あの電話から少し経った頃、わたしは再びこの宮崎の地に立っていた。
久々に取れた長期休暇。加えて前回よりも長い期間休むことを許してもらえた。職員の皆さんには本当に頭が上がらない。
ホテルの予約も、荷物も抜かりなく持ってきてる。アイちゃんを支えるための準備は万端ってわけだ。
今回ここから病院へと行く手段は前回みたいに先輩に、というわけにはいかない。先輩は今日もアイちゃんを始めとした色んな患者を診ているから忙しいはず。だからバスを使って行こうとしたんだけど、どうやら斎藤さんが車を出してくれるらしい。有難い話だった。
空港内を歩いて、待合ロビーに出る。すぐに見つかった。ほとんど出入口の傍で斎藤さんは待っていてくれた。
これ以上待たせすぎるのも悪いから、小走りで斎藤さんの方へと向かう。
「お待たせしました、斎藤さん」
「おぉ、嬢ちゃん。長旅だったろう、お疲れさん」
「斎藤さんこそ」
この人は苺プロダクションの社長さんなのに、今までずっとアイちゃんに付き添っていた。アイちゃん一人にさせておくのは危ないとはいえ、社長業をやりながら今日までアイちゃんを支えてきたんだ。
今、アイちゃんや先輩とは別の方向で一番頑張ってる人は斎藤さんだ。感謝しか感じない。
ここで、持ってきたお土産を斎藤さんへと渡す。空港で選んだお土産ではあるけど、感謝を形で伝えたかったから。
「斎藤さん。これどうぞ」
「? これ……あいつへの土産じゃないのか?」
「あぁいいえ、これは斎藤さんに。アイちゃんへのは別で買ってますから」
「そうか。……ありがとな」
「いえ、いつもアイちゃんがお世話になってますから」
受け取ってもらえた。よかった。一瞬こういうの苦手かなと思ったけど、悪くはなかったみたい。
「よし、じゃあ行くか。車こっちなんだ」
「はい」
アイちゃんの身バレを避けて、確か斎藤さんたちは飛行機じゃなくて車でここまで来ていたはず。そう考えれば、わたしなんかよりよっぽどアイちゃんや斎藤さんのほうが疲れていそうだけどな……。
車に到着。荷物を乗せて斎藤さんは運転席に、わたしは助手席に座って出発した。
……そういえば、こうして斎藤さんと二人きりになるのは初めてかもしれない。
「アイちゃん、どうでした?」
「いつもと変わってないが、ただ今日は元気だったぞ。お姉ちゃんが来る日だーってな」
「まぁ」
それは嬉しい。喜んでもらえるなら来てよかったって感じるよ。
「嬢ちゃんが病院に付いたら、バトンタッチだな。また色々済ませたらまた来るよ」
「はい。……本当、お疲れ様です」
そう、わたしが病院に付いたらそこで斎藤さんは一回東京のほうに戻るらしい。子どもがいることがバレないように新しい家の契約をしたり、他の子の仕事だったり、これからのことだったりをやってくるのだとか。
「無理だけはしないでくださいね。倒れるなんてことがあったら、誰も幸せにならないですから」
「そこはちゃんと見極めてるよ。心配しなくていいぜ嬢ちゃん」
「わたしに出来ることがあれば手伝いたいのですが……部外者ですしね」
「まぁ……そうだなぁ」
信頼はしてくれているのは感じる。だけど、それはそれだ。仕方ない。
「嬢ちゃんは、いつも通りでいてくれればいいさ。いつもみたいに、あいつに接してやってくれ」
「……分かりました」
それだけでいいのかとも感じちゃうけど、それが求められてる姿なら、そうしよう。アイちゃんを長く見てきた斎藤さんがそういうならきっとそうなんだろうから。
「あ、そうだ嬢ちゃん。担当の先生が色々根回ししてくれてな、アイは病院にいる間偽名を使うことになった。身バレ対策だな」
「なるほど、ちなみにその名前は?」
「"星野アオイ"。名簿上はアイは今アオイということになってる。だから人前ではアオイと呼んでやってくれ。人前では、な」
「分かりました」
人前では、と凄く念を押されてしまった。まるで人前じゃなかったら普通にしていいみたいな言い方だけど、多分違う。
普段当たり前にアイちゃんって言ってるから気を付けないといけない。それをしばらくの間続けるから気を抜くなよということだろう。頑張らないと。
「──あっ、そういえば……」
ここでふと、思い出した。アイちゃんと仲の良い年上の女の子について。
先輩から聞いていて、あの後も何度も考えたんだけどやっぱり心当たりがなくて、こっちに来る前に斎藤さんと今日の迎えに来てくれるとかの話をしてる時に聞いてみた。その時の斎藤さんは、特に何も考えなくていいからわたし一人で来てくれ、という風に返してくれた。
何か知ってるような感じだったけど、結局誰だったんだろう?
「あの、今こうやってここに来てるのわたしだけなんですけど、それはよかったんでしょうか? 斎藤さんは何か心当たりがあるようでしたが……?」
もしかして、斎藤さんが連れてきてくれたりしてるのかな?
「ん? 何の話だっけな……あっ! あれかぁ!」
それまで忘れてたかのように言う斎藤さん。
「いやぁ……まぁ、うん。言ってしまってもいいんだが、嬢ちゃんは信じないだろうからなぁ……」
「信じない……?」
「あー……まぁとにかく、嬢ちゃんは気にしなくていい。それのことなんか忘れて、さっきも言ったがいつもみたいにあいつに構ってくれれば何にも問題ないからな」
「……」
そう、なのかもしれない。気になりはするけど、アイちゃんのことは多分わたしよりも詳しい斎藤さんがそう言うならそうなんだろう。
ここでミヤコさんの名前を出してないってことは違うんだろうし、何も分からない以上考えても仕方ないのかもしれない。
「分かりました」
それに、斎藤さんの言うこともごもっともだ。
──愛する。そのためにわたしはいるんだから。
「っと、そろそろ病院に着くな」
「あら、ホントですね」
そうこう話している内に病院の出入口付近に到着。本当は駐車場に停めるべきだけど、このまま斎藤さんは帰るみたいなので、わたしの降車のためにここに停車してくれた。
「じゃあ嬢ちゃん。改めてあいつを頼む。あと、この病院を教えてくれて本当にありがとな」
「いえいえ、大丈夫です。お役に立てたなら何よりです。アイちゃん……いえ、アオイちゃんのことはお任せください」
「おう、なんかあったら連絡してくれな。じゃあ、またな」
「はい、分かりました。ではまた」
その言葉を最後にして、荷物と一緒に車から降りたらそのまま斎藤さんと別れる。
一度、深呼吸。ここに来るのは本当に久しぶり。少し懐かしい気持ちになる。
到着したという報告を二人にそれぞれメール。最初のほうに比べたら大分使いこなせてきてるんじゃないかな。
さぁ今いくからね。いつもみたいに、とびっきり愛してあげるから。
────────
「んふふ、えへへへぇ」
「……元気そうだね?」
病院の、吾郎によって用意された専用の個室。そこのベッドに横になっているのはアイドル星野アイ。始めこそ入院という初めての経験からかどこかテンションは高めではあったものの、なめらかに落ちて行っていた。しかし今日が近づくにつれてまた上がっていき、現在最高地点である。
吾郎は気にはなっていたもののあまり深入りしないほうがいいのかとか、推しにそこまで積極的に接触すべきなどと思考している内に今日に至ってしまった。満を持して何かあったのかと、軽く問いかける。
「そうなのっ!!」
これについて、アイはかなり強く反応。まさに満面の笑みとも呼べる笑顔を浮かべる。
吾郎は少しそれを見て硬直。何せ推しの特大な笑顔が目の前で自分に向けられたのだ。過剰供給過ぎて動けなくもなる。
そんな吾郎の様子など気にせず、アイは語りだす。
「今日ね、お姉ちゃんが来てくれるの! やっと、やっとだよっ!! こんなにお姉ちゃんに会えない日なんてなかった! いやね、電話すればいつだって声聞けるっていうのは分かってるけどそれに直と声だけってやっぱり違うっていうか触れ合えるのが最高っていうか──」
止まらない。アイの口から"お姉ちゃん"に対する想いは収まるところを知らない。
吾郎は、こうして星野アイという人間に直接接してきた時間は少ない方だ。だがこれまでのアイドル活動はほぼ全て追えている。そんな中でここまで感情を爆発させているアイを、吾郎は見たことが無かったのだ。
これを受け、吾郎は好きなものをニッコニコで語るアイかわいい……ッ!! と内心で浄化されかけていたのと同時に、アイの語る"お姉ちゃん"について複雑な思いでいた。
「(アイの『特別』か……)」
勿論、吾郎はアイも一人の人間であることを理解しているし、その中で特別が出来てしまうのは仕方がないことだということも分かっている。だが一方でファンである自分が声を上げるのだ。
──アイドル"アイ"に、特別はいてほしくなかった、と。
吾郎の後輩の言葉を借りるならば、アイドルとは愛を振りまく存在と言える。贔屓なんて起こってしまえば暴動が起きかねないため、その愛は平等であるべきなのだ。もっと言うなら、自分もワンチャンあると思えるだけの愛を全員に振りまいていかなくてはならない。
だが、そこには既に"お姉ちゃん"がいる。おそらく、誰もそこに至ることはできない。ファンはファン以上には決してなれないということ。
救いがあるとすれば、その"お姉ちゃん"がアイと同性であるということ。ただ、現在妊娠している時点で男の特別がいるであろうと予想出来てしまうのだが。
「(ファンとして複雑に感じてしまうし、その"お姉ちゃん"を今のところそこまで良いとは思えない……本当に、ファンというのは自分勝手な生き物だよな)」
アイが病院に訪れてから二度目の卑下。だが、いつまでもブルーではいられない。アイのことも含め、今日も吾郎には仕事が沢山待っている。加えて、ちょっとした
切り替えろ、と内心で心の感情リセット作業を行っている最中──ガラリと病室の扉が開く音がした。
「あ、お姉ちゃん!!」
非常に嬉しそうな声が病室中に響く。件の"お姉ちゃん"がやってきたようだ。
「久しぶり、アイ……じゃなくて、アオイちゃん」
妙に聞き覚えのある声のようであったが、もやもやし続けていた吾郎はそこにはあまり引っかからなかったようだ。仕事でここを出る前にせめてその顔を拝んでやろうと思ったようで、吾郎は入ってきた人のほうを振り向く。
「……え、大総?」
「──あら、先輩? お久しぶりです」
「え、センパイ……?」
──瞬間、あいを除く二人の頭に宇宙が現れた。少しの間、静寂が訪れる。
しかし吾郎はすぐに復帰して、すぐに現状を把握する。
「(……あ、"お姉ちゃん"って大総のことだったのか。だったら……うん、そうだよな)」
当然吾郎はアイドルアイのプロフィールを知っている。施設育ちの16歳。そして後輩あいは施設で職員をしつつ全員を直接強く愛してる。懐かないわけがないだろう、とすぐに判断できたのだ。
途端に先ほどまで抱いていた"お姉ちゃん"に対するちょっとした嫌悪感に似た感情は消え去っていった。
一方、アイはまだ宇宙から抜け出せていない。まさかの伏兵出現に戸惑いを隠せないでいた。
「? どうしたんです? 二人とも」
そして笑顔でいつつも困惑中のあい。ある意味あいの脳内にも宇宙が出来かけてる状況だった。
「……あー、いや、なんでもない。それじゃ、俺は仕事に行ってくる。ゆっくりしていってな」
「あ、はい。では、また
病室から出ていく吾郎。それをにこやかに見送るあい。そして扉が完全に閉まり二人きりになったところで、ようやくアイは帰ってきた。
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「ん? なぁに?」
「その……センセがセンパイなの?」
「え? あぁうん、そうだよ。さっきの雨宮先生はね、前に話したかな? 高校の時の先輩なんだ」
「へ、へぇ……そうなんだ」
話されたことは一回きり。しかし一度も忘れたことのないアイの中の一番のライバル。現在のあいの中で、最も大きいであろう存在。
「(まさかここで……っ!)」
今回、あいは出産まで一緒にいるということを勿論アイは知っている。そこで一緒に子どものことだったりを話していきながら自分という存在をより大きくしていこうと考えていた矢先にこれだ。
「……でも、負けられない」
「? どうしたの?」
「あぁううん、なんでもないよ!」
幸せの日々が始まるどころか、常に油断できない日々を過ごすことになってしまう。一瞬先生を変えてもらうことも案として浮かんだが、吾郎には色々手助けしてもらってるし、そこそこ気に入ってるところもあるということもあってすぐに却下する。
そのため、正面から立ち向かうことにしたようだ。
「(……センセ、勝負だよ。私負けないからねっ!)」
「あ、そうだ。リンゴ持ってきたの。勿論カット済みだよ。どうかな、食べる?」
「食べる!」
「うふふ、はーい。じゃあ食べさせてあげるね」
「やったっ!」
ただ何にせよ、これからアイの傍にずっとあいがいる。これからそういう日々が続くのだという事実に強く喜びを感じながら、アイはリンゴを頬張るのだった。
大総あい。
結局まだある疑問の解消は出来てない。
久々にアイや先輩に会えて、直接愛せる嬉しさを感じてる。
雨宮先生。
『施設育ち+大総の愛=お姉ちゃんの誕生』の式を一瞬で理解した。
また後で二人で会うらしい。
アイちゃん(アオイちゃん)。
ふわふわしていたライバルの突然の登場に驚きを隠せなかった。これからは吾郎を明確なライバルとして意識し出す。
人前で偽名を使うことになったけど、お姉ちゃんには名前で呼ばれるのが好きなため、多分これから積極的に二人きりになろうとする。
社長。
今一番忙しい人。あいのことはアイの保護者として全面に信頼している。