No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
本部の休憩スペースで、武富桜子は妙なものを見つけた。
正確には、妙なものを持っている人物を見つけた。
「……城戸さん」
「ん?」
「それ、ガラケーじゃないんですか?」
奏真が手にしていたのは、二つ折りの携帯電話だった。スマートフォンではない。開けば画面と物理キーが現れる、武富から見れば一昔前の携帯電話とほとんど変わらない形の端末だ。
その言葉を聞いた奏真は、ふっと笑った。
「最新の事情に疎いね、タケミッフィー」
「誰がタケミッフィーですか」
「これはガラホって言うんだよ」
「ガラホ?」
「そう。ガラホ」
奏真は得意げに端末を掲げた。
「ガラケーなんてもうサービス終了してるんだから」
「なんです? ガラホって」
「よくぞ聞いてくれました」
「なんでそんな嬉しそうなんですか」
待ってましたとばかりに奏真はガラホを開いた。
「簡単に言えばね、見た目とか操作感は昔のガラケーに近いんだけど、今の通信方式に対応してる携帯電話」
「へえ」
「だから今でも普通に電話できる。メールもできる。ネットにも繋がる」
「じゃあスマホみたいなものなんですか?」
「違う」
そこだけ妙に強かった。
「タケミッフィー。ここを見て」
「はい」
「物理キー」
「ありますね」
「素晴らしい」
「…………」
「物理キーがある」
「二回言いましたね」
「ここが重要なんだよ」
奏真は親指をキーへ置いた。
「スマホって基本的に画面見ながら操作するでしょ?」
「まあ、そうですね」
「こいつは違う」
カチ、とキーを押す。
「押した」
「はい」
「押したって分かる」
「……はい」
「カチッて返ってくる」
「そうですね」
「素晴らしい」
「そこまでですか?」
「そこまでだよ!」
奏真はさらにキーを押しながら、だんだん熱を帯びてきた。
「しかも配置が決まってる。指で覚えられる。たとえば電話帳なら、ここ押して、三回下、決定」
カチ、カチ、カチ、カチ。
「ほら」
「……画面見てませんよね?」
「見なくていいからね。覚えれば指だけでいける」
得意げに笑った奏真は、さらにガラホを閉じてからもう一度開いてみせた。
「電話かかってきたら開いて通話」
パカッ。
「終わったら閉じる」
パタン。
「以上」
「シンプルですね」
「最高でしょ?」
「まあ、分かりやすくはありますね」
「そう! 分かりやすい!」
どうやら武富が少しでも肯定したのがまずかったらしい。奏真の演説はそこからさらに加速した。
「タッチパネルみたいに『今どこ押した?』『ちゃんと反応した?』がない! 指の位置で分かる! 押した感触で分かる! 画面を凝視しなくても操作できる!」
「城戸さん」
「何?」
「ガラホ好きすぎません?」
「神機だよ、これ」
「神機」
「現代社会に残された物理キーの楽園」
「大袈裟じゃないです?」
「大袈裟じゃない」
奏真は真顔だった。
「いい? タケミッフィー。機械っていうのは何でも新しくすればいいわけじゃないんだよ」
「急に思想が始まった」
「物理キーには物理キーにしかない良さがある。押したという確実な感触。固定された配置。画面を見なくても指が覚える操作手順。そして何より――」
ガラホを高く掲げる。
「閉じれば電話が切れる!」
「そこそんなに重要です?」
「重要だよ! パタンで終わりだよ!?」
「通話終了押せばいいじゃないですか」
「違うんだよなぁ」
「何が違うんです?」
「分かってないね、タケミッフィー」
「何をですか」
「パタンだよ」
「…………」
「パタン」
「二回言わなくていいです」
「これがいいんだよ」
「そうですか……」
「そうなんです」
満足そうに頷いた奏真は、再びガラホを開いた。
「しかもこれなら今の回線にも対応してる。昔のガラケーを無理やり使ってるわけじゃない。見た目は古き良き携帯電話、しかし現代でも戦える」
「なんかガラホの営業みたいになってますよ」
「俺はもっと評価されていいと思ってるよ」
「誰に?」
「世界に」
「規模が大きい」
「スマホ一強の時代に物理キーを守ってるんだよ?」
「別に物理キーを守るために作ってるわけじゃないと思いますけど」
「タケミッフィー」
「はい」
「浪漫のないこと言わないで」
「城戸さんにだけは言われたくないです」
「なんで?」
「機器操作一だからです」
「関係ないでしょ!?」
「大ありでしょう」
「むしろ一だからこそ物理キーのありがたみを誰より理解してるんだよ!」
「説得力があるような、ないような……」
「ある!」
奏真は慣れた手つきで端末を開くと、画面へほとんど目を向けないまま親指を動かした。
「ここ押して、二回下、決定」
カチ、カチ、カチ。
「ほら、メール」
「……本当に見ないんですね」
「見るよ。本文はね。そこまで行く操作は覚えてるから」
本文だけを確認すると、今度は物理キーで返信を打ち始める。決して速くはないが、迷いもない。
「城戸さん、機器操作一ですよね?」
「そうだよ」
「一ですよね?」
「なんで二回聞いたの?」
「いや……普通に使えてるなと思って」
「電話だからね」
「機械ですよ?」
「これはいける」
「何でです?」
「相性がいいんだよ」
「機械に相性ってあるんですか?」
「俺にはあるの」
それ以上説明する気はないらしい。奏真は返信を終えると、パタンと端末を閉じた。
「物理キーはいいよ」
「それはもう十分分かりました」
「押したら押したって分かる」
「それも聞きました」
「画面見なくても分かる」
「それも」
「最高」
「はいはい」
それでも奏真はもう一度ガラホを開く。
「電話帳なら、ここ押して、三回下、決定。あとは発信」
「本当に見てない……」
「だから神機なんだよ」
「まだ演説続いてたんですか?」
「物理キーの素晴らしさは一時間くらい語れるよ」
「聞きませんよ」
「聞こうよ」
「嫌です」
そこへ通りかかった修が、二人の様子を見て足を止めた。
「何してるんですか?」
「あ、オッサー。ちょうどいいところに」
「え?」
「物理キーって素晴らしいんだよ」
「城戸さん、被害者増やさないでください」
「被害者って何!?」
「三雲隊員、今捕まったら長いですよ」
「何の話ですか……?」
「ガラホ」
「ガラホ?」
「オッサーまで!?」
奏真は再びガラホを掲げた。
「いい? これは――」
「最初から説明しなくていいです!」
「まだ物理キーの話しかしてないよ?」
「十分です!」
さらに遊真まで顔を出した。
「何の話だ?」
「奏真さんの携帯の話」
「これか?」
遊真がガラホを見る。
「そう」
「なんかカッコいいな」
「分かる?」
「開くのがいい」
「分かる!?」
奏真の食いつきが急に良くなった。遊真はそんな奏真には構わず、端末を指差した。
「使う時は毎回開くのか?」
「そうだよ」
「開かないと使えない?」
「…………」
「そうま先輩?」
「そこは考えちゃ駄目」
「なんでだ?」
「浪漫だから」
「なるほど」
「納得するのか空閑!?」
修だけが取り残された。
〇
「でも奏真さん、それで困りません?」
しばらくして、武富がガラホを指差した。
「何が?」
「今ってスマホ前提のもの多いじゃないですか。アプリとか、QRコードとか」
「まあね」
「QRコードとか、その携帯じゃ無理なんじゃないです?」
「読めるよ」
「読めるんですか?」
「カメラ付いてるからね。QRコードの読み取り機能もあるよ」
「じゃあ困らないじゃないですか」
「…………」
「城戸さん?」
「タケミッフィー」
「はい」
「QRコードを読み取るには何が必要だと思う?」
「カメラを起動して、QRコードに向けて……」
「うん」
「画面見ながら位置合わせて……」
「うん」
「読み取ったら、表示されたものを画面で確認して……」
「うん」
「…………」
「…………」
「城戸さんには最悪ですね」
「俺の機器操作一のフルコースだよ」
「機能はあるのに」
「機械には罪はないよ」
「使う人の問題ですか」
「そういうこと」
奏真はガラホを閉じた。
「だから、どうしても駄目なら誰かに頼む」
「東さんとか?」
「春秋は優秀だよ」
「QRコード読み取るだけですよ」
「俺にとっては優秀なの」
奏真は笑ってそう言った。
〇
その後も話題はガラホから離れなかった。
「でもスマホに変えようとは思わないんですか?」
「これで十分だよ」
奏真は何でもないことのようにガラホを持ち上げる。
「電話できる。メールできる。必要な連絡は取れる」
「でも地図とか」
「人に聞けばいいし」
「アプリ」
「必要なら誰かに頼めばいいし」
「QRコード」
「最悪、春秋がいる」
「東さんを機能の一部みたいに言わないでください」
「便利だよ、春秋」
「本人の前で絶対言わないでくださいね」
「言えるよ?」
「言わなくていいです」
奏真は笑いながらガラホを開いた。
「それに物理キーいいよ? 押した感触あるし、画面ほとんど見なくても操作できるし」
「それはさっきから聞いてます」
「慣れれば速いよ」
カチカチカチ、と親指だけで操作してみせる。
「ほら」
「確かに速いですけど」
「でしょ?」
少し得意げだった。先ほどカメラを起動して、まともに狙ったものを撮れなかった男とは思えない。
そこへ遊真がガラホを覗き込んだ。
「そうま先輩、それ気に入ってるのか?」
「気に入ってるよ」
「ふーん」
遊真は普通に頷いた。
「使いやすい?」
「使いやすいよ。物理キーあるし、電話なら画面ほとんど見なくていいし」
「なるほど」
そのやり取りを聞いていた武富が、少し興味深そうに遊真を見る。
「本当なんですか?」
「ホントだぞ」
「ほら!」
奏真が得意げにガラホを掲げた。
「サイドエフェクトによる客観的証明!」
「サイドエフェクトを何に使ってるんですか」
「俺のガラホ愛の証明」
「ガラホ愛……」
「俺にはこれが合ってるんだよ」
遊真はそれにも特に反応しなかった。
「じゃあ、そうま先輩」
「ん?」
「スマホはいらないのか?」
「これで十分だよ」
「そうか」
遊真はそれ以上追及しなかった。その言葉も嘘ではなかったからだ。
ところが少しして、武富が何気なく口にした。
「そういえば、新しいリンゴフォン出ましたよね」
「ああ、あれね」
奏真がすぐに顔を上げる。
「今回かなり性能上がったんでしょ? 処理も速くなってるし、カメラも――」
そこで止まった。
「…………」
「…………」
「まあ、俺には関係ないけどね」
何事もなかったように奏真はガラホを開き、カチカチと物理キーを押し始めた。その様子を遊真がじっと見ている。
「城戸さん、興味あるんですか?」
「機械は好きだよ」
「じゃあ使ってみたいです?」
「ガラホっていいよね」
「聞いてること変わってません?」
「物理キー最高」
「城戸さん?」
「画面見なくても電話できる。素晴らしい」
遊真が首を傾げた。
「そうま先輩」
「何?」
「ウソはついてないぞ」
「でしょ?」
「うん」
そこで遊真は少し考えてから、何でもないことのように続けた。
「でも、さっきからスマホを使いたいかどうかには答えないな」
「…………」
奏真の指が止まった。
「え?」
武富が遊真を見る。
「分かるんです?」
「いや」
遊真は首を振った。
「そこはサイドエフェクトじゃないぞ」
「じゃあ何で?」
「だって聞いても違うこと答えるからな」
「…………」
奏真は静かにガラホを閉じた。
「ホープくん」
「ん?おれの事か?」
「君そういうところあるよね」
「そういうところ?」
「ある」
武富がじわじわと笑い始める。
「じゃあ城戸さん」
「何」
「リンゴフォン、使いたいんですか?」
「…………」
「城戸さん?」
「ガラホ最高」
「また答えてないぞ」
「ホープくん!」
「おれ何もしてないぞ」
実際、遊真のサイドエフェクトが教えたのは、奏真が嘘をついていないということだけだった。
ガラホを気に入っていることも、物理キーを使いやすいと思っていることも、今の自分にはこれで十分だという言葉も、おそらく奏真にとってはすべて本当なのだろう。
ただ、スマートフォンを使いたいかと聞かれた時だけ、奏真は一度もその質問に答えなかった。
そこに気づくのに、サイドエフェクトは必要なかった。
〇
別の日。
奏真は本部のモニターを前にしていた。
正確には、モニターの前に座る月見の横に立ち、表示される情報だけを追っていた。
「次」
「はい」
月見が操作すると画面が切り替わり、奏真は表示された情報へ目を走らせる。
「そこ一回戻して」
「ここですか?」
「そう。三番と五番だけ並べられる?」
「できます」
月見が必要な情報だけを並べる。
「うん。これなら大丈夫。三番の処理順だけ変えようか」
「分かりました」
奏真は一度も端末に触れない。しかし、内容の確認と判断は速かった。
そこへ若いオペレーターがタブレットを持ってくる。
「城戸さん、こちらも確認お願いします」
「ありがと」
奏真が手を伸ばしかけると、その手より先に月見がタブレットを受け取った。
「私が持ちます」
「はい」
「どこを見ます?」
「二ページ目から」
月見が操作し、奏真が読む。その一連の動きはあまりにも自然で、二人にとっては最初からそうするものと決まっているようにさえ見えた。
若いオペレーターが少し不思議そうに二人を見ていると、そこへ風間がやって来た。
「奏真さん」
「ん?」
「先ほどの件ですが、追加の資料が来ています」
「見せて」
風間はタブレットを奏真へ渡さず、そのまま自分で持った。
「俺が持っていますから」
「ありがと。下」
風間がスクロールする。
「もうちょい」
「ここですか?」
「そこ。止めて」
奏真が内容を確認する。
「次」
風間が操作する。
何の相談もない。これもまた、最初から当然の役割分担であるかのようだった。
さらに木崎が別の資料を持って現れる。
「奏真さん、こっちの資料も確認をお願いします」
「紙?」
「データです」
「じゃあお願い」
「はい」
木崎も端末を渡さず、画面だけを奏真から見やすい角度へ向けた。
「これです」
「……うん。こっちは問題ない。次のページ」
「はい」
若いオペレーターは月見を見て、風間を見て、木崎を見て、最後に奏真を見る。
「……皆さん、城戸さんに甘くないですか?」
「え?」
奏真だけが首を傾げた。
木崎は特に表情を変えなかった。
「必要ありませんから」
「必要ない?」
「奏真さんに必要なのは、これを操作することではなく、内容を確認することでしょう」
「まあ、そうですけど」
「なら問題ありません」
「…………」
「そういうこと」
奏真が頷く。
「なんで奏真さんが一番偉そうなんですか」
「実際偉いからね?」
「そういう意味じゃないです」
少し離れたところで、そのやり取りを柿崎が見ていた。
月見も、風間も、木崎も、誰一人として奏真に端末を操作させようとしない。
機器操作一。その数字だけなら柿崎も知っている。
ただ、それとは別に以前から引っかかっていることがあった。
昔の奏真は、機械が苦手ではなかったはずなのだ。
〇
その日の帰り。
「城戸さん」
「ん?」
呼び止められた奏真が振り返る。
「ちょっといいですか?」
「いいよ。何?」
「前から少し気になってたんですけど」
「うん」
柿崎は一瞬だけ迷い、奏真の手にあるガラホへ視線を落とした。
「城戸さん、昔は機器操作、普通にできたんですよね?」
「できたよ」
あっさり返ってきた。
「やっぱりそうなんですね」
「うん。むしろ得意だったよ」
「ですよね」
「何?」
「いや……」
柿崎は少し言葉を選んだ。
「俺、後進育成のためとかだと思ってましたよ」
「…………」
奏真が目を瞬く。
「城戸さんって、自分がやった方が早いことでも、下に経験積ませるために任せたりするじゃないですか」
「するね」
「だから機器操作もそうなのかなって。昔は自分で全部できたけど、今は若いオペレーターに任せるようにしてるとか」
「そんなカッコいい理由な訳!」
思った以上に強く否定された。
「え」
「できるなら自分で触るよ!? そっちの方が俺の威厳も残るよ?」
「ふふふ……そうですね」
「柿崎?」
「いや、すみません」
「今笑ったよね?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとじゃなかったよ?」
柿崎は笑いを収めると、改めて奏真を見る。
「じゃあ……何かあったんですか?」
「…………」
奏真が黙った。
警戒した様子ではない。ただ、ひどく微妙な顔をしている。
「……言いづらいことなら、別にいいですよ」
「んー……」
奏真は手の中のガラホを弄びながら少し考えた。
「柿崎になら別に教えてもいいんだけどさ」
「はい」
「ただなぁ……」
「はい」
「……進んで教えたい話じゃないんだよな」
「だったら無理に聞きませんよ」
「いや、まあ」
また少し考えてから、奏真は諦めたように息を吐いた。
「柿崎ならいいか」
「本当にいいんですか?」
「いいよ。ただ他の人には言わないでね」
「分かりました」
柿崎が頷く。
奏真は周囲を一度確認してから、少しだけ声を落とした。
「実は――」
そして、現在の機器操作評価が一まで落ちることになった経緯を、最初から柿崎へ説明した。
「――って感じ」
「…………」
柿崎は何も言わなかった。
奏真も急かさずに待っている。
柿崎が一度口を開き、閉じる。それからもう一度開いた。
「……それは……」
「うん」
「…………」
「…………」
「……いや」
柿崎が眉間を押さえた。
「ちょっと待ってください」
「はい」
「今、整理してます」
「どうぞ」
数秒経ってから、柿崎はようやく顔を上げた。
「……サイドエフェクトって、そんな作用するんですか?」
「するみたいだね」
「するみたいって……」
「俺もああなるまで知らなかったし」
「でしょうね……」
柿崎の視線がガラホへ落ち、それからまた奏真へ戻る。何を言えばいいのか決めかねているような顔を見て、奏真が苦笑した。
「だからあんまり言いたくないんだよねー」
「……分かりますけど」
柿崎はようやくそう返した。
「サイドエフェクトが、そんな作用するなんて……」
「ね」
「いや……」
「皆、結構いい感じに使えるのに、俺のだけ足枷ぱないよねー」
「いや、城戸さんのも普通に強いじゃないですか」
「強いよ?」
「戦闘でも使えるんですよね」
「使える」
「だったら――」
「でも機械使えなくなったよ?」
「…………」
「差し引き酷くない?」
「……それは、まあ」
「でしょ?」
「かなり」
「ほら」
奏真は我が意を得たりと頷いた。
柿崎は改めて、奏真の手に収まったガラホを見る。
「……だから、それなんですね」
「ん?」
「ガラホ」
「ああ」
奏真が持ち上げる。
「物理キーだからね」
「画面をあまり見なくて済むから」
「そうそう。電話なんか手順覚えてればほぼ見なくていいし」
「なるほど……」
今まで抱えていた疑問が、一つずつ繋がっていく。
なぜスマートフォンを使わないのか。なぜ物理キーへ妙なほどこだわるのか。なぜ東や月見、風間や木崎たちが、何も言わずに端末の操作を代わるのか。
「じゃあ、東さんたちは」
「知ってるよ」
「諏訪さんも?」
「知ってる」
「風間さんと木崎さんも」
「うん」
「月見もですよね」
「もちろん」
「なるほど……」
柿崎は小さく息を吐いた。
「だから誰も何も言わないんですね」
「もう今更だからね」
「……俺、聞いてよかったんですか?」
「だから柿崎ならいいって」
「そうですけど」
「別に知られて困るわけじゃないんだよ」
奏真はガラホを閉じた。パタン、と小さな音が鳴る。
「ただ、自分から進んで説明したい話じゃないだけ」
「それは……分かりました」
「でしょ?」
「はい」
「あと柿崎」
「はい」
「若い子には言わないでね」
「若い子じゃなくても言いませんよ」
「俺にも威厳ってものがあるから」
「…………」
「何その間」
「いや」
「柿崎?」
「ちゃんとありますよ」
「『ちゃんと』って付ける必要あった?」
「ありません」
「今ちょっと疑ったでしょ」
「疑ってません」
「目見て言って?」
「城戸さん」
「何?」
「さっき、自分で言ってたじゃないですか。できるなら自分で触る、そっちの方が威厳も残るって」
「そうだよ!」
「やっぱり若手には見栄張ってるんですね」
「張るよ!」
即答だった。
「二十五歳が『スマホ使えません、QRコード読めません、誰かお願いします』って毎回やってみ!? 威厳なくなるよ!?」
「もう結構頼んでません?」
「だからギリギリなの!」
「ふふっ……」
「笑うな!」
「すみません」
「あとね」
奏真はガラホを掲げた。
「これだってそうだからね?」
「ガラホですか?」
「ガラホって何なんだよ!? って本当は思ってるからね?」
「使ってる本人がそれ言うんですか?」
「苦肉の策なの!」
柿崎が吹き出した。
「ふふっ……」
「笑うなって!」
「だってさっきまで神機って」
「今の俺には神機だよ! 画面ほとんど見なくても電話できるんだから!」
「物理キー最高とも」
「最高だよ!」
「気に入ってるんですよね?」
「気に入ってるよ!」
「じゃあいいじゃないですか」
「よくない!」
「どっちなんです?」
「ガラホは素晴らしい! でも俺が使ってる理由はよくないの!」
「ああ……」
「俺だって好き好んでこれしか選べないわけじゃないんだよ!」
「はい」
「俺も若者なんだからリンゴフォンとか使っていたいよ!」
「…………」
柿崎の表情が変わった。
「何?」
「いや」
「何その顔」
「自分で若者なんて言うの、どうなんです?」
「二十五だよ!?」
「知ってますよ」
「二十五は若者でしょ!?」
「まあ、若いですけど」
「でしょ?」
「自分から『俺も若者なんだから』って言い始めると、ちょっと……」
「ちょっと何!?」
「やめときます」
「最後まで言って!?」
柿崎は笑いを堪えながら、奏真のガラホを見る。
「でも、リンゴフォン使いたいんですね」
「使いたいよ!」
「即答ですね」
「柿崎しかいないからね!」
「ああ、若手の前では言わない」
「言わない!」
「ガラホで十分」
「十分だよ!」
「物理キー最高」
「最高!」
「ガラホは神機」
「神機!」
「でもリンゴフォンは使いたい」
「使いたい!」
「……全部本音なんですね」
「そうだよ!」
柿崎はとうとう堪えきれず、声を上げて笑った。
「ふふふ……」
「だから笑うなって!」
「すみません。でも」
「何?」
「空閑には、ちょっと気づかれてません?」
「…………」
奏真が止まった。
「なんで知ってるの?」
「この前見ましたよ」
「…………」
「『スマホ使いたいかどうかには答えない』って」
「いや本当にホープはさぁ……」
奏真が額を押さえる。
「嘘はついてないんだよ!?」
「でしょうね」
「ガラホが便利なのも本当! 気に入ってるのも本当! これで十分なのも本当!」
「でもリンゴフォンは使いたい」
「使いたい!」
「ふふっ」
「だから笑うな!」
「すみません」
「俺がどれだけ頑張って現状を肯定してると思ってんの!?」
「それ、本人が言ったら全部台無しじゃないですか」
「柿崎しかいないから言ってんの!」
柿崎はまた笑った。
事情を知るまでは、城戸奏真が機器を若手へ任せている姿にも、何か彼なりの教育方針があるのだと思っていた。
実際は違った。
できるなら自分でやりたい。最新の機械にも触りたい。スマートフォンも使いたいし、QRコードくらい自分で読みたい。
それができないから、今使えるものを使いこなし、その長所を本気で気に入り、その上で若手の前では少しばかり格好をつけている。
「まあ、誰にも言いませんよ」
「本当?」
「はい」
「ホープくんにも?」
「空閑はもう半分くらい気づいてるんじゃないですか?」
「気づいてない。気づいてないことにする」
「無理があるでしょう」
「ガラホ最高!」
「それで押し通すんですか?」
「押し通す!」
「ふふふ……そうですか」
「柿崎、事情知ってから俺への当たり強くなってない?」
「気のせいですよ」
「本当に?」
「本当です」
「……空閑君呼んで確認しようかな」
「それ、自分で傷口広げるだけじゃないですか?」
「…………」
「…………」
「やめとく」
「それがいいと思います」
〇
数日後。
本部食堂の入口に、新しい案内用のQRコードが貼られていた。
それに気づいた奏真は足を止め、しばらく無言でコードを眺めた。
「…………」
やがてポケットからガラホを取り出す。
できないわけではない。
少なくとも、端末には読み取り機能が付いている。
奏真はガラホを開いてカメラを起動すると、壁のQRコードへ向けた。
「…………」
画面の中にコードが入る。
少し右。
行き過ぎた。
左へ戻す。
今度は上にずれる。
「…………」
奏真の眉間に皺が寄った。
もう一度位置を合わせようと端末を動かしかけた、その時だった。
「貸せ」
横から声が飛んできた。
東だった。
「春秋」
「代われ」
「まだ何も言ってないけど」
「いいから貸せ」
「……自分でできるよ?」
「知ってる」
東は短く答えただけだった。
「できるかどうかの話はしてない」
「…………」
奏真は数秒だけ東を見た。
東もそれ以上は何も言わない。
結局、奏真は小さく息を吐いてガラホを閉じた。
「じゃあお願い」
「ああ」
東は自分のスマートフォンを取り出すと、何の説明もなくQRコードへカメラを向けた。読み取りは一瞬だった。
「食堂のアンケートだな」
「炒飯の大盛りを標準化してほしいって書いて」
「そこからは自分で言え」
「入力もお願い」
「QRコードの読み取りまでだ」
「春秋」
「自分でやれ」
「冷たい」
「十分やった」
奏真は不満そうな顔をしたものの、もう一度ガラホを取り出そうとはしなかった。
東も、なぜあの段階で代わったのか説明しない。
奏真も、なぜ「自分でできる」と言いながら素直に任せたのか説明しなかった。
ただ、東が止めたのは、奏真がQRコードを読み取れないからではなかった。
そこへ諏訪が通りかかった。
「何やってんすか?」
「食堂のアンケート」
奏真が答える。
諏訪は壁のQRコードを見て、それから東の手にあるスマートフォンを見た。
「ああ、QRっすか」
「そう」
それだけだった。
諏訪も理由を聞かない。
「で、何のアンケートなんすか?」
「炒飯の大盛りを標準化するべきかどうか」
「いや、しなくていいでしょ」
「いるよ」
「普通盛りで足りるでしょ」
「足りない」
「じゃあ大盛り頼めばいいじゃないすか」
「標準が大盛りならもっと楽でしょ?」
「他の奴が困るんすよ」
「春秋、諏訪が反対してるって書いて」
「自分で喧嘩しろ」
「俺は大盛り派っすよ。ただ標準化には反対なだけで」
「裏切者」
「何の派閥なんすか、それ」
少し離れたところを、柿崎が通りかかった。
その足が一瞬だけ止まる。
壁のQRコード。
東の手にあるスマートフォン。
そして、自分のガラホをポケットへ戻している奏真。
「…………」
以前なら、単に機器操作が苦手だから東に頼んだのだと思っただろう。
今は違う。
なぜ奏真がQRコードの読み取りで手を止めるのか。
なぜ東が、奏真から助けを求められるより先に「貸せ」と言ったのか。
その理由を、柿崎はもう知っている。
「…………」
視線に気づいた奏真が振り返った。
「柿崎」
「はい?」
「何?」
「いや、別に」
「今QRコード見たよね?」
「見ましたよ」
「そのあと俺見たよね?」
「見ましたね」
「…………」
「何です?」
「その優しい顔やめて?」
「してませんよ」
「してる!」
柿崎は思わず笑った。
「ふふっ……」
「笑うな!」
「すみません」
「絶対なんか思い出したでしょ!」
「何も言ってませんよ」
「言ってないのが余計腹立つ!」
奏真は助けを求めるように東を見る。
「春秋! 柿崎追い払って!」
「自分でやれ」
「冷たい!」
「俺を何だと思ってる」
「QRコードリーダー」
「帰るぞ」
「待って! アンケートまだ終わってない!」
東が本当にスマートフォンをしまおうとすると、奏真が慌てて止める。
「入力だけ! 入力だけお願い!」
「そこからは自分でやれ」
「だからそこも画面じゃん!」
横で聞いていた諏訪が呆れたように口を挟んだ。
「東さん、最後までやってやればいいじゃないっすか」
「ならお前がやれ」
「俺?」
「スワルツネガーお願い」
「しょうがねえな……」
諏訪は面倒そうにしながらも東からスマートフォンを受け取り、奏真の代わりに入力を始めた。そこにも、なぜ奏真自身にやらせないのかという会話はない。
東も、諏訪も、もう知っているからだ。
柿崎はそんな三人を眺めながら、事情を知らなかった頃の自分を思い出した。
あの頃なら、奏真が若手に経験を積ませるため、あえて機械を任せているのだとでも考えたかもしれない。
今なら分かる。
もっと単純だった。
できるなら、奏真は自分でやる。
さっきだって、誰かを呼ぶ前に自分でガラホを取り出した。
それでも、途中で東が止めた。
そして奏真も、ほんの少し抵抗しただけで任せた。
事情を知っている者たちにとって、それ以上の説明は必要なかった。
「…………」
柿崎がまた少しだけ笑う。
すぐに奏真が反応した。
「柿崎!」
「何も言ってませんって」
「顔!」
東がため息をつき、諏訪がスマートフォンを操作しながら笑う。
その横で奏真は、さっき自分で使おうとしたガラホをポケットの上から軽く叩いた。
神機なのは本当だ。
気に入っているのも本当。
それでも、できることなら誰かに代わってもらわず、自分で最後まで操作したい。
そのことを知っている人間が、また一人増えていた。
TIPS
遊真→遊馬→ZEXAL→希望皇→遊真本人も若手でイケイケ→ホープ
って感じでホープって呼んでいる感じ