もうちょい赤ん坊の時期は続きます。
先日の飲み会から一夜明けた朝。俺は、相も変わらず赤ん坊として生を謳歌していた。しかも、あのアイの傍で。
人間は適応する生き物とされてはいるが、それでもアイを誰よりも近くから拝めることが出来ることに有難みを感じ続けている。
あぁ、合法的に甘えられるアイの子どもで本当によかった。
──大総さえいなければ、気の赴くままにやるつもりだったんだがなぁ。
「あれ? アクア、今日はあんまり甘えてこないね?」
「あら、そうなの?」
「うん、いつもだったらもうちょっとべったりしてくるんだけど」
大総の前でいつものように甘えろと!?!? 流石にキツイ!!
……というかそもそも、こうして朝からいるのは何だかんだ初めてな気がする。
休みを取る、ということは覚えてる。理由は眠気からかあまり聞き取れなかったが。
ちなみに、ミヤコさんは現在買い出し中で、ルビーは今当たり前のように大総にしがみついてる。朝から大総がいるという異例事態に最初は驚いてたが、すぐに順応して大総に甘えまくってる。
もしやあいつの中で、優先順位は大総の方が上なのか? アイのファンの風上にも置けないじゃないかと一瞬考えてしまったが、まぁでも大総だしなぁと思い、すぐにその考えはなくなった。アイとは別軸だが、人を魅了する力を持ってることに違いはないのだから。
「そういえばアイちゃん、最近アクアくんとルビーちゃん見分けられるようになったよね」
「そうだね。間違わなくなってきたかも」
「ふふ、一歩母親として成長したってことかな?」
「だと嬉しいなぁ」
その時、玄関からドアが開く音。どうやらミヤコさんが帰ってきたようだ。
「おかえりなさい、ミヤコさん」
「ただいまー……うん、なんか違和感あるわね。帰ってきたら大総さんがいるって」
「あらまぁ。うふふ、ミヤコさんも言いますねぇ」
「貶してはないわよ! ほら、いつも来てくれる側、こっちが迎える側じゃない? 立場が逆だったから」
「まぁ、確かにそうですね」
「……んー?」
慣れた手つきで買ってきたものを冷蔵庫などに仕舞っていくミヤコさんと、愛おしそうにルビーを抱きしめる大総。どこか、大総とミヤコさんの距離が近くなっている気がする。原因は十中八九昨日だろうが。
それはアイも感じ取ったらしい。
「……なんか、二人とも仲良くなった?」
「ふふ、ちょっとね」
「ふーん……?」
あからさまに声のトーンが落ちたアイ。本当は良くないのだろうが、あまり見る事のない推しの姿に少し感動を覚えた。こういうアイもアリだな……。
「あぁ! 安心して? アイちゃんのことも、心から愛してるから」
「……ほんと?」
「もちろん! それに今日のライブ、楽しみにしてたんだよ? 今日仕事休んだぐらいなんだから」
「……そっか、そうだよね!」
ライブに大総が行くという話になった瞬間、テンションが再上昇していくアイ。
そっか、そういえばそうだったな。大総が朝からいるのは仕事を休んでるからで、休んでるのは今日アイのライブがあるからで──ライブ!?
思わず、大総の方を見た。見れば抱かれているルビーも、身体はそのまま顔を大総に向けている。目つきが俺と同じ、驚き。
「そろそろアイちゃんは出発かな?」
「あ、そうだね! お姉ちゃん、ゼッタイ来てよ?」
「ふふ、安心して? ゼッタイ行くから。ちゃんと見てるからね」
「ゼッタイだよ! じゃ、アクアよろしくね!」
「えぇ」
「行ってきまーす!」
「いってらっしゃーい」
アイ、ミヤコさん間で俺の譲渡会が行われる。その後、颯爽とアイは行ってしまった。
……今、ライブと言ったよな? 今日はライブがあると、それに大総は行くのだと、そう言ったよな?
ふとルビーの方を見る。するとあいつもこっちを見ていた。
──行きたい、よな?
──当然じゃん!
互いに頷きあう。どうやら、考えていることは同じらしい。
──ザッ
共に目先を切り替えて大総の方へ。じっと目を離さない。
今の俺たちは赤ん坊。泣くか視線を送るかだけでしか意思疎通を図れない──ことになっている。
だが泣くのは違う。空腹や糞尿の類と思われてしまうかもしれない。あくまで最終手段。
普通なら視線は気づかれないのかもしれない。現に俺を抱いてるミヤコさんは気が付いていないのだから。
だけど大総なら。大総なら俺たちの目に気が付くはず……!
「……ん? ルビーちゃん? あれ、アクアくんも……」
来た! よくぞ気が付いたぞ大総!
そのままちょっと考えるような様子を見せる。大総が考えこみ始めたことにミヤコさんは気が付いたようだ。
「どうしたの? 大総さん」
「あ、いえ。ルビーちゃんやアクアくんがわたしの方を……えぇ、見てますね」
「あら、ほんとね。やっぱりこの子からも大総さんは好かれてるのよ」
「そうだったら嬉しいですけど……」
ミヤコさんの考えに、納得できてない様子の大総。そうだ、そうなんだよ大総! どうか、考えをくみ取ってくれ……っ!
「……もしかして、お母さんのライブを見に行きたいのかな?」
──ブンブンブン!!
現在動かせる可動領域限界まで首を縦に振る。この時点で大分普通の赤ん坊らしくなくなってしまったが、そんなことよりアイのライブだ!
「わ、二人ともすごい。ここまで力強い頷きは初めて見たかも……でも、危ないから止めようね?」
大総の一声で、身体がピタッと動きを止めた。ルビーも止まってた。
……不思議だ。ルビーならまだ素直に言うことを聞く理由は分かるが、俺の場合は意思というより身体が勝手に言うことを聞いてしまう。まだ身体が赤ん坊だからだろうか。いやでも結構自由に身体動かせるときもあるしな……。
身体が止められたからか、少しだけ冷静に戻れた。
「……この年でこっちの言葉が全部通じるものなのかしら?」
「どうなんでしょう。でも子どもはそれぞれのペースで成長しますから、この子たちみたいに成長が早い子がいてもおかしくないと思いますよ」
「成長の問題なのかしらね……? まぁでも大総さんがそう言うなら、きっとそうなんでしょうね」
一瞬疑われかけたが、大総のお陰で回避。
大総には何人もの子どもを見てきた実績がある。だからこそミヤコさんも素直に受け止めたんだろう。……正直、助かった。だけどアイのライブと聞いて冷静でいられる方がおかしいと思う。
「もう一回聞いてみますね。……ねぇ二人とも、アイちゃん──お母さんのライブ、行ってみたい?」
──コクリ
ルビーと同時に、一回の頷き。
「そっかぁ……うん、そうだよね」
再び考えるような様子を見せる。大総のことだ。俺たちをライブに連れて行く方法を考えているに違いない。
かつての後輩に甘えまくっているし、そのせいで昨日固めた今世での決意が俺を情けない目で見てきてる気がするが、今はアイのライブが優先だ。いずれ向き合ってやるから今は鳴りを潜めて欲しい。
「ミヤコさん、その……」
「……大総さん、悪いことは言わないわ。この子たちを私に任せてライブに行ってちょうだい」
「「?!?!?!?!?」」
まさかのミヤコさんによるガード。思わず俺とルビーは顔をミヤコさんへと向けてしまった。
折角ライブに行けるかもしれないのに、何故止めるんだ……! そんな抗議の意味の目を向けて。
「……やっぱり、突然は厳しいですかね?」
「それもあるけど、そうじゃないわ。今日、アイさんのことを
「それに」とミヤコさんは続ける。
「いつも大総さんには助けられてるし……たまには羽を伸ばしてきて欲しいのよ。楽しみにしてたんでしょう? ライブ」
「ミヤコさん……」
語られる理由には、正当性しかなかった。
興奮していた内心が、すっと落ち着いていく感覚がする。
……そう、だよな。大総も人間。当然疲れる。俺達から解放されたい時だってあるだろう。休みたい時だってあるはずだ。
ライブはこれから先、いつだってある。早く行けるなら早く行きたいのは確かだが、大総に無理をさせてまで行くべきじゃない気がする。
内心、反省。理由が理由なだけに手を引こうとしたその時──。
「──ヤッ!」
ルビーが、声を挙げた。
「ヤ、ヤーッ!!」
「る、ルビーちゃん……?」
涙を浮かべ、変わらず大総にしがみついたまま叫ぶルビー。
だが……理由はなんとなくわかる。
大方、大好きな
多分、こいつの中で大事な要素はアイと大総の両方だ。大総と一緒にアイの生ライブを見ることが重要なんだろう。
だからああして、泣き始めたのだろう。
長くはない付き合いだが、それくらいは理解できるようになった。
「よ、よーしよし! どうしたのかな? おなかすいちゃった? それともおむつ? あぁでも二つとも違いそう……」
「ヤァァーッ!!」
突然の泣きだしに戸惑い始める。そりゃさっきまでめっちゃ大人しく、なんなら幸せそうでもあったルビーが泣き始めたんだからびっくりするか。
「……ううん、そうだよね」
だが、すぐに落ち着いてルビーの頭を撫でる。その温かさに当てられたのか、段々と落ち着いていくルビー。
その最中、チラッと確認をするように俺のことを見つめてくる大総。
「ふふ、うんうん」
見透かされてるみたいだ。確かに大総一人でライブを楽しんできてほしいと思っているが……ライブを見てみたいとも思ってることを。
「ミヤコさん、やっぱりこの子たちを連れていくことは出来ますか?」
「! 大総さん……?!」
「ミヤコさんのお気持ちは凄く嬉しいです。ライブをじっくり見るなら、一人のほうがいいかもしれません」
「だったら……」
「なんですけど……わたしが、この子たちに、アイちゃんを見て欲しいんです」
目が、開いていた。あの目だ。
全てを愛するときの、温かすぎるあの目。
「この子たちはアイちゃん……お母さんのことが大好きなんです。テレビで映ってたらはしゃいじゃうくらいに。
──だけど、この子たちはまだ『アイドルのアイちゃん』と生で会っていない。いずれ見れるようにはなるでしょうけど、それはこの子たちが望まない気がします」
場の空気は、完全に大総のものになっていた。
全員がただ、大総を見ていた。
「だからわたしは、この子たちにアイちゃんを見てほしい。アイちゃんを知ってほしいんです。
……それだったら、ダメですか?」
最後の一言で、雰囲気が完全に元に戻った。
なんとなく、ほっと息を吐いてしまった。
だけどそれは、大総以外の全員がそうだったようだ。
「……念のため、確認するわ。それは大総さんが望んでのことなのよね?」
「えぇ、もちろんです」
こいつは、俺たちを連れていくことを自分の我が儘にしたんだ。ねだられて連れていくのではなく、あくまで大総自身が連れていきたいからとしているんだ。
「お客さんとしてはチケット等があるから厳しいかもだけど……手がないわけではないわ。私がこの子たちをライブスタッフの子どもとして連れていく、というね」
「! ミヤコさんっ!」
「いつもお世話になってる大総さんからのお願いだもの。これだけで返せるとは思ってないけれど、これくらいなら大丈夫よ。だけど──」
「はい、分かってます。この子たちが泣き出しちゃったりして、他の方に迷惑がかかるようなら……一緒に帰るつもりです。アイちゃんには申し訳ないですけども」
「えっ……そ、そんなことしなくても」
「いいんです。その時はその時ですから」
思わず、ルビーと顔を見合わせた。
──そんなこと、しないよな?
──当然じゃん。おかあさんとママに迷惑かけたくないし。
俺たちの意志は同じ。だけど赤ん坊になってる俺たちの声を直接届けることは出来ない。出来て目で訴えることだけだ。
そんな俺たちに気づいてくれたのか、再び大総は俺たちの方を向いた。
「ねぇルビーちゃん、アクアくん。あなたたちをライブに連れていきたいんだけど……わたしやミヤコさんの言うこと、きちんと聞いてくれる?」
──コクリ
今度は、ゆっくり頷けた。
そんな俺たちの反応に、大総は優しく微笑む。
「うん、大丈夫だね。ミヤコさん、お手数をおかけしますが、お願いします」
「えぇ、分かったわ。……やっぱり言葉理解してるわよね。私のときそんな気配なかったけど……大総さんだからかしら……?」
ベビーカーに乗せられ、俺とルビー、大総とミヤコさんで揃ってライブ会場へと行くことが決定した。
大総には感謝してもしきれないという、ちょっとした申し訳なさを感じてはいるが……今はこれから見られるライブに向けての心の準備をしておこう。
あぁ楽しみだ。生で見るライブは、きっと最高なんだろう。
そう思いを馳せながら、その時を待ち続けていた。
赤ちゃんをライブに連れて行くことにした女神様。
女神モード発動しながらミヤコさん説得。結果連れて行けることに。
言葉が(多分)通じていることに対しては、「そういう子もいるよね」スタンス。
ちょっとジェラシりかけた一番星。
ミヤコさんとお姉ちゃんの仲の良さに嫉妬してしまった。
だけどライブに来てくれるとのことだったので、めちゃくちゃ張り切ってる。
色々と振り回されてる社長夫人。
「あいの要望なら仕方ない」と受け入れ。いつもの恩を少しでも返せたらと思ってのこと。
アクルビが泣き出したりしたら、アクルビだけを連れて帰るつもりだった。そんな思考の中で自分も帰ります宣言したあいにちょっとびっくり。
語り部アクア君。
初のアイ生ライブに行ける可能性が出てちょっと暴走気味だった。
だけど、あくまであいが楽しむためのライブと聞いて冷静に。
最終的に行けることになって、申し訳なさを感じてはいるもののテンション爆上がり中。
最近の居場所はあいの傍なルビーちゃん。
大好きなおかあさんといっしょに、大好きなママを見に行けることに大歓喜。
実はライブ会場に着いてベビーカーに乗せられるまではずっとあいに抱っこされてた。かわいいね。