No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト>   作:羊毛ローブ

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番外編5「ボーダーの資金源」

 

 

 ボーダーという組織には、数多くの謎がある。

 

 トリオンとは何なのか。

 

 近界には、どれほどの国家が存在するのか。

 

 そして、城戸奏真の頭の中では、一体どのような計算が行われているのか。

 

 最後の一つについては、本人に聞いてもよく分からない。

 

 城戸奏真。二十五歳。

 

 かつてオペレーターNo.1と評され、現在は攻撃手として活動する男である。

 

 その戦況予測能力は、今なお多くの隊員から高く評価されていた。

 

 敵の配置、地形、戦闘員の癖、状況の推移。

 

 そうした情報から先の展開を読み解く精度は、時にサイドエフェクトを疑われるほどだった。

 

 もっとも、本人はいたって普通の顔で言う。

 

『いや、見れば大体分かるでしょ?』

 

 分からない。

 

 少なくとも、大体では分からない。

 

 だからこそ、隊員達の間では時折、妙な憶測が飛び交うことがあった。

 

 ただし。

 

 今回に限っては、憶測ですらなかった。

 

 発端からして、完全な嘘だったのである。

 

     〇

 

「そういえば、諏訪さん」

 

「あ?」

 

 ボーダー本部の休憩スペース。

 

 諏訪洸太郎が缶コーヒーを飲んでいると、向かいに座っていた香取葉子が唐突に話しかけてきた。

 

「城戸さんと諏訪さんって、仲良いんでしょ?」

 

「奏真さんか? まあ、それなりにな」

 

「ふーん」

 

 香取が頬杖をついた。

 

「あの人って、予測が凄いって評判じゃん。試合の解説とか聞いてても、よく分かるし」

 

「まあな。あの人の読みは、ちょっとおかしいからな」

 

「でさ」

 

「ああ?」

 

「あの人って、競馬したらどれくらい当たるか知ってる?」

 

 諏訪の動きが止まった。

 

「……香取」

 

「何よ」

 

「お前なあ」

 

「だって気になるでしょ?」

 

「気にならねえよ」

 

「嘘。絶対気になるじゃん」

 

「人間の動き読むのと馬の予想は別だろ」

 

「でも、当てそうじゃない」

 

「……まあ、あの人なら何かしそうではあるけどよ」

 

「でしょ?」

 

 香取は得意げに笑った。

 

 諏訪はその顔を見た。

 

 そして、ふと思った。

 

 ――こいつ、からかったら面白そうだな。

 

 別に、大した意味はない。

 

 少し驚かせて、勝手に深読みするところを眺め、最後には冗談だと明かす。

 

 その程度の軽い悪戯心だった。

 

「……お前さ」

 

「何?」

 

「ボーダーの資金源、どこから来てるか知らねえの?」

 

「…………」

 

 香取の動きが止まった。

 

「……は?」

 

 諏訪は、わざと呆れたように首を振った。

 

「おいおい。組織に入ってんだから、それくらい知っとけよな」

 

「……え?」

 

「じゃあな」

 

 立ち上がる。

 

 缶コーヒーを捨てる。

 

 そして、そのまま歩き去った。

 

 質問には答えない。

 

 否定もしない。

 

 余計な説明もしない。

 

 相手が勝手に考える余地だけを、たっぷり残していく。

 

「…………」

 

 香取はしばらく動かなかった。

 

「……え? 何それ?」

 

 隣にいた三浦雄太が、おそるおそる口を開いた。

 

「葉子ちゃん」

 

「何よ」

 

「今の、冗談じゃない?」

 

「分かってるわよ!」

 

 即答だった。

 

 しかし。

 

「……でも、あの人ならあり得なくない?」

 

「いや、ないと思うけど」

 

「だって、予測凄いんでしょ?」

 

「そうだけど……」

 

「だったら本人に聞けばいいじゃん!」

 

「……え?」

 

 三浦が顔を上げた。

 

「本人に?」

 

「そうよ!」

 

「いや、ちょっと待って。そもそも諏訪さんが本当のこと言ってるかも――」

 

 しかし、香取は既に歩き始めていた。

 

 三浦は伸ばしかけた手を下ろした。

 

「……ああ、もう」

 

 いつものことだった。

 

     〇

 

「あ、いた!」

 

 廊下の向こう。

 

 城戸奏真が東春秋と話しながら歩いていた。

 

「……で、あの時の米屋なんだけどさ」

 

「ははっ。あいつらしいな」

 

「でしょ?」

 

 楽しそうに話していた二人が、香取の声に振り返る。

 

「城戸さん!」

 

「ん? カトリッグ!」

 

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど!」

 

「いいよー。何?」

 

 香取は一歩近づいた。

 

 そして、真剣な顔で尋ねた。

 

「城戸さんって、競馬やってるんですか?」

 

「……競馬?」

 

「はい!」

 

「俺が?」

 

「はい!」

 

 奏真は目を瞬いた。

 

 それから、隣の東を見た。

 

 東も首を傾げている。

 

「何で?」

 

「諏訪さんが、意味深なこと言ってたんですよ!」

 

「スワルツネガーが?」

 

「はい! ボーダーの資金源くらい知っとけって!」

 

「…………」

 

 奏真は少し考えた。

 

 そして。

 

「あー……」

 

 何かに気づいたように頷いた。

 

「なるほどねー」

 

 東の眉が僅かに動いた。

 

 奏真の口元が、ゆっくりと緩んでいたからだ。

 

 ――ああ。

 

 東は理解した。

 

 ――諏訪、何かやったな。

 

 そして。

 

 ――奏真も乗る気だな。

 

「カットリング」

 

「はい?」

 

 奏真は少しだけ真面目な顔を作った。

 

「いやいや、競馬は無理だよ」

 

「……え?」

 

「競馬はさ、考えなきゃいけないこと多いでしょ? 馬の調子とか、騎手とか、馬場の状態とか」

 

「ああ、まあ……」

 

「俺、そこまで詳しくないもん」

 

 香取は少しだけ肩を落とした。

 

「……なーんだ」

 

 しかし。

 

 奏真は、そこで続けた。

 

「競艇だよ」

 

「…………」

 

 香取が固まった。

 

 東が、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……え?」

 

「競艇」

 

 奏真は実に自然な顔で頷いた。

 

「舟の方ね」

 

「……はあああ!?」

 

 廊下に叫び声が響いた。

 

「ちょっと待ってください!」

 

「ん?」

 

「競艇!?」

 

「うん」

 

「何で!?」

 

「いやー、馬より舟の方が俺には向いてるかなーって」

 

「……そうなんですか?」

 

「天候とか水面とか、モーターの性能とか。そういう条件を考えるのは面白そうだよね」

 

 もっともらしい。

 

 非常にもっともらしい。

 

 東は口元を手で覆った。

 

 何故なら、奏真は一度も実際に競艇をしているとは言っていない。

 

 単に、向いていそうだと話しているだけである。

 

 しかも、今思いついたことだった。

 

「じゃあ!」

 

 香取が身を乗り出した。

 

「結構当たるんですか!?」

 

「んー?」

 

 奏真は首を傾げた。

 

「それはどうだろうねー」

 

「……え?」

 

「俺も気になるなー」

 

 東はとうとう顔を背けた。

 

「……奏真」

 

「ん?」

 

「お前、ほどほどにしておけよ」

 

「え? 何が?」

 

 奏真が不思議そうに首を傾げる。

 

 東は答えなかった。

 

 答えると笑ってしまいそうだったからである。

 

     〇

 

「ちょっと!!」

 

 数分後。

 

 香取隊の作戦室。

 

「どうしたの、葉子ちゃん」

 

 三浦が顔を上げた。

 

「競馬じゃなかった!」

 

「……え?」

 

「競艇だった!」

 

「……何が?」

 

「城戸さんよ!」

 

 三浦はしばらく香取を見つめた。

 

「葉子ちゃん。もう少し順番に説明してもらっていい?」

 

「だから! 城戸さんは競馬じゃなくて競艇で、ボーダーの資金を稼いでる可能性があるってこと!」

 

 三浦は静かに目を閉じた。

 

 ――駄目だ。

 

 ――順番に説明してもらったはずなのに、最初から意味が分からない。

 

 その横で染井華が、手元の作業を止めずに口を開いた。

 

「葉子」

 

「何?」

 

「誰がそう言ったの?」

 

「城戸さん本人!」

 

 華の手が止まった。

 

「……本人が?」

 

「そう!」

 

「競艇で資金を稼いでいるって?」

 

「……いや、そこまでは言ってなかったけど」

 

「じゃあ、何て言ったの?」

 

「競馬は無理だよ、競艇だよって」

 

 華は数秒間、香取を見つめた。

 

「それ、本当に競艇をやってるって意味?」

 

「……え?」

 

「競馬より競艇の方が、自分には向いていそうだって意味じゃないの?」

 

 香取は少し考えた。

 

「……いや、でも!」

 

「葉子」

 

「何?」

 

「城戸さん、笑ってなかった?」

 

「…………」

 

「面白そうな顔、してなかった?」

 

 数秒後。

 

「あ」

 

 香取が小さく声を漏らした。

 

 華は深く息を吐いた。

 

「からかわれたんじゃない?」

 

「……でも!」

 

 香取は勢いよく立ち上がった。

 

「まだ嘘って決まったわけじゃないでしょ!」

 

 華は再び手元の作業へ戻った。

 

 そして思った。

 

 ――今日中には終わらないな。

 

     〇

 

 その頃、諏訪洸太郎は非常に平和な午後を過ごしていた。

 

 先ほど香取をからかったことなど、既に忘れかけている。

 

 そこへ東春秋がやってきた。

 

「諏訪」

 

「あ、東さん。どうしたんすか?」

 

「お前、香取に何か言ったか?」

 

「……香取?」

 

「ああ。奏真のところに競馬について聞きに来たぞ」

 

 諏訪は少し考えた。

 

「あー! あいつ、マジで聞きに行ったんすか?」

 

「ああ。それでな」

 

「はい?」

 

「奏真が、競艇だと言い出した」

 

 諏訪が固まった。

 

「……は?」

 

「競馬じゃなくて競艇だそうだ」

 

 数秒後。

 

「……ぶっ!」

 

 諏訪が吹き出した。

 

「あっははは! いやいや、何やってんすか、あの人!」

 

「さあな。お前が始めたことだろ」

 

「いや、俺はちょっとからかっただけっすよ!」

 

「そうか」

 

「ボーダーの資金源知らないのかって言っただけで!」

 

 東は数秒間黙った。

 

「……諏訪」

 

「はい?」

 

「それ、かなり紛らわしいな」

 

「……え?」

 

「奏真が乗ったことで、もっと面倒になりそうだぞ」

 

「いやいや、さすがにそこまで広がらないでしょ」

 

「そうか?」

 

「だって、競艇っすよ?」

 

「ああ」

 

「ボーダーの資金源が競艇って! そんなの誰が信じるんすか!」

 

 東は静かに諏訪を見つめた。

 

 そして。

 

「……そうだな」

 

 小さく頷いた。

 

「そうだといいな」

 

     〇

 

 翌日。

 

 噂は順調に成長していた。

 

 最初は『城戸奏真は競馬をしたら当てそう』だった。

 

 次に『城戸奏真は競馬より競艇の方が得意らしい』となった。

 

 そして現在。

 

『城戸奏真は競艇で稼いでいる』

 

 になっていた。

 

 さらに、その話を聞いた国近柚宇が出水公平へ伝え、出水が太刀川慶へ伝えた時には、もう一段階変化していた。

 

「へえ。奏真さんって競艇やってるのか」

 

「らしいっすよ」

 

「強いの?」

 

「そこまでは知らないっすけど、予測は凄いですからね」

 

「じゃあ、今度聞いてみるか」

 

 こうして、太刀川は何の疑問も持たずに奏真を探し始めた。

 

 なお、本人は一度も舟券を買ったことがなかった。

 

     〇

 

「奏真さん」

 

「んー?」

 

 昼休み。

 

 食堂で昼食を取っていた奏真へ、太刀川が声をかけた。

 

「競艇やってるんですか?」

 

 奏真は箸を止めた。

 

「……そういうことになってるの?」

 

「え? 違うんですか?」

 

「いやー」

 

 奏真は楽しそうに笑った。

 

「まあ、そういうことにしておこうかなー!」

 

「へえ! じゃあ今度教えてくださいよ!」

 

「何を?」

 

「競艇!」

 

「あはは! いやー、俺も詳しくないんだよねー!」

 

「……え? そうなんですか?」

 

「うん。だから今度、一緒に勉強しようか!」

 

「おお! いいですね!」

 

 そのやり取りを、少し離れた席で風間蒼也が見ていた。

 

「……東さん」

 

「ん?」

 

「あれは何をしているんですか?」

 

「奏真が少し遊んでいる」

 

「……そうですか」

 

「諏訪が始めたらしいぞ」

 

「……諏訪が?」

 

「ああ」

 

 風間は数秒間考えた。

 

「……なるほど。それなら納得です」

 

 ただ、一つだけ気になることがあった。

 

「……東さん」

 

「何だ?」

 

「太刀川は、あの矛盾に気づいているんでしょうか」

 

「……さあな」

 

 東は二人を見た。

 

 奏真は、今度は競艇のルールについて太刀川に質問している。

 

 太刀川も詳しくないらしく、二人で首を傾げていた。

 

「……気づいてないかもしれないな」

 

「でしょうね」

 

 風間は小さく息を吐いた。

 

     〇

 

 そして。

 

 この騒動が妙な方向へ進むことになったのは、その日の午後のことだった。

 

「……じゃあ城戸さん!」

 

「ん?」

 

 休憩スペース。

 

 香取が、再び奏真を捕まえていた。

 

 今回は近くに諏訪もいる。

 

 昨日の話を東から聞かされた諏訪は、何か面白いことが起きるだろうと踏んで、そのまま席に残っていた。

 

「競艇で勝つなら、どういう選手を選べばいいんですか?」

 

「……選手?」

 

「はい! 絶対に勝ちそうな選手とか!」

 

「いやー、俺、選手のことは全然知らないよ?」

 

「……ええ?」

 

「ただ、一つだけ分かることはあるね」

 

「えっ!?」

 

 香取が身を乗り出した。

 

 奏真は至って真面目な顔で頷いた。

 

「6号艇にさ、緑色の艇でVモンキー決める選手がいたら」

 

「……Vモンキー?」

 

「うん」

 

 一拍。

 

「確実に2着は取れると思うよ」

 

「…………」

 

 香取が固まった。

 

 諏訪の動きも止まった。

 

 そして。

 

「……ぶっ!」

 

 諏訪が盛大に吹き出した。

 

「おい、奏真さん!」

 

「ん?」

 

「それ『モンキーターン』じゃねえっすか!」

 

「あはは! バレた?」

 

「バレますって! 何で急に波多野が出てくるんすか!」

 

「いや、6号艇でVモンキー決めたら結構期待できるでしょ?」

 

「そりゃ漫画ならそうっすけど!」

 

 諏訪は笑いながら続けた。

 

「つーか、そこまでやって何で2着なんすか!」

 

「いやー、そこはほら」

 

 奏真は悪びれもせず笑った。

 

「1着には艇王がいるかもしれないじゃん?」

 

「……あっははは! 榎木かよ!」

 

 香取は二人を交互に見た。

 

「……ちょっと待ってください」

 

「ん?」

 

「……何の話?」

 

「漫画の話」

 

 奏真が即答した。

 

 香取の眉が跳ねた。

 

「……は?」

 

「競艇漫画にそういう技が出てくるんだよ」

 

「…………」

 

「面白いよ? 今度読んでみる?」

 

「城戸さん!!」

 

「あはは! ごめんごめん!」

 

「私、真面目に聞いてるんですけど!」

 

「いやー、俺も結構真面目に答えたつもりだったんだけどなー」

 

「どこがですか!」

 

 諏訪は机に突っ伏して笑っていた。

 

「ははっ! 駄目だ、腹いてえ!」

 

 そして奏真は、少しだけ考えた。

 

「ああ、でも競馬なら、もう一つ分かることがあるよ」

 

「……え?」

 

 香取が顔を上げる。

 

「今度は本当ですか?」

 

「うん。実際にあった話」

 

「……本当に?」

 

「本当に」

 

 奏真は頷いた。

 

「パドックで独特のステップを踏んでる馬がいたら、ちょっと注目した方がいいかもね」

 

「……ステップ?」

 

「そうそう。こう、軽やかにさ」

 

 奏真は座ったまま肩を揺らし、妙に楽しそうな仕草をしてみせた。

 

「しかも、その馬が故障明けでも、1着取っちゃうことがあるんだよね」

 

「故障明けで!?」

 

「うん。約一年ぶりのレースで有馬記念を勝った馬がいるからね」

 

「……凄い!」

 

 香取の目が輝いた。

 

 しかし。

 

「……ぶっ!」

 

 諏訪が再び吹き出した。

 

「奏真さん!」

 

「ん?」

 

「今度はトウカイテイオーっすか!」

 

「あはは! スワルツネガー、よく知ってるねー!」

 

「テイオーステップに故障明けの有馬記念って、まんまじゃないっすか!」

 

 香取は二人を見た。

 

「……トウカイテイオー?」

 

「うん。実在した馬だよ」

 

 奏真が頷く。

 

「何度も怪我をして、それでも戻ってきて勝ったんだよね」

 

「へえ……」

 

 香取は感心したように頷いた。

 

 だが、すぐに顔を上げた。

 

「……ちょっと待ってください」

 

「ん?」

 

「それ、もう終わったレースですよね?」

 

「うん」

 

「……結果知ってるんですよね?」

 

「うん」

 

「じゃあ予想じゃないじゃないですか!」

 

「いやー、でも確実でしょ?」

 

「後出しじゃないですか!!」

 

 諏訪が腹を抱えて笑い始めた。

 

 奏真も笑った。

 

 香取だけが納得していなかった。

 

     〇

 

「いやー、でもさ」

 

 ひとしきり笑った後、奏真が口を開いた。

 

「俺、競馬って話だけ聞くとドラマみたいなことが多々起こるから、結構話は知ってるんだよね」

 

「……話?」

 

 香取が首を傾げた。

 

「そうそう。競馬の細かいルールとか、今の選手……じゃない、騎手とか馬の調子とかは詳しくないけどさ」

 

「……はい」

 

「昔の名馬とか、印象的なレースの話は割と知ってるよ」

 

「へえ」

 

 奏真は楽しそうに続けた。

 

「例えばさ、トウカイテイオーもそうだけど、何度も怪我をした馬が戻ってきて、しかも大きなレースを勝つとか、もう漫画みたいな話じゃん?」

 

「確かにそうですね」

 

「でしょ? ああいう話、好きなんだよ」

 

 その言葉に、諏訪が頷いた。

 

「まあ、競馬ってそういうドラマは多いっすよね」

 

「うん。馬だけじゃなくて、騎手とか厩舎の人達にも色々あるしね」

 

 奏真は缶ジュースを一口飲んだ。

 

「だから俺、馬券の予想には詳しくないけど、競馬の話を聞くのは結構好きなんだよね」

 

「……なるほど」

 

 香取は少し考えた。

 

 そして。

 

「じゃあ、他にも面白い馬の話ってあるんですか?」

 

「あるよー」

 

「例えば?」

 

「……ああ!」

 

 奏真が嬉しそうに手を打った。

 

「白い奇跡とか!」

 

「……白い奇跡?」

 

「うん。小さな体で、誰もが驚くような走りをする白い馬の話」

 

「……へえ!」

 

 香取の目が輝いた。

 

「何て馬なんですか?」

 

「ミドリマキバオー」

 

「…………」

 

 香取が止まった。

 

「……みどり?」

 

「うん」

 

「……白いんですよね?」

 

「白いよ」

 

「……なのに、みどり?」

 

「うん」

 

 香取は数秒間考えた。

 

「……何で?」

 

「牧場の名前が『みどり』だからね」

 

 その横で諏訪が吹き出した。

 

「……ぶっ! 奏真さん!」

 

「ん?」

 

「マキバオーっすか!」

 

「あはは! 諏訪も知ってた?」

 

「そりゃ知ってますって!」

 

 諏訪は笑いながら続けた。

 

「白い奇跡って言った時点で、ちょっと怪しいとは思いましたけど!」

 

「いやー、あれ面白いよね!」

 

「分かります! カスケードとか格好いいっすよね!」

 

「そうそう! あのライバルがいるからいいんだよ!」

 

 奏真が嬉しそうに頷いた。

 

「あとチュウ兵衛親分ね」

 

「あー! 親分は外せないっすね!」

 

「でしょ? あの小さな馬とネズミの組み合わせがいいんだよなー」

 

「…………」

 

 香取は二人を交互に見た。

 

「……ちょっと待ってください」

 

「ん?」

 

「……ネズミ?」

 

「うん」

 

「……何で競馬の話にネズミが出てくるんですか?」

 

「いや、マキバオーの親分だから」

 

「……馬の親分がネズミ!?」

 

「そうそう!」

 

 奏真は笑った。

 

 香取はさらに困惑した。

 

「……それ、本当に競走馬の話なんですか?」

 

「競馬漫画の話だよ」

 

「…………」

 

 一拍。

 

「また漫画じゃないですか!!」

 

「あははは!」

 

 奏真が笑い出した。

 

 諏訪も腹を抱える。

 

「お前、さっきから全部本物だと思って聞いてたのかよ!」

 

「だって! トウカイテイオーの話から普通につなげるから!」

 

「いやー、でも香取」

 

 奏真は笑いを収めた。

 

「漫画だからって、馬鹿にできないんだよ?」

 

「……え?」

 

「マキバオーってさ、最初から誰もが認める名馬だったわけじゃないんだよね。あの見た目だし」

 

「……はあ」

 

「でも走って、負けて、努力して、ライバルと競い合って。そういう積み重ねがあるから、最後の勝負が面白いんだよ」

 

 奏真は少し楽しそうに笑った。

 

「実際の競馬もそうでしょ? レース結果だけ見ると数字だけど、その馬がそこまでどうやって来たのかを知ると、全然違って見えるんだよね」

 

 香取は、今度こそ少し納得したようだった。

 

「……なるほど」

 

 諏訪も頷く。

 

「まあ、確かにそうっすね」

 

「でしょ?」

 

 奏真は嬉しそうに笑った。

 

「いやー、久しぶりに読み直したくなってきたな」

 

 そして、何かを思い出したように続けた。

 

「特にさ、俺、マキバオーの最終巻が凄く好きなんだよね」

 

     〇

 

「最終巻ですか?」

 

 香取が尋ねた。

 

「うん。あれ、本当にいいんだよ」

 

「……マキバオーって、最後は勝つんですよね?」

 

「いや、勝てないんだよ」

 

「……え?」

 

 香取が目を瞬いた。

 

「勝てないんですか?」

 

「そう。最後のジャパンチャンピオンシップでは3着」

 

 奏真は、少し懐かしそうに笑った。

 

「1着がブリッツで、2着がエルサレム。マキバオーはその後ろなんだよ」

 

「……主人公なのに?」

 

「主人公なのに」

 

 奏真は頷いた。

 

「でもさ、そこがいいんだよね」

 

「……どういうことですか?」

 

「ほら、さっきトウカイテイオーの話をしたでしょ?」

 

「一年くらい休んで、有馬記念を勝ったって馬ですよね?」

 

「そうそう。あれって、もう漫画みたいな話じゃん。何度も怪我して、長い休養から復帰して、それで勝っちゃうんだから」

 

「……はい」

 

「で、マキバオーも似たようなところがあるんだよ。大怪我をして、長い時間が経って、それでも戻ってくる」

 

 奏真は、そこで少しだけ笑った。

 

「でも、勝てない」

 

「…………」

 

「トウカイテイオーみたいに、最後の最後で奇跡の1着を取るわけじゃないんだよね」

 

 香取は黙って話を聞いていた。

 

「……でも、だったら何でそこが好きなんですか?」

 

「んー……」

 

 奏真は少し考えた。

 

「勝てなかったからこそ、かな」

 

「……え?」

 

「いや、もちろん勝ってほしかったよ? ずっと読んできた主人公なんだからさ」

 

「……そうですよね」

 

「でも、勝てなくてもいいんだって思えたんだよね。あそこは」

 

 奏真は腕を組んだ。

 

「もう昔みたいに走れないかもしれない。それでも、また走ることを選ぶ。世界最強の馬や、自分より強くなった馬が相手でも、挑戦する」

 

「…………」

 

「で、実際に負けるんだよ」

 

 奏真は笑った。

 

「それでも、あの最後を見たら、負けたから意味がなかったなんて思えないんだよね」

 

 香取は少しだけ考えた。

 

「……でも、勝負なんだから、勝った方がいいじゃないですか」

 

「そりゃそうだよ」

 

 奏真はあっさり頷いた。

 

「勝てるなら勝った方がいい。俺だってランク戦で負けるのは嫌だし」

 

「……ですよね」

 

「でもさ、勝たなきゃ意味がないってことになると、負けた奴がそれまで積み重ねてきたものまで、全部なかったことになっちゃうでしょ?」

 

 香取は何も言わなかった。

 

「俺は、それは違うと思うんだよね」

 

 少しの沈黙があった。

 

 その横で、諏訪が缶コーヒーを傾けた。

 

「……あー、分かる気がしますね」

 

「お、スワルツネガーも?」

 

「ええ。あれだけやって、最後に勝たせないってのも、なかなかっすよね」

 

「そうそう!」

 

 奏真が嬉しそうに頷いた。

 

「しかも、ちゃんと次の世代が強いんだよ。ブリッツが勝つのも含めて、俺は好きなんだよね」

 

「……なるほど」

 

 諏訪も頷いた。

 

 すると、香取が何とも言えない顔をした。

 

「……城戸さん」

 

「ん?」

 

「……何か、珍しく真面目な話してますね」

 

「……え?」

 

「いや、さっきまでVモンキーとか言ってた人と同じとは思えなくて」

 

「カットリング!」

 

 奏真が笑いながら突っ込んだ。

 

「俺だって真面目な話くらいするよ!?」

 

「いや、するのは知ってますけど!」

 

「じゃあ何で驚くの!?」

 

 諏訪が吹き出した。

 

「ははっ! まあ、今日は最初から競馬の予想の話だったのに、気づいたら漫画の最終巻について語ってますからね」

 

「あー……確かに」

 

「認めるんすか!」

 

 三人が笑った。

 

 しかし、奏真はまだ話し足りないらしかった。

 

「いやー、でもさ。最終巻でもう一つ好きなところがあってね」

 

「まだあるんですか?」

 

 香取が尋ねた。

 

「うん。最後のレースを見てる観客の反応なんだけど」

 

     〇

 

「マキバオーって、復帰してから地方のレースを三回走ってるんだよね」

 

 奏真は、少しだけ指を折って数えた。

 

「8着、11着、6着」

 

「……あー」

 

 香取が顔をしかめた。

 

「それは、ちょっと厳しいですね」

 

「でしょ? しかも大怪我からの復帰で、昔みたいに走れるか分からない。最後のレースにはブリッツやエルサレムみたいな、とんでもなく強い馬がいる」

 

「……はい」

 

「だからさ、観客の中にも、復帰は嬉しいけど馬券までは買えない、って感じの人がいるんだよ」

 

「……ああ」

 

 諏訪が頷いた。

 

「ゲーハーの連中っすね」

 

「そうそう!」

 

 奏真の顔が明るくなる。

 

「あそこ、凄く好きなんだよね」

 

「……そこですか?」

 

 香取が首を傾げた。

 

「うん。だって、ちゃんと競馬を見てる人達なんだよ」

 

「……どういうことですか?」

 

「好きな馬だからって、絶対に勝つと思ってるわけじゃない。戻ってきてくれたことは嬉しい。でも、勝てる馬を選ぶなら別の馬になる」

 

「……まあ、そうですよね」

 

「それって、別に薄情なわけじゃないでしょ?」

 

 奏真は笑った。

 

「むしろ、それまでの成績をちゃんと見てるんだと思うよ」

 

 諏訪も頷いた。

 

「応援してる馬と、馬券を買う馬が違うってのは、普通にありますからね」

 

「そうそう!」

 

 奏真は嬉しそうだった。

 

「でも、そこからがいいんだよ」

 

「……そこから?」

 

「レースが始まって、マキバオーが走るわけだよ」

 

 奏真は、少しだけ身を乗り出した。

 

「勝てないと思われてた馬が、全盛期を思い出させるような走りを見せる。しかも相手は、今の最強クラスの馬達だよ?」

 

「……はい」

 

「そしたらもう、馬券がどうとかじゃなくなるんだよね」

 

 諏訪が笑った。

 

「……ああ。応援しちゃうんすね」

 

「そう!」

 

 奏真は頷いた。

 

「最初は勝てると思ってないから馬券は買わない。でも、目の前であんな走りを見せられたら、応援せずにはいられない」

 

 奏真は、少し照れくさそうに笑った。

 

「俺、ああいうのが凄く好きなんだよね」

 

 香取は、しばらく考えていた。

 

「……でも、馬券買ってないんですよね?」

 

「うん」

 

「じゃあ、勝ってもお金にはならないじゃないですか」

 

「ならないねー」

 

「……なのに、そんなに応援するんですか?」

 

「そういうこと」

 

 奏真は楽しそうに笑った。

 

「最初は勝てるかどうかで見てたのに、最後は勝ってほしいって気持ちで見てるんだよ。そこがいいんじゃん」

 

 香取は黙った。

 

 その横で諏訪が缶コーヒーを置いた。

 

「……まあ、ランク戦でも似たようなことはありますよね」

 

「ん?」

 

「最初は『こりゃ厳しいな』と思って見てた奴が、予想外に粘ったりすると、気づいたら応援してるっていう」

 

「あー、あるね!」

 

 奏真が笑った。

 

「そういうの!」

 

「勝敗の予想と、どっちに勝ってほしいかは別っすからね」

 

「そうそう。諏訪、分かってるねー!」

 

「いや、そこまで言われるほどじゃないっすけど」

 

 諏訪は少し照れくさそうに笑った。

 

 そこで、背後から声がした。

 

「でも、それなら奏真さんがマキバオーの最終巻を好きなのも分かりますね」

 

 振り返ると、迅悠一が立っていた。

 

「お、迅!」

 

「どうも」

 

「いつから聞いてたの?」

 

「ゲーハーの辺りからですね」

 

「あはは! 結構前じゃん!」

 

 迅は笑って、空いている椅子へ座った。

 

「予想どおりの結果にならなくても、そこまでの過程が面白いってことでしょう?」

 

「そうだねー」

 

 奏真は頷いた。

 

「まあ、俺だって最後は勝ってほしかったけどさ」

 

 少しだけ笑う。

 

「勝てなかったから、あの結末が嫌いになるわけじゃないんだよね」

 

 迅は静かに頷いた。

 

「……いいですね、そういうの」

 

「でしょ?」

 

 奏真は笑った。

 

「だから、競馬って話を聞いてるだけでも面白いんだよ。単に勝った負けたの結果だけじゃなくてさ」

 

 香取は少し考えた。

 

「……まあ、でも」

 

「ん?」

 

「話聞いてたら、私も最後はマキバオー応援すると思います」

 

「おお!」

 

 奏真の顔が明るくなる。

 

「でしょ!?」

 

「はい。馬券は買わないと思いますけど」

 

「香取はそもそも買えない年齢だからね!」

 

「……あっ!」

 

 香取が固まった。

 

 諏訪が吹き出す。

 

「ぶっ! そもそもそこからかよ!」

 

「うるさい!」

 

 香取が言い返した。

 

 奏真は笑いながら続けた。

 

「まあでも、馬券を買わなくたって競馬は楽しめるってことだよ」

 

「……なるほど」

 

「だから俺、競馬は詳しくないけど、そういう話は結構好きなんだよね」

 

 諏訪が頷いた。

 

「確かに、マキバオーって競馬漫画としても、普通に物語としても面白いっすからね」

 

「でしょ?」

 

 奏真は嬉しそうに笑った。

 

「いやー、久しぶりに読み直したくなってきたな」

 

     〇

 

「……でも城戸さん」

 

 香取が、ふと顔を上げた。

 

「ん?」

 

「実際に競馬の予想するなら、やっぱり応援したい馬じゃなくて、勝ちそうな馬を買うんですよね?」

 

「そりゃ、当てるつもりならね」

 

「……へえ」

 

「好きな馬を応援するのと、勝つ馬を予想するのは別だからさ」

 

 奏真は何気なく続けた。

 

「まあ、どこまで正確に予想できるかは、実際に調べてみないと分からないけど」

 

「…………」

 

 諏訪が顔を上げた。

 

「……奏真さん」

 

「ん?」

 

「今、余計なこと言いませんでした?」

 

「え? 何が?」

 

 奏真は不思議そうに首を傾げた。

 

 迅が笑った。

 

「いやー、でも諏訪さん。今の話を聞く限り、奏真さんは賭ける時と応援する時で、ちゃんと分けて考えそうですね」

 

「……まあ、そうなんだろうけどよ」

 

 諏訪は頭を掻いた。

 

「……だったら、なおさら本気で予想したらどうなるのか気になるじゃねえか」

 

 その言葉に、奏真が嬉しそうに振り返った。

 

「お、スワルツネガーも気になる?」

 

「…………」

 

 諏訪の動きが止まった。

 

「……あ」

 

 一拍。

 

「……今のなしで」

 

「えー、何で?」

 

「……いや、何となく」

 

 迅が笑い、香取が不満そうに声を上げる。

 

「何でですか! 私も知りたいですよ!」

 

「だから、お前らは!」

 

 諏訪が頭を抱えた。

 

 ただ漫画の話をしていただけのはずなのに。

 

 何故か、また城戸奏真の予測能力を試す話に戻っている。

 

「……俺、マキバオーの話だけしてりゃよかった……」

 

 その横で、奏真はまだ楽しそうに笑っていた。

 

     〇

 

 数日後。

 

 騒動は、とうとうボーダー本部の上層部にまで到達した。

 

「城戸司令」

 

「何だ」

 

 司令室。

 

 沢村響子が、少し困ったような顔で資料を差し出した。

 

「一つ、確認していただきたいことが」

 

「何だ」

 

「最近、隊員の間で妙な話が広がっているようでして」

 

「妙な話?」

 

「はい」

 

 沢村は少しだけ言葉を選んだ。

 

「城戸奏真隊員が、競艇でボーダーの資金を調達しているという噂が」

 

 城戸正宗の動きが止まった。

 

「……何?」

 

「もちろん、噂にすぎませんが」

 

 城戸は資料を受け取った。

 

 そこには、隊員達の間で広がっている話がまとめられていた。

 

『城戸奏真は競艇の予測が得意』

 

『競馬より競艇の方が得意らしい』

 

『競艇で相当な額を稼いでいるらしい』

 

『ボーダーの資金の一部を提供しているらしい』

 

『最高司令官も当然知っているらしい』

 

 城戸は、しばらく無言だった。

 

「……沢村」

 

「はい」

 

「私は知らん」

 

「……はい」

 

「そもそも、事実ではないだろう」

 

「そうですね」

 

「誰が言い始めた?」

 

「現在、確認中です」

 

 城戸は静かに目を閉じた。

 

「奏真を呼べ」

 

「はい」

 

     〇

 

「叔父さん、呼んだ?」

 

「奏真」

 

 数分後。

 

 司令室へ入ってきた奏真は、普段と変わらず楽しそうだった。

 

「何か用?」

 

「ああ」

 

 城戸は机の上の資料を指さした。

 

「これは何だ」

 

 奏真が資料を覗き込む。

 

 そして。

 

「あー!」

 

 嬉しそうに笑った。

 

「結構広まってるねー!」

 

「……奏真」

 

「ん?」

 

「説明しろ」

 

「いやー、最初はさ!」

 

 奏真は笑いながら説明を始めた。

 

「香取が、競馬やってるのかって聞いてきたんだよ!」

 

「ああ」

 

「だから、競馬は無理だよ、競艇だよって!」

 

 城戸が止まった。

 

「……何?」

 

「競艇!」

 

「……お前は、競艇をしているのか?」

 

「いや?」

 

 奏真は即答した。

 

「やってないよ?」

 

「……では、何故そう言った?」

 

「面白そうだったから!」

 

 城戸は静かに目を閉じた。

 

 深く、長く。

 

「……奏真」

 

「ん?」

 

「……お前は、何歳になった?」

 

「二十五だけど?」

 

「……そうか」

 

 城戸は頷いた。

 

「二十五か」

 

「…………」

 

 奏真が首を傾げた。

 

「……何?」

 

「いや、何でもない」

 

 その時だった。

 

「失礼します」

 

 忍田真史が入ってきた。

 

「城戸さん。例の噂についてですが」

 

「ああ」

 

 忍田は奏真を見た。

 

「奏真、競艇をやってるのか?」

 

「いや、やってないよ?」

 

「……そうか」

 

 忍田は城戸へ顔を向けた。

 

「では、完全な誤情報ですね」

 

「ああ」

 

 城戸が頷いた。

 

 しかし。

 

「でもさ!」

 

 奏真が口を開いた。

 

「これ、ちょっと面白くない?」

 

 城戸が顔を上げた。

 

「……何がだ」

 

「たった一言の冗談が、ここまで大きな話になるんだよ!?」

 

 奏真は資料を指さした。

 

「しかも、途中から俺が言ってないことまで増えてるし!」

 

 忍田が資料へ目を落とした。

 

「……確かに」

 

 少し考える。

 

「情報伝達の問題としては、興味深いですね」

 

「でしょー!?」

 

 奏真の顔が輝いた。

 

「どこで話が変わったのか、追ってみたいなー!」

 

「……奏真」

 

 城戸が静かに口を開いた。

 

「お前が、さらに広めたのだろう」

 

「…………」

 

 奏真が止まった。

 

 そして。

 

「あー!」

 

 手を打った。

 

「そうだった!」

 

 忍田が思わず顔を背けた。

 

 城戸は額に手を当てた。

 

「……まず訂正しろ」

 

「はーい!」

 

「お前も当事者だ」

 

「分かってるって!」

 

 奏真は笑った。

 

 城戸はもう一度、静かに目を閉じた。

 

 この甥は、戦闘の場ではあれほど慎重なのに。

 

 時折、妙なところで子供のような悪戯を始める。

 

 そして、ほぼ例外なく周囲を巻き込むのである。

 

     〇

 

「スワルツネガー!!」

 

「はい!?」

 

 その日の夕方。

 

 ボーダー本部の休憩スペース。

 

 諏訪洸太郎は、突然背後から名前を呼ばれた。

 

 振り返る。

 

 そこには城戸奏真。

 

 その隣には迅悠一。

 

 少し離れたところに東春秋が立っていた。

 

「……奏真さん?」

 

「いやー、スワルツネガー!」

 

 奏真は満面の笑みだった。

 

「お前、面白いことしてくれたねー!」

 

「……え?」

 

「ボーダーの資金源!」

 

 数秒後。

 

「あ」

 

 諏訪が小さく声を漏らした。

 

「……いやー、すいません!」

 

 苦笑しながら頭を掻く。

 

「香取をちょっとからかっただけなんすけど」

 

「あはは! いや、別に怒ってないよ!」

 

「そうなんすか?」

 

「うん! 俺も乗っちゃったし!」

 

「……え?」

 

「競馬は無理だよ、競艇だよって!」

 

 諏訪が、ゆっくりと顔を上げた。

 

「奏真さん」

 

「ん?」

 

「それ、マジで言ったんすか?」

 

「うん!」

 

 諏訪は数秒間黙った。

 

 そして。

 

「……あっははは!!」

 

 盛大に吹き出した。

 

「いやいやいや! 何やってんすか、あの人!」

 

「あはは! だって面白そうだったんだもん!」

 

「そりゃ広まりますって!」

 

「そうだよねー!」

 

 二人は腹を抱えて笑い始めた。

 

 その横で迅も笑っていた。

 

「いやー、俺もその場にいたかったですね」

 

「迅!」

 

 奏真が顔を向ける。

 

「お前、未来視で何か分からなかったの?」

 

 その質問に、迅は少し肩をすくめた。

 

「まあ、奏真さん達の未来は多少見えますけど」

 

「うん」

 

「俺、未来視をそういう儲け話に使う気はないんですよね」

 

「……儲け話?」

 

 諏訪が首を傾げる。

 

 迅は笑いながら続けた。

 

「競馬が当たるか、競艇で勝てるか。そういうことを知るために、わざわざ未来を追いかけるのはちょっと違うかなって」

 

「……あー」

 

 奏真が頷いた。

 

「なるほどね」

 

「それに、俺が見てるのは人の未来ですからね。馬券の当たり番号が都合よく表示されるわけでもないですし」

 

「そりゃそうか」

 

 諏訪も頷いた。

 

 迅の未来視は、本人の意思で完全に停止できるものではない。

 

 人を見れば、その先のことが見えてしまう場合もある。

 

 しかし、それをどう利用するかは、また別の話だった。

 

「ただ」

 

 迅が、にっこりと笑った。

 

「諏訪さんが困ってる未来なら、ちょっと見えましたね」

 

「…………」

 

 諏訪が止まった。

 

「……おい」

 

「はい?」

 

「どういうことだ?」

 

「いやー」

 

 迅は笑っている。

 

「諏訪さんが、『何でこうなったんだよ!』って叫んでる感じで」

 

 諏訪は数秒間黙った。

 

 そして。

 

「……それ、今じゃねえか!!」

 

 叫んだ。

 

「……あはは!」

 

 迅が笑う。

 

「そうとも言いますね」

 

「お前、分かってて見物しに来ただろ!」

 

「いやー、何のことでしょう?」

 

「すっとぼけんな!」

 

 奏真が腹を抱えて笑い始めた。

 

「……あはは! 諏訪、お前!」

 

「奏真さんも笑ってる場合じゃないっすよ!」

 

「いやー、ごめんごめん!」

 

 その横で東が、静かに口を開いた。

 

「諏訪」

 

「何すか、東さん!」

 

「最初に始めたのは、お前だろう」

 

 諏訪が固まった。

 

「いや、それはそうなんすけど!」

 

「だから、自業自得だな」

 

 東は笑った。

 

「……東さん!」

 

「何だ?」

 

「ちょっとは助けてくださいよ!」

 

「いや」

 

 東は肩を震わせていた。

 

「面白いからな」

 

「おい!!」

 

 休憩スペースに笑い声が響いた。

 

 どうやら、ここに諏訪の味方はいないらしい。

 

     〇

 

「ところで、奏真さん」

 

「んー?」

 

 ひとしきり笑った後、諏訪が尋ねた。

 

「この噂、どうするんすか?」

 

「あー。ちゃんと訂正しないとねー」

 

「そうっすよね」

 

「うん。俺、競艇やってないし!」

 

 諏訪は、静かに目を閉じた。

 

 そして。

 

「最初からそう言ってくださいよ!!」

 

 再び叫んだ。

 

 奏真は笑いながら頷いた。

 

「いやー、悪かったって!」

 

 迅も笑っていたが、その時、奏真がふと思いついたように口を開いた。

 

「……あ、そうだ」

 

「ん?」

 

「迅、お前さ」

 

「はい?」

 

「もし俺が本当に競艇やるって言い出しても、未来視では手伝ってくれないんだよね?」

 

「そうですねー」

 

 迅はあっさり頷いた。

 

「別に、奏真さんがお金を使って遊ぶこと自体は止めませんけど」

 

「うん」

 

「勝てる未来を探してくれ、とかは勘弁してください」

 

「そっかー」

 

 奏真は納得したように頷いた。

 

「まあ、それじゃ面白くないもんね」

 

「そういうことです」

 

 迅は笑った。

 

「俺の未来視って、そういう使い方をするためのものじゃないと思ってるんで」

 

「……なるほどねー」

 

 奏真も笑った。

 

「分かった。じゃあ、もし本当にやることになっても、そこは頼らないよ」

 

「はい。それなら、普通に応援します」

 

「応援はしてくれるんだ?」

 

「もちろん」

 

 迅はにっこりと笑った。

 

「外れたら、一緒に笑えますし」

 

「……おい!」

 

 諏訪が口を挟んだ。

 

「何で外す前提で話してんだよ!」

 

「……あれ?」

 

 迅が首を傾げる。

 

「諏訪さんも、そういうの好きそうですけど」

 

「……まあ、嫌いじゃねえけどよ」

 

「じゃあ、いいじゃないですか」

 

「いや、そういう話じゃねえ!」

 

 奏真と迅が笑った。

 

 諏訪は深く息を吐いた。

 

 もう、何を言っても無駄な気がしてきた。

 

     〇

 

 翌日。

 

 ボーダー本部の掲示板に、短い連絡が掲載された。

 

 【隊員間で広まっている噂について】

 

 城戸奏真が競馬、競艇、その他の公営競技によってボーダーの運営資金を調達しているという事実はありません。

 

 ボーダーの運営資金と、城戸奏真個人の競技予測能力に関係はありません。

 

 未確認の情報については、事実確認を行ってから共有するようお願いします。

 

 以上。

 

 掲示板の前。

 

 香取葉子は、しばらく連絡を見つめていた。

 

「……何これ」

 

 隣にいた三浦が、そっと口を開く。

 

「葉子ちゃん」

 

「何よ」

 

「やっぱり、冗談だったね」

 

 香取は静かに目を閉じた。

 

「……諏訪さん……!」

 

 低い声で呟く。

 

 その瞬間。

 

「おー、香取!」

 

 背後から聞き慣れた声がした。

 

 振り返る。

 

 そこには、満面の笑みを浮かべた城戸奏真が立っていた。

 

「城戸さん!!」

 

「ん? 何?」

 

「競艇!!」

 

 奏真が目を瞬いた。

 

 そして。

 

「あー! ごめんごめん!」

 

「ごめんじゃないですよ!!」

 

「いやー、面白くてさ!」

 

「面白くないです!!」

 

 奏真は少しだけ困ったように笑った。

 

「悪かったって!」

 

 香取は腕を組んだ。

 

「……じゃあ」

 

 少しだけ顔を上げる。

 

「本当に、競艇やってないんですね?」

 

「うん! やってないよ!」

 

 香取は黙った。

 

 そして。

 

「……じゃあ!」

 

 身を乗り出した。

 

「やったら、どれくらい当たると思います?」

 

 奏真が止まった。

 

 数秒間、香取を見つめる。

 

 そして。

 

「あー……」

 

 少しだけ考えた。

 

「それは、ちょっと気になるねー」

 

「でしょ!?」

 

 香取の顔が輝いた。

 

 その瞬間。

 

「……おい」

 

 背後から声がした。

 

 諏訪洸太郎だった。

 

「香取」

 

「何よ」

 

「お前、何も反省してねえだろ」

 

「はあ!?」

 

 香取が振り返る。

 

「そもそも諏訪さんが!」

 

「いや、だから!」

 

 諏訪が頭を抱える。

 

「何でまたその話に戻るんだよ!!」

 

 奏真は二人のやり取りを見ながら笑っていた。

 

「いやー、諏訪と香取って、仲いいねー!」

 

「「よくない!!」」

 

 見事に声が重なった。

 

「あはは!」

 

 奏真が笑う。

 

 その瞬間。

 

 廊下の向こうから迅がやってきた。

 

「……あれ?」

 

 楽しそうに首を傾げる。

 

「何か面白いことしてます?」

 

「迅!」

 

 奏真が顔を向ける。

 

「ちょうどいいところに!」

 

「はい?」

 

「今さ、競艇やったらどれくらい予測できるかなって話してたんだよ!」

 

 迅は少しだけ奏真を見た。

 

 そして。

 

「あー、なるほど」

 

 笑った。

 

「今度は本当に調べるんですか?」

 

「んー、ちょっと気になるんだよね」

 

「……そうですね」

 

 迅は少し考えた。

 

「じゃあ、実際のレース結果を伏せた過去の記録で予測してみます?」

 

「おお!」

 

 奏真の顔が輝いた。

 

「それいいねー!」

 

「結果が分かってる過去のレースなら、予測の精度も確認できますし」

 

「そうそう!」

 

 奏真は嬉しそうだった。

 

「しかも、お金かけなくていいし!」

 

「そうですね」

 

 迅も笑った。

 

「それなら俺も手伝えますよ。データの整理くらいなら」

 

「おお、助かる!」

 

 奏真が頷く。

 

「迅、入力お願いしていい?」

 

「はいはい」

 

 現在の奏真は、機器操作を得意としていない。

 

 かつてのオペレーターNo.1としての分析能力と、現在の機器操作能力は別問題である。

 

 その点、迅が入力や資料整理を担当するなら、役割分担としては悪くない。

 

 ただし。

 

「……奏真さん」

 

「ん?」

 

 迅は、人差し指を一本立てた。

 

「念のため、もう一回言っておきますけど」

 

「うん?」

 

「俺の未来視で当たりを探すのは、なしですからね」

 

「分かってるって!」

 

 奏真は笑った。

 

「それやったら、俺の予測が合ってるか分からないじゃん」

 

「そういうことです」

 

 迅も笑った。

 

「じゃあ、過去のデータから試してみましょうか」

 

「やろうやろう!」

 

 香取の顔が輝いた。

 

「あ! それなら私も結果知りたい!」

 

「いいよー!」

 

「やった!」

 

 奏真と迅は、楽しそうに話し始めた。

 

 その横で。

 

「…………」

 

 諏訪は静かに目を閉じた。

 

「……おい、お前ら」

 

「んー?」

 

「はい?」

 

「……もういい加減にしろよ」

 

 奏真が首を傾げた。

 

「え? 何で?」

 

「……いや」

 

 諏訪は二人を見た。

 

 そして、少し考えた。

 

 過去のレース記録。

 

 結果を伏せた予測。

 

 未来視は使わない。

 

 金も賭けない。

 

 つまり、純粋に奏真の分析能力を試すだけである。

 

「…………」

 

 諏訪は、さらに考えた。

 

 ……別に、問題はない。

 

 問題はないはずだった。

 

「……いや、待てよ」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 

「……これなら別に、いいんじゃねえか?」

 

「そうでしょー?」

 

 奏真が笑った。

 

「ただの予測の練習だよ!」

 

「……まあ、そうっすね」

 

 諏訪は頷いた。

 

「……分かった。好きにしてください」

 

「おお!」

 

 奏真の顔が輝く。

 

「ありがと、スワルツネガー!」

 

「……いや、別に許可したわけじゃ」

 

「じゃあ、今度結果見せるねー!」

 

「……ああ、はい」

 

 奏真は迅と一緒に歩き出した。

 

 香取も、その後をついていく。

 

 諏訪は、その背中を見送った。

 

「……まあ」

 

 小さく息を吐く。

 

「金かけねえなら、別にいいか」

 

 その時だった。

 

「……諏訪」

 

 背後から東春秋の声がした。

 

「あ、東さん」

 

 諏訪が振り返る。

 

「何すか?」

 

「いや、さっきの話を聞いてな」

 

「……ああ」

 

「奏真、今度は本当に競艇を調べるのか」

 

「みたいっすね」

 

「……そうか」

 

 東は少し考えた。

 

「面白そうだな」

 

「……そうっすね」

 

 諏訪も頷いた。

 

 だが、東は続けた。

 

「もし、過去の結果を伏せた予測が何度も当たったら、どうするんだろうな」

 

「…………」

 

 諏訪が止まった。

 

「……え?」

 

「いや」

 

 東は笑った。

 

「本人が興味を持ちそうだと思ってな」

 

 諏訪は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……東さん」

 

「ん?」

 

「今、嫌なこと言いましたね?」

 

「……そうか?」

 

「はい」

 

 諏訪は、遠ざかっていく奏真達の背中を見た。

 

 奏真は、何やら迅に向かって楽しそうに話している。

 

 香取も嬉しそうだ。

 

 そして迅は、笑いながら頷いている。

 

「…………」

 

 諏訪は静かに目を閉じた。

 

 ――ああ。

 

 ――これ、まだ終わってねえな。

 

     〇

 

 数日後、ボーダー本部では、新たな噂が広まっていた。

 

『城戸奏真が競艇の予測精度を検証し始めたらしい』

 

 この噂は、事実だった。

 

 ただし、実際には過去のレース記録を使って、予測と結果を比較しているだけである。

 

 舟券を購入した事実はない。

 

 運営資金を稼いだ事実もない。

 

 迅も、未来視で結果を探すようなことはしていなかった。

 

 あくまで奏真自身の分析能力を試すための検証だった。

 

 ところが。

 

 その噂を耳にした太刀川慶が、何気なく口を開いた。

 

「……へえ」

 

 少しだけ考える。

 

「じゃあ、当たったらボーダーの資金増えるのか?」

 

 隣にいた出水公平が固まった。

 

「……太刀川さん」

 

「ん?」

 

「その話、もう終わったんすよ」

 

「……え?」

 

 太刀川が首を傾げる。

 

「何で?」

 

「……いや、そもそも!」

 

 出水は頭を抱えた。

 

「金かけてないんすよ!」

 

「……そうなの?」

 

「そうっす!」

 

「じゃあ、当たっても金増えねえのか」

 

「……はい」

 

「……何だ」

 

 太刀川は少しだけ残念そうな顔になった。

 

「もったいねえな」

 

 出水は静かに目を閉じた。

 

「……もう勘弁してくださいよ……」

 

     〇

 

 その頃、諏訪洸太郎は東春秋から新しい噂を聞かされていた。

 

「……諏訪」

 

「はい?」

 

「奏真、過去のレースを使った予測を結構当ててるらしいぞ」

 

「…………」

 

 諏訪は、しばらく黙った。

 

 そして。

 

「……東さん」

 

「何だ?」

 

「俺、もう二度と香取に変なこと言わないっす」

 

「……そうか」

 

 東は笑った。

 

「それがいいな」

 

 諏訪は深く息を吐いた。

 

「……あの人まで乗ってくるとは思わなかった……!」

 

 頭を抱える。

 

 全ては、ほんの出来心だった。

 

 ただ一つ、香取をからかおうとしただけだった。

 

 それなのに。

 

 まさか、城戸奏真本人が楽しそうに嘘を上塗りし、さらに迅悠一まで参加するとは。

 

 しかも迅は、未来視を金儲けに使う気がないと言いながら、楽しそうにデータ整理まで手伝っている。

 

 それ自体は立派な線引きだ。

 

 何も間違っていない。

 

 ただし。

 

 城戸奏真という男は、未来視に頼らなくても、普通では考えられないほどの分析能力を持っている。

 

 そして、一度興味を持つと、妙なところまで突き詰める。

 

「……東さん」

 

「ん?」

 

「一個だけ聞いていいっすか?」

 

「ああ」

 

「奏真さん、もし本気で競馬とか競艇を予測したら、どれくらい当たると思います?」

 

 東は、少しだけ考えた。

 

「……さあな」

 

 笑った。

 

「それは、俺にも分からない」

 

「……そうっすよね」

 

「ただ」

 

「……はい?」

 

「奏真が、一週間も本気で分析した結果なら、ちょっと見てみたいな」

 

 諏訪が固まった。

 

「……東さん」

 

「何だ?」

 

「それ、本人の前で言わないでくださいよ」

 

「……何でだ?」

 

「絶対やるからっすよ!」

 

 東は、とうとう笑い始めた。

 

「ははっ!」

 

 諏訪は深く息を吐いた。

 

 この瞬間、心の底から思った。

 

 ――あの二人、絶対に組ませちゃ駄目だ。

 

 そして。

 

 ――香取には、もっと駄目だ。

 

     〇

 

 なお、その数日後。

 

 香取葉子が、城戸奏真へこんなことを言った。

 

「……ねえ、城戸さん」

 

「んー?」

 

「そんなに予測が当たるならさ」

 

「うん?」

 

「一回、本当に買ってみてよ!」

 

 奏真が止まった。

 

 数秒間、香取を見つめる。

 

 そして。

 

「あー……」

 

 少しだけ考えた。

 

「それも、面白そうだねー」

 

「でしょ!?」

 

 香取の顔が輝いた。

 

「本当にどれくらい当てられるか、気になるじゃないですか!」

 

「そうだねー」

 

 奏真は楽しそうに頷いた。

 

「実際にお金をかけるとなると、また予測の仕方も変わりそうだし」

 

「……え?」

 

「だって、勝つ馬を当てるだけじゃ駄目でしょ?」

 

 奏真は少し考えた。

 

「当たりそうでも、配当が低かったら買う意味がない場合もあるだろうし。逆に、当たる確率は低くても、配当との兼ね合いで買う価値があるものもあるかもしれない」

 

 香取は、目を瞬いた。

 

「……へえ」

 

「そう考えると、ちょっと面白そうだね」

 

 奏真は笑った。

 

「いやー、今までそういう見方はしたことなかったなー」

 

 香取は、嬉しそうに頷いた。

 

「じゃあ、やってみましょうよ!」

 

「うん。まあ、ちょっと調べてみようかな」

 

 この時。

 

 遠く離れた場所にいた諏訪洸太郎は、何故か嫌な予感に襲われたという。

 

 そして、その嫌な予感は。

 

 後に、大規模侵攻の戦功褒賞と同額となって現実に現れることになる。

 

 もっとも、この時点ではまだ誰も知らなかった。

 

 城戸奏真が、本当に競馬と競艇を分析し始めることも。

 

 その結果、諏訪洸太郎が二万円を出しただけで10倍以上になって帰ってくるのも、そして、最初は完全な嘘だったはずの『ボーダーの資金源』という噂が、思いもよらない形で現実になることも。

 

 全ては、ほんの出来心だった。

 

 ただ一つ、香取をからかおうとしただけだった。

 

 それなのに。

 

 まさか、こんなことになるとは。

 

 諏訪洸太郎は、後に何度もそう呟くことになる。

 

 そして、そのたびに。

 

 城戸奏真と迅悠一は、楽しそうに笑っていたという。

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