No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
事の始まりは、三雲修が伝言を忘れたことだった。
加古望から頼まれていた。
「奏真さんに、炒飯食べに来てって伝えておいて」
それだけだった。
別に日時を指定されたわけではない。今日作ったから来い、という話でもない。今度、暇な時にでも炒飯を食べに来い。その程度の誘いだったので、数日遅れたところで実際には何の問題もない。
ところが修は忘れた。
思い出したのは数日後、本部の廊下で偶然、城戸奏真を見つけた時だった。
「あ」
「ん?」
「城戸さん」
「はいはい、城戸さんですよ」
「すみません。加古さんから伝言を頼まれてたの、忘れてました」
「ほう」
「炒飯食べに来てって」
「……」
奏真が止まった。
「いつ?」
「数日前です」
「オッサー」
「はい」
「俺は数日間、カコチャハーンに誘われてることを知らなかったってこと?」
「……そうなります」
「酷くない?」
「いや、すみませんでした。でも別に日時を指定されてたわけじゃ――」
「そういう問題じゃないんだよ」
「どういう問題なんですか!?」
「炒飯への機会損失」
「何ですかそれ!?」
そこからだった。
〇
「というわけで来た」
「何が『というわけ』なの?」
加古は呆れたように奏真を見た。
「オッサーが数日間伝言を止めてた」
「別にいつでもいいって意味で頼んだんだけど」
「ほら!」
修が即座に反応した。
「問題なかったじゃないですか!」
「問題はあるよ。俺がもっと早く知りたかった」
「城戸さんの気持ちの問題じゃないですか!」
「大事でしょ、気持ち」
「こういう時だけ綺麗な言葉使わないでください!」
加古が小さく笑った。
「それで、いつ食べに来る?」
「今日でもいいよ」
「いいわよ」
「やった」
そこで奏真は、ふと思いついたように首を傾げた。
「でも普通に食べるだけってのもなあ」
「何?」
「せっかくだし、俺も作ろうかな」
「炒飯?」
「うん」
「私と?」
「そう」
加古は少しだけ面白そうに奏真を見る。
「勝負する?」
「いいね」
「……何で急に勝負になったんですか?」
修が聞いた。
「今決まった」
「今なんですか!?」
「じゃあ今日は普通に作るわ」
「普通に?」
「勝負なんでしょう?」
「なるほど」
奏真が納得したように頷いた。
「じゃあカコチャハーン、本気モードか」
「どういう意味?」
「加古、たまに攻めすぎるから」
「奏真さん?」
「でも普通に作った加古は強いよね」
「当然でしょう?」
「言ったね?」
「言ったわよ」
加古の炒飯は基本的にかなり美味い。ただし、本人の好奇心が妙な方向へ向いた時だけ話が変わる。普通なら入れない具材を試したり、味付けを大きく変えたり、新しい組み合わせに挑戦したりする。その試みが恐ろしく上手くいくこともあれば、珍しく明確に外すこともあった。
しかし今日は勝負である。本人も「普通に作る」と宣言した。
つまり、最初からかなり勝敗の見えている勝負だった。
「じゃあ二人だけじゃ勿体ないな」
「……城戸さん?」
修には嫌な予感がした。
奏真が周囲を見回し、ちょうど近くを通りかかった男を見つける。
「あ、スワルツネガー」
「あ?」
諏訪洸太郎が足を止めた。
「炒飯作れる?」
「まあ、人並みには」
「俺より美味く作れる?」
「奏真さんの食ったことないんで知らないっすよ」
「自信ない?」
「……煽ってます?」
「いやいや」
奏真は笑った。
「ちょうど炒飯で勝負することになったから、スワルツネガーもどうかなって」
「何で俺が出る前提なんすか」
「怖いなら別にいいけど」
「……いいっすよ。やりますよ」
「はい三人目」
「最初からそれ狙ってたでしょ」
「完全に煽って参加させましたよね!?」
修が突っ込むと、諏訪は呆れたように奏真を見る。
「この人、昔からこうなんだよ」
「スワルツネガーが素直で助かる」
「誰が素直なんすか」
そこへ、生駒達人が顔を出した。
「何しとん?」
「あ、生駒」
「なんや?」
「炒飯作れる?」
「作れるで」
「大会出る?」
「何の?」
「炒飯」
「ええやん」
「出る?」
「出るわ」
「はい四人目」
「決まるの早過ぎません!?」
こうして、加古望、城戸奏真、諏訪洸太郎、生駒達人の四人が出場者になった。
炒飯で対決した前例があったわけではない。誰かが大会を企画していたわけでもない。ただ加古が奏真を炒飯に誘い、その伝言を修が数日忘れ、ようやく伝わったところから話が転がった。加古と奏真が勝負することになり、奏真が諏訪を煽り、そこへ通りかかった生駒が何の抵抗もなく乗った。
それだけである。
「……これ、ぼくが伝言忘れたこと関係あります?」
「始まりではあるよ」
「始まりなだけですよね?」
「オッサーが忘れなかったら今日じゃなかったかもしれない」
「それもう何でもぼくのせいに出来るじゃないですか!」
第一回炒飯大会。
後にそう呼ばれる催しは、そんな偶然の連鎖から始まった。
〇
問題は、始まるまでの時間だった。
四人で炒飯を作って食べ比べる。それだけなら、参加者と何人かの試食役がいれば十分だった。
しかし、準備を始めれば当然目立つ。
「何やってんの?」
「炒飯大会らしいぞ」
「何それ」
「加古さんと城戸さんと諏訪さんと生駒さんが炒飯作るらしい」
「何で?」
「知らん」
話だけが広がった。
しかも組み合わせが妙に強い。加古が料理をするのは分かる。奏真も料理が出来るらしい。そこに諏訪と生駒がいる理由はよく分からない。
結果、開始する頃には明らかに当初の想定より人が増えていた。
「……何でこんなにいるんですか?」
修が周囲を見る。
「大会だからじゃない?」
「さっき決まった大会ですよ!?」
「口コミって凄いね」
「感心してる場合ですか?」
奏真は楽しそうだった。
見物人が増えたことで試食用の量も増え、急遽材料まで追加されることになった。食堂の一角はいつの間にか、ちょっとしたイベント会場のようになっている。
その騒ぎを聞きつけたのか、途中から忍田真史も顔を出した。
「何をしてるんだ?」
「炒飯大会です」
奏真が答える。
「……炒飯大会?」
「俺と加古とスワルツネガーと生駒で、誰が一番美味い炒飯作れるか勝負」
忍田は四人を順番に見た。
「何故その四人なんだ?」
「成り行きです」
「そうか」
忍田はそれ以上聞かなかった。
「忍田さん、見る?」
「せっかくだからな」
さらに少し遅れて林藤匠まで姿を見せた。
「ずいぶん騒がしいと思ったら、何やってんだ?」
「炒飯大会」
「何だそりゃ」
「食べる?」
「食えるなら食う」
「どうぞどうぞ」
こうして忍田と林藤も試食側へ混ざった。この時点では二人がいることに特別な意味などなく、ただ本部で妙な催しが始まったので見に来ただけだった。
〇
「で、誰が強いんだ?」
林藤が四人を見る。
「加古」
奏真が即答した。
「お前が言うのか」
「事実ですからね」
「始まる前からそれでいいのか?」
「勝つ気はありますよ?」
「説得力ねえな」
実際、四人の料理の腕にはかなりの差があった。最も上手いのは文句なしで加古。そこからかなり離れて奏真。さらにその下に諏訪と生駒が並ぶ。
諏訪も生駒も料理が出来ないわけではない。家庭料理として出されたなら普通に美味しいと評価される程度には作れる。ただ、加古と奏真が比較対象になると分が悪く、特に加古は別格だった。
「じゃあ始めるわよ」
加古が言った。
「おー」
「奏真さん、やる気ある?」
「あるよ」
「負けても言い訳しないでね」
「しないしない」
「スワルツネガーは?」
「やるからには奏真さんには勝ちますよ」
「俺限定?」
「俺を煽って参加させたんだから当然でしょ」
「生駒は?」
「優勝狙うで」
「おお、一番やる気ある」
「出るからには優勝やろ」
「生駒さん、いいこと言ってるのに何か軽いな……」
修が呟いた。
〇
調理が始まると、腕前の差は思っていた以上に分かりやすかった。
諏訪は手慣れている。生駒も危なげなく作る。二人とも普通に上手いのだが、奏真はその二人より明らかに手際が良かった。材料を入れる順番に迷いがなく、火の扱いにも慣れている。日常的に料理をしている人間の手つきだった。
「城戸さん、本当に料理出来るんですね」
修が言う。
「本当にって何?」
「いや、出来るとは聞きましたけど」
「疑ってた?」
「少し」
「酷くない?」
そう言いながらも、奏真の手は止まらない。
「オッサー、味見する?」
「勝負中ですよね?」
「ちょっとくらい」
「駄目に決まってるでしょう」
加古から声が飛んできた。
「ほら怒られた」
「城戸さんが悪いですよ」
「厳しいなあ」
しかし、その加古の調理を見ると、さらに差がある。手際がいい、というだけではない。作業の一つ一つが速いのに雑さがなく、火加減を見ながら別の作業を進め、それでも一つとして遅れない。
修でも分かるほどだった。
「……加古さん、凄いですね」
「でしょ?」
何故か奏真が答えた。
「城戸さんも勝負中ですよね?」
「うん」
「何で相手を自慢してるんです?」
「加古、料理上手いから」
「奏真さん」
「はい」
「余所見してると負けるわよ」
「見なくても普通にやった加古には多分負けるよ?」
「最初から諦めないでくれる?」
「諦めてないよ。勝ったら嬉しい」
「その態度、腹立つわね」
言葉とは裏腹に、加古は楽しそうだった。
〇
やがて四皿の炒飯が完成した。同じ料理のはずなのに、並べてみれば見た目から違う。
まず生駒。
「美味しい」
千佳が素直に言った。
「せやろ?」
生駒も満足そうに頷く。
「普通に美味いな」
遊真も食べる。
「普通にってなんや。美味いでええやろ」
「美味いぞ」
「ほなええわ」
生駒本人も普通に自分の炒飯を食べ始めた。
「生駒さんも食べるんですね」
「自分で作ったんやから食べるやろ」
「それはそうですけど」
次は諏訪。
「こっちも美味しいです」
修が頷く。
「だろ?」
「生駒さんのより少し味が濃いですね」
「俺はこっちの方が好きかも」
遊真も食べ比べる。
「ほら見ろ」
諏訪が奏真を見る。
「まだ俺食べてないよ?」
「じゃあ食ってくださいよ」
「スワルツネガー、そんなに俺に勝ちたい?」
「奏真さんが煽ったんでしょ」
「あ、そうだった」
「忘れんな」
そして奏真。
一口食べた修は、少し目を見開いた。
「あ」
「どう?」
「美味しいです」
「オッサー、さっきから感想そればっかりじゃない?」
「美味しいものを美味しいって言って何が悪いんですか」
「悪くないけど」
「でも、結構差ありますね」
「お」
「生駒さんと諏訪さんのも美味しいですけど、城戸さんの方が……何て言えばいいんだろう」
「美味い?」
「だから、それでいいなら最初から聞かないでください!」
諏訪も自分のものと食べ比べる。
「……普通に負けてんな」
「認めるの早いね、スワルツネガー」
「食えば分かるでしょ。つーか奏真さん、料理出来るんすね」
「出来るよ」
「何か腹立つな」
「何で?」
「知らねえっすよ」
最後に、加古。
一口食べた修は、今度は何も言わなかった。そのままもう一口食べる。
「どう?」
加古が聞く。
「……これ、城戸さんより明確に上じゃないですか?」
「オッサー!」
「いや、大会でしょう!?」
「本人の前でそんなハッキリ言う?」
「勝敗決めるんですよね!?」
「そうだけどさあ」
奏真も加古の炒飯を口に運び、一口、少し味わってからもう一口食べる。
「うん」
「どう?」
加古が聞く。
「美味い」
「それだけ?」
「やっぱカコチャハーンの炒飯も好きだなあ」
加古が満足そうに笑った。
その言葉を聞いていた修が、ふと引っ掛かった。
「ん?」
「何?」
「『も』?」
「うん」
「他にも好きな炒飯があるんですか?」
「あるよ」
「お店ですか?」
「店?」
奏真は、何故そんな質問をされたのか分からないという顔をした。
「いや。俺は叔父さんの炒飯が一番好きだからさ」
「……」
修が止まった。
周囲も止まった。
「叔父さん?」
「うん」
「……城戸さんの叔父さんって」
「城戸司令」
「……」
今度こそ、その場の音が消えた。
修の頭の中で、今聞いた言葉がゆっくり組み直される。
城戸司令。
炒飯。
一番好き。
「……城戸司令って、炒飯作るんですか?」
「作るよ」
「料理するんですか?」
「するよ」
「城戸司令が?」
「うん」
「中華?」
「得意だよ」
「城戸司令が!?」
「何で二回聞いたの?」
「いや、だって!」
修だけではなかった。それまで好き勝手に炒飯を食べていた見物人達からも、ざわめきが広がっていく。
城戸正宗が料理をする。しかも中華。その炒飯を奏真が一番好きだと言う。
「奏真さん」
加古が静かに呼んだ。
「はい」
「今、私の炒飯より城戸司令の方が美味しいって言った?」
「言ってないよ」
「言ってるでしょう」
「俺が一番好きって言っただけ」
「同じよ」
「好みと技術は違うじゃん」
「じゃあ、美味しいの?」
「美味しいよ」
「どのくらい?」
「俺は一番好き」
「それじゃ分からないわ」
「えー」
奏真が困ったように笑った。
そのやり取りを少し離れたところで聞いていた忍田が、そこで初めて口を挟んだ。
「城戸司令の炒飯なら、確かに美味いぞ」
「……え?」
修が振り向く。
「忍田本部長、知ってるんですか?」
「ああ」
「食べたことあるんですか?」
「ある」
「城戸司令が作った炒飯を?」
「そうだ」
忍田は何故そこまで念を押されるのか分からないような顔をしていた。
「奏真が一番好きだと言うのも、別に不思議ではないと思う」
「そんなに……?」
「ああ。美味いぞ」
忍田が迷いなく断言したことで、ざわめきが一段大きくなった。
「ほら」
奏真が得意げに言う。
「何で奏真さんが得意げなのよ」
「叔父さん褒められたから」
「そこは素直なのね」
「いや、忍田が知ってるのは別におかしくないだろ」
今度は林藤だった。
修がそちらを見る。
「林藤支部長も知ってるんですか?」
「知ってるよ。俺も食ったことあるからな」
「……城戸司令の炒飯を?」
「そうそう」
林藤は炒飯を食べながら、何でもないことのように頷いた。
「城戸さん、昔から中華は上手いぞ」
「昔から……」
「何でそんなに驚くんだ?」
「いや、だって城戸司令ですよ?」
「城戸さんだって飯くらい作るだろ」
「そうなんですけど……!」
理屈ではその通りである。
だが、普段本部で見る城戸正宗と、中華鍋を振って炒飯を作る城戸正宗が、修の頭の中でどうしても上手く繋がらない。
「ちなみに」
加古が二人を見る。
「城戸司令の炒飯って、本当にそんなに美味しいんですか?」
「ああ」
忍田は即答した。
林藤も頷く。
「美味いぞ」
「……」
加古の目が変わった。
奏真がすぐに気付く。
「あ」
「何?」
「加古、変なこと考えてる?」
「別に」
「絶対考えてるじゃん」
「城戸司令の炒飯」
「うん」
「食べてみたいわ」
「だと思った」
奏真は笑った。
「でも叔父さん、こういうの出ないと思うよ」
「まだ何も言ってないわよ」
「顔がもう次の大会なんだよ」
「次?」
修が反応する。
「待ってください。これ第一回ですよね?」
「そうだね」
「まだ結果も出てませんよね?」
「そうだね」
「何でもう次の話になってるんですか!?」
加古は修の疑問を無視して、奏真を見る。
「次は城戸司令も呼びましょう」
「え、叔父さん忙しいから出れるとは……」
そこまで言って、奏真が止まった。
「……」
「奏真さん?」
「ちょっと待って」
視線が僅かに下がり、そのまま黙り込む。
「……城戸さん?」
「静かにして。今、叔父さんの予定考えてるから」
「本当に考えてるんですか!?」
修にはこの状態に見覚えがあった。複数の情報を頭の中へ放り込み、起こり得る展開を枝分かれさせ、不要なものを捨てながら答えへ近付いていく。戦場なら敵味方の位置と行動を処理し、オペレーター席なら複数人を同時に動かすために使われる思考が、今は城戸正宗を炒飯大会へ出場させられる時間の算出に全力で投入されていた。
「来週は定例の会議があって、その後の処理が……いや、あれは忍田さん側にも回るから叔父さんだけなら早く終わる。防衛任務の編成確認は前日に終わるとして……」
奏真はぶつぶつと呟きながら、頭の中で予定を組み替えていく。
「遠征関係が差し込まれなければ……木曜は駄目だな。叔父さん、あそこ絶対残るし。金曜は……いや」
また黙った。
数秒後、奏真が顔を上げる。
「来週の水曜、十八時四十分から十九時半」
「……」
「ここならいけるかも」
「じゃあそこね」
加古が即答した。
「いや、まだ決まりじゃないよ!」
「今いけるって言ったでしょう?」
「業務的には空けられる可能性が高いって言ったの!」
「じゃあ空いてるんでしょう?」
「空いてるのと炒飯大会に出るのは全然違うから!」
「でも五十分あるわよ」
「何で時間まで確保した側みたいになってるの!?」
修は何とも言えない顔で奏真を見る。
「城戸さん」
「何?」
「その能力、こういうことにも使うんですね……」
「使おうと思えば使えるよ」
「使う必要ありました?」
「叔父さん忙しいから」
「そういう問題なのかな……」
加古は既に次の段階へ進んでいた。
「じゃあ奏真さん、許可取っておいて」
「何で!?」
「親族でしょう?」
「そんなことで出てくれるわけないでしょ!?」
「頼むくらい出来るでしょう?」
「出来るけど!」
「じゃあ頼んで」
「『叔父さん、来週の水曜十八時四十分から炒飯大会出て』って?」
「ええ」
「絶対『断る』って言われるよ!」
「まだ聞いてないでしょう?」
「叔父さんだよ!?」
「だから奏真さんに頼んでるのよ」
「親族を何だと思ってるの!?」
〇
その頃、本部の別の場所を歩いていた迅が、ふと足を止めた。
「……ん?」
未来が動いた。
正確には、それまで数ある可能性の中に埋もれていた妙な未来が、急に無視出来ないほどの輪郭を持ち始めた。
迅は少し先を見る。
「…………」
城戸司令がいた。
ボーダー本部の最高司令官。顔の左側に大きな傷を持ち、普段は厳しい表情を崩さない。会議に出れば場の空気を締め、若い隊員なら廊下ですれ違っただけでも思わず姿勢を正してしまうような男だった。
その城戸司令が、いつもの険しい顔のまま、中華鍋を振っていた。
「……は?」
迅の思考が一瞬止まる。
未来は続いた。
中華鍋から出来上がった料理を、ボーダーの隊員達が食べている。しかも妙に嬉しそうで、食べ終えた後には何故かやる気まで上がっていた。
「…………なんで?」
もう少し先を見る。
また城戸司令がいた。
左側に大きな傷の走る、いつもの強面で中華鍋を振っている。その周囲では隊員達が料理の完成を待ち、食べれば喜び、そこから繋がった先では何故かボーダー全体の士気まで少し上向いている。
城戸司令が中華鍋を振る。
隊員が食べる。
士気が上がる。
「っ、ははっ……!」
迅はとうとう耐えられなくなった。
「あはははははは!」
その場で腹を抱えて笑い出す。
「そこ行ったかー!」
廊下を歩いていた隊員が何事かと振り返ったが、迅は構わず未来を辿った。
炒飯。
加古。
奏真。
そして、叔父の業務予定を頭の中で組み立て、炒飯大会へ参加出来そうな時間を本気で割り出している奏真。
「いやー……そこから未来良くなるかね?」
笑いながら、もう一度先を見る。
やはり城戸司令が中華鍋を振っている。
そして、やはりボーダー隊員の士気が上がっている。
「はははっ……駄目だ、面白い」
迅は目元を拭った。
「流石、奏真さんだなー」
未来は確かに、少し良い方へ動いていた。
その途中で何故か、普段ならそこにいるだけで隊員達を緊張させる側の城戸司令が、厳しい顔のまま中華鍋を振り、出来上がった料理でボーダー隊員の士気を上げていた。
〇
最終的な結果は、ほぼ事前の予想通りだった。
加古が圧倒的な評価を集め、その次が奏真。諏訪と生駒は票こそ割れたものの、どちらも「普通に美味い」というところへ落ち着いた。
「やっぱ強いね、加古」
「当然でしょう?」
「スワルツネガー、残念だったね」
「何で俺だけ煽られんだよ」
「俺に勝つって言ってたから」
「奏真さんが言わせたんでしょうが」
「生駒は?」
「美味かったから満足や」
「強い」
「何がや?」
勝負として見れば、何の波乱もない。料理が一番上手い人間が普通に作って、普通に勝った。それだけだった。
にもかかわらず、大会が終わっても人はなかなか散らなかった。話題の中心が、優勝した加古から別のところへ移っていたからである。
「城戸司令って本当に料理するんだ……」
「中華が得意らしいぞ」
「忍田本部長と林藤支部長が美味いって言ってた」
「どんな炒飯なんだ?」
「奏真さんが一番好きなんだろ?」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
加古が勝った。奏真が二番。諏訪と生駒も普通に美味かった。第一回炒飯大会の結果は確かに決まった。
しかし、その日最も強く参加者達の記憶に残ったのは、四人の順位ではなかった。
大会に出場すらしていない男。
城戸正宗。
その男が、どうやらとんでもなく美味い炒飯を作るらしい。
そして何より、その事実を知った加古望が、既に次を見ていた。
「奏真さん」
「何?」
「来週の水曜、十八時四十分ね」
「まだ決まってないって!」
「城戸司令への確認、よろしくね」
「だから絶対断られるって!」
第一回炒飯大会。
後に妙な方向へ規模を拡大していくことになる催しは、加古望の圧勝と、本人不在のまま城戸正宗という新たな強敵候補を発掘して幕を閉じた。
そしてその裏では、誰にも知られないまま。
城戸司令が中華鍋を振ることでボーダーの士気が上がるという、迅悠一ですら大笑いするしかない未来が、ほんの少しだけ現実味を増していた。
TIPS
城戸司令の炒飯は美味しい。
林藤「昔は炒飯の化身だと思ってた本人には言った事ないけど」
忍田「いや機会があって食べたがもう一度食べれる機会があるなら是非食べたいと思う位には美味かった」
奏真「叔父さんの中華は炒飯も好きだよ」