No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
〇
ログが始まる。
転送前の部屋には、明らかに緊張した様子のC級隊員が四人並んでいた。
これから相手にするのはA級の三輪隊。それだけでも緊張するには十分なのに、四人は普段から同じ隊で戦っているわけですらない。今日この場で組まされた即席のチームだ。
そんな四人の通信に、場違いなほど気の抜けた声が入った。
『えーっと、まず名前聞いていい?』
『あ、はい!』
四人が順番に名乗っていく。
『高瀬君、宮原君、藤崎君、小暮君。はい、覚えた』
攻撃手の高瀬、銃手の宮原、射手の藤崎、そして狙撃手の小暮。
名前とポジションを確認すると、奏真は特に構える様子もなく、そのまま軽い調子で続けた。
『じゃあ、よろしくね』
『よろしくお願いします!』
『じゃあ先に、今回の説明しとこうか』
四人が揃って奏真の言葉を待つ。
『今回は、C級隊員とA級隊員の戦力差が実際どれくらいあるのか、そのデータが本部で欲しいとのことで』
一拍置いて、奏真は続けた。
『君たちに協力してもらうことになりました』
『はい』
『なので別に、三輪隊に勝てとかの試験じゃないからね』
その言葉を聞いて、四人の肩から僅かに力が抜けた。
この試合で求められているのは勝利ではない。
普通のC級隊員がA級隊員を相手にした時、どの程度動けるのか。何が通用し、何が通用しないのか。その実質的な戦力差を測るためのデータ収集が目的だった。
『で』
そこで奏真が少しだけ声を軽くする。
『俺のことは、一応肩書だけで言ったら』
少し考えてから、
『凄くオペが得意なお兄さん、みたいな感じで思ってたらいいよ』
『…………』
四人が揃って微妙な顔をした。
その中で藤崎が、恐る恐る口を開く。
『いや……No.1オペレーターって聞いたことありますよ?』
『…………』
奏真が止まった。
『いや……』
何かを言いかける。
けれど、ほんの僅かな沈黙のあと、それを飲み込んだ。
『……まぁ今回はそういうことでいいや』
『え?』
『気にしない気にしない』
そのまま話を先へ進めようとする奏真を見て、修が小さく首を傾げた。
「今、何か言いかけませんでした?」
「言いかけたねー」
宇佐美が答えると、ヒュースが画面を見たまま尋ねた。
「何をだ?」
「たぶん『今はオペレーターじゃない』とか、『No.1なんてものはない』とか、その辺じゃないかな」
「……でも、言わなかった」
千佳が呟く。
「うん」
宇佐美は少しだけ笑った。
「そこ、奏真さんの凄いところの一つだと思うよ」
千佳が宇佐美を見る。
「奏真さん、こういう話は普段なら結構譲らないから」
誰か一人を絶対的な基準にすること。
自分をNo.1オペレーターと呼ぶこと。
そうした評価に対する奏真の考えは、昔からほとんど変わっていない。それは単なる謙遜ではなく、本人なりに理由があって持ち続けている考えだった。
「なのに、飲み込んだ」
宇佐美は画面の四人へ視線を戻す。
「今からA級と戦うC級の子たちに、自分の持論を説明するより、この子たちが安心して戦える方を取ったんだよ」
「…………」
修は先ほどのやり取りを思い返した。
No.1オペレーターが自分たちを見てくれる。
そう思っているC級隊員たちに、試合直前になって、自分は現在正式なオペレーターではないだとか、そもそもNo.1という考え方自体に賛成していないだとか、そんな話をしたところで何の役にも立たない。
むしろ、せっかく得られている安心感を削るだけだ。
「……できそうで、なかなか出来ないですよね」
「そうだね」
「自分がずっと言ってることなんですよね?」
「うん」
宇佐美は迷わず頷いた。
「だから凄いの。自分の考えを曲げたわけじゃない。ただ今は、自分の考えを説明することより、この四人の方が大事だっただけ」
それから、少しだけ表情を柔らかくする。
「オペレーターって、戦闘員に必要な情報を渡す仕事でもあるからね。自分が言いたいことと、その人が今、聞く必要があることは別」
まだ試合は始まってすらいない。
けれど奏真はもう、自分のことより先に、自分がこれから動かす四人を見ていた。
〇
「宇佐美先輩」
「ん?」
千佳が、ふと宇佐美を見る。
「何か楽しそうですね?」
「そう?」
「はい」
宇佐美は少し考えてから、画面へ目を戻した。
「まぁ、このログって、オペレーターとしての大切なこと、詰まってるからね」
「そんなにですか?」
「そんなに」
即答だった。
千佳も改めて画面を見る。
まだ戦闘は始まっていない。
奏真がしたのは四人の名前を聞き、試合の目的を説明し、緊張を少し解いただけだ。
けれど宇佐美には、その短いやり取りだけでも、すでに見るべきものがいくつもあった。
「相手が何を出来るのかを見ること。出来ないことを無理にやらせないこと。必要以上に緊張させないこと。それから、こっちが持ってる情報を全部そのまま渡せばいいわけじゃないってこと」
一つずつ確かめるように挙げていき、最後に少し笑う。
「自分が言いたいことより、今その人に何が必要かを優先すること。それから――勝てない相手だからって、最初から諦めないこと」
その最後の言葉に、修が反応した。
どれも派手な機材操作の技術ではない。
けれど、人を支えるオペレーターなら、どれも欠かせないものだった。
「じゃあ」
千佳が尋ねる。
「新人のオペレーターの人にも、このログを見せたりするんですか?」
「しないよ?」
「え?」
あまりにも即答だった。
「……こんなに大切なことが詰まってるのに?」
「うん」
「何故だ?」
ヒュースも疑問に思ったらしい。
宇佐美は少し困ったように笑った。
「新人の教材には向かないんだよねー」
「大切なことが詰まっているのに?」
「詰まりすぎてるの」
「……あ」
修が何となく察したように声を漏らす。
「一個ずつなら、すっごくいい教材になるんだよ」
戦闘員の能力を見る。
情報を絞る。
緊張を取る。
出来ることだけを頼む。
盤面を見る。
相手の判断を読む。
複数人の動きを組み合わせる。
その一つ一つなら、どれも学ぶ価値がある。
「でも、全部まとめて真似しようとすると教材にならない」
「…………」
「奏真さん基準になっちゃうから」
修の表情が固まった。
「それは……」
「ダメでしょ?」
「……ダメですね」
「でしょ?」
宇佐美が笑う。
「参考にはする。でも、基準にはしない。この人が出来てるんだから自分も出来なきゃいけない、って考え始めると、大体おかしくなるから」
「それほどか?」
「それほど」
ヒュースの問いにも即答する。
「新人ならなおさら。まず普通のオペレーションを覚えて、一個ずつ出来ることを増やして、その中でこのログから使えそうなところだけ拾えばいいの」
千佳が画面を見ながら考え込む。
「じゃあ、すごくいい教材だけど……教材には向いてない?」
「そう!」
宇佐美が楽しそうに笑った。
「そういうログ」
「矛盾してません?」
修が苦笑する。
「してないしてない。一個ずつなら最高の教材」
そこで一拍置き、
「全部まとめると、最悪のお手本」
「…………」
「だから面白いんだよねー」
その声は、確かに楽しそうだった。
〇
ログの中では、奏真がすでに話を戻していた。
『まあ、俺のことはそれくらいで。今回の試合なんだけど、普通にやってくれれば、それでデータは取れるから』
『はい』
普通に戦って、普通に負けても、それで本部が求めるデータは取れる。
この四人に、それ以上の責任はない。
だが。
『……でもさ』
そこで奏真の声が、ほんの少しだけ楽しそうなものへ変わった。
『別に俺としては』
一拍。
『勝てるなら勝ちたいと思わない?』
『…………』
画面の中でC級四人が顔を見合わせる。
同時に、修の目が僅かに細くなった。
「勝つつもりなんですか?」
「少なくとも」
宇佐美が答える。
「最初から負けるつもりではないみたいだねー」
修は画面から目を離さなかった。
普通のC級四人による即席チーム。
相手はA級の三輪隊。
戦力差を測るために組まれた試合なのだから、その差が大きいこと自体は最初から分かっている。
それでも、勝ちを考える。
「修?」
千佳が隣を見る。
「あ、ごめん」
「いや」
遊真が修の顔を見て、少し笑った。
「オサム、これ気になるだろ」
「……うん」
修は否定しなかった。
「かなり」
ログでは、C級隊員の一人が恐る恐る聞き返していた。
『三輪隊に、ですか?』
『そう』
『まあ、勝てるとは言ってないけどね』
『…………』
『相手A級だし』
『…………』
『君たちC級だし』
『…………』
『しかも今日初めて組むし』
奏真は戦力差を正確に理解している。
楽観しているわけではない。
ましてや、三輪隊を侮っているわけでもなかった。
『あの』
『うん?』
『やっぱり無理なんじゃ……』
『普通にやったらねー』
その瞬間、修が僅かに身を乗り出した。
遊真はその反応を見逃さなかった。
「やっぱりそこか」
「だって」
修は画面を見たまま答える。
「普通にやったら勝てないって分かってるんだ。それでも勝とうとしてる」
修にとって、それは他人事ではなかった。
自分より強い相手。
個人の能力だけを比べれば届かない相手。
だからといって、戦う前から勝てないと決めるわけにはいかない。
「……どうするんだ?」
思わず声が漏れた。
『だから普通にはやらない』
奏真が言った。
修の視線が完全に画面へ固定される。
『別に三輪隊に一対一で勝てとか言わないから大丈夫』
『勝てない相手に勝てとは言わないし、できないことも頼まない』
『こっちが言ったことだけやってくれればいいよ』
『分かんなかったら聞いて。無理そうなら無理って言っていいから』
「……能力を上げるんじゃない」
修が呟く。
「何だ?」
ヒュースが修を見る。
「この四人に、A級と戦えるくらい強くなれって言ってるんじゃない。そんなこと、今から出来るわけがないから」
画面の中の四人を見ながら、修は続ける。
「今持ってる戦力だけでやるつもりなんだ」
「それで三輪隊に勝つと?」
「分からない」
修は即答した。
「だから見たい。どうやるのか」
遊真が少し笑う。
「オサム、さっきより食いついてるな」
「そりゃ気になるよ」
今度は修も即答した。
「個人で勝てない相手に、個人で勝たずにどうやって勝つのかなんて――」
画面を見つめたまま、
「僕が一番知りたい」
宇佐美が一瞬だけ修を見る。
けれど何も言わず、すぐに画面へ視線を戻した。
『まあ相手はA級だけど、やることはこっちで言うから。気負わずにねー』
奏真の声に、四人の表情から少しずつ緊張が抜けていく。
『せっかくだし、二、三人くらい驚かせようか』
修は、その言葉を聞き流さなかった。
すでに結果だけは知っている。
三輪隊から二点。
「……本当に取るんだ」
「ん?」
「今、二、三人くらい驚かせようって。でも結果は二点なんですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、この時点で」
奏真は、ただデータを取って終わるつもりではなかった。
「最初から、点を取るための方法を考えてる」
「だが、勝てるとは言っていない」
ヒュースが言う。
「うん。たぶんそこも重要なんだと思う」
出来ないことは要求しない。
勝てるとも断言しない。
それでも、勝つために考えることはやめない。
「これ、ちゃんと見たいです」
修が呟く。
「そのつもりで出したんだけどねー」
宇佐美が笑った。
やがて転送準備が始まり、その直前に奏真が四人へ声をかける。
『ああ、それと』
四人が耳を傾ける。
『俺の指示が変でも、とりあえず一回やってみて』
一拍。
『たぶん後で意味分かるから』
転送。
四人の姿が光の中へ消え、試合が始まる。
その瞬間にはもう、修は誰よりも前のめりになって画面を見ていた。
〇
試合開始。
当然ながら、序盤から主導権を握ったのは三輪隊だった。
個々の技量を比べれば、C級四人ではまともに対抗できない。だからこそ奏真は最初から、正面から対抗させようとすらしなかった。
『高瀬君、逃げて』
『はい!』
米屋に発見された高瀬が走り出す。
『もっと慌てて』
『え?』
『下手でいいから逃げて。追わせるから』
「……追わせる?」
修が小さく呟いた。
高瀬の逃走は決して上手くない。最短経路を取っているわけでもなければ、米屋との距離を綺麗に管理できているわけでもない。何度も捕まりそうになり、そのたびに必死で逃げる。
けれど、それでいい。
あと少しで届きそうに見える。
仕留められそうに見える。
だからこそ米屋は、高瀬を追うという選択を続ける。
その間に宮原が動き、藤崎が別方向へ回り、小暮が狙撃位置についた。
一発。
小暮の狙撃は米屋を外れ、地面を穿った。
「外した」
ヒュースが言う。
「うん」
宇佐美はそれだけ答えた。
狙撃を受けた米屋は、当然その方向を警戒する。撃たれた方向から狙撃手の大まかな位置を把握し、その射線から外れるように追跡経路を変えた。
位置を晒した小暮も、すぐにその場を離れる。
「……わざと?」
修が聞く。
「見てれば分かるよ」
宇佐美の言葉通り、答えはすぐに現れた。
小暮から撃たれにくい場所を選びながら、高瀬を追う。
それは米屋自身が考えて選んだ、安全な進路のはずだった。
ところが、その進路の先へ宮原が姿を見せる。
米屋が僅かにそちらを警戒し、進路をずらす。
今度は、その先で藤崎が動いた。
一つ避けるたびに、次の選択肢が一つ減る。
また避ければ、さらに一つ減る。
「……あ」
修が気づいた。
「逃げ道を削ってる……」
小暮の最初の一発は、単なる失敗ではなかった。
そこに狙撃手がいる。
その情報を米屋へ与えることで、米屋自身に「撃たれにくい場所」を選ばせた。
そのうえで宮原と藤崎が、残った選択肢を一つずつ削っていく。
誰かが米屋を力ずくで押しているわけではない。
米屋自身が、その場その場で最も安全だと思える場所を選んでいる。
なのに気づけば、その選択の先が一つの場所へ収束していた。
すでに移動を終えた小暮が、再び銃口を向ける。
今度は小暮が米屋を捉えたのではない。
米屋の方から、小暮の射線へ入ってきた。
発砲。
命中。
『――っ!』
米屋のトリオン体が崩れ、ベイルアウトの光へ変わった。
三輪隊 0-1 C級即席隊。
「…………」
修は言葉を失った。
「米屋先輩を……」
「C級の狙撃手が落とした」
ヒュースが言う。
「違うな」
遊真が画面を見たまま否定した。
「最後に撃ったのが小暮ってだけだ」
高瀬が逃げた。
宮原が進路を狭めた。
藤崎がさらに選択肢を削った。
最後に小暮が撃った。
「よーすけ先輩をあそこまで連れてったのは、四人全員だろ」
「……いや」
ヒュースが僅かに首を振る。
「五人だ」
一拍。
「城戸奏真も含めてだ」
「正解」
宇佐美が笑った。
〇
ログの中で、ベイルアウトした米屋から通信が入る。
『悪い、やられた!』
一拍置いて、
『小暮って狙撃手』
さらに少しだけ間があった。
『――たぶん奏真さんに』
その一言を境に、三輪隊の空気が変わった。
『ここから認識を変える』
月見の声だった。
『相手をC級四人だと思わないで』
三輪、奈良坂、古寺が黙って通信を聞く。
『四人が何をするかじゃない』
一拍。
『奏真さんが、四人に何をさせようとしてるかを見る』
『……そうだな』
三輪が答える。
『あの人を舐めすぎていたか……』
『俺も』
ベイルアウト後の米屋が通信越しに同意する。
『同感だ』
奈良坂が短く続き、
『俺もです。個人の実力だけ見てました』
古寺も認める。
『私も』
最後に月見が続けた。
『奏真さんがオペレーターだって分かってたのに、結局「普通のC級四人にできること」の範囲で考えてた』
一拍。
『それをやめる』
そして、隊員全員へはっきりと言い切った。
『以降、奏真さんの指示を基準に見る』
「……最初から」
修が呟く。
「城戸さんの実力を知らなかったわけじゃないんですね」
「うん」
宇佐美が頷く。
「そこは勘違いしない方がいいかな」
三輪隊は奏真自身を侮っていたわけではない。
「奏真さんを舐めてたんじゃなくて、普通のC級四人からここまで引き出せるとは思ってなかった」
〇
そこから三輪隊の動きは明確に変わった。
目の前にいるC級隊員だけを見ない。
その後ろにいる奏真まで含めて、一つの敵として見る。
高瀬が三輪と接触した時、その違いはすぐに現れた。
先ほどの米屋のように、何かのために追わせる時間すら与えない。高瀬本人の動きだけではなく、その動きを使って奏真が何を作ろうとしているのかまで警戒し、形になる前に一気に距離を詰める。
高瀬、ベイルアウト。
三輪隊 1-1 C級即席隊。
続いて宮原が援護へ入ろうとするが、今度の三輪隊はその動きの先まで警戒していた。
宮原が何をするかではない。
宮原を使って、奏真が何を作ろうとしているのか。
それが形になる前に潰す。
宮原、ベイルアウト。
三輪隊 2-1 C級即席隊。
「……強い」
千佳が呟いた。
「うん」
宇佐美が頷く。
「三輪隊もね」
最初の一点を取られてなお、三輪隊は崩れていない。
むしろ奏真の存在を正しく脅威として認識してから、一気に試合を締め直している。
残ったC級は藤崎と小暮の二人。
対する三輪隊は三輪、奈良坂、古寺。
人数差は三対二。
個々の実力差まで考えれば、C級側の状況は試合開始時よりさらに悪くなっていた。
〇
『小暮君』
『はい』
『奈良坂君と撃ち合わなくていいよ』
『……はい』
小暮が即座に射線を切った。
C級の狙撃手に、奈良坂との正面からの狙撃戦を要求する意味はない。
奏真は最初に言った通り、できないことをやらせようとはしなかった。
一方、藤崎は三輪へ向けて射撃を始める。
特別な技術を使っているわけではない。複雑な弾道を描くでもなく、ただ三輪が無視できない場所から撃ち、三輪が対応すれば移動し、また別の場所から撃つ。
それを繰り返しながら、少しずつ三輪の位置を南側へずらしていく。
三輪が動けば、援護する古寺も射線を確保するために位置を調整する必要がある。
その動きを、奏真は見ていた。
藤崎がさらに位置を変える。
三輪が南へ寄る。
それに合わせて古寺も援護位置を変えようとした。
『章平くん、そこから動かないで』
『はい』
月見が止めた。
藤崎がまた撃つ。
三輪が対応する。
それでも古寺は動かない。
先ほど米屋を落とした流れを見ている以上、安易に奏真の望む方向へ動くわけにはいかない。
その様子を見て、奏真の声が入った。
『あー、やっぱそうするよねー』
一拍。
『月見ならそうするよねー』
「……気づいてる」
修が呟く。
『誘導されてるって分かったら、下手に動かさない』
奏真の声は、どこか納得したように軽い。
『うん。正しい正しい』
ヒュースの目が僅かに細くなる。
だが、奏真はそこで終わらなかった。
『でも正し過ぎるのも不正解ってとこ、教えてあげよう』
〇
その間にも、小暮は移動を続けていた。
奈良坂の射線を避けながら、決して撃ち合おうとはせず、奏真から指定された場所へ向かう。
その位置から見えるのは、古寺が次に三輪を援護しようとした場合、候補になり得る狙撃位置だった。
一方の藤崎は、三輪への圧力をさらに強めていく。
南へ。
さらに南へ。
少しずつ三輪の位置をずらし続けた結果、古寺の現在位置からでは援護射線を通しにくくなっていく。
『……章平くん』
月見が短く考える。
動かせば、奏真の誘導に乗るかもしれない。
だが、動かさなければ三輪への援護が切れる。
どちらかを選ばなければならない。
一拍ののち、月見は決断した。
『西へ移動』
『了解』
古寺が動く。
その瞬間。
『小暮君』
『はい』
『一発だけお願い』
『はい!』
発砲。
古寺が即座に反応する。
弾は当たらなかった。
だが、それでいい。
小暮の一発が飛んできたことで、古寺は予定していた狙撃位置へそのまま入ることができなくなり、回避のために進路をずらす。
同時に、発砲した小暮自身の位置も奈良坂へ知られた。
「……小暮さん」
千佳が小さく声を漏らす。
奈良坂が動いた。
『小暮君、右』
『はい!』
小暮が走る。
『そのまま』
奈良坂が追う。
『次、左』
必死に逃げる小暮へ、奏真の指示が続く。
最初から捨てるつもりだったわけではない。
一発撃たせたあとも、奏真は小暮を逃がそうとしている。
けれど、相手は奈良坂だった。
『……あ』
僅かな間。
状況を見切った奏真の声が、少しだけ低くなる。
『ごめん、そこまでだ』
狙撃。
命中。
小暮のトリオン体が崩れた。
三輪隊 3-1 C級即席隊。
修は画面を見つめた。
残ったのは藤崎一人。
三輪隊は三輪、奈良坂、古寺の三人が残っている。
「これで、ほぼ決まったな」
ヒュースが言う。
「普通ならね」
宇佐美が答えた。
〇
その言葉に引っかかり、修はもう一度盤面を見る。
「……待って」
「どうしたの?」
千佳が修を見る。
「古寺先輩の位置が……」
小暮を仕留めるために奈良坂は本来の援護位置から離れた。
小暮の一発によって、古寺は予定していた狙撃位置からずらされている。
そして三輪は、藤崎によって南側へ寄せられていた。
その三つを重ねたところで、修はようやく気づく。
「これ……3-1になってから古寺先輩を落とす形を作り始めたんじゃない」
小暮が撃った場所。
古寺が動かされた経路。
藤崎が三輪を押してきた方向。
全部が繋がる。
「小暮さんがいた時から……」
すでに始まっていた。
藤崎は今、古寺が使える狙撃位置へ干渉しやすい場所にいる。
奈良坂は小暮を落とすために離れ、すぐには古寺の援護へ戻れない。
三輪は藤崎へ向かっているものの、まだ距離がある。
ほんの僅かな時間。
それでも確かに。
三輪隊の中で、古寺だけが一時的に浮いた。
『藤崎君』
『はい!』
『古寺君、もらおうか』
『はい!』
藤崎が走る。
古寺も即座に対応し、次の狙撃位置を取ろうとする。
だが、そこへ入ろうとした瞬間。
『藤崎君』
『はい!』
『古寺君が出たら全部使っていいよ』
『はい!』
三輪が藤崎を追って戻ってくる。
『藤崎!』
『三輪君には撃たなくていい』
『え!?』
『古寺君だけ見て』
藤崎は三輪を無視した。
三輪には勝てない。
なら、勝とうとしない。
今この瞬間に狙うべき相手だけを見る。
古寺が狙撃位置へ出る。
『今』
藤崎が撃った。
単純な弾だった。
特別な技術など何もない。
ただ、古寺が出てくる場所へ数を集中させる。
古寺が回避し、別の位置へ移ろうとする。
けれど、そこも藤崎から干渉できる。
「……逃げる場所が」
修が呟く。
今になって突然なくなったわけではない。
小暮がまだ生きていた時から、藤崎と小暮の動きによって、古寺が安全に使える場所が少しずつ削られていた。
『藤崎君』
『はい!』
『残り全部』
藤崎が撃つ。
古寺が回避する。
一発。
さらに一発。
避けるたびに次の位置が限定され、その先へまた弾が飛ぶ。
トリオン体が削られ、最後の一撃が古寺を捉えた。
――古寺章平、ベイルアウト。
表示が切り替わる。
三輪隊 3-2 C級即席隊。
〇
『……すみません』
古寺の声が落ちる。
『謝らなくていい』
月見は即座に返した。
『私も読まれた』
『でも――』
『違う』
いつもの冷静な声だった。
声を荒らげているわけでもない。
それでも、その言葉の硬さには隠しきれない悔しさが滲んでいた。
『奏真さんに全部誘導された』
三輪が僅かに視線を動かす。
『章平くんを動かしたことだけじゃない』
一拍。
『思考も、選択も』
『…………』
『最初に章平くんを動かした。それを見られた』
月見は自分の判断を一つずつ辿るように続ける。
『誘導されてるって気づいたから、今度は動かさなかった』
そこで一度、言葉が止まった。
『それも見られた』
最初に動かしたこと。
次に、警戒して動かさなかったこと。
どちらも奏真に情報として渡っていた。
『それで、動かさないと援護できない盤面を作られた』
動かないという選択肢を潰された。
ならば三輪を援護するために、古寺を動かすしかない。
『だから私は章平くんを動かした』
けれど、それすら。
『それも――』
一瞬だけ、言葉が止まる。
『奏真さんが欲しかった選択だった』
三輪隊の通信が静まり返った。
『間違えたわけじゃない』
月見自身、それが一番分かっている。
『あの場面なら、今でも同じ指示を出す』
一拍。
『出すしかない』
間違った選択をしたのなら、次は直せる。
けれど、そうではない。
あの状況で古寺を動かす判断自体は正しかった。
だからこそ悔しい。
『……なのに、それを選ぶところまで使われた』
月見が悔しさを押し殺すように息を吐く。
『最初から最後まで』
一拍。
『奏真さんに全部誘導された……!』
〇
現在。
修は何も言えなかった。
月見は途中で気づいていた。
奏真に誘導されていることに気づき、対策し、その対策自体も間違っていなかった。
それでも届かなかった。
ログの反対側では、奏真の声が入る。
『藤崎君』
『はい!』
『今の、覚えといてね』
『え?』
『最善手をずっと選択できても』
一拍。
『戦闘じゃ正解じゃない事もあるって覚えた?』
『…………はい』
『よし』
「…………」
修の背筋を冷たいものが走った。
月見が今まさに悔しがっていたことを、奏真は反対側でC級隊員への教材にしている。
月見が悪手を選んだから勝てたのではない。
正しい選択をした。
その正しい選択をすることまで読んで、利用した。
「……詰将棋みたいだ」
修がぽつりと呟いた。
「何だ、それは?」
ヒュースが聞く。
「将棋の問題だよ。相手の応手を読みながら、決められた形まで追い込んでいくっていうか……」
そこまで説明したところで、修自身が違和感に気づく。
遊真も同じだったらしい。
「でも、ちょっと違うんじゃないか?」
「え?」
「詰将棋って、相手がこう返すって決まってるんだろ?」
「まあ……そうだな」
「そうま先輩のは」
遊真が画面を見る。
「相手が違うことしたら、その時点で別のやつ作り直すんじゃないか?」
「…………」
修は黙った。
米屋が違う方向へ動けば、別の形。
月見が古寺を動かさなければ、別の形。
動かせば、また別の形。
最初から一つの決められた手順に相手を押し込んでいるわけではない。
相手が選んだものを見て、そのたびに次の形を作る。
「……詰将棋より嫌じゃないか、それ」
「そうだな」
ヒュースが即答した。
〇
「でも」
千佳が藤崎の戦闘記録を見ながら呟く。
「藤崎さん、すごく難しいことをしたわけじゃないんですよね?」
「そうだよ」
宇佐美が頷く。
「最後も普通に撃っただけ」
「小暮さんも……」
「うん。最初の米屋先輩への狙撃だって、一発目は外してるしね」
宇佐美が少し笑う。
「そこが、このログが有名な理由の一つかな」
四人は普通のC級だった。
A級相手に一対一で勝てるほどの技量はない。
そして、それは試合の最後まで変わっていない。
「奏真さん、一回もこの四人に『実力以上のこと』を要求してないの」
修が宇佐美を見る。
「上手い狙撃をしろとも言わない。三輪隊より速く動けとも言わない。一対一で勝てとも言わない」
画面の中では、高瀬が逃げ、宮原が動き、藤崎が撃ち、小暮が狙っていた。
誰も、自分に出来ないことを要求されてはいない。
「その子ができることだけさせる」
宇佐美はそこで一拍置く。
「その代わり、その『できること』で点が取れる場所まで、奏真さんが全部組み立てる」
「…………」
ヒュースが黙ってログを見る。
最初の一点は米屋。
二点目は古寺。
どちらもC級隊員が、突然A級並みの技術を発揮して取った点ではない。
「だから伝説なのか」
「そういうこと」
修はそこで、ログを見る前の宇佐美の言葉を思い出した。
一個ずつなら最高の教材。
全部まとめると、最悪のお手本。
今なら、その意味が少し分かる。
奏真自身は、C級四人に一度も実力以上のことを要求していない。
なのに、このログを丸ごと新人オペレーターの基準にしてしまえば、今度は見る側に奏真と同じことを要求することになる。
「……だから新人には向かないんですね」
「うん」
宇佐美が笑う。
「参考にはしてほしいよ? でも、これが出来ないから自分はダメなオペレーターだ、とは絶対思ってほしくない」
「…………」
「奏真さん本人が戦闘員に無茶言ってないのに」
少し可笑しそうに笑って、
「このログ見せた私たちが、新人に無茶言ったら意味ないでしょ?」
「……確かに」
修も苦笑した。
〇
けれど、ログはまだ終わっていない。
三輪隊 3-2 C級即席隊。
残るC級は藤崎一人。
対する三輪隊は三輪と奈良坂。
ここから試合が覆るとは、誰も思わない。
そして実際、覆らなかった。
藤崎は最後まで奏真の指示通りに動いた。
逃げる。
撃つ。
位置を変える。
無理な勝負はしない。
けれど相手は三輪と奈良坂だ。
二人を相手に、普通のC級隊員一人でどうにかできるほど甘くはない。
奈良坂の射線を避ければ、その先で三輪が距離を詰める。藤崎も反撃するが、三輪を止めるには届かない。
最後は三輪の攻撃が藤崎を捉えた。
――藤崎、ベイルアウト。
三輪隊 4-2 C級即席隊。
試合終了。
〇
「……負けた」
千佳が呟いた。
「うん」
宇佐美が頷く。
「ギリギリまで粘って、どっちが勝つか分からなかった試合ってわけじゃないんですね」
修が言う。
「最後は普通に三輪先輩と奈良坂先輩が残ってる」
「そうだよ」
宇佐美はあっさり答えた。
「だから三輪隊が弱かった試合じゃないの」
最初の一点を取られた。
そこで相手への認識を改め、戦い方を変えた。
そこからC級を三人連続で落とし、二点目を奪われても最後には三輪と奈良坂の二人を残して勝利している。
三輪隊はきちんと強かった。
「それでも」
修が最終結果を見る。
三輪隊 4-2 C級即席隊。
普通のC級四人が、A級部隊から二点を取った。
「二点取った……」
「うん」
〇
「誤解してほしくないんだけど」
宇佐美が少しだけ声の調子を変えた。
「奏真さん、防衛任務の時は誰かが落ちる前提で作戦立てないからね?」
「え?」
修が振り返る。
「今のログだと、小暮さんを使って奈良坂先輩を動かしたようにも見えるでしょ?」
「……はい」
「でも、それはランク戦だから」
宇佐美は画面を指した。
「ベイルアウトできるって分かってるからね」
「実戦では違う?」
ヒュースが聞く。
「全然違うよ」
その問いに答えるように、古いログの中から試合後の奏真の声が流れた。
『前提が違うよ』
誰かとの会話が記録に残っていた。
『ベイルアウトできるって確定してるなら、別にしてもらうけど』
奏真の声は、試合中と変わらず軽い。
けれど、言っていることは明確だった。
『だって実戦で、どこに誰がいて、何の作戦で動いてるかなんて、一〇〇パーセント全部分かるわけじゃないでしょ?』
『こっちが知らない敵がいるかもしれないし、知らないトリガーがあるかもしれない。ベイルアウトに何かしてくる奴が絶対いないとも言えないし』
一拍。
『なら、わざわざ「落ちてもベイルアウトできるから大丈夫」って前提で動かす必要ないでしょ』
ランク戦なら、安全に戻れることがルールとして保証されている。
実戦には、その保証がない。
『まあ、本部が危険になるって分かってるとか、他の場所に被害が出てベイルアウトした方がそこに到着するの速いとかなら、ベイルアウトしてもらう場合もあるけどね』
『ベイルアウトさせないことが目的じゃないし』
そして、奏真はごく当たり前のことを言うように続けた。
『安全に帰すのが目的』
一拍。
『だから必要なら使う。でも、なるべくリスクは取りたくないよね』
『落ちなくて済むなら、それが一番でしょ』
「……なるほど」
ヒュースが呟く。
「ランク戦だから出来ることと、実戦でやることを分けているのか」
「そういうこと」
宇佐美が頷いた。
「奏真さん、こういうところは結構はっきり分けるから」
修はもう一度、最終結果を見る。
三輪隊 4-2 C級即席隊。
ただ二点取っただけではない。
普通のC級四人へ実力以上のことを要求せず、相手が合理的に選ぶ行動まで利用して、A級部隊から二点を奪った。
それが、オペレーター界隈で伝説と呼ばれているログだった。
〇
「……これ」
修がふと疑問を覚える。
「こんなに凄いログなのに、みんな見てるわけじゃないんですか?」
「あー」
宇佐美が少し苦笑した。
「そこはね」
「?」
「話と結果は結構有名なんだよ。普通のC級四人を奏真さんがオペして、三輪隊から二点取ったっていう」
けれど、と続ける。
「実際のログを最初から最後まで見た人は、それより少ないかな」
「何故だ?」
ヒュースが聞く。
「別に閲覧制限があるわけではないんだろう?」
「ないよ」
「じゃあ何で?」
「…………」
宇佐美が少しだけ言いにくそうに間を置いた。
「三輪くんだから」
「…………」
ヒュースには伝わらなかったらしい。
だが修には、なんとなく分かった。
「『昔の三輪隊が普通のC級四人に二点取られた試合見ました』って……」
一拍。
「本人に知られると、ちょっと気まずい……?」
「正解」
宇佐美が笑った。
「別に三輪くんが見るなって言ってるわけじゃないんだけどね。なんとなく触りづらいんだよねー、このログ」
「…………」
ヒュースが少し考える。
「理解できなくはない」
「でしょ?」
〇
しばらくして、遊真が最終画面を眺めながら口を開いた。
「狙撃手としても神話って呼ばれてて」
一拍。
「オペレーターでも伝説か」
そして、素朴な疑問をそのまま口にする。
「そうま先輩何者?」
「うーん」
宇佐美が少し考える。
「言い方悪いけど……化け物?」
「宇佐美先輩が言うんですか……」
修が苦笑する。
けれど、一つだけ。
修にも知っていることがあった。
「でも攻撃手としては普通ですよね?」
「まあ」
宇佐美が頷く。
「一対一でスコーピオンならだけどね」
「え?」
修とヒュースの声が重なった。
「そりゃランク戦とか、そういう状況も含めたら全然違うのは分かるでしょ?」
「…………」
「でも隊がないからねー」
現在の奏真には、自分の隊を率いてランク戦へ出た記録がない。
攻撃手としての一対一。
そこだけを切り取れば、特別な頂点にいるわけではない。
けれど盤面が広がり、使える駒が増え、考える余地が増えた時にどうなるのか。
修は今、それを見たばかりだった。
〇
「……やはりおかしい」
ヒュースが呟いた。
「ヒュース君、また?」
宇佐美が半ば呆れたように返す。
「……いや、そうじゃない」
ヒュースは画面を見たままだった。
普通のC級四人を使い、三輪隊から二点を奪った。
それほどの処理能力。
それほどの戦術眼。
そして、複数の人間を同時に動かす能力。
「これではっきりと分かったことがある」
一拍。
「大きな戦闘になればなるほど、この男を使わないのは組織としてあり得ないはずだ」
「…………」
修の表情が変わる。
ヒュースは、ずっと引っかかっていた疑問を口にした。
「ならば何故、城戸奏真は――」
一拍。
「大規模侵攻の時にいなかった?」