「イシュバ、君はまだ歩けないのかい?」
「……別に、歩けなくても良いと思うけれど?」
「良い訳ないんだよ。君はここから動かないつもりかい?」
石動に話しかけられながら、私はクッションの上で横たわっていた。
元々、私は他の『私達』と違って足がなかった。
だから、足の使い方が分からない。
動かせはするが、歩くのは難がある。
「……はぁ。外に出ても問題ないよう、君にコレを用意したんだ」
「外に?」
「今後、頼みたい事があると言っただろう?なのに、人の形で出歩けないのは支障をきたすからね」
私の前に置かれたのは……実物は初めて見たが『車椅子』という奴だ。
這いずって、それに乗り上げる。
……面倒だな。
足を一旦、触手に戻して……車椅子に乗った。
「使い方は分かるかい?」
「ええ」
「人に擬態する練習も必要だろうからね……必要なものは置いておくから、自由に使ってくれて構わないよ」
石動、彼に施され過ぎると危険だという認識はあった。
借りを作り過ぎると、縛られる。
それは、自由に安らかに生きるという目標からズレている。
「一度、一人で外を見てみるのもをオススメするよ。情報だけでは限界があるからね」
「そう?」
「あぁ、そうとも。それと……人を殺さない事。目立たない事。これだけは約束してくれるかな?」
「分かってるわ」
私の返答に満足して彼が退室した。
直後、机に置かれた書類に手を伸ばす。
身分証や金銭、携帯電話?
現代に生きる人間に必要な物か。
一週間程前に撮られた写真、それがパスポートに貼られていた。
名前は──
「……?イシュバじゃないの?」
視線を顔写真に移す。
セミロングの銀髪、薄紅色の目。
凡そ、日本人とは思えない容姿だ。
しかし、名前は……あぁ、なるほど、クォーターという設定か。
存在しない家族関係や、自分のルーツについて考えなければならない。
面倒だな、と思いつつため息を吐いた。
◇◆◇
高層マンションからエレベーターで降りて、私は外に出た。
車椅子の車輪を手で回し、進んでいく。
太陽は傾いている。
石動から貰った携帯電話を開き、時刻を確認する。
19時か。
さて、特に目的もなく出てきた訳だが……視線がやけに刺さるな。
ここは日本、周りの人間は黒髪のアジア系人種ばかり……それに比べて私の髪は色が抜けている。
なるほど、目立つ容姿をしているからか。
鬱陶しく感じながらも、道を進む。
……そういえば、目覚めてから何も食べていない。
私達は食事をしなくても生きていけるが……それはそれとして、道楽としての食事を私は好んでいる。
と言っても、人を無闇に食うのはまずいだろう。
今代の地球の守護者に目を付けられたら堪らない。
なら、まずは──
喫茶店に入った。
車椅子から降りて、ボックス席に座り……目の前のカップを傾ける。
黒い液体。
私の読んだ本にもあった、コーヒーという奴だ。
それを口に含み──
「……苦いわ」
顔を顰めた。
苦いとは知っていたが、これ程までとは思わなかった。
人間はよくもまぁ、こんな物を飲めるな。
机に置いてあった砂糖を固めた物を幾つか入れて、ようやく飲めるようになった。
温かいコーヒーを口にしながら、静かな時間を過ごす。
昔、私は数多の人間を殺した。
食い散らかし、意味もなく大量に殺した。
楽しかったからだ。
しかし、今は出来ない。
地球の守護者に見つかれば、面倒な事になるからだ。
でも、我慢出来ない程ではない。
あの時代は、娯楽が少なかった。
故に人を裂いたり、溶かしたりするぐらいしか遊びがなかっただけだ。
コツコツとマグカップを指で叩く。
黒い液体が波打つ。
しかし、この時代の人間の文化は面白い。
この食事もそうだが、物語も面白い。
テレビという箱にも驚いたな。
人間は殺すよりも、こうやって文化を拝借した方が有効活用できる。
それを知った。
だから、積極的に殺す気はもう無かった。
端的に言うと、飽きたのだ。
人間を殺して遊ぶ事に。
人の道徳で『無闇に他人を殺してはならない』とある。
それに感化された訳ではない。
そもそも私は人間ではないのだから、そんな倫理観に従う必要はない。
しかし、その倫理観に従った方が楽しめるのなら……私は人間の擬態を上手くなる必要がある。
この世界の娯楽を楽しむ為ならば、面倒だろうが我慢できる。
私はコーヒーを飲み干して、喫茶店の外に出た。
車椅子の車輪を回しながら、夜空を見上げる。
……随分と星が少なく見えた。
前の時代なら、空は輝いて筈なのに。
……そろそろ、居住場所に戻ろう。
今日、見た事、感じた事……それらを整理する時間が欲しい。
「お姉ちゃん一人?随分と大変そうだねぇ」
ふと、声を掛けられた。
随分と陽気そうな……頭の悪そうな男。
車椅子に乗っている私を見て、弱者と誤認している目。
「いいえ、何も困っていないわ。家に帰ろうとしているのだけれど……」
「良いから良いから」
勝手に車椅子を押される。
繁華街を抜けて、人気のない方へ。
思わず、声を掛ける。
「こちらではないのだけれど」
「細かい事は良いじゃん、ちょっと遊んでいこうよ」
……面倒な事になったな。
人間に擬態している以上、こんな物事に巻き込まれるのは勘弁したいのだが。
石動に小言を言われたくはないな。
帰らせて貰おう。
「ごめんなさい、帰らないと叱られてしまうの」
「えぇ?お姉さん、危機感とかない感じ?」
危機感?
あぁ、なるほど……何かしら、私を害する意思があるのだろうか。
男の手が私の身体に触れた。
……周りに人はいない。
ふむ、『そういう』事か。
本で読んだ事があるが、私のような容姿だと標的になり易いのか?
「……離して頂けませんか?」
「楽しんだ方がいいぜ、何、最後まではしないからさ──
ぐに、と握る手が強くなる。
……不快だな。
何よりも、何故、私が我慢しなければならないのか……そう思うと、苛立った。
「はぁ……」
息を深く吐いて……車椅子から『立ち上がった』。
「え?お姉さん歩けるの?何で車椅子なんかに──
「うるさいな」
長いスカートの下から、どろり、と粘液が溢れる。
ぐちゅり、ぐちゅりと粘液の音が響く。
「え?何それ──
下半身を変態させ、元の姿に戻した。
赤黒い触手が何本も生えてくる。
壁際の灯りを叩き割り、暗闇を作り出す。
「え、あれ……?」
触手は私の身体を持ち上げる。
身長に換算すれば2.5メートルほどの高さから……男を見下ろした。
僅かに残った光が、私の下から照らした。
「口直し、させて貰おうかな」
先程のコーヒーの苦味がまだ口で残っている。
人間を殺す事に飽きたのは確かだが、殺す事に躊躇い等は存在しない。
私の邪魔をするなら、喜んで殺すとしよう。
それに、血と肉の味も愉しみたいし。
この味は嫌いじゃない。
恐怖で腰を抜かしたのか、呼吸を荒げて後ずさる男に……触手を伸ばした。
◇◆◇
「人を殺すのはダメだと言ったと思うんだけど……?」
「だって、仕方なかったの」
私はビーズクッションの上に寝転がり、缶に入ったクッキーを口にする。
バリバリと噛み砕けば、破片が床に溢れた。
それを見て、石動は顔を顰めた。
手元にある新聞を見る。
路地裏で発見された、上半身だけが無くなった死体。
まるで溶解したかのように、溶けた臓物が壁に飛散していた……と報道されている。
「君達の『天敵』に目を付けられるかも知れないんだぞ。あまり身勝手な事はして欲しくないな」
「そうね。気を付けるわ」
クッキーを噛み砕き、破片を床に溢した。
また、石動が苦い顔をした。
「……一度、今代の守護者を見た方が良いんじゃないか?」
「どうして?そんなリスク、犯す必要なんてないと思うけれど」
「君の危機感の欠落を見れば、荒療治でもしなければ……そう思ってしまうんだよ」
そう言って、石動は誰かに電話を掛け始めた。
私は仰向けになって、クッキーを貪る。
うん、この格好なら溢れない。
効率の良い食べ方だ。
……空っぽになってしまった缶を握りつぶして、地面に転がした。
この部屋は定期的に掃除が入る。
こうしておけば誰かが片付けるだろう。
石動が電話を終えて、私を見た。
眉は顰めている。
「今から行って欲しい場所があるんだ」
……面倒だが、こうやって生活の面倒を見られている以上、断る事は出来ない。
まだこの生活を手放したくないからだ。
私は渋々、車椅子に乗った。
◇◆◇
石動の部下が運転する車という物に乗せられた。
……私が走るよりも早いな。
やっぱり人間の文明は面白い。
外の景色を眺めていると……何やら、建物に連れてこられた。
地球の守護者を見せてくれるんじゃなかったのか?
そう訝しみながらも、車椅子ごと車から降りて……中に入る。
石動の部下は入ってこなかった。
……アレは普通の人間だろう。
あまり情報を与えたくないという事だろう。
人間を部下にできるとは、やはり石動は人間に対する理解が深い。
今度、コツでも聞いてみようか。
……あぁ、そういえば石動の本当の名前は何だったか……今度、訊いておこう。
建物に入ると、見覚えのある姿があった。
……私が目覚めた日に居た、私達の仲間だ。
長い黒髪で顔の半分を隠した女だ。
「来たか」
「面倒だけれど、呼ばれたから」
私は彼女に近づくために、車椅子を動かした。
見上げると、感情を感じさせない目で私を見た。
「車椅子は置いておけ。邪魔になる」
「そんな事すると私、歩けないのだけれど」
「……足元だけ擬態を解けば良いだろう。どうせ、外は暗くなる」
「そうかしら?」
「足元など誰もみない。それに、その為にそんな服を着ているのだろう?」
「……えぇ、そうだけれど」
その言葉に頷き、足を触手に変えて、ロングスカートの下で蠢かせる。
車椅子から立ち上がり、視線の高さを合わせる。
「それで?何をするつもりなの?えーっと──
「アラニヤ」
「そう、アラニヤね?何をするの?」
首を傾げると、アラニヤは自身の顎に手を当てた。
「私の『種』に適合できる人間を見つけた。そいつを殺しに行く」
「へぇ、そうなの?」
同種を増やす為に私達が生み出す、種。
死体に種を植え付ければ増えるが……生前に判別できたのか?
私が訝しんでいる様子に気づいたのか、アラニヤが私を一瞥した。
「遺伝子情報から適合者を見つけられるらしい。石動の研究成果だ」
「彼って凄いのね」
頷きながら、私は手を口に当てた。
どうでもいい。
面倒だ。
何故、私を呼んだのか……その理由の方が気になる。
「私達が姿を現せば……確実に地球の守護者が邪魔をしにくる」
「手伝えと言うの?」
何が楽しくて天敵と相対しなければならないんだ。
それを強要されるぐらいなら、いっそ、ここでコイツを殺して──
「違う。ただ見学すればいい」
「…………」
「だから落ち着け」
「……そう?分かったわ」
私は意図的に、笑顔を作って頷いた。
戦わなくて良いならば、問題はない。
アラニヤが息を少し吐いて、ドアを指差した。
「道案内はしてやる。付いてこい」
「ええ。でも、そんなに怯えなくて良いのよ?」
「……私は怯えてなどいない」
外は既に暗くなり始めていた。