから……!
当惑に満ちた大歓声を小気味よく思いながら、ギアを5速に切り替えようとしたまさにその時、震えるほどのプレッシャーが大外から襲ってくるのが分かりました。
「うおぉおおおぉぉぉっ!!」
烈帛の咆哮が聞こえてきた方に視線だけを送ると、真紅のローブの勝負服を泥だらけにしてすごい脚で捲くってきている、昨年の覇者であるニキータファイアさんが確認できました。
彼女は雨を切り裂き、わたくしとライラクロスさんを大外から一気に葬らんと、決死の形相で泥まじりのターフを蹴り上げます。
こちらを震え上がらせるほどの爆発的な末脚こそ、ニキータファイアさんの本領なのでしょう。
普通に考えれば、まだ脚元のコンディションがマシな大外を疾走しているニキータファイアさんの方が、もう散々に踏み荒らされている内ラチいっぱいのインコースを走っているわたくしより有利なのでしょうが……。
この踏み荒らされた、田んぼのようなバ場こそ、わたくしがもっとも力の発揮できるバ場なのです。
わたくしはそんなターフの最内を、まるで蹄鉄に水かきがついているかのように駆け抜けます。
残り200メートルのハロン棒を通過しました。
一バ身先の先頭にいるライラクロスさん。
大外を強襲せんとするニキータファイアさん。
そして内ラチスレスレで、得意の悪路を駆けるわたくし。
後続からの足音は全く聞こえてきません。
優勝争いは完全にこの三人にしぼられたようです。
先頭にいらっしゃるライラクロスさんは、このようなタフなバ場を極端に苦手にしている、というわけではなさそうですが……それでもフォームを見る限り、鍛え上げられた上半身を完璧にコントロールできているとは言いがたく、わずかに前につんのめっているのが分かります。
離れた大外を走っていらっしゃるニキータファイアさんの様子まではわかりかねましたが、あれだけの加速力を見せながらまだわたくしの視界の前に現れていないということは、この不良バ場では持てるスピードのすべてを出し切ることは難しいのでしょう。
なら、お母様から高い重バ場適性を受け継いでいるわたくしが一番有利に戦えるはず!
もちろんこれは半分こじつけに近い思い込みなのですが、自分より地力に勝る方々と互角に戦いたいのなら、こじつけでもなんでも、心のよりどころを作るのが大切なのです。
わずかでも自分に勝ち筋があると思えれば、結果はともかくとして、最後まで100%の力で戦い抜くことができますから。
いよいよ、ゴール板が見えてまいりました。
残りはあと100Mといったところでしょう。
その健脚を活かして直線手前から先頭を張ってきたライラクロスさんですが、さすがに脚色に翳りが見え始めました。
一バ身ほどあった差がみるみる詰まっていき、シルクロードステークスと同様、とうとう肘のこすれ合う接戦にまで追い詰めました。
ただ、ここからの彼女の粘り腰を、わたくしはそれはもう嫌というほど思い知っております。
大外からの強烈なプレッシャーも、未だ健在です。
のこり50M。
G1ウマ娘二人と、重賞未勝利ウマ娘が、ついに横一線に並びました。
こういう勝負になってしまえば最後にモノを言うのは、経験でも実績でも、本番までの練習量さえでなく、今ここで出せる根性や勝負への執念、信念といった精神的な強さです。
最近では忌み嫌われる精神論ですが、すべきことをすべてやり、技術的なものを出し尽くせば、どうしたって最後はそこに行き着きます。
勝敗を競う者にとって、技術的なロジックと精神論は、どちらが欠けても勝ち切ることのできない車の両輪のようなものなのです。
今のわたくしにはトレーナーさんと練り上げた勝利へのロジックと、メジロ家の娘としての矜持、そして競り合ったら絶対に負けないという勝負根性を持ち合わせておりました。
「絶対に、譲れませんわっ!」
無意識に出た怒号とともに、あるかどうかもわからないギアをもう一段上げたつもりになり、わたくしはぬかるんだターフを蹴り上げました。
次の瞬間、3人はほぼ同時にゴール板に飛び込み、スタンドからは爆発的な大歓声が上がります。
「結果はっ……!?」
真っ先にキャンターから脚を止めたライラクロスさんが大声でそう言ってターフビジョンを振り返りました。
大外を走っていたニキータファイアさんも、両膝に手を置いて呼吸を整えながら、顔を上げてそちらを見据えておられます。
彼女たちにつられるように、わたくしも大雨に煙るターフビジョンに視線を移しましたが……4着と5着の方の順位は点滅表示されておりましたが、3着から上は着差の表示場所が【写真】となったまま、何も表示されておりませんでした。
「はぁっ、はぁ……はぁ……」
呼吸を整えつつ、ふとスタンドの最前列あたりに顔を向けると、トレーナーさんのお顔が目に入りました。
彼女はわたくしの視線に気づくこともなく、不安そうにターフビジョンを見つめていらっしゃいます。
わたくしも、雨に打たれたまま息を呑みつつ掲示板を見守っておりました。
そんな時間が5分も過ぎたでしょうか。
なんの前触れもなく、電光掲示板に3つの数字と着差が表示されました。
1着 13
2着 12 ハナ
3着 4 ハナ
それと同時に、わたくしが今まで聞いたことのないような、大きな大きな歓声が中京レース場全体を包み込みました。
「1着は、13番……」
それは、間違いなく今日わたくしが背負った番号でした。
この瞬間、非才の重賞未勝利ウマ娘は、G1ウマ娘になったのです。
「トレーナーさん……」
わたくしはどこか現実感を喪失したまま、土の味が残る口の中でトレーナーさんを呼び、彼女が呆然とした様子で棒立ちになっているスタンドへフラフラと歩きだしました。
「レム」
彼女もわたくしの存在に気がつくと、わたくしの名前を呼び、ただただ、両腕をわたくしに差し出します。
未熟なわたくしにとって、G1制覇という栄冠は、一人で受け止めるにはあまりに重すぎました。
ひょっとしたらその重みは、トレーナーさんにとってもそうだったのかもしれません。
わたくしたちは自然に、その重すぎる栄冠を二人でしっかりと受け止めるかのように、お互いの肩を抱きしめ合いました。
冷たい雨が降り注いでいるにもかかわらず、わたくしの肩に、熱いものが感じられました。
そしてそれは、トレーナーさんも一緒だったことでしょう。
お母様から受け継いた芦毛の髪も、今日初めてレースで袖を通した勝負服も、泥まみれ。
それがわたくしにとっての、トレーナーさんにとっての、初めてのG1制覇となりました。
素敵な王子様なんていない、どろかぶりのシンデレラ、とでも申しましょうか。
それはなんとも、わたくしにふさわしい戴冠のように感じられました。
長文読了、お疲れ様でした。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
前回からかなり間が空いてしまい、大変申し訳ありませんでした。
書いている途中、なぜか文章が浮かばなくなってしまい、
何日か原稿がほとんど埋まらない、という日が続いたのですね。
前作のエイシンフラッシュの娘。を書いていたときにはあまりなかった
現象だったので少し焦ったのですが、好きな小説を読み返したりしているうちに
すこしずつ調子が戻ってきたので、なんとか書き上げることができました。
私はあまり上手い文章をかけるわけでもないし、トレーナー×ウマ娘のラブストーリーのような話は書けないので、今回のように泥臭い勝負のお話ばかりに
なってしまうと思うのですが……。
せめて読んで下さる方々の暇つぶしになるぐらいの小説になっていれば
いいな、と思って頑張りたいと思っています(笑)。
余談:メジロ家と北の踊り子の関係性の推論。
メジロラモーヌ→モガミ→リファール→ノーザンダンサー
メジロアルダン→アスワン→ノーザンテースト→ノーザンダンサー
メジロブライト→メジロライアン→アンバーシャダイ→
ノーザンテースト→ノーザンダンサー
メジロマックイーン→5代遡ってもノーザンダンサーがいない。
ま、この辺にしておきましょう……w
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また近いうちに、あとがきでお会いしましょう。