美人で有能な会社の上司とヤらかすお話   作:萬屋久兵衛

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第1話

 

「佳乃ちゃん、こないだ対応してもらったキリヤマさんの件なんだけど……」

 

 吸っていたたばこの灰を灰皿に落としながら、滝川さんが生駒先輩に切り出した。

 

「ああ、確か三重の……。なんか言われちゃいました?」

 

 同じくたばこを吹かしていた生駒先輩が問うと、滝川さんは大袈裟に手を振って否定した。

 

「違う違う!向こうの上司が佳乃ちゃんのこと気に入っちゃったみたいでさ。悪いんだけど、次営業行くときに同行してくれないかな?」

 

「え~……」

 

 キリヤマさんはあくまで滝川さんの担当顧客なので、生駒先輩が手伝う義理は一ミリもないし、自分の成績にも影響することはない。その上わざわざ名古屋から三重まで出向かなくてはならないめんどくささに、当然難色を示す生駒先輩。

 

「頼むよお。出先で奢るからさ!俺、いい松阪牛出す店知ってるんだよ!」

 

 拝む滝川さんに対して、生駒先輩は相変わらず渋面顔だ。

 

「そう言われても、後輩の指導もありますし……」

 

「いいじゃん、別に付きっきりで指導してるわけじゃないんでしょ?それに、先輩におんぶ抱っこじゃ成長できないって!お前も早く独り立ちしたいよな?前野」

 

 そこまで言って滝川さんは、喫煙所の隅で他人事の様に話を聞いていた”先輩におんぶ抱っこで成長できていない後輩”こと、俺に話を振ってくる。

 

「いやあ、まあ……」

 

 この中で一番後輩な俺が波風立てるわけにもいかず、曖昧に笑って誤魔化す。

 

「ほら、前野もこう言ってるからさ!一回顔を見せてくれれば向こうも満足すると思うから!ね!」

 

 俺の玉虫色なリアクションを自分に都合良く解釈して生駒先輩に頼みこむ滝川さん。

 

「う~ん……」

 

 しばらく悩んでいた生駒先輩だが、やがてため息を吐くと苦笑しながら了承した。

 

「しょうがないですねえ。一回だけですよ、これは貸しですからね」

 

「やった!ありがとう!それじゃ、スケジュール見てアポ取っとくから!予定決まったら連絡するね!」

 

 まるでデートの誘いに成功したみたいに喜色満面の笑みを浮かべた滝川さんは軽やかな足取りで喫煙所から出て行った。後に残されたのは生駒先輩と俺のふたりのみ。

 生駒先輩は笑顔で滝川さんを見送っていたが、滝川さんの姿が見えなくなると途端にその表情を崩して舌打ちをした。

 

「めんどくさっ!なんで私が何の得にもならない営業に付き合わなきゃならないわけ?」

 

「松阪牛奢ってくれるんだからその分得してるじゃないですか」

 

 たばこの煙を吐き出しながら俺が言うと、お気に召さなかったらしい生駒先輩がこちらをきっ、と睨みつけてくる。

 

「わざわざ三重くんだりまで行っておっさんのご機嫌とりさせられた上、興味もない男と食事させられちゃあ松阪牛でも釣り合い取れないっての!一応先輩だから顔を立ててるけど、同い年か後輩なら絶対断ってるわ!」 

 

「酷いなあ。滝川さん、イケメンだし人当たりいいし事務の女性陣にも大人気じゃないですか」

 

 そしてこの生駒先輩とふたりして、美男美女の営業ツートップとして名を馳せている。これを言うと、空気を読まないおっさん連中にはお似合いカップルと囃し立てられ、女性陣からは恋敵として一方的に敵視されている生駒先輩の機嫌が悪くなるので口には出さないが。

 

「あのねえ、イケメンなんてのは顔が良いのを武器にして女を食い漁ってるクズなのよ!あいつだって人当たり良さそうなツラして裏でえげつないことやってるに違いないわ……」

 

「イケメンに親でも殺されたんすか?」

 

 とんでもねえ偏見に思わず突っ込む。イケメン嫌いを公言する女性というものが存在することは知っていたが、ここまでのもの言いをされると親殺しはネタだとしても過去になにかあったのかと勘繰ってしまう。

 

「私は別に何もないわよ。あいつ、前野君にだけやけに厳しいじゃない!前野君が特別できないわけじゃないのに!私、人を選んで攻撃するやつとか嫌いなの!」

 

 ああ、そういう……。

 俺にあたりの良かった滝川さんが厳しくなったのは生駒先輩が俺の教育係になってべったりになった辺りからで、そういう意味では原因は生駒先輩と言えなくもないのだが……。

 

「というか、俺のことをできない集団の中に置いてはいるんですね」

 

「私贔屓は嫌いだけど、自分には嘘をつきたくないから」

 

「ひでえ」

 

 いや、確かに営業成績は営業部同期の中でも下の方だけど。だからこそ生駒先輩の下につけられたというわけではあるのだけれども。

 

「先輩に心を傷つけられて悲しいから二本目いっちゃお」

 

 悲嘆に暮れた俺は短くなったたばこを灰皿に放り投げ、流れる様に二本目に火をつける。

 

「かけらも悲しんでないわね……」

 

 生駒先輩は俺の態度に呆れたご様子を見せつつも、自分も二本目のたばこを取り出している。

 

「別に仕事で人と競争したいとは思わないですしねえ。ご存知ですか?どんなに優秀な人材を集めた会社でも、その中の二割は怠け者になるらしいですよ。つまり、俺みたいな存在は会社の必要悪ってことです」

 

「君がそんな態度だと教育係の私の資質が疑われるんだけど」

 

 おっと、余計なことを言ったせいで悪い流れに。

 俺は適当に笑って誤魔化しつつ、都合の悪い話題を切り替える。

 

「それよりも、キリヤマさんってことは先週の件の後始末ですよね」

 

「絶対そうよ!私達があいつのケツを拭いてやったってのに、アフターケアまでやらされるのは気に入らない!」

 

 生駒先輩の滝川さんへの心象をリリースすることで、無事話の流れの軌道修正に成功する。

 女性が公の場でケツを拭くなんて文句を口に出すのはいかがなものかと突っ込みそうになったが、風向きを変えたくないので黙認することとする。

 

「というか、前野君だってトラブル対応してるんだから、お礼って言うなら前野君も同行させて奢るべきよね」

 

 確かにキリヤマさんから納品ミスのクレーム電話を受けたのは俺だし、三重までの運転をしたのも俺ではある。といっても、早急に商品の手配をして先方の矢面に立ち、クレームが炎上延焼する前に華麗に火消ししてみせたのは生駒先輩で、俺はそれを隣で見ていただけなので礼を言われる立場かというと微妙なところだ。

 運転代は生駒先輩から飯奢ってもらって受け取ってるし、一応滝川さんもコーヒー奢ってくれたし。

 ぐちぐちと滝川さんへの悪口を垂れ流す生駒先輩のご機嫌を取りつつ、二本目のたばこを消化する。

 これを吸いきったら休憩も終わりだなと考えていると、急に生駒先輩が五百円玉をテーブルに叩きつけた。

 思わず生駒先輩の方を見ると、先輩はすわった目をして三本目のたばこに手をかけるところだった。

 

「せ、先輩……?」

 

「これでコーヒー買ってきて。いつものやつ。君の分も買っていいから」

 

「いや、あの、そろそろ戻らないと」

 

「この後の営業の打ち合わせよ!」

 

「うす」

 

 生駒先輩は思った以上にヒートアップしていたらしい。俺はそれ以上逆らわずに自販機に走った。

 その後の話は当然生駒先輩の愚痴に終始し、打ち合わせなんてものは一言分も存在しなかった。

 いやまあ、これから行くのは打ち合わせの必要な取引先じゃないからいいんだけど。

 

 

    *

 

 

「やあ、どうもどうも。生駒さんはお久しぶりだね」

 

 俺と生駒先輩が通された応接室のテーブルに座っているところへ、人のよさそうな中年男性が片手を上げながら入室してきた。

 俺たちは席を立つと男性に頭を下げる。

 

「お久しぶりです、蜂須賀さん。忘れられてなくてよかったです」

 

「ははは、生駒さんのことを忘れるなんてことはありえないよ。ささ、どうぞ」

 

「失礼します」

 

 蜂須賀さんに勧められて改めて着席した生駒先輩は、つい一時間ぐらい前まで会社の喫煙所で同僚の不満を垂れ流していた人と同一人物とは思えない程に完璧な営業スマイルを浮かべている。

 俺は、美人の笑顔はさぞかし営業の武器になるだろうなと他人事のように思いながら続けて席に着く。

 今回お伺いしたカワナミさんは俺が担当している取引先だが、元はといえば生駒先輩が開拓した取引先である。

 愛知と岐阜の県境近辺を中心にスーパーカワナミをチェーン展開をしているカワナミさんは、規模も手頃で仕入れ担当の蜂須賀さんも穏和な方なので、俺が生駒先輩の下に付いた時に任された。

 実際蜂須賀さんは生駒先輩よりもはるかに仕事がおぼつかない俺にもよくしてくれるありがたいお方である。

 

「で、前野君。例のブツは?」

 

 席に着いて早々の蜂須賀さんの意味深な切出しに、何も知らない生駒先輩は表情こそ変えないが不審な目で俺のことを見てくる。

 

「もちろん、お持ちしましたとも」

 

 俺はそんな生駒先輩をよそに、にやりと笑みを浮かべてカバンの中からブツを取り出す。

 

「これが先日お話しした我が社の試作品、『かき氷ジュース』です!」

 

 応接テーブルの上に並べた四本の透明なボトル。中にはそれぞれ赤、青、緑、黄色の原色に色付けられた液体が入っている。

 

「おお、これが……。見た目からして正気を疑うぐらい濃い色してるねえ」

 

「やばいでしょう?ぱっと見は濃すぎて飲めたもんじゃなさそうですけど、中身はちゃんと薄められてるらしいんでこのまま飲めるそうです」

 

「なるほど。どれどれ早速……」

 

 俺が紙コップを取り出して渡すと、蜂須賀さんはうきうきした様子で紙コップに赤の液を注いでいく。

 俺は自分で青の液を手元の紙コップに注いでから、隣の生駒先輩に紙コップを押し付けた。

 

「生駒先輩はどれにします?緑はメロンソーダっぽ過ぎて面白みがないって話ですけど」

 

「……じゃあ、黄色を」

 

 何やら頭痛を堪える様に顔を顰めつつ手元の紙コップに注がれる黄色の液体を眺める生駒先輩。

 

「さて、それでは僭越ながら乾杯の音頭をわたくしが。……乾杯!」

 

 俺の音頭に合わせてテーブルの上で紙コップをぶつけ合い、蜂須賀さんは楽しそうに、生駒先輩は努めて笑顔を浮かべつつ中の液体を口に含む。

 

「……ああ、これこれ!なんかやたらと舌に残る絶妙な甘さ加減!懐かしいなあ」

 

「食べ終わりかけのかき氷が溶けて水っぽくなったらこんな感じでしたよねえ」

 

「……あっま!」

 

 蜂須賀さんと俺がブツの品評をしている横でフリーズしていた生駒先輩が再起動して叫ぶ。

 

「何これ!?……んんっ。うちの開発は何やってるの……?」

 

 おそらくだが、思わず罵声が飛び出そうになったのを顧客の前であることに気がついて咳払いで誤魔化しつつ、それでもなお開発者への突っ込みを止められなかったんだろうなというリアクションをしてくれる生駒先輩。

 

「いやあ、僕の同期が開発部にいましてね。色々と変な飲み物を作っては試作品として送ってくるんですよ。ひとりで飲むのも怖いんで、蜂須賀さんに道連れになってもらってるんです」

 

「私も最近は前野君が持ってきてくれる試作品が楽しみでねえ。当たり外れが極端すぎるのが欠点だけど、毎回盛り上がるんだよ」

 

「うちがこの前発売した飲むスープカレーなんかは、僕と蜂須賀さんの意見を反映したから発売まで漕ぎ着けたんですよ」

 

「発売決定の連絡受けた時ははしゃぎすぎて事務の女の子に怒られたんだよなあ、私」

 

 はっはっは!なんて笑い合う俺たちを生駒先輩は何か言いたげに見ていたが、気持ちを切り替えるように咳払いをすると、蜂須賀さんに切り出す。

 

「そのご様子ですと、前野はご迷惑をおかけしていないみたいでよかったです。それで、本日お伺いした件なのですが……」

 

「ああ、そうそう。新商品の件だったね。うん、買わせてもらうよ。とりあえずこれぐらい発注しようと思うんだけど」

 

 蜂須賀さんがファイルから発注書を取り出してこちらに提示してくれる。事前に話を通してはいたが、準備がよくてありがたい。

 

「拝見します。……あら?」

 

 渡されたファイルを確認した生駒先輩が軽く目を見開いた。

 

「弊社としては嬉しい限りですが、こんなにご発注いただいてよろしいのですか?」

 

「いいのいいの!前に出た大手さんの抹茶ラテは大人気だったからね。大人向けの濃い味でも捌けるだろうし。それになにより……」

 

 そのまで言ってから、一瞬しまったという様な表情をして口を噤む蜂須賀さん。それを見て生駒先輩が不思議そうに問う。

 

「何かありました?」

 

「いやあ……」

 

 曖昧に笑う蜂須賀さん。言おうとしていたことは察しがつくので、ここはフォローに回ることにする。

 

「僕が蜂須賀さんに、生駒先輩にしばかれるって泣きついたから、同情して助けてくれたんですよ」

 

「へえ……」

 

「いや、あのね。生駒さんがどうこうっていうか、あまり発注取れてなくて大変だって言うから、ちょっとでもと思ってね」

 

 蜂須賀さんが慌ててフォローしてくれるが、生駒先輩は苦笑しながら首を振る。

 

「お気になされなくても大丈夫ですよ。むしろ、余計なご発注をさせてしまい、申し訳ございません」

 

 軽く頭を下げる生駒先輩に一層慌てて手をぶんぶん振る蜂須賀さん。

 

「いやいやいや、いいんだよ。別に無理してるわけでもないし、こっちの予算的にも問題ない範囲だから。ちょっと発注数に色付けただけ!」

 

「それならいいのですが……」

 

「僕からもすみません、ちょうどお願いした数字で怒られないぎりぎりに届きそうだったので無理を申し上げて」

 

「本当に気にしないでよ!前野君にはいつも試作品もらってるし、木曾川飲料さんには色々卸してもらってお世話になってるしさ!」

 

「蜂須賀さん……。ありがとうございます」

 

 生駒先輩が頭を下げるのに合わせて俺も頭を下げる。いい感じの雰囲気になったところで、生駒先輩が話のオチをつけにきた。

 

「……それはそれとして、前野君は後で反省会ね」

 

「ひでえ」

 

「ぶふっ」

 

 思わずといった感じで俺が溢すと、蜂須賀さんは堪えきれずにちょっと噴き出した。

 

 

    *

 

 

「はい、というわけでお疲れ様」

 

「お疲れで~す」

 

 生駒先輩が掲げたジョッキに自分のジョッキを合わせ、中身のビールをぐいっと呷る。

 

「……かぁっ!労働の後のビールは最高だわ!」

 

 カワナミさんを辞去した後に、生駒先輩はすぐさま宣言通りに反省会を開催した。

 会場が名古屋の歓楽街、錦にある居酒屋という時点でまともに反省会するつもりがあるかは疑問だが。

 

「先輩、今日はありがとうございました」

 

 とりあえず生駒先輩が正気なうちに礼を伝えると、先輩は右手に持ったジョッキを傾けながら、左手をひらひらと振る。

 

「いいのよ別に。教育担当としては当然のことをしたまでなんだから。……せっかくだし、酒があまり入ってないうちに反省会しときましょうか」

 

 どうやらちゃんと反省会をするつもりはあったらしい。

 批評される側の礼儀として、ジョッキを置いて居住いを正す。

 

「そうねえ。まず、私をダシにして発注をお願いしていた件だけど……」

 

「すいませんでした」

 

 生駒先輩が続きを話すよりも先に頭を下げる。こういうのは謝った者勝ちなのだ。

 すぐさま謝罪に走った俺に、生駒先輩は苦笑する。

 

「別に悪いとは言ってないわ。担当者同士が険悪になるぐらいだったら、会社や上司を悪者にする方がましよ。今回の場合みたいに泣き落としみたいなのは相手を選ぶかも知れないけれど」

 

 無論、泣き落とされてくれる蜂須賀さんだからこその対応である。しかし、この部分を褒めてもらえるのはありがたい。今日も含め、今まで同行してきて理解していたことだが生駒先輩は寛容で融通の利くタイプである。何故か滝川さん等一部の人間には異常に了見が狭くなるきらいがあるが。

 

「後は、試作品を上手いこと使ってるのも良かったわね。お土産感覚で渡せるし、一緒に飲めば話題作りにもなる。やばいものを飲ませるのは流石にまずいと思うけど……」

 

「そこは大丈夫です。開発室で試飲して安全なやつだけ渡されてるんで」

 

「安全じゃない物が存在するように聞こえるけど、聞かなかったことにするわね……」

 

 同期曰く、少なくとも救急搬送されるような事態になったことはないらしい。まだ。

 

「今のが良かった点だとしたら、悪かったのはお客様と仲良くし過ぎな点かしらね。仲が悪いのは論外だけれど、お友達じゃないんだからもっと節度を持った付き合いをした方がいいわ」

 

「ううん……。俺、お客さんとは仲良くしていきたいんですがね」

 

 お互いに異動がや担当替えがない限りは付き合いの続く相手なのだ。できれば下手な摩擦を起こさずにいたいのだが……。

 

「仲が良すぎると、しなくてもいい値引きするとかいらない商品発注するとかし始めてお互い損するだけよ。もっとビジネスライクに考えなさい」

 

「そんなもんなんですかねえ。まあ、あんなに仲良くできるのは蜂須賀さんぐらいですよ。他ではもっとしっかりしてますから」

 

「本当かしら……」

 

 そこは信じて貰いたい。というか、蜂須賀さんとは歳が一回りは離れてると思うんだけど、やたらと馬が合うのがいけないんだよな……。カワナミさんの雰囲気もすごい居心地がいいし。うちの会社を首になったら蜂須賀さんに頼み込んでカワナミさんで働かせてもらうのもいいかもしれない。

 

「後はまあ、お膳立てがしっかりしてたのはポイント高いかな。上司を連れて行く時にあれだけスムーズに事が運んだら評価爆上がりよ。ただ……」

 

「ありがとうございます!……ただ?」

 

 けっこうな評価をいただいて喜んだのもつかの間、意味深な感じに言葉を切る生駒先輩。先輩は中身の少なくなったジョッキを見つめながら、難しそうな顔をしている。

 

「管理職を連れて行くならあれでいいけど、私を連れて行くならもっと難しいところにするべきだったと思うわ。私はあなたの教育のためについてるんだから。というか、あれだけお膳立てできるなら、その気になれば他でももっと発注取れるんじゃない?」

 

「いやあ、まあ……」

 

 生駒先輩の指摘に、俺は曖昧に笑って誤魔化すしかない。だが、無言でこちらを見つめる生駒先輩の目は誤魔化せそうになかった。

 しばし見つめ合った後、俺はため息を吐くとジョッキに残ったビールをぐいっと呷った。しゃべりに集中し過ぎたせいでぬるくなったビールの味に顔をしかめつつ、ちょうどそばを通った定員さんを呼び止める。

 俺はレモンサワーを、生駒先輩はハイボールを注文した。店員が去って行くのを見送ってから俺は口を開く。

 

「その、怒らないで聞いていただけます?」

 

「内容による」

 

 俺のお伺いに生駒先輩は即答する。なおさら言いづらくなるのでやめて欲しい。しばし逡巡の後、俺は渋々覚悟を決める。

 

「別に手を抜いて数字を出さないようにしてるとかじゃないんですがね。ただ、仕事にたいしてのモチベーションがそこまでないというか、頑張って数字を上げることに興味がないというか……」

 

 日本の会社というのはある意味被雇用者に都合が良いところで、ちょっと落ちこぼれている程度の社員がそれを理由に解雇されることはほぼ無いと言っていい。そして被雇用者にとって都合が悪い部分が、管理職になった途端残業代が発生しなくなることだ。

 大手に限れば別かもしれないが、大抵の中小企業の管理職はささやかな昇給をする代わりに無制限に使い倒されるという話だ。今年昇進したうちの課長だって人手不足の煽りを受けて、俺たちのマネジメントをしながらも自分の担当顧客を他の課員に引き渡せないでいる。

 そんなものを見ていながら、仕事に精を出して昇進して……、なんて未来を描くことは俺には不可能だった。

 

「なるほどねえ……」

 

 甘ったれるなとか、社会を舐めてるだとか、そういった罵声が飛んでくるかと思って身構えていたのだが、生駒先輩はそう一言だけ呟きながらお通しのミニサラダをつつくばかりで怒っている様子はなさそうだった。

 

「まあ、そりゃあそうよね。汗水垂らして働いたって何も得なことないし。別にいいんじゃない?それで」

 

 それどころか肯定的な言葉まで飛んできて、俺の方が逆に困惑してしまう。

 

「……ぶっちゃけめちゃくちゃ怒られると思ってたんですけど。その、怒らないんですか?」

 

「んなことしないわよ。私はあくまでも指導係であって前野君のママじゃないんだから。前野君がそういうスタンスならそれに沿って指導するだけ」

 

 恐る恐る問いかけると、生駒先輩は肩をすくめる。

 

「それに、私だってできるなら楽しく適当に働きたいわ。というか、そうなるように働いてるつもりよ」

 

 これには俺も驚いた。滝川さんと共に営業のエースとして成績を伸ばしている生駒先輩のことだから、ばりばり仕事をして努力を怠らないタイプなのだと思っていた。

 そのことを生駒先輩に告げると、先輩は呆れたような表情を見せる。

 

「あのね。私だって君とほとんど変わらない年齢なんだから、考えることなんて大体同じよ」

 

「そういえばそうでした。ええと、二年目の俺が今年二十四だから、今年四年目の先輩は……」

 

 頭の中で数字をはじき出す前に、俺の目の前に高速でハシが突き出される。

 

「わかりきったことでも女の年齢を口に出そうとするな」

 

「……うす」

 

 わりかしマジな感じの目をした生駒先輩の言葉に、俺は素直に従った。先輩の言葉は絶対だから仕方がないのだ、うん。

 

「といっても俺と二個違いなんだから気にすることもないと思いますけどね」

 

「あなたにもそのうち分かるわ……。お肉の脂がきついなと感じ始めた時の辛さが……」

 

 急にどこか遠いところに視線をさまよわせ始める先輩。ちょっとした地雷を踏んでしまったらしい。俺は慌てて会話の軌道修正を試みる。

 

「というか、二個しか違わないのにあんなに成績いいってめちゃくちゃすごいのでは?」

 

 生駒先輩と伍する成績の滝川さんが、その生駒先輩より何個か上の年齢だったはずだ。年功序列より実力主義なんてうたわれて久しいが、なんだかんだ経験値差はあるだろうに。

 

「別に私だって大したことはしてないわよ。ただ、昔から要領がよかったから、適当にやれることをやってるだけ」

 

「適当でトップクラスの成績を出されたら他の営業部の人員は立つ瀬がないんですが……」

 

「要領が悪いのよ、みんな」

 

 容赦のない言葉で切り捨てる生駒先輩だが、しっかりと結果を出されているのでぐうの音も出ない。

 

「まあそういうわけで私も人のこと言えないし、無理に頑張る必要なんて一切無いわ」

 

 生駒先輩は笑みを浮かべながら断言しつつも、先を続ける。

 

「ただ、頑張らない程度に結果を出しておいた方が自分のためよ。成績が悪いと周囲の評判も悪くなるし、なにより賞与に響くから。ほどほどに頑張ってればほどほどに給料ももらえるものよ。管理職になるならないなんてまだ先のことだから気にすることもないし、もし打診が来ても断っちゃえばいいんだから」

 

「おお……」

 

 生駒先輩の話を聞いていると、なんだが仕事なんて簡単な事のように思えてくる。

 

「つまり、俺もやろうと思えば生駒先輩みたいな成績を上げられるってことですね!」

 

 生駒先輩に自分のネガティブな部分をさらけ出したことで下降気味だった気持ちが上向いてきて、俺は八割冗談の言葉を吐いた。それは言い過ぎ、とか突っ込みが入ることを期待した発言である。しかし。

 

「要領が良くて運があればいけるんじゃない?今日の蜂須賀さんとのやり取りを見た感じ、良い線行ってると思うわよ」

 

 生駒先輩は俺の言葉にあっさりと、なんでもないことのように言う。予想外の言葉に目を丸くする俺に、先輩は身を乗り出してくる。

 

「運の部分はどうしようもないけど、要領については私が教えたげる。だから、私ぐらいとは言わないけど、人並みぐらいの結果は出せるようにしなさい。あなた自身と、私の評価のためにね」

 

 生駒先輩の整った容貌を見ながら、俺は苦笑した。まったく、人を乗せるのが上手い先輩だ。俺の告白に対して説教でもされていたら、俺は頑なに変わろうとはしなかっただろう。それがどういうことか、ちょっと頑張ってみようかと思えてくる。

 

「それじゃあ、ちょっと頑張ってみますよ。生駒先輩の評価のために」

 

 さっきまでやる気はありませんなんて言っておきながら自分のために、というのはちょっと気恥ずかしくて生駒先輩を理由にしておく。

 

「そうそう、私のために、ね」

 

 姿勢を戻し、満足げに笑う生駒先輩を見ていると、もしかして先の言葉も俺の性格から予測して先輩が作ってくれた逃げ道だろうか。

 ちょうど良いところで先に頼んでいたつまみと、先ほど注文した酒が運ばれてくる。

 

「お、来た来た。それじゃ、やる気を出すのは明日からにして今日は飲みまくりましょ」

 

「明日も仕事なんですから、酔い潰れて二日酔いになるのは勘弁ですよ」

 

「大丈夫よ。明日はどうせデスクワークしか予定無いし。君もそうだったでしょ?」

 

 そういう問題じゃないと思うのだが、生駒先輩は気にもとめない。まったく、話の分かる先輩だとは思っていたが、俺が思っていた以上にちゃらんぽらんな人だったらしい。

 俺としては、非常にありがたい上司であるのだけれど。

 

「それじゃ改めまして。今日の営業の成功祝いと、明日からの努力を祈念しまして、かんぱ~い」

 

「乾杯」

 

 先輩の掲げたハイボールのグラスに、レモンサワーのジョッキを合わせる。そのままお互いぐいっとひと飲み。レモンの酸味と炭酸が喉元を通過していく感覚を味わい、テーブルに並べられたつまみに手を付けていく。

 

「しかしここまでお世話になると、生駒先輩には足を向けて眠れないですねえ」

 

「君は私の後輩なんだからそんなこと気にしないの。でもそうねえ……」

 

 俺がしみじみと語ると、ハイボールを一気に半分も消化した生駒先輩はおかしそうに笑う。

「どうせなら私の足下に跪いて足を舐めるぐらいまで懐柔しておこうかしら。君が使えるようになったら私も楽になるし」

 

「……先輩、酔ってます?」

 

 生駒先輩の発言に思わず問い返す。

 

「まだ二杯目だもの。まだまだこれからよ」

 

 そう言って先輩はハイボールをもう一口、というか一息で杯を乾かしてしまった。

 ううむ。今日はいつもよりもペースが早い。いつもは会社の愚痴を垂れ流しながら飲むことが多いのでしゃべり優先になり、ペースも落ち着いたものなのだが。そういう主旨の飲みでないのが原因だろうか。

 ……まあ、いいか。生駒先輩の言じゃないが、今日は無事発注も取れたし、先輩とは今後についていい話ができたし、少しぐらいハメを外しても問題ないだろう。それになにより。

 俺はジョッキに残ったレモンサワーをぐいっと呷る。流石にジョッキを一気はできないが、半分以上は飲み干しただろう。

 

「いっそのこと、そのまま先輩の足の爪垢も飲ませてもらえればすぐに要領よくなるかもしれませんね」

 

 酔いに任せて冗談を言うと、生駒先輩はけらけらと笑った。

 なにより、美人な上司とサシで飲めるなんて男冥利に尽きるというものだ。明日の業務なんてそれに比べたら些細な問題である。

 

「……、……、……!」

 

「……、……?……」

 

「──、──、──」

 

 

    *

 

「……んんっ」

 

 いつもの目覚まし時計の音で目を覚ます。まぶたを開くまでもなく、窓の外から光が差し込んできているのがわかった。

 眠気と戦うこと数秒。朝は弱くないタイプなので、それだけの時間があればしゃきっとできる自信があったのだが、今日はやけに眠い。それに、やけに身体がだるかった。

 ……そういえば、昨日は生駒先輩と飲んだのだった。

 どうやら酒が身体に残っているらしい。俺は原因に気がついて内心ため息を吐く。どうにか寝過ごさずに済んだようだが、この分だと本日はまともに業務に取りかかれるのやら。

 まあ、過ぎたことは仕方がない。今は頑張って身体を動かして、このやかましい目覚まし時計を止めることが先決だ。

 目覚まし時計はベッドボードに置いてある。身体を捻って頭の上に手を伸ばすだけで目的には事足りる。

 俺がその通り行動に移そうとした時──。

 

「……もう、うるさい!」

 

 俺よりも先に、行動に移した人物がいた。その人物は身体を捻ると同時に、手を目覚まし時計に乱暴に叩きつける。

 がんっ、という音と共に沈黙する目覚まし時計。

 俺は、俺よりも先に手を下した下手人の方を見る。

 ……俺の隣で寝ていたらしいその人物を。

 

「ねっむ……。最悪の目覚め方だわ……。何なのよこの目覚まし……」

 

 寝起きでご機嫌斜めなのか、下手人はぶつぶつと目覚まし時計に文句を言っている。

 

「……あ~」

 

 俺の口から、声が漏れる。その声がどういった意味なのかは俺自身にもわからない。

 とにかく、俺の声を聞いて下手人は肩をびくりと震わせた。恐らく、この空間に他の人がいるとは思わなかったのだろう。俺だってそうだ。

 その人物は恐る恐るといった様子で俺の方を振り向く。言うまでもなく、生駒先輩だった。

「……、……、……」

 

「……、……、……」

 

 言葉が見つからず、無言で見つめ合う俺たち。

 その間に気がついたのだが、俺は布団の下は裸らしい。布団からはみ出た肩口や胸元を見る限り、たぶん生駒先輩も。

 動くに動けず沈黙を貫いていると、目覚まし時計に手をかけた体勢のままだった生駒先輩が、少し浮かせていた身体をゆっくりとベッドに下ろし、うつ伏せの体勢になると両手で頭を抱える。

 

「や……」

 

「や?」

 

 漏れた言葉に思わず聞き返す。

 

「ヤっちゃった……」

 

 その言葉を聞いて、昨日の記憶が蘇ってくる。

 ……うん。しっかりばっちり、逃れようもなくヤってしまっている。

 

「先輩……」

 

「……なに?」

 

 俺の問いかけに、頭を抱えた体勢のまま返してくる生駒先輩。勢いのままにヤらかした事実を受け止めるのに忙しいのだろう、

 しかし申し訳ないが、これだけは言わなければならない。

 

「冗談で言いはしましたけど、本当に足の指をしゃぶらせるのはいかがなものかと」

 

「うっさいわ!!」




思いの外長くなりそうなので多分続かない
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