『ルドルフさん!! 一緒にトレーニング! トレーニング!』
『おお、いいよ』
練習を頼んだことは数知れず。そして、昼時だろうと、生徒会室で足の爪を切っていたり、お茶を飲んでぼうっとしていたり、書類整理を手伝っていたり、理由は知らないがエアグルーヴにタジタジになっている時でも、ルドルフはテイオーのトレーニングの誘いを断らなかった。
ルドルフは楽をしようと必死にサボるし、併走に関してはまじめに走ったことはないんじゃないかというのがテイオーの所感であるが、それでも、同世代一ルドルフの走りを間近で見てきたのは自分だという自負があった。それに、彼女は自他共に認めるシンボリルドルフオタクなのである。
(互いに本気なのは初めてだ……!)
風切音の中に混じる観衆の物音が遠くなっていく感覚を覚えながら走るテイオーは、ちらりと後方に目をやる。
その瞬間、雲一つない青空を背に、両腕をだらりと下げ、上体を落としていた相手――シンボリルドルフの小さな姿が、くっと首をあげ、勢いよく駆け出すのだった。
「きたっ……!」
____ゴール板付近の外ラチには、単なる興味、練習のついでに、他にも様々な理由で集まったウマ娘達が並んで、ことの推移を見守っていた。
「あの人繋靭帯炎だったんでしょ?勝ちに行けるのかなあ」
「公式レースから姿消してどんぐらい経ったっけ…… あぁ、でもテイオーと走ってるのはよく見るけどね」
「それはマジじゃないんっしょ? ならさぁ____」
内ラチに腰を預け、好き勝手に喋っている大衆へ微妙な視線を送っていたナイスネイチャは、向正面で憧れの相手に追跡されている友人の姿を目で追うことに戻った。
レースの運びは、概ねテイオーの予想通りに進んでいた。
(少しずつ近づいてきている……やっぱり終盤に差し切る気なんだ…… )
表情の窺い知れぬルドルフの位置は、スタートした時と比べて格段に近づいていた。目測にして7バ身、いや、6バ身といったところか。再三視界を前へ戻したテイオーは、熱く渇いた息を吐き出し、額に浮き出た汗を、手の甲で乱雑に吹き捨てた。
そろそろ第3コーナーも目前に迫って、テイオーの表情も、次第に口が閉じて、歯が食いしばられていく。
(……)
脚の回転は好調で、息の入りを苦しくない。無駄なことを考える余裕すら感じられる。
テイオーは、もう一度後ろへ目をやった。流れていくラチの奥に、変わらず表情のわからないルドルフが自身を追ってくるのが見える。気持ち近づいてきているのだろう、少し彼女が大きく感じられた。
(でもなんなんだろう、この感じ……)
視界を前へやって、少し眉間に皺がよったテイオーではあったが、先に挙げたとおり、彼女は焦っているわけではないのである。例えるならば、歯に詰まった食べかすが気になるぐらいの感覚。
(レースを走ってるんじゃないみたい、なにか、
そんな、小さな違和感を覚えているのである。
「……」
____少しずつ近づくテイオーの背中を見つめるルドルフの暗い瞳は、生徒会室でぼうっとしている時のように、極めて平常であった。
____そして、レースは後半戦。尻尾を靡かせ疾走するテイオーは第3コーナーの入り口に立った。
テイオーとルドルフの位置どりはさらに狭まり、3から4バ身程度にまで縮まっていた。そこまでくれば、テイオーは全身にぶつかる塊のような空気にイラつく余裕もなくなっていた。
「むぅっ……!」
外側へ膨らもうとする身体を内ラチ側へ寝かせ、苦々しそうに目を細めたテイオーは、ふと、長い最終直線の先に目を向けた。その時、第3コーナーがら第4コーナーへ移ろうという時である。
こめかみから、湿った肌に汗が滲み出て、顎から滴る、その時間よりも速く、テイオーは歯軋りまじりに笑ってみせた。
(まだ、我慢……)
第3コーナーを抜けて、第4コーナーへ入った。
(まだ、我慢……!)
ちらほらと観客の姿が外ラチに目立ち始めた。
(まだ……!)
もはや、ルドルフのことは
第四コーナーを抜ける____
「……!!!!」
____ズン、と芝へ力が伝わった。そして、弾むようにして、“天才”の体はより強く、進出を開始した。
「おおっ、すげえバネだなあの走り」
「ああ、それに、ハンデありな上に衰えたとはいえ、あのシンボリルドルフ相手に、入学して半年そこらのウマ娘がこの走りは大したもんだぞ……!」
テイオーの持ち味は、天性のレースセンスに身体の柔軟性である。柔軟性に関しては言うこと無しで、それがバネのような弾みを走りに与え、切れ味のある推進力を発生させる。
むしろ、観客席のトレーナー達が注目したのは、シンボリルドルフの
「これ、どうだろうな」
「あぁ、もしかしたら」
ある者は腕を組んで頷きながら、ある者は期待を込めて見守るレースは、いよいよ大詰めに入る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
白い流星が尾を引くようになって、空気の壁を切り裂きながら跳ぶように駆けていくテイオーの絞られた視野に、見慣れた緑の装飾が入った赤いメンコをつけたネイチャが立っているのが映った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
耳は引き絞られ、息は荒く、腕に少しの重さを感じ始めていた。しかし、ネイチャのもとまでなら十分保つ範囲である。
全てがうまく運んだ。
テイオーは決して気を抜かず、しかし、表情は自信にあふれていた。
(いける____!!!)
「____」
直後、一瞬だけ彼女の隣に巨大な存在感が放たれ、霧散した。
キュッと詰まった瞳孔が、隣に並んできた黒い影を捉えた。
長く伸びた白い流星が光跡をたたえながら、それに比べて子供と大人ほどの差がある流星を塗り潰さんと靡いていた。
「……!!」
テイオーが真横に見た者――シンボリルドルフの表情は、耳を引き絞っている以外は極めて平常で、まるでタイムトライアルでもしているかのようで____
(……これだ、これだ! ボクの感じた違和感は!!!)
その瞬間、彼女の脳裏に走ったのは、例えば、ゴールで待つネイチャと走った時のこと。レース前は何かと屁理屈捏ねてぐちぐちと口うるさい彼女であるが、ひとたび一緒に走り出すと、信じられないほどの熱量と負けん気を発揮する。それはどのウマ娘でも同じことであり、テイオーは、そのヒリヒリ伝わる感覚、外圧が好きであった。
それが、ルドルフからは
威圧感もない、やる気も微塵も感じられない。熱もない。なのに、ただ強い。
それが、今のシンボリルドルフというウマ娘なのである。
「はぁっ! はぁっ、はあっ……!」
その事実に気付いた時、テイオーが見ていたのは、ルドルフのぼさぼさの鹿毛がうねっている背中であった。
「これが、かつて皇帝と謳われたウマ娘の力……」
練習用コースは、たった1分半と少しのマッチレースで、選抜レースもかくやと言わんばかりの賑わいを見せたのだった。
「これからいくらでも挑んでくれていいよ」
少し息の上がったルドルフのくたびれた声が、項垂れて芝を見つめるテイオーの耳を突いた。
滝のように流れ落ちる汗が、芝を濡らしていた。
「いつ聞き出せるだろうね」
息を乱したまま顔を上げたテイオーは、ルドルフの表情を一瞥し、自身の敗北を決定的に悟ったのだった。