好感度MAXのウマ娘たちがお気楽トレーナーを落とす話   作:渚 龍騎

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※出来得る限りの配慮はしていきますが、ゲームやアニメを見た程度なので、ウマ娘の細かい設定や競馬などはからっきしとなります。不備があってもそこら辺は気にしないって方は気軽に楽しんでいただければと思います。


恋に落ちた灰簾石
1 恋心の意味


 

 

 

「────と、いうことがあったのよ」

 

 

 

 狭い一室。一人の少女が腕を組みながら、自身の顎に手を添えて呟く。窓から吹き抜ける囀りが、二人の艷やかな髪を梳かし、静謐な空間を攫って行った。

 質素なトレーナー室で、対面して優雅に紅茶を飲む二人のウマ娘のうち、もう一人が戸惑いを露わにしていた。

 

「そ、そうなのですか……」

 

 彼女の呟きを受け取って、澄み切った遍く青空のような髪を美しく伸ばした少女が、その幼さを残した端麗な顔立ちに表情を悩ませた。

 瞳を閉じ、目の前の()に表情を悟られないように右手で顔を隠す。触れた顔が熱かった。

 

「貴方、どうしたの?」

 

 姉に不思議がられてしまい、慌てて笑顔を取り繕いながら「いえ、なんでも」と誤魔化す。そして机に置かれたティーカップを手に取り、ゆっくりと紅茶を飲む。一度、心を切り替えたい思いが強く、暖かで仄かな香りが気分を落ち着かせてくれた。

 

「そ、それで、姉様はどうされたのですか?」

 

 姉様、と呼ばれた少女はその妖艶で大人びた表情を悩ませながら、その宝石のように瞬く瞳をゆっくりと閉じる。そのまま自分の過去を思い返してから目の前の妹に答えた。

 

「私はなにもしていないわ」

 

 ただ、と最後に付け足す。まだ言葉が終わらないと察した妹は、姉の言葉をしかと待つ。すると彼女は僅かに視線を逸らし、自分の胸に手を当てながら呟いた。

 

「なぜだか、彼のことを考えると、レースを疾走っているような高揚感に満たされるのよ。この感情は今までなかった……初めての昂りだったの」

 

 妹は思わず自分の胸が高まってしまうのを必死に抑えた。上がりかける口角をしっかりと結び、滅多に見ることのできない姉の姿を真っ直ぐに待った。

 

「他の人のことを考えてもこうはならなかった。やっぱり彼だけなのよ──私の内側に遠慮なく入ってくるのは」

 

 左腕を抑えながら必死に悩んでいる姉の姿に、ティーカップを握る手が震える。これがどんな感情だと顕すのかはわからないが、それでも絶対に有り得ないとまで思っていた姉の姿に、妹は興奮せずにはいられなかった。

 

「ね、姉様。その話、私以外の誰かには話しましたか?」

 

 困っているのであれば、手を貸したい。

 悩んでいるのであれば、背を押したい。

 気付いていないならば、気付かせてあげたい。

 僅かな乙女心をときめかせて、メジロアルダンの感情に火が付く。そして、その十全とまで謳われた()()()()()はずの姉が首を傾げながら答えた。

 

「いいえ、貴方以外にはしていないわ。それがどうかしたの?」

 

 紅茶を置き、僅かな硬質物の当たった音が響く。それが鳴り止むのを待ってからメジロアルダンは「なら、良かったです」と安堵の息を漏らした。

 

()()()()姉様」

 

 改めてその名前を呼び、呼ばれた()()()()()()()は僅かに目を見開いて妹の言葉を待つ。そして数秒の沈黙の後に、瞳を輝かせたメジロアルダンがラモーヌに告げた。

 

 

 

「──それは〝恋〟ですよ」

 

 

 

 初めて抱いた感情の正体を告げられて、メジロラモーヌは妹に初めてキョトンと間の抜けた表情を見せる。瞬きを数回だけ繰り返して、その()()の意味を理解してからカップを手に取った。

 

「…………そう」

 

 平然と、いつもと変わらない様子を見せるメジロラモーヌだが、目の前のメジロアルダンが驚愕していることに気が付かず、カップに口を付けた。

 

 

 

「──姉様!?」

 

 

 

 手に取ったのが、ティーポットだとも知らず。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 メジロラモーヌは珍しく動揺していた。

 妹のメジロアルダンがおかしなことを言った所為で、自分の情緒が不安定になりかけていた。

 

 

 まさかアルダンに弄ばれるなんて。

 あの娘もやるようになったわね……。

 

 

 メジロアルダンの成長に感心しながらも、メジロラモーヌは彼女の発言が胸の内で引っ掛かっていた。

 腕を組み、項垂れる頭を抑える。昔から他人を揶揄うのが好きだったとはいえ、まさか自分がその対象にならとは思ってもみず、その悪戯がかなり質が悪い。

 

 

 退屈しのぎのつもりに、トレーナーに感じていた悩みをメジロアルダンに打ち明けてみれば、彼女からは突拍子もない言葉が飛んできた。

 

 

 

『──それは〝恋〟ですよ』

 

 

 

 私が、あの人に? 恋を?

 メジロアルダンから告げられた言葉を頭の中で反芻させて、暗示の如く自分に問い掛ける。あの言葉が脳内に跋扈して収まりを一切見せない。その所為で紅茶を飲む手が進まない。

 

 

 あの人に〝恋〟をしているなんて、有り得ない。

 私にあるのはターフだけ。〝誰か〟を好きになって、少女のように恋をすることなんて有り得ない。

 

 

 それじゃあなぜ、あの人のことを考えるだけで、私の鼓動はこんなにも()()()()()()()()()()

 

 

 アルダンに揶揄われた苛立ち? いや、この感覚は怒りでも悲しみでもない。これは、ターフを全力で駆け抜けている時のような喜色に似ていた。

 

 

「…………有り得ないわ」

 

 

 メジロラモーヌは、再度トレーナーに対する感情を思い返しながら呟く。そして紅茶を飲み干してから、ソファーに背中を預け、天井を仰ぎ見た。

 深く溜め息を漏らした。

 

 

「…………私が、あの人を……本当に……?」

 

 

 ゆっくりと、トレーナーのことを思い出す。カップに紅茶を注ぎながら、思い当たる節を一つずつ処理していく。だが、その瞬間にメジロラモーヌは後悔した。

 

 

「…………う……」

 

 

 思わずカップに口を付けたまま手が止まった。

 一つ。彼の笑顔が脳裏に過る。

 二つ。彼の柔らかい声色が木霊する。

 三つ。彼が見せたその覚悟も。

 そして四つ、五つ、六つ、その勢いは止まらない。収まりを知らず、そのまま増えて漸増し続けた。

 

 トレーナーのことを考えた時点で気付くべきだった。それが間違いだと気付いた頃にはもう遅い。次から次へと彼の好きな所が連鎖し、無尽蔵に湧き出てきている。忘れられない。寧ろ記憶の奥から更に引き出されていった。

 

 

「ちょっと……うそでしょ……」

 

 

 思わず声が漏れる。ティーカップを持つ手が震え、まともに思考が働かない。ふるふると頭を揺らし、未だに増え続ける()()を頭の中から振り払うが、まったく意味がない。そんなこと普段であればすぐにでも分かるはずが、いまのメジロラモーヌには冷静な判断ができなかった。

 

 ただ、今すぐにでもこの頭の中を空っぽにしたい。洗い流して、考えてしまった自分を糾弾したい。それでももはや過去の出来事な故に、いくら後悔しても意味がない。

 

 

「はぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ……」

 

 

 肺に取り込んだ全ての酸素を吐き出す。顔が茹だったように熱い。身体の内側から熱を持って、尋常でないほどに芯が炎を灯す。壁に立て掛けてあった鏡に視線を向けた。

 

 

「…………有り得ないわ……」

 

 

 鏡に映り込んだメジロラモーヌの顔は、熟れたリンゴのように真っ赤に染まり上がっていた。

 自分ですらも感じたことがない感情と、自分ですらも見たことがない表情に困惑を隠し切れない。

 両手で顔を覆って、そのまま項垂れる。吹き抜ける鼻息と、触れている顔が熱い。

 

 

「こんなもの、どうすればいいの……」

 

 

 この胸の高鳴りを収める方法が分からない。耽溺する感情を鎮めたくても、それは跋扈し続けている。全てを押し留める方法を試行錯誤しても、既にパンク状態の脳では窘めていてなにも思い付かない。

 

 

 

 メジロラモーヌ。

 彼女は十全たる存在。史上初のトリプルティアラを達成したウマ娘。誰もがその姿に見惚れ、その功績を認め、その全てを求められる彼女は今────、

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁ」

 

 

 

 盛大に()()()()()声を漏らしていた。

 魔性を纏っているその妖艶な容姿は、少女の年齢に沿ったレベルにまで至り、相手を見透かす瞳と大人びた顔立ちは、懸想を抱いて真っ赤に染まっている。

 

 

 

 ではここで、もしもメジロラモーヌのもとに、想いを寄せているトレーナーが姿を見せたら如何なるだろうか。はい、それではトレーナー君がドーン。

 

 

 

 躊躇なく扉が横に開かれて、同時に溜め息を漏らしながらメジロラモーヌのトレーナーが姿を見せる。逡巡を押し切ったメジロラモーヌは直ぐさま姿勢を正して平然を纏った。

 トレーナーは脇にノートパソコンを挟みながら、その両手に大量の本を持ってメジロラモーヌの存在に気が付いた。

 

「あれ、今日は早いんだねラモーヌ」

「時間が余ったから、安らぎを満喫していたのよ」

「ここ以外にもっと良い場所ありそうだけど」

「あら、いけないかしら」

 

 いや別に、とトレーナーは答えて中に入った。

 顔をトレーナーから逸らして、メジロラモーヌはカップに口を付ける。トレーナーには彼女の後頭部しか見えず、彼はどこか不思議に思いながらも詮索はしないで作業机の椅子に腰を下ろした──メジロラモーヌはバレないように顔を背けた。

 

「なんで顔を逸らすの?」

「────」

 

 トレーナーが首を傾げるが、メジロラモーヌは思わず言葉を呑んで無言を貫く。その普段と違った様子のメジロラモーヌに目を眇めて、トレーナーは訝しんでいた。

 

「どうしたの?」

「…………別に。なにもないわ」

「ならなんで顔を逸らすのさ」

 

 トレーナーが不思議がってメジロラモーヌの顔を覗き込むが、彼女は直ぐに視線を逸らしてトレーナーに一切顔を見せようとしない。トレーナーを躱しながら、窓に映り込んだ自分の顔を見て、目を疑った。

 まだ、顔は羞恥心で真っ赤に染まっていた。こんな顔は誰であろうと絶対に見せられない。

 

「本当に大丈夫?」

「いいから。気にしないでちょうだい」

 

 心配げな眼差しを送るトレーナーに対して、メジロラモーヌは素っ気なく払う。いつにも増して冷たい反応をされたように見えるが、実際はただ恥ずかしさを隠す為の行動に過ぎない。

 

「気にするよ。体調悪いなら、今日はトレーニング無しでもいいけど」

 

 冷たくあしらわれても尚、メジロラモーヌの心配をするトレーナー。その優しさを眼前で受けながら、メジロラモーヌはトレーナーから顔を逸し続ける。今のこの表情を見られてはならない謎の使命感に駆られ、顔を背け続けていた。

 それでも、声色は至って平然を装いながら発した。

 

「ダメよ。私は、ターフを駆けてこそ更に輝くの。一度たりともこの時間を無駄にしてはならないわ」

 

 メジロラモーヌが更に輝くのに必要なジュエリーは、蹄鉄と競争相手。そしてターフがあれば、メジロラモーヌはその身一つだけで十全へと至る。ただでさえ綺麗で、妖しいメジロラモーヌがターフを駆け抜ければ、全ての時を止めるほどの美しさを身に纏う。

 

「そっか。あんま無理しちゃダメだよ」

 

 顔を覗き込もうとするトレーナーが、その声色に心配の色を強く滲ませる。だが直ぐに納得した様子で立ち上がり、作業机の椅子に腰を下ろしてパソコンを開いた。

 トレーナーが完全に席についたのを横目に確認してから、ゆっくりと息を吐く。そして隙間風にもかき消されてしまうほどの小さな声でポツリと呟いた。

 

「私の心配なんて、貴方だけよ……」

 

 風に乗った言霊がトレーナーの耳に微かに届く。パソコンに目を向けていたトレーナーが「ん?」と顔を上げ、メジロラモーヌは逡巡の判断で顔を背けた。

 

「なんでもないわよ」

「ねー、なんか今日のラモーヌおかしいよ」

 

 転瞬、トレーナーがメジロラモーヌの顔を覗き込む。気配を完全に殺していた故に、メジロラモーヌはその存在に気が付けなかった。カップを持っていたその手と、油断していた意識が驚きで一気に震えた。

 

「ほら、やっぱり顔が赤いよ」

「ちょっと……!」

 

 この距離感。

 

「熱はなさそうだけど……」

 

 艷やかな髪が開けたメジロラモーヌの額に手を触れ、トレーナーは自身の額にも手を当てながら体温を比べる。うーん、と唸っては首を傾げた。

 

「早く離れなさい……!」

 

 無理やり押され、トレーナーは僅かに眉を上げて蹌踉めく。普通のトレーナーならばここで踵を返して引くのだが、彼は()()ではない。

 心配げな眼差しを向けて、更に距離を詰めた。

 

「体調が悪いなら、ちゃんと休まないとダメ」

「大丈夫だと言っているでしょう……!」

「そうは見えないよ」

 

 誰もがメジロラモーヌのその美しさに戦慄く。しかしこのトレーナーだけは、一切の恐れを知らずに踏み込んできた。この距離感がおかしかった。

 

「でも熱はなさそうだし……なにが原因なんだ?」

 

 トレーナーが覗き込む顔を更に寄せ、メジロラモーヌは僅かに退く。その距離は息すらも掛かるほどに近い。原因なんてただ一つ──恐らく()()

 あまりにも距離感のバグったトレーナーに対して、とうとう癇癪を感じたメジロラモーヌは彼の肩を掴んでからソファーに押し倒した。

 

「いい加減にしなさい、貴方」

 

 ようやく落ち着きを取り戻し始めていたメジロラモーヌは、押し倒したトレーナーから離れて言い放つ。片手で頭を抑えながら、肺に溜まった酸素をゆっくりと吐いた。

 

 呆気に取られたトレーナーは、ソファーの背凭れに寄りかかりながらメジロラモーヌを見つめる。いったいなにが彼女の癇癪に障ってしまったのかまるで分からない様子だった。

 

「まったく……貴方って人はいつもそう……」

 

 思い返せば、いつだってトレーナーはメジロラモーヌのことを第一に考えていた。

 トレーナーの言葉が、どれも昨日のことのように木霊する。忘れようとしても決して忘れられない言葉。

 

 

 

 ────『君を退()()から、連れ出しに来た』

 

 

 

 強引なあの言葉も。

 

 

 

 ────『君の()()に一目惚れしたんだ』

 

 

 

 指差されたこの言葉も。

 

 

 

 ────『それじゃあ始めようか』

 

 

 

 飾られていないその言葉でさえも。

 どの言葉もこの記憶に鮮明に焼き付いている。なにもかもが先日のことのように蘇り、耳元で囁かれているかの如き錯覚があった。

 

 思い出すと、胸の内側に存在()る心臓が早鐘を打ち始める。なぜこれほどまでにこの感情が高鳴り、暴風雨の如く暴れているのか分からない。気付きたくないのにも関わらず、メジロアルダンから告げられた台詞によって気付いてしまった。

 胸を締め付けられるような苦しさがありながらも、それが厭な感情に満たされず、寧ろ心地の良い感覚にさえ移り変わっている。初めてのことばかりだった。

 

「本当に、これは、アルダンの言う通りなのね……」

 

 だから、認めるしかなかった。

 このまま認めずに逃げ続けていてはメジロ家の恥。それ以前に自分自身(メジロラモーヌ)として許せないことでもあった。

 

 

 ならば、やることはただ一つ。

 

 

 ────この人を、()()()()()()()()()()

 

 

 それだけである。いつもの思考であれば、そこまで勇むことでもないと直ぐに理解できるはずが、今のメジロラモーヌにはそんな考えは存在していない。

 

「そう、そうなのね……」

「ラモーヌ、どうしたの?」

「いいえ。気にしないでちょうだい」

 

 大きく息を吸ってから、吐き捨てた。

 この早鐘を打つ鼓動が自分のものでないように感じるなら、それすらも自分のものにしてしまえばいい。

 

「まさか私が、雁字搦めにされてしまうなんて……ええ、でも、それすら私の前で跪かせればいい」

 

 ようやく全てに整理がついた。

 メジロラモーヌは、未だに間の抜けた表情をするトレーナーの目の前まで歩み寄る。そして彼の隣に腰を下ろして、その唇にしなやかな人差し指を当てた。

 

「えっ、ど、どうしたの?」

「貴方、よく聞きなさい」

 

 トレーナーからの流れだけでなく、辺りに席巻する雰囲気や空気感ですらも圧倒するメジロラモーヌが、その灰簾石の如き瞳でトレーナーを捉えた。

 圧倒されたトレーナーがゆっくりと態勢を崩し、メジロラモーヌは彼の上で見下ろす。妖艶な『魔性の青鹿毛』が、トレーナーの顔に掛かった。

 息を呑み、固唾を飲んで、トレーナーはメジロラモーヌから告げられる言葉を待つ他なかった。

 囁かれるような声が、静寂を貫いた。

 

「私のこの〝愛〟は、全て軌跡(ターフ)に捧げたつもりだったわ。──私は、誰のものにもならない」

 

 ターフを愛し、その軌跡で誰もを魅了した。

 あらゆる者を虜にしては、心を鷲掴みにし、それに応えてみせた。だがしかし、()()の愛を得ることはあっても、()()の愛を誰かに捧げることはなかった。

 

 

「けれど────」

 

 

 そう言って、メジロラモーヌはトレーナーの顎に手を添える。そのまま時の流れが緩やかに満たされていき、ゆっくりと彼女の血色の良い唇が動いた。

 

 

「──〝貴方〟になら〝私〟を捧げても構わないわ」

 

 

 赤みの帯びた頬が、吐息に濡れる。メジロラモーヌというウマ娘に圧倒されたトレーナーが言葉を失う。静謐な時間は容赦なくその流れを矯め、彼女の矮躯には凄まじいほどの光が恍惚と輝いていた。

 

「あ、俺は……」

 

 そして数秒──いや、数分だったのかもしれない。それだけ狂った感覚の時間の中で、ようやく動き出したのは、誰でもないメジロラモーヌだった。

 彼女はトレーナーから離れていき、対面のソファーに腰を下ろした。

 

「意外と可愛いのね。冗談よ」

 

 そう告げれば、トレーナーは態勢を崩したまま彼女を見つめる。停滞していた意識がようやく歯車を回し始め、時間をかけて出た言葉は──「え?」の一文字だけだった。

 ようやく状況を理解したトレーナーは態勢を立て直してから、乱れてしまったスーツを整える。そして立ち上がるなり直ぐにメジロラモーヌの前まで歩み寄り、先程自分にされたように彼女の顎に手を添えた。

 

「なにかしら」

「やられっぱなしじゃ、性に合わないんでね」

 

 首を傾げ、トレーナーはそう言った。

 

「あら、強引……なのね」

 

 灰簾石にトレーナーの顔が映る。漆黒の瞳がメジロラモーヌという宝石を映し、互いの顔を捉えた。

 そのままゆっくりとその距離を詰めていき、息が掛かるほどに間合いが寄ると、トレーナーは「まっ」と悪戯地味た笑顔を浮かべて離れた。

 

「冗談だけどねー」

 

 改めて作業机の椅子に腰を下ろし、再度パソコン作業を始める。テンポ良く響くキーボードのタイピング音が、痛いほどにトレーナー室の中で広がった。

 

 流石に怒られるか?

 そんな微かな恐怖を抱きながら、パソコンから視線をずらしてメジロラモーヌを一瞥。彼女は変わりない様子で、そっぽを向いていて表情は分からない。

 

「やり過ぎたか……」

 

 今更遅い罪悪感に駆られて、トレーナーは思わずキーボードの上に頭を落とした。

 メジロラモーヌといえど年頃の少女。忘れてはならないそれを忘れて、揶揄ってしまった。

 妖艶で大人びた風貌や、その風格から漂う雰囲気(ゆえ)に感覚がバグって勘違いしてしまうが、メジロラモーヌはまだ高等部であり、一人の少女である。そう考えた途端に冷や汗と同時に後悔の念が溢れ出てきた。

 

「ら、ラモーヌ……怒ってる……?」

「…………いいえ、別に」

 

 完全に怒っている。声色こそ普段と変わっていないが、長年付き添ってきた感覚が漠然とそう知らせていた。頭を抱え、謝罪の準備を整える。立ち上がり、メジロラモーヌを見下ろせる位置まで歩み寄った。

 

「ラモーヌ、ごめん……」

「だから、怒ってないわ」

 

 罪悪感で()し潰されそうになりながらも、トレーナーはどうするべきか思考を巡らせる。その瞬間、そっぽを向いていたメジロラモーヌの髪が風で揺れ、真っ赤に染まった頬が覗いた。

 

「え?」

 

 そして気付いてしまった。

 メジロラモーヌがいま抱いている感情は怒りではない。明らかに照れているようにしか見えなかった。

 蒸れたリンゴのようになる頬で、メジロラモーヌは口を結ぶ。なにかを語るわけでもなく、彼女の姿に呆気に取られたトレーナーは、その美しさに目を奪われていた。

 

 

 ウソでしょ……ラモーヌが、赤い……え?

 

 

 有り得ないと、頭を振る。そして腕を組みながら、顎に手を置いた。

 刹那の時間で思考を巡らせるが、至った結論は分からないの一点。メジロラモーヌが照れるような場面があったか、この数分間の出来事を思い返しても、心当たりは一つしかなかった。

 

 

 もしかして、俺が〝顎クイ〟したから……?

 

 

 ────正解である。

 メジロラモーヌは現在、死にかけていた。

 予想だにしなかった反撃(カウンター)を受け、その胸に潜む恋心が完全にノックアウトされていた。あの一撃は頭頂部から落雷を受けたかの如き衝撃であり、乙女心を完全に握り締められていた。

 

 ターフに、レースに、その疾走(はしり)に〝愛〟を求めるメジロラモーヌだが、自分が向ける〝愛〟にはめっぽう弱かった。誰よりもターフを愛するように、その対象が〝誰か〟に向いた瞬間──直向きに愛し続ける。盲目で正直な〝愛〟を感じたのは、今までない。人生で初めての経験だった。

 

 

 

 メジロラモーヌは今日この時、誰よりも純粋で、誰よりも耽溺で、誰よりも()()だった。

 

 

 

 早鐘を打ち始めた鼓動を握るように、拳を胸に置いて制服を強く握り締めた。

 落ち着いてと何度唱えてもその鼓動は激しさを増すばかり。これはもう静けさを知らない。自分の耳にも聞こえてしまうのではないかというほどに、強く、激しく、鼓動を続けていた。

 もはや自分の力ではどうにもならない。顔が炎を灯して、身体中が鼓動と呼応して熱かった。

 

「ホント、有り得ないわ……」

 

 気持ちに整理を付けたつもりが、この心は思っていた以上の暴れ者らしく、メジロラモーヌ自身でも抑え込むことができなかった。

 そして、それを見ていたトレーナーは一つの行動を起こそうとしていた。

 

 

 

 分からないのなら、試してみればいい。

 

 

 

 恋心に悩むか弱い少女は、その想いを悟られないように必死にひた隠す。だが、その一方で無知蒙昧の愚か者は、少女が本当に顎クイで照れたのかを確認する為に攻撃を開始した。

 

 

 歩み寄る。その直後にメジロラモーヌは立ち上がり、直ぐに離れた。

 

 

「近寄らないで」

「なんで」

 

 

 これ以上はもう耐えられないから。

 だがしかし、トレーナーはお構いなしにその距離を縮めた。

 

 

「やめてちょうだい」

「なぜ」

 

 

 これ以上は死んでしまうから。

 それでも、トレーナーは一歩を進み出し、メジロラモーヌは気圧されて後退った。

 

 

「動かないで、ラモーヌ」

 

 

 トレーナーが逃げるメジロラモーヌの手を取る。強く握り締め、彼女は壁まで追い詰められて逃げ場を失う。そのままトレーナーは壁に手を当て、メジロラモーヌの灰簾石の如き瞳を見据えた。

 

 

「ちょっと……!」

 

 

 トレーナーの手が、メジロラモーヌの赤みを帯びた頬に触れる。そしてそのまま肩の方まで伸びていき、メジロラモーヌは眼前で真剣な眼差しを向けるトレーナーから視線を外すことができなかった。

 瞳が小刻みに震える。ゆっくりと流れていく時の中で、トレーナーの手はメジロラモーヌの肩に付いた埃を取って離れていった。

 

 

「はい、取れた」

 

 

 糸くずが付いてたから、ついでに試しで距離感をバグらせて見たけど、あんな反応が返ってくるなんて。

 メジロラモーヌは僅かに目を見開き、開いた口から一文字を絞り出した。

 

 

「…………は……?」

 

 

 トレーナーは笑顔で「ほら」と指で摘んだ糸くずをメジロラモーヌに見せる。彼女はポカンと眉間にシワを寄せて、トレーナーが糸くずをゴミ箱に捨てる動きをぼんやりと見つめていた。

 そして、自分がなにを考えていたのか思い返した苦慮の末に、つま先から頭頂部まで熱が一気に駆け上がった。

 

「貴方って、本当に……()()()()()わ」

 

 精一杯に吐ける恨み言をトレーナーに吐き捨て、メジロラモーヌは姿勢を正したままソファーに腰を下ろす。これでも怒りを露わにして部屋を退出しないのを見るに、彼女はここから離れたくないようだった。

 それに、今の反応でようやくハッキリした。

 

 

 

 ラモーヌってもしかして、押しにめっちゃ弱い?

 

 

 

 トレーナーはその結論に至った。

 いや違う。そうじゃない。そうだけど、いやそうじゃない。そこまでやってなぜ核心に気付けないのだ。

 

 メジロラモーヌは不服そうな表情を浮かべて、ティーカップを手に取る。あくまでも平然を装い、既に空っぽになったカップに口を付けた。

 だが、中身のないものを新たに飲み干すことはできない。その心と同様に、新たななにかで埋め尽くさなければ飲むこともできない。

 飲み干した()()をして、メジロラモーヌは平然を装いながらカップを机に置き、溜め息混じりに呟いた。

 

「貴方だけよ。私にこんなことをするのは……」

「ダメだった?」

「────」

 

 無言を貫く。それは肯定とも取れた。

 このトレーナーは他のトレーナーとは違う。メジロラモーヌが出会った初めての面白い(おかしな)人間だった。

 

「まあ、貴方が誰よりも熱い人なのは分かるわ。暑苦しくて、常識知らずなのが難点であるけれど」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 選抜レースの時から、メジロラモーヌは他のウマ娘とはかけ離れた光を抱いていた。それ故に彼女が纏い、席巻させるその輝きを受けて怯む者は多かった。寧ろ、彼女の()()に圧倒されない者はいなかった。

 

 

 

 だがしかし────彼だけは違った。

 

 

 

 誰もがメジロラモーヌのその魅力に圧倒され、退く中で、彼だけは一切の淀みない瞳と真っ直ぐ過ぎる志を掲げていた。

 誰よりも一歩前に踏み出し、メジロラモーヌに手を差し出して、力強くこう言った。

 

 

 

『──君、今のままで満足してないだろ?』

 

 

 

 始めはこの男が何を言っているのか分からなかったが、漠然とした感覚で()()()()()()()()()()()()ように感じた。

 

 

『なぜ、そう思うのかしら?』

『さあ、俺でもいまいち分からない』

 

 

 呆れた。考え尽くす前に、感情で言葉を放り投げる人間。そのまま放って帰ろうかと考えていた時──彼は「だけど」と言葉を紡ぎ、息を吸った。

 

 

『俺なら、君の走りをもっと上へと導ける』

『それは、いったいどういう意味?』

『簡単だよ、もっと()()()できるってことさ』

 

 

 腹が立った。それは私の走りに対して言っているようにも聞こえた。

 目を眇めて、笑う彼を睨む。しかしそれでも、彼が怯むことはなく、寧ろ面白がっているような様子で、更に一歩前へと踏み出た。

 

 

『どうしたの?』

『…………それは、私の走りが()()()()()と言っているのかしら』

『とんでもない。俺が言いたいのは、今のままじゃ君はそれ以上にはならない』

 

 

 だから、と言葉を繋ぎ、彼は手を差し出した。

 

 

 

『──君を退()()から、連れ出しに来たんだ』

 

 

 

 なるほど。それは、面白かった。

 正直なところトレーナーは誰でもいいとさえ思っていた。メジロ家のトレーナーであっても、結局は私一人で全てを掴めると思った。しかし、それはあまりにも驕りが過ぎたらしい。

 このトレーナーはあまりにも興味深い。彼なら本当に面白くしてくれると、漠然とだったがそう感じた。

 

 

 

 だから、その手を取った。

 

 

 

 お祖母さまに反対されようと、誰かにその道を阻まれようと、この走りで全てを覆す覚悟があった。

 彼にも、その意志はある。それなら二人で駆け抜けていけばいい。どんな壁でも乗り越えられる。

 ────そんな気がした。

 

 

「だけどさ、俺と一緒に駆け抜けた三年間は、君も楽しかったでしょ?」

 

 

 トレーナーから告げられたその言葉には、驕りも、慢心もない。まったく曇りのない自信に溢れた声色だった。

 空っぽになったティーカップに紅茶を注ぎながら、メジロラモーヌは鼻で笑った。

 

「ええ、そうね。とても楽しかったわ」

「なら、それでいいじゃん」

 

 呆れる。この人は、いつだってそう言う。

 ようやく、これでハッキリとした。

 この胸に宿ってしまった本来は有り得ない〝恋〟というものが、彼のどこを好きになって、どこを愛したいと(いだ)くようになってしまったのか。そこには一切の猜疑心も含まれていない。純粋で、盲目な形。

 

 

「本当に、貴方は────」

 

 

 ポツリと呟いてカップを置き、ソファーから立ち上がる。そして作業机のオフィスチェアに座るトレーナーの横に並んだ。彼の座る椅子をくるりと回し、自分と対面するように向かせた。

 

「──面白いわ」

 

 そう言って、メジロラモーヌはトレーナーの膝に身体を預け、超至近距離で見つめる。呆気に取られたトレーナーが珍しく困惑している様子だったが、メジロラモーヌはその動きを止めなかった。

 メジロラモーヌの、その処女雪のように白く細い腕から靭やかで美しい指がトレーナーの頬をなぞる。むず痒い感触が撫でられていき、流れるような仕草で顎に添えられた。

 

 そして、メジロラモーヌの灰簾石が至近距離でトレーナーを捉えた。ゆっくりと近寄っていき、血色のいい唇が上下し始める。囁くように、吐露するように、その凛とした()が宣言した。

 

 

 

「──覚悟なさい。必ずや、貴方を私の()()にしてみせる」

 

 

 

 いいわね──その魔性を帯びた悪魔のような笑みが、間抜けな面を見せるトレーナーに捧げられる。美しく、妖艶なその顔立ちに、思わず見惚れていた。

 告げられた言葉は、絶対的な覚悟と決意が込められていた。嘘でも虚実でもない。絶対にやり遂げる意思がそこに存在していると、声を聞いた鼓膜を心地よく叩いた。

 

 

 

 間すら消滅し、身体を密着させているメジロラモーヌとトレーナーの姿を遠くから見ていた少女が一人。片目分だけ開かれた扉の隙間から、姉に似た瞳が覗く。人間には存在していない頭上の聴覚器官に、尾てい骨の辺りから伸びる尻尾。白銀を含む空色の髪を腰の辺りまで伸ばした彼女は、尻尾を揺らして、思わず口元を手で隠していた。

 

 

「ね、姉様……あんな大胆なことを……」

 

 

 メジロラモーヌの妹であるメジロアルダンは、姉のことが心配でなんとなく踵を返して戻って来たが、トレーナー室でとんでもない事が起こっていたとは思ってもみなかった。

 当事者でもなく、ただそれを眺めていた傍観者であるにも関わらず、メジロアルダンは顔を赤くしていた。

 

 

「わ、私はなにも見てません。私はなにも……」

 

 

 暗示をしながら小声で呟き、その場を去ろうとした瞬間、廊下が綺麗に磨かれているのを憎んだ。

 ワックスの掛けられた光を反射する床を上履きで擦り、微かにキュッと音が鳴り響く。普通ならそんな小さな音など気にも止めないが、この静謐が席巻する空間ではあまりにも大き過ぎる音となってしまった。

 

 

「あっ」

 

 

 思わず口元を抑えて、ゆっくりと振り返る。気が付かれていないか扉の隙間から様子を伺うと、トレーナーに視線を向けていたはずのメジロラモーヌが僅かにその瞳をメジロアルダンへと移した。

 

 

「ね、姉様……」

 

 

 メジロラモーヌは妹に視線を向けながら、人差し指だけを立てて自身の唇に当てる。そしてその唇がゆっくりと上下に動き、四文字の言葉を描いた。

 

 

 

 ────静かに、と。

 

 

 

 たった一言だけ音にならない言葉を告げられ、メジロアルダンは直ぐに踵を返してその場を去った。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「ねえ、アルダン」

 

 

 

 トレセン学園の中庭。設置されたベンチに並んで、二人は座っていた。突然その名を呼ばれ、メジロアルダンは思わず肩を震わせる。まさか覗き見していたことを糾弾されるのではと、固まった声で「は、はい?」と反応を見せたが、メジロラモーヌは微かに鼻で笑った。

 

「別に構えることないわ」

「け、けれど、私が覗いていたのは事実で……」

「あら、私は貴方が()()()()()ことについてまだなにも言っていないわ」

 

 思わず失言した口を抑えてしまった。

 メジロラモーヌは手に持って開いていた小説に栞を差し込んで、隣のメジロアルダンを一瞥した。

 

「責めるつもりなんてないわよ。貴方も悪気があってしていたわけでもないでしょうに」

「そ、それは……」

 

 なにも言い返せなかった。

 僅かに首を傾けて俯くメジロアルダンに向けて、メジロラモーヌは「まあ、いいわ」と話を区切った。

 

「貴方に聞きたいことがあるのよ」

「聞きたいこと……?」

「ええ、同級生との交流も多い貴方なら、なにが良いのか分かるんじゃないかと思ったの」

 

 いったいなにを?

 そんな風に思いながら、メジロラモーヌに「なにをでしょうか?」と恐る恐る問い掛ける。そして彼女は小説を閉じてから、ゆっくりと一息。そのままメジロアルダンを真っ直ぐに見据えた。

 

 

 

「──(トレーナー)へのプレゼントよ」

 

 

 

 告げられた言葉でメジロアルダンの思考は停止。聞こえた声を脳で噛み砕いて、その意味を理解した時には、口から「は?」という一文字だけが吐き出されていた。

 

 

 




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