No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
ボーダー本部。
沢村響子は、机に置かれた資料を眺めていた。
『オペレーター戦闘訓練・実施計画案』
「……城戸君」
「んー?」
「また新しい訓練?」
「そうそう!」
対面の城戸奏真は、いつも通り楽しそうに笑っていた。
「後方要員緊急時対処訓練なら、もう実施しているでしょう?」
「うん! あれは順調だねー!」
「じゃあ、これは何?」
「もうちょっと踏み込んだやつ!」
奏真は資料を一枚取り出した。
「今の訓練って、基本的には戦闘員が到着するまで生き残るためのものでしょ?」
「ええ。避難経路の確認や緊急時の情報伝達、最低限の自衛行動が中心ね」
「そうそう! でも、強い人がいることと、全員を守れることって別の話なんだよね」
資料には、先の大規模侵攻における各部署の避難状況と戦闘員の配置がまとめられていた。
「忍田さんだって、一度に十か所を守ることはできないでしょ? 次の侵攻が同じ形になるとも限らないし」
奏真は別の資料を差し出す。
「例えば、敵が本部内部に侵入して、オペレーター室の近くに現れた場合」
「……なるほど」
「オペレーターって、後方要員の中でも戦闘に巻き込まれる可能性が高いと思うんだよね。持ち場を離れられないこともあるし、倒れれば前線にも影響する」
「……だから、戦闘訓練?」
「うん! ただ、敵を倒せるようになってほしいわけじゃない」
「どういうこと?」
「自分がどこまで戦えるのか、知っておいてほしいんだよ」
奏真は指を立てた。
「敵が迫った時、身体がどれくらい動くのか。自分のトリオン量で、どんなトリガーが使えるのか。そもそも、戦うという選択肢を取っていいのか」
「……最後は重要ね」
「でしょ? オペレーターは戦闘知識が豊富だけど、自分が戦闘員として動く機会はほとんどないからさ。実際に経験すれば、いざという時の判断材料が増えると思うんだよ」
沢村は資料へ目を落とした。
必要性は理解できる。彼女自身、元は攻撃手だった。戦闘員がどれほど優秀でも、守り切れない状況があることは知っている。
「……必要性は分かったわ。でも、仕事に戦闘訓練まで加えたら、負担が大きくならない?」
「なると思うよー」
「……即答ね」
「だって、実際そうでしょ?」
奏真は別の資料を差し出した。
『開催頻度――隔月』
『参加対象――希望者のみ』
『参加条件――本人が必要性、または興味を感じていること』
「……完全希望制?」
「うん!」
「あなたの説明だと、全員に受けてもらった方がいいように聞こえるけど?」
「いやー、それはちょっとねー。俺が『オペレーターも戦闘訓練を受けた方がいいよ!』って言ったら、参加しない人が悪いみたいにならない?」
沢村は黙った。
「みんな自分の仕事をちゃんとやってくれてるわけだし、それ以上を要求するつもりはないよ」
まして、発案者が城戸司令の甥ともなれば、本人にそのつもりがなくても圧力が生まれかねない。
「……分かったわ。試験的に実施することは検討しましょう。ただし、安全管理と指導体制が整えば、よ」
「もちろん!」
沢村は資料をめくり、ある項目で手を止めた。
「……オペレーターごとの戦闘適性?」
「そうそう! せっかくなら、どんなポジションが向いてるかも試してみたいなーって!」
最初のページには、国近柚宇の名があった。
『トリオン量――1』
『思考特性から見た適性候補――射手』
『実戦運用――極めて困難』
「……射手? でも、国近さんのトリオン量は1でしょう?」
「そこが難しいところなんだよ!」
次のページには氷見亜季。
『トリオン量――2』
『適性候補――狙撃手』
『実戦運用――トリオン消費・継戦能力に大きな制約』
さらに三上歌歩、月見蓮の分析が続いていた。
沢村は資料を閉じ、もう一度開いた。
「……城戸君。随分と詳しいのね」
「そりゃもう! めちゃくちゃ考えたからね!」
「……いつから?」
奏真の笑顔が止まった。
「まだ実施も決まっていないのに、どうしてこんな資料があるの?」
沈黙の後、奏真は視線を逸らした。
「……趣味?」
「…………」
「オペレーターの子達が戦闘員になったら、どんなポジションが向いてるのかなーって考えるの、結構好きなんだよね!」
沢村は静かに目を閉じた。
「あなた、自分の趣味も兼ねてるでしょう?」
「うん!」
「…………」
「いやー、でもほら! ちゃんと意味のある訓練だと思うよ?」
「それは分かってるわ。分かってるから困るのよ」
合理的な企画に、考案者の妙な趣味が混ざっている。
「趣味と実益を兼ねてるって素晴らしくない?」
「自分で言わないの!」
沢村の声が部屋に響いた。
〇
「……それで、実技指導は誰に頼むつもりなの?」
「春秋!」
「……東君?」
「そうそう! 春秋なら安心でしょ?」
東春秋。ボーダー最初の狙撃手であり、多くの隊員を育ててきたベテランだ。狙撃だけでなく、戦術指導にも定評がある。
今回必要なのは武器の扱いだけではない。個人の能力やトリオン量を踏まえ、戦うか逃げるかを判断する力。そして、経験の浅い者に無理をさせず教える力だ。
「……確かに、適任ね」
「でしょー!」
「でも、東君にも部隊があるでしょう?」
「日程は調整するよ。毎回全部お願いするつもりもないし」
奏真は続けた。
「それに、沢村さんも元攻撃手でしょ? 近距離での自衛行動とか、協力してもらえたら助かるんだけどなー!」
「……私も?」
「うん!」
沢村は少し考えた。
「……分かったわ。できる範囲で協力しましょう」
「おお! ありがとう、沢村さん!」
〇
数日後。
「……オペレーター向けの戦闘訓練か」
資料を読み終えた東春秋が頷いた。
「どう? 面白そうでしょ?」
「面白いかどうかはともかく、意味はあると思うぞ。ただし、実戦での戦闘能力を身につけさせるのが目的なら反対だ」
東は資料を置いた。
「トリオン量の少ない隊員にまで、戦闘員として戦うことを求めるのは無理がある。だが、自分の能力と限界を把握する訓練なら話は別だ」
「大正解!」
「お前の考えそうなことだからな」
東は資料を見直した。
「それにしても、随分細かく分析してるな。オペレーターごとの思考特性から、戦闘ポジションを予想してるのか」
「うん!」
「……これをいつからやってる?」
奏真が固まった。
「訓練のためだけに作った資料じゃないだろ」
「……趣味?」
「……そうか。相変わらずだな、お前は」
「褒められちゃった!」
「褒めてないぞ」
東は別の項目を確認した。
「表向きの発案者は沢村さんか」
「そうそう!」
「お前は裏方?」
「うん!」
「自分が勝手に分析していたことを、本人達に知られたくないわけか」
奏真の笑顔が消えた。
「……流石は春秋だねー」
「長い付き合いだからな。まあ、その辺りはお前と沢村で調整してくれ。俺は訓練の指導をするだけだ」
「じゃあ、引き受けてくれる?」
「ああ。ただし、条件がある」
「ん?」
「訓練の結果で、本人達の価値を決めるような真似はしないこと」
「もちろん!」
「オペレーターとして優秀なことと、戦闘員として優秀なことは別だ。トリオン量の問題で適性を活かせないこともある。そこを混同しないようにな」
「了解!」
「まあ、お前の予想がどこまで当たるのかは、俺も少し興味があるけどな」
「でしょー!」
「ただし、趣味に付き合う以上、指導の手抜きはしないぞ」
「勿論!」
二人は顔を見合わせて笑った。
〇
数週間後。
ボーダー本部のオペレーター達の間で、ある訓練が話題になっていた。
『オペレーター戦闘訓練』
隔月開催。参加は完全希望制。
基礎的な戦闘経験と、個人のトリオン量に応じた自衛・撤退行動を確認する。希望者には、戦闘員としての適性を確認する訓練も用意されているという。
「へえー! これ、面白そうじゃん!」
国近柚宇が募集案内を眺める。
氷見亜季が顔を上げた。
「戦闘訓練ですか?」
「そうそう! 私達が実際に戦うんだって!」
「でも、戦闘員になるための訓練ではないみたいですよ」
氷見は案内の一文を指した。
『本訓練は、戦闘員への転向を目的とするものではありません』
「あー、そういうことね! でも、自分で戦ってみるのって面白そうじゃない?」
「……そうですね。普段は戦闘員の皆さんに指示を出していますけど、自分で動いた経験はありませんし」
そこへ三上歌歩が近づいてきた。
「何の話?」
「あ、みかみか! これ見て!」
三上は案内に目を通した。
「私もちょっと気になってたんだ。せっかくだし、やってみようかな」
「よーし!」
そこへ月見蓮も現れた。
「何の話をしているの?」
国近が募集案内を見せる。
「月見ちゃんもどう?」
「……オペレーター戦闘訓練?」
月見は指導担当者の欄で視線を止めた。
『主任指導担当――東春秋』
「……東さん?」
「あっ、そうそう! 東さんが教えてくれるんだって!」
「それなら安心だよねー!」
「……そうね」
東が指導するなら、内容にも期待できる。
だが、さらに下の一文に目が留まった。
『個人の思考特性と戦闘適性の相関についても検証予定』
月見は静かに目を細めた。
(……思考特性と戦闘適性の相関、ですか)
オペレーター一人ひとりの判断傾向を分析し、戦闘員としての適性まで予測する。そんなことを好みそうな人物に、月見は一人だけ心当たりがあった。
「……月見ちゃん?」
「……いえ、何でもないわ」
月見は資料を戻した。
「私も参加するつもりよ」
「おおっ!」
国近が嬉しそうに笑う。
月見は小さく息を吐いた。
(……まさか、ね)
〇
訓練当日。
「今日はよろしく頼む」
東春秋は集まった参加者を見渡した。
「よろしくお願いしまーす!」
東は手元の資料を開く。
「今日の訓練で、誰かを一人前の戦闘員にするつもりはない。普段の仕事に必要な能力と、戦闘に必要な能力は違う。トリオン量にも差があるから、戦闘員ならできることでも、全員が同じようにできるとは限らない」
東は指を立てた。
「今日は二つ確認する。一つは、戦闘員としてどういう判断ができるか。もう一つは、実際の自分の能力で何ができるか」
資料を置く。
「この二つは必ずしも一致しない。そこを理解して帰ってもらえれば、今日の訓練には十分意味がある」
「じゃあ、始めようか」
〇
最初に呼ばれたのは国近柚宇だった。
「……射手?」
「思考特性だけで見た場合の適性候補だ」
「へえー! 私、シューター向きなんだ!」
「ただし、通常の射手運用は非現実的だ。トリオン量が1だからな」
「確かに、トリオンが足りないよねー」
「今日はまず、弾の種類や軌道を選ぶ判断が得意か確認する。その後、実際のトリオン量を前提にした訓練をする」
シミュレーションが始まった。
画面上に複数の移動標的が現れる。国近は位置、速度、障害物、攻撃のタイミングを確認し、弾道を設定した。
発射。
標的が回避した先へ、別の弾が到達する。
『命中』
「おおっ! やった!」
東は頷いた。
「判断は速い。じゃあ、条件を変えてみよう」
今度は標的が複数方向から接近し、国近自身も移動する。
国近は敵の動きを予測しながら弾道を設定したが、自分の回避まで考えると処理が追いつかなかった。
『被弾』
「あーっ!」
「どうだった?」
「相手がどう動くかは分かったんですけど、自分が動くのまで考えると大変ですね!」
「オペレーターとして複数の情報を処理することと、自分の身体を動かしながら判断することは別だからな」
「でも、これ面白いですね! なんかゲームみたいで!」
東は小さく笑った。
「楽しめているなら何よりだ」
〇
続いて、実際のトリオン量を前提にした訓練へ移った。
「国近。正面から敵が来たら、どうする?」
「逃げます!」
「どうして?」
「私のトリオン量じゃ、まともに戦うのは無理だからです!」
「じゃあ、逃げる前にできることは?」
「敵の位置を伝える。相手の装備とか、人数とか!」
「いいな。救援に来る戦闘員にも役立つ。ただし、情報を集めることに夢中になって逃げ遅れるなよ」
「……あー! 確かに!」
「自分が危険な時は話が違う。情報を集めるために危険な場所へ留まる必要はない」
国近は頷いた。
「自分がオペレーターだからって、いつも通り情報を集めようとしちゃ駄目なんだ」
「そういうことだな」
〇
次に呼ばれたのは氷見亜季だった。
「氷見は狙撃手だな」
「……スナイパーですか」
トリオン量は2。思考適性はあるものの、実際の運用には制約がある。
東は訓練用の狙撃銃を用意した。
「最初は固定標的だ。焦らずに撃ってみてくれ」
氷見は照準を合わせ、発射した。
『命中』
「氷見ちゃん、上手いじゃん!」
「……ありがとうございます」
「次は動く標的だ」
標的が横へ移動する。氷見は速度と移動先を読み、発射したが、弾は僅かに外れた。
次の標的では、撃てる位置に入ったものの、引き金を引くまでに迷い、標的は遮蔽物の向こうへ消えた。
「……難しいですね」
「今のは、どうして撃たなかった?」
「当たるかどうか、確信が持てなくて」
「当たると確信できるまで待っていたわけか。それも一つの判断だ。ただ、狙撃は撃てる時間が限られることも多い」
東は標的の移動記録を示した。
「射線に入っている間に、照準を合わせて撃つか判断しなければならない。もちろん、撃たない方がいい場面もある。だからこそ難しいんだ」
氷見は、ふと昔の光景を思い出した。
鳩原未来。かつて二宮隊に所属していた、優秀な狙撃手。
鳩原は人を撃てなかった。そのため、敵の武器を狙撃して味方を援護していた。
(……そうか)
動く相手を撃つだけでも難しい。こちらが狙っていると気づけば、相手は回避する。射撃機会も無限ではない。
そんな状況で、鳩原は敵そのものではなく、さらに小さな武器を狙っていた。
氷見は狙撃銃を見つめた。
僅かな時間で照準を合わせ、撃つか判断し、相手を傷つけず武器だけを撃ち抜く。
「……鳩原先輩。やっぱり、凄かったんだな」
「……そうだな」
隣から東が答えた。
「鳩原のことを思い出したのか?」
「はい。自分で撃ってみて、改めて思いました。あの人、あんな小さな的を、よくあんなに正確に撃てましたね」
「あいつは上手かったからな。もちろん、最初から何でもできたわけじゃない。何度も練習して、あそこまで上手くなったんだ」
氷見は頷いた。
「……もう一度、お願いします」
「ああ。何度でもやってみるといい」
再び標的が動き始める。
氷見は先ほどより少し早く引き金を引いた。弾は外れたが、その顔には納得したような表情が浮かんでいた。
東は次の標的を用意した。
〇
三上歌歩の適性候補は銃手だった。
「ガンナーかあ……なんだか不思議な感じ」
「みかみかなら上手くやれそうじゃない?」
「そうかな?」
「落ち着いてるし!」
東が笑った。
「落ち着いているのは長所だ。ただ、銃手として戦うなら射撃技術や位置取りも必要になる。トリオン量も2だから、通常の銃手と同じように戦うのは難しい」
「まずは射撃と移動を組み合わせた判断を確認してみよう」
固定標的、移動射撃、防御行動。訓練が進むにつれ、三上は苦笑した。
「……思ったより忙しいね」
移動しながら撃つと精度が落ち、照準に集中すると足元がおろそかになる。次の標的と目の前の相手、両方に注意を払わなければならない。
「いつもは戦闘員の動きを画面で確認してるけど、本人が何を見て、何を考えているのかって、全部分かるわけじゃないんだね」
「そうだな。オペレーターが把握できる情報と、現場の戦闘員が感じている情報は違う。指示を出す時は、相手が今何をしているかも考える必要がある」
「……勉強になります。これ、普段の仕事にも役立ちそうですね」
「むしろ、それが一番の収穫かもしれないな」
〇
そして、月見蓮の番が来た。
「……射手ですか」
トリオン量は4。他の参加者より装備構成に余地はあるが、トリオン量と戦闘技術は別問題だ。
「まずは基本からやってみよう」
月見は相手の進行方向、速度、回避の可能性を観察し、移動先へ弾を配置した。
『命中』
「月見ちゃん、凄い!」
「……上手いですね」
「ありがとうございます」
東は頷いた。
「攻撃を当てるだけでなく、相手の動きを制限することも考えてるな」
「……はい」
「その辺りは、やっぱり得意か」
だが、条件が変わると状況は一変した。
相手が月見へ接近する。月見は経路を塞ぎ、回避方向を限定しようとしたが、標的は想定より早く距離を詰めてきた。
「……っ!」
判断を変え、後退する。
『被弾』
「……判断自体はできていたつもりなんですが、身体が追いつきませんでした」
「相手の動きが分かっていても、自分がその通りに動けるとは限らない。特に近距離では、判断する時間そのものが短いからな」
「……もう一度、お願いします」
「ああ。やってみよう」
〇
訓練の後半、参加者達は模擬施設へ集められた。
想定は、本部施設の一部区画に敵が侵入した状況。戦闘員の救援が到着するまで、自分達の判断で行動する。
「ここからは、敵を倒す必要がない」
東は説明した。
「戦えるなら戦うという選択肢もある。だが、みんなのトリオン量や経験を考えれば、正面から戦うのは合理的じゃない。目的は生き残ることだ」
必要な情報を残し、安全な場所へ移動する。それができれば十分だった。
『訓練開始』
警報が鳴り響く。
『敵性反応確認。周辺区画に侵入の可能性あり』
「正面の通路、使えないんじゃない?」
国近が資料を確認し、氷見が頷く。
「敵の移動経路と重なっています」
三上が別の通路を指した。
「こっちから移動すれば避けられそうだけど……」
「……待って」
月見が静かに告げる。
「その通路は途中で合流しているわ。敵が向かった場合、逃げ場がなくなる可能性がある。一度、別の区画へ移動して、そこから救援側へ情報を送った方がいいと思う」
移動を始めた直後、曲がり角の先から新たな敵役が現れた。
「うわっ!?」
月見が即座に叫ぶ。
「戻って!」
参加者達が後退する。
だが、国近は僅かに遅れた。いつもの癖で、敵の位置や装備、次の行動を確認しようとしたのだ。
「国近さん!」
氷見の声で我に返り、慌てて後退する。直後、敵役の攻撃が通路を横切った。
『被弾判定――回避』
「……危なっ!」
三上が声を掛ける。
「大丈夫?」
「うん……!」
国近は苦笑した。
「これ、考えてる場合じゃない時もあるんだね」
「情報を集めるより、まず自分達が生き残ることを優先しないといけないわね」
月見の言葉に、国近は頷いた。
「これ、やってみないと分かんないこと多いなー!」
その後も、参加者達は敵との遭遇、撤退経路、情報の残し方、仲間への対応を何度も迫られた。
普段なら難しくない判断も、自分達が実行するとなると話は別だった。
戦闘員なら迎撃という選択肢がある。しかし今の自分達には難しい。敵に接触せず、必要な情報を残し、救援へ引き継ぎ、自分達は生き残る。
やがて、参加者達は救援を受けられる区画へ到達した。
『訓練終了』
「……終わったー! いやー、疲れた!」
「思っていたより難しかったですね」
氷見が頷き、三上も苦笑する。
「普段は戦闘員の人達に避難経路を伝える側だけど、自分達で動くとこんなに大変なんだね」
月見は資料を眺めた。
「でも、やっておいてよかったと思うわ。実際に経験してみないと分からないことが多かったから」
「今後のオペレーションにも役立ちそうだね」
国近はふと首を傾げた。
「それにしても、この訓練、誰が考えたんだろうね?」
「沢村さんじゃないの?」
「いや、そうなんだけど! 私達の適性とか、やたら細かく考えられてなかった?」
「……そうね」
月見は小さく息を吐いた。
「こういうことを、頼まれてもいないのに延々と考えていそうな人間なら、一人だけ」
国近は数秒考えた。
「……あっ!」
〇
訓練終了後。
東春秋は結果をまとめた資料を眺めていた。その隣には沢村響子、そして満面の笑みを浮かべる城戸奏真。
「面白かったねー!」
「お前、本当に楽しそうだな」
「そりゃもう! 予想と違うところ、いっぱいあったし!」
「例えば?」
「国近! 情報処理能力は予想通りだったけど、身体を動かしながら複数の判断をするところで苦戦してたねー!」
「ただ、敵から逃げる判断は早かった。自分が戦えないことも理解している」
「だから、戦闘員としての適性と自衛能力は分けて評価した方がいいねー!」
奏真は次の資料を取り出した。
「氷見も面白かったなー!」
「狙撃手?」
「そうそう! 落ち着いて判断できるところは予想通り。でも、引き金を引くまでの時間は想定より少し長かったかな」
「経験の差もあるだろうな。ただ、考え方自体は悪くなかった」
「問題は、実際のトリオン量と継戦能力の方だねー!」
東がふと思い出したように口を開いた。
「氷見は途中で鳩原のことを思い出していたぞ」
「……鳩原?」
「ああ。自分で狙撃してみて、改めて技術の高さが分かったみたいだ」
「……それは良かったねー」
東は続けた。
「鳩原がやっていたことは、狙撃手の中でも相当難しい部類だからな」
「本人は悩んでたみたいだけど、技術は本当に凄かったからね」
それ以上、二人は何も言わなかった。
今ここにいない彼女について、軽々しく語る必要はない。
ただ、かつての仲間が今もその技術を覚えている。それだけで十分だった。
〇
数日後。
城戸奏真は本部の廊下を歩いていた。
「いやー、いい結果だったねー!」
参加者達は戦闘員としての経験から多くを学び、実際のトリオン量を前提とした自衛行動にも改善点が見つかった。
何より、全員が自分の能力と限界を以前より具体的に理解できた。
「……奏真さん」
「……おっ!」
目の前に月見蓮が立っていた。
「先日の訓練についてなんですが」
奏真の笑顔が僅かに固まる。
「沢村さんに聞いた方がいいんじゃないかなー?」
「では、一つだけ」
「ん?」
「非常によく考えられた訓練だったと思います」
「……へえ」
「実際に戦闘員として動いてみて、普段のオペレーションでは気づきにくい問題点が分かりました」
「そっか! それは良かったねー!」
「ええ。ところで、国近の射手適性、面白い分析でしたね」
奏真が固まった。
「……え?」
「思考特性としては向いている。でも、実際のトリオン量では運用が難しい。それに、仮想訓練では身体操作との両立にも課題があったようですし」
奏真はゆっくり目を逸らした。
「……何の話かなー?」
「もう分かっていますよ。あの訓練、あなたが考えたんでしょう?」
沈黙の後、奏真は困ったように笑った。
「……違うんじゃないかなー?」
「では、そういうことにしておきます」
「おお!」
「ただし、一つだけ。自分達のことを勝手に分析されて、嫌がる人がいるかもしれないと考えたんですよね?」
奏真は固まった。
「……まあ、そうだねー」
「少なくとも私は、不快には思いませんでした。自分では気づいていなかった部分もありましたし、参考になりましたから」
「そっか!」
「ただ、これだけの分析ができるなら、もっと別のところでも活かせると思うんですけどね」
「……え?」
「いえ。何でもありません」
「えー!? 気になるんだけど!?」
「気にしなくて結構です」
奏真は慌てたように笑った。
「月見、それ絶対怒ってるやつでしょ!?」
「……どうでしょうね」
月見は小さく息を吐いた。
「……奏真さん」
「ん?」
「次回も参加するつもりです」
「……おっ! 本当!?」
「はい。勉強になりましたから」
「いやー、良かった良かった!」
月見は少し目を細めた。
「ところで、今回の訓練、あなた自身も随分と楽しんでいたんじゃないですか?」
奏真が固まる。
「あはは! そりゃもう! めちゃくちゃ楽しかったよー!」
「……でしょうね。本当に、あなたらしいです」
〇
こうして、オペレーター戦闘訓練は無事に初回を終えた。
参加者達は普段のオペレーションとは異なる視点を経験し、自分のトリオン量でどこまで戦えるのか、あるいは戦わない方がよいのかを知ることができた。
沢村は報告書を眺めながら頷いた。
「……悪くない結果ね」
「でしょー! やって良かったねー!」
「次回も、希望者がいれば実施しましょう」
「おおっ!」
「ただし、今回の結果を踏まえて内容を修正すること」
「もちろん! もう考えてるよー!」
沢村は机の上を見た。
『第二回オペレーター戦闘訓練・改訂案』
『個人別戦闘適性再評価』
『トリオン量別・実運用可能性比較』
『自衛行動における判断傾向分析』
「……これ、全部あなたが作ったの?」
「そうだよー!」
「……いつ?」
「昨日!」
沢村は深く息を吐いた。
「……本当に、楽しんでるわね」
「そりゃもう! だって、俺の予想が結構外れてたんだよ!?」
「普通、それは残念がるところじゃないの?」
「だって、予想が全部当たってたら、訓練してもらった意味ないじゃん! 新しいことが分かったんだから、むしろ嬉しいでしょー!」
沢村はしばらく奏真を見ていた。
「……まあ、そうね。少なくとも、訓練を続ける意味はありそうだわ」
「でしょー!」
その時、沢村は資料の山の下から別のファイルを見つけた。
「……城戸君。これは?」
表紙には、こう書かれていた。
『戦闘員オペレーターシミュレーション訓練・構想案』
「……戦闘員が、オペレーターを?」
「そうそう! 今回、オペレーターに戦闘員を経験してもらったでしょ? だから逆に、戦闘員にオペレーターを経験してもらったらどうなるのかなーって!」
沢村はゆっくり目を閉じた。
「……それは、まだ実施しないからね?」
「分かってるよー! まだ構想してるだけ!」
「ちなみに、何ページあるの?」
「まだ八十六ページ!」
「……『まだ』って、何?」
「これから増えるかなーって!」
「増やさなくていいの!」
沢村の声が資料室に響いた。
なお、この新たな構想が実際に訓練として実施されるかは、まだ誰にも分からない。
ただし、一つだけ確かなことがある。
後方要員の自衛能力を高めたいという、城戸奏真の考えは本物だった。
そして同時に、そのための訓練を本人が誰よりも楽しんでいることも、また事実だった。
城戸奏真の趣味は、今日も実益を兼ねている。
ただし、各部隊付きのオペレーター達の戦闘員適性資料だけで一人につき大学の赤本程度の量になるのは趣味とはいえ流石の奏真も秘密にしているのであった。