「終わった、のか」
承太郎は座り込んだまま、やるせない表情で呟いた。トキは力強く頷いたが、承太郎はそれにも然したる興味も無さそうだ。
承太郎が何気なくマシュに視線を向けると、聞かれてもいないのにトキが話し始める。
「安心するがいい。まだ秘孔を突き切ってはいない」
マシュがまだ死んでいないということは、サーヴァントの消滅が起こらないことから承太郎も予想していた。
「そいつは死んだって諦めるような奴じゃあねーんだ。目を覚ましたらまた聖杯戦争を始めるだろうぜ」
「彼女の記憶を封印した。もう二度と地獄を繰り返さぬように、殆どの記憶を」
「……色々と器用なジジイだぜ」
「……?」
「あんたなんだろ? おれに掛けられた令呪ってやつの能力を防いだのは」
「うむ、そのことか」
承太郎がマシュのギアスを逃れたのは、トキの秘孔のおかげだ。承太郎が自身の死を確信した時、その恐怖心に反応して一時的に仮死状態になるよう仕込んでいた。ちょうどこの場所で初めて出会ったあのときのことだ。
「ゆるせ。お前が事実を知っては効果もなかった」
マシュの命令は自害することだったが、少なくとも承太郎自身がそれを実行したつもりになっていなければいけないというわけだ。
「勝手に駒につかいやがって」
結果的に生き延びられたとはいえ、トキはマシュに令呪を無駄撃ちさせるために承太郎を利用しただけに過ぎないのだから、承太郎も不機嫌そうだ。どうやら怒る気力まではないようだが。
「勝手ついでですまないが、一つ頼まれてくれぬか」
「話だけ聞いてやる」
「彼女の意識が戻ったなら、そばにいてあげてほしい」
「……」
トキが奪ったマシュの記憶は、彼女のマスターとの思い出、そしてここでの聖杯戦争の歴史だ。となると、それはマシュという人格において大部分を消してしまったことになる。
「だらしないようで悪いが、ちっとばかり疲れたぜ。あんたがそうしてやりな」
「それはできない」
キッパリと断言するトキに、承太郎は顔を上げて彼の顔を見た。虚な瞳、口からは血が垂れていて、立っているのがやっと、というふうに姿勢を崩している。承太郎はトキがもう長くはないのだと悟った。
「無理が祟ったか。わたしを縛っていた令呪の強制力を少しでも削ぐためには、これしかなかった」
刹活孔。霊基を激しく損耗する代わりに、一時的に令呪に対抗する秘孔を自身に突いていた。
「タチが悪すぎるぜ、あんた」
トキは優しく笑い、膝を折った。同時に、淡い光が彼の身体を包み始める。サーヴァントの退去……即ち、死。もともと病を患った状態で召喚されたトキの霊基は、とうに限界を迎えていた。
「さらばだ、承太郎」
承太郎は無意識に、学ランのポケットから手を抜き、水中でも脱がなかった帽子を脱いでいた。知らずして、承太郎はトキの生き様に尊敬の念を抱いていたからだ。
承太郎は、トキだった霊子の最後の一粒が消え失せるまで、目を離さずに見送った。
「……じゃあな」
承太郎はトキ亡き後、ほんの一、ニ分休んでから立ち上がった。
「さて、どうしたものか」
帽子を被り直して、マシュを見やる。
“そばに居てあげてほしい”との遺言を無碍にするつもりもないのだが、承太郎は、あやす、なだめる、いたわるなど最も不得意とするところだ。何なら、彼自身も精神的、肉体的にも参っていた。
とにかく、いつ目を覚ますやら分からない無防備なマシュを安全な場所まで運ばないといけない。承太郎はマシュを連れて基地に戻ろうと考えた。
その前にもう一つ悩みのタネは、
「テルミに聞いておけばよかったぜ」
聖杯をどうすべきかということ。
トキの秘孔の力を疑うわけでもないが、それでもマシュが何らかのキッカケで記憶を取り戻さないとも限らないし、元の世界に戻れないと分かった以上、これは無用の長物だ。
しかし聖杯は壊せるものなのか、壊したらどうなるのかもよく分かってはいない。
承太郎は敢えて見ないようにしていた聖杯を睨みつける。聖杯に対する彼の印象は初見から今もずっと変わらない。人の邪悪、煩悩、怨念を混ぜ固めたような悍ましい“何か”。触れるも躊躇われる欲望の黄金。
それはまるで生きているかのように悪魔の囁きを垂れ流し、誘惑する。決して叶わぬ夢と無限の贖罪でマシュを陥れた、聖杯戦争の黒幕。
可能かどうかはさておき、まずは破壊を試みるべきであろう。
そう結論付け、承太郎は聖杯へ向かい一歩踏み出した。
「!」
ぐんと空気が重くなったのを感じる。
これは敵意に対する聖杯の威圧なのか。承太郎だけでなくサーヴァントは皆、聖杯に生き物のような鼓動を感じていたからして、そういった生物的反応も不思議には思わなかった。
しかし承太郎は次の一歩を踏み出す前に直感した。これは聖杯の威嚇などではない。むしろ逆……愉悦、歓喜。水を得た魚のような、待ち焦がれたものが成就したような、鬨の声。
何かが――来る。
承太郎は踵を返してマシュの方へと跳んだ。一刻も早く、ここを離れるべきだと気が付いたのだ。
「……こいつは……まさかッ!?」
一手、遅かった。
承太郎は自身の動きが鈍くなっていくのを感じていた。否、動きが鈍いのではない――全く動けないのだ。
「フフフ……やはりな……承太郎」
「……てめー……ディオ」
承太郎は背後から投げかけられる声にも振り向くことはできなかった。時が止まっているのだ。彼のスタープラチナもまた力を解放すれば静止した時の中を動くことはできる。
ただしそれはほんの一瞬だけであり、死角を取られているこの状況下を打開できるものではない。
そう、完全なる敗北の絵面であった。
「フハハハハハッ!
ついにッ! この時が来たのだッ!」
しかし、すぐに首を刈りにくるだろうという承太郎の予想に反して、ディオは跳躍して承太郎の頭上を通過した。
「……!?」
「もはや貴様など取るに足りんッ! 承太郎!」
跳んだ先にあるのは、トキとの闘いに敗れ、気を失っているマシュだ。
「罪人の魂……そして聖杯がッ!
このディオを天国へと導くのだァーーッ!」
血飛沫が舞った。
「なッ!?」
ディオがその手に持つはマシュの心臓。彼女の体から引き摺り出した霊核だ。それを躊躇いなく、グシャリと握りつぶした。ディオは血のシャワーを受け、満足げに笑った。
それを見た承太郎は怒りに任せてディオに突進する。
「おおおおおおおおおッ!」
その昂りが彼の力となり、限界を超えて力を引き出した。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ッ!」
時の止まった中での、さらにその一瞬で千の拳が飛び交う。押し寄せる波のような連打が衝突したのち、ディオは数歩後ずさりした。
ラッシュ争いを制したのは承太郎だ。スタープラチナはザ・ワールドの打撃の合間を縫って、たった一発だけではあるが、ディオの右肩へと拳打を当てていた。ただし、超再生能力を持つディオにとってはダメージとはなり得ない。
ディオは不敵な笑みを絶やさず、承太郎を睥睨した。
「どうにも多いな……憤怒を力にする原始的な人間が」
「……」
スタンドは精神力の顕現であるから、つまり承太郎の怒りがそのままスタンドパワーとなる。しかし得てして、怒りは戦況を好転させはしないもの。実際、承太郎は既に時の中を動ける猶予時間を使い切ってしまっていた。
「足りないんじゃあないかァ〜〜怒りが。 ンン~~? 承太郎、好きなだけ怒るがいい」
承太郎は割れんばかりに奥歯を噛み、額に青筋を浮かべてディオを睨んだ。が、彼自身も何に怒りを覚えているのか理解していなかった。何が彼を突き動かしたのか、その正体も。
「おっと、すでに十秒経過……フフフ。いいや、もうこの世界の時が再び流れることはない」
「……!?」
ディオのその宣告通り、時間停止から十数秒経った今でも、時は死んでしまったかのように鼓動をやめていた。
奇妙なことに……聖杯と聖杯の泥は止まった時の中で波打ち、騒いでいる。それらはまるでディオを勝者として祝福しているようでもあった。
ふと気がつくと、マシュも微かながら動いている。“動く”といっても既に瀕死のマシュは朧げな瞳で天を仰ぎ、震える手を天に伸ばしているだけだ。死にゆく間際に想い人の幻をみたのだろうか。
「せん、ぱい……ご、めんなさ……い……」
何故だろうか、小さくともハッキリとその声を聞いた。その直後、ディオは――無意味に無情にマシュの胸を引き裂いた。
「フハハハハハハッ! 搾りカスだッ!」
ただ勝利を誇示するだけの遊びでしかない行為をさらに続け、マシュの脚を、腕を、顔を掻き混ぜるように砕く。千切れたマシュの五体が無惨にばら撒かれた。
「ディオォォォォオッ!」
承太郎はディオに向かって再び走った。彼自身も静止時間の中をこれ以上動けるとは思っていなかったが、とにかく走った。ディオもまた承太郎がまだ動けることは意外だったのか、承太郎を一瞥するが、その表情はすぐに嘲笑に変わった。
「オラァ!」
スタープラチナの剛拳がディオに当たる刹那――突然、ディオが眩いばかりの光を放つ。
「!?」
強い光に視界を奪われた承太郎は拳を振り抜くが、手応えはない。さらにディオの放つ光は秒ごとに強くなっていく。
やがて光が辺りを白く塗りつぶし、全てを呑み込んでゆく。
「そして時は来た……グッバイ、
次回更新は明日13時予定です。
ちなみにタイトルはシャドウバースのカード「次元の超越」のボイスです。