好感度MAXのウマ娘たちがお気楽トレーナーを落とす話 作:渚 龍騎
ようやく最終回を書けました。ですが、もう一つ書かなければならないものがある為、明日か遅くても今週中に本当のラストを投稿致します。
ようやく、お待たせ致しました。
キャラ崩壊してるかも。それでも楽しんで頂ければ、幸いです。
あとついでに宣伝です。ナリタトップロードがトレーナーの為に夢を叶える話を短いながら書いた新作です。pixivに投稿していて既に完結まで書いていますが、手直しをしてから上げていこうと思います。
『ナリタトップロードの誇り高き道』
貫く至高。瞬く光輝。
魅せるは艶麗。囁いた妖艶。
捧ぐは愛。齎すは十全なる光。
妙なるその身は、ただ駆けるため。
傑物が齎すのは、万物を凌駕する輝き。紫紺の瞳は、無欠の栄光のみを見据えて
菊も、桜も、樫も、薔薇も。
あらゆる華々が頭を垂れる。
嫉妬も、羨望も、憧憬も、闘志も。
あらゆる想いを置き去りに。だが一つだけ、抱いてしまった感情だけを馳せた。
誰もが抱くその純粋な愛だけを。
◆◆◆◆
青く、蒼く、酷く澄み渡った空。鏡写しとなって、どこまでも遍く海が風に吹かれ、さざなみを起こす。それが時折、降り頻る日差しを瞬かせながら、水面に皺を寄せては揺らめく。静かな波音が奏でる旋律を耳に、その潮騒を風で感じていた。
静かな音色に、囁くような喧騒。雑踏の遠退くざわめきに、空で瞬く鳥たちが辺りで瞬いていた。
遍く空に居並ぶ紺碧の海。空の彩りが変化する毎に、海はそれを受けて塗り潰される。決して交わることのない二つの輝きを見つめ、人々はその光を胸に、黄昏れては抱いた想いを馳せた。
「こんな綺麗なところがあったのね」
珍しく感慨深い様子でポツリと漏らしたメジロラモーヌ。その彼女を横目に、トレーナーも思わず息を吐く。朝の早い時間帯で肌を撫でた風は、心地良くもひんやりとした感触で吹き抜けて行った。
吐いた息が白く、空気の流れに沿って棚引いた。
「来て良かった?」
「まだ決めるのは早いわ」
そう言って、メジロラモーヌは普遍の蒼に背を向ける。淡々と、そして冷徹に告げる手厳しいメジロラモーヌを横に、トレーナーは苦笑した。
メジロラモーヌの荷物を背負って、トレーナーもその後を追う。二人で初めての旅行──夏合宿などは行ったこともあるが、二人きりで宿泊というのはこの三年間でもなかった。
そもそもメジロラモーヌがレース以外にまったく興味を持たない上に、レースに次ぐレースで休む暇が殆どなかったから、仕方のないことではあった。
「まあでも、君が俺の誘いに乗ってくれるなんて思わなかったよ」
「あら、どうして?」
振り返って首を傾げるメジロラモーヌに、トレーナーは僅かな時の流れに思考を馳せてゆっくりとその瞳を閉じる。そして数秒、過去の情景に映る気高く美しい彼女の背中を思い返し、ようやく答えを導き出した。
「前までの君は、レースに対してあまりにも
ただ、レースを愛した。
ただ、愛を示すために駆けた。
レースを愛し続け、その思いを馳せて、ひたすらに、そしてひたむきに──ただただ、走り続けていた。
巻き上がる熱、込み上げる愛、高鳴る胸の鼓動、その全てを味わい、噛み締めて微笑を呑み込んだ。その愛を捧げて、メジロラモーヌは眼前の景色に思い焦がれていた。
「良くも悪くも、君は超然としているからさ。三年を共に過ごした俺でさえも、旅行に誘うのは少し勇気がいるんだよ」
照れ臭げに「ははっ」とトレーナーは笑う。その
「そんなの杞憂よ」
馬鹿ね──そこには嘲笑も侮蔑も含まれていなかった。滲むのはただただ当たり前だと言わんばかりの呆れの色。微笑むメジロラモーヌが、ゆっくりとトレーナーの頬に手を添えて語った。
「
呆れが、優しさに塗り替わる。微笑み、そしてトレーナーを真っ直ぐに見据えながら、メジロラモーヌはそう告げた。頬に添えられたその滑らかな指の感触を暖かく思いつつ、トレーナーもふと笑って彼女の手に触れた。
「そっか……なら良かった」
触れた柔らかな手を握り、トレーナーは安堵の息を漏らす。貴方の誘いなら──その言葉は、果たして彼女がよく囁く揶揄いなのか、彼女自身の本音なのかは分からない。けれど、向けられた微笑みが嘘でないことは理解できた。ならば、彼女の言葉が揶揄いでないのは自然なことだった。
「私だって、変化はあったのよ」
メジロラモーヌはゆっくりと離れ、一歩だけ背後に下がる。冷ややかな風が肌を撫で、メジロラモーヌのさらさらな髪を梳かすのと同時に、背後の海が浜辺に叩きつけられていた。
永遠を静かに示すように、波の音が単調に反覆を繰り返す。遍く海からの風を背中で受けながら、メジロラモーヌは髪を抑えて自身の変化を語り始めた。
「私には、レースだけがあれば良いと思ったわ。この胸で高鳴る愛を示す為に、この身を捧げられればそれでいい──けれど、レースを駆けて、勝利し、敗北も重ねていく度に、レースだけじゃダメだと気が付いたのよ」
「じゃあ、他になにが必要なの?」
メジロラモーヌ──メジロの至宝。
向けられた嫉妬や憧れは、決して彼女に届くことはない。ただ、その背を追いかけることしかできない。ウマ娘たちが掲げる〝夢〟そのものが、メジロラモーヌに成り得る。徹頭徹尾完璧で、十全に至る彼女の存在はもはや頂点の一角に君臨するのだ。
彼女のその愛が涸れることはない。永久に、永遠に、メジロラモーヌは生涯全盛期で有り続けると宣言した。最も美しく、最も輝いてる時に散る。そうまで言っていた彼女が、レース以外にも必要なもの──トレーナーはそれがなんなのかまるで分からなかった。
「それは、そうね……」
顎に手を置く仕草を見せ、考える素振りをしながらもメジロラモーヌの答えはたった一つ──いや、
そんな彼女の考えはいざ知らず、トレーナーはメジロラモーヌの魅せる嘘にまんまと騙されている。それはもう純真な子どものようで、哀れな程に。
「君がそんなに言うぐらいだし、それだけ大切なものなんだろうね」
────だから、そんなことを言っていた。
まるで他人事のような言い草に、メジロラモーヌの眉が僅かにピクリと痙攣した。
募る苛立ちを抑えながら、メジロラモーヌは平然とした様子で溜め息をつく。そして答えを告げるわけでもなく、トレーナーの横を通り過ぎながら呟いた。
「──本当に、鈍いのね」
吐き捨てられた言葉に、トレーナーは遠退いていくメジロラモーヌの背中をぼんやりと見つめてから、背後の潮騒に目を向ける。そしてゆっくりと息を吸い込み、吹き抜ける風と共に吐き捨てて呟いた。
「…………そんなわけないじゃん」
その呟きはさざなみに飲まれ、メジロラモーヌには届かない。喜色の笑みから一変したその表情は、どこか儚げで、寂しげな色を滲ませていた。
◆◆◆◆
初めての感情──いや、この感情はずっと胸の中に秘めていた。小さい頃から抱き続けたこの焦がれ。
ずっと、ずっと、目の前の景色に憧れた。
愛おしくて、苦しくて、ただただそれを眺めることしかできなかった。
同じ脚があるにも関わらず、大地を跳ねることを許されない。それでも、ただ走りたかった。
自由に、軽やかに、そして楽しげに。目の前で駆ける彼女たちの喜びは、私の胸を締め付けるだけ。小さな一歩すらも怯えていたあの頃、自分の脚を
『わたしなら、もっと上手く走れるのに……』
────私だって、走りたい。
大地を蹴って、空へ飛び出して、雲を掴みたい。胸の内で燃え盛るなにかに動かされて、ただ走り続けた。言葉の通り、どれだけ血で汚れようとも走り続けた。
────原因を探る為に、検査を繰り返した。
それの所為で多少なりとも血を流した。
────自分の限界を探って、一昼夜走り続けた。
あの時は、確かに爪が血で滲んでいた。
────そして何度もリハビリを繰り返した。
見下ろした手のひらは、いつも血に染まっていた。
それでも、不思議と苦しいとは思わなかった。
何もできずに〝愛〟の流れるままにする方が、何倍も辛かったから。胸を締め付けられ、心を縛られ、雁字搦めに繋がれたこの〝愛〟は、業火の如き飢えで私を焦がした。
不完全から、完全へ。
足りないのなら、満たせばいい。
不完全だったら、愛せない。
レースを愛しているからこそ、完全を求め続ける。この脚で触れたくて。あの空気に抱き締められたくて。その勝利に口づけをしたかった。
────この〝愛〟が、涸れることはない。
いまも、これからもずっと。
咲き誇ったまま、散りゆくのみ。
ただそれだけ。
…………結局、なにが言いたいの?
メジロラモーヌは濡れた艷やかな髪にタオルを当てながら、自分に問いかける。思い耽って、なぜ自分が〝それ〟へと至ってしまったのか。レースを愛して、愛し続けて、愛の往くままに駆け抜けた。
レース以外を愛することなどない、と思った。
なのに、なぜ彼に想いを抱くようになってしまったのか。これがレースへの〝愛〟とは、また別の〝愛〟だと
愛でありながら、愛ではなくそれに最も近い感情。恋とは、明確になっている愛よりも盲目で不完全だ。
嗚呼、〝恋〟── 〝恋〟ね。
年頃の女子が抱く一時の不完全な感情。それが愛へと育つ可能性もあるが、大抵の場合は芽吹くことなく消えていく。だから不完全なのだ。
「はあ、本当にどうしてなのかしら……」
溜め息を溢して、目の前の大きな鏡に伏せていた視線を移す。毎日見てきたはずの顔が、どこか違った。自信に満ち溢れていたはずの表情は、まるで少女のような幼いものに変わっていた。
所謂、恋する乙女の顔である。カワイイね。
仄かに赤く染まった頬は、温泉に浸かったからではない。身体が芯から火照っているのは、温泉の熱さに呑まれたからではない。鼓動が昂っているのは、決して温泉が理由などではない。
────全て、総て、すべて、彼が原因なのだ。
ある程度の水気を吸ったタオルを鏡の前に置き、メジロラモーヌはもう一度その目の前に映る自分の表情を見つめる。それでようやく、メジロラモーヌというウマ娘が崩れ去ったのを理解した。
「私も、堕ちたものね……」
メジロの至宝、その身一つで十全と謳われる史上初のトリプルティアラを掴んだウマ娘。誰も彼もが頭を垂れ、嫉妬され、憧れを向けられるメジロラモーヌが、この有様である。レースだけを愛していたはずが、いつの間にかこの心は彼に惹かれるようになってしまった。
「この想いを確かめる為にここまで来て……結局、私はなにを求めているのかしら……」
レースに向けた確かな愛だけが存在していた──それなのに、今では暗い影が心を蝕んでいる。その正体がまるで分からない。自分の言動には自信を持っていた。なのに今は、その自信が全てを繋ぎ止めているのだ。
「悩んでいても、仕方がないわね……」
メジロラモーヌはゆっくりと立ち上がり、湯のれんを潜って脱衣所から出る。視界が開けた先で楽しげに会話をする声が聞こえ、メジロラモーヌは声のする方へと視線を向けた。
そこには、見慣れない二人のウマ娘──芦毛が特徴的なウマ娘と、もう一人は漆黒の髪を肩まで伸ばしたウマ娘だ。その二人と楽しげに話しているトレーナーの姿がそこにはあった。
音吐朗朗と語るトレーナーの笑顔に、メジロラモーヌは眉を顰蹙させる。そして同時に、心を締め付けられるような痛みを覚えた。
「まったく……こっちの気も知らないで……」
メジロラモーヌは溜め息を溢して歩み出した。
哄笑している二人のウマ娘たちは、トレーナーにトレーニングメニューやレースでのコツを聞いているようだった。薫陶を受ける彼女たちは何度も頷き、その手に持ったメモ帳に記している。
「なるほど! そういう事にならない為には、事前のレース運びが大事なんですね!」
「はい! 私もっとスタミナをつけたいんですけど、良い練習メニューありませんか?」
彼女たちから怒涛の如く投げられる質問に、トレーナーは嫌な顔一つ見せることなく答える。一つ一つ、しっかりと丁寧に、言葉を流すこともせずに真剣な眼差しで答えていた。
誰に対しても優しい彼の性格に、メジロラモーヌは自分の事のように喜ばしいことだった。隠し切れない感情で頬が緩み、口角は僅かに上がっていた。
トレーナーたちの方へと歩みを進めていると、芦毛のウマ娘がふと呟いた。
「あのメジロラモーヌさんのトレーナーさんだから、もっと怖いのかと思ってました!」
そんな言葉にメジロラモーヌの脚が止まる。まさか自分の名前が出ると思っていなかったのもあり、メジロラモーヌは思わず物陰に身を隠して様子を伺った。
普段の彼女からは考えられない行動だ。それはメジロラモーヌ自身も理解していることだった。だがそれでも、本能的に身体が動いていた。
もう一人の黒髪のウマ娘が「そうそう!」と頷いた。
「メジロラモーヌさんって、完璧過ぎて近寄り難いし」
「オーラが違うし、なんかこう……怖い時あるよね」
「あるある! それでトレーナーさんも怖いイメージが定着しちゃってて……」
お互いに思っていた言葉を口にして、二人は声を上げて頷き合う。彼女たちから告げられる無意識の刃に、メジロラモーヌは僅かに目を伏せた。
「トレーナーさんも大変じゃないんですか?」
「ん? なにが?」
「だって、メジロラモーヌさんってかなり気紛れなヒトだって聞きますし、決まってた撮影を断る時もあるんですよね?」
彼女たちの言う通りだった。
メジロラモーヌはかなり気紛れなウマ娘である。承諾した撮影を途端に断ることもある上に、本人はそのことを覚えていない。だから再度頼みに行けば快く了承してくれることもある。更には彼女の気紛れによって、トレーニングメニューが変わることも少なくはない。思い返してみると、確かに気紛れなウマ娘だ。
「うーん、確かにそうだね」
悩んだ末に吐き出したトレーナーの言葉──それを聞いたメジロラモーヌはトレーナーたちから目を逸らす。聞きたくない、と思っていてもトレーナーたちは彼女の存在を知らずに続けた。
「いつも威圧的な感じがしますし、近寄り難くて常に完璧を求められてる感じ……トレーナーさんは大変じゃないんですか?」
「辞めたい、とか投げ出したくなったりしないんですか?」
周りのウマ娘からの印象として、メジロラモーヌはあまりにも気高過ぎる。その美貌や立ち振る舞いに畏れすら感じるウマ娘やトレーナーも少なくはない。相手の心境を見透かし、掴み所のない言動。他者を厳しく突き放すこともある故に、他のウマ娘たちやトレーナーからは近寄り難い存在として語られている。
二人はメジロラモーヌからそれを感じていたらしい。
「大変……大変、ねえ……」
影から見つめていると、トレーナーは彼女たちから言われた言葉を口の中で呟きながら腕を組んだ。
うーん、と唸り声を漏らし、天井を仰ぎ見る。メジロラモーヌは恐怖に似た感情を胸に抱きながら、彼の答えを見守る。そして暫しの思考の末に、トレーナーは「うん」と力強く頷いて二人を見つめた。
その瞳は一切の翳りが無かった。
「──確かに大変だね」
トレーナーから告げられた言葉に、メジロラモーヌは僅かに目を伏せる。しかしトレーナーは直ぐに「だけど」と言葉を紡いで、微笑んだ。
「俺はそれが良いんだ」
トレーナーの言葉にメジロラモーヌは僅かに目を見開く。それがウソでないのは彼の精悍な双眸が語っていた。いつだって変わらない。彼がメジロラモーヌを語る時、いつも同じ瞳をしている。
「ラモーヌは確かに気紛れだよ。けど、その眼差しは誰よりも真剣で純粋だ。それに、そんなことで彼女のトレーナーを辞めていい理由にはならない」
嗚呼、そうだった。
彼はいつだって、そうだった。
「俺の覚悟は、そんなことじゃ揺らがない。ラモーヌが俺をトレーナーと認めてくれたあの日から、俺は絶対に彼女を裏切らないと決めたんだ」
本当に呆れてしまう。
強く、強く、そして眩い眼差し。彼の瞳に灯るのは、いつだってたった一人に向けた焔だ。
「彼女が俺の期待を裏切ったことはない。だから、俺は彼女の為に全身全霊を尽くす。ただそれだけだよ」
トレーナーは慇懃に、そして泰然と答えた。
二人のウマ娘は真っ直ぐに告げられた言葉を聞き、思わず目を見開いていた。そして互いに顔を見合わせ、笑いを溢してしまった。
「あははっ、トレーナーさんは本当にラモーヌさんの事を大切に思っているんですね!」
「あーあ、私も良いトレーナーさんに会いたいなー」
そんな羨ましがる言葉を漏らしながら、二人は笑う。それを見ていたトレーナーも微笑み、分かってくれたようでなによりと自慢げな表情を浮かべていた。
トレーナーは二人に囁くように「それにね」と言葉を続け──、
「女の子みたいに笑うラモーヌって超可愛いんだよ」
トレーナーから告げられた思いもしない言葉に、二人のウマ娘は思わず「えっ!?」と声を荒らげる。そして直ぐに興味を示してトレーナーに詰め寄った。
「それってどういうことですか!?」
「ラモーヌさんが女の子みたいに笑うんですか!?」
「あの完璧で近寄り難くて大人びてるラモーヌさんが!?」
溌剌と声を上げる二人に、トレーナーは慌てて唇に人差し指を当てて「しー!」と静かにしてくれと促す。だが二人の瞳はキラキラと煌めき、一歩一歩トレーナーに詰め寄っていった。
「写真とかないんですか!?」
「ぜひ見せてください!!」
トレーナーさんトレーナーさんトレーナーさん、とテンションが上がり切った二人が更に詰め寄った。
余計なことを口走ったと後悔してももう遅い。二人の勢いに押されていると、彼女たちの背後から聞き慣れた溜め息が喧騒に普遍した。
背後に顔を向ければ、そこには呆れた表情を浮かべたメジロラモーヌが腕を組んでいた。
「あっ、ちょっと……!」
メジロラモーヌの存在に気が付いたトレーナーは、目配せで彼女に助けを求める。だが彼女は腕を組んだまま溜め息でトレーナーを一蹴。彼女の言葉を目線で汲み取ったトレーナーは、瞬きを繰り返して助けを頼んだ。
ここからは我が特別翻訳でお届け致します。
『お願いラモーヌ! 助けて!』
『自分で撒いた種よ。自分でなんとかなさい』
『そこをなんとか!!』
二人にだけ映される心の中ではスライディングジャンプしてからのダイナミックな土下座をするトレーナーだが、メジロラモーヌは腕を組んだまま彼を睥睨するだけ。しかし彼女は、溜め息を漏らすなり「仕方がないわね……」と呟いた。
「ちょっとそこの二人。もうよろしいかしら?」
ようやく助け舟を出したメジロラモーヌが、詰め寄る二人のウマ娘に声を掛ける。彼女らは振り返るなりその声の主が誰か理解すると、次はメジロラモーヌの方へと飛んで行った。
喜々として瞳を輝かせ、メジロラモーヌに詰め寄る。期待の孕んだその瞳を向けられ、メジロラモーヌは驚きで僅かに目を見開いた。
「うそ! 本物のメジロラモーヌさんだ!!」
「うわぁ! 本当に綺麗! ウソみたい!!」
こっちの台詞だよ、とツッコみたくなるトレーナー。さっきまでラモーヌの威圧に近寄り難いとまで言っていた彼女たちが、ラモーヌを前にして嘘みたいに興奮を抑え切れていない。あのシンボリルドルフでさえとメジロラモーヌに気圧されるのに、彼女たちはそれをものともせずに詰め寄っていた。
メジロラモーヌも珍しい出来事に困惑を隠し切れていない様子だった。
最近の若い子、コワイ。
「貴女たち、少し落ち着きなさい」
「どうしてラモーヌさんがここに?」
「……それは、トレーナーとの旅行よ」
あ、ラモーヌそれ言ったら──手を伸ばすがもう遅い。温泉旅行という四文字を聞いた二人は、お互いに顔を見合わせてから驚愕で声を荒げた。
口走ってしまったと後悔の念に駆られ、メジロラモーヌはトレーナーと共に頭を抑えた。
「トレーナーさんと温泉旅行!? どういうことなんですか!?」
「いや、ちょっと」
メジロラモーヌが珍しく戸惑っている。
「まさかトレーナーさんとお付き合いなさっているんですか!?」
「いえ、それは
「──
思わず口走ってメジロラモーヌは口を抑える。だが吐いてしまった言葉は、もう元には戻らない。
動揺しすぎだよ、ラモーヌ。恋愛模様になると途端に弱体化する。メジロラモーヌ唯一の弱点だ。
慌ててこちらを向いたメジロラモーヌから視線を逸らし、トレーナーは明後日の方向を見てあたかも聞いてないかのような
「──トレーナーさんのことをどう思ってるんですか!?」
「──ラモーヌさんの気持ちは知っているんですか!?」
彼女たちの冷めやまぬ興奮にメジロラモーヌの一言が拍車を掛けてしまっている。終わらない問い掛けに、流石のメジロラモーヌも対応に困っている様子だった。
更に詰め寄る二人、メジロラモーヌが後退った瞬間──トレーナーはパッと彼女の手を取って駆け出す。困惑のままメジロラモーヌは彼に連れて行かれ、旅館を飛び出すようにして走った。
通りを抜けていき、荒くするトレーナーの呼吸が聞こえる。メジロラモーヌにとって、人間の走り程度では息が上がることもなければ、置いていかれることもない。寧ろ簡単に抜き去ってしまえるだろう。
だが、彼女はそうしなかった。
ただ腕を引かれるがままに、メジロラモーヌはトレーナーの背を追いかけた。
「はぁ、はぁ……ここまでくればいいかな」
そう言ってトレーナーは速度を緩め、肩で呼吸をしながら空を仰いだ。
彼の様子を一瞥して、メジロラモーヌは辺りを見渡す。いったいどこまで走って来てしまったのか分からない。だがここは、
広く、遍く、限りない緑の草原。海から流れた心地良い風が、足下に広がる草花を撫でて行く。見渡す限りの緑だ。このまま駆け出してしまえば、この身は風となって愛に包まれるだろう。
「──良い景色だ」
聞こえた言葉でトレーナーに視線を移す。だがその視線の高さにはおらず、見下ろせば彼は草原に腰を下ろして寝転がっていた。
「なにをしているの?」
「寝てる。ほら、ラモーヌも」
トレーナーは自分の横をぽんぽんと軽く叩いた。その意図を読み取るのは簡単だった。一緒に寝転がってみよう、と彼は促している。
メジロラモーヌは逡巡の困惑を見せる様子でもなく、トレーナーの横に腰を下ろした。
メジロ家のウマ娘は、謂わばお嬢様だ。
地面に腰を下ろし、ましてや寝転がるなど彼女たちには考えられないかもしれない。はしたない行動だと罵られてもおかしくはない。だが、メジロラモーヌはあっさりと寝転がった。
「確かに、絶景ね──」
幾多にも瞬く星々が、漆黒に染まった夜空で花のように咲き誇っている。天を映す彼女の灰簾石は、その星々に照らされて光を灯していた。
今思えば、こうして空だけを見つめたことなんて無かった。草花の上に寝転がり、服と肌を土で汚しながら空を見ることなど、この人生で一度も無かった。
「驚いたな、ラモーヌが一緒に寝転がってくれるなんて」
喜色を隠し切れていない声色でトレーナーが呟き、メジロラモーヌは「あら、嫌だったかしら?」と妖艶に微笑む。だがトレーナーは首を横に振った。
「寧ろ嬉しいよ」
空を見上げたままトレーナーは告げる。吹き抜けた風に辺りの草花が撫でられ、髪が揺れた。そして静寂がトレーナーのひと呼吸を置いた後で訪れると、彼は更に言葉を続けた。
「また君との思い出が増えた」
視線を横に向けて見れば、トレーナーが爽やかに微笑みながらメジロラモーヌを見つめていた。
まさか自分が見つめていられるとは思わなかったメジロラモーヌは、僅かに目を見開く。彼女の頬は仄かな朱色に染まったが、彼の瞳には映らなかった。
なぜなら、闇に呑まれる星々の淡い光が、彼女の頬を照らすことがなかったからだ。
トレーナーは視線を戻す。彼の横顔をほんの数秒だけ見つめ、メジロラモーヌも彼と同じ空を見上げた。
爽やかな春風が二人の沈黙と静寂の間に流れる。そこでメジロラモーヌは、数分前の彼の会話を思い出しながら口を開いた。
「あの娘たちに、私の話をしていたわね」
「そうだね。嫌だった?」
メジロラモーヌは首を振った。
別に自分の話をされるのは構わない。メジロラモーヌの懸念はそれではない。空を見上げたまま顔にかかった髪を指で摘み、それをなんとなく眺めた。
「別に嫌ではないわ。寧ろ、私に対する愛がわかって嬉しいもの」
「愛って大袈裟な……まあ、あながち間違いではないか……」
トレーナーがぽつりと溢した言葉に、メジロラモーヌは僅かに目を見開く。そしてすぐに目を伏せた。
トレーナーの語った愛とは、ずっとメジロラモーヌが抱き続けた彼に対するものではない。メジロラモーヌがレースに対して抱いていた愛と一緒だ。恋愛──感情の馳せる温かな想い。それとはまた別のものだ。
レースに対する思いは嘘ではない。そして彼に抱いたこの想いも、嘘ではない。
「ただ、話して良いことと悪いことがあるわ」
「悪いことって?」
「貴方の前で笑ったこと……」
「え、なに?」
訥々と告げられた言葉は風に流され、トレーナーの耳には届かなかった。だが、それで良かったと安堵し、コホンと話しを変えるためにわざとらしく咳をした。
「そんなこと、もうどうでもいいわ」
「そっか」
このままぶり返せば、自分にダメージが来かねない。だから、メジロラモーヌはこの話を終わらすしかなかった。しかし、彼女たちとの会話で彼の本音が聞けたのは良いことでもある。人は、本人を目の前にすると相手に対する愛を語れなくなる。他者との会話は、それを掘り起こす為に有効な手段だった。
暫しの沈黙は、夜空の星々に照らされる。メジロラモーヌはこの静寂を、己の覚悟を決める時間に置き換えた。
宇宙という草原に星々を咲かせて、その中でも一際目立つ月に目を向ける。天を穿ち、大地を照らすその淡い輝きに見惚れた。そして腹の辺りで自分の指を重ね合わせ、
「──今日は、月が綺麗ね」
そう、告白した。
珍しく勇気を振り絞って発した言葉だった。
かつて明治時代の文豪『夏目漱石』は、直接的な告白をそう訳した。
どれだけの歳月が経とうと、この言葉はずっと語り告げられている。恥ずかしさで直接的な告白ができないと踏んだメジロラモーヌは、この言葉を選んだ。
だがしかし、この言葉が届くことはない。
トレーナーは鈍い。憎たらしいほどに。これが告白だとは思いもしないのだろう。彼にとって、私という存在はただの担当ウマ娘で、一生徒に過ぎないのだ。
だから、この想いは胸に秘めておくことにした。
愛の流れるままに──辛かったことを、好きになることにした。そうすれば、この心がスッキリすると思ったから。彼からの言葉を待った。
ふ、と笑う声が隣から聞こえた。
「──月は、ずっと前から綺麗だったよ」
その言葉に、メジロラモーヌは思わず振り返った。
彼は夜空を見上げていた。星降る夜に、悴んだこの手を彼が握り締める。見つめていると、彼はゆっくり瞳を閉じてからメジロラモーヌを見つめた。
「ラモーヌをこの旅行に誘ったのは、理由があったんだ」
「え?」
驚きを隠せずにいると、トレーナーは突然そう言った。
握り締められるその手に、僅かだが力が込められる。彼の表情はどこか儚さを孕んでいて、心が締め付けられる感覚に陥った。
彼は訥々と切り出した。
「俺、フランスに行くことになった」
あまりにも突然のことだった。
眩暈がする。告げられた言葉が脳内に木霊していて、口の中で反芻する。どういうことなのか理解が追い付かなかった。
そんなメジロラモーヌの表情から悟ったのか、トレーナーはゆっくりと事を語り始めた。
「ラモーヌの功績とか、今までのことが認められたんだ。海外のトレセンからお誘いがあってさ。まさか凱旋門賞のあるパリだとは思わなかったけどね」
冗談めいた口調でトレーナーは笑った。
それでもメジロラモーヌは、笑えなかった。説明をされても尚、まるで理解ができなかった。
「世界最高峰ともいえる場所で学べる──トレーナーとして、これほど喜ばしいことはないよ。だからね、最後に君と思い出を作りたかったんだ」
「なによ……そんな、勝手に……」
手が震える。違う、そんなことが言いたいのではない。
担当ウマ娘として、ここは応援して、笑顔で送り出すべきだ。それなのに、溢れ出るのは恨みごとばかりだった。
「ごめんね、言うのが遅れて」
あまりにも自分勝手が過ぎる。これからもう会えなくなるから、最後に思い出を作りたい──そんな自分勝手を押し付けられて、はいそうですかと言えるわけがない。笑えるなら、笑って送りだしたい。だが、この想いはもう既に止めることはできなかった。
「ホント最低よ、あなた」
ごめん、そんな言葉が聞こえた。
彼がゆっくりと手を離す。だがその手を、メジロラモーヌは強く掴んだ。
「ラモーヌ?」
「よく聞きなさい。二度は言わないわ」
メジロラモーヌはトレーナーの瞳を真っ直ぐに見つめ、その想いに覚悟の炎を灯した。
時の流れは風と共に揺れ、脈打つ鼓動に合わせて加速する。体の芯から熱が灯り始め、それが感情の昂ぶりだと理解するのはそう難しいことではなかった。
言霊に覚悟を乗せ、メジロラモーヌはその想いを告げた。
「私は、あなたに恋をしているわ」
その言葉に、トレーナーは不思議と驚く素振りを見せなかった。
バレていたのかと思うと、恥ずかしくなる。だがそれでも、胸の内で高鳴る熱情を勢いのまま放った。
「レースに対する愛とは違う。人として、一人の異性として、あなたを愛しているの」
「ラモーヌ……」
生まれて初めて抱いた感情と感覚。
彼を思うと、心が締め付けられる。
彼を見ると、瞳が釘付けにされる。
彼を感じて、万感の想いが募った。
上体を起こし、トレーナーを見下ろして、メジロラモーヌは感情のままに言葉を続けた。
「だから、だから──」
顔を伏せる。固唾を飲んでいると、トレーナーがゆっくり起き上がった。
覚悟は決まったはずなのに──この恋はあまりにも盲目的で、臆病だ。唇を噛み締め、感情を曝け出す事がこれほどまで恐ろしい事だとは思いもしなかった。言葉が上手く出ない。恐怖が喉の奥でしがみついていた。
躊躇っていると、トレーナーが悠然と両腕を大きく広げてメジロラモーヌを抱き締めた。
「本当にごめんね。ゆっくりで、いいよ」
トレーナーの優しげな言葉に、メジロラモーヌの心は驚くほど落ち着きを取り戻せていた。
大好きな人の胸の中。吹き抜ける風の冷たさとは裏腹に、彼の胸は温かかった。
深呼吸を繰り返して、メジロラモーヌは平然を装えるほどに落ち着いた。彼の鼓動をウマ娘の特有の耳で聞きながら、先の言葉の続きを吐いた。
「…………だから、必ず帰って来なさい」
メジロラモーヌは、そう言った。
トレーナーの胸から離れ、彼の顔を両手で掴み真っ直ぐに見つめる。そこで初めて、トレーナーは表情に驚きの色を浮かべた。
「ラモーヌ、泣いて……」
トレーナーの瞳に映ったのは、いつもの超然としたメジロラモーヌではない。目尻に大粒の涙を溜め、唇を僅かに震わせるメジロラモーヌだ。
今まで見たことのない彼女の姿に、トレーナーも驚きを隠せなかった。だが直ぐにメジロラモーヌを抱き寄せた。
「うん、必ず帰って来るよ」
返ってきた言葉は、あまりにも優しかった。
鼻を啜り、震える声を必死に抑えて、メジロラモーヌは彼に吐露した。
「貴方は、この先色々なウマ娘と出会うでしょう」
「うん」
「色んなウマ娘を育てて、きっと色んな功績を残す」
「頑張るよ」
「向こうでは、しゃんとしなさい。いいわね」
「ああ、もちろん」
次々と吐露されるメジロラモーヌの言葉に、トレーナーは短い言葉で優しく返していた。
「何年も経てば、私の事も忘れるわ。記憶は薄情だから」
そんな弱音に、トレーナーは首を振る。振って、彼女の背中に回した腕に力を込めた。
あのメジロラモーヌがいつにも増して弱気になっている。今までこんなことは無かった。三年も一緒にいて、今まで見たことがない。だから、離さないとばかりに強く抱き締めた。
「──絶対に忘れないよ。忘れる訳がない。例え何かがあって忘れたとしても、また君を知るだけだ」
トレーナーの強い言葉に、メジロラモーヌは唇を噛み締める。嬉しい言葉に感情が昂るのを感じた。本当に優しい人だ。彼が自分を忘れるなど、天地がひっくり返っても有り得ない。単なる憂いであるのは分かっていたはずなのに、最低なのは自分だ。
まったく自分には本当に呆れる。惨めだ。そんな風に卑下の言葉が脳裏を
「俺のつまらない人生に彩りをくれたのは君だ──メジロラモーヌ」
頂点に咲いていた魔性の花──それに魅了された一筋の光は、必死にその背中を追いかけ隣に並んだ。
「心配なんて要らないよ。だって──」
だが今は、隣に並んでいたはずの光が前を
なのに、彼は────、
「──俺は、君を大切に想っているから」
────どこまでも
無意識に吐く言葉はどれも優しくて、胸に沁みる。感情の枷が外れ、溢れる心をそのまま溢さずに受け止める。躊躇わず、恐れず、だからつまらない。もう、彼のいる場所は私の手の届く範囲にいなかった。
今や星のように輝く貴方は、もう私の隣にはいない。隣を歩いていたはずの彼は、いつの間にか私の前を歩くようになってしまった。
愚直で、それでいて誰よりも真剣で、トレーナーは前を向き続けていた。
────今は、俺一人しかいないから。
初めて誰かに弱さを見せた。
────俺は君に一目惚れしたんだ。
真剣な眼差しに心を打たれた。
────だから、顔を上げて。
微笑む貴方の笑顔が、私は好きだ。
好きだ。本当に好きで仕方がない。レースへの愛が束の間の幸福でしかないのなら、彼への愛はなんと言うべきなのだろうか。分からない。言葉にできないこの分からない感情こそが、彼への愛──いや、恋と言うべきか。
「嗚呼、貴方って人は本当に狡いわ」
彼の胸の中で、精一杯の恨み言を吐く。だがトレーナーはふと笑った。
なにがおかしいの、と震える声を抑えながら問いかける。僅かな抵抗の為に彼の服を強く握った。
トレーナーは優しくそれを受け入れ、メジロラモーヌとは逆に柔らかく抱き締めた。
「いつの日か、必ず君を迎えに行く」
トレーナーがその覚悟を告げる。一瞬の逡巡すらも押し切って、もはや反射的にそれを口にしていた。その言葉に嘘の色はなく、彼はいたって本気であると、向けられた瞳が拍車をかけて伝えていた。
彼が、私を忘れる──それが単なる憂いだったとしても。天と地がひっくり返ってもあり得ないことだと、既に分かりきっているのに。この心は不安で満ちていた。
愛の嗄れる行方を、私は知らない。知らないから、彼の言葉に縋ることしかできない。
「本当なの……? 嘘じゃ、ないわね」
「もちろんだ。俺は嘘をつかないよ」
トレーナーは即答だった。
迷いが全くなかった。
「迎えに来なかったら、許さないわ」
「──約束だ」
トレーナーはゆっくりと離れ、メジロラモーヌに小指を立てて差し出す。メジロラモーヌは目尻に浮かんだその雫を指で拭い、トレーナーの小指と顔を交互に見つめた。
そしてその意図を瞬時に理解すると、メジロラモーヌは思わず笑いを溢してから「バカね」と罵りながら小指を絡めた。
「君こそ、俺のこと忘れないでよ?」
「忘れるはずがないわ。こんなにも面白い人だもの。嫌でも思い出すわよ」
「それならよかった」
冗談交じりの言葉にメジロラモーヌは皮肉で返す。だがトレーナーは安堵の息を溢して胸をホッと撫で下ろした。
風が時を攫う。音が哄笑を運ぶ。光が愛を照らす。メジロラモーヌはこの愛の流れるままに、トレーナーへ詰め寄ると彼の顎に手を添えた。
高鳴る鼓動を抑え込み、聞かなければならない言葉の為に。確実な言質を取るために息がかかるほど近くに顔を寄せた。
「え、ちょっとラモーヌ?」
「まだ、私の告白に対する答えを聞いていないわ」
突然のことに目を丸くするトレーナーは、メジロラモーヌの言葉に口を噤む。だがそれを易々と逃がすメジロラモーヌではない。先行して、必ず追い詰める。その絶対に退こうとしない意思を露わにして、トレーナーの逃げる隙をまったく与えない。
瞳が泳ぎ、メジロラモーヌの視線から逃れようとする。
「それは、俺が君を迎えに行った時に言うよ」
「逃がさないわよ。いま、ここで言いなさい」
ずいっと顔を寄せる。トレーナーは顔を逸らそうと体を僅かに仰け反らせた。
「白を切るつもり? まったく、じれったいわね」
トレーナーの必死の抵抗に溜め息を漏らしたメジロラモーヌは、互いの呼吸が霧散する距離を一気に消滅させた。
なにが起こったのかまるで理解できていないトレーナーは、自身の視界がメジロラモーヌの柔肌で埋め尽されていることと、唇に柔らかな感触が当たっていることだけが分かっていた。しかし、この現状に混乱していた。自分がいまメジロラモーヌになにをされているのか、理解がまるで追い付かない。
「ん……」
その喉から漏れた声は、どちらのものなのか。
互いの呼吸は、唇が重ね合わされた時点で止まっていた。
メジロラモーヌは自身の愛を示すように、トレーナーと口づけを交わしている。初めての行動を勢いのままやった所為で、互いの歯が僅かに触れてしまいむず痒い感触を歯茎に味わった。
だがそれよりも、初めての口づけの味を二人で呼吸が苦しくなるまで味わい続けた。そして先に離れたのはメジロラモーヌだった。
純粋に呼吸が苦しくなったのも理由の一つだが、何よりもこれ以上は自身の愛を抑え切れると思えなかったのだ。
「これでもまだ、私の愛が分からない?」
分からないなら、とまた詰め寄るとトレーナーは観念して叫んだ。
「──わ、分かった言うよ! 好きだよ! 俺もラモーヌのことが好きだ!」
ようやく白状したトレーナーを愛らしく思い、メジロラモーヌは「ふふ」と悪戯に笑う。だがその反面、直接その愛を聞いて恥ずかしさも感じていた。それでも、悪い気はしなかった。
「良い答えね。面白いわ」
この場を凌ぐ為に仕方なく吐いた言葉ではない。それは彼の表情を見れば一目瞭然のことだった。
なによりも、その言葉がなによりも嬉しい。彼も同じ感情を抱いていたことに、喜色を隠し切れない。普段から固く結ばれていた口角は解け、メジロラモーヌの頬は緩み切っていた。
「ふふ、好き……好き、ね……良いわ」
彼からの言葉を口の中で呟き続け、メジロラモーヌは可愛らしく微笑む。もう一度だけ言うぞ、可愛らしくである。本人はまったくそれを意識していない。
大人を象り、虚勢を張っている訳でもない。純粋で無垢な乙女の表情だった。
妖艶なメジロラモーヌはそこに存在しない。そこに
「やっぱり、君には敵わないな」
ぽつりと溢すトレーナーに、メジロラモーヌはいつもの妖艶な笑みで返す。口元に手を当てて「ふふ」と笑っていた。その頬に、既に涙の跡はない。そこにいたのは、いつもの人を揶揄う調子で笑うメジロラモーヌの姿だった。
さっきまでの彼女の姿が、まるで嘘のようだ。
だが、そんな彼女もまた良い。自分だけが見れる彼女の姿。やられた、という感情よりも謎の優越感が巡っていた。
「もはや、曲解はいらないでしょう?」
「ああ、君の想いは確かに聞いた。そして俺の想いも、君は聞いた」
彼は、彼女のその性格が好きだった。
誰よりも純粋で、真っ直ぐで、情熱的なその想いが。
彼女は、彼のその性根が好きだった。
誰よりも優しくて、正直で、お気楽なその温かさが。
揶揄い、揶揄われて、支えて、支えられて、二人はこの数年間で互いのあらゆるところを見てきた。
導く教師として。
進む担当バとして。
子供のように笑う彼の姿を
少女のように笑う彼女の姿を。
二人は見守り続けてきた。
「俺たちは、教育者と教え子の域を超えてしまった。君はまだ生徒で、俺はまだトレーナーだ。現実は非情だから──俺たちの関係は本来は許されない」
トレーナーは、現実での常識を語る。非情なこの世界に、メジロラモーヌは「そうね」と僅かな憎しみを募らせていた。
本来トレーナーは教員とさほど変わらない立ち位置の人間であり、まだトレセン学園に在籍している彼女と恋愛的感情による親密な関係になることは常識的に許されない。だからこそ、トレーナーは自分の想いを吐こうとはしなかったのだ。遠回しにその想いだけを吐いて、遠い地に行けば自分の考えも改められるだろう、と。だがメジロラモーヌに負けて自分も言ってしまった。
恋人、という関係性に至らず、トレーナーと担当ウマ娘の関係のまま別れて、彼女が大人になってから迎えに行く。そこで改めて、自分の抱えていた想いを吐けばいい──そんな彼の描いた未来は簡単に打ち崩されてしまった。
「そうね。私にも貴方にも〝今〟の立場があるもの」
メジロラモーヌも、それは理解していることだった。
その事実を踏まえた上で彼女はトレーナーに手を差し出した。
「だから貴方は、私を迎えに来てくれるのでしょう?」
メジロラモーヌの言葉にトレーナーはきょとんとした表情を見せた。彼女の差し出した手を見下ろし、顔を上げてそこにある灰簾石を見つめる。その表情には明らかな確証が滲んでいて、改めて彼女の強さに打ちのめされて笑いを溢した。
故に、トレーナーの返す言葉はただ一つ──、
「ああ、もちろん!」
微笑むメジロラモーヌの手を取って、トレーナーは力強く頷いた。
一途でひたむきに。風薫る枯淡の日々、眠っていた恋は淡い春のようだった。見上げた夜空では、月の船が光の帆を張り、二人を待宵へと誘っている。二人の覚悟は月光に照らされて、嗄れることのない愛を囁く。この普遍に広がる景色を、麗しの舞台へと染め上げていた。
◇
春の風が温かい。
窓の外から聞こえる生徒たちの喧騒を見つめながら、目的の場所まで心が急かす。それに流されるように向かう足取りも僅かに早くなっていく。早く、早くと、この心は急ぐばかりだった。
過ぎ行く景色にずっと憧れていた。
夢見ていた眩い世界の光輝。目に映るものすべてが輝いているように見えた。
この心が昂っているのは、これから始まる生活に高揚しているからなのか、それとも入学して直ぐに
「ここで、私もあのヒトみたいになれる……」
彼女はボリュームのある青鹿毛を揺らし、扉の前で深呼吸を繰り返す。前髪に流れる星形の流星が窓から差し込んだ陽の光に照らされ、彼女の急ぐ心に拍車をかける。そしてノックすることすらも忘れて、扉に手を掛けた。
「失礼します」
そう言って、トレーナー室の扉を潜った。
温かな陽の光が部屋の温度を僅かに上げ、開いた窓から春風と共に生徒たちの喧騒が流れ込んでいた。
棚に並んだ未だに輝きの衰えない数々の栄光を目にして、高鳴る想いは更に昂っていた。そして視線を彼がいるはずの奥へと向けて、異変に気が付いた。
「あ、あれ、いない……?」
そこに待っているはずの彼の姿はなかった。
トレーナー室を見渡し、この部屋にいないことを理解する。少しの思考の後に、彼女はトレーナー室の奥──作業机の前まで足を運ぶ。机の上には開きっぱなしのパソコン、空になったエナジードリンク、乱雑に置かれた資料の束が置いてあり、写真立ては倒れている。僅かに、いや、かなり散らかっていた。
パソコンを見るに、さっきまでここにいたのは確かだ。
「どこに行ったのかな……」
顎に手を置いて、どうするべきか悩んでいると机の中心に置かれた指輪に目が行った。
「トレーナーさん、結婚してる人なんだ」
テレビや取材で彼の存在こそ知っていたが、既婚者であることは知らなかった。もとよりそういったプライベートのことは公にはしていないからなのかもしれない。
光に照らされて、美しく輝く指輪をぼんやりと眺める。そして指輪の裏側に、とあるヒトの名前が彫られていることに気が付いた。
「この名前……」
「あれ、もう来てたんだ」
背後から投げられた突然の言葉に、彼女はビクッと肩を震わせる。慌てて振り向くと、そこにはトレーナーが段ボールを持って立っていた。
「す、すいません。早くトレーナーさんに挨拶をしたくて」
トレーナーの身なりはどこかくたびれているように見えた。それでもネクタイだけは真っ直ぐで、彼女にとって彼はかなり不思議な印象だった。
彼は「真面目なのは良いことだね」と言いながら、段ボールを適当な場所に置く。そして作業机の椅子に腰を下ろすと、トレーナーは真っ直ぐに彼女を見上げた。
「さて。早速だし、もう一度聞くけど、本当にトレーナーは俺でいいんだね? まだ入学したばっかだし、ゆっくり見てから決めるのもいいと思うけど」
トレーナーの言葉に彼女は首を振った。
「いえ、トレーナーは是非あなたに頼みたいと入学前から心に決めてました。なので、迷いはありません」
「入学前から? 俺もとうとう有名になったなあ」
冗談交じりに、そして感慨深く思いながらトレーナーは笑う。よし、となにかを決めたように声を上げ、ゆっくりと椅子を回転させてから立ち上がる。そこで彼は机に置かれた指輪の存在に気が付いた。
「あ、まずっ。また指輪を置きっぱにしてた……」
トレーナーは指輪を薬指に嵌め直す。そこで彼女は、ふと指輪の裏側に彫られていた名前を思い出した。
「トレーナーさん、その指輪に彫られてる名前って……」
そこに彫られていた名前とは、彼女が憧れている人物でもあった。
その描かれた軌跡に見惚れ、
そう、そこに彫られていた名前とは────、
「メジロラモーヌ──昔、彼女のトレーナーをしたことがあってね」
トレーナーはそれ以上多くは語らなかった。
だが、指輪を見つめる彼の瞳は優し気で、懐かしむような色が滲んでいた。これ以上プライベートに踏み込むのも些か気が引け、彼女も問いかけることはなかった。
「私、メジロラモーヌさんに憧れてトレーナーさんを選んだんです」
「え、そうだったの?」
「はい! 私も、メジロラモーヌさんのようになりたくて、必死にトレーナーさんを探しました。フランスから帰ってきて、トレセン学園に戻ったと聞いた時は嬉しくて……」
喜色を隠し切れない様子で語る彼女に、トレーナーは微笑んだ。
「メジロラモーヌさんの走っている姿は、どれも綺麗で、格好良くて、そして──楽しそうでした」
「確かに」
「あの純粋な想いに惹かれて、私も夢を持ちました。私もいつかああなりたい。メジロラモーヌさんのような、あんなレースがしたいと」
彼女の想いを聞き、トレーナーは「なるほど」と声を漏らす。どこか懐かしい感覚があった。熱意も、語り方も、なにもかもが彼女と違うのに。その真っ直ぐで、純粋な想いを馳せる彼女の姿は、どこかそれを思わせるものがあった。
もとより答えなんて決まっていることだったが、トレーナーの熱意はさらなる紅に染まっていた。
「はははっ、それが君の〝愛〟か。良いね。よし、俺も心決めたぞ」
そういったトレーナーの口ぶりには覚悟があった。
それでいて感情が昂っているのも、表情から見て取れた。
トレーナーは倒れている写真立てを立て直し、彼女の前に立つ。そして光の灯った漆黒の眼差しを向け、手を差し伸べた。
「俺が、君の走りを
その言葉を聞き、デアリングタクトの思いはより堅牢なものへと変わっていた。
差し伸べられた手を取って、デアリングタクトは強く頷く。答えはたった一つだけだった。
「──はいっ!!」
新たに始まる伝説の行方を、人々はまだ知らない。
直された写真立てには『一人のトレーナーと、美しいドレスに身を包んだ青鹿毛のウマ娘が結婚式を上げている写真』が飾られていた。