……何もない。
此処には、何もない。
承太郎は音も光もない、空気すら無い仮初の領域に、シャボン玉のようにフワフワと浮いていた。
ここはどこなのか。
承太郎には分かっていた。彼自身の存在が揺らいでいるという事実がその疑問に答えていたからだ。
ここは可能性の海の中。
あるいは、運命を作る、因果という名の素材の山。
ディオが聖杯を使ってやってのけたことは“因果切断”。全ての因果を分解し、構築し直す運命再編。今の承太郎は、そのディオが継ぎ接ぎする歴史のパーツとしてここにあるだけに過ぎない。
承太郎はほとほと呆れた。
よくも、そんな大それたことをやるものだ、と。
ディオは、世界の理を規定する
「……」
運命が流れてゆくのを感じていた。世界としてあるべきものが渦を作り、廻る星のように軌跡を描き、それらがやがて一定の形を成していくのだ。
彼、承太郎はその輪の中には居ない。
運命を引き寄せるモノが重力という名なら、空条承太郎は第二宇宙速度で投げ出されたロケット。
遠く、遠く、遠く。
彼方のソラへ、観測不可能な虚空に消えてゆく塵。
未来永劫、誰にも認められることのない、涅槃寂静の可能性。
そしてディオはその重力そのものだ。都合の良い事実を、歴史を、法則を集めて己が望む人理を定義する神。
承太郎はこれ以上考えることをやめようと目を瞑った。
ディオの世界などに興味はない。ディオそのものにも興味ない……
確かに敗けるのは悔しいと思う。しかしこうなっては反撃の手立てなどあろうはずもない。存在すらし得ない彼が、今や神に等しい存在となったディオに一体何ができるというのか。
「まあ、何でもいいぜ」
つい、承太郎は口に出してしまう。
そう、奴には何の興味もないのだと。
承太郎はそう後付けで定義された存在であって、彼自身が思う空条承太郎ではない。記憶も、身体も、そして信念も。
ディオは宿命の敵か?
違う。
奴もまた承太郎の思う敵ではない。母ホリィの病の元凶でもない。先祖の体を奪った怨敵でもない。友や祖父を殺害した仇でもない。
“お互いの距離が何となく分かってしまう”という、承太郎とディオの二人だけの性質はとっくに消え失せていた。それは、互いに因縁はもうないと認めてしまったからだ。
全ては終わった。
負けも認めた。
さあ、あとは眠るだけだ。
承太郎は、しかし。
瞼の裏に焼き付いている不快な映像に目を開いてしまう。
「……」
何度目を閉じても、目を擦っても。
彼の魂がそれを忘れることを拒否している。
マシュ・キリエライト。
最愛の人のために無限の地獄を背負った少女の、死と、そしてそれを弄ぶ――悪の姿。
否、ディオは既に悪ではない。奴こそがこの世界の法であり、善悪の基準も奴が作る立場にある。だから、ディオが行った如何なる暴虐も正当なる行いになるのだ。誰も神を裁くことは出来ない。
だが、それでも……
それでも……
それでも、
彼女の想いを利用し、踏み付けゴミのように投げ捨てた罪を、空条承太郎という魂は赦すことができないのだ。
正義など不要。法など無用。ただ、この魂の焔を冷ましたいだけ。
これは――復讐だ。
神は誰にも裁かれない。だから、
「ディオ・ブランドー……やはりてめーは……おれが裁く」
承太郎がそう呟くと、ピコンとポケットから電子音が鳴る。承太郎は学ランのポケットに入れたまま忘れていたそれを取り出した。
スマートフォンだ。
ライダーのサーヴァント・マコトとの戦いのあとに残ったスマートフォンは、そのまま機械音声で喋り始める。
「検索ニ ヒット シマシタ」
「マコトの世界は近未来かSFか。
ま、せっかくだ。手伝ってもらうぜ。確か、名前の他に“世界をどう思っているか”の情報が要るんだったな」
奇しくもそれはマシュと真逆の――
「そいつは……“天国”」
「きさま……何故だ」
ディオは叫んだ。
「何故ここにいるのだッ!? 承太郎ッ!」
承太郎を睨むその目に、ありありと焦燥と怒りが見て取れる。
「意外だったか? おれはけっこうネにもつタイプでな」
「……何故ここに居るのかと聞いているのだッ!」
ディオにとっては承太郎との間に因縁はない。故にあってはならぬことだ。ディオだけの世界――因果の渦の中心に、斯様な異物が紛れることは。
「既に答えたハズだぜ」
「……!」
ここには地面などないが、承太郎はヒョイと跳んでディオの眼前に立った。
「何をしに来たのか、それも言う必要はあるか?」
承太郎のスタープラチナとディオのザ・ワールドの射程はほぼ同じ。そしてこの次元には時間という概念が存在しない。即ち互いに時間停止能力は役に立たず、あとは二人の純粋なスタンド・パワーの勝負となるのみだ。
「……いいだろう、承太郎。これにて私のザ・ワールドも見納めとなる。この最終ラウンドで貴様を葬り、お前の死をもってこのディオが神となる祝杯としよう」
「杯なんざロクなモンじゃあねーな。もっとも……ディオ、泥の方はお似合いだったぜ」
ディオは頬を吊り上げ、怒りを存分に示してみせた。対する承太郎は、彼の激情的な性格に反して静かな表情で敵を見据えた。
瞬きもせずに対峙する二人は、各々の魂のボルテージが最高潮に達した瞬間、攻撃に出た。それは図らずも同時。
「ザ・ワールドッ!」
「スタープラチナッ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」
スタープラチナの拳がザ・ワールドの拳を打ち砕いた。千であれ万であれ、その悉くの差し合いは承太郎が上回った。
「ヌゥゥッ!?」
ディオの両手の拳から鮮血が飛び散る。ディオは半歩後退しつつも蹴りを放った。
「死ねィッ! 承太郎ッ!」
承太郎本体の首を狙った一撃。光をも置き去りにするような速い上段蹴りだ。並のサーヴァントであれば予備動作すら認識できないであろう。
「オラァッ!」
それをスタープラチナが肘で撃ち落とす。脚をも砕かれたディオは今度こそ大きく後ずさり、膝を折った。
二人の間にこれほどの差があっただろうか?
否、これは野望と信念の差。イデオロギーの違いが、彼らを隔てたのだ。
「バ……馬鹿な、何故貴様ごときが……!
このディオは神だッ! 全ての運命の上に立っているのだッ!
平伏せ、承太郎ッ! 何故貴様ごときが私を見下すのだッ!?」
「違うな、ディオ。運命とは自分自身の手で切り拓くもの。テメーの掌の上にあるものはただの……ジオラマだ」
「……!」
経験が思想を作る。思想が行動を作る。そして行動が作ったものを運命と呼ぶ。
しかしそれはディオの世界を否定する理屈だ。ディオにとって、他者の運命すら己のモノであり、支配者である彼のために存在するモノなのだ。過程や、方法など――
「どうでもよいのだッ!」
ディオがそう叫ぶと同時、ディオの砕かれた膝から血飛沫が舞った。
「どうだッ! この血の――
「目潰しだろ?」
しかし承太郎は眼を目掛けて飛散する血をあっさりと手で払う。
「――なッ!?」
「だが安心しなディオ。
「何だとォーーーーーーー!?」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ……オラァッ!」
ディオの敗因。
それはたった一つ、シンプルな因果だ。
つまり……
「
最終話同時更新です。