No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
城戸正宗は、基本的に約束を守る男である。
もちろん、ボーダー最高司令官という立場上、全ての約束を必ず果たせるわけではない。防衛任務や会議が急遽入ることもあれば、そもそも時間を確保できないこともある。
だが、実行できる見込みが立った約束を、理由もなく反故にするような人間ではなかった。
そして先日、第二回ボーダー炒飯大会の終わり際に、甥の奏真から久しぶりに豚骨醤油ラーメンを食べたいと言われた時も、確かにこう答えている。
『……時間が取れればな』
もっとも、そのラーメンは、思いつきで作れるようなものではない。
豚骨の下処理から始まり、スープ、醤油ダレ、香味油、焼豚の仕込み。今回は麺も自家製にするつもりであり、全てを完成させるには時間を要する。
ましてや、本部食堂で提供するとなれば、数人分を作るのとは勝手が違った。
食堂の責任者と相談し、厨房の設備や使用時間について調整を済ませた城戸だったが、最後に一つだけ確認しておきたいことがあった。
必要な食数である。
そこで城戸は、ある人物を司令室へ呼び出した。
「失礼しまーす」
「入れ」
扉を開けたのは迅悠一だった。
「どうしました、城戸さん。わざわざ呼び出すなんて珍しいですね」
「迅。私が言いたいことは分かるか?」
「え?」
迅は城戸の顔を見ると、何かに気づいたように目を瞬いた。次の瞬間、堪えきれなくなったように笑い始める。
「あはは! 本当に作るの!? 城戸さん!?」
「何がおかしい」
「いや、だって! この間のラーメン、本当に作るんですね!」
「約束したからな」
城戸が当然のように答えると、迅はますます楽しそうに笑った。
「なるほどねー。で、俺を呼んだ理由も分かりましたよ」
「そうか」
「何人分仕込めばいいか、でしょう?」
「ああ」
城戸は机の上に置かれた見積もりを示した。
「材料も設備も、ある程度の余裕は持たせてある。しかし、数量限定で提供する以上、不足して騒ぎになるのは避けたい」
「それで俺に材料の量を聞くのか。まあ、効率的といえばそうですね」
「先日の炒飯大会でも随分と騒がれた。ラーメン一杯のために職務へ影響が出るのも面倒だからな」
「ははっ! いやー、最高司令官がそこまで真剣にラーメンの提供数を考えてるなんて、なかなか見られない光景ですよ」
「……で、どうなんだ?」
「ちょっと待ってくださいね」
迅は笑いを収めると、軽く顎に手を当てた。
彼の未来視は、確定した未来を一つだけ映し出すものではない。幾つもの可能性が見えることもあれば、本人や周囲の行動によって、その先の光景が変わることもある。
ましてや、今回は敵の襲撃でも防衛任務でもない。
ラーメンの必要量である。
「んー……ちょっと、一番可能性が高くて、多く出る方の未来で確認しますよ」
迅はしばらく何かを確かめるように視線を動かした。
そして、数秒後。
「あー……」
何とも微妙な声が漏れた。
「……何だ?」
「城戸さん」
「ああ」
「……三倍です」
「三倍?」
城戸の眉が僅かに動く。
「はい。皆が満足するには、城戸さんの想像してる三倍はいりますね……」
既に相当な余裕を持って見積もったつもりだった。その三倍となれば、随分な量である。
しかし、迅がそう言うのであれば、理由もなく否定するつもりはなかった。
「……そうか。呼び出して悪かったな」
「いえいえ。俺も楽しみなんで」
「ラーメンを食うのに、そんなに楽しみになるのか?」
城戸が不思議そうに尋ねる。
迅は、にっこりと笑った。
「まあ、楽しみですよね。俺、開店前に並ぶんで」
「…………」
城戸はしばらく迅を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……好きにしろ」
「はーい。じゃ、当日よろしくお願いしまーす」
迅が去った後、城戸は修正した見積もりを眺め、食堂の責任者へ連絡を入れた。
追加の食材、仕込み量、製麺設備の使用時間、当日の配膳体制。再調整が必要な項目は少なくなかったが、やると決めた以上は手を抜くつもりもない。
その結果、これから三日間、本部食堂の厨房では、本来の時間より二時間ほど早く閉店して最高司令官が豚骨スープの仕込みを指揮するという、実に奇妙な光景が繰り広げられることになった。
もっとも司令は作るなら本気のスタイルなので、勤務時間外にラーメン作りで残業する事になっているのだが、それは食堂の職員しか知らない。
〇
そして、提供当日。
本部食堂の入口には、一枚の案内が掲示されていた。
『本日の特別メニュー』
『三日仕込み・豚骨醤油ラーメン』
『数量限定』
それ自体は、ごく普通の特別メニューの案内だった。
問題は、その前に立っている人物である。
「……迅?」
開店十五分前、廊下を歩いていた忍田真史は、食堂の入口に立つ男を見つけて足を止めた。
「お、忍田さん。おはようございまーす」
「何をしている?」
「並んでるんですよ」
「……何にだ?」
「ラーメンです」
忍田が案内を確認する。
そして、もう一度迅を見る。
「……まさか」
「そのまさかですよ。城戸さん、今日出すんですって」
「…………」
数秒間、沈黙が流れた。
「……そうか」
忍田はそう答えると、迷うことなく迅の後ろへ並んだ。
「あはは! 即決ですね、忍田さん」
「当然だ」
実に真面目な返答だった。
その直後、林藤匠が廊下の向こうから姿を現した。
「おーい、忍田。何やってんだ、こんなところで」
しかし、案内と二人の姿を確認した途端、足を止める。
「……おい」
「……ああ」
「……今日か?」
「……今日だ」
「……マジか」
林藤も、それ以上何も聞かずに並んだ。
その一連の動作があまりにも自然だったため、迅はとうとう声を上げて笑い始めた。
「二人とも、本当に楽しみにしてたんですね」
「お前、あれを食ったことねえから分かんないんだよ」
林藤が肩を竦める。
「昔、忍田と二人でどこの店のラーメンなのか探して回ったくらいだからな」
「そんなにですか」
「そんなにだ」
忍田が短く答えた。
それから、三人は静かに扉が開くのを待ち始めた。
ただし、その姿を目撃した隊員達は、当然ながら静かではいられなかった。
迅悠一がいる。
忍田本部長がいる。
林藤支部長までいる。
しかも、全員が食堂の開店を待っているのである。
何事かと足を止め、案内を確認する者が現れた。
事情を聞いた者が列へ並ぶ。
さらに、その列を見た別の者が並ぶ。
気がつけば、食堂の前には開店前とは思えない行列が出来上がっていた。
〇
「……あれ?」
三雲修が足を止めた。
隣にいた遊真と千佳も、列の先頭へ視線を向ける。
「迅さん?」
「お、メガネくん。おはよー」
「何してるんですか?」
「ラーメン待ち」
「……ラーメン?」
修は案内を見て、目を瞬いた。
「……あ、城戸司令の!」
「そうそう。この間のラーメンね」
先日の炒飯大会で、忍田と林藤があれほど熱心に語っていた豚骨醤油ラーメン。
その当人達が開店前から並んでいるのだ。
修は少し考えてから三人へ振り返った。
「……遊真、千佳、ヒュース、僕達も並ぼうか」
「いいと思うぞ、オサム」
「事前の評判を聞いている、楽しみだ」
「うん」
千佳も素直に頷いた。
こうして玉狛第二の四人が列へ加わると、さらに諏訪や生駒達まで並び始めた。
そして、その光景を見た別の隊員が、また列へ加わっていく。
行列が大きくなればなるほど、何のために並んでいるのか気になる者が増える。
その結果、開店時刻が近づく頃には、食堂の前はちょっとしたイベント会場のようになっていた。
「……お?」
ようやく姿を現した奏真は、目の前の光景を見て足を止めた。
「……何これ?」
「ラーメンの列ですよ」
迅が笑いながら答える。
「……ラーメン?」
奏真は案内を見る。
そして。
「……ええ!? 叔父さん、今日作るの!?」
「そうみたいですねー」
「マジで!? やったー!」
顔を輝かせた奏真は、早速最後尾へ向かった。
しかし、途中でもう一度列を眺め、思わず笑い出す。
「……いや、長っ!」
「あはは。大人気ですね」
「迅、お前いつから並んでたの?」
「十五分前からですよ」
「早っ! ラーメンのために未来視使ってんの!?」
「まあ、ちょっとね」
「……お前なあ!」
呆れたように笑いながらも、奏真は実に嬉しそうだった。
子供の頃から大好きだった叔父のラーメン。
それが今日、食堂で食べられるというのだから、多少待つことなど苦にならない。
〇
やがて開店時刻になり、食堂の扉が開いた。
食券機の前には早速、人だかりができる。
その中で、修はラーメンの食券を購入すると、少し離れた場所に立つ千佳へ振り返った。
「千佳、食券買えた?」
「うん」
「……良かった。それじゃ……」
そこまで言いかけたところで、修は千佳の手元に目を留めた。
何故か、食券が五枚ある。
「……千佳?」
「何?」
「……それ、全部千佳の?」
「うん」
千佳は頷いた。
「ラーメンが一枚と、大ライスが四枚」
「…………」
修は数秒間、何も言えなかった。
「……大ライス、四枚?」
「うん」
「……四人分じゃなくて?」
「私のだよ?」
「…………」
修は遊真とヒュースへ視線を向けた。
遊真とヒュースも千佳の手元を見る。
そして、感心したように頷いた。
「ほほう。チカはやる気だな」
「まぁ普段のチカより少し多めか」
「……いや、遊真、ヒュース」
修は小声で尋ねた。
「……大ライス四杯って、結構な量だよね?」
「そうだな」
「……食べられるのかな?」
「チカなら食べるんじゃないか?」
「…………」
その会話が聞こえたのか、千佳が不思議そうに首を傾げた。
「……おかしい?」
「い、いや! そういうわけじゃないんだけど……」
修が慌てると、千佳は少し照れたように笑った。
「お米好きですから」
「…………」
あまりにも自然な返答だった。
修はそれ以上、何も言えなかった。
そこへ、後ろから諏訪が声をかける。
「おい、三雲。お前、ライス買ったか?」
「あ、いえ。まだです」
「だったら買っとけ。豚骨醤油なら絶対合うぞ」
「……ああ、そうですね」
「大ライスだぞ、大ライス」
諏訪が念を押すと、横にいた出水が不思議そうに首を傾げた。
「いや、豚骨醤油って家系ラーメンでしょ? 買わない手は最初からないでしょ」
「……出水」
「何すか?」
「豚骨醤油は家系ラーメンじゃないぞ」
「ええ!?違うんですか!?」
「まぁ豚骨醤油のジャンルの中に家系ラーメンがある感じだからな、ハウンドとバイパー位違う」
「全然違うじゃないっすか」
「まぁでも匂いからして家系に近いとは思うから大ライスはありだと思うぞ」
そんなやり取りをしていたところへ、遊真が千佳を指差した。
「でも、チカは大ライス四枚買ってるぞ」
「…………」
諏訪の動きが止まった。
「……四枚?」
「うん」
千佳が頷く。
「お米好きなので」
「…………」
諏訪はしばらく千佳を見つめた。
そして、ゆっくりと修へ向き直る。
「……修」
「……はい」
「……お前んとこのスナイパー、すげぇな」
「……僕も今、そう思ってました」
その横で出水が腹を抱えて笑い始めた。
「いやー、四枚は考えなかったわ!」
当の千佳だけが、何がおかしいのか分からない様子で首を傾げていた。
〇
一方、その頃。
行列の最後尾付近では、別の騒動が起きていた。
「……だから、何で私まで並ばなきゃいけないわけ?」
不機嫌そうに口を開いたのは、冬島隊のオペレーター、真木理佐だった。
その隣には冬島慎次がいる。
「まあまあ、そう言うなって。騙されたと思って一回食べてみて!」
「……その言い方、全然信用できないんだけど」
「いや、ホントだって!」
冬島は笑いながら食堂の案内を指差した。
「三日仕込みだって噂だよ? しかも、あの城戸司令が自分で作ってるんだってよ」
「……だから?」
真木は冷ややかに返した。
「料理って、肩書きで美味しくなるの?」
「いや、そういう意味じゃねえけどさ」
「だったら、何でそんなに勧めるわけ?」
「美味いからだよ」
「……食べたの?」
「まだ」
「…………」
真木の目が細くなった。
「……冬島君」
「……はい」
「食べてもいないものを、よくそこまで勧められるね?」
「いやいや! 忍田さんと林藤さんがあんなに並んでるんだぞ!?」
冬島は慌てて説明した。
「それに、迅まで開店前から待ってたんだ。あいつが楽しみにしてるってことは、相当なもんだろ?」
「……未来視をラーメンのために使ってるってこと?」
「まあ、そうなるな」
「……馬鹿馬鹿しい」
真木はため息を吐いた。
ラーメン一杯のために行列へ並ぶなど、普段なら真っ先に却下する提案だった。
特に今日は、やりたいことも残っている。
しかし、冬島は珍しく引き下がらなかった。
「なあ、真木ちゃん。一回だけ。頼むって」
「…………」
真木は冬島を見た。
そして、その後ろに続く長い行列を見る。
「……分かった」
「おっ!」
「一回だけね。大したことなかったら、次からこういうのに付き合わせないで」
「任せろって!」
嬉しそうに頷く冬島に、真木はもう一度ため息を吐いた。
この時点では、完全に付き合いで並んでいるだけだった。
〇
最初の一杯を受け取った迅は、しばらく目の前の丼を眺めていた。
深みのある茶褐色のスープ。その表面には細かな油が浮かび、豚骨と醤油、香味油の香りが湯気とともに立ち上っている。
少し太めの麺に、丁寧に仕上げられた焼豚、ほうれん草、海苔、味玉。
見た目は実に堂々とした豚骨醤油ラーメンだった。
「……おお」
迅はレンゲを手に取り、まずはスープを一口飲んだ。
「…………」
動きが止まる。
濃厚な豚骨の旨味が、舌の上にゆっくりと広がっていった。
しかし、決して重たすぎるわけではない。骨から丁寧に引き出された旨味を醤油ダレが引き締め、香味油が豊かな香りを加えている。
濃厚なのに、後味は驚くほど綺麗だった。
迅はもう一口飲むと、今度は麺を持ち上げる。
歯を入れた瞬間、適度な弾力が返ってきた。噛むほどに小麦の香りが広がり、濃厚なスープと混ざり合う。
続いて焼豚。
脂と赤身のバランスが良く、口に入れるとほろりとほどけた。
「……いや」
迅は小さく息を吐いた。
「……これは凄いな」
隣に座った忍田と林藤が顔を上げる。
「どうだ、迅」
林藤が尋ねると、迅は少し考えてから口を開いた。
「今まで食べたラーメンで……」
一度言葉を切る。
「……いや、今まで食べた料理の中で、一番美味しいかもしれません」
「……そこまでか」
忍田が目を瞬く。
しかし、迅は大袈裟に言ったつもりはなかった。
「豚骨の旨味がしっかりしてるのに、全然しつこくないんですよ。麺もスープに負けてないし、焼豚まで完璧に近い。どれか一つが目立つんじゃなくて、全部が上手くまとまってるんです」
迅は嬉しそうに笑った。
「いやー、参ったなあ。これは本当に美味しい」
そんな迅の横で、忍田もスープを口へ運ぶ。
「…………」
一口、そしてもう一口。
「……美味い」
短い言葉だった。
続いて麺を啜った忍田は、僅かに眉を動かした。
「……林藤」
「ん?」
「……以前食べた時より、美味くなっていないか?」
林藤も改めてスープと麺を味わう。
「…………」
そして、思わず笑い始めた。
「……おいおい、マジかよ」
かつて忘れられなかった、あの豚骨醤油ラーメン。
その味を求めて何軒もの店を探した記憶が、今でも鮮明に残っている。
だが、目の前の一杯は、その記憶よりもさらに完成度が高かった。
「……城戸さん、腕上げてんなあ」
「それだけではないな」
忍田が麺を持ち上げる。
「……この麺、自家製ではないか?」
「……あ?」
林藤はもう一度麺を口に入れた。
そして。
「……うわ、マジだ」
驚いたように笑った。
「これ、麺まで作ってんのか!?」
「おそらくな」
「……何やってんだよ、城戸さん」
呆れたように言いながらも、林藤の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
その後、二人はほとんど無言で箸を進めていたが、やがて林藤が大ライスへ手を伸ばした。
海苔をスープへ浸し、たっぷりと味を含ませる。
それを白飯の上へ乗せ、包むようにして口へ運んだ。
「…………!」
林藤の目が見開かれた。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
「……これだわ」
忍田も同じように白飯を口へ運んだ。
「……ああ」
静かに頷く。
「……大ライスで正解だったな」
「普通のライスじゃ足りねえよ、これ」
迅も二人に倣って海苔とご飯を口へ運ぶ。
そして。
「…………!」
一瞬、動きが止まった。
「……うわー」
思わず笑ってしまう。
「……これ、反則だなあ」
スープを吸った海苔と熱い白飯。
濃厚な豚骨醤油の旨味が、白飯の甘さによってさらに引き立っている。
迅は満足そうに頷いた。
「……城戸さん、三倍仕込んで正解ですね」
〇
その頃には、他のオペレーター達も続々とラーメンを受け取っていた。
「……うわー、いい匂い!」
国近柚宇は丼へ顔を近づけると、嬉しそうに笑った。
「これ、食堂のラーメンなのに凄いねー」
「食堂のラーメンというより、専門店のラーメンみたいですね」
宇佐美栞も、目の前の一杯を興味深そうに眺めていた。
「……いただきまーす」
国近が麺を啜る。
そして、一瞬だけ固まった。
「…………」
「……国近ちゃん?」
宇佐美が不思議そうに尋ねる。
国近は無言のまま、もう一口食べた。
さらにスープを飲む。
「…………」
「……国近ちゃん?」
「……これ」
「……うん?」
「……ゲーム止めてでも食べる価値あるわ」
「…………」
宇佐美が目を瞬いた。
「……それ、国近ちゃんとしては最大級の褒め言葉じゃない?」
「うん」
国近は真剣な顔で頷いた。
「いや、マジで美味しい。何これ」
宇佐美もスープを口に運ぶ。
そして、すぐにその意味を理解した。
「……あー」
小さく息を吐く。
「……これは確かに凄いですね」
濃厚なスープと麺の相性もさることながら、具材の一つ一つまで丁寧に作られている。
どれを先に食べても美味しい。
しかも、一口ごとに違う良さが感じられる。
「……奏真先輩があんなに楽しみにしてた理由、分かりました」
「だよねー」
国近は嬉しそうに頷いた。
「これ、毎日食べたいなあ」
「……毎日はさすがに大変じゃない?」
隣にいた氷見亜季が苦笑する。
氷見も既にスープを飲み、麺を食べ進めていた。
「でも、本当に美味しいですね。濃厚なのに、食べ続けても飽きないというか……」
「……ええ」
月見蓮も静かに頷いた。
普段は落ち着いて食事をする月見だったが、今日は珍しく箸が止まらない。
「最初はスープの濃さに驚きましたが、麺とのバランスが非常にいいですね」
「でしょー?」
国近が笑う。
「あと、この味玉も美味しい!」
「……確かに」
氷見が頷いた。
「味がしっかり染みているのに、濃すぎないんですよね」
宇佐美は笑いながら言った。
「何か、皆で分析会みたいになってない?」
「……職業病かもしれませんね」
月見の返答に、全員が笑った。
ただ、普段なら真っ先に口を挟みそうな国近が、すぐに麺へ戻ったことからも、そのラーメンの美味しさは十分に伝わっていた。
少し離れた席では、小佐野瑠衣が諏訪の様子を見て笑っていた。
「……すわさん、さっきから全然喋んないねー」
「……ん?」
諏訪は麺を啜ってから顔を上げた。
「……何だよ」
「いや、珍しいなーって」
「……美味いもん食ってる時くらい、静かにしてもいいだろ」
「……あはは!」
小佐野は笑いながら自分のスープを飲む。
「でも、ほんと美味しいねー。これなら大ライス頼みたくなるのも分かるかも」
「だろ?」
諏訪が頷く。
その隣では、細井真織が生駒と一緒にラーメンを食べていた。
「……いや、これホンマに凄いな」
生駒が感心したように呟く。
「……美味しいなあ」
細井も素直に頷いた。
「こんなに濃いのに、全然くどくない」
「そうやろ? 米ともめっちゃ合うで」
「……ほんまや」
細井がスープを飲んだ後に白飯を一口食べる。
そして、思わず笑った。
「……あかん。これ、箸止まらんわ」
「せやなあ」
生駒は大きく頷いた。
「……なあ、これ店出せるで?」
「……いや、城戸司令ですよ?」
「そこが問題やねんなあ」
「……何が問題なん?」
「何で司令官やってはるんやろ」
「……そら司令官やからやろ!」
細井の即座の突っ込みに、生駒は何故か感心したように頷いた。
「……なるほどな」
「……何に納得したん!?」
そのやり取りを聞いていた小佐野と諏訪まで笑い始めた。
〇
一方、冬島に連れられてようやくラーメンを受け取った真木理佐は、目の前の丼を冷静に眺めていた。
立ち上る湯気。
濃厚な豚骨の香り。
見た目は悪くない。
むしろ、かなり美味しそうではある。
だが、それだけで評価するつもりはなかった。
「……じゃ、食べてみるか」
冬島が楽しそうに箸を手に取る。
真木は一度ため息を吐いた。
「……これで普通のラーメンだったら、本当に怒るから」
「まあまあ。まずは一口食べてみなって」
「……はいはい」
真木はレンゲを持ち、スープを掬った。
そして、口へ運ぶ。
「…………」
動きが止まった。
最初に広がったのは、濃厚な豚骨の旨味だった。
しかし、ただ濃いだけではない。口の中に残る雑味がほとんどなく、醤油の香りがきちんと主張している。
その後を追うように、香味油の風味がふわりと広がった。
「…………」
真木はもう一度スープを飲む。
今度は、少しゆっくりと味わうように。
そして、麺を持ち上げた。
一口。
「…………」
さらに、もう一口。
「…………」
冬島が不思議そうに首を傾げる。
「……真木ちゃん?」
「…………」
「……どう?」
真木は答えなかった。
代わりに、焼豚を一枚口へ運んだ。
噛んだ瞬間、柔らかい肉がほどけ、醤油ダレの旨味が広がる。
「…………」
それから、スープをもう一口。
そしてようやく、箸を置いた。
「……冬島君」
「……おう?」
「……これ」
真木は少しだけ間を置いた。
「……めちゃくちゃ美味しいんだけど」
「……おお!」
冬島の顔が輝いた。
「だろ!?」
「……いや、何これ」
真木は改めて丼を見つめた。
「スープの完成度が高すぎる。濃厚なのに雑味が少ないし、醤油の香りもちゃんと残ってる。麺もスープに負けてない」
いつもと変わらない、冷静な分析口調だった。
しかし、その声には明らかな驚きが混ざっていた。
「……しかも焼豚まで美味しい。何これ、全部自分で作ったの?」
「そうらしいぞ」
「…………」
真木はもう一度スープを飲んだ。
そして、小さく息を吐く。
「……腹立つくらい美味しい」
「ははは!」
冬島が笑い始める。
「いやー、連れてきて正解だったな!」
「……そこは認める」
「おっ!」
「……悔しいけど、本当に美味しい」
真木はそう言うと、今度は海苔をスープへ浸した。
少しだけ考えてから、白飯と一緒に口へ運ぶ。
「…………!」
再び動きが止まった。
「……あ」
「……ん?」
「……これ、ご飯も必要だわ」
「……だろ?」
冬島が嬉しそうに笑う。
真木はそれを横目で見ながら、静かに言った。
「……一つだけ言っておくけど」
「……何だ?」
「次にこういうのがあったら、最初から教えて」
「……お?」
「……並ぶ時間くらい調整するから」
「…………」
冬島は目を瞬いた。
そして、とうとう声を上げて笑い始めた。
「ははは! 真木ちゃん、そんなに気に入ったのか!」
「……うるさい」
真木は短く答えた。
ただし、その後も箸を止めることはなかった。
〇
「……あれ、真木さん?」
そんな二人の近くに、三上歌歩がやって来た。
手には、出来立ての豚骨醤油ラーメンが載っている。
「……三上」
真木が顔を上げた。
三上は嬉しそうに笑う。
「真木さんも食べに来たんですね」
「……まあ、付き合いでね」
真木は何でもないことのように答えた。
「……そうなんですか?」
「冬島君に、騙されたと思って食べろって言われて」
「……あはは」
三上は小さく笑った。
「でも、凄く美味しそうですよね。私、豚骨ラーメン好きなので、ずっと楽しみにしてたんです」
「…………」
真木は、三上の丼を見た。
そして。
「……三上」
「はい?」
「……早く食べた方がいい」
「……え?」
「……冷めるともったいないから」
三上は少し驚いたように目を瞬いた。
それから、にっこりと笑う。
「……はい!」
早速スープを一口飲む。
「…………!」
その表情が、ぱっと明るくなった。
「……美味しい!」
「……でしょ」
真木が小さく頷く。
三上はもう一口飲むと、嬉しそうに笑った。
「これ、本当に美味しいですね! 豚骨の味がしっかりしてるのに、全然重たくないです」
「……そうなのよ」
真木は珍しく、素直に同意した。
「醤油の香りも潰れてないし、麺の出来もいい。これだけ濃厚なスープだと、普通はどこかに無理が出そうなものだけど……」
「……はい」
「……全部、上手くまとまってる」
三上は真木の顔を見ると、少し嬉しそうに笑った。
「真木さんも、気に入ったんですね」
「…………」
真木は一瞬だけ黙った。
そして、あっさりと頷く。
「……ええ。これは気に入った」
「……良かったです!」
三上が嬉しそうに笑った。
その様子を見ていた冬島は、何故か満足そうに腕を組んでいた。
しかし。
「……冬島君」
「……はい」
「……何でそんなに得意そうなの?」
「……いや、何でもないです」
「……ならいいけど」
真木は再びラーメンへ視線を戻した。
もう余計な話をするつもりはないらしい。
それから暫くの間、三人の席には、麺を啜る音だけが響いていた。
〇
食堂の別の一角では、仁礼光がラーメンを食べながら、影浦隊の面々へ視線を向けていた。
「……どう?」
尋ねると、影浦は短く答えた。
「……美味ぇ」
「……だよね」
仁礼も頷く。
「これ、本当に食堂で出していいレベルなの?」
ゾエが笑う。
「いやー、凄いねえ。俺、もう一杯食べたいくらいだよ」
「……残ってるなら買えば?」
「……いや、行列がねえ」
「……そこは我慢しなさいよ」
仁礼は呆れたように返しながらも、もう一度麺を啜った。
そして、小さく呟く。
「……でも、確かにもう一杯食べたいわ」
少し離れた場所では、武富桜子が興奮した様子で感想を語っていた。
「いやー! これは凄いですね! 城戸司令が作った三日仕込みの豚骨醤油ラーメン! 噂以上の美味しさです!」
その勢いに、近くにいた隊員が思わず笑う。
「……武富さん、実況みたいになってますよ」
「あっ、すみません! つい!」
しかし、桜子はすぐに丼へ目を落とし、嬉しそうに続けた。
「でも、本当に美味しいんです! スープも麺も、全部丁寧に作られてるのが分かります!」
その声を聞いた奏真が、少し離れた席から笑いながら声をかける。
「タケミッフィー、食レポ上手いねー!」
「ええ!? そ、そうですか!?」
「うんうん。今度食堂のメニュー紹介とかやってみたら?」
「……それ、ちょっと面白そうですね!」
すっかり乗り気になった桜子に、周囲からまた笑い声が上がった。
〇
そして、その日、最も周囲を驚かせていたのは、やはり雨取千佳だった。
「…………」
修は、向かいの席を見つめていた。
千佳の前には、既に空になった大ライスの器が二つ置かれている。
そして、三杯目を食べているところだった。
ラーメンの麺も、当然ながらきちんと食べ終えている。
「……千佳」
「何?」
「……お腹、大丈夫?」
「うん」
千佳はにっこりと笑った。
「凄く美味しいよ」
「……そ、そっか」
修は少しだけ安心した。
しかし、その直後。
「……オサム」
遊真が声をかける。
「……ん?」
「……チカ、四杯目取りに行ったぞ」
「…………」
修が振り返る。
確かに千佳は、最後の大ライスの食券を手に配膳口へ向かっていた。
「…………」
思わず目を瞬く。
その様子を見ていた諏訪が笑い始めた。
「いやー、すげぇな。大ライス四杯かよ」
「……僕も驚いてます」
修が苦笑する。
その隣では、遊真が実に感心したように頷いていた。
「チカはお米が好きだからな」
その横でヒュースはラーメンに浸っていた
「……ユウマ、ミデンのラーメンというのは凄まじいな」
「いやヒュース、ボスも言っていたけどコレは多分最上級クラスだぞ」
「何?……ミデンは末恐ろしい……」
そんな会話をしていた近界民達は大層ラーメンが気に入ったようである。
やがて、四杯目の大ライスを受け取った千佳が戻ってくる。
そして、何事もなかったように席へ座った。
「……お待たせ」
「……うん」
修は少しだけ考えた。
それから、思い切って尋ねてみる。
「……千佳、そんなにお米が好きだったんだね」
「うん」
千佳は嬉しそうに頷いた。
「お米好きですから」
「…………」
実に素直な返答だった。
その横で遊真が、満足そうに頷く。
「うむ。好きなものをたくさん食べられるのは、良いことだな」
「……まあ、それはそうだね」
修も苦笑した。
ちなみに、その様子は食堂の職員達にも目撃されていた。
ラーメンの注文が予想以上に多いことは、既に把握していた。
しかし、まさか一人で大ライスを四杯注文する隊員がいるとは、想像していなかったらしい。
「……あの子、小さいのによく食べるわねえ」
職員の一人が感心したように呟く。
その隣で、別の職員が頷いた。
「……本当にねえ」
なお、千佳本人は終始、とても幸せそうだった。
〇
その頃、厨房の奥では、城戸が食堂の職員から報告を受けていた。
「……城戸司令」
「何だ」
「ラーメンの提供は順調です。追加で用意した分も、予定通り出ています」
「……そうか」
「ただ……」
職員は少しだけ言いづらそうに続けた。
「……大ライスの注文が、予想以上に増えています」
「…………」
城戸の手が止まった。
「……大ライス?」
「はい」
「……何故だ」
「……最初に食べた方々が、ラーメンと一緒に大ライスを注文された方がいいと話されていたようで……」
城戸は少しだけ考えた。
確かに、あのスープは白飯との相性が良い。
海苔を浸して白飯と食べてもいいし、焼豚と合わせても美味い。
しかし、ラーメンの提供数ばかり気にしていたところへ、今度は米の注文が想定以上に増えたらしい。
「……米の在庫は?」
「まだ余裕があります」
「……ならば問題ない。通常メニューへ支障が出ないようにしてくれ」
「分かりました」
職員が頷く。
その後、もう一人の職員が苦笑しながら口を開いた。
「……そういえば、城戸司令」
「……何だ」
「……大ライスを一人で四杯注文された隊員さんがいらっしゃいました」
「…………」
城戸は僅かに眉を動かした。
「……四杯?」
「はい」
「…………」
しばらく考えた後、城戸は短く答えた。
「……食べきれるのであれば問題ない」
「……そうですね」
何とも冷静な返答だった。
しかし、数分後。
その四杯を注文した隊員が雨取千佳であり、既に全て食べ終えていたと報告されると、城戸は一瞬だけ手を止めたという。
〇
昼食の時間が終わる頃には、本部食堂はすっかり普段の落ち着きを取り戻していた。
ただし、食べ終えた隊員達の間では、まだ興奮が冷めていなかった。
「……いやー、本当に美味しかったねー」
国近が満足そうに笑う。
「こんなの、普通の食堂じゃなかなか食べられないよ」
「……ええ」
月見も静かに頷いた。
「三日かけて仕込むだけの価値はありましたね」
「……そうですね」
氷見が笑う。
「私も、また食べたいです」
宇佐美も満足そうだった。
「今度出る時は、アタシも大ライスにしようかな」
「……栞ちゃんも?」
「うん。今日、他の人達が食べてるの見て、ちょっと羨ましくなっちゃった」
そんな会話を交わしているところへ、真木が通りかかった。
国近が気づいて声をかける。
「あ、真木ちゃん!」
「……何?」
「ラーメン食べた?」
「……食べたけど」
「どうだった?」
真木は少しだけ考えた。
そして、あっさりと答えた。
「……美味しかった」
「……おお!」
国近が目を輝かせる。
「真木ちゃんも気に入ったんだ!」
「……まあね」
真木は小さく頷いた。
「正直、あそこまでとは思ってなかった。三日仕込みって聞いた時は大袈裟だと思ったけど、あの完成度なら納得できる」
「……へえー」
「スープも麺も、かなり高い水準だと思う。少なくとも、次に出るならもう一度食べたい」
その返答に、宇佐美が笑った。
「……真木ちゃんがそこまで言うなんて、珍しいね」
「……美味しいものは美味しいでしょ」
真木は平然と答えた。
それから、少しだけ付け加える。
「……最初は並ぶの面倒だったけど」
「……あはは!」
国近が笑い出す。
「冬島さんに連れてこられたんだって?」
「……そう」
真木は小さく息を吐いた。
「騙されたと思って一回食べろって、しつこく言われてね」
「……で、どうだったの?」
「…………」
真木は少しだけ黙った。
そして。
「……次回も連れてきてもらうことにした」
「……あははは!」
国近と宇佐美が揃って笑い始めた。
その横で月見も、僅かに口元を緩めていた。
〇
その日の提供が終了した頃、厨房では食数の集計が行われていた。
最終的な提供数は、城戸が当初見積もった量のおよそ三倍。
迅の言った数字と、ほぼ一致していた。
「……なるほど」
報告を受けた城戸は、静かに頷いた。
確かに、迅を呼び出して正解だったらしい。
材料が不足して混乱することもなく、逆に大量の仕込みが余ることもなかった。
もっとも、別の問題は残っている。
「……城戸司令」
食堂の責任者が、少し遠慮がちに声をかけた。
「……何だ」
「……その、次回の提供予定について、問い合わせがかなり来ていまして」
「…………」
「定期的に出してほしいという要望も多いんです」
城戸は目を閉じた。
三日間。
それだけの時間を費やしてようやく完成するラーメンである。
それを定期的に提供するとなれば、話は全く別だった。
「……まず、通常業務に支障が出ない方法を考える必要がある」
「……はい」
実にもっともな返答だった。
その時、厨房の入口から聞き慣れた声が響いた。
「……叔父さーん!」
奏真である。
「……何だ」
「ラーメン、滅茶苦茶美味しかったー!」
「……そうか」
「前より美味しくなってたよ! 麺も凄かった!」
「……そうか」
城戸は短く答えた。
しかし、その表情がほんの僅かに緩む。
「ありがとねー!」
奏真は嬉しそうに笑った。
「また食べたいなー!」
「…………」
城戸の表情が元へ戻った。
「……奏真」
「ん?」
「……今回の仕込みに三日かかったことを忘れるなよ」
「……あー」
奏真は少し考えた。
「……そうだったねー」
「……ああ」
「……じゃあ、また時間がある時に!」
「…………」
城戸は静かに目を閉じた。
どうやら、全く懲りていないらしい。
その横から、別の声が聞こえてきた。
「……お疲れさまでーす」
迅だった。
「……迅」
「いやー、城戸さん。本当に美味しかったです」
「……そうか」
「皆、満足してましたよ。特に真木ちゃんなんて、冬島さんに連れられて渋々来たのに、次回も食べたいって言ってましたから」
「…………」
城戸が僅かに目を瞬いた。
「……真木が?」
「はい」
迅は楽しそうに笑った。
「相当気に入ったみたいですね」
「……そうか」
城戸は小さく頷いた。
その反応を見た奏真が、にやりと笑う。
「……おー、叔父さん。真木ちゃんまで落としたんだ?」
「……奏真」
「いやー、凄いねー!」
「……余計なことを言うな」
城戸の声はいつも通り厳しかったが、奏真は気にした様子もない。
「でもさ、叔父さん」
「……何だ」
「……次は月一回くらいでどう?」
「…………」
城戸はしばらく奏真を見つめた。
そして。
「……お前が三日間、仕込みを手伝うなら考えてやろう」
「…………」
今度は奏真が固まった。
「……三日かあ」
少しだけ考える。
しかし、どうやら結論は早かったらしい。
「……いや、あのラーメン食べられるなら、割とありだな」
「…………」
城戸は深く息を吐いた。
その横で迅が、とうとう声を上げて笑い始める。
「あはは! 奏真さん、本当に手伝うつもりですか!?」
「そりゃねー。叔父さんのラーメンだよ?」
「……なるほど」
迅は楽しそうに頷いた。
「じゃあ、次も開店前から並ばないとなあ」
「……お前もか!」
奏真が笑いながら突っ込む。
城戸は二人のやり取りを眺め、静かに目を閉じた。
どうやら、ラーメンを三倍仕込んだ程度では、この騒ぎを終わらせることはできなかったらしい。
ちなみに後日、食堂の意見箱には次のような要望が大量に投函されていた。
『豚骨醤油ラーメンの定期提供を希望します』
『自家製麺だけでも、また食べたいです』
『大ライスとのセットを常設してください』
『数量限定ではなく、もっと増やしてほしいです』
その中に、一枚だけ、妙に丁寧な字で書かれた要望があった。
『次回の提供日について、可能であれば事前に告知してください』
名前は書かれていない。
しかし、たまたまその用紙を見かけた冬島慎次は、何故か楽しそうに笑っていたという。
なお。
当日の大ライスの売上が、何故か例年の同時期と比較して異常に多かったことについては、後日改めて食堂の職員達の間で話題になった。
その原因の一つに、雨取千佳という小柄な狙撃手が関わっていたことを、城戸正宗がどこまで把握していたかは定かではない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
あの日、ボーダー本部食堂で提供された三日仕込みの豚骨醤油ラーメンは、多くの隊員達の記憶に残る一杯となった。
そして、その人気に最も頭を悩ませることになったのは、他でもない。
作った本人である、城戸正宗だった。
TIPS
防衛任務で不在の隊員達にも用意しており、加古隊は防衛任務についていたので任務後に味わったらしく、その姿は実に満足そうであったのとこと