意識してても"特別"は存在してしまうものなんです。
──元気かな、先輩。
ふと、そう呟いたお姉ちゃんが、私の知ってるお姉ちゃんじゃなかった。
そんな顔をさせるのは、私が初めてでありたかったのに。
─────
私がアイドル候補生になって、少し経った。
まだレッスンを積んでいる段階で、デビューはしていない状況。でも着々と実力が着いて行ってるのは感じてて、逐次それをお姉ちゃんに報告していた。
ダンスや歌、表情とか、身に着けたことは何でも自慢した。だって、普通の人にこういうのはない。だったら、それでお姉ちゃんの気が引けるかもしれないから。褒めてくれるかもしれないから。
結果は、確かに褒めてくれた。でも、それだけだった。
お姉ちゃんの中のわたしは、昔から全く変わってない。大きい愛はいつもくれるけど、それで終わり。その先にはどうしてもなることができなかった。
だから今日、わたしは少しやり方を変えてみることにしたんだ。
「いつも迎えありがとね、お姉ちゃん」
「ううん、気にしないで? 今日も大変だったでしょ? お疲れ様。帰ったらマッサージしてあげるね」
「やった!」
この時間が今の私の中では最高の時間だ。少しの間だけど、誰にも邪魔されないでお姉ちゃんを独り占めできる時間。
「今日は何をしてきたの?」
その時間を今まで私は自慢だけに使ってた。だけど、今日からそれを変えてみるんだ。
「今日はね、デビュー前ってことでユニットメンバーとダンスレッスンしたんだー。一人で踊るのと全然違って難しかったんだよね」
「そうなんだ。どんなところが難しかったの?」
「えーっとねぇ──」
それは、今日あったことを話してみること。私がどんなことをしてきたのか、何を思ったのか、などの当たり障りないことを話すだけ。
今までは私のことだけだったけど、私の身の回りのことも話してみることにしたんだ。そうすれば、私がアイドルとしてどんな生活をしてるのか、どんなことがあるのかを想像しやすくなって、さらに私に興味を持ってくれるんじゃないかって思ったから。
お姉ちゃんは基本的に施設にしかいない。だから施設の中の子の学校生活とかも、詳しいことはそこまで知らないはず。そこに私の普段の生活を教えることで、お姉ちゃんの中の私が大きくなるはずだ。少なくとも、施設の他の子よりは。
今のお姉ちゃんには『特別』はいない。多分こういうのは最初が一番難しい。最初の『特別』になるには、時間がかかる。ゆっくり時間を掛けてお姉ちゃんの『特別』になるんだ。
そうすれば、段々と私に対する愛が大きくなっていって、最後にはきっと私だけを愛してくれるはず。そのためにアイドルになったんだから。
「それでね、その子が実は先輩で──」
「……"先輩"、かぁ」
一瞬変わった。お姉ちゃんの表情が。
見たことない顔だった。キレイで、でも知らなくて、私じゃない何かがそれを出したことに気づいちゃって、固まってしまった。
「──元気かな、先輩」
それは、『特別』に向ける目をしてた。
明らかに、私や施設の他の子に向けるような目じゃない。いろんなものに向けるような顔じゃない。
私が初めてになるはずだったそこに、もう誰かがいた。
──嘘。なんで? お姉ちゃんに『特別』はないんじゃなかったの? 全ておんなじように愛してるんでしょ? なのに、それは何?
「──あ、ごめんね? ちょっと"先輩"って言葉が懐かしいって思っちゃって。それで、続きは」
「ねぇお姉ちゃん」
許せなかった。私以外でお姉ちゃんにそんな顔させてることが。
知りたかった。誰がどうやってお姉ちゃんをそんな顔にさせることができたのか。
「"センパイ"って、だれ?」
お姉ちゃんのことは、結構知ってるつもりだった。他の人に比べて、いっぱいお姉ちゃんのこと聞いたりしたし、調べたりしたから。
"センパイ"ってことは多分、お姉ちゃんの通ってた学校の先輩のことだと思う。でも、今までお姉ちゃんが特定の誰かと仲良くしてたなんて話は聞いたことがない。
「そっか、話したことなかったっけ」
お姉ちゃんは少し嬉しそうに返してきた。
「あんまり面白い話じゃないと思うけど、聞く?」
「うん」
続きを促した。だって、私は知らなきゃいけないから。お姉ちゃんを私だけのものにするために。
「──先輩はね、家族以外で初めて私の考えを肯定してくれた人なんだ」
──────
わたしの『愛』は学生のときには既に完成していた。
だから、最初は施設の子たちのようにクラスメートや同級生、先輩など問わず愛するように振る舞っていた。
でも何かが悪かったのか、あんまりわたしの考えは受け入れられなかった。
悪く言われたこともあった。貶されたこともあった。だけどわたしは変わらず皆を愛した。
その内、少しずつ人がいなくなっていった。
もちろん施設の子と同じように、愛を受け取ってくれるような子もいた。でも大半の子は離れていってしまった。
この人たちは親とかに既に愛されてるから、もう愛はいらないのかな? なんて思ったりもした。でも愛はあるだけあったほうがいいに決まってるはず。なのに、わたしからの愛を避けられた。
拒むのは何でか結局分からなかったけど、それなら直接は愛さないでおこうということで、その時から休み時間とかは敢えて人がこないようなところで過ごすようにしていた。
その生活を続けていた高校時代。その時だ。先輩に会えたのは。
始まりはお互い近く別々のベンチで弁当を食べるだけの関係。話したりはしないで、頭を下げて会釈するだけ。
愛が足りてないような子以外にあんまりぐいぐい愛しに行くのは駄目っぽいことをその前に学んでいたから、心の中でその人含め皆愛しておくだけに留めておいた。
しばらくはそれが続いた。でも、あることがきっかけで、話すようになった。
それは、先輩の読んでいた本。医者か、それを目指しているような人しか読まないような本だった。
『あの。お医者さん、目指してるんですか?』
『あ、あぁ』
私も医者を目指していたから興味が引かれた、というわけじゃない。ただ、医者という職業には、すごく関心があった。
何故なら、医者は大きな『愛』を持つ人にしかなれないからだ。だって、医者が診るのは赤の他人の身体や心。そんなこと、人や動物に対するとびっきりの愛を持ってないと出来ない。
もちろん他のお仕事にも、愛がなくちゃ出来ないと思えるものは沢山ある。警察や自衛官が良い例。でも、医者は直接命に関わるお仕事。他のお仕事よりも強い愛が求められるはず。
あの人は、それに成ろうとしていた。わたしと同じくらい……いや、わたし以上に人に対する愛を持ってるんだろう。なんて、素晴らしい人だろう。
見習わなきゃ。とっさにそう思った。わたしはあまり勉強が得意じゃない。もし得意だったら愛を強く伝えられる医者を目指してたかもしれないってほどには関心があったから。
この時から、先輩に対して強い興味が出てきた。だって、初めてだったから。わたしみたいな人と出会えるなんて。
細かいところは違うかもしれない。それは十人十色って言葉が存在してることで証明できる。だけど、根底には人に対する大きい愛があるはず。それを叶えようとしてる先輩が、眩しく見えた。
『わたし、大総あいっていいます。あの、お名前をお伺いしてもよろしいですか?』
『……雨宮吾郎だ』
『雨宮さんですね。よろしくお願いします』
それからだ。先輩と話すようになったのは。とは言っても、わたしが話しかけてそれに先輩が答えるって形が最初だった。
そこで初めて、先輩が先輩であることや、九州の大学に進学しようとしていることを知った。話していけばいくほど、医者になるという決意が感じ取れた。この人は、良い医者になる。そう思った。
こんな生活が続いたある日、先輩にあることを質問された。
『なぁ、なんで俺に話しかけてきたんだ? 医者を目指してるからか?』
何かを疑うような目をしていた。これに少しだけ怯んだけど、自分の本心をそのまま述べることにした。
『そうですよ。だって、それって人を凄く愛してるってことじゃないですか』
『──は?』
『人の命を助ける。お医者さんというのはそういう存在ですよね? それになろうとしてるってことは、相当人のことを愛してないとできないことですよ。世界は愛で出来てるってわたしは思ってるんですけど、それを体現しようとしてる先輩を大変すばらしく思ってて……』
そこまで言って、気が付いた。先輩が固まってることに。
ここで思い出した。昔、わたしの考えを語った後、周りに人がいなくなってしまったことを。
もしかしたら、他の人にとっては変なのかもしれない。でも、わたしにとっては真実だ。ここで否定するつもりもなかった。
だからもし先輩が引けば、わたしは遠くから先輩を皆のように愛そう。先輩が医者を目指しているという事実は変わらないから。
『──アッハハハハ!!』
だけど、現実は違った。
笑ったんだ。わたしの考えを。
でも、バカにするみたいなものじゃない。本心からおかしくて笑ってるようだった。
『──面白いな。お前のその思想。世界は愛で出来ている、か……。あながち間違いでもないのが凄いな』
受け入れてくれた。肯定してくれた。わたしの考えを。
その瞬間から少しだけ、先輩が大きくなった気がした。
────
「──って、話。長くてごめんね?」
「ううん、お姉ちゃんの学校の話、聞けて楽しかったよ?」
「そう? ならいいんだけど」
ずるい。この話を聞いてすぐに思ったのはこれだった。
だって、その先輩なんかより私のほうが先にお姉ちゃんの考えを素敵だって思ったし。なんなら私のほうが先にお姉ちゃんのこと知ってたのに。
「私もお姉ちゃんの考え、素敵だと思うよ?」
「うん、ありがとう。アイちゃん」
同じように理解してみせてるのに、お姉ちゃんの目はいつもと同じだった。
まだお姉ちゃんの中で私は小さいんだってことが嫌でも分かった。私以上が存在してるって考えただけで、心が強く痛くなる。
でも、まだ終わったわけじゃない。
「ねぇお姉ちゃん。さっき『元気かな』って言ってたよね」
「そうだね」
「じゃあ、最近そのセンパイとは会えてないってこと?」
これなら、まだまだチャンスはある。そのセンパイのことを、私で上書きできるから。
「うん。先輩がお医者さんになるために大学に行ったその時から連絡しないようにしてるよ。きっとすごく忙しくて連絡する時間もないだろうって思ってるから」
「そうなんだ!」
勝った。これは勝った。
確かに、今はそのセンパイが強いかもしれない。でも、これからゆっくり時間を使って私を大きくしていけばいい。
だってセンパイって例がある。お姉ちゃんの中で、私が大きくならない理由はない。お姉ちゃんに『特別』が出来ないわけじゃない。
「お姉ちゃん!」
「ん? どうしたの?」
「これ、あげるね!」
手渡すのは、一枚のチケット。私のデビューライブへの切符。
「これって」
「うん、私の最初のライブチケット。絶対、来てほしいなって思って」
「うん……うん! 絶対行くよ」
「ありがと、お姉ちゃん!」
全ては、お姉ちゃんの『特別』に、『唯一』になるため。だから、そのセンパイより大きくならなきゃいけない。
そのために今までやってきた。歌もダンスも全部。なにもかも。
「絶対、目を離さないでね?」
だから覚悟してね? お姉ちゃん。
大総あい。
かつての先輩を思い出し、懐かしくなった。
ライブが楽しみ。
星野アイ。
一瞬闇に堕ちかけたが、つよつよメンタルで復活。
お姉ちゃんを独り占めせねばと決意した。