No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
きっかけは、実に些細な一言だった。
「……あれ、また食べたいなー」
ボーダー本部、オペレーター達が休憩に利用している一室。昼食を終えた国近柚宇が、椅子の背もたれに体重を預けながら、ぽつりと呟いた。
「あれって?」
向かいに座っていた氷見亜季が顔を上げると、国近は少しだけ身を乗り出した。
「ほら、この前のラーメン。城戸司令が作ってくれたやつ」
「ああ! あれは本当に美味しかったですよね。スープもそうですけど、麺まで自家製だったなんて驚きました」
「そうそう! あそこまでやるとは思わなかったよねー」
国近が嬉しそうに笑うと、隣で飲み物を口にしていた小佐野瑠衣も会話に加わった。
「また食べたいねー。あの焼豚も美味しかったしー」
「分かる! 焼豚もすごかったよね!」
そのやり取りに、少し離れた席にいた宇佐美栞も顔を上げた。
「いやー、三日仕込みって聞いた時はびっくりしたけど、食べてみたら納得だったよね! あれだけ手間をかけてたら、そりゃ美味しいよ」
「私も、また食べられるなら食べたいです」
三上歌歩が穏やかに微笑む。彼女も先日のラーメンを随分と気に入ったらしく、話題が出てからというもの、どこか楽しそうだった。
もっとも、全員が同じように素直な反応を示しているわけではない。
「……美味しかったのは認めるけど」
部屋の隅から声が聞こえた。
真木理佐だった。
冬島隊のオペレーターである彼女は、手元の資料を整理しながら、少々呆れたように続けた。
「だからって、また作ってもらえるとは限らないでしょ。あの人、ボーダーの最高司令官なんだから」
「あ、真木ちゃん!」
国近が顔を向ける。
「真木ちゃんも、また食べたいでしょ?」
「……別に」
「えー?」
「……食べられるなら食べるけど」
「ほらー!」
「……うるさい」
真木は顔をしかめたものの、否定はしなかった。
実際、あのラーメンの完成度は想像以上だった。最初は最高司令官が作るという話題性だけで騒いでいるのではないかと思っていたが、一口食べて考えを改めた。濃厚でありながら後味の整った豚骨醤油のスープ、相性を考えて作られた自家製麺、丁寧に仕上げられた焼豚。どれを取っても完成度が高く、何より全体のバランスが良かった。
正直に言えば、もう一度食べたい。
ただ、それをわざわざ口にするのも癪だった。
「……でも、難しいですよね」
氷見が少し残念そうに呟いた。
「城戸司令は普段からお忙しいでしょうし」
「そうなんだよねー。三日間も仕込みに使うなんて、そう簡単にはできないよね」
「最高司令官だからねえ」
宇佐美も苦笑した。
城戸正宗はボーダーという組織の最高責任者である。防衛計画、組織運営、各部署との調整、対外的な対応など、日常的に処理しなければならない仕事は多い。ラーメンを作ることそのものに問題はなくとも、そのために本来の業務へ支障が出るようでは本末転倒だ。
先日も、次回の提供を希望する声に対して、通常業務に支障が出ないことを条件としていたという。
至極当然の話だった。
「……では!」
その時、部屋の入口から明るい声が響いた。
「どうすれば、もう一度作っていただけるんでしょうか!」
振り向くと、そこには武富桜子が立っていた。
「……武富さん。いつから聞いてたの?」
「ラーメンの話が始まった辺りからです!」
「……ほとんど最初からじゃない」
「いやー、私もあの一杯は忘れられないんですよ! できることなら、ぜひ第二回をお願いしたいところです!」
桜子は熱のこもった口調で語り始めた。普段、ランク戦の実況を担当している時と変わらない勢いである。
「何しろ、あの城戸司令が三日間かけて仕込んだ豚骨醤油ラーメンですよ! しかも、食堂に並んだ隊員達からは絶賛の嵐! あの伝説の一杯が再び提供されるとなれば――」
「……武富さん。実況しなくていいから」
「……あっ」
桜子が口を閉じた。
その様子に宇佐美が笑い、国近も肩を震わせる。
「でも、実際どうすればいいんでしょうね。城戸司令に時間がないなら、やっぱりそこが一番の問題ですよね?」
「まあ、そうでしょうね」
真木が答えた。
「三日間ずっと厨房にいるわけじゃないとしても、仕込みの時間は必要でしょうし」
「……ですよね」
桜子は腕を組み、しばらく考えてから、ふと思いついたように顔を上げた。
「……じゃあ、城戸司令のお仕事の負担を軽くすればいいんじゃないですか?」
部屋が静かになった。
真木がゆっくりと顔を上げる。
「……武富さん。最高司令官の仕事を、どうやって減らすつもり?」
「……えっと」
「ラーメンのために、仕事を休んでもらおうって話じゃないでしょうね?」
「違います! そういう意味じゃなくて!」
桜子は慌てて首を振った。
「その、仕事のやり方を改善するとか! 同じ仕事でも、もっと効率よくできるようになれば、空く時間が増えるんじゃないかなって!」
「……そんな簡単にできるなら、とっくにやってるでしょ」
「……ですよねー」
桜子が肩を落とす。
しかし、その時だった。
「……必ずしも、そうとは限らないだろう」
入口付近から、落ち着いた声が聞こえた。
◯
「……ヒュース?」
宇佐美が顔を上げた。
そこには玉狛第二のヒュースが立っていた。宇佐美へ届ける予定だった資料を手にしており、どうやら途中から会話を聞いていたらしい。
「栞、オサムから預かった資料だ」
「あ、ありがとー!」
宇佐美が受け取ると、ヒュースは改めて桜子へ視線を向けた。
「一つ確認したい。城戸司令の仕事を減らすというのは、仕事そのものをなくすという意味か? それとも、同じ仕事を短い時間で処理できるようにするという意味か?」
「……ああ!」
桜子が勢いよく頷いた。
「後者です!」
「なら、検討する価値はある」
「……え?」
真木が顔を上げると、ヒュースは当然のように続けた。
「組織が大きくなれば、報告や確認の手順も増える。以前は合理的だった方法が、今も最適とは限らない。重要なのは、城戸司令本人が判断しなければならない仕事と、その判断に至るまでの準備を分けることだろう」
「……つまり?」
「例えば、同じ情報を複数の部署が別々に報告しているなら、整理して提出できるかもしれない。必要な情報が不足しているために何度も確認しているなら、最初から必要な項目をそろえる方法もある」
ヒュースは腕を組んだ。
「司令の判断を省略する必要はない。判断に至るまでの無駄を減らせばいい」
「……なるほど!」
桜子が目を輝かせた。
「つまり、司令が本当に必要なお仕事に集中できるようにするんですね!」
「そういうことだ」
その説明を聞いて、真木は少しだけ考え込んだ。
言っていることは間違っていない。実際、オペレーターとして仕事をしていると、必要な情報が整理されているかどうかで作業効率が大きく変わることはよくある。連絡の手順や書類の形式も、少し変えるだけで使いやすくなる場合があった。
「……理屈は分かったけど、実際にどこが非効率なのか分からないと、改善も何もないでしょ。それに、私達が勝手に上層部の仕事を調べるわけにもいかない」
「当然だ。まず確認できる範囲の問題点を整理し、必要なら権限を持つ者に提案する。承認が得られなければ、それ以上は進めない」
「……そうね」
真木が頷いた。
その横で桜子が、ゆっくりと顔を上げる。
「……ということは、調べてみる価値はある、ということですね?」
「……まあ、調べるだけなら」
「やったー! じゃあ、三人でやりましょう!」
「……え?」
真木が顔を上げる。
「三人?」
「はい! 真木先輩と、ヒュースくんと、私です!」
「……何で私が入ってるの?」
「一番しっかり仕事を整理してくれそうだからです!」
真木が黙った。
その横で、ヒュースが小さく頷く。
「妥当な人選だと思う。真木は情報の整理に慣れている。武富は多くの隊員から話を聞く機会があり、提案を説明することにも長けている。俺は集まった情報から問題点を分析できる」
「……なるほど! 役割分担まで完璧ですね!」
「……勝手に決めないで」
真木はため息を吐いた。
その時。
「……ちょっと待って」
国近が声を上げた。
「何ー?」
桜子が振り向く。
「何で三人だけなの?」
「……え?」
「私達だって、また食べたいんだけど」
真木の手が止まった。
国近は少し不満そうに続ける。
「ラーメンのために仕事を効率化するんでしょ? だったら私達も手伝った方が早いじゃん」
「……まあ、それはそうだけど」
「私も協力したいです」
氷見が頷いた。
「普段のオペレーター業務でも、報告の仕方や確認の手順で、もう少し使いやすくできそうなところがありますし」
「そうですね」
三上も穏やかに続ける。
「連絡の手順なら、実際に使っている私達にも気づけることがあると思います」
「はいはーい! 私も参加しまーす!」
宇佐美が勢いよく手を上げた。
「情報の整理とか、入力画面の使いやすさとかなら手伝えるよ!」
「それなら、私も手伝おっかなー」
小佐野ものんびりと声を上げた。
「使ってみて分かることもあるしねー」
真木はゆっくりと部屋を見渡した。
つい先ほどまで、ラーメンが美味しかった、もう一度食べたいと話していた面々である。それがいつの間にか、本部の業務改善に協力するという話になっていた。
しかし、よく考えてみれば不思議なことでもなかった。
ここにいるのは、普段から限られた時間の中で大量の情報を処理し、必要な相手へ伝える仕事をしているオペレーター達だ。実際の業務を知らない部分については口を出せないが、情報の整理や伝達に関しては十分な経験がある。
「……分かった」
真木が小さく息を吐いた。
「じゃあ、手伝ってもらうなら、ちゃんと役割を決めましょう。武富さんは各部署への聞き取りと、提案の説明。ヒュースは集まった情報を分析して。私は全体の整理と取りまとめをする」
真木はほかのオペレーター達へ視線を向けた。
「国近と小佐野には、実際に使う側としての意見をお願いしたい。宇佐美には入力や情報共有の方法、三上には連絡手順、氷見には報告内容の不足や重複を見てもらえる?」
「りょーかい!」
「分かりました」
「任せてー!」
それぞれが返事をする。
ヒュースは、その様子を見て小さく頷いた。
「合理的だ。分担すれば一人当たりの負担を抑えられる」
「……そうね。ただし、通常業務が最優先。残業してまでやるつもりはないし、許可なく機密情報を見たり、仕事の手順を変更したりするのも駄目。そこは全員、分かってるわね?」
全員が頷いた。
その時、桜子が勢いよく立ち上がった。
「では、改めまして!」
両手を広げ、まるでランク戦の実況を始めるかのような勢いで声を張り上げる。
「城戸司令のラーメン再提供を目指す、オペレーター合同業務改善計画! ここに始動です!」
「……武富さん」
「はい!」
「……もうちょっと普通の名前にして」
「ええっ!?」
桜子の抗議に、部屋のあちこちから笑い声が上がった。
◯
「……なるほど」
数日後。
沢村響子は、目の前に置かれた一枚の資料を眺めながら、小さく頷いた。
提出されたのは、業務改善に向けた調査の相談だった。
内容は、隊員が普段利用している申請手続きや、部署間の情報共有について、改善できる部分がないか確認したいというもの。上層部の機密情報や人事、予算、防衛計画などには立ち入らず、隊員が通常の業務で扱う範囲の情報だけを対象にする。
実際の変更については、関係部署の承認を得ることも明記されていた。
「……これを皆さんで?」
「はい」
真木が答えた。
「普段の業務を進める上で、少し非効率だと感じていた部分があったので、改善できないかと思いまして」
「……そうですか」
沢村は資料をめくった。
協力者には複数のオペレーターの名前が並んでいる。
真木理佐、武富桜子、国近柚宇、宇佐美栞、三上歌歩、氷見亜季、小佐野瑠衣。そして、ヒュース。
「……随分と幅広い顔ぶれですね」
「それぞれ所属する部隊が違うので、普段使っている手順にも違いがあります。そういう部分を比較すれば、気づけることもあると思います」
「なるほど」
沢村が頷く。
その横で桜子が勢いよく口を開いた。
「それに、オペレーターの皆さんは情報整理の専門家ですから! より分かりやく、より使いやすい形にできれば、きっと役立つと思うんです!」
沢村は微笑んだ。
ボーダーは急速に組織を拡大してきた。現場ごとに最適化された手順が、組織全体では使いにくくなっている場合もある。その問題を現場の隊員達が自発的に考え、改善しようとしているのであれば、検討する価値はあった。
「……分かりました。まずは私から関係部署へ確認します。調査して問題ない範囲を決めてから、改めて連絡しますね」
「ありがとうございます」
真木が頭を下げた。
「ただし、ヒュース君には実際の内部資料を直接扱わせないでください。必要なら、個人情報や機密事項を除いた事例を使う形にしましょう」
「当然です」
真木が頷き、ヒュースも静かに答える。
「それで問題ない。俺に必要なのは、手順の構造を確認することだ」
「……分かりました。では、いったん預からせてもらいますね」
こうして、真木達の計画は、ようやく正式な調査へ向けて動き始めた。
もっとも、その発端がラーメンであることについては、この時点では誰も説明しなかった。
◯
許可された範囲で調査が始まると、最初に成果を出したのは桜子だった。
ランク戦の実況システムを立ち上げ、日常的に多くの隊員や関係者と接する彼女は、人に話を聞き、必要な情報を集めることに慣れていた。今回も各部署の担当者へ事情を説明し、普段の仕事で不便に感じていることを聞いて回った。
すると、いくつかの共通した問題が見えてきた。
例えば、訓練施設の使用申請。
部隊から訓練施設の使用希望が出されると、担当部署が施設の予定を確認する。必要な機材があれば開発部との調整も必要になり、訓練内容によっては別の部署にも確認しなければならない。
しかし、申請する部隊によって書類の形式が異なり、必要な情報が最初からそろっていないことがあった。その場合、担当者は申請した部隊へ問い合わせ、追加の情報を受け取ってから、改めて別の部署へ確認することになる。
「……これ、同じ内容を何回も聞いてますね」
桜子が記録を指さした。
「そうなのよ。最初から必要な項目が分かっていれば、一回で済む確認が結構あるみたい」
机の上には、担当者から許可を得て提供された、個人情報を除いた申請例が並んでいた。
ヒュースはそれを確認しながら口を開く。
「問題は、申請書の形式が統一されていないことか」
「それもあるわね。でも、全部の申請を同じ形式にするのは難しいと思う。部署ごとに必要な情報が違うから」
「なら、共通項目と専門項目を分ければいい」
「……共通項目?」
「日時、場所、参加人数、使用目的。そうした情報は、どの部署でも必要になるだろう。専門的な確認は、その後で追加すればいい」
「……ああ。基本情報を共通にして、必要な時だけ追加項目を表示するわけね」
「そうだ。同じ情報を何度も入力する必要はなくなる」
「……なるほど!」
桜子が嬉しそうにメモを取った。
しかし、話を聞いていた宇佐美が少しだけ首を傾げる。
「でも、それだと入力する側が分かりにくくなるかもね」
「……え?」
「必要な情報が全部あるのはいいけど、普段使う項目が見つけにくかったら、結局時間がかかっちゃうでしょ?」
「……確かに」
真木が頷いた。
「じゃあ、実際に試してみましょうか」
試作された申請画面を前に、最初に席へ座ったのは国近だった。
「……うーん。これ、ちょっと使いにくくない?」
「……どこが?」
「必要な項目は全部あるんだけどさー、どこから入力するのか一瞬迷うんだよね」
国近は実際に操作しながら、使いにくい箇所を指摘していった。日時と場所、参加人数、使用する機材。情報そのものは問題ないが、入力順序が実際の申請手順と一致しておらず、途中で何度も画面を行き来する必要があった。
「……なるほどね。項目の並び方を変えた方がいいか」
「あとさー」
横から小佐野が顔を出した。
「最初に使う順番どおりに並んでた方が楽じゃない?」
「……順番?」
「うん。いつ、どこで、何するか。そのあと何人で使うかとか、特別な機材が必要かどうかとか。そっちの方が分かりやすいと思うー」
真木が頷いた。
小佐野の意見は感覚的だったが、実際に使ってみると確かにその方が分かりやすかった。
宇佐美も画面を確認する。
「じゃあ、基本情報は最初の画面にまとめようか。特殊な申請だけ追加項目が出るようにすれば、普段使う人は楽になると思う」
「いいねー!」
国近が嬉しそうに頷く。
一方、三上と氷見は、申請内容が担当部署へ正しく伝わるかを確認していた。
「……この場合、最初に施設担当へ連絡が行くんですよね?」
三上が確認すると、担当部署から共有された手順を見ていた氷見が頷いた。
「はい。ただ、機材の使用申請も含まれている場合は、別の部署でも確認が必要になるみたいです」
「だったら、どこまで確認が終わっているか分かるようにした方がいいですね」
「そうですね。それと、確認待ちと差し戻しも区別したいです」
二人は実際の運用を想定しながら、連絡漏れや確認の重複が起きないように手順を整理していった。
その結果を真木が取りまとめ、桜子が各部署から集めた意見と照らし合わせる。ヒュースは機密事項を除いた手順図を使い、修正によって別の部分に無駄が生まれていないかを確認した。
何度か試験を繰り返した後、ようやく新しい申請方法の案が形になった。
「……よし。最初の案より、かなり使いやすくなったと思う」
「だねー! これなら普通に使いたいかも!」
国近が嬉しそうに頷くと、氷見も笑った。
「申請する側も、確認する側も楽になりそうですね」
その横で桜子が、感慨深そうに呟いた。
「……何だか、本当にすごいことをしている気がします」
「……してるでしょ。もうラーメン抜きでも、十分やる意味のある仕事になってるんだから」
「……そうですね!」
桜子が頷いた。
しかし、その直後。
「……でもさー」
小佐野がのんびりと口を開いた。
「これで司令のお仕事も早く終わったら、またラーメン食べられるんだよねー?」
全員の手が止まった。
「……まあ。それが最初の目的だったしね」
「じゃあ、楽しみだねー」
ヒュースはそのやり取りを聞きながら、静かに結論を述べた。
「組織の業務効率が改善され、司令の負担が減り、俺達もラーメンを食べられる。全員に利益がある」
「……いや、まだラーメンは決まってないから」
「……そうだったな」
ヒュースが頷く。
「ならば、あとは成果を示すだけだ」
真木は完成した資料を見下ろした。
最初は半ば冗談のように始まった計画だったが、今では多くのオペレーターが協力し、実際に使える改善案が出来上がっている。後は、それが本当に役立つかを確かめるだけだった。
◯
最初の案がまとまると、真木達は続けて、会議や報告業務の改善に取りかかった。
こちらは申請書の形式を整えるより、ずっと慎重さが求められた。会議の中には、上層部が直接判断しなければならないものもある。報告を省略した結果、重要な情報が伝わらなくなっては意味がない。
そこで三人は、会議の内容そのものではなく、準備や進行の手順を中心に調べることにした。
「……これ、同じ説明を何回もしてますね」
桜子が資料を確認しながら呟いた。
「ええ。別の部署が同じ内容を、それぞれ説明している場合があるみたい。もちろん、それぞれの立場で確認する意味はあるけど、事実関係の説明まで毎回繰り返す必要があるかは別ね」
「なら、会議の前に共有すればいいのではないか?」
ヒュースが口を開いた。
「……事前に?」
「ああ。あらかじめ確認できる情報は先に共有し、会議では意見の調整や判断が必要な部分を扱う。それに、会議の目的も明確にした方がいいだろう。情報を共有するためなのか、意見を調整するためなのか、それとも最終的な判断を下すためなのか。それによって必要な準備は変わる」
「……なるほど。会議の資料に、何を確認してほしいのか明記するわけね」
「そうだ」
その言葉に、桜子が顔を輝かせた。
「それ、実況の準備と似てますね!」
「……実況?」
「はい! 試合の情報を全部読み上げるわけにはいきませんから、視聴者の皆さんに何を伝えたいのか、どこを見てもらいたいのかを考えて、必要な情報を整理するんです!」
桜子は嬉しそうに続けた。
「会議でも同じように、何を伝えて、何を決めたいのか分かるようにすれば、聞く側も準備しやすいと思います!」
「……なるほどね」
真木が小さく頷いた。
桜子がランク戦の実況システムを立ち上げたのは、単なる思いつきではない。必要なものを考え、関係者に説明し、実際の仕組みとして成立させた経験がある。明るく勢いのある普段の様子に隠れがちだが、こうした企画を形にする能力は確かだった。
「……じゃあ、武富さん。会議資料の整理案を説明する時は、お願いできる?」
「もちろんです!」
桜子が満面の笑みで頷き、ヒュースも小さく頷いた。
「適任だな」
真木は資料に目を落とした。
ラーメンを食べたい。ただそれだけだったはずの話が、いつの間にか本格的な業務改善へ発展している。
しかし、不思議と嫌な気はしなかった。
実際に困っている人間がいて、その問題を解決できそうな方法が見つかっているのだ。取り組む理由としては、それだけでも十分だった。
◯
「……なるほど」
沢村は、改めて提出された改善案を読みながら頷いた。
今回の資料には、申請業務の整理だけでなく、会議資料や報告の手順についても提案がまとめられていた。
共通項目を整理して、申請時点で必要な情報をそろえること。確認中の部署や処理状況を分かりやすくすること。会議前に共有できる資料を整理し、当日は判断が必要な事項に集中できるようにすること。重要な報告や緊急の連絡については、従来の手順を維持すること。
いずれも、上層部の権限を変更するようなものではなく、今ある仕組みをより使いやすくするための提案だった。
「……よく調べましたね」
沢村が顔を上げた。
「ありがとうございます。ただし、実際に導入する場合は、関係部署の確認が必要です。私達だけで判断するつもりはありません」
「もちろんです」
沢村が頷き、桜子へ顔を向けた。
「武富さん、各部署への説明もお願いしていいですか?」
「はい! 必要な資料は準備してあります!」
「……準備がいいですね」
「こういうのは慣れていますので!」
桜子は嬉しそうに笑った。
沢村はもう一度資料へ目を通すと、静かに頷いた。
「……分かりました。まずは関係部署で確認して、試験的に導入できる部分がないか検討してみます。ただし、通常業務に支障が出ないことが条件です。既存の手順も、承認が下りるまでは変えないでくださいね」
「もちろんです」
「了解しました!」
「問題ない」
三人が答える。
こうして、真木達の業務改善案は、正式な試験運用へ進むことになった。
◯
試験運用が始まってから、最初の一週間は予想以上に忙しかった。
もっとも、それは業務改善そのものが新しい仕事を増やしたからではない。新しい手順が、本当に従来の方法より使いやすいのかを確かめるためである。
関係部署の担当者が通常業務の中で試作された申請画面を使用し、その結果を確認する。オペレーター達は空いた時間に操作上の問題点を報告し、必要な修正を提案する。最終的な変更は担当部署が承認したものだけを反映するという形だった。
最初から完璧に進んだわけではない。
ある部署では、従来の申請書に記載されていた項目が足りず、追加の確認が必要になった。また別の部署では、共通項目の名称が分かりにくく、申請者が誤った内容を入力してしまうこともあった。
「……やっぱり、実際に使わないと分からないことってありますね」
桜子が苦笑すると、真木は当然のように頷いた。
「当たり前でしょ。最初の案が完璧だなんて思ってないわよ。むしろ、正式に導入する前に問題が出てくれた方がいいんだから」
真木は確認結果を整理し、修正が必要な項目に印を付けた。
国近は入力画面の使いやすさを確認し、小佐野は実際に操作した時の分かりにくさを指摘する。宇佐美は画面の構成と情報共有の方法を見直し、三上と氷見は、申請が担当部署へ正しく伝わっているかを確認していた。
それぞれが普段の任務を優先しながら、無理のない範囲で協力している。
その様子を見ていたヒュースが、ふと口を開いた。
「……真木」
「何?」
「今回の試験運用で、以前より処理に時間がかかった申請もあるな。その原因は確認できているのか?」
「一応ね。新しい形式に慣れていないことと、必要な項目がまだ十分に整理されていないことが原因みたい」
「なら、その二つは分けて考えた方がいい」
「……どういうこと?」
「使い方に慣れれば解決する問題と、仕組みそのものを変更しなければ解決しない問題は別だろう。さらに、入力する側の時間が短くなっても、確認する側の仕事が増えていれば意味がない。全体の処理時間で判断すべきだ」
「……ああ、確かに」
真木は少しだけ考えた。
そして、資料に新しい項目を書き加える。
『申請者の所要時間』
『担当者の確認時間』
『差し戻し回数』
『処理完了までの時間』
「……これでどう?」
ヒュースが確認する。
「妥当だと思う」
「……そう」
その横で桜子が、感心したように二人を見比べていた。
「……何というか、お二人ともすごく真剣ですね」
「……当たり前でしょ。実際に使ってもらってるんだから、中途半端なものにはできないわよ」
「……なるほど!」
桜子が嬉しそうに頷いた。
ヒュースも静かに続ける。
「成果が出なければ、当初の目的も達成できない」
「……ああ」
真木の手が止まった。
そして、ゆっくりとヒュースを見た。
「……あんた、まだラーメンのこと考えてたの?」
「当然だ」
「…………」
真木は額に手を当てた。
桜子が吹き出す。
「あはは! ヒュースくん、全然ぶれませんね!」
「目的を忘れる理由がない」
「……いや、そうだけど」
真木は深く息を吐いた。
しかし、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。
◯
試験運用が始まって二週間。
ようやく、目に見える成果が出始めた。
訓練施設の使用申請では、必要な情報が最初からそろうようになったことで、担当部署からの差し戻しが減少した。以前は一つの申請を処理するために複数回の問い合わせが必要になることも珍しくなかったが、新しい形式では、そうしたやり取りが大幅に減っていた。
さらに、申請の進行状況を確認できるようになったことで、どの部署の回答を待っているのかも分かりやすくなった。
会議の進め方についても、変化が現れていた。
事前に確認できる資料は会議前に共有し、会議では判断や意見調整が必要な部分を中心に扱う。すべての会議で使える方法ではないものの、定例的な報告や確認については、確実に時間が短縮されていた。
そして最も大きかったのは、会議が終わった後の処理だった。
以前は、会議中に必要な情報がそろっていなかったため、追加の確認を行い、後日もう一度判断を求めることがあった。しかし、事前に資料を整理することで、その場で判断できる案件が増えていたのである。
「……なるほど」
真木は結果を確認しながら頷いた。
「申請の差し戻しも減ってるし、会議の後に追加確認する回数も少なくなってる」
「本当ですか!」
桜子が顔を輝かせた。
「ええ。少なくとも、今回試した範囲では改善が確認できてるわ」
もちろん、すべての部署で同じ成果が出たわけではない。手順を変更することで逆に時間がかかった部分もあり、そこは引き続き修正が必要だった。
それでも、全体として見れば十分に意味のある結果だった。
「……これなら、関係部署に報告できそうね」
「やりましたね!」
桜子が嬉しそうに笑った。
その横でヒュースも頷く。
「まだ改善の余地はあるが、結果は出ている。最初の目的にも近づいたな」
「……そうね」
真木が答えた。
その時、国近が顔を上げる。
「ねえねえ、真木ちゃん」
「……何?」
「これ、司令の業務も楽になるのかな?」
「……どうかしら。最高司令官が直接判断する仕事は変わらないけど、そこへ回ってくる資料が整理されれば、確認する時間は減るかもしれないわね」
「……なるほど!」
宇佐美が頷いた。
「会議の前に必要な情報がそろってるだけでも、結構違うもんね」
「そうですね。会議が短くなれば、参加する方々の時間も空きますし」
三上も微笑む。
「確認のための連絡も減りますね」
氷見が続けた。
小佐野ものんびりと頷く。
「いいこといっぱいだねー」
「……そうね」
真木は小さく笑った。
自分達が始めたのは、ただラーメンをもう一度食べたいというだけの話だった。それが、いつの間にか本部の業務を効率化する取り組みになり、実際に成果まで出している。
何とも妙な話だったが、悪い気分ではなかった。
◯
「……沢村」
「はい」
城戸司令の執務室。
城戸正宗は、机の上の資料を確認しながら口を開いた。
「最近、定例会議の進行が早くなっているな」
「はい。事前に資料を共有する方法を、一部の会議で試験的に導入しています」
「……そうか。それに、提出される報告書も以前より整理されている」
「必要な情報を最初からそろえるようにしたことで、追加の確認が減っています」
「……なるほど」
城戸は小さく頷いた。
ここ最近、確かに仕事の進み方が変わっていた。もちろん、最高司令官として判断しなければならない事項が減ったわけではない。防衛計画や組織運営に関する重要な判断は、従来どおり必要である。
しかし、その判断に必要な情報が以前より整理されている。
会議では、すでに共有されている内容を何度も説明する必要がなくなり、判断が必要な部分へすぐに入れるようになった。結果として、予定していた会議が早く終わることが増えていた。
その時間がすべて自由時間になるわけではない。別の仕事に充てることもできるし、急な案件へ対応する余裕にもなる。それでも、限られた時間を有効に使えるようになったことは確かだった。
「……誰の提案だ?」
城戸が尋ねる。
「現場の隊員達から提出された改善案をもとに、関係部署で検討したものです」
「……現場の?」
「はい」
城戸は少しだけ目を細めた。
「……誰だ?」
沢村は手元の資料を確認した。
「中心になったのは、真木理佐さん、武富桜子さん、それからヒュース君です」
「…………」
城戸の手が止まった。
「……誰だと?」
「真木さん、武富さん、ヒュース君の三名です」
城戸はゆっくりと資料を置いた。
真木理佐。冬島隊のオペレーター。
武富桜子。海老名隊のオペレーターであり、ランク戦実況システムを立ち上げた人物。
そして、ヒュース。玉狛第二に所属する戦闘員。
それぞれの能力や役割は理解している。しかし、三人が共同で本部の業務改善案を作成したというのは、少々意外だった。
「……妙な組み合わせだな」
「……そうですね。私も最初は驚きました」
「三人だけで行ったのか?」
「いえ。国近さん、宇佐美さん、三上さん、氷見さん、小佐野さんも協力しています。実際の試験運用については、関係部署の担当者にも参加してもらっています」
「……なるほど」
城戸は資料を見直した。
現場の問題点を調べ、申請方法や情報共有の手順を改善する。どれも、オペレーター達の得意分野を活かせる仕事だった。
だが、ヒュースがそこに加わっている理由だけは、少々気になった。
「……ヒュースは何を担当した?」
「個人情報や機密事項を除いた手順図を使って、作業の重複や問題点の分析を担当したそうです」
「……そうか」
城戸は頷いた。
必要な情報の取り扱いについても、適切に配慮されているらしい。
「……成果は出ているのか」
「はい。試験運用を行った部署では、申請の差し戻しや確認のためのやり取りが減っています。会議の進行時間も短縮できており、実際に上層部の予定にも余裕が生まれています」
「……なるほど」
城戸は少し考えた。
そして、静かに言った。
「……ならば、評価すべきだな」
「……はい」
「成果を出した者には、それに見合う評価が必要だ」
城戸は資料を閉じた。
「中心になった三人を呼んでくれ。協力した隊員達についても、功績が適切に評価されるよう関係部署へ伝えておく」
「分かりました」
沢村が頷いた。
◯
「……失礼します」
真木が先頭に立ち、執務室へ入った。
その後ろには桜子とヒュースが続いている。
三人とも、いつもより少しだけ緊張していた。城戸司令から直々に呼び出されたのである。
理由は、おそらく業務改善案についてだろう。
ただし、真木には一つだけ不安があった。
最初の動機である。
ラーメン。
最高司令官にラーメンを作ってもらう時間を確保するために、業務改善を始めた。
今となっては、我ながら意味が分からない。
「……三人とも」
「はい」
真木が答える。
「先日の業務改善案についてだが、関係部署での試験運用によって成果が出ている。申請の確認にかかる時間が減り、会議の進行も改善されている。結果として、本部全体の業務効率が上がっているようだ」
城戸は三人を見比べた。
「……よくやってくれた」
真木が目を瞬いた。
桜子も驚いたように顔を上げる。
ヒュースは静かに頷いた。
「当然のことをしただけだ」
「……そうか。だが、成果を出した者を評価しないわけにはいかん。協力した隊員達や関係部署についても、適切に功績を報告するよう指示してある」
「……ありがとうございます」
真木が頭を下げた。
その横で桜子も嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます!」
城戸は頷いた。
そして、少しだけ考えてから口を開いた。
「……ただ、その前に一つ聞きたい」
「……はい」
「何故、この改善案を考えた?」
三人が黙った。
真木の表情が固まる。
桜子が目を泳がせる。
ヒュースだけは、特に変わった様子もなかった。
「……真木。何か、きっかけがあったのだろう?」
「……はい」
真木は少しだけ考えた。
どう答えるべきか。
組織の業務効率を改善することには意義がある。実際に調べているうちに、改善すべき問題点が見つかった。提案も真剣に行ったし、協力してくれたオペレーター達も、それぞれの能力を活かして仕事をしてくれた。
しかし、そもそもの始まりはラーメンだった。
「……その、実は……城戸司令の、ラーメンが……」
城戸の手が止まった。
「……ラーメン?」
「……はい」
真木は少しだけ俯いた。
「……また食べたいという話になりまして」
城戸が黙った。
桜子が慌てて口を開く。
「あ、あの! もちろん、業務改善自体は真剣に考えました! 司令のお仕事を邪魔するつもりは全然なくて! むしろ、お仕事の負担を減らせたらいいなって!」
「……なるほど」
城戸は小さく頷いた。
しかし、まだ少し理解できていないらしい。
「……つまり?」
その時、ヒュースが静かに口を開いた。
「最初の目的は、城戸司令にラーメンを作る時間を確保することだった」
城戸の表情が止まった。
「……何?」
「前回のラーメンは三日間の仕込みが必要だった。だが、司令の業務が忙しければ、その時間を確保するのは難しい。そこで、業務効率を改善すれば、ラーメンを作る時間も確保できるのではないかと考えた」
ヒュースは当然のように続ける。
「実際に調査したところ、改善可能な部分が見つかったため、提案した。ほかのオペレーター達も同じ目的に賛同して協力してくれた」
城戸は三人を見比べた。
真木は俯いている。
桜子は少しだけ困ったように笑っている。
ヒュースは真剣な顔だった。
しばらく沈黙が続いた。
「……つまり」
城戸がゆっくりと口を開いた。
「私にラーメンを作らせるために、本部の業務改善を行ったということか?」
「……はい」
真木が小さく答えた。
「そうです!」
桜子が頷いた。
「ああ」
ヒュースも同意した。
城戸は目を閉じ、深く息を吐いた。
「……全く、妙なことを考えるものだ」
三人の肩が少しだけ強張る。
しかし、城戸の視線はすでに机の上の資料へ戻っていた。
「……だが、結果として組織の業務は改善されている。動機がどうであれ、成果そのものが失われるわけではない」
真木が顔を上げた。
城戸は続ける。
「むしろ、現場の隊員達が自発的に問題点を見つけ、改善案をまとめたことには意味がある。今回の成果は、正式に評価する」
桜子が目を瞬いた。
ヒュースも静かに頷いた。
「合理的な判断だ」
「……そうか」
城戸は少しだけ考えた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……成果が出たならば、それに見合う報酬が必要か」
三人が黙った。
城戸はゆっくりと顔を上げる。
「……それがラーメンで良いのか?」
数秒。
真木が固まった。
桜子も固まった。
ヒュースだけが、当然のように頷いた。
「問題ない。むしろ、それが最も望ましい」
「……ちょっと、ヒュース!」
真木が思わず顔を上げた。
「もう少し遠慮しなさいよ!」
「なぜだ? 城戸司令が望む報酬を尋ねたのだろう?」
「……それはそうだけど!」
その横で桜子が、おずおずと手を上げた。
「あ、あの……私も、ラーメンがいいです」
城戸が黙った。
真木は天井を見上げる。
「……もう」
小さなため息。
しかし、城戸は最後に真木へ視線を向けた。
「……真木。お前は?」
真木は少しだけ迷った。
組織の業務改善に貢献した報酬として、最高司令官にラーメンを作ってもらう。冷静に考えると、かなりおかしな話である。
それでも。
あのスープ。
あの麺。
あの焼豚。
思い出すと、どうしても食べたくなる。
「……私も」
真木は小さく息を吐いた。
「……ラーメンがいいです」
城戸は三人を見比べ、深く息を吐いた。
「……分かった」
「……え?」
桜子が顔を上げた。
「……本当ですか?」
「ああ。今回の業務改善によって、以前より予定を調整しやすくなったことは確かだ。通常業務に支障が出ない範囲で、次の仕込みを行うことにしよう」
三人が止まった。
数秒後。
「……やったー!!」
桜子が勢いよく両手を上げた。
「第二回! 第二回のラーメン提供が決まりました!」
「……まだ日程は決まっていない」
城戸が静かに訂正する。
「……あっ、はい!」
「それに、前回と同じ規模で提供できるとは限らん。厨房の使用時間や必要な材料についても、改めて食堂側と相談する必要がある」
「了解しました!」
桜子は勢いよく頷いた。
ヒュースも静かに口を開く。
「……では、目的は達成したと考えていいな」
「……そうだな」
城戸が頷いた。
その横で真木が、ようやく小さく笑った。
「……よかった」
思わず漏れた一言だった。
城戸はそんな彼女を見て、少しだけ目を細めた。
「……ただし、今回の改善案は、ラーメンとは別に正式な成果として扱う。そこは混同するな」
「……え?」
真木が顔を上げた。
「お前達が行ったのは、組織にとって有益な仕事だ。それを食事一回で済ませるつもりはない」
桜子が目を瞬いた。
ヒュースも少しだけ考えた。
「……ならば、ラーメンは?」
「……個人的な礼だ」
城戸は当然のように答えた。
三人が黙った。
城戸は続ける。
「協力したオペレーター達についても同様だ。今回の改善に関わった者達には、適切に感謝を伝えておきたい」
「……ありがとうございます!」
桜子が深々と頭を下げた。
真木も静かに頭を下げる。
「……ありがとうございます」
ヒュースも頷いた。
「感謝する」
城戸は小さく息を吐いた。
「……全く」
そう呟きながら、机の上の予定表へ視線を向けた。
ここ最近、会議や報告の処理が以前より円滑になっている。確かに、以前より少しだけ時間に余裕が生まれていた。
もちろん、最高司令官としての仕事が最優先であることに変わりはない。
しかし、自分の仕事を効率化するために真剣に取り組み、実際に成果まで出した隊員達がいる。
その礼としてラーメンを作る程度なら、悪い話ではないのかもしれなかった。
◯
「……沢村」
「はい」
三人が退出した後、城戸は改めて予定表を確認した。
「先ほどの件だが、食堂の責任者へ連絡を取ってくれ」
「……ラーメンの件ですね?」
「ああ。厨房の使用時間と、必要な材料について確認したい」
「分かりました」
沢村が頷いた。
「ただし、通常の食堂業務を妨げるわけにはいかん。無理のない日程を調整してくれ」
「承知しました」
「それから、奏真にも連絡を」
「……奏真くんですか?」
「ああ」
城戸は当然のように頷いた。
「以前、次回の仕込みを三日間手伝うと言っていた。約束は守らせる」
沢村は少しだけ笑った。
「……分かりました」
どうやら、最高司令官は本当にラーメンを作るつもりらしい。
◯
その日の夕方。
本部食堂の一角で、真木、桜子、ヒュースの三人が再び集まっていた。
「……いやー、ついにやりましたね!」
桜子が嬉しそうに笑う。
「まだ日程は決まってないけどね」
真木が釘を刺す。
「でも、司令が作るって言ってくださったんですよ!」
「……まあ、そうね」
真木は少しだけ口元を緩めた。
ヒュースも静かに頷く。
「目標は達成した。あとは日程の確定を待つだけだ」
そこへ、少し離れた席から国近が顔を出した。
「ねえねえ、真木ちゃん! ラーメン、また食べられるんだって?」
「……まあ、そうみたい」
「やったー!」
国近が嬉しそうに笑った。
その後ろから宇佐美や氷見、三上、小佐野もやって来る。
「いやー、みんなで頑張った甲斐があったね!」
宇佐美が笑うと、氷見も頷いた。
「本当に。あのラーメンをもう一度食べられるなんて、嬉しいです」
「楽しみですね」
三上も微笑む。
小佐野はのんびりと続けた。
「今度は早めに並ぼっかなー」
「……まあ、提供数次第でしょうね」
真木が答えた。
すると桜子が、何かを思いついたように顔を上げる。
「……あの! 今回の業務改善って、結構すごい成果ですよね?」
「……まあ、そうね。実際に導入されたし、結果も出てるから」
「そうだな」
ヒュースも同意する。
桜子は少し考えた。
そして、にっこりと笑った。
「……じゃあ、次も何か改善すれば、またラーメンを作ってもらえるんじゃないですか?」
真木が止まった。
「……ちょっと待って」
その横で、ヒュースが腕を組んで考え込む。
「……理屈としては、間違っていないな」
「……あんた達、まさかまた何かするつもり?」
「だって、今回の成果が出たなら、次もできるかもしれませんよ?」
桜子が首を傾げると、ヒュースも静かに続けた。
「実際、まだ改善できる部分は残っている。今回調査した範囲だけでも、未検討の問題点がいくつかある」
「……それは、そうだけど」
「ならば、引き続き調査する価値はあるだろう」
国近も楽しそうに笑った。
「いいねー! 次はもっと使いやすくできるかも!」
「私も、まだ気になってるところがあります」
氷見が頷く。
「今回の改善を踏まえて、次に確認したい部分もありますし」
三上も続けた。
「それなら、またみんなで手伝えるねー」
小佐野がのんびりと笑う。
「……ちょっと!」
真木が声を上げた。
「何でみんな、そんなに乗り気なのよ!」
「えー? だって真木ちゃん」
国近が不思議そうに首を傾げた。
「今回、結構楽しかったじゃん? いろんな部署の人と話して、使いにくいところ見つけて、みんなで直してさ。ちゃんと良くなったんだから、またやってもいいんじゃない?」
真木が止まった。
確かに、今回の業務改善は悪い経験ではなかった。普段は関わることの少ない部署の仕事を知り、問題点を整理し、改善案を提案する。
それが実際に採用され、組織全体の業務が少しずつ円滑になった。
そして、何より。
あのラーメンをもう一度食べられる。
「……まずは」
真木は小さく息を吐いた。
「……次のラーメン、食べてからにしなさいよ」
「……確かに」
ヒュースが静かに頷いた。
「先に報酬を確認するべきだな」
「……そうですよね!」
桜子も嬉しそうに頷く。
「では、第二次業務改善計画は、ラーメン提供後に開始ということで!」
「……だから!」
真木が声を上げかけた。
しかし、そこで言葉を止めた。
少しだけ考える。
今回の成果が出たのは、真木や桜子、ヒュースだけの力ではない。ほかのオペレーター達や関係部署の担当者が協力してくれたからこそ、実際に使える改善案が完成した。
それに、やるのであれば今回よりもっと良いものを作れるかもしれない。
「……まあ」
真木は小さく息を吐いた。
「……次のラーメンが美味しかったら、考えてもいいけど」
桜子の顔が、ぱっと明るくなった。
「……真木先輩!」
「……何?」
「やっぱり、また食べたいんですね!」
「……うるさい!」
桜子が笑った。
国近も宇佐美も、つられて笑い始める。
ヒュースは静かに頷いた。
「合理的な判断だ」
「……あんたも黙って!」
真木の声が食堂に響いた。
◯
「……叔父さん!」
「……何だ、奏真」
同じ頃、城戸司令の執務室。
顔を出した奏真は、いつも以上に楽しそうだった。
「聞いたよー!」
「……何をだ?」
「ラーメン!」
城戸の手が止まった。
「……ああ」
「いやー、すごいね! まさかラーメンのために業務改善までやっちゃうとは思わなかったよ!」
「……私もだ」
城戸は深く息を吐いた。
「しかも、真木っぺ、とタケミッフィーとヒュロットが中心になって、ほかのオペレーター達まで協力したんでしょ?」
「……ああ。動機はともかく、改善案そのものは合理的だった。実際に業務の効率も上がっている」
「うんうん! みんな本気だね!」
奏真が嬉しそうに笑う。
「……で、いつ作るの?」
城戸が黙った。
「……奏真。お前、前回の約束は覚えているな?」
「……ああ! 三日間、仕込みを手伝うって話ね!」
「……そうだ」
「もちろん覚えてるよー!」
城戸は少しだけ目を細めた。
「……本当だな?」
「本当本当!」
「……そうか。日程が決まり次第、連絡する」
「了解ー!」
奏真が満面の笑みで頷いた。
そして、ふと思い出したように口を開く。
「……あ、そうだ!」
「何だ?」
「次も一番得意な豚骨醤油なんでしょ?」
城戸は資料をめくっていた手を止めた。
そして、少しだけ不思議そうに甥を見る。
「……奏真」
「ん?」
「私は豚骨醤油が一番得意なラーメンと言った覚えはないぞ」
奏真が目を瞬いた。
「……え?」
一拍。
「……えぇ!?」
思わず声が裏返った。
「ちょっと待って、叔父さん!? あれだけのもの作っておいて、一番得意じゃないの!?」
「別に豚骨醤油が苦手だと言っているわけではない」
「いやいや! あれ、真木ちゃんが絶賛して、桜子ちゃんが食レポ始めて、ヒュースまで本気で業務改善する原因になったラーメンだよ!?」
「……知っている」
「そのラーメンが一番得意じゃないって!?」
城戸は当然のように頷いた。
「不得意と言ってる訳ではない。自分の中で一番無難で味にブレがないのが豚骨醤油だと言うだけだ」
奏真が止まった。
「……えぇ!?」
再び声が裏返る。
「……じゃあ何が得意なの?」
「家系ラーメンと呼ばれているジャンルの物だな」
「……あの、豚骨醤油の?」
「そうだ」
奏真は少し考えた。
「……あれ? じゃあ前のラーメンと同じじゃないの?」
「同じではない」
城戸は静かに首を振った。
「豚骨醤油という括りでは同じだが、家系として仕上げるなら、スープの取り方も醤油ダレも異なる。鶏油の使い方も重要になる」
「……ほう?」
「麺との相性も考えねばならん。単純に味を濃くすればいいというものではないからな」
奏真は叔父を見た。
城戸は真剣だった。
普段、防衛計画や組織運営について語る時と、ほとんど変わらない調子でラーメンの話をしている。
「……叔父さん」
「何だ?」
「……今、すっごい楽しそうじゃない?」
「……気のせいだ」
「いやいや! 絶対気のせいじゃないって!」
奏真が笑い始める。
しかし、そこでふと気づいた。
「……あれ?」
「何だ」
「……ということはさ」
奏真はゆっくりと顔を上げた。
「この前みんなが絶賛したラーメンより、叔父さん的にはもっと自信があるラーメンが存在するってこと?」
「……そうなるな」
数秒間の沈黙。
そして。
「えぇぇぇ!?」
奏真の声が執務室に響き渡った。
こうして、ラーメンを食べたいという実に単純な動機から始まった計画は、ボーダー本部の業務改善という思いもよらない成果を生み出した。
最高司令官の時間を確保するために、組織の仕事を効率化する。
そして、その成果への礼として、最高司令官がラーメンを作る。
果たして、それが合理的なのかどうか。
少なくとも、今回の計画に参加した隊員達にとっては、十分に満足のいく結果だった。
ただし。
彼女達は、まだ知らなかった。
城戸正宗が、先日提供した豚骨醤油ラーメンを自分の最高傑作だとは考えていないことを。
そして、その事実を知った城戸奏真が、翌日には嬉々として周囲へ話して回ることを。
そしてそれは忍田本部長が
「絶対に開店前に並ぶからな沢村君、緊急性のない業務が入りそうなら午後にずらしてくれ」
と言い、その横で林藤支部長が
「アレを超えるラーメン?いやいや、そもそもあの豚骨醤油ですら名店レベルの物なのにか?………忍田に連絡入れて貰って確定日が決まったら一緒に並ぶか…いや迅に聞いた方が早いな」
と言っていた事と奏真が
「叔父さん、料理の話で嘘吐いた事一度もないからガチだから」
と言った事でまたボーダー本部が揺れる事になるのだが、それはまだ迅しか知らない話である。
尚、迅はこの未来が見えた時に大笑いしてぼんち揚げを落としてしまったらしい。