No.1オペレーター城戸奏真の華麗なる緊急脱出<ベイルアウト> 作:羊毛ローブ
五部隊、十七人。
四つ目のゲートという予定外まで発生した防衛戦で、その全員を一人もベイルアウトさせることなく生還させた男がいる。
各部隊にはそれぞれ専属のオペレーターがついていた。にもかかわらず、その更に上から戦場全体を纏め上げ、別々に行われていた戦闘を一つに繋げた男。
城戸奏真。
その防衛戦から一夜明けた本部の休憩室で、武富桜子はいつものように元気よくマイクを握った。
「ということで! 現役オペレーターの皆さんに聞いてみたいと思います!」
カメラはない。生放送でもなければ、正式な取材ですらない。ただ武富が個人的に気になったことを、同業者へ聞いて回ろうとしているだけである。
「昨日の防衛戦! 城戸奏真隊長のオペレーション、同じオペレーターから見て何が一番ヤバかったんですか!?」
「うるさ」
開口一番、国近柚宇が言った。
「第一声それですか!?」
「だって今、お菓子食べてたし」
「お菓子を食べているところへ申し訳ありません!」
「ほんとだよー」
そう言いながらも、国近に怒っている様子はまるでない。手にしていた菓子を一つ摘まんで口へ放り込む。
休憩室のテーブルには、ちょうど何人かのオペレーターが集まっていた。
国近柚宇、氷見亜季、今結花、宇井真登華、小佐野瑠衣。少し離れた席には加賀美倫もいる。
偶然というには随分と都合がいい顔ぶれだが、隊付きオペレーター同士が休憩時間に顔を合わせること自体は珍しくない。
「昨日のログの話?」
宇井が尋ねると、武富は勢いよく頷いた。
「そうです!」
「やっぱり」
「だと思った」
氷見も苦笑する。
どうやら武富が来る前から、昨日の防衛戦は話題に上がっていたらしい。
「いやー、やっぱり気になりますよね! 五部隊ですよ! 十七人ですよ!? しかも一人もベイルアウトしてません!」
「してないねー」
「国近先輩、反応薄くないですか!?」
「だって奏真さんだし」
「え?」
「なんかもう、奏真さんが変なことしても『奏真さんだしなー』で終わるんだよね」
「分かる」
小佐野が何でもないことのように頷く。
「良くないですよ!」
武富が机を叩いた。
「そうやって慣れるから感覚がおかしくなるんです!」
「武富ちゃんに言われたくないなー」
宇井が笑う。
「なんでですか!?」
「一番近くで解説聞いてるじゃん」
「あ」
言われて、武富の動きが止まった。
「それはそうなんですけど!」
「で、何を聞きたいの?」
小佐野が頬杖をつく。
「現役オペレーターから見て、昨日の城戸隊長の何が一番おかしかったのかです!」
「最初からそう聞けばいいのに」
「取材には勢いも必要なんです!」
「それなら、私からいい?」
宇井が軽く手を上げた。
「お願いします!」
「ザキさん」
「はい?」
「昨日、私が担当してたの柿崎隊だから、当然ずっとザキさん達を見てたんだよね」
「そうですね」
「なのにさ」
宇井は少し考えるように視線を上げてから、納得がいかないという顔をした。
「何で城戸さん、私より先にザキさんが迷うタイミング分かってるの?」
「……ああ」
武富にもすぐに思い当たる場面があった。
『柿崎君、次の角曲がったら二択になるから。右行くならそのまま、左行くなら七秒以内に決めて』
奏真がそう告げたのは、柿崎自身がまだその二択を目にしてすらいない時点だった。
「私なら、ザキさんが迷ったのを見てから補助するの。それで普通は間に合う」
「でも城戸隊長は、その前に言った」
「うん。ザキさんが考える時間まで最初から予定に入れてる」
宇井は苦笑する。
「ちょっと嫌じゃない?」
「何でですか?」
「自分の隊員のこと、臨時で入った人の方が分かってるみたいで」
「あー」
「まあ、実際は違うんだけどね。私がザキさんを知ってるのと、城戸さんがザキさんの判断を読めるのは別だから」
「でも悔しい?」
「ちょっとだけ」
「分かります」
今が微笑みながら会話に加わった。
「今先輩もですか?」
「私の場合は、鋼さんへの指示ですね」
「村上先輩?」
「はい。鋼さんには、指示と一緒に理由まで伝えていたでしょう?」
「そういえば」
「鋼さんは理由が分かれば、途中で状況が変わっても自分で判断して動けますから」
「あー……」
「でも、全員に同じだけ説明していたわけじゃありません」
今が昨日のログを思い返すように続ける。
「すぐ動いてほしい人には結論だけ。自分で判断を広げてもらいたい人には理由まで伝える。必要な情報量を相手によって変えていたんです」
「同じ部隊の中でも?」
「変えていました」
今が頷く。
「私なら鋼さんや来馬先輩のことをずっと見てきていますから、二人にどう伝えれば動きやすいかは分かります」
一拍。
「でも城戸さんは、昨日いきなり五部隊に対してそれをやった」
専属オペレーターなら、自分の隊員の癖を知っている。
どこまで説明すればいいのか。どこから先は本人へ任せた方がいいのか。それを経験から判断できる。
問題は、奏真がその判断を専属でもない十七人に対して当然のように行っていたことだった。
「私は三輪さんのところですね」
氷見が口を開く。
「最後の?」
「はい。敵の位置を把握してたのに、伝えなかったところです」
正確には、あれは指示ですらない。
奏真は三輪へ何も言わず、自分の目と耳で敵を捉えさせた。その方が通信を確認するより、およそ〇・二秒速いという理由で。
「〇・二秒のために黙ります?」
「私は怖いです」
氷見はあっさりと言った。
「分かってる情報を伝えずに失敗したら、オペレーターの責任ですから」
「ですよね」
「それでも城戸さんは、三輪さんなら気付くと判断した」
「信頼ですかね?」
「計算に近いと思います」
「うわ」
「武富さん?」
「褒めてます!」
氷見は苦笑する。
「でも、その計算の中にちゃんと本人が入ってるんですよ。三輪さんならこうする。村上さんならこうする。柿崎さんならここで考える」
そこで少し言葉を切った。
「普通、人数が増えればある程度まとめますよね」
「前衛組とか、狙撃手組とか?」
「そうです。でも城戸さんは、十七人を十七人のまま見てる」
その言葉には、さすがに誰もすぐ返さなかった。
「それは私も思った」
小佐野が口を開く。
「諏訪さんなんか、細かく指示したら絶対うるさいし」
「言いそうですね!」
「『いちいち分かってることまで言うんじゃねえ』って絶対言う」
「言いますね!」
「だから奏真さんが諏訪さんを見るなら、多分、必要になる直前まで何も言わない。で、必要な時だけ一言」
小佐野はそこで肩を竦めた。
「それで諏訪さんは動くでしょ」
「ああ、なるほど」
「人の扱いが上手いんじゃない?」
「言い方!」
「褒めてるって」
笑いが起こる。
「でもさー」
国近が菓子袋を机へ置いた。
「みんな難しく考え過ぎじゃない?」
「国近先輩は違うんですか?」
「機材」
「そこ!?」
「だって、おかしいじゃん」
国近は真顔だった。
「あの人、昨日ほとんど機材触ってないんだよ?」
「評価一ですからね!」
「アリンコだからね」
「本人にも言ってます?」
「言ってる」
「強い!」
「でも、だから余計に変なの」
国近は指を順番に立てていく。
「奏真さんが考える。口で言う。月見さんとか各隊のオペが入力する。それで画面に反映される」
そこまで聞いて、武富も気付いた。
「あ。そうか」
「自分で操作出来る人より一工程多いんだよ。でも遅れない」
「……確かに」
宇井が呟く。
「そう言われると、それも変だね」
「でしょ?」
国近は満足そうに笑う。
「だから機材操作がアリンコ」
「そこへ戻るんですね!」
「大事だよ?」
「でも」
それまで少し離れたところで聞いていた加賀美が、遠慮がちに口を挟んだ。
「私、昔一度だけ本部の訓練で城戸さんを見たことがあるんですけど」
「はい!」
「昔は普通に機材操作、上手かったような……」
その場が止まった。
「え?」
武富が固まり、宇井と小佐野もほぼ同時に同じ声を漏らす。
国近だけが「あー」と何かを思い出したように頷いた。
「やっぱそうだよね」
「知ってたんですか?」
「昔のログ見たことあるもん」
「じゃあ何で今一なんですか!?」
「知らなーい」
「絶対おかしいですよ!」
武富が勢いよく立ち上がり、数秒考えた末に人差し指を立てた。
「分かった! 後進育成ですよ!」
「何でそうなるの?」
「城戸隊長、一度ボーダーを辞めて復帰してから、後輩育成にかなり力入れてるじゃないですか! 自分が全部やったら後輩が育たないから!」
「あー」
「それは本人も言ってるね」
「だから機材も、わざと触らない!」
何人かが顔を見合わせる。
「それなら辻褄合うかも」
「昔は上手かったんでしょ?」
「本人は評価一って言ってるけど」
「わざとじゃない?」
実際、奏真が復帰後に後進育成へ力を入れているのは事実である。自分が何もかも答えてしまえば後輩が育たない、という考えも本人は口にしている。
だからこそ、その推測には妙な説得力があった。
機材操作に関してだけは、完全に間違っているのだが。
「…………」
少し離れた席で、宇佐美栞だけが何とも言えない顔をしていた。
「宇佐美先輩?」
「ん?」
「どうしました?」
「いや。奏真先輩も大変だなーって」
「やっぱり何か知ってます?」
「知らない知らない」
「絶対知ってますよ!」
「本人に聞いてみたら? 普通に『俺ほんとに下手なんだって』って言うと思うよ」
「それ絶対誤魔化してるやつじゃないですか!」
「…………」
「何ですかその目!?」
宇佐美は何も答えなかった。
本人は真実を話しているのに、昔の奏真を知っている人間ほど信じてくれない。
そして真相を知っている者だけは信じてくれる代わりに、どうしようもなく可哀想なものを見る目を向けてくる。
城戸奏真、二十四歳。
元・最高峰オペレーター。
現在の機材操作評価、一。
世の中には、知らない方が幸せなこともある。
○
「続いて! 冬島隊オペレーター、真木理佐先輩です!」
「はい」
場所を移し、武富は冬島隊の作戦室で再びマイクを握っていた。
今度は真木理佐と一対一である。雑談中の真木へ突然マイクを突きつけるほど、武富も命知らずではなかった。
「昨日の防衛ログを見た上で、城戸奏真隊長をオペレーターとしてどう評価しますか?」
「高く評価してるわよ」
「おお!」
「何を驚いてるの?」
「いや、その……」
「私が城戸さん本人を好きじゃないから?」
「……はい」
「それとこれとは別でしょう。オペレーターとしては尊敬してるわ」
真木にとっては、わざわざ説明するほどのことでもないらしい。
「じゃあ、昨日のログで一番凄いと思ったところは?」
「情報の優先順位を変える速さ」
「優先順位?」
「並列処理とか予測ばかり言われるけど、十七人分の情報を全部同じ精度で処理してるわけじゃないわ」
真木が昨日のログを開く。
「最初は避難誘導。その後、敵の移動予測が上がる。奈良坂君の射線が成立する可能性が出たら、そっちを上げる。必要性が下がった情報は落として、要らなくなったものは捨てる」
「それをずっと入れ替えてる?」
「そう」
「十七人分?」
「敵、市民、ゲート、地形、各隊のオペレーターから上がる情報も含めてね」
武富の顔が引きつった。
「それ、情報処理っていうより……」
「だから、何を処理するか決める能力の方が重要なのよ」
「なるほど……」
「ただし」
真木は武富を見る。
「ここで『じゃあ私もたくさん同時に見ます』とは絶対に考えないで」
「え?」
「特に新人」
声が一段真剣になる。
「城戸さんの処理量を、上手いオペレーターの基準だと思われたら困る」
「そんなに?」
「自分の隊の位置、トリオン、レーダー、敵情報。それを正確に処理するのが先。そこを飛ばして十七人分の未来を見ようとしたら、ただの処理漏れよ」
「事故りますね」
「事故るわよ」
即答だった。
「でも、参考にならないわけじゃないんですよね?」
「当然」
真木は画面を指す。
「情報に優先順位をつける。必要のないものを抱え込まない。そこは基本技術なんだから真似すればいい」
「じゃあ何が駄目なんです?」
「規模」
一言だった。
「城戸さんは基本技術を、基本じゃない規模でやってるの」
「あー……」
「だから面倒なのよ。新人があれを見て『一流ならあれくらい当然なんだ』と思ったら、やってられないわ」
「真木先輩でも?」
「当たり前でしょう」
真木は心底呆れたように言う。
「十七人同時に見られないからって落ち込む新人が出たら、まず城戸さんを基準から外すところから指導し直しよ」
「城戸隊長、教材として危険ですね」
「使い方次第。考え方は教材になる。でも完成形をそのまま見本にするものじゃない」
「なるほど」
「凄い技術と、真似していい技術は同じじゃないの」
それでも真木の口調には、奏真の技術そのものを貶す響きはなかった。
むしろ高く評価しているからこそ、普通の技術と同列に扱いたくないのだろう。
「だから尊敬してる?」
「してるわよ」
「本人のことは?」
「好きじゃない」
「綺麗に分かれますね!」
「あとマイク近い」
「すみません!」
○
「続いて草壁隊隊長兼オペレーター、草壁早紀ちゃんです!」
「はい」
次に訪れたのは草壁隊の作戦室。
こちらも個別取材である。理由は真木とほぼ同じだった。
「昨日の防衛ログを見た上で、城戸奏真隊長をオペレーターとしてどう評価しますか?」
「尊敬してる」
「おお!」
「真木さんにも同じ反応したでしょ」
「何で分かったんですか!?」
「顔」
武富は慌てて表情を戻した。
「本人は?」
「好きじゃない」
「そこも同じ!」
「技術の話をしに来たんじゃないの?」
「そうでした!」
「昨日のログなら、私は四つ目のゲート」
草壁は武富が次の質問をする前にログを開いた。
「城戸さんの予測って、当たることばかり話題になるでしょう?」
「ランク戦だと特にそうですね」
「でも、予測なんて外れるものよ」
画面の中で、四つ目のゲートが開く。
そこだけは奏真も読んでいなかった。
指示が止まる。
二秒。
そして再開する。
「この二秒」
「二秒で組み直したところ?」
「そこじゃない」
「え?」
「捨てたところ」
草壁は言った。
「それまで自分が考えていた未来が使えなくなったと分かった瞬間、固執しなかった」
武富は画面へ目を戻す。
「米屋さんが予定より四秒早く動いた時も同じ。元の予定へ戻そうとせず、その動きを新しい事実として受け入れた」
「現実が違ったら、自分の予測を変える」
「そう」
草壁が頷く。
「私は、当て続けることよりそっちを評価する」
「意外です」
「何が?」
「もっと二秒で再計算した方かと」
「そこを新人に真似されても困るもの」
「あ」
「『予測が外れたら二秒で全体を組み直しましょう』なんて教えるの?」
「無理ですね!」
「でしょう?」
草壁は呆れたように息を吐いた。
「二秒は城戸さんの処理能力の話。そこを技術の本質みたいに扱ったら駄目」
「じゃあ新人に教えるなら?」
「予測は外れる。外れた時は現実を優先する。それだけ」
「急に普通になりましたね」
「普通のことを、異常な速度でやってるのよ」
「真木先輩と似たこと言ってます!」
「でしょうね」
草壁は平然としていた。
「城戸さんって、そういうところが多いから」
「そういうところ?」
「考え方そのものは基本から外れてないのに、処理速度とか範囲とか精度がおかしい」
「ああ……」
「だから困るのよ」
「何がです?」
「新人がログだけ見たら、どこまでがオペレーターとして覚えるべき部分で、どこからが城戸奏真だから出来る部分なのか分からないでしょう?」
「確かに」
「三輪さんに情報を渡さなかったのもそう」
草壁はそこで初めて、先ほど氷見から聞いた場面へ触れた。
「『上手いオペレーターは不要な情報を切る』だけ覚えた新人が、勝手に情報を止め始めたら?」
「怖いですね」
「怖いで済まないわ」
草壁は即答する。
「城戸さんは必要か不要かを判断出来るだけの材料を持ってるからやってるの。結論だけ真似するなって話」
「じゃあ、城戸隊長を教材にするなら難易度高いですね」
「高いわよ」
草壁は少し考えてから続けた。
「むしろ教える側が横にいた方がいい。『ここは参考にしていい』『そこは見るな』って」
「見るなまであるんですか!?」
「ある」
「どこです?」
「十七人同時に見るところ」
「即答!」
「そんなのをオペレーターの当然の仕事にされたら、やってられないもの」
草壁は真顔だった。
「城戸奏真を基準にするな。これは新人に最初に言っておきたいくらい」
「でも尊敬してる」
「してる」
「何か不思議ですね」
「別に」
草壁は画面を閉じる。
「誰にでも出来ることしか出来ないなら、尊敬する理由が一つ減るでしょう?」
「あ」
「出来ないことを出来る。だから凄い。でも凄いからって、そのまま真似していいわけじゃない」
草壁にとっては、その二つは何も矛盾しないらしい。
「なるほど」
「分かったなら終わり?」
「最後に一つ!」
「何?」
「本人のことが好きじゃない理由って、変なあだ名ですか?」
「……」
「当たり!?」
「帰って」
「何て呼ばれてるんですか!?」
「帰って」
○
取材を終えたその日の夕方、武富は再び休憩室へ戻っていた。
「で?」
国近が菓子を摘まみながら聞く。
「どうだった?」
「真木先輩も草壁ちゃんも、技術の話だとめちゃくちゃ普通に教えてくれました!」
「そりゃそうでしょ」
「もっと嫌がられるかと!」
「奏真さん本人の話と、オペレーターの話は別なんじゃない?」
「二人とも同じこと言ってました!」
「で、何が凄いって?」
宇井が尋ねる。
「真木先輩は情報の優先順位! 草壁ちゃんは予測を外した後!」
「あー」
氷見が納得したように頷く。
「草壁さんらしいですね」
「あと真木先輩と草壁ちゃんから、新人に城戸隊長をそのまま真似させるなって」
今度は全員の反応が早かった。
「ああ」
「それはそう」
「絶対駄目」
「満場一致なんですね!?」
武富が声を上げると、国近は笑いながら菓子を摘まんだ。
「だって奏真さん、参考書っていうより珍獣枠だもん」
「酷い!」
「褒めてるよ?」
「その言い方で!?」
その時だった。
「いや、それなんですけど」
休憩室の入口から、新しい声が割り込んだ。
何人かが振り向く。
そこに立っていたのは結束夏凛だった。
「結束先輩!」
「ちょうどその話なら、一個言いたいことがあるんですよ」
「何ですか!?」
武富が即座にマイクを向ける。
結束はその勢いに一瞬だけ身を引いたものの、すぐに真顔になった。
「私、城戸さんの脳みそ、スーパーコンピューター説を提唱してるんですよ」
「いきなり何ですか!?」
「いや、割と真面目に」
「説?」
国近が菓子を食べながら聞き返す。
「はい」
結束は至って真面目な顔で頷いた。
「前に一回、城戸さんに『片桐隊の資料ってありますか?』って聞いたことがあるんです」
「片桐隊の?」
「そうです。何か参考になるものがあれば見せてもらおうと思って」
別に大した頼み事をしたつもりはなかった。
奏真が普段から隊や隊員について色々と考えていることは知っていたし、何かしら資料があるのではないか。その程度の気持ちで聞いただけだったという。
「そしたら」
結束が、奏真の声を真似るように少し調子を変える。
「『あるよー。あげようか?』って」
「軽いですね!」
「軽かったんですよ!」
だから結束も軽い気持ちで、
『ありがとうございます』
と答えた。
そして後悔した。
「もうね」
結束が両手で厚みを示す。
「お婆ちゃん家で見たことある電話帳くらいあったの!」
「電話帳!?」
「今の子には伝わらないかもしれないけど、とにかく分厚いやつ!」
「分かりますけど!」
「問題はそこじゃないんですよ!」
分厚いだけなら、まだ分かる。
資料を大量に集め、片っ端から纏めれば紙の束はいくらでも厚くなる。
だが、結束が渡されたものは違った。
「しかも別に、一枚一枚の内容が薄いから分厚くなったんじゃないんですよ!」
片桐隊の基本情報。
各隊員のトリガー構成。
過去の戦闘傾向。
各隊員が取りやすい選択。
組み合わせごとの動き。
相手によって変わる行動。
マップによる差。
有利状況。
不利状況。
そこから派生する複数の展開。
さらに、その展開から別の展開へ。
どの項目も、ただ数字や事実を並べただけではない。
何故そう判断したのか。
どういう条件なら別の選択肢が生まれるのか。
相手が違う行動を取った場合、そこからどの展開へ枝分かれするのか。
それらが一つ一つ、普通に読み物として成立する密度で詰め込まれていた。
「一枚ずつ普通に濃密なの!」
「それで電話帳くらい?」
「そう!」
結束は力強く頷いた。
「ヤバかった!」
「……それはヤバいね」
国近が珍しく素直に同意した。
「でしょ!?」
「それ、片桐隊だけ?」
氷見が尋ねる。
「片桐隊だけです」
「一部隊で?」
「一部隊で」
何とも言えない沈黙が落ちた。
「最初は私も、『まあ資料をたくさん集めたんだろうな』くらいに思ってたんですよ」
「違ったんですか?」
武富が聞く。
「途中から明らかにおかしいんです」
結束が真顔になる。
「これ、情報を集めただけじゃないなって」
「というと?」
「片桐隊がこう動いた、で終わってないんです。『何でこう動いたのか』『この条件が違ったらどうする可能性があるか』『この相手なら選択がどう変わるか』まであるんですよ」
「……それ全部?」
「全部」
「電話帳くらい?」
「電話帳くらい」
「…………」
「だからヤバいって言ってるじゃないですか!」
結束は一度息を吐くと、改めてその時のことを思い出した。
「しかも読んでる途中で、もっと嫌なことに気づいたんですよ」
「嫌なこと?」
「あれ、多分――」
少し考えてから言い直す。
「少なくとも、城戸さんが片桐隊について考えてることを、全部そのまま書いたものじゃないんですよ」
「……どうして分かるんです?」
「資料だからです」
「はい?」
「人に渡す資料として整理されてるんですよ。順番もそうだし、説明もそうだし。だから、城戸さんの頭の中にあるものを、そのまま全部吐き出したって感じじゃない」
結束は自分の頭を指差した。
「一回ここで考えたものから、人に見せられる部分を抜いて、整理したものなんです」
「…………」
「つまり」
結束は少しだけ声を落とした。
「私が電話帳みたいだって言ってる量より、本人が考えてる量の方が多い可能性が高いんですよ」
「……ああ」
今が納得したように声を漏らす。
「だからスーパーコンピューター?」
「そうです!」
結束が人差し指を立てる。
「城戸奏真の脳みそ、スーパーコンピューター説」
「説じゃなくなってない?」
小佐野が笑う。
「私の中では、かなり確度高いです」
「でも」
宇井が少し考える。
「それだけ考えられるなら、昨日の十七人も……」
「いやいやいや」
結束はすぐに首を振った。
「一部隊ですよ?」
「あ」
「片桐隊だけですよ、これ」
別にボーダー全体の資料を頼んだわけではない。
一人の隊員でもない。
一つの部隊。
ただそれだけについて聞いた結果、電話帳ほどの資料が出てきたのである。
「だから私、途中から怖くなって」
「何がです?」
「他の隊もあるのかなって」
「…………」
「あるんでしょうね」
「聞いたんですか?」
「聞いてません」
「何で?」
「聞いて『あるよー』って言われたら怖いから」
「…………」
「しかも多分、言うでしょ?」
結束が周囲を見る。
誰もすぐには否定しなかった。
「言いそう」
国近が答える。
「でしょ!?」
「奏真先輩なら言いそうだねー」
宇佐美まで同意する。
「ちなみに、資料自体はめちゃくちゃ参考になりました」
「じゃあ良かったじゃないですか」
「良かったですよ?」
一拍。
「読むのにかかった時間以外は」
「どれくらい?」
「聞かないでください」
即答だった。
武富が笑いながらマイクを下ろしかけたところで、宇井がふと首を傾げた。
「……でも」
「はい?」
「それ、誰が作ったんですかね?」
「…………」
結束が止まった。
「その資料」
「…………」
「城戸さんの頭の中にそれだけ情報があるのは、まあ一旦置いといて」
「置かれた」
「それを電話帳くらいの量の資料にした人がいるってことだよね?」
「…………」
結束の表情が徐々に変わっていく。
「……あ」
完全に盲点だったらしい。
内容の異常さにばかり目を奪われていたが、考えてみれば当然の疑問だった。
奏真の頭の中にどれだけ大量の情報が存在していようと、それだけでは資料にはならない。
誰かが文章にし、整理し、形にしなければならない。
「そういえばそれは聞いてなかった」
「聞かなかったんですか!?」
武富が食いつく。
「いや、だって!」
結束が反射的に声を上げる。
「渡された時は、まず量にびっくりするじゃないですか!」
「しますね!」
「それで読み始めたら、今度は中身にびっくりするじゃないですか!」
「します!」
「そしたら次は、『この人、普段こんなこと考えてるの!?』ってなるじゃないですか!」
「なります!」
「武富ちゃん全部乗るね」
国近が呆れたように言った。
「だって分かりますもん!」
「それで、作った人のことは?」
「そこで終わったんですよ!」
「一番根本的なところ聞いてないじゃん」
「今気づいたんです!」
結束は言い切ると、しばらく黙り込んだ。
「…………」
「…………」
「……誰が作ったんだろ」
「そこ、今まで気にならなかったんですか?」
「だから今気づいたって言ってるじゃないですか!」
「城戸さん本人じゃないの?」
小佐野が言う。
「いや、でも」
結束が何とも言えない顔になる。
「今の城戸さん、機材操作一ですよ?」
「あ」
「アリンコだよ」
国近が補足する。
「何でそこでちょっと嬉しそうなんですか」
「事実だから」
「昔に作ったんじゃない?」
氷見が言う。
「それもあるかもしれません」
「誰かに入力してもらったとか」
今が続ける。
「それもあるかもしれません」
「じゃあ分かんないね」
「分かんないんですよ」
結束は腕を組んだ。
昔に作ったものなのか。
誰かに手伝ってもらったのか。
本人が何らかの方法で作ったのか。
そもそも、いつ作られた資料なのか。
考えてみれば何一つ聞いていない。
「今度聞きます」
結束は真剣な顔で頷いた。
「絶対聞きます」
「脳みそスーパーコンピューター説より、そっちを先に確認した方が良かったんじゃないですか?」
武富が尋ねる。
「それは今言わないでください」
「でも」
「言わないでください」
結束は咳払いをすると、何事もなかったかのように人差し指を立てた。
「とにかく、資料の作成者については現在調査中ですが」
「今初めて疑問に思っただけですよね?」
「城戸奏真の脳みそ、スーパーコンピューター説については、引き続き私は強く提唱していきたいと思います」
「そこは揺るがないんですね」
「だって電話帳ですよ?」
一拍。
「しかも一枚一枚濃密な」
「分かりましたから!」
「ヤバかったんですって。本当に」
笑いが起こる。
だが、結束の話を聞いた後では、先ほど氷見が口にした「十七人を十七人のまま見ている」という評価も、少し違って聞こえた。
目の前の十七人だけを見ているのではない。
奏真の中には、それぞれがこれまでどう戦い、どう判断し、何を選んできたのかという蓄積がある。
その一端を書き出しただけで、一部隊につき電話帳ほどになるのだとすれば。
「……やっぱ珍獣じゃん」
国近が呟いた。
「スーパーコンピューターです!」
「どっちでもいいよー」
「良くないです!」
「で」
宇井が飲み物を置いた。
「色々聞いてきたけど、武富ちゃんはどう思ってるの?」
「私ですか?」
「そう。一番解説一緒にやってるじゃん」
「あー……」
武富は少し考えた。
これまで何度も奏真の隣に座り、ランク戦を実況してきた。
まだマップすら発表されていない段階で、奏真が平然とその日の展開を口にすることもあった。そして、それが当たる。
細かなタイミングや角度、進路が外れることはある。それでも、大筋が崩れることは滅多にない。
ただ、何度も隣でそれを見てきたからこそ、武富には「予想がよく当たる」だけでは説明出来ないものがあるように思えた。
「私は」
武富は珍しくマイクを机へ置いた。
「今回見えている情報と、事前に知っている情報。そのバランスを取る力が、一番凄いんじゃないかなって思います」
「バランス?」
国近が聞く。
「はい。実況やってると、私も事前に色々調べるんですよ」
選手のトリガー構成、過去の戦績、得意なマップ、苦手な相手、前の試合で何をしたか。
実況をするなら、試合が始まる前に知っておくべきことはいくらでもある。
「でも、事前情報ばっかり見てると、『この人はいつもこうだから、今回もこうする』って思っちゃうんです」
「あー」
宇井が頷いた。
「逆に、今画面に出てる情報だけ追ってると、目の前で起きたことを説明するだけになるんです」
「実況ならそれでもいいんじゃない?」
「実況ならです。でも城戸隊長は解説なので」
今、目の前で何が起きているのか。
その人がこれまで何をしてきたのか。
その両方を見る。
「城戸隊長って、どっちかだけを信じないんですよ。この人は今までこうだった。でも今日は違う動きをした。じゃあ何で違うのかって、また考え直すんです」
「……ああ」
氷見が小さく声を漏らした。
「だから予測が外れても修正出来るんですね」
「多分ですけど! 本人に確認したわけじゃないですよ!」
武富は慌てて付け足してから、昨日の防衛戦を思い返す。
「米屋先輩が予定より四秒早く動いた時も、『米屋先輩はこう動く人だから予定通りに戻そう』じゃなかった。実際に早く動いたなら、その事実を新しく入れる」
一方で、三輪には昔からの反応速度の癖まで使っている。
過去の情報を捨てているわけでもない。
「過去を信じ過ぎない。でも、過去を無視もしない」
武富は少し笑った。
「だから私は、城戸隊長って『知ってること』と『今見えてること』を混ぜるのが、めちゃくちゃ上手い人なんだと思います」
少しの間、誰も口を挟まなかった。
「なんか」
やがて国近が言った。
「ちゃんとしてる」
「何ですかその感想!?」
「いや、武富ちゃんだからもっと『予想が当たりまくって凄いです!』みたいなのかと」
「私だって実況何回やってると思ってるんですか!」
「二万回?」
「それ南沢先輩です!」
笑いが起こる。
「でも」
氷見が言った。
「多分、それも城戸さんが武富さんとの解説を受けやすい理由なんでしょうね」
「え?」
「城戸さんが何を見てるのか、ちゃんと見ようとしてるから」
不意に褒められ、武富が言葉に詰まる。
「あとサイドエフェクト効かないし」
宇井が横から付け足した。
「そっちですか!?」
「そっち大きくない?」
「大きいと思う」
「ですよね!?」
せっかくの良い話が台無しだった。
「じゃあ結局」
小佐野が笑いながら口を開いた。
「誰が一番なんだろうね、オペレーター」
「え?」
「得意分野なら色々いるじゃん。全部込みで」
そう言われると、少しだけ場が静かになった。
「……奏真さんじゃない?」
国近が菓子を食べながら、何でもないことのように言った。
「機材操作一なのに?」
「機材操作一だけど」
「一なのに?」
「一でも」
氷見は少し考えてから答えた。
「私は、城戸さんより上の人を知りませんね」
「私もです」
今が頷く。
「私もかなー」
小佐野も続いた。
宇井も少し悔しそうに、
「まあ、そうなるかな」
と認める。
「私はスーパーコンピューター説を推します」
結束が加わった。
「それ評価なんですか!?」
「評価です」
「本当に?」
「片桐隊だけで電話帳ですよ?」
「もう分かりました!」
「でも」
武富が口を開いた。
「今日聞いた人、凄いと思ってるところが全然違うんですよ」
柿崎への先回り。
隊員ごとの情報量。
伝えない判断。
機材を扱えない状態での処理速度。
情報の優先順位。
予測が崩れた後の切り替え。
事前情報と現在情報のバランス。
そして、頭の中に蓄積された異常な量の戦術情報。
「なのに、最終的な評価だけ同じになるんです」
一つの能力だけなら、奏真より上手い人間はいるのかもしれない。
少なくとも機材操作なら、上を探す必要すらない。
それでも、それら全てを必要な時に、必要な相手へ、必要な形で使う。
そこまで含めて一人のオペレーターとして見た時。
「城戸隊長になる」
「……なんか腹立つね」
国近が呟いた。
「何でですか!?」
「機材操作一なのに」
「そこ!?」
再び笑いが起こる。
「何の話?」
そこへ声がかかった。
振り向けば、いつの間に来たのか月見蓮が立っていた。
「ちょうどいいところに!」
武富が反射的にマイクを持ち上げる。
「月見先輩! 一つだけ!」
「何?」
「城戸隊長より上のオペレーターって、知ってます?」
月見は数秒黙った。
「知らないわ」
それだけだった。
「おお!」
「何を喜んでるの?」
「今日、ほぼ全員同じ結論なんですよ!」
「そう」
「あと真木先輩と草壁ちゃんから、新人に城戸隊長をそのまま真似させるなって」
「それはそうでしょうね」
「月見先輩も!?」
月見は呆れたように武富を見る。
「城戸さんが何をしたかじゃなくて、どうしてそうしたのかを見なさい。それなら勉強になるわ」
「おお……!」
「結果だけ真似したら事故るわよ」
「やっぱり!」
「それと」
「はい!」
「機材には触らせないで」
「最後そこなんですね!」
「当然でしょう」
「ちなみに月見先輩」
結束が手を上げた。
「何?」
「城戸さんから片桐隊の資料もらったことあるんですけど」
「そう」
「電話帳くらいあったんですよ」
「そう」
「反応薄くないですか?」
「城戸さんでしょう?」
「その一言で済ませないでください!」
結束は思わず身を乗り出した。
「しかも一枚ずつ濃密なんですよ!」
「でしょうね」
「でしょうね!?」
結束の声が裏返る。
「あと、あれ誰が作ったんですか?」
「知らないわ」
「月見先輩も知らないんですか!?」
「本人に聞けばいいでしょう」
「正論!」
あっさりと切られ、結束は肩を落とした。
「……今度聞きます」
「そうしなさい」
好きか嫌いか。一緒に組みたいか。近寄りたいか。参考にしたいか。
その答えは人によって違う。
だが今回の取材で、一つだけ妙な共通点が見つかった。
城戸奏真を高く評価するオペレーターほど、その技術を丸ごと手本にはしなかった。
学ぶなら、何を考えてそうしたのかを学べ。
結果だけを真似するな。
そして何より、あれを普通だと思うな。
片桐隊一隊について考えたことを資料へ落としただけで、電話帳ほどになる男を普通の基準にしてはいけない。
そもそも、その電話帳を誰が作ったのかすら今のところ分からない。
それでも。
オペレーターとして城戸奏真より上の人間を知っているか。
そう聞かれると、誰一人として別の名前を挙げられなかった。
最高のオペレーターと呼ばれる男は、どうやら同業者から見ても、やっぱりおかしいらしい。
最高峰の技術が、最高の教科書になるとは限らない。
なお。
本人の機材操作評価は、一である。
TIPS
新人オペレーターにオペレーター業務を教える際に、城戸奏真を基準にするなと言うのはオペレーター達にとっては当たり前の事になっている。