短めです。
40週。出産予定日。その時が来ればいつでも出産が出来る態勢を作り万全にしたところで、吾郎は一時帰宅していた。
無論呼び出しがあればすぐに駆け付けられるようにはしている。そもそもの家が近いということもあり文字通りすぐに行くことが出来るのだ。
その道中、吾郎はこれまでの怒涛の日々を思い出す。ある子を診てほしいと後輩から頼まれたことに始まり、推しであるアイが来て、まさかの後輩とめちゃくちゃ親しくて、入院中もずっとイチャイチャ(?)していた。日常になりつつあったこれらだが、いよいよ閉幕まだ秒読みというところまで来た。
「(──もうすぐ、オレは"ただのファン"に戻る。その時からは、彼女の幸せを心から応援しよう)」
子どもを取り上げるための覚悟は既に出来上がっている。その時が来れば吾郎は全てを振り絞って成し遂げるであろう。それが推しの幸せにつながると同時に──後輩の頼みでもあるのだから。
「(……大総、か)」
思考が切り替わり、後輩について思い始める。不思議と今でも繋がりを保っている高校時代の後輩で、昔から何一つ変わっていない愛の化身。
吾郎が巻き込んでしまったが故に壊れてしまった、天童寺さりなの代理の母親。
「……だけど、これからだよな」
以前行ったさりなのお墓参り。そこで何も変わっていないことを確信してしまった。
しかしアイとは違いあいとの関係はこれで終わりではない。まだまだちゃんとした支えになれるチャンスがある。たまにメールを出し合うという、絶妙に薄いこの糸が切れない限り。
「よし……っ」
そのためにもまずは、目の前に控えている出産という一大イベントを何の弊害もなく終わらせなきゃならない。医者として、先輩として、失敗は出来ないと改めて自身を鼓舞していく──。
──そんな時だった。
「あなたがあの先生ですね?」
後ろから、まだ幼さがうかがえる男の子の声。思わず吾郎は振り向く。そこに居たのは黒いフードを被った中学生くらいの子ども。
現在はもう日が落ちて周りも暗い。子どもが外出していい時間帯ではない。
「……こんな時間に外にいちゃ危ないぞ。早く帰って──」
「"星野アイ"は元気ですか? 妊娠してるんでしょう?」
──息をのむ。
何故こんな子どもが。公表していないはず。誰かが漏らした? 様々な考えが過っていく。
だがあくまでそれは内側のみ。外側では冷静を装う。
「……星野アイという患者はいないが。仮にいたとしても普通は公表しない。君、その情報をどこから」
「あはは、そうですよね。これがリークされればアイドルとしての"星野アイ"は終わる。まもなく出産が始まること加えて双子だなんて、格好のスキャンダルだ」
冷静の仮面が取れかけた。知りすぎている。加えて、その情報をどう使うつもりなのかも分かっている。
まだ辛うじて残っている冷静さを持って、吾郎は尋ねた。
「……君は、関係者なのかい?」
「さぁ? まぁ、言いたいことは言えました。それではこれで」
「っ、君、ちょっと待て!」
山道の方へと逃げていく男。吾郎は次の瞬間には追いかけていた。
現在出産間近。そんなタイミングでストーカー紛いの男。未成年であろうと予測できるが、それはそれとしてきっちりと話をしておかなくてはならない。
何故ほとんどの人が知りえない情報を知っていたのか、どこから明かされたのか、そもそも男は誰なのか、不明点が多すぎる。
「はぁ、はぁ……くそ、一体どこに──」
「貴方なら来てくれるって思いましたよ。雨宮吾郎先生」
トンッ。
気が付けば崖の先。押されたと理解できる一瞬の隙もなかった。
ここに足場はない。あるのは──暗く先の見えない奈落のみ。
「──」
落ちていく。
身体が。
意識が。
全てが。
「女神様のために、消えてください」
吾郎が最期に聞いた声は、明確な殺意を秘めていた。
────────
もうすぐ出産が始まる。血のつながりはないわたしだけど、家族ということで立ち合いをさせてもらえることに。
ここまで長かった。いよいよだ。わたしが頑張るわけじゃないのに、すごく緊張してしまってる。
「……アオイちゃん、大丈夫?」
「だい、じょうぶ。ぉねぇちゃん、いるから……」
「そっか。……ずっとそばにいるからね」
「うん……」
陣痛の間隔は大分短い。そろそろだということで、助産師さんが先生を呼びつつ準備を始めている。
やってきたのは、先輩ではない別の先生だった。
「ぁれ、せんせじゃなぃの……?」
「本当は雨宮先生のはずだったんだけどね。彼、急に連絡付かなくなっちゃって……」
思わず目を見開いてしまった。先輩は約束を違えるような人じゃない。それに先輩自身が子どもを取り上げることに対して強い熱意を持っていた。
それなのに、連絡が付かない? ここにも来ていない? 何故? と様々な疑問が浮かんでいく。
何かあったんじゃないか不安になっていく。急にいなくなるだなんて先輩はそんなことしないから。
一回目を瞑り、深呼吸。──そうだ、わたしは不安になんてなっちゃいけない。わたしは支える立場の存在なんだから。
切り替えろ。わたしは何のためにここにいる? アイちゃんを、生まれてくる子どもたちを愛するためだ。
それに先輩はきっと大丈夫。何か理由があるはずだ。色々落ち着いてから、また話を聞けばいい。
──愛するんだ。総てを。
とは言っても、この場でわたしに出来ることは傍にいてやることだけだ。処置は先生がしていくし、アイちゃんへの的確な声掛けは慣れている助産師さんが行っていく。
苦しそうに踏ん張るアイちゃんへ声をかけてあげることくらいしか出来ない。
「はーい、一回フー」
「ッウ゛ゥ゛ゥゥゥゥッ!!!」
「ッ、頑張れ……!」
祈る。お願いします、どうかアイちゃんも子どもたちも元気で終わりますように……!
それから、どれくらい経っただろう。1分? 10分? いや1時間だったかもしれない。その時は、突然やってきた。
──ぉぎゃあ! おぎゃああ!!
病室に響く二人の泣き声。物凄く元気そうな、金髪の双子。
「ほら、お母さん! 元気な双子ちゃんですよー!」
助産師さんがにこにこしてその子たちをアイちゃんの顔に近づける。
「──あぁ、ああ! うまれてきてくれたんだね……!」
噛みしめるように、アイちゃんは呟く。思わずわたしも涙が出そうになった。
「はじめまして、ままだよ。よろしくね……?」
──おぎゃあ! おぎゃあ!
これに答えるように、二人は泣き声を上げた。
自然に笑顔になる。ほっとしたと同時に、色々な嬉しさも込み上がってきた。
「アイちゃん、本当に、よく頑張ったね……おめでとう。ありがとう」
「おねえちゃん……」
子どもは元気。アイちゃんも無事。
今日はこれから祝福の日になる。これからも長く祝われ続ける最高の日に。
「ねぇ。二人の名前、もう決まってる?」
「うん。あれから、いっぱいかんがえたよ。でも、これしかかんがえられないの」
──愛久愛海。瑠美衣。
あの時もう一回考えてもいいんじゃないかと提案した時の名前が、そのままアイちゃんの口から出てきた。
機会はあった。アイちゃんはしっかり考えた。その上でこの名前に辿り着いたのならば……それはもう覆せない。そこにはとてつもなく大きな愛があるのだから。
もう誰にもアイちゃんに愛がないとは言わせない。多分自覚はしてないけど、これからゆっくりしていくんだろう。この子たちと過ごす大切な日々で。
「そっか。……いい、名前だね」
「えへへ。ありがとう、おねえちゃん」
初めまして、愛久愛海くん。瑠美衣ちゃん。多分アイちゃんからめいっぱい愛されると思うけど、わたしからもいっぱい愛させてね。
生まれてきてくれて、本当にありがとう。愛してるよ。
大総あい。
先輩が来なかったことに驚き不安になったけど、持ち前の女神精神でなんとかした。
母子共に健康体で終わりを迎えたことを誰よりも喜んでいる。
星野アイ。
一番頑張った。
だけどお姉ちゃんがいてくれてたから痛みが軽減されてたとかなんとか。
雨宮吾郎。
何者かに突き落とされる。
結果────。