そうですね。この世界のことをほんの少し。
ここ冬木で見られる住居や人工物などから既に想像がついていたかもしれませんが、この世界は人間を頂点とした生態系を築いていました。
承太郎さんやマルコさんは馴染み深いでしょうね。科学技術によりヒトが繁栄し、大きな社会を形成している世界です。その陰で魔術や魔物といった神秘は人知れず、ひっそりと独自にその歴史を紡いで来ました。
多くの人が愛し合い。
夢を追い。
当然のように明日を信じた。
そんな時代でした。
どこもかしこも、という訳にもいきませんでしたが、平和……だったと思います。
二年前のあの事件が起こるまでは。
“魔王”ゲーティアによって画策されたそれは、人類が生きた事実を
人理焼却……と呼ばれています。
人類は一瞬にして地球上から消滅しました。比喩ではありませんよ。電灯のスイッチを切ったように、突然、何の痕跡もなく、消えたという事実すら知らないままに。
私たち人理継続保障機関(カルデア)以外は。
そして旅が始まるのです。先輩と、私と、カルデアの。魔王を討ち、世界を取り戻すグランドオーダーが。
長かったような、短かったような。
楽しかったような、苦しかったような。
あなたたちに一日かけてこれを語るつもりもありませんから、結論だけ言うと……人理は守られました。
七つの世界を越えて、出会いと別れ、覚悟と犠牲に象られた旅の先にたどり着いた、ゲーティアの玉座。七十二もの魔神が立ち塞がる冠位時間神殿で、多くのサーヴァントが先輩のもとに結集した最終決戦が行われました。
先輩は……勝ちました。
勝ったのです。
ええ、確かに。
勝った……はずなのです……
……ゲーティアを討った直後、彼の存在によって形を保っていた時間神殿は崩壊し始めました。崩れ、揺れる神殿を先輩は走って、走って、走って……出口を目指して……
ああ。
私は出口から、先輩に手を伸ばしました。
――届かなかったのです。
私の願いは、私の想いは、私の手は――届かなかった。
あと一歩。
あと、一歩だけ……私が足を踏み出していれば……
先輩は消えゆく時間神殿に取り残され、その空間と共に……
「なるほどなァ。何となく分かったぜ」
マシュの懺悔が終わるや否や、テルミが口を開く。
「テメーがやりたかったことは、聖杯戦争を言い訳に英霊の座を開くことそのもの……つまりは擬似的な――死者の蘇生か」
マシュは相変わらず顔を伏せたまま、テルミの推理には何の反応も示さない。しかし、それが正鵠を射ているのは明白。
「縁の地で、遺物を用い……そのセンパイってやつをサーヴァントとして召喚しようとした……そんなとこなんだろ?」
マシュは悔やんでいた。あの時、マスターを助けることができなかった自らの不甲斐なさを。
嘆いていた。世界の破滅に立ち向かった大英雄がその功績も知られず死した運命を。
そして何より……愛していたのだ。どんな状況でも決して前に進むことを諦めず、過酷な宿縁を悲観せず、仲間を深く信頼し続ける強さを持ったあの少年を。
だからやはり、テルミの推理は当たっていた。マシュはもう一度、マスターに会うために、虚無の聖杯戦争に身を投じていたのだ。
「死んだ人を生き返らせるなんて……んなことホントにできんのかよっ!?」
「テメーは喋るな! 擬似的ッつったろ、いちいちテンポ悪ィんだよッ! もっとも……話を聞く限り、それも不可能だろうがな」
ティーダとテルミの問答に、人形のように無反応だったマシュがぴくりと肩を揺らした。
今度は承太郎がテルミに問う。
「サーヴァントの召喚は何でもアリなんじゃあなかったのか?」
「そーだな。だが、何でもアリなのはシステム側の都合だ。むしろ何でもアリな無限の座の中から特定の誰かを呼び出すのは、逆に難しいってワケ」
「……なるほど」
誰にも実在を信じられなかった、
「つーかぶっちゃけてイイ? 仔猫ちゃんよォ、テメーのやってることは全部無駄なんだよッ! 知らねーのか? 英霊召喚は人間どもの“認識”で作られてるんだぜ?」
マシュのマスターは確かに彼女のいう通り、世界を救った英雄だ。そこに間違いはない。
しかし、重要なのは人々の認識。
彼が世界を救った事実を知る(あるいは知っていた)人間は殆どいない。すなわちそれは、英霊の座もまた彼を英雄とは見做さないということだ。
「断言するぜぇ。百万回ぶん回してもテメーのセンパイなんざ出ねぇよ! 分かったらサッサとその辺でテキトーに死んで腐ってろッ!」
「……」
「ふぅ」と艶めかしい息を吐いた後、マシュはやっと、ゆっくり顔を上げた。
突然、マルコが「ぴぇっ」と驚嘆して飛び上がった。承太郎やティーダも……テルミさえも――マシュのその表情を見ては、畏怖に後退った。
――血。
マシュの瞳から、涙のようにさめざめと溢れる血。ルビーのように紅く煌めく血がマシュの白く美しい肌を伝い、床に血溜まりを作っていた。
さながらゴースト・ホラーなみてくれではあるが、四人が震えたのはマシュのその深い瞳。全ての痛み、罪、業を喰らい尽くしたかのような、光を飲み込む色。
それが彼女の愛の裏返しなら、彼女は何だってする。何であろうと覚悟している。たとえ自身の命が虫ケラのように踏み潰されようと、爪先から眼球まで擦り刻まれようとも、無限の業火で焼かれようと……何の迷いもなく全てを受け入れる。
そんな恐ろしい精神が他にあろうか。
「ご教示、ありがとうございます。全て知っている情報でしたので、特に参考にはなりませんでした」
「……あァ?」
役立たずと言わんばかりの憮然としたマシュの態度に、テルミはつい凄んで返してはみたものの、精神的に押されているのを感じていた。
テルミは、マシュにはまだ秘められた何かがあると踏んでいた。
その予想は……マシュは、一応の同盟であるはずのアリサを殺そうとしていたのでは? という疑念から来ていた。
彼女に単独でティーダを救助させたり、既に場所が露見した基地に独りだけ置き去りにしたり。
しかしその根拠はあまりに不確定で、検証数が不足していた故に思考を後回しにしていた。それが恐らく重大だと感じながら。
「ところで皆さん」
と、マシュが唐突にとびきりの笑顔で四人を見回す。年頃の青少年なら一撃で惚れ落とされるほど可愛らしく、朗らかで……まるで天使のような笑顔だ。が、その瞳の色、流れる血の涙を見ては、全てが反転して見えるーーつまりは悪魔のような――
それを見た四人は確信した。
マシュ・キリエライト。
こいつはすでに壊れている、と。
「先ほどご説明しました通り、先輩は世界を救った英雄なのです。先輩が居なければ、人の歴史は終わっていたでしょう。皆さんが召喚されることもありませんでした。
そこで、折り入ってお願いなのですが……皆さんには先輩が生き返るよう協力をして欲しいのです。
つまり、その……皆さんには、死んで頂きたいのです」
マシュは、サーヴァントを魔力リソースとして回収し、それを使って再び聖杯戦争を始めるつもりなのだ。そしてまた現れたサーヴァントを殺し、再び聖杯戦争を……無限に繰り返すつもり。
「……勝手に召喚して、ハズレ引いたから死ねって……ばっかじゃねーの」
ティーダがそう言うと、マシュは少し困った顔で承太郎に視線をやる。が、当然ながら彼もその願いに応えない。四人は各々の敵意をもってマシュを睨んでいる。
「……そうですか。では、仕方ありません」
マシュは自暴自棄になったりする人間ではない。今やサーヴァントたちにとって唯一の敵とも言えるマシュが、四基のサーヴァントに囲まれているこの状況で戦線離脱しないのはーー勝てる算段があるということ。
それにいち早く気がついた承太郎は即座にスタンドを顕現させ、それを最初から考慮していたテルミは――
「死ぬのはテメーの方だぜクソビ○チ!」
右腕を掲げる。すると、マシュの頭上の天井が黒緑の光を放ち、ピシリと大きなひびを作る。
「!」
既に老朽化していた天井は、テルミが炸裂させた魔力によっていとも容易く崩れ落ちた。そしてマシュを呑み込むように降りかかる“聖杯の泥”。サーヴァントの核を変質させ、消滅させる力を持った悪意の塊だ。
テルミはこれを上階に溜め置いていたのだ。教室内の天井に蜘蛛の巣のように魔力網を張り、任意の場所を爆破することで防御不能のサーヴァント特攻、聖杯の泥を浴びせかける罠だ。
マシュは咄嗟に盾を拾い上げて傘のように頭部をガードしたが、波のように押し寄せる泥を堰き止めるのは無理だ。あっという間に泥に押しつぶされてしまう。
触れるだけでも無事では済まない泥の波に、他の三人は慌てて避難した。
「こーゆーことやるんだったら先に言っとけって!」
「ケケケ。テメーもついでに喰われりゃ静かになったんだが」
――いくつかの調査不足と当たってしまった予想が、テルミを死路へ導いた。もっとも、彼には既に魔力は殆ど残されていなかったからして、詰んでいたともいえよう。端的に言うと、マシュは聖杯の泥が効かない体質であった。
「なッ……」
はけていく泥の中に悠然と立つ少女。聖杯の泥は、水が油をはじくようにするりと彼女の体を滑り落ちていくだけだ。
「聖杯の泥……ですか。あははっ。テルミさん、貴方が敵で本当によかったです」
マシュは髪や胸に付着した粘液を拭って払う。まるでシャワーを浴びたあとに水を落とすように。
必滅と思われた聖杯の泥は、マシュの霊核破壊はおろか傷一つ付けていない有様だ。
「貴方が私の仲間ならすぐに気がついていたでしょうね」
そう言い、マシュは籠手を乱暴に脱ぎ、ひょいと投げ捨てた。
「!!」
そして彼女の手の甲に刻まれた光る三画の紋様を見た時……承太郎、ティーダ、マルコの三人は凍りついた。歴戦の強者である三人が、紋様たった一つを見ただけで、蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れないでいた。
本能が、アレには抗えないと叫んでいた。戦うことも逃げることもできはしない。そう魂に刻みこまれているように――
「ジョータローォォッ! あいつを止めろォッ!」
テルミの叫び声で承太郎はハッと我に返る。慌ててマシュを止めに走ろうとするが、彼女は泥の海によって守られている。それが承太郎の行動を一手遅らせた。
「承太郎さん、ティーダさん、マルコさん。
令呪をもって命じます。
――自害してください」
次回更新は明日の13時です。
藤丸立香ピックアップガチャなら天井まで回せば出るのでは?