No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
「本部でラービットが出たらしいぞ」
玉狛支部のリビングで、空閑遊真がそんなことを言い出した。
「……え?」
三雲修は持っていたカップを置いた。
「ラービット?」
「ああ」
「本部に?」
「うん」
「また侵攻があったのか!?」
「いや、訓練だ」
「紛らわしい!」
思わず大きな声を出してしまった。
向かいに座っていた雨取千佳も驚いていたらしく、目を丸くしたまま遊真を見ている。
「訓練でラービットを使ったの?」
「訓練用らしいぞ。さっき本部でくにちか先輩に会ったら、『これガチじゃん!』って叫んだって言ってた」
「本人から聞いたのか……」
「かなり楽しそうに話してた」
その光景が簡単に想像出来てしまう。
「後方要員緊急時対処訓練だったか」
少し離れた席から声がした。ヒュースだった。
「知ってるのか?」
「名前だけはな。本部で何度か告知を見た」
「ああ、そういえば」
修も思い出した。
大規模侵攻後、本部で始まった新しい訓練。対象はオペレーターやエンジニア、管制要員など、普段は戦闘を主任務としない者。隔週開催で参加は自由。その程度なら修も知っていた。
「でも、ラービットを使うような訓練だったのか?」
「最初からじゃないみたいだぞ」
遊真がくにちか先輩から聞いた話を説明する。
第一回は、敵役から逃げるだけだった。扉を閉め、机を倒し、角を曲がり、救援が到着するまで時間を稼ぐ。
次はトリオン体でシールドを一度だけ使って逃げる訓練。その次は生身での負傷や通報、救護。そこから経路封鎖や通信障害などが加わり、三か月ほど経ったところで通常業務中の訓練警報が始まった。
そこで初めて、訓練用ラービットが投入されたらしい。
「へえ……」
千佳が感心したように聞いている。
「少しずつ難しくしてるんだね」
「そうみたいだな」
「それで、ラービットを倒す訓練なの?」
「いや」
遊真が首を横に振った。
「倒しても加点なしだって」
「え?」
修は一瞬、聞き間違えたかと思った。
「ラービットを倒しても?」
「うん」
「じゃあ、何を評価するんだ?」
「生き残った時間。安全なところまで逃げられたか。逃げ切れなかったら、戦闘員が来るまで生き残れたか。それだけ」
「……なるほど」
少し考えて、修も納得した。
後方要員なのだから、敵を倒すことが仕事ではない。生き残り、必要な情報を伝え、戦闘員へ引き継げればそれでいい。
「それ、そうま先輩が考えたらしいぞ」
「え?」
修の顔が上がった。
「城戸さんが?」
「表向きは沢村さんが作ったことになってたらしいけどな。真木さんと草壁さんと月見さんにバレたって」
「……その三人相手に隠し通すのは無理じゃないか?」
「おれもそう思う」
「どうして隠してたんだろう」
千佳が不思議そうに尋ねると、遊真はくにちか先輩から聞いた理由もそのまま伝えた。
「そうま先輩が作ったって分かったら、訓練に来なくなる人がいるかもしれないからだって」
「あ……」
千佳が小さく声を漏らした。
修にもすぐ意味が分かった。
奏真のサイドエフェクト――《対人威圧》。特に女性へ強く作用しやすく、本人に悪意がなくとも、それを理由に近づきたくない人間はいる。
「それで沢村さんの名前を借りたのか」
「みたいだな」
「でも、城戸さん自身は訓練に出ないの?」
「出ない」
「一度も?」
「うん」
「……徹底してるな」
修は思わず呟いた。
自分で企画し、参加者一人一人に合わせて訓練内容まで考えているのに、自分自身は現場へ行かない。普通なら、自分が直接教えた方が早いと考えそうなものだ。
「その男は、訓練中に指揮もしないのか?」
それまで黙って聞いていたヒュースが尋ねた。
「しないみたいだぞ」
遊真が答える。
「沢村さんが実施責任者で、そうま先輩は後から記録を見るだけ」
「記録を見て何をする」
「改善案を作る」
「参加者には?」
「直接は何も」
ヒュースが僅かに目を細めた。
「……そうか」
「何か気になるのか?」
修が尋ねると、ヒュースは少し考えてから答えた。
「いや。思っていたより、まともな訓練だ」
「思っていたより?」
「城戸奏真が関わっていると聞いた時点で、もっと妙なものだと思った」
「城戸さんの評価どうなってるんだ……」
「普段の言動のせいだろう」
反論出来なかった。
「ただ、この訓練の目的は合理的だ」
ヒュースはそう言って、テーブルの上に置かれていたペンを一本取った。
「後方要員に戦闘員と同じ訓練をさせても意味がない。戦闘員に勝てるほど鍛えるには時間がかかる。その時間を使うなら、本来の仕事の能力を上げた方が組織には有益だ」
ペンを戦闘員に見立てて中央へ置き、もう一本を少し離れた場所へ置く。
「だが、後方要員が全く何も出来なければ、敵が内部へ侵入した時点で死ぬ。だから必要なのは、敵を倒す能力ではない」
後から置いたペンを少し遠ざける。
「戦闘員が来るまで死なない能力だ」
「……うん」
千佳が頷いた。
「それなら、専門の戦闘訓練をしなくても覚えられる」
「そういうことだ」
ヒュースは二本のペンを見たまま続ける。
「十秒稼げるなら、その十秒を戦闘員が利用出来る。敵の位置を報告出来るなら、それも戦力になる。後方要員自身が敵を倒す必要はない」
「ヒュース、こういうの結構好きそうだな」
遊真が言う。
「好き嫌いの話ではない。合理的だと言っている」
「ほぼ褒めてるな」
「評価しているだけだ」
「それを褒めてるって言うんじゃないか?」
「ユーマ」
「はいはい」
修は苦笑しながらも、ふと気になった。
「でも、どうして最初からラービットを使わなかったんだろう」
「当然だろう」
ヒュースが即答した。
「え?」
「最初から実戦に近づけ過ぎれば、何が原因で失敗したのか分からなくなる」
修が目を瞬く。
「まず逃げ方を覚えさせる。次に防御。次に生身での対処。負傷者対応。情報伝達。経路変更。それぞれを分けて覚えさせた後で、複数の条件を重ねる」
「……あ」
「最初から全て同時にやらせれば、失敗した者は『出来なかった』という結果しか得られない。段階を分ければ、何が出来て何が出来ないのか判別出来る」
ヒュースは少し考えてから続けた。
「三か月という期間も、そのためだろうな」
「そこまで考えてるのかな」
千佳が言う。
「考えているだろう」
今度の返答には迷いがなかった。
「そうでなければ、訓練内容を個人ごとに変える必要がない」
「個人ごと?」
「鬼怒田さんなんか、ほとんど走らないコースらしいぞ」
遊真が言った。
「四十二メートル走ったら怒られたらしい」
「誰に?」
「訓練に」
「訓練に怒られるって何だよ」
修が思わず突っ込む。
「その後、隔壁とか防火扉使ったら救援まで生き残れたって」
ヒュースはそれを聞いて、当然のように頷いた。
「正しい」
「即答だな」
「足の遅い人間に速く走れと言って何になる」
「まあ……そうだけど」
「その人間が実戦までに速くなる保証はない。なら、今の能力で生存出来る方法を用意するべきだ」
そこでヒュースが少しだけ眉を寄せた。
「むしろ興味深いのは、ラービットの方だ」
「何が?」
「扉を破壊させたんだろう?」
「そうらしい」
「それまで教えた方法を、訓練する側が自分で否定している」
修は一瞬、その意味が分からなかった。
「否定?」
「最初は『扉を閉めれば時間を稼げる』と教えた。その方法で成功体験を積ませた後、ラービットを投入して扉を簡単に突破させた」
「あ……」
そこで修にも分かった。
「扉を閉めることが正解なんじゃない」
「そうだ」
ヒュースが頷く。
「相手を見て判断しろ、ということだ」
人間が追ってくるなら、扉を閉めることで数秒を稼げるかもしれない。だがラービットなら、その時間はもっと短い。相手や状況によっては、わざわざ扉を閉めに行くこと自体が危険になる。
「一度教えた方法に固執させない。敵が変われば、行動も変えさせる」
ヒュースはしばらく黙ってから続けた。
「これは後方要員の訓練としては、かなり良く出来ている」
「おお」
遊真が反応した。
「かなりまで付いた」
「何だ」
「いや、ヒュースがそこまで言うの珍しいなと思って」
「事実を言っているだけだ」
しかし修には、もう一つ気になることがあった。
「でも城戸さんなら、もっと細かく指示した方が全員助かるんじゃないか?」
あの人なら出来る。
十七人を十七人のまま把握し、それぞれに必要な情報を、それぞれに必要なタイミングで送る。修は実際にそれを経験している。
「たとえば訓練警報の時も、城戸さんが管制から全員に指示を出せば――」
「それでは意味がない」
ヒュースが遮った。
修が顔を上げる。
「城戸奏真がいない時はどうする」
「……」
「敵が侵入する時に、必ずあの男が本部にいる保証があるのか?」
「ない」
「通信出来る保証は?」
「ない」
「本人が戦闘不能になっていない保証は?」
「それもない」
「なら、城戸奏真から指示を受けなければ生存出来ない訓練に何の意味がある」
修は言葉を失った。
遊真だけが、少し笑った。
「たぶん、それが一番嫌なんじゃないかな」
「何が?」
「自分がいないと出来ないこと」
ヒュースが遊真を見る。
「そうなのか、ユーマ?」
「前に似たようなこと言ってたぞ」
修にも覚えがあった。
毎回自分が答えを言っていたら、みんな自分の言うことを待つようになる。
だから必要以上には指示しない。
あの人は、そう言っていた。
「……なるほどな」
ヒュースが小さく呟いた。先ほどまでとは、少し声が違った。
「それなら、なおさら評価出来る」
「そこまで?」
修が尋ねる。
「ああ」
今度ははっきり頷いた。
「優秀な指揮官がいる組織は強い。だが、優秀な指揮官がいなければ何も出来ない組織は弱い」
誰も口を挟まなかった。
「自分なら助けられる状況でも、あえて自分がいなくても助かる方法を教える。自分の能力を組織の前提にしない」
ヒュースはテーブルに置いた二本のペンを元の場所へ戻した。
「簡単なようで、出来る者は少ない」
「……ヒュースくんが城戸さんをめちゃくちゃ褒めてる」
千佳がぽつりと言った。
「千佳」
「ご、ごめん」
「俺は訓練内容を評価している」
「うん」
「本人を褒めているわけではない」
「うん」
「普段のあの男は軽過ぎる」
「うん」
「俺に妙な呼び名を付けようとする」
「それは知らなかった」
修も初耳だった。
「ああ、ヒュロットって呼ばれてたな」
遊真が思い出したように言った。
「ユーマ」
ヒュースの声が一段低くなる。
「それか」
「ヒュロット?」
千佳が首を傾げた。
「何でヒュロットなの?」
「知らん。本人に聞け」
「ヒュースも知らないのか?」
修が尋ねると、ヒュースは僅かに眉間へ皺を寄せた。
「聞いた。説明もされた」
「じゃあ知ってるんじゃないか?」
「説明を聞いても分からなかった」
「そんなことある?」
「ある」
即答だった。
遊真が少し面白そうにヒュースを見る。
「おれも気になるな。そうま先輩、何て説明したんだ?」
「知らん」
「説明されたんだろ?」
「聞いたが理解出来なかった。だから知らん」
「なるほど」
「納得するな、ユーマ」
千佳がくすっと笑った。
「でも、城戸さんらしいね」
「何が?」
修が聞く。
「訓練を作ったのに、自分は訓練に出ないところ」
「……ああ」
「みんなに生き残ってほしいけど、自分がいたら来づらい人がいるから、沢村さんにお願いしたんでしょう?」
「そうだな」
「それで、自分がいなくても出来るようにしてる」
千佳は少し考えてから続けた。
「何か、城戸さんって自分が役に立つことより、自分がいなくても大丈夫になる方が嬉しい人なのかなって」
修はすぐには答えられなかった。
だが、これまで聞いてきた奏真の話を思い返してみれば、不思議と納得出来る。
オペレーターとして高い能力を持ちながらランク戦から退き、次は狙撃手として常識外れの技術を見せ、それも「示すものは示した」とやめて、今は攻撃手をしている。
出来ることを示しては、そこに居座らず次へ進んでいく。
そして今度は、自分自身が誰かを助けるのではなく、自分がいなくても生き残れる人間を増やそうとしている。
「変な人だな」
修が呟いた。
「今更だろ」
遊真が言う。
「そうだけど」
「ただし」
ヒュースが口を開いた。
「一つだけ確認したい」
「何を?」
「訓練用ラービットの性能だ」
「そこ?」
「実物に対してどの程度まで再現されているかで、訓練としての評価が変わる」
「ヒュース」
遊真が笑った。
「何だ」
「参加したくなってないか?」
「俺は後方要員ではない」
「見学は?」
「……」
ヒュースが黙った。
修と千佳が顔を見合わせる。
遊真の笑みが深くなった。
「見学したいんだな」
「訓練内容を確認するだけだ」
「うんうん」
「ユーマ」
「はいはい」
数日後。
沢村のもとへ『玉狛第二のヒュースから、後方要員緊急時対処訓練の見学希望』という連絡が届くことになる。
そしてそれを聞いた奏真が、
「え、ヒュロットこういうの好きなの? じゃあ次のラービット役やってもら――」
「絶対にやめなさい」
沢村に最後まで言わせてもらえなかったのは、また別の話である。
TIPS
ヒュース→フュージョン→ベジット→ヒュロット
という訳の分からない思考回路からそうなったらしい。
奏真「因みにフュージョン相手は迅とかどう?」
ヒュース「フュージョンが何かは分からないが迅は嫌だな」
とかなんとかのやり取りがあったとか
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