転生先は百合ゲーのモブでした。 作:王子様系女子が好き。
モブは知りませんでした。
——三月。
桜が顔を見せ始め、梅の花が咲き誇る時季。
まだ寒気を帯びた春風が、私の頬を撫でた。
春。別れと出会いの季節。
この春から、私の知っている世界が始まるのでした——。
***
「また此処にいたんだ。」
文庫本を読むために首を俯かせ、視界いっぱいの活字を取り込んでいる時、不意に声を掛けられる。今まで読書に没入していた脳に、カチンコが鳴らされたように、ふっと意識が浮上した。
「やあ、アリサ。」
頭を持ち上げ、声の主に挨拶をする。彼女は私の顔を確認して満足したのか、向かいの席に腰掛けた。日によって照らされ、彼女の金糸のような髪の毛一本いっぽんが煌めいて見える。
——
『花と恋と
ゲームの大まかな説明をしてしまえば、昔懐かしい御嬢様学校を舞台とした恋愛ゲームであり、上級生と下級生が【姉妹契約】を交わし、きゃっきゃっうふふするタイプの古典的百合ゲーだ。
そして、目の前の彼女こそが花ヴァジのメインヒロイン稀崎アリサ本人であった。
「クロエ、また此処で本を読んでいたのね。本当に此処が好きなのね。少し妬けちゃうわ。」
冗談めいた口調で、アリサが揶揄う。
庭園の東屋。それが私の居場所。物語の登場人物に関わらないようにしようとするうちに辿り着いた、人気の無い隠れ家。
来ようとしなければ立ち寄ることも出来ない此の場所に、どういうわけかメインヒロインの彼女は度々訪れた。
好かれるような事をした覚えは無いのだが……。
「——……ロエ、クロエってば。話聞いてる?」
原因は何か、と思考に耽っていると彼女に起こされてしまう。考えていても仕方あるまいと頭を振ると、邪念も同時に落ちていくようだった。
「ねぇ、クロエ。"あの話"考えてくれた?」
「あの話ってなんだっけ。」
何度も彼女から持ちかけられた提案であったが、さも忘れてしまったかのように惚ける。すると彼女は、作品内のイメージとは異なるような顔をして、ぷくぅと頬を膨らませるのだった。
「【姉妹契約】の話よ。何度も言ってるじゃない。」
「あぁ、それね……。」
私はこうして、ゲームのメインヒロインに姉妹契約を持ち掛けられているのだ。
冷や汗が止まらない。どうしてこうなったのか、自分では分かりやしない。自分が大好きな作品の中に介入してしまう事に吐き気すら感じて止まない。
有り得ない。ありえないのだ。稀崎アリサがモブと姉妹契約だなんて。
「私達も来月には三年生。最上級生だ。来年度には新入生が入ってくる。そう焦る必要はない。一年生の中から、御眼鏡に適う子を見繕えば良いじゃないか。」
此方から提案し、上手いこと躱わそうとする。内心ばくばくなのに、澄ました顔をしては、相手を諭すように語った。
「それに……。」
「——私は、クロエ貴女がいいって言ってるのよ。」
「それにだ。私達は二年生で同級生じゃないか。同級生で姉妹だなんて可笑しな話だよ。」
いつもの決まり文句を言い、彼女の話を断った。何度も何度も口にした為に、おしゃべり人形のように繰り返すことが出来る。
それに、歳の差があるからこそ、姉妹は光り輝くのだ。同級生で姉妹は有り得ない。邪道も邪道。大邪道。二次創作には、もう一人の三年生とアリサのカップリングもありはしたが、私は一切許してはいなかった。
「はぁ……。また振られちゃった。人には姉妹契約しないのか、なんて訊いてくる癖に、自分はこれっぽっちも興味が無いですって顔をするんだから……。」
「きっと一年生の中に良い子がいると思うよ。」
「いつもそれね。」
アリサは呆れたと言わんばかりにため息を吐いて、御嬢様らしからぬ頬杖を突いた。
そう、一年生。一年生なのだ。来年度の新入生の中に彼女はいる。花ヴァジの、この世界の主人公はいるのだ。だからこそ、彼女が入ってくる前に私などと姉妹になっていては困るのだ。特に私が超困る。
「私は忙しいんだ。来年度には三年生。そうしたら、あっと言う間に卒業だ。この一年で最後の磨きにかからなければならないんだ。」
「クロエ、卒業後は決まってるんだっけ。」
「うん。家業を継ぐ事になっている。」
私も仮にも御嬢様。御嬢様学校に入学出来る家庭で生まれ育った。礼儀作法から何から何まで叩き込まれて、家では立派な御嬢様を演じられている。
と言っても、うちは所謂成り上がりで、父親が一代にして築いたベンチャー企業だった。
「卒業後は父の下で三年間、秘書として学び、その上で継げるだけの器か判断されるんだ。だから、そろそろ追込みの時期に入らなければならない。学業は疎かに出来ないんだ。悪いけど、【姉妹契約】に現を抜かしてる暇は無いんだ。」
「でもクロエ、貴女学年八位だったじゃない。」
「アリサは万年一位だけどね。」
関わらないようにはして来たものの、なんだかんだ彼女とは仲が良く、茶化しあう事も出来るようになっていた。それもこれも、彼女から私に話しかけてくるからである。
「アリサは進路、決まってないのかい?」
作中では語られていなかった為に、興味本意で問うてみる。それでも興味津々だという事を悟られないように、目線は本に、顔は突っ伏したままだ。
「私は進学かな。その方が箔が付くからって、お父さまが……。」
アリサは暗い顔をして口にする。彼女の表情は曇らせフェチの紳士淑女の皆々様にとっては三度の飯よりも好きかも知れないものだった。
「じゃあ、アリサとこうして居られるのも後一年ってわけか……。寂しくなるね。」
「本当に寂しいと思ってる……?」
「ちょっとだけ、ね。」
塩を摘むかのように指で大きさを表すと、アリサは「もうっ!」っと言って、顔を背けてみせた。ある種のパフォーマンスなのがわかっているので、必死になって取り繕おうとはしなかった。
「それなら、卒業後も会いに来てくれる……?」
「難しいかな。私は忙しいからね。大体、いつも来るのはアリサの方じゃないか。」
捨てられた仔犬の様な目をするものだから、ついつい悪戯な返答をしてしまう。私から彼女に会いに行った事など、唯の一度も無いというのに、可笑しなものだと思った。
「クロエも一緒に進学出来れば良いのに。」
「……まぁ、父に掛け合ってみるよ。私としてもモラトリアムは有るに越したことはないからね。」
「本当ぉ!?」
アリサは、その育ちからは考えられないような、プレゼントを開ける子供みたいに高揚感を露わにしてみせた。
にこにこと喜ぶ彼女に、今更望みは薄いとは言えまい。私は言いかけた言葉をぐっと嚥下した。
「進路の件は一旦置いておいて……。アリサ、キミ生徒会の仕事は大丈夫なのかい。来月には入学式を迎えるんだ。生徒会は大忙しって耳にしたもんだけどね。」
話を逸らす為に、彼女の目的を思い出させる。忙しい状況だというのに、そのスケジュールの何処に私なんかに会いに来る時間があるのか。私は不思議でならなかった。まさか私のために捻出しているなどという事は有り得まいが……。
「そうだった。少し息抜きしようと思ってだったけれど、話過ぎちゃったわね。」
そう言うと、アリサは立ち上がり、優雅に襟を正す。花が舞う庭園は息抜きにはぴったりだっただろう。休息の為であったのならば、私は居なければ良かったな、なんて考えた。
「……さてと。私、もう行くわ。それじゃあまたね、クロエ。」
「あぁ、頑張ってね。
別れを告げるアリサに、私が揶揄うように激励の意を伝える。そう、彼女は此の学校の生徒会長なのだった。
多くの支持を得て、生徒会長に選ばれる程に品行方正なアリサと、その日の気分次第で授業をサボる風来坊のような私とでは釣り合わない。彼女が私なんかと親しくしていると知れれば、彼女の評判を落とすことは間違いなかった。
流麗に去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、今後のことを考える。——来月には……来月には彼女が入ってくる。主人公がやって来る。
陽の下を歩く彼女達と、陽を遮る為に建てられた東屋に居着く私。決して交わることのない両者。
——私はコレで良いのだ。このままで良いのだ。
春風に煽られて、茹った頭は余計な事を考えさせた。空気を求めて喘ぐ魚のように、空を仰ぐ。有明の月が妙に印象に残ったのだった。
***
雪宗クロエという少女は知らない。
自身が、少女達に『花園の君』と呼ばれ敬慕される、『お姉様』であることを——。
王子様系の御嬢様ってよくない……?