あいの女神様   作:エンゼ

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14話

 すぐに先輩は車を出してくれた。

 

 出せるだけの速度を出して、元いた病院のほうへと急ぐ。有難いことに一度も信号に引っ掛かることなく、あっという間に病院に到着することが出来た。

 

 言葉はなかった。ただ、さりなちゃんのことでいっぱいだった。それだけを思い、車から降りたらすぐに走り出した。目指す場所は、一つしかない。

 

「さりなッ!!」

 

 ほんの、数分しか経ってないはずなのに。

 

「ぉ……かぁ、さん……」

 

 まさかこんな形で、約束を果たしてしまうなんて……っ!

 

 さりなちゃんの周りにいる数人の医者を潜り抜けて、そばに駆け寄る。

 

「──さりなちゃんッ!」

 

 後ろから先輩の声が聞こえる。だけど、振り向く余裕はわたしにはなかった。

 

 ──今にも消えてしまいそうな子を見るのは、初めてだったから。

 

 頭に過る"死"という文字。これに出会ったのは初めてじゃない。すごく幼い頃にも、経験はある。

 

 だけどその時にはもう両親は亡くなっていた。その瞬間は見ていなかった。だから愛しているから特に何も感じなかったし、今でもそこまで何か感じるということはない。ただ少し、直接愛せなくなったのは寂しいかなと思うくらいで。

 

 けれどこの瞬間、さりなちゃんは生と死の狭間にいる。苦しいはずなのに、わたしや先輩がいるであろう方に目をやって、ぎこちなく笑っている。

 

 最期まで愛してあげると昨日から決意して、わたしが死ぬまでそうし続けるつもりだったのに……この姿を見て、大分心が揺さぶられてる。

 

 本当に愛するだけでいいの? 他に何か、直接この子のために出来ることがあったりするんじゃないの? などの色々なことが浮かんでは、何かしなきゃいけないんじゃないかという焦燥感に襲われる。

 

 でも、何もできない。ここで何かしたところで、先輩を始めとした周りの医者やさりなちゃんはそれを求めていないかもしれないから。

 

「ぉかあ、さん」

「っ! なぁに、さりな」

 

 声をかけられ、すぐに持ち直した。この子には、わたしの今の内面を見せちゃだめだ。せめていつもみたいに、この子の求める『おかあさん』であってあげないと。

 

「おねがぃ……ぁるの……」

「! なぁに? 何でも言ってね。わたしに出来る事なら、なんだってするから!」

 

 少し早口で、返していた。他に出来る事があると知ることが出来たから。

 

 そしてゆっくりと、さりなちゃんは告げる。

 

 

「ぎゅ……ってして……いたぃくらい、つよく」

 

 

 その言葉で、わたしは冷静になれた。

 

 さりなちゃんはこう言っているんだ。いつもみたいに愛してって。最期まで変わらないでって。その愛を直接、ぶつけてきてほしいって。きっと、初めて愛したあの日みたいに。

 

 あぁ、そうか。そうなんだ。──さりなが、そう言うのなら。

 

「──わかった」

 

 なら、愛そう。変わらないままでいよう。それが求めていることなら。これが正しいことならば。

 

 さっき抱きしめた以上に強い力でハグ。全身にさりなという存在の暖かさ、薄さが強く感じられた。

 

「きもち……いぃなぁ……」

 

 実に嬉しそうに、零してくれた。これを聞いて、さらに強く抱きしめる。

 

「せんせ……てぇ、にぎって……?」

「……あぁ」

 

 次に、先輩に対してのお願い。見えないけど、きっと先輩は優しく、でも強く握ってくれているはずだ。

 

「ぁはは……あったかぃ……!」

 

 幸せそうだった。だけどこれは、長く続かない。

 

 

「おかぁさん……せんせぇ……だぃすき、だよ」

 

 

 次の瞬間、さりなの全身の力が抜けて行っているの感じた。同時に、目が閉じられていく。

 

「ッ、さりなちゃん!」

 

 先輩の掛け声にも反応しなくなった。……完全に、眠ってしまったようだった。

 

 わたしは、ずっとさりなを抱きしめ続けていた。先に昇っていったさりなに与えられるだけの愛が伝わるまで、ずっと。

 

「……わたしも大好きだよ、さりな」

 

 言葉を返す。声も同時に、さりなのもとへ届いているのだと信じて。

 

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 

 さりなちゃんが亡くなってしまって数分が経った。覚悟はしていたものの、正直かなり心にきている。

 

 俺が"医者"という肩書を手にして、初めて深く関わった患者で、看取った子でもあるさりなちゃん。両親から半ば捨てられるような形でこの病院にやってきて、愛を忘れかけていた。

 

 あの子には、幸せになってほしかった。だから俺はあいつに──大総に頼んで、さりなちゃんを愛してもらうようにした。退院は出来ないにしても、無償の愛というものを知って、年相応の子どものようにあってほしかったから。

 

 結果としてはほぼ大成功。大総のあの愛は、良い意味でも悪い意味でも変化をもたらしてくれた。

 

 ……想定外だったことは、大総の愛が思っていた数倍大きかったことと若干さりなちゃんがそれに依存気味だったことだが、概ねよい方向になってくれていた。

 

 もう二度と経験することのできない、楽しかったさりなちゃんとの思い出が頭の中を駆け巡る。

 

 初めてであった時の事、B小町を俺に布教してきた時の事、芸能人の娘に生まれたらななんて話してた時の事。とある約束を交わされた時の事。

 大総と会ってすぐ意気投合していた時の事。いつの間にか大総のことを『おかあさん』と呼ぶようになっていた時のこと。

 

 三人で何でもない話で盛り上がっていたときのこと。

 

「っ……」

 

 思わず、空を仰いだ。俺が思っている以上に、さりなちゃんという存在が大きかったのかもしれない。

 

 だが、立ち止まり続けるわけにはいかない。ここで嘆き続けるのは、さりなちゃんも望んでいない。このままじゃ、カッコ悪いと笑われるかもしれない。

 

 ──深呼吸。乗り越えろ、雨宮吾郎。それにおそらく、大総は俺以上に心に来てるはずだから。

 

 近くにいる、屋上の鉄柵に腕を乗せて向こうの景色を眺めている大総の方を見る。俺のちょっと変わった後輩で、愛に関するスペシャリスト。さりなちゃんが忘れかけていた親の愛を思い出させてくれた張本人。

 

 さりなちゃんと接していた大総は、誰が見ても間違いなく『おかあさん』だった。さりなちゃんの求めてることを瞬時に理解して、それを行動や言葉で示し、安心感を与える。だがただ甘やかすわけでもなく、自立を促すような行為もしていた。

 

 だからこそ、今の状況で一番心の傷が深いのは、大総だろう。

 

 毎日電話もして、こうして会いにきたりして、元気がなくなってると声だけで見抜いて料理で元気を取り戻してもらうよう行動に移した。大総の愛は本物以外の何物でもなかった。

 

 その行きついた先は、死。どれほどの痛みを感じたのか、俺には想像することしかできない。

 

 一旦、気持ちを整理しようということでとりあえず屋上に来たはいいが、大総はここに来たときからその場所から1ミリも動いていない。いや、動けないのかもしれない。大総もきっと、死と向き合うのは初めてのはずだから。

 

 本当なら、大総自身が気持ちに決着をつけるべきだ。自分自身で折り合いをつけないといけないはずだ。

 

 だが、大総には帰る場所がある。誇りを持っている仕事がある。──さりなちゃんのように、愛する存在がたくさんいる。

 

 だから、ある程度でも今日の間に立ち直っていなきゃいけないだろう。きっと大総も、心が弱っている自分を愛する子たちに見せるのは嫌なはずだから。

 

「……大総」

 

 その場から立って、大総の方に近づく。

 

「ありがとう。お前がいてくれたから、さりなちゃんは笑顔で最期を迎えられた」

 

 まずは、認める。本当に、大総はよくやってくれたんだから。

 

「俺じゃ絶対ここまで出来なかった。さりなちゃんもきっと──」

「先輩」

 

 それまで動かなかった大総が、こちらを振り向いた。──とてつもない違和感を抱えて。

 

「わたしは、大丈夫ですよ」

「おお、ふさ……?」

 

 それは、いつも通りの笑顔だった。……いや、いつも通り過ぎるものだったんだ。

 

「確かに、もう二度と直接愛することが出来ないのは残念です。ですが、大丈夫ですよ。だって──」

 

 変わらずさりなのことを愛してますから、と大総は続けた。

 

 かなり怯んだ。あまりにも変わっていなさすぎる。先ほど、俺と同じようにさりなちゃんのことを看取ったようには見えなかった。

 

 気持ちに整理をつけた? にしては早すぎる。それに整理をつけたとはいえ、無意識の間に何かしら現れるはずだ。今の大総には、それすら見えてこない。まるで、さりなちゃんと触れ合って愛していた時の大総をそのままここに連れてきた時のよう。

 

 何故、どうして……と頭に疑問が駆け巡る。そしてある瞬間、一つの答えにたどり着くことが出来た。

 

 壊れてしまったんだ、と。

 死という見たくないものを間近で見てしまった。死に行く瞬間を見届けてしまった。そんな事実全てに大総は目を向けられなくなった。だからいつも通りという仮面をつけて、覆い隠したんだ。

 

 こんな事態を招いてしまったのは、一体誰か? そんなの決まってる。俺だ。

 

 ──俺が、大総を壊したんだ。

 

「……先輩?」

 

 元々、考えていなかったわけじゃない。ほぼ助からないという状態で、大総にさりなちゃんを愛してもらうように頼んだからだ。

 

 大総は、それを承知で宮崎に来てさりなちゃんを愛した。愛されない子なんてあってはいけないという、大総らしい理由で。

 

 ──だがもっと、俺に出来ることはあったんじゃないか?

 

「すまない……」

 

 俺は現在の大総がどんな生活をしてて、どんな仕事をしているのかを知らないまま頼んでしまった。結果として大総の貴重な有休を消費させてこっちに来てもらって、殆ど向こうでの仕事と同じことをさせてしまった。

 

 本人は気にしていないようだったが……それでも、何かしらのフォローは出来たはずなんだ。

 

 何度か尋ねた。大丈夫かと。だけど心のどこかで大総なら大丈夫だと思っていたし、実際に大丈夫だと答えた。だからそこまで深く考えないようにしていた。

 

 だが現実はどうか。大総の心の傷は日を重ねる毎に大きくなり、俺もさりなちゃんも、おそらく大総自身も気がつくこと無く、壊れるまでに至ってしまった。

 

 この中で、気が付けるチャンスがあったのは俺だ。さりなちゃんは言うまでもなく、大総はそれが当たり前だったから気が付くことができなかったんだろう。

 

「? どうして謝るんですか?」

「……」

 

 チャンスはきちんとあった。大総の生活サイクルを知ったとき、激務といえる仕事を知ったときだ。そこでもう少し、大総のことを気にかけてやることが出来れば、少しは違ったんじゃないか……?

 

 この事態を招いたのは間違いなく俺だ。……だがこうなってしまった現実は変わらない。嘆いたって何も変わらない。

 

「……なぁ、大総」

 

 なら、これから俺に出来ることは──。

 

「これからも、連絡を取り合わないか?」

 

 メンタルケア、ぐらいしかない。

 

 大総は今、孤独に近い。誰にも頼ること無く、誰にも心を中を打ち明けることなく、頼られる存在であり続けている。ただそこにそびえ立ってる、一本の柱。

 

 それを支える存在になることが出来れば、全て大総が背負う必要がなくなる。肩の力を抜けるようになれる。

 

 こいつが頼る存在になることができる。

 

「……いいんですか?」

 

 本当に不思議そうに、大総は尋ねた。こいつのことだ。俺の邪魔にならないようにだとか、もう自分と俺を結び付けるものはなくなったからと言って、二度と連絡を取らないつもりだったんだろう。そうなれば、結局大総は一人だ。

 

「あぁ。余裕が出来た時だけでいい。今日何があったとか、何を食べたとか、そんな些細なことでもいい。電話でもメールでも構わない。とにかく、お前との関わりは失いたくない」

「……」

 

 まずは、こいつの日常に俺を植え付ける。一番連絡する人を俺にしてもらう。そうじゃなきゃ、舞台にも上がれない。

 

「……分かりました」

 

 そういって、いつも通りの笑顔を向けてくる大総。

 

「これからもよろしくお願いしますね、先輩」

「あぁ」

 

 今は、これでいい。だが、苦しくなったり、辛くなったりしたら、どうか頼ってくれ。

 

 ある種の償いという側面もある。だけど、それ以上に──。

 

「よろしくな、大総」

 

 俺は、“先輩“なんだから。

 

 

 

 ────

 

 

 

 それぞれが、それぞれの思いを抱えて世界は回っていく。

 

 ある者は、愛の知って伝えたいという思い。

 ある者は、愛を受け続けたいという思い。

 ある者は、また生きて出会いたいという思い。

 ある者は、後輩を支えたいという思い。

 そしてある者は──一度も変わらない総てを愛してるという思い。

 

 それを『彼ら』は遠くから見届ける。彼ら彼女らの結末が、どのようになるのかを見定めるために。

 

 ──時は、ぐんと先へと進む。

 

「お姉ちゃん。私、妊娠しちゃった!」

「……えっ?!」




大総あい。
愛してるから、大丈夫。

雨宮吾郎。
俺が悪いんだよ……っ!



数年後の星野アイ。
妊娠してしまった。


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