メジロの娘。   作:宮川 宗介

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登場人物:メジロレム
※オリウマ娘注意です。

誕生日:4月22日
体重:ふっくらとした、いい仕上がり。
身長:158センチ
スリーサイズ:89・58・85

メジロレムのヒミツ4・実は、とても感情的な一面がある。



第七話

6月に入りますと、そろそろ夏の陽射しを感じられる日もございます。

 

今日はまだ風もカラッとしてして過ごしやすい気候なのですが、梅雨に入ってしまうとこのような日も貴重になってまいりますね。

 

そんな初夏の風を感じながらわたくしはテラスでお紅茶を頂き、一冊の古いアルバムを拝見しておりました。

 

開いているページに収められている白黒写真には、ひとりの芦毛のウマ娘が写っています。

 

彼女の名はメジロアサマ。

 

お母様からお姉様に連なる母娘四代天皇賞制覇ウマ娘の始祖であり、わたくしの曾祖母であられる方です。

 

わたくしはお祖母様のメジロティターン様のご尊顔は拝した記憶がございますが(お祖母様は残念なことに、わたくしが小学校に上がる直前にお隠れあそばされました)、曾祖母(ひいおばあ)様のことはほとんど存じ上げておりません。

 

曾祖母様のことは、小学生の時に少しお母様からお聞きしたことがあるだけです。

ただ、その時にお母様が語ってくださったお話しの中に、とても心に残ったエピソードがあります。

 

『私のお祖母様、つまりレムの曾祖母様ですわね。お祖母様は天皇賞と安田記念を勝利された超一流のウマ娘であられたのですが……妊娠しづらい体質だったらしく、一時は子供を持つことを諦めたときもあるそうです。ですから私のお母様を授かったときは【奇跡の娘だ!】と、それはそれは大変なお喜びであったそうですよ』

 

昔は今より子供が出来ない女性に対しての世間からの風当たりが信じられないほどきつかったと聞きますから、それを聞いただけでも曾祖母様がどれだけ激動の人生を歩まれたかを想像できて、尊敬の念の抱いたものです。

 

そんな尊敬する曾祖母様が制覇されたG1に出ることができる。

 

その身に余る光栄に、わたくしは身震いを禁じえませんでした。

 

「あら。またずいぶん古いアルバムを引っ張り出してきたのね」

「お姉様」

 

アルバムに手を置き曾祖母様の人生に思いを馳せておりましたら、屋敷の方からお姉様がやってこられました。

 

「一体、誰のことを調べていたの?」

 

メジロ家のアルバムには代々のウマ娘の写真の他に、生年月日や両親の名前、それに主な勝ちレースなどが記載されているので、歴史的な資料としても大変に価値が高いものなのですね。

 

「いえ、別に調べ物をしていたというわけでは……。曾祖母様もわたくしが今度出走する安田記念を制していらっしゃるので、その栄光にあやかりたいと思ってページを紐解いていただけですわ」

「へぇ、ひいおばあちゃんって安田記念勝ってたのね。知らなかったわ」

 

あまり興味なさそうにそういうと、お姉様はわたくしの正面に腰掛けられました。

 

お姉様は今を全力で生きるタイプでいらっしゃるので、あまり過去を振り返るようなことはなさりません。

メジロ家の至宝とまで言われたお母様の戦歴でさえ『天皇賞春と……えーと、お母様って有マ勝ってたっけ?G1を四勝してるのは覚えてるんだけど』という感じですからね……。

これだけを聞くとお姉様は記憶力に難があるように思えるかもしれませんが、学園内での成績は常にトップ(トップクラスではなく!)なのです。

 

ちなみにお母様のG1四勝の内訳は、菊花賞・天皇賞春二連覇・宝塚記念です。

 

「あ、よかったらレムも食べる?」

 

そんなお姉様はなぜか手にしていらっしゃったふかし芋を、わたくしに勧めてくださいました。

ポテトチップスと違い、ふかし芋ならそれほどカロリーも高くありませんからいただいても大丈夫でしょう。

 

「ぜひ。いただきますわ」

 

お姉様からお皿を受け取り、あつあつのおいもさんを手にとってそれを口に運びます。

 

「いついただいても、お姉様がお作りになるふかし芋は絶品ですわね」

「でしょう?これでいつお婿さんをいただいても恥ずかしくないってものよね」

 

【お嫁に行く】などではなく、お婿さんをもらうという発想が、なんとも破天荒で天才肌のお姉様らしいと思いました。

 

ふかし芋を美味しく作れることと、結婚できるかということはあまり関係ないようにも思えましたが、秘するが花という言葉もございますし、お姉様の特技はふかし芋を作るだけではございませんからね。

 

「そうですわね。お姉様のお婿様になる殿方は幸せものだと思いますわ」

 

と建前を述べて姉を立てておくのでした。

 

「そうね。私の婿になる男は幸せに決まっているわ。……でね、レム。その幸せになるって権利は、私達姉妹にもあると思わない?」

「……?それは、一体どういうことなのでしょう?」

 

ずいぶんと不思議なことを仰るものです。

わたくしは今の環境を十二分に恵まれていて幸せだと思っておりますし、わたくしとて今まで辛いことや悲しいことはそれなりにございましたが、それでもそんな時に、自分のことを不幸だとまで思い詰めたことはございません。

 

「私達はメジロ家に、それもあのメジロマックイーンの娘として生を受けた。それはとても恵まれたことだと思うし……そのことには感謝すべきだわ。でもね、自分の人生のすべてを【メジロ家の娘】として捧げる必要はないとも私は思うのよ。もちろん、ノブレス・オブリージュとまでは言わないにせよ、【メジロ家の娘】としてそれなりの責務を果たさなくてはならないシーンもある。それでもせめて、学生の間だけでも、私達には自由を謳歌する権利があるんじゃないかしら?」

「……お姉様は、今の状況に不自由さを感じていらっしゃるのですか?」

「いいえ。私は、好き勝手にさせてもらっているわ。私はあなたのことを言っているの」

 

わたくしの勘の鈍さにしびれを切らされたのでしょうか、お姉様はわずかに怒気をはらんだ声色で続けられます。

 

「あなたの……レムの行動原理はいつも【メジロ家のため】【お母様のため】。それが悪いことだとは言わないわ。でも、レムには家のことなんて関係のない、レム自身がしたいことっていうのがあるはずでしょう?」

「家のこととは関係なくわたくしのしたいこと、ですか……」

 

改めて聞かれてみて、わたくしは少し考えてみました。

 

「トレーニングをして、レースを走って、美味しいお菓子をいただいて、素敵な家族や友人がいる。……わたくしもお姉様と同じく、やりたいことをしっかりとさせていただいているつもりですわ」

「本当に?その友達と夜通し遊んだり、遠出して騒いだりしたいとは思わない?好きな人とかはいないの?素敵な男の子と、恋愛したいとか思わない?【メジロ家のウマ娘】という世間体を気にして、言いたいことも言えずにやきもきしたことはないわけ?」

 

……ああ、なるほど。

勘の悪さに定評のあるわたくしにも、お姉様のおっしゃりたいことがわかってまいりました。

 

「お姉様はわたくしが【メジロ家】にがんじがらめにされていて、わたくし自身の人生がどこにもないのではないか、と心配してくださっているのですね」

「……単刀直入に言えば、そういうことよ。あなたは、メジロ家のウマ娘として初めて短距離のG1を勝った。これからもきっと大活躍して……ますます世間の注目を集めるでしょう。そうするとその【世間】が求める【理想のメジロの娘】をあなたは体現しようとする。そうなるとますます【本当のレム】は心の奥底に閉じ込められてしまって、もうどこにもいけなくなっちゃうんじゃないかって」

 

姉として、お姉様はわたくしのことを本当に心配してくださっているのでしょう。

ただ、お姉様は少しばかり、思い違いをなさっているのかもしれません。

 

「お姉様のお心遣い、本当に感謝いたしますわ。少しお言葉を返すようなことになってしまいますが……わたくしは常にわたくしらしくありたいと願い、そのように振る舞っているつもりです。決して無理をして、【メジロ家のため】というだけで行動しているわけではございませんわ。もちろん心中には【メジロ家のウマ娘として、恥ずかしくない存在でありたい】という気概は持ち合わせております。ですがそのこと自体、【わたくしがそうありたい】と願っていることなのです」

 

わたくしの言葉はきっと、お姉様の望まれたものではなかったのでしょう。

それを聞いたお姉様は、難しい顔をして天を仰がれました。

 

天才であるお姉様の心中をすべて察することなどわたくしには到底できませんが……色々と複雑な思いや思考が駆け巡っていることは、わたくしにも感じ取ることができました。

 

「そう。学園とかメディアとかでのあなたの言動を見ていたら『この娘最近、ちょっと色々無理してるんじゃないか』って心配になったんだけど……どうやら余計なお世話だったみたいね。ごめんなさい」

「いえ、そんな。お姉様にそんな心労をおかけしてしまうということ自体、わたくしがまだまだ未熟であるということです。ひとりの人間として、メジロラムの妹として……もっと成長できるよう精進いたしますわ」

「……うん、がんばって。明日のレース、応援してる」

 

お姉様は席を立つと、わたくしに背を向けひらひらと手を振りながら屋敷の方へ戻ってゆかれました。

 

そんなお姉様の背を見送りながら、わたくしはお姉様が作ってくださったふかし芋に手を伸ばしました。

 

お皿の上に乗っていた二つのふかし芋が少しばかりさみしげに見えたのは、きっと気のせいでありましょう。

 

 

前回の高松宮記念とうって変わって、天気は雲ひとつない晴れとなりました。

今日の晴天は梅雨入り前の、お天気の神様からの贈り物かもしれませんね。

 

「結局六番人気止まりかぁ。最後の追い切りは芝でやって、かなりいい時計出したんだけどね」

「人気はあくまでファンの皆様の期待度であって、実力をそのまま表しているわけではございませんから」

 

ふたりで地下バ道を歩きながら、タブレットを見て残念そうにぼやくトレーナーさんに、わたくしは気にしていない風を装ってそんなことを言いましたが……内心は少々、残念に思っておりました。

 

G1に限らずどんなレースでもそうですが、できれば上位の人気を集めてそれに応えて勝利したい、というのはレースに挑むウマ娘が持つ共通の思いなのです。

 

「そうよね。今回は脚の状態が改善したおかげで今までで一番走り込めたし、状態は高松宮記念の時以上のはずよ。きっと今日もいいレースができると思うわ」

 

トレーナーさんのお言葉に、わたくしは力強く頷きます。

高松宮記念のときも、もちろんその時の筒いっぱいの仕上がりでしたが、今回は脚の虚弱性がかなり改善されたおかげでそれなりに負荷の大きいトレーニングを積み重ねることができ、少し限界を突破することができたという実感があります。

 

「ええ。曾祖母様も制覇されたこの安田記念で、不甲斐ないレースはできませんもの。きっと良い結果を持って帰ってまいりますわ」

 

決意新たにそう述べるわたくしの背中を、トレーナーさんはぽんと優しく叩いて、パドックへ送り出してくださいました。

 

 

パドックの雰囲気は前回の高松宮記念より、はるかに熱気に満ちているようにわたくしには感じられました。

その空気感は少しばかり過熱気味とも思えるほどのものです。

 

それは今日の晴天のせいばかりではないでしょう。

 

そしてその熱気は、ひとりのウマ娘がパドックの舞台に姿を現せた瞬間、最高潮に達しました。

 

「みんな~!今日はレース場に足を運んでくれて本当にありがとう!」

 

そのウマ娘はまるでアイドルのステージ衣装のような、愛らしい勝負服に身を包んでおりました。

彼女の走りを研究するために見た前走のNHKマイルではスターティングフューチャーの勝負服だったのですが、初めてシニアのウマ娘と走る今日のために、新調したのかもしれません。

彼女は小さな手を一生懸命振りながら笑顔で観客の皆様に挨拶すると、その大きな耳に手を当てて観客席を煽ります。

 

「リナ子は~?」

 

『最強で無敵のウマドル~!!』

 

「ありがとう~!!今日もウマドルパワーでみんなを元気にするよ!だからみんな、応援よろしくね♡」

 

彼女が手でハートを作ってウインクすると、観客からは割れんばかりの大歓声があがりました。

 

彼女の名は、リナアラビアンさん。

ここまで七戦全勝。

阪神ジュベナイルフィリーズ・桜花賞・NHKマイルカップという世代のマイルG1とそのトライアルレースの重賞を全てを総なめにしてきた、若き天才マイラーです。

 

クラシック級ウマ娘でありながら単身、シニア級の先輩たちに挑戦してきた彼女ですが、その実績から当然のごとく一番人気に押されており、支持率は70%にまで達していました。

 

リナアラビアンさんは観衆に手をおおきく振りつつ舞台を降りると、とてとてと近くにいたひとりのウマ娘に近寄り、ペコッと頭を下げられました。

 

「今年のマイラーズカップを勝利された、スピードアレドレアさんですよね!」

「え、ああ……そうだけど」

「はじめまして!私、リナアラビアンっていいます!今日は先輩方に挑戦させていただくということで緊張していますが、どうぞよろしくお願いします!」

「あ、うん。こちらこそよろしく……」

 

そんな感じで、彼女はそれぞれの先輩ウマ娘に挨拶まわりを始めました。

 

ご挨拶された方々は少しばかり戸惑われたようですが、あれだけの実績を持つ後輩に『どうぞよろしくお願いします』と頭を下げて来られて悪い気はしないのでしょう。

挨拶をもらった皆様は『かわいいところあるじゃない』みたいな微笑を浮かべて、そんな彼女を見送ります。

 

あ、そんなことを考えていると、こちらに彼女が来られましたね。

わたくしにも挨拶してくださるのでしょうか。

 

しかし……彼女はこちらを一瞥すると、それだけでパドックの輪の中に戻られてしまいました。

どうやら彼女の【挨拶まわり】は、これにて終了のようです。

 

「…………」

 

少し思考を巡らせながら彼女が挨拶に回った先を思い浮かべてみると……それはみな【G1や直近の重賞】を勝利された方々ばかりのようでした。

 

今日の出走メンバーの中には、リナアラビアンさんよりはるかに経験を積んだ歴戦のウマ娘もたくさんいらっしゃいます。

それなのに、その中でもG1勝ちのない先輩や最近勝ち星に恵まれていない先達たちは、まるで存在しないかのように彼女は振る舞ったわけです。

 

もちろんそのことに気づいたのはわたくしだけではないようで、彼女に向けてなんとも言えない視線を向ける方や、明らかに非難めいた視線を向ける方もいらっしゃいました。

 

そして今度はその視線に同情の感情を込めて、わたくしに向けてくださる方もいます。

 

その視線はこう言っているようでした。

 

【メジロレムも、G1を勝っているのに……】

 

……それでも彼女に、その【失礼な行動】を注意できるウマ娘は、ここには存在しないのです。

 

だって、この中にリナアラビアンさん以上の実績を持っているウマ娘なんて、誰もいないのですから。

 

華やかに見える我々ウマ娘の世界も、しょせんは勝負の世界。

強い者は我を通し、好きなように振る舞うことが許されるのです。

 

しかし、個々人の心中までは実績で黙らせることはできません。

 

わたくしは決して上下関係にうるさいタイプではないのですが……彼女の、あまりといえばあまりの行動に、さすがに火がつくものがございました。

 

……どんな人にもプライドがあり、誇りを傷つけられた人間はどんなことがあっても、それを挽回し、傷を回復させようといたします。

 

それは人間に備わった、一つの本能のようなものです。

 

【そいつの面子を潰すときは、そいつを殺す予定があるときだけにしておけ】

 

海外には、こんな良いことわざもございますからね。

 

G1ウマ娘を……【メジロの娘】を軽んじた代償は、それなりのものを覚悟していただかなければならないでしょう。

 

 

「メジロレムさん!速やかにゲートに入ってください!!」

 

そんな声がスタート台から聞こえてまいりました。

そんなことは、わかり切っています。

それでもなぜか今日は、すんなりとゲートに入る気になれませんでした。

パドックのことがあったせいか……わたくしは少し、入れ込んでいるのでしょう。

 

ああ、今日の彼女は相当入れ込んでますわね。

 

今の感情を二人称に切り替えて頭の中でつぶやきつつ、ゆっくり深呼吸をしてみました。

 

「……シニアにもなって、自分の感情もコントロールできないなんて……」

 

そんな一番人気のウマ娘のささやき声が聞こえてきましたが、まあ、言わせておけという感じです。

 

三回ほど深呼吸し、やっと気持ちがいくばくか落ち着いてきたところを見計らって足を動かすと今度はあっさりとゲートに入ることができました。

 

急いで係員の方がゲートを閉めると、次の瞬間にはそれが開く乾いた音が東京レース場に響き渡ります。

 

スタートは皆様より半完歩ばかり遅れましたが、これはいつものこと。

逃げ・先行勢を前に見ながら、わたくしは中団に位置してレース展開を見守ります。

 

……ふむ。

皆様の作戦は、戦前の予想と大きく変わりはないようですね。

 

頭と心の中は未だリナアラビアンさんに対する難しい感情が入り乱れていましたが、それがわたくしの脚捌きや作戦に影響を与えているということはございません。

 

ええ、たしかにわたくしはシニアにもなって自分の感情もコントロールできない未熟者です。

 

しかし、どんな感情を抱えていたとして行動だけは制御下に置くすべを、わたくしは身につけているのですね。

 

感情をコントロールするのはどんな人にとっても難しいのですが、その感情に付随する行動を制御することは、マインドセットと訓練でどうとでもなります。

 

ゲートイン前に用いた【二人称で自分の感情を実況する】というのも、その手法の一つです。

 

わたくしは自分の走りの才能が大したことないということを、幼い頃から嫌というほど自覚しておりました。

 

なんせ母親はあのメジロマックイーンなわけですし、身近にはメジロラムという超天才の姉がいました。

 

そうであるならせめてその非才を最大限発揮できるよう、スポーツ心理学などを必死に学んだのです。

 

才能というものは確かに埋めようがありませんが……知識は学ぶことで積み重ねることができますから。

 

 

レース展開は逃げがひとり、先行勢が三人ほどということもあり、平均ペースに落ち着きました。

このような展開だと脚質による有利不利はほとんどないでしょう。

 

しかし……思ったより、バ群が団子状態になりましたわね。

これを捌くのは、少しばかり骨が折れそうです。

ただ、わたくしよりさらに後ろでレースを進めている追い込み脚質のリナアラビアンさんは、展開的にもっと苦しいはずです。

 

彼女がこのバ群を抜け出そうと思えば、わたくし以上の人数を捌いて追い抜くか、距離のロスを承知の上で大外をぶん回すしかないでしょう。

 

残り八百メートルを過ぎ、少しずつペースが上がってまいりました。

そろそろバ群もバラけてくれるかな、と思っていましたが、順位の変動はそれほどなく、未だ一団のまま、といった感じです。

 

展開的には、そろそろ仕掛けておきたいところなのですが。

 

今日のメンバーではリナアラビアンさんが実力的にも実績的にも抜けておりますが、あとのメンバーの実力は非常に拮抗しております。

 

そのリナアラビアンさんは、苦しいレースを余儀なくされている。

今から仕掛けておけば、彼女はバ群の中でもがいたために脚を余して直線勝負で力を出しきれず、早仕掛けしたウマ娘に追いつけない、という展開になるかもしれません。

 

そうなれば、わたくしにも勝機が出てきます。

それを逃さないためにも、バ群の観察に集中しなければ。

 

ん……。

内ラチ側に、ひとりギリギリ通れるかどうかの隙間ができましたね……!

これを見逃す手はありません。

 

そのわずかなスキをかいくぐるために、一段脚のギアをあげた、その時です。

 

「どいて!邪魔よ!!」

 

そんな叫び声が、わたくしの後方から聞こえてまいりました。

 

その大声とともに『ドンッ!!』という、何かがぶつかるような音が響いてきます。

 

それも一度ではなく、何度も、何度も。

 

一体何が起こっているのかと思って少しだけ首を後ろに向けると……なんとリナアラビアンさんが、他のウマ娘に体をガンガンぶつけながら、バ群を無理やり割って後方から追い上げてきているではありませんか。

 

レース中にウマ娘同士がぶつかってしまうことはままあることではありますが……あれだけラフなレース運びをするウマ娘はほとんどいません。

 

もし万一のことがあれば、自分だけでなく周りも巻き込む大事故になりかねませんから。

 

しかしリナアラビアンさんは、そんなことを気にしている様子は全くないようです。

 

こういう荒っぽいレースをするのは大型のウマ娘であることが多いのですが、彼女は決して体格に優れているというタイプではないにも関わらず、むしろ自分より大きな先輩たちをはじきとばしているくらいでした。

 

あのようなマネは、よほど強靭で恵まれたフィジカルでないと、とてもできない芸当です。

ひょっとしてウマドルパワーというのは、あの強引なレース運びのことなのでしょうか。

 

……そうですよね。

【ウマドル】なんて標榜していても、しょせんわたくしたちウマ娘は競うために生まれてきた生命体なのであり、戦う女でしかないのですから。

 

勝つためなら、反則ギリギリのレースも厭わない。

リナアラビアンというウマ娘は、そういうタイプなのでしょう。

 

思想的には、わたくしとあまり相容れそうにありませんが。

 

 

第四コーナーをカーブして、いよいよ最後の直線です。

 

スタンドの大歓声が、18人のウマ娘を迎えてくれます。

 

この時点でわたくしは四番手の絶好の位置につけていました。

 

大本命ウマ娘のリナアラビアンさんは強引にバ群を捌き切り、わたくしのすぐ斜め後ろにつけているようです。

 

さて。

そろそろトップギアを開放して、最高速に持っていくといたしましょう。

 

前三人の方々もそれぞれにギアを切り替えたようですが、後ろで脚をためていた分、勢いはわたくしのほうがまさっています。

 

よし!

このまま前三人を抜き去って、リナアラビアンさんとの叩き合いになればわたくしは絶対に負けません。

 

わたくしは【競り合ってこそ強い】ウマ娘なのですから……!

 

一完歩一完歩、前との差を詰め、先頭集団に並びかけたその時です。

 

「シニアっていっても、こんなものか……」

 

心底つまらなそうな低い声がしたかと思えば、ひとりのウマ娘がまるで突風のように大外からわたくしたち四人をなで斬りにしていきました。

 

リナアラビアンさんは愛らしい勝負服にまとっているたくさんのリボンとフリルをなびかせながら、まるで舞うように東京レース場の直線を駆けていきます。

 

何という末脚。

なんという豪脚なのでしょう!

 

しかし、わたくしもあっさり諦めるわけには参りません。

 

「うぉおぉおおおぉっ!」

 

もう一段体を沈み込ませ、わたくしは持っている限りのスピードを絞り出しました。

横並びになっていた三名からなんとか抜け出し、わたくしはジリジリとではありますが最強ウマ娘との距離を詰めていきます。

 

二バ身ほどあった差が少しずつ縮まって、彼女の背中に手が届くところまでとうとう追い詰めました。

 

残りの距離は、あと百メートル。

彼女との差は、あと一バ身!

 

そう、あとたったの一バ身なのです。

 

「……っ!?」

 

しかしその一バ身が、まるでそこに見えない壁が存在しているかのように、それ以上詰め寄れる気がまったくいたしません。

 

たった一バ身が、果てしなく遠い。

 

……この先いくら走っても、その一バ身の差が埋まることは、永遠にない。

 

ウマ娘としての本能がそう悟ったところが、ゴール板でした。

 

スタンドの十万を超える観衆が、大歓声と大きな拍手でシニア級の先輩たちを抑えて一着でゴールしてみせた若き天才を迎え入れます。

 

それに応えるようにリナアラビアンさんは両手を大きくスタンドに振りながら、弾けんばかりの笑顔を浮かべられました。

 

「すごいぞ、リナ子!お前は日本一のマイラーだ!」

「レムもよく走った!あと一バ身ほどだ、惜しかったな!」

 

彼女の勝利パフォーマンスに呼応するように、観客席からそんな声が聞こえてまいります。

 

……惜しかった?

あの方は一体、なにをおっしゃっているのでしょう?

 

わたくしは思わず『それは嫌味でございますか?』と口走りそうになりましたが、それがただの八つ当たりに過ぎないと気づいた瞬間、なんとか喉の奥に押し込めることができました。

 

その一バ身差が……天才と非才との差がどれほど大きいものなのか、実際にレースを走っているものでないと体感できないのは、無理のないことなのかもしれません。

 

その証拠に続々とゴールしてきたわたくし以外の方々は、『あれだけ強いレースを見せつけられたのなら仕方ない』と、なかば諦めたような顔をしていらっしゃいました。

 

もしこれが十バ身ほどの大差負けだったのなら、むしろわたくしはここまで絶望的な気分にならなかったことでしょう。

 

それほどの大差がつくようなレースは、必ず展開やバ場状態の綾などが存在するからです。

 

しかし、今回わたくしはなんの有利不利もなくレースを走りきり……あのわずか一バ身を、どうしても詰めることが出来なかったのです。

 

それは埋めがたい才能の差であり、実力の差なのです。

 

「みんな~!応援、本当にありがとう!先輩たちも本当に強くて、苦しいレースだったけど……みんなの応援が力になって最後まで走り切ることができたよ!このあとのウイニングライブも、絶対に見ていってね~!!」

 

リナアラビアンさんのその言葉に、スタンドは再び揺れんばかりの大歓声があがりました。

観衆にとってその言葉は、とても慎ましやかで謙虚に聞こえたことでありましょう。

 

……わたくしたち負かされた方にとっては、すこしばかり耳に痛い言葉でございましたが。

 

実力の違いを見せつけられ、なんともやるせないレースであったわけですが……負けてしまったものは仕方ありません。

敗戦は兵家の常です。

 

気持ちを切り替えて、ウイニングライブの会場に向かわなければ。

 

ウイニングライブは応援してくださったファンの方々に、感謝をお届けする大切な機会です。

 

ふてくされた感情のままそんなステージに上がるというのは、ファンの皆様に対してあまりに失礼というものでしょう。

 

そうして気持ちの整理をしているわたくしの方に、スタンドへの挨拶を終えたリナアラビアンさんが、どういうわけか急に無表情になって歩いてこられました。

 

「……?どうかなさいましたか?」

「名門・メジロ家のお嬢様ってのがどれほどのものなのかと、実はちょっとは気にしていたんだけどね。でもまあ、あなたのレースぶりを見てる限り、どうやら買いかぶりだったみたい。有名無実っていうの?正直、あなたの走りって全然大したことなかったわ」

「!!」

 

彼女の言葉が耳を打つたび、わたくしは全身から汗が吹き出てきて、顔に熱を持つのが感じられました。

 

パドックでの振る舞いといい、なぜ彼女はわたくしにこのような仕打ちをなさるのでしょう?

彼女のイメージの中にあった【メジロ家の娘】が、あまりにそれとかけ離れた不甲斐ないレースをしたからなのでしょうか?

 

様々な疑問がわたくしの頭の中を駆け巡りましたが……わたくしは結局、この傲岸不遜な後輩に何も言い返すことができませんでした。

 

ウマ娘としてのプライドを傷つけられ、メジロ家の誇りを踏みにじられても……完膚なきまでにレースで叩きのめされたわたくしに、一体なにを言い返せたというのでしょう。

 

 

まるで彼女のワンマンライブのようなウイニングライブが終わり、わたくしは控室に戻ってまいりました。

 

「お疲れ様、レム。……正直、今日は相手が強すぎたわね」

 

もう長い付き合いです。

変に慰められたり、『2着だったら立派なもの』のようなおためごかしを言われるより、ストレートなことを言ってもらったほうが気が楽だ、ということをトレーナーさんはよくわかってくださっているようでした。

 

「そうですわね。クラシック級であれだけ完成されている走りをするウマ娘は、なかなかお目にかかれませんわね」

 

溢れ出そうな感情を抑え込みつつ、わたくしは備え付けの冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、パキャッと蓋を開けて口の中に流し込みます。

 

「これからのことなんだけど」

 

いくらスポーツドリンクを流し込んでもなかなか冷えない顔のほてりを感じつつ、トレーナーさんの言葉に耳を傾けます。

 

「夏はこのまま合宿に向けて、体調を整えていきましょう。合宿中は充電期間ってことでレースはお休み。秋はセントウルステークスから始動して、スプリンターズステークスを第一の目標、その後は冬の香港で行われる香港スプリントにチャレンジしようと考えていて……」

「ちょっと待ってください!」

 

トレーナーさんのその計画に、わたくしは思わずストップを掛けてしまいました。

 

「スプリンターズステークスに出るのは異論ございませんし、海外のG1を目標に置くのも挑戦的で良いと思いますわ。しかし、その間にあるマイルチャンピオンシップはどうなさるおつもりですの?」

「スプリント路線とマイル路線、どちらの路線も戦って勝ち抜いていくというのはかなり厳しいと思うわ。それなら実績のあるスプリント路線制覇に重点を置いたローテーションを組み立てるというのは、何もおかしいことじゃないでしょう?」

「……トレーナーさんは、わたくしではリナアラビアンさんに勝てない。そう思っていらっしゃるということでしょうか?」

「………………」

 

沈黙というのは、時にどのような言葉より正確に意思を伝えることもございます。

しかし、今回ばかりはトレーナーさんのそれを汲み取るわけにまいりません。

 

「トレーナーさん。わたくしが今日のレースのあとに考えた予定をお話させてもらってもよろしいですか?」

「……どうぞ」

「スプリンターズステークスまでのローテーションは、先程も申し上げました通りなにも異存ありませんわ。春秋スプリントG1制覇は、わたくしにとっても達成したい目標の一つでありますから」

 

トレーナーさんは厳しい表情でうなずき、わたくしに先を促します。

わたくしは覚悟を胸に秘め、何も言わずに傾聴してくださっているトレーナーさんをまっすぐ見据えました。

 

「ただ、わたくしはその後、天皇賞・秋とマイルチャンピオンシップに挑戦して……日本レース史上まだ誰も成し遂げたことのない、【スプリント・マイル・ミドル三階級】を制覇するつもりです。わたくしは必ず誰もが認める実績を残して、あの傲岸不遜な後輩に今日の借りをたっぷり利子をつけてお返しするつもりでおりますの」

「いや、ちょっと待って……」

 

わたくしのプランを聞いて、トレーナーさんは頭を抱えられました。

 

「レム、今日の敗戦が悔しかった気持ちはわかるわ。遠目に見ただけだけど、レース後あの娘になにか嫌なことを言われたんだろうなってこともわかってる。でも、見返す方法はなにも直接対決で叩きのめしたり、派手な勲章を手に入れることだけではないでしょう?自分の適性を見極めて、その道で頂点に立つ、というのも立派な雪辱よ。なにごとにも挑戦することは大切だけど、無謀とはまた違うと思う。感情のまま行動しないで、冷静に……」

「冷静でなど、いられるものですか!」

 

もう、わたくしは我慢できませんでした。

怒りと悔しさで涙を流したのは、長い競技人生で、これが初めてかもしれません。

引退勧告を受けたときでさえ、今日ほど激しく感情が揺さぶられはしませんでした。

 

「自分の走りを否定され、己のルーツの誇りを傷つけられて……それで冷静でいられる人間は、冷静なんかではなく、ただの意気地なしです!メジロ家の名誉のためにも、わたくしというウマ娘の存在意義を証明するためにも、わたくしは絶対に【三階級制覇】に挑戦いたしますから!」

 

わたくしの感情的な言葉に、トレーナーさんは大きな瞳を閉じて黙考なさいます。

 

「……トレーナーとしては、あなたの体質的にも距離適性的にも『じゃあやってみなさい』とはすぐには言えないわ」

「!すぐには、ということは……」

 

期待を込めた視線を送るわたくしに、トレーナーさんは難しいお顔のまま、首を横に振られました。

 

「早とちりしないで。レムがそこまで言うのなら、この夏のあなたの成長次第で改めてローテーションを考え直しても良いかもって思っただけ。今の段階では、スプリント路線に絞ってしっかりトレーニングしてほしいというのが本音よ。本当に三階級制覇、特に中距離の天皇賞・秋に挑戦するつもりなら、抜本的なトレーニング計画の見直しが必要になるしね。それに、そのレースに出走するとなると、敵は距離だけでじゃなくて……」

「わかっております。わたくしが乗り越えなければならない壁の高さも、相手の強さも。すべて覚悟の上で、わたくしは申し上げているのです。トレーナーさん、どうかわたくしを限界まで、いえ、わたくしの限界を押し広げるサポートを、伏してお願い申し上げますわ」

 

わたくしが深く頭を垂れると、トレーナーさんはあきれたようため息をつきながら、それでも笑ってくださっているようでした。

 

「担当ウマ娘の無茶を咎めるのもトレーナーの仕事なら、その無茶をいう熱意に応えるのも、トレーナーの仕事だからね。レムにそれだけの覚悟があるのなら、私もやれるだけのことはやってみましょう」

「トレーナーさん……ありがとうございます」

「でも、一つだけ条件があるわ。もし今年の夏合宿が終わった時点で、まともに中距離やマイル路線では戦えないと私が判断した場合、その時は私の指示に従うこと。いいわね?」

 

大きな挑戦には、客観的な視線も必要でありましょう。

トレーナーさんのお言葉に、わたくしは静かに首を縦に振ります。

 

やれるだけのことをやって届かなかったのであれば、それはわたくしの器が足りなかったということですから、諦めもつこうというものです。

 

今年の夏は今までとは違う、雪辱と挑戦の熱い夏になりそうです。

 




長文読了、お疲れさまでした。

プライドというものは結構人によって様々で、
それは人に何言われても気にならないけど、この部分を否定されることだけは
絶対に許せない、というポイントが誰にでもあると思うんですよ。

その譲れないプライドは自分の能力であったり、大事な人だったり、
大切な物だったりします。

しかもそれは人から見れば『そんなことぐらいで怒るなよ』とか
言われたり、思われたりすることもままあることで、
人の価値観の多様性と人付き合いの難しさを感じざるを得ません。

生きていれば何度でも傷つけられ、踏みつけられるプライドなんですが、
傷つけられたプライドを回復させる機会というものは現実的に
あまり多くなくて、そういう相手とは仕事の関係でもない限り、
ひっそりと距離を置くということが一番多いのではないでしょうか。

かくいう私もそうしてきましたし、そうやって距離を置かれた
(元)友人知人もきっといるのだと思います。

でもわざわざそれを伝えないのも、また人の優しさなのかもしれません。

今回も長いストーリーを最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次回作のあとがきで、お会いしましょう!
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