推しの為に死ぬ話。 作:ざるそば
小さく、息を吐いた。
やれるだけの事は全部やって来たつもりだ。今の俺で出来るだけの事は何かも。
師から剣を譲り受け、マギラからは魔術と魔眼の力を受け取り、神様からは技量と肉体を授かった。
改めて、自分の体を見る。下半身は全てが黒鉄の鎧となり果てており一目見ただけでそれが生身だとは思わないだろう。腰から上に上がるにつれて、生身の部分が所々に見えてくるがそれでも人間の肉体からはほど遠くなった。
最初こそ、この体に慣れなかったが日にちが経てば何とかなってきたものだ。人の殻で言えば心臓に当たる部分は核となる魔力炉心が埋め込まれており、そこから無尽蔵に等しい魔力が供給される。
使い道を選ばないのであれば、世界を滅ぼせるだけの力。だから俺は――それをたった一人の未来の為に使うと決めた。
その決意に、迷いはない。
「……」
空を見上げる。この肉体を授かった日から凡そ数ヶ月。
もうすぐマギラが魔術で見た日付が近づいてきている。ウェルナスの学園襲撃。アイリスの死亡。
俺はそれを防ぐために足掻いてきた。彼女が生きる未来を拓くために生きてきた。
もうすぐ何もかもが終わる。
どうにも落ちつかない。
試練の後この体に慣れるために、旅へ出た。転移の術式は、マギラがくれた欠片があるからいつでも跳べるし、移動手段を気にしなくてもいい。
だけど、どうしても自分の足でもう一度この世界を歩きたくて。不便を承知で歩き回った。
地平の彼方まで広がる草原を自分の足で行くのは、何とも言えない心地良さがあった。そよ風が吹く都度、まるで大地その物が息をしているかのよう。
森の中で整備された街道を馬に乗って行くのは、旅の醍醐味だと感じた。道中、休憩の合間で馬と戯れる時間は別れが寂しくなった。
空を飛び大陸から大陸へ渡る飛空艇。展望台へ出れば、雲が視界一面に広がる世界に目を奪われた。夜になれば、澄み切った空へ浮かぶ満月が鮮やかに輝いていた。この世界が進めば、人はそこへ行けるのではと思った。
「……心残りは済ませておくか」
多分、これが最後になるから。
会える人には会っておこう。
別れが後悔にならないためにも。
「――なるほど、そのために余へ会いに来たか」
「はい」
まずは神様へ。手ぶらで会いに行くのもと思ったけど、生憎喜んでくれそうなモノに心当たりが無かった。
この出会いが無ければ、俺は力が足りないままだったから。
「ふむ……本来なら切って捨てる所であるが、まあ良い。マギラめには会ったか?」
「いえ、まだです。最初は、貴方の所から行こうと思いまして」
「ほう?」
「だって、貴方がその気なら俺はこの世界に来た時点で死んでいたっておかしくなかったですし」
神様は俺の事を異物として認識していた。
彼の力なら、その時点で殺す事だって出来た筈なのに。
「ただの気まぐれよ、まずは貴様が何を為すのか見定めなければと思ったまで。――まさか一人の未来の為に使い潰すとまでは予想できなかったがな」
「……他の人達は違ったんですか?」
「つまらぬヤツらだったな。惰性で生きる事だけに意味を求めていた。世界と共に生きていくのではなく、自分の為の世界であろうとした。
況してや、余を消そうとしたのでな。望み通りこの世界から消し去ってやったわ」
ああ、やっぱりこの方は間違いなく。
「貴方は、自分の世界を愛しているんですね」
「無論、それこそが生み出した余の責務でもある。」
苦難を与えるのは発展へ進ませるため。
そうして人類は進化を遂げて、次の段階へ進んでいく。
彼はその過程をずっと見届けているのだ。
何千年も長い間、この場所で、たった独りで。
「貴様やその師であった男のように。運命と向き合う者が稀にここを訪れる時がある。何の拍子かは知らぬが。
余はな、そやつらの目が気に入っている。人間の目だ、何があっても成し遂げると言う狂気にも似た覚悟を抱く戦士の目。
短く瞬きに等しい時間の中で、何もかもを絞りつくして前に進もうとする。脆く矮小で非力な筈の人間が、その時だけは余に等しい領域へ至る。
――その瞬間が、ただただ尊く、輝かしいと思うのだ」
宝物を前にした子どものような瞳で、神様はそういった。
命を賭けて、前に進もうとする者を見届ける。それが正義であれ悪であれ。成功であれ失敗であれ。
挑戦そのものを認め、見届けると。
「……」
「貴様はまだ走り続けている途中だ。最後まで己らしく駆け抜けるがいい。残った未練は、全て余が聞いてやる」
「はい、ありがとうございます」
気持ちが少し落ち着く。
何せ相手はウェルナス。世界最強であり、数百年にわたって人類の敵であり続けた男。
やれる事は全てやったけど、それでもまだどこかに不安が残っていた。
迷いは僅かに残ったまま。それでもやりきるだけだ。
「そういえばもてなしがまだであったな。異世界より来訪した旅人。言わば客人のようなものだ。
どれ、ここは一つとっておきを見せるとしよう」
「とっておき、ですか」
「うむ、見せるのは貴様が初めてだろう。眼に刻み付けておくがいい」
神様が指を鳴らす。
瞬間、見えたのはどこまでも広がる黒い空間と中心へ集まりつつある無限の光の本流。それは遥かに巨大で運河よりも遥かに広大だと、一目でわかった。
「――」
そうして光が弾けて、宇宙が生まれた。数多の銀河、数多の星雲。それらは眩い光を放ちながら、ただただ先へ。どこまでも先へ広がっていく。
どこまでも描かれていく鮮やかな色彩。
そうして、一つの惑星が出来上がって世界が作られていく。水が大地が空が雲が、自然が動物が人間が――。
そうして、気が付けばまた神様の目の前にいた。
「――」
「どうだ、目を奪われたであろう? この世界の誕生。即ち、星の生まれる時。これが余にとって始まりの記憶。悠久の彼方であろうと、決して色褪せる事のないモノだ」
「何で、こんな景色を俺に?」
「師である男からは剣を受け取り、マギラめからは魔を学んだと聞いている。であれば、余も何か一つ貴様に見せてやらねばなるまいよ」
神様は、上機嫌に。けれどその一言一言には確かな重みがあった。
「望むのならば、貴様が願った最良の未来をくれてやる事だって出来たとも」
「はい……。でも、それだけでは意味が無いですから。
結果を求めるのであれば、それだけの過程が必要になる。――そう、教えてくれました」
「……ふむ、良き弟子に出会えたようだなあの二人は」
「師達が良かっただけです。俺は、何も」
「遠慮はやめておけ。理解する側とて、充分な器が求められる。貴様は自分の意志で応えたのだ。胸を張るがいい」
神様が立ち上がる。
時間が来た、と言いたいのだろう。
俺も立ち上がって、小さく頭を下げてから魔法陣へ戻っていく。
「ヴァン・カーハイン、終わりを定め、終末へ歩く者よ。
この世界はどうであった? その記憶には、どう残った?」
足を止める。その言葉は、試す訳でもなくただの疑問だった。二度目の人生を送ったこの世界を、どう思ったのかと。
返す言葉は迷うまでも無かった。
見てきた奇跡は言葉に尽くせなかったけれど、それでもありったけの想いを込めて。
「――前世と同じぐらい、色鮮やかに残る思い出ばかりの世界でした」
「そうか。異界より来た旅人よ、この星はいつまでも其方を見守っている」
マギラと訪れたのは師匠が亡くなった場。即ち、俺がかつて過ごしていた場所。
最早手入れする人はいなくなり、埃を被ったり獣に齧られた箇所が目立っていた。時々訪れては掃除を軽くしたけれども、それでも時間が足りず結果的に荒れてしまったままだった。
俺と彼女はそこで手を合わせていた。鍛冶場の中、槌を添えた場で。
「……ありがとう、彼を弔ってくれて」
「俺に出来たのなんて、見届けるだけでした。」
「それでも、看取ってくれた人がいるだけ救われたと思うわ。
独りは、誰だって寂しいもの」
ここで過ごした時間は、俺にとって最も大きく、そして幸せだった。
あの人と出会っていなかったら、間違いなく死んでいたと思う。
「……俺にとって、恩人であり師匠であった人ですから」
「彼に会えたのが、貴方で本当に良かったわ」
俺なんて、ただ運が良かっただけだ。
――背中を押してくれたあの人に報いるためにも、俺は。
「……」
剣を見る。命を燃やし尽くして打ってくれた最期の剣。幾千の戦いを超えて、未だに刃毀れ一つしておらず、刀身は全く歪んでいない。
鞘から抜けば、波紋にはまるで鏡のように俺の顔が映っていた。
生涯と引き換えに打たれた、ソレは特殊な魔力を得ていると彼女は言っていた。故に魔剣として使えば、絶大な力を発揮するだろうと。
使えるのはたった一度切り。ならば、それがどこで使うかなんて迷うまでも無かった。
「本当に、こんな所まで来てしまったのね」
「?」
「出会った頃の話よ。ほんと、ただの少年だと思ったのに。そんな貴方が、とうとう目指してたモノに手が届こうとしている。
夢みたいな話だと、思ったの」
「俺もそう思ってます」
ああ、本当に思い返せばそれだけで一日が終わってしまいそうな程な旅だった。
死にそうな事も、心が折れそうな事だって何度もなった。
そんな俺がここまで来られたのは、自分自身が信じた願いのため。
まるで星のように輝くソレを目指し続ければ、きっと迷わないと思ったから。
――彼女が生きてくれる未来。ただ、そんな理由でここまで走って来た。
後、少し。後少しなんだ。それで、何もかもがきっと終わる。
でも不思議と、寂しい気持ちは無かった。
「ああ、思い出した。後、これを渡しておかないと」
「これは……?」
俺がマギラに渡したのは何の飾りもない短剣。見た目こそ地味だが、素材は世界中を駆け回って搔き集めた。
彼女に渡す物を、妥協なんてしたくなかったから。
「俺がここで打った最後のモノです。貴方には与えて貰ってばかりだったから、何か一つでも返したくて」
「――」
「その、色々デザインとか調べたんですけどいまいち上手くやり方が分からなくて。今の自分に出来る精一杯でした」
「――……そう、ありがとう。大切に、するわね」
彼女は短剣を受け取ると刃紋を指でなぞってから、渡した鞘に納めた。
実戦用とか、そんなのはよく考えていない。そもそも彼女、殴る前に指先一つで消し飛ばせるし。
渡した俺が言うのもなんだけど、これ役に立つんだろうか……。
「……参ったわね、今の私からお返し出来るのは何があったかしら」
「貰っていたのは俺の方です、それでもまだ足りないぐらい」
もし出来る人なら、ここで洒落たお返しとか出来るんだろうけど生憎俺にそのセンスは無い。
かつて魔物討伐で共闘した人達から意見も貰ったけれど、お前が今できる事で十分だろうとの返事だった。
「……ねぇ」
「はい?」
「意思は……変わらないのよね?」
いつか彼女から聞いた言葉。
マギラと共にあの館で人生を共にする未来。
彼女と世界を巡る旅は、有意義であり言葉では尽くせない程の経験と出会いがあった。
この人と出会っていなければ、俺はこの広い世界を何一つ知らないままだっただろう。
「……はい」
俺の願いは、今もアイリスのために。
それは変わらない。変える事のない決意だった。
「そう……。いえ、ごめんなさい忘れて。
貴方は、決戦を控えているのに」
「大丈夫です、出来る事は全部やり尽くしたので」
でも強いて言えば。
もう一度美味しい物を食べに行きたいぐらいはあるだろうか。
この体は戦闘以外の用途を目的とされていない。
故に味覚とそれに関連する臓器は無くなっていた。何もかもが戦う事に特化されたモノ。
当然のことだ。これぐらいしなければ、俺はウェルナスに勝ちの目を見出せない。奇跡は対価があって初めて起きるのだから。
「……貴方は珍しい子ね」
「珍しい、ですか?」
「ええ、私の魔道と彼の剣。あの方と出会った知見――そのどれもが今の人類にとっては欲しがるモノだから。
今の貴方が国に帰れば、名声も地位も思うがままだったでしょうに。それこそ、あの子の事も」
「……俺は、そんなの良く分かりませんから」
貴族のしきたりなんて俺には分からない。名誉も、肩書きもあった所で無駄だろうし
その重みを理解出来ないのだ。
だったら自分に分かる事で、自分に出来る事で。俺はやれる事をやりたい。
「……そっくりねあの人に」
「師匠に、ですか?」
「ええあの人も、国の権力争いに嫌気が差して飛び出したみたいだから。“国の為に剣を打つなんざ真っ平御免だ。俺は俺が打ちたいと思ったヤツに剣を打つ”って」
「……」
「彼の人生は、確かに人に振り回され欲に利用されたモノだった。それでも、最後に貴方と出会えたのは救いになった筈よ」
「そう、なんですかね」
「ええ、だって。その剣を託したんですもの。あの人にとってはそれが何よりの証明よ」
何の飾りも無い質素な作りでありながら、ただ見るだけで美しいと感じてしまう刀身。
旅の最中でも決して手放す事は無く、命を預ければその都度応えてくれた。
ウェルナスとの戦いに備え、ある程度の整備は行ってきた。ヤツの攻撃はまだ直接受けた事は無いが、普通の剣であれば一撃で武器ごと破壊されるだろう。
俺が命を預ける剣はこれただ一つ。他は在り得ない。
――この旅はもうすぐ終わる。この剣も役目を降りる時が来る。
その時、俺は一体何を見てこの生涯を終えるのだろう。
「……」
怖い、と言う感情は少しだけ残っている。死と喪失、苦痛への恐怖は決して慣れる事は無かった。
でも多くの人と出会って、多くの戦いを超えて、多くの感情を見てきたから。
俺は俺に出来る事をやる。ただそれだけ。
「……怖いの?」
「少しだけ……。でも大丈夫です。武者震いみたいなものですから。きっと戦いが始まれば、全部消えます。
嵐に飛び込めば、後はどう凌ぐか考えるだけですから」
「……そうね、貴方は結局最後まで変わらなかった。中身は戦士として強く、逞しく育ちながら。人としては最後までそのままだった」
「え、結構変わった気がするんですけど」
「背伸びが上手になったぐらいでしょう。貴方そのものは変わってないもの」
マジかよ。ちょっとぐらいか多少は変わったと思ったんですけど。
……でもまあ変わり過ぎてたら、王国に戻った時誰にも気づかれなかったらヘコむ自信がある。
いや、知り合いなんてほとんど覚えてないけど。
さてそろそろ王国へ向かおう。旅の終着点、終わりの場所。
結末を迎えに行く時だ。
だからその前に、最後のお礼を。
「でも、俺がここまで来られたのは師匠と貴方と神様のおかげです。それは何があっても変わりません。
今の俺には返せる物も言葉も足りませんが、それでも精一杯の感謝を。ありがとうございました」
「……――行ってきなさい、ヴァン」
走り出す。目指すは王国へ。旅の始まりを追うように。
さあ、行こう。
駆けていく小さくも頼もしい背中を見送る。闇夜にその背中が溶けていくまで、決して目を放さなかった。
最後までずっと、喉まで出掛かっていた言葉を飲み込む。
「……行かないで、って無責任に言えたらどれだけ楽だったのかしらね」
そう呟いて、短剣の刃をそっと撫でる。――永遠を宿す魔術を一つ。
この証が、決して傷む事の無いように。時の流れで衰えてしまわないように。
そんなもの、私にとっては指先一つで簡単な事だったと言うのに。
誰にでもある初めての気持ちを叶えられなかった、なんて。
「……ヴァン」
私は、どうして。いつも――。
魔道装甲――それは生半可ならぬ防御力の他に、無尽蔵に等しい魔力を供給し続ける。それは永遠と燃え盛る炎が、自分の内側にあるかのよう。
師匠が独学で鍛えあげた特殊な金属に、マギラが改造と設計を施した一品。強靭な肉体装甲と暴力に等しい魔力炉心は、単騎で国すら滅ぼして見せるだろう。
――文字通り世界の命運を左右する力。
繰り出される連撃。その威力は今までの比で無い。生身でも掠めれば、それだけで半身を持っていかれると錯覚してしまう程に。
魔道装甲に移し替えていなければ、俺は間違いなく即死していた。
使っていた剣はもうない。
けれど、まだ魔眼と魔力は残されている。
「……!」
「らぁっ!」
右手から溢れる魔力を剣の形に留める。生身ではないこの体なら、魔力は潤沢に溢れてくる。顕現するのは赤き剣。まるで炎がそれを形どったかのようで。
振るう一閃は、ヤツの体を捉え少しだけだが後退させていた。その体から、血が溢れている。
「傷を、受けたか……! はは、どれぐらい久しい感触であろうなっ……!」
「余裕、だなっ!」
魔道装甲の魔力炉心。無尽蔵に等しい魔力を全力で稼働させ、ウェルナスへ叩き込み続ける。
動けば動く程、振るえば振るう程に自分の体が崩れていくような錯覚がある。
「まだ! まだだっ! そう簡単に終われぬ! 終わってなど、なるものかッッッ!!!」
「ちぃっ!」
最早防御は互いにとって意味を為さない。ただただ双方の体を打ち合うだけの応酬。
その繰り返しだけでどれだけの時間が経ったのか。
全身が、体の内側が沸騰しているかのように熱い。
意識が曖昧になりつつある。
「そこッ!!!!」
「――」
鳩尾から、顎先への二発。たったそれだけで、意識が明転する。
全身の力が抜ける。ヤツが絶殺の構えを取る。
振り絞ろうとして、気力が入らない。
動けないと言うのなら、きっとここが潮時か。
精一杯やった。凡人ながら、よくここまで足掻いた。
当初の目的は果たした。この場で俺が死んでも、きっと彼女は生きてくれる。
だからもう、目を閉じて。眠ってしまっても――。
『馬鹿も休み休み言え。後少しだろうが、せっかくの出来がなまくらになっちまうぞ?』
――その声、は。
『まだ道半ばだ。お前にそんなヤワな背中を見せてやったつもりはねぇ。最後の最後まで張り続けろ。
結局は根比べだ』
……はは、手厳しい。
褒めてくれてもいいんじゃないですかね……?
『剣の出来が落ちてやがる。俺が見たお前の剣は、そんなモンじゃなかっただろうが』
……そっか。あぁ、そうだった。
貴方の弟子として、不甲斐無い剣だけは作れない。
もしそうなってしまえば、会わせる顔がないですよね。
だから――。
『馬鹿が。そりゃ、弟子が弱気になったら叩き直してやるのが師の役割ってモンだろ。……まあ俺も、そこまで大した事はしてやれなかったがよ』
いえ、違います。貴方は俺の背中を押してくれました。
子どものようなどうしようもない夢を、命を賭してまで信じてくれた。
そんな俺が、こんなところで終わってしまったら。貴方に顔向けできないや。
『そうかい。だったら立ちな。お前さんがどんなに無様に転がりながら進もうと、最後まで見守ってやるからよ』
――ありがとうございます、師匠。
「おおおおおおおおっっっ!!!!」
「っっっっ!!!??」
絶殺の一撃。俺の心臓に当たる部分を穿とうとしていたヤツの拳へ、強く魔力を帯びらせた拳を叩き込んだ。
極限に圧縮された魔力同士が激突して衝撃が走る。その余波に全身が悲鳴を上げた。
でも、そんなの知った事か。
「自慢の剣だ、遠慮するなよ!!」
纏わせた魔力を、剣の形へ変貌させる。それは輝きも刀身も、何もかもが先ほどまでとは違う。
文字通り、全てを絞り尽くして何もかもを擲って錬成されたモノ。
振るった瞬間、それは肉体だけではなく空間ごと大きく刻んだ。
「!!!」
無数の斬撃を受けても動き続けていたウェルナスが、その一撃で足を止めて大きく怯んだ。
製錬される剣の威力は、先ほどまでとは桁違いの筈だろう。
以前の俺には、最後の最後で弱い部分があった。定まっていなかった心があった。どこかで躊躇してしまっていた。
まだ心の何処かで、帰りたいと言う気持ちが無意識に生まれてしまっていた。この先の未来をどこかで望んでしまっていた。
そんな覚悟で、目の前にいる男を倒せる筈が無い。
「馬鹿だな、俺」
その一切を、全て超えて。今の俺はここにいる。
炉心――人の体で心臓に当たる部分が稼働し続ける魔力は最早暴走の域に入りつつあった。この体が、カタチを留めぬ程に。
内側が溶けだしているのが、感覚で分かる。もう時間が無い。
「死の間際においても尚……。本当に、善き戦士だ」
溢れる血を止めようともせず、けれどウェルナスは微笑んで俺を見る。
きっとこの男は俺よりも多くの地獄を見た。俺よりも多くの大切な人を喪った。それらが積み重なって、今の存在へと至った。
理解はする。けれどそれでも、相容れない存在ではあった。だから打ち倒す。
「決着をつけよう、ヴァン・カーハイン。俺もお前も限界が近い。
この戦いの決着は、お前の決意に相応しいモノとする」
「!!」
魔力の濃度が一気に高まった。常人なら気を失ってしまう程のモノ。その総身に刻まれた赤い線が点滅し、鮮血があふれ出した。
一撃必殺を体現する大技が来る。それはヤツの最期の全力。己の生と引き換えに繰り出されるが故に、二度目は無い。
であるのならば、俺も残ったモノ全てを燃やし尽くす。あの一撃に匹敵するだけの何もかもをありったけ。この身を焔に。
「おおおおおおおおおっっっっっ!!!!」
思い出す。俺と言う存在が出来る最後の事。
何の為にここまで来られたのか。
――師匠達に出会えたから。
何の為にここまで来たのか。
――彼女を救うために。
嵐を超えて。折れる事無く健やかであれと願った一輪の花よ。どうか、その生涯を――。
視界が、白く染まって。
意識はそこで途切れた。
ある者はこの世ならざる場所でその戦いを見届けていた。
何度も倒れようとする体を、魂で縛り付けて幾度と立ち上がった。その姿を、見逃した事は無かった。
「……見事だ、勇者よ。余はお前を祝福しよう。しばし目を瞑り、体を休めよ」
人の可能性を示した。故に、もう少しばかり今の世界を見届けても良いと考えていた。
ある者は、館の中でその戦いを見届けていた。
贈られた短剣を肌身離す事無く、ずっと両手で握りしめていた。
「……なし、遂げたのね。……本当に馬鹿な子。結局気づかないままだったんだから」
それは師であれた事を誇らしく思うと共に、自分の恋が叶わなかった事を知った。
呼ぶ、声がする。
「……ン――!」
誰かが、俺を呼んでいる。
「ヴァン……っ!」
「アイ……リス……?」
両目に涙を溜めた彼女が、俺を見ていた。その涙が頬へ落ちた感触すら分からない。
体が言う事を利かないし、言葉が思うように出ない。感覚から、下半身が消し飛んでいる事が何となくわかった。
結局、戦いはどうなったのだろうか。
……いや、そんな事はどうでも良かった。目の前にある光景が全てなんだから。
「馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿! 何で、何で……!」
「……生きてて、欲しかったんだよ。キミに」
指を伸ばして、その涙を拭う。
「死ぬ、つもりだったんだろう……? 使命だからとか、血族だからとかで」
「それでもっ、貴方が死ぬ必要なんて無かった筈ですっ……!」
「……俺はもう大丈夫だ」
あぁ、そうだとも。
俺はもう充分綺麗なモノを見た。美しいと感じるモノのために走り抜けた。
「アイリス、俺はね、たくさんの街と人を見てきたんだ」
「いきなり、何を……」
「この世界は、広くてさ。一つの人生じゃ終わらない程の景色があって。
アイリス、キミは。この国以外の景色を見た事はあるかい?」
「それ、は」
回ってみてきた世界は、とても綺麗だった。
戦って守った人々の笑顔は、俺にとってかけがえのない嬉しさだった。自分の足でこの世界を歩いていられる事を幸福だと感じた。
その時間と光景が永遠であれば、と何度考えた事か。
――でも、それでも。俺は、キミに生きてて欲しいと思ったんだ。
「っっ……」
「アイリス、どうか、幸せに」
それが俺の全て。
生涯を貴方の未来へ捧げた事に、何の後悔も無い。
「しあわせ、なんて」
「これから見つけていけばいい。時間は沢山あるんだから」
ああ、でもやっぱり。
キミと隣を歩けたら、どんなに幸せだったかな。
「――キミに会えて、良かった」
青空の下で、想い人に看取られるなんて。
短かったかもしれないけど、良い人生だったなぁ。
あれから五年、私にとっては運命の日。
人類を脅かす災厄が学園を強襲し、虐殺が始まる寸前――あの人ことヴァン・カーハインが急遽出現し、ウェルナスと交戦。
それは歴史上では類を見ない激戦であり、応援に駆け付けた王国騎士団ですら手出し出来ず、見守るしか出来ない状況。
そして、あの人は単身で災厄に打ち勝ったのです。人が嵐に打ち勝つ偉業を成し遂げた。
ですが、その代償と言わんばかりに目の前で彼は灰のように消えていき、亡骸すら残ってはいませんでした。
――あれから王国は大変でした。ウェルナスが倒された事を知り、国王はカーハイン家へ礼と式を挙げようとしましたが、肝心のカーハイン家は、あの人の事を全く知らないと言う状況。
家を突如出てから何があったのかを探るために王国の情報部が動き出し、あの人の行方を辿ると世界各地で、彼に救われた、彼と共に戦ったと言う者達の言葉がありました。
あの人は確かに世界を回っていた。そしてその上で私を救ってくれた。
私なんかよりも、ずっと素晴らしいモノにたくさん出会ってきたのに。
何もない人生でしたが、彼がそれでも私を選んでくれたのなら、きっと意味はあったと信じます。私が気づいていないだけで、私自身の人生には価値はあったのだと。
「……」
空を見る。雲一つない、綺麗な青空。
眩しい日差しに目を細める。いつも感じる草木の香りが、今日は少しばかり強い。
「私は、ここに生きていますよ」
背後から子ども達の声がする。
さあ、一人きりの時間はしばらく終わり。今は前を向かなくちゃ。
私はアイリス。ヴァン・カーハインに命を救われた者。
家の跡継ぎは家族に任せて、私は私のやりたい事をやる。自分の人生を自分のしたいように生きる。そうして、幸せの在り方を見つけるのです。いつか私の人生が終わって彼に再会出来た時、強く笑えるように。
孤児達――親のいない子ども達を引き取って、修道院で生きる日々。小さな世界で小さな温もりを抱きしめる。
「ありがとう」
ヴァン・カーハイン。
私の英雄。私の勇者。
どうか、貴方が信じたこの世界が。良き未来でありますように。