アル中とさしす組   作:大塚ガキ男

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アル中、

 

 

 

 

「はぁ……、はぁ……」

 

 肩で息をする。

 

「はぁ……、はぁ……」

 

 ロクに力が入らない両脚を左手で殴って、喝を入れる。

 

「はぁ……、はぁ……」

 

 近くに置いておいたリュックサックの中身を横目で見る。中にはもうペットボトルの水しかない。

 目の前の呪霊との戦いでアルコール度数20%のお酒を何本も空け、頼りのアルコール度数40%の芋焼酎も中身はもう半分以下。決死の思いで迎えた第二ラウンドは、またもや引き分けという形で終えようとしていた。

 ボロボロの身体。

 呪霊に飛びかかることも、呪霊からの攻撃を避けることすらままならない程の疲労と、限界を超えた代償。どれだけ呼吸してもその状態異常は一向に改善されず、浮舟の心はもう折れていた。

 継続的に訪れる目眩と吐き気。寿命と引き換えに得た身体能力によって何とか気絶することだけは避けているが、それでも、少しでも気を抜けば膝が折れてしまいそうな程の、か細い一本の、張り詰めた理性の糸だけを頼りにその場に立っていた。

 推定、一級呪霊。

 ボロ切れを身に纏った、やたらと頭部が大きい老人のような見た目の呪霊。体長3メートル程。

 人里離れ、誰にも知られずに寂れ、朽ち果てた社。周りには木々が生い茂り、境内の石畳には苔が()している。こんな状況じゃなければスケッチでも始めたいくらいには幻想的なロケーション。

 現実逃避をするように、長々と現在に至るまでを思い出してみた浮舟。

 最悪の現状。

 アルコール度数40%でも祓い切れない相手。

 推定一級呪霊はその等級に違わず強く、アルコールを倍プッシュした浮舟の力でも致命的な傷を負わせるには至らなかった。

 片や、息も絶え絶え。

 片や、そんな浮舟を見てカツカツと笑い。

 遊ばれている。

 悔しさに歯噛みし、それから言葉が漏れた。

 

「……勝てねぇ」

 

 言ってから、その言葉が不思議と胸にスッと入ってきた。

 考えれば当たり前の事。しかし、その結論に至るまで随分と遠回りをした。浮舟は気合を入れてなければ倒れてしまいそうな身体に鞭打ち、左手を動かす。

 ワイシャツの胸ポケットを、弄る。

 

 

「……クソ、あの中か」

【──させず】

 

 

 浮舟の挙動を攻撃だと判断した呪霊が、飛び出して軽快な身のこなしで浮舟の腹を蹴り上げる。少量の吐瀉物をその場に吐き出して後方へと吹き飛んだ浮舟は、朽ち果てた社にその背中を飛び込ませた。

 奇跡的なバランスで建っていた社としての外観も、ガラガラと音を立てて崩れていく。その下敷きになった浮舟は、霞む視界の中、煤で汚れた一枚の立札が目に入った。

 産土神社(うぶすなのかむやしろ)

 

「……そうか、ここは社だったな」

 

 

【少々やり過ぎきや】

 

 

 社から瓦礫の山へと変貌した目の前の光景にそのような感想を述べる呪霊。瓦礫の山からあの子を探さねばと足を一本踏み出した瞬間、瓦礫の山が爆発した。瓦礫の中から、日光を反射して煌めく左腕。その腕は拳を握っていた。

 宙を舞う木材と、木屑。それから煤と木の葉。その光景に一瞬目を奪われる。

 

「……アンタ、神様だったんだな」

 

 瓦礫の中に埋もれていた筈の浮舟がいつの間にか目の前まで来ていたという事実に、少し動じた様子を見せる呪霊。当の浮舟は自身に付着した煤と木屑を払いながら、とてもしんどそうな表情でそう呟いていた。

 

 

【遠き昔の話なり】

 

 

 掛けられた言葉に返答する呪霊は、どこか生返事気味。それもその筈、浮舟の頭からは血が流れていたからだ。まるで渓谷を流れる清らかな小川のように、静かに、ゆっくりと。それでいて確実に、浮舟の体内からは血が失われていた。

 身体を呪力で保護することは出来ても、治療が出来るわけではない。失った血液はアルコールではどうしようもなく、ただ自らの死へのカウントダウンが明確な形で可視化されただけ。

 

「……死神に名刺貰ったってしょうがねぇよな」

 

 吐き捨てるように浮舟が呟く。呪霊はそんな浮舟に目を細めながら同じく呟いた。

 

 

【さても痛々し】

 

 

「テメェ。大方、民からの信仰を失った神様が呪いに転じたってとこか? 全く、お前から灰原と七海(二人)を引き離して良かったとつくづく思うぜ」

 

 灰原と七海は──美々子ちゃんと菜々子ちゃんは──補助監督さん達は──あの車はもう安全な所まで逃げられただろうか──きっと逃げられた筈だ──だってこんなに足止めして──マジでしんどいな──今何時だ──オレはあとどれくらい戦えば──残りの寿命は──駄目だ思考が纏まらない。兎に角、オレは一級呪霊相手によくやったよ。もう十分だろう。

 流れてくる血を、汗と一緒にワイシャツの袖で拭いながら独り言のように呟く浮舟。血は簡単には止まらない。

 呪霊の返答など待たず、自身の立ち位置へと──酒瓶が置いてある場所へと歩いていく。

 

 

【いまやめよ。これより上ぞ死にぬる】

 

 

「心配すんな。ここまでやって、お前に勝てると思うほど馬鹿じゃない」

 

 ならば、何故酒瓶を手に取る。

 呪霊が浮舟の行動に眉を(ひそ)めると、それと同じタイミングで浮舟が笑った。

 

「締めの一口だ。正直言って、立っているのもやっとなんだ。どうせ死ぬんだから、アルコールで痛みを和らげさせてくれ」

 

 

【なんぢは死なず。ただこの地で永久に暮らすのみ】

 

 

 呪霊の言葉は浮舟には伝わらない。宣言通り浮舟は芋焼酎を一口呷り、すぐ地面に置いた。その際浮舟の左腕が一瞬震えたが、震えはすぐに(おさ)まった。

 浮舟の仕草は、戦闘中だというのにどこか日常的で。

 浮舟は口元を拭い、そこら辺に放り投げた制服を手に取り、胸ポケットから()()を取り出した。

 

「……ごめんね、硝子ちゃん」

 

()()をくれた人物に心の中で謝りながら、戦闘時の無茶な動きによって少し折れ曲がってしまった()()を咥える。

 

「……咥えるだけで不味ぃな」

 

()()とは、一本の煙草のこと。

 とある日に家入から手渡された一本の煙草。

 今際(いまわ)に咥え、私に説教されたことを思い出しながら、私を心配させたことだけを心底後悔しながら死ねと──この腐った呪術界で、死にゆく者達が一様にして抱く今世への恨みを消し去る為の、家入からの優しさが詰まった一本の煙草。

 その煙草を咥えながら、会話を続ける。

 

「そうそう、オレってば硝子ちゃんと約束した日から欠かさずこの煙草持ち歩いてたんだけどさ、今朝気付いちゃったワケ。あぁ、ライター持ってねぇなって」

 

 

【らいたぁ】

 

 

「テメェが知らねぇのも無理はない。今やどこでも買える代物が、テメェが神様張ってた時代には無かったんだからな」

 

 続ける。

 

「それで、補助監督さんにPAに寄って貰って買っておいたってわけだ。まぁこれはジッポライターだけど。いやぁ、備えあれば憂い無しってのはこのことだよな」

 

 続ける。

 

「折角貰った煙草なんだ。取り敢えず火くらい付けても良いだろ? 一服したら、あとはもう好きにしてくれ。抵抗はしない」

 

 諦めの感情が存分に含まれた瞳を伏せ、ジッポライターに指をかける浮舟。

 白旗。

 目の前の呪霊に両手を挙げて観念し、生きることを諦めた彼の表情は、けれどもどこか幸せそうでもあった。

 

「……はーあ、来世なんてモンがあるならよ。次は天与呪縛(こんな身体)で産まれてくるんじゃねぇぞ、オレ」

 

 呪術師歴三年。その間ひたすら己を苦しめたアルコール依存症からの、そして人生からの離脱(ドロップアウト)。帰りを待っている仲間達に黙って逝くことに対する謝罪。どれだけ限界を超えても勝てなかった呪霊に対する尊敬(リスペクト)。愛すべき後輩、灰原と七海。それと伊地知君。成長を見届けてやれなかった美々子ちゃんと菜々子ちゃん。大好きな先輩方である冥冥さんに歌姫先輩。優しい夜蛾先生。初恋の由基()()()。最高な同期達、五条に夏油。これから訪れる死に対する少しばかりの恐怖と、それすら上書きする硝子ちゃんの優しさ。

 刹那、みんなの顔が脳内を駆け巡り。

 指をかけた親指には力以外にも様々な思いが込められ──下ろす。

 ジッポライターから小さな火が出た。

 

 

【ッ!!】

 

 

「……あ?」

 

 

【ぞ、などさるものを】

 

 

「なんだ?」

 

 

【やめよ。さるものを見せでくれ】

 

 

 火を点けたジッポライターを見た瞬間、ブルブルと震え出す呪霊。顔を背け、身を背ける呪霊の姿に理解した浮舟は、驚きの表情から一転、ニヤリと口角を上げた。煙草には、まだ火は点いていなかった。

 

「……ははーん?」

 

 状況が変わった。

 長々と浸ってしまったが、まだ諦める(死ぬ)には早そうだ。

 

「まだその時じゃない。そう言いてぇのかよ、神様」

 

 クスクスと幻聴に笑われる。頭を振ってその幻聴を脳外へと追いやり、火がついたままのジッポライターを地面に置いた。空いた手で酒瓶を手に取る。しかしそれは飲む為ではない。何度も限界を超えた浮舟でも、これ以上の飲酒は本当に耐えられないからだ。

 酒瓶を傾ける。しかし浮舟は口を付けていないので、酒瓶からお酒が溢れて彼の左腕にかかる。

 義手部分がお酒で充分に濡れたことを確認して、酒瓶を地面に置く。また空いた手でもう一度火がついたままのジッポライターを手に取った。

 

 

【なにせむとす】

 

 

「テメェ、どうやら火が苦手らしいなァ! だったらアルコールで濡れた左腕に()()してよぉ!」

 

 火がついたジッポライターを投げ、左腕で受け止める。

 アルコールの揮発。

 炎上。

 

「ファイアアーム! ──ぐおおおおおおおおあッッ!!」

 

 火炙り。

 左腕だけとはいえ、義手とはいえ。浮舟の義手には痛覚がある。その義手はどれだけの攻撃でも破壊されることはないが、受ける痛みは生肌へのそれと何も変わらず。

 いつかの根性焼き(日常生活で火傷した時)なんかよりもずっと──気が狂いそうになるような痛みが何秒も、何秒経っても絶えず浮舟を襲う。

 熱い。

 ストレスで頭皮が痒い。

 食いしばった歯が軒並みへし折れそうだ。

 だけど耐える。耐えて、笑った膝が折れて体勢が崩れそうになっても、また立ち上がって呪霊を睨む。

 呪霊は恐ろしいモノを見るような瞳で浮舟を見ていた。

 

「つまりは、燃える義手の完成だボケ! じゃあ早速ファイナルラウンド開始な! 時間無制限! 金的目潰しなんでも有り! ゴングは、この空瓶が割れる音だァ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ∩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、何だよこの山道。本当にこの先にいずるがいんのか?」

「はい。浮舟先輩は、私達を庇って……!」

 

 浮舟が通った道を辿っていると、前方から見覚えのある車種が走ってくるのが見えた。引き留めるとやはり高専指定の車で、中には補助監督二人と、昼から任務に出ていた灰原と七海、それから見知らぬ女児が二人乗っていた。

 車内で見たGPSの軌道で静岡よりも更に西に移動していることが分かり、その通りに後を辿ってきた。灰原と七海の任務の応援に行ったのかもしれないという予想はついていたが、七海の言葉通り車内には出の姿が無い。

 五条と七海の会話を横目にそんなことを考えていた夏油は、目の前の山を見据えて。

 

「……この先の山の中に、出がいるんだね」

「えー、車でいけんの?」

 

 冷房の効いた車内から出たがらない家入が、窓を少しだけ開けて不満気にぼやく。運転席の〝窓〟は「無理です無理です!」と勢い良く首を振った。

 

「……ここからは徒歩だ」

 

 そんな〝窓〟を冷たい目で睨んでから、夏油はそう結論付けた。

 しかし、灰原達が車で下山したということは、あちらの運転手はこの山の中を構わず往復したということか。あちらの運転席に座る〝窓〟を見やってから、五条と家入に視線を移す。

 

「ここから先、山の中ではGPSは意味を為さない。出の呪力の残穢を頼りに探すしかない。灰原、出がいるであろう場所に、何か目印みたいなものは無いかい」

「は、はい!! このまま進むと広い草原があります!! 浮舟先輩はそこで車を降りたので、恐らくその草原か、もしくは草原の先にある廃神社にいるかと思います!!」

「……そうか、ありがとう。灰原達は先に高専に戻って、夜蛾先生にこの事を伝えてくれ。それから高専の息がかかった医療機関への連絡も頼む」

「「分かりました」」

 

 夏油の指示に、灰原と七海が答える。それから間も無く車は発車し、残されたのは同期三人と〝窓〟一人。

 

「あの、私はどうすれば……」

「貴方は、私達が出を連れ帰るまでここで待っていて下さい。いずれやってくる救急隊員への説明もお願いします。ほら悟、硝子。そろそろ行こう」

「へいへい」

「……暑いのヤダ」

 

 ポケットに手を入れたまま歩き始める五条と、救急箱片手にダルそうに歩く家入。その後ろを夏油が続いた。

 午後三時を回り、日差しは段々とその勢いを弱め始める時間帯だが、暑いものは暑い。登山者が使うような道(よく見るとタイヤ痕が残っている)を登り、一分ほど経過したところで五条が思い出したように呟いた。

 

「……てかさ。山の中(ここ)だったらもう飛んでよくね?」

「「……」」

 

 確かに。

 夏油と家入が同時に呟くまで、数秒しかかからなかった。

 

「じゃあ俺、〝蒼〟でチャチャっといずるの元まで駆け付けるから、傑と硝子はなんとか頑張ってな! ──」

 

 バビュン。

 瞬間移動したかのように、返答を待たずにその場から消える五条。取り残された二人も慌てて行動に移る。

 

「夏油急げ! このままだと五条に全部持っていかれる!」

「分かってる! ほら硝子、コイツに乗れ!」

 

 マンタのような形をした呪霊(以下マンタ)に跨り、後ろに家入を乗せる。するとマンタは宙に浮き、木々の上まで上昇してから前進した。

 

「アレが、灰原が言ってた草原?」

「恐らくね。飛ばすから、しっかり掴まって」

「……煙草吸って良い?」

「絶対駄目だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ∩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いずるッ!!」

 

 〝蒼〟を使った高速移動。少し間違えれば木々に衝突して大惨事──そんな状況も五条の前ではただの散歩道。この先から感じる、愛し人の呪力の方へと山道を抜け、草原を抜けて森を抜ける。移動中は莫大に感じた彼の呪力も、目的地に近付くにつれて段々と弱まっていた。

 遂には視認。

 そこには、ボロボロの身体で膝を付いてゆらゆらと前後に揺れ、今にも倒れそうになっている浮舟がいた。口に咥えた煙草に火はついていない。

 その名を叫び、浮舟の身体を抱き止める。六眼で周囲を視るも、呪霊の姿は無い。

 

「……ご、五条か」

「あんま喋んな! いずるお前、マジで死にかけてんだぞ!」

 

 熱を持っている浮舟の左腕(義手)。ワイシャツの左袖は途中まで焼き焦げ、周囲には空の酒瓶が数本。木々には飛び散った血の跡と、異様な呪力痕。五条の六眼が、その正体を見抜いた。

 

「いずる、お前まさか」

「……オレさぁ、燃える腕で呪霊と戦ってて。それも一級だぜ? クソ強ぇんだ。それで、一級呪霊をぶん殴ってたら突然黒い光みたいなのが出てよ……」

「ああ、凄ぇよいずる! お前も打ったんだな、黒閃(こくせん)……!」

「アルコールとは違う感覚でハイになったと思ったら、呪霊は跡形も無く()えちまったしよ」

 

 曰く、壮絶な戦いの末の奇跡。

 黒閃(こくせん)

 呪術師の戦闘時、極稀に発生する現象。

 打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる空間の歪みはまるで閃光、もしくは稲妻のように黒く光って迸る。

 黒閃を伴った攻撃は通常時の2.5乗の威力を誇という。

 

「いずるはパワーあるからな。いずるの黒閃食らえばそりゃ死ぬわ」

「へへっ……。まさか助けが来るなんてな。サンキュー五条」

「当たり前だろ。傑と硝子も後で来る」

 

 息も絶え絶えに、煙草を咥えながらヘラヘラと笑う浮舟を叱りたい衝動に駆られるが、今は一刻も早くいずるを手当しなければ。五条は浮舟の身体を今一度優しく抱き締めて。

 

「出!」

「いずる!」

 

 夏油と家入が予想よりも早く現れた。すぐに終わってしまった二人きりの空間に、思わず目を細めてしまう。

 

「嗚呼、出……! こんなにボロボロになって……!」

「夏油……、でも無事だぜ」

「馬鹿! ()()()()()()()()状態を無事とは言わないから!」

「しょ、硝子ちゃん……。泣いてるの?」

「当たり前じゃん! この馬鹿! もう! 馬鹿!」

 

 ボロボロの浮舟に駆け寄り、涙する夏油と、目尻に涙を浮かべながら叱責する家入。二人の普段見ない姿に面食らった浮舟はキョトンとしていた。二人に追いやられた五条は面白くなさそうに、割れた酒瓶の欠片を爪先で突いている。

 

「……その煙草」

「あっ」

 

 浮舟が咥えている煙草を見た家入の声が低くなる。すぐさま取られ、放り捨てられた。

 

「最強キャッチ!」

 

 森林の保護(コンプライアンス)に配慮した五条が、その煙草を掴み取ってポケットに入れた。

 

「……死ぬ気だったの」

「い、いやいや。そんなまさか。あり得ないよ」

「……死ぬ気だったんでしょ」

「………………」

 

 抱き締められる。

 

「しょ、硝子ちゃん……?」

 

 強く、思わず()を上げてしまいそうなくらい、強く強く抱き締められる。

 

「馬鹿……」

 

 耳元で、震える声で囁かれた。応えねばと浮舟は左腕を動かそうとするが、指先一つ言う通りにはならなかった。

 

「ごめんね、硝子ちゃん」

「……絶対に許さない」

「それでも、ごめん。心配かけちゃった」

「……どうする? 悟」

「……完全に蚊帳の外だな、俺達」

 

 まるでドラマのワンシーンのような展開を見せる浮舟と家入に、今ばかりは邪魔をすまいと小声でやりとりする夏油と五条。

 閑話休題。

 それから数分経ち、家入が持ってきた救急箱で応急処置を施し、そろそろ帰ろうと辺りを片付け始める。しかし浮舟は動けず、()()()()の家入はそんな浮舟から離れようとしないので、渋々最強二人が雑用作業に勤しんでいるのだった。

 

「……硝子、いつかマジでぎゃふんと言わせような」

「……ああ、今度硝子に内緒で出とデートしてやろう」

「……俺も一緒に行って良い?」

「……ああ」

 

 小声で企みながら、割れた酒瓶と、酒瓶の蓋。浮舟の制服。浮舟の壮絶な戦いの後片付けを進める。

 

「あれ、いずるリュックは?」

 

 その途中、今朝背負っていたはずのリュックサックが見当たらないことに気付いた五条が問う。

 

「あげたよ」

 

 浮舟は、抱き付くというより最早しがみついていると言った方が正しい状態の家入に好き勝手されながらそう答えた。

 

「ふーん……?」

 

 呪霊の攻撃でやられたのか。浮舟のボヤけた答えに一瞬戸惑ったものの、五条はそう結論付けた。

 リュックサックは無いらしいので、他に忘れ物が無いことを確認してから全員立ち上がった。

 

「ほら硝子。出は私が運ぶよ」

「……?」

「もうそれでは逃げ切れないぞ」

「え、硝子ちゃん何今の仕草。めっちゃ可愛いね」

「でしょ」

「ねぇ見ていずる。……?」

「五条、お前がやっても可愛いわけねぇだろ」

「ひでー」

 

 ぷるぷると震えながら浮舟の肩を支える家入に代わり、夏油が浮舟を背負う。浮舟の温もりを背中で存分に味わうと共に、前より軽くなった気がする浮舟の身体に背筋を冷やしつつ、なるべく振動を与えぬようにゆっくりと山道を降りていく。

 

「そんなことしなくてもさ、俺が〝蒼〟でチャチャっと運ぶって」

「駄目だ」

「なんで」

「〝無限〟は〝蒼〟での移動中の出にかかるGを全くの無にしてくれるのか? 出は怪我人だぞ」

「できる!」

「そんな高度な呪力操作を()()()脳内で処理して、万一いや、億万一にも出にほんの少しも負担をかけないと断言できるか?」

「……」

「いずるには反転術式が効かないんだ。余計な苦しみは与えるべきじゃない。幸いにも命に別状は無いのだし、効率が悪くてもこうしてゆっくり連れていくしかないだろう」

「……ちぇっ」

「すまないね出。山の麓までもう少し我慢してくれ」

「良いよ、オレおぶられてるだけだし。……それと、ありがとうな五条。お前なりに心配してくれたんだろ」

「〜〜〜〜ッ、おう! いずるだ〜いすき!」

「はいはい」

「悟は、先に〝窓〟のところに行って状況を説明してくれないか。救急車が到着していたら、出の症状を伝えて、移動中の私達に出来ることがありそうならそれを伝えにまた戻ってきてくれ」

「おう」

「救急車がまだ到着していなかったら、〝窓〟にお願いするなり脅すなりして、なるべく車をこちらまで近付けさせてくれ」

「……夏油って、もしかして意外に脳筋だったりする?」

「な、何を言うんだ出。私は私なりの最適解を」

「夏油、いずるが絡むとアホになるからオモロいよ。後で行きの車内のこと教えてあげる」

「マジで? 楽しみだなぁ」

「……はぁ」

「じゃあ俺行ってくるわ! いずる、俺メッチャ頑張るから耐えろよ! なにがなんでも死ぬなよ!」

「クソしんどいけど、流石に死なねぇよ。あぁ、ついでにお酒買ってきてくれる? 持ってきた分全部使っちまったんだよね」

「ぜっっっってぇヤダ! じゃあな!」

「あ、おい。……行きやがった」

 

 〝蒼〟でその場から消えた五条に、溜め息を吐く浮舟。

 森の中を歩く。

 未だ信じられないが、どうやらオレは助かったらしい。

 夏油の背で一人、浮舟は自身の置かれた現状をひしひしと感じ入る。

 何度も死を覚悟したあの戦い。残りの人生全ての運を使い果たしてなんとか辛勝を納め、さてここからどうしたものかと両膝を崩し、前と後ろどちらに倒れたら痛みが少ないか考えていたところでの救助。今こうして同期の背の上で考え事をしているのが、浮舟には未だに信じられなかった。

 本当の自分はもう死んでいて、()()は脳が生命活動を終える前に見せる泡沫(うたかた)(ゆめ)なのではないかと疑ってしまうくらいには、出来すぎている。

 

「……硝子ちゃん」

「なに」

「これ、現実だよな」

「うん。いずるは助かったんだよ」

「……そっか」

 

 森の中を歩く。やがて視界が開け、広い草原に出た。傾き始めつつも遺憾無くその日差しを照り付ける日光に遠慮無く目を細め、そのエネルギーに浮舟は自身の生を改めて実感する。

 

「……はは」

 

 思えば、長い一日だった。

 朝っぱらから突然任務を告げられたかと思えば、同期に壁ドンと共に滅茶苦茶心配されて。

 任務でクソみたいな村人に虐待されていた美々子ちゃんと菜々子ちゃんと出会って。

 上層部の意図が絡んでいると思われた任務自体は大したことなくて。

 無事二人を助け出せたかと思えば、後輩二人のピンチを告げられて。

 あの場にいた全員を助ける為に一人で呪霊に立ち向かって。

 喋れる上に術式まで使える呪霊に殺されかけて。

 何度もここで死ぬのかと諦めて、本当に死ぬ思いでなんとか祓って。

 そしたら、同期とまた会えて。

 奇跡に奇跡が重なって手に入れた、最善の結末。誰も死なずに終えた今回の任務。

 浮舟は心から今を喜び、思わず口角が緩む。つられて、家入と夏油もクスクスと笑い始める。

 幸せな空間。

 そんな空間に、何もない草原に、

 一発の銃声が響き渡った。

 

「──あ」

 

 怪我人である浮舟を背負っていた夏油には、何が起こったのか分からなかった。突然大きな音が鳴り、それから甲高い金属の音。見渡しても周囲に特に異常は無く。ただ、背負った浮舟が段々と後ろに倒れていくのが分かり、慌てて膝を曲げて地面に下ろした。

 振り返り、何が起こったのかを確認。浮舟はフラフラとその場でタタラを踏み、顔を顰めながら自身の左腕を不思議そうに眺めていた。

 その左腕から落ちた、ひしゃげた銃弾。

 今起こった事、そしてこれから起こる事を理解した夏油は、急いで浮舟を護ろうと呪霊を出そうとして──

 もう一発。

 その音と共に、突き飛ばされるように後ろに倒れた浮舟。倒れた浮舟の左胸が赤く滲み始めた。

 

「──ッ!!」

 

 呪霊操術。

 取り込んでいた呪霊を出す。手札の中でも大きく、それでいて硬い呪霊──虹龍(こうりゅう)を呼び出した。その名の通り龍の形をした呪霊は、蛇がとぐろを巻くように、家入と浮舟の周囲を旋回しながら守り始める。

 

「い、いずる……?」

「硝子、どこからか撃たれた! 早く出を診てくれ!」

「いずる……、な、ど、どうして……! いずる! いずるぅ!」

「硝子ッ! しっかりするんだ! 出を診れるのは君だけだ! 頼む、落ち着いてくれ!」

 

 泣きながら浮舟の傷口を押さえる家入に怒鳴りながら、周囲を見渡す。

 360度森に囲まれた草原。血眼になって周囲を見渡すと、2時の方向。森の中、微かに何かが光っているのが見えた。

 

「硝子、出は()()だ!」

 

 出は助かるのか。

 直接的な言葉を避けた夏油に、家入はボロボロと涙を溢しながら答える。

 

「左胸に穴が空いてる。多分、助からない……!」

「た、助からない!? どうしてだ!」

「夏油が想像してる通り、胸を撃たれるってのはそれだけで一大事だから。……胸郭(きょうかく)内には肺循環系──大事な血管がいっぱい通っていて出血も止められない。しかも、この穴から胸郭内の空気がどんどん抜けていって、緊張性気胸──兎に角、いずるはもう……!」

「そ、そんな……! 出……! しっかりしろ!」

「揺らしちゃ駄目だって!」

「出! 出ッ!」

「……げ、げとう」

 

 浮舟の両肩を掴み、勢いよく前後に揺さぶる。目を閉じていた浮舟は、その衝撃で目を開けた。

 

「出! 気を持て、目を閉じるな!」

「……目を閉じたら、少し楽なんだ」

「駄目だ! 出!」

 

 目を開いた浮舟はどこも見てはおらず、ただ朧げな意識で問いかけに答えていた。

 効かないと知りつつも必死に──脳処理限界まで呪力を高め、鼻血が出る程の正の呪力で浮舟に反転術式を施していた家入は、泣きながら言った。

 

「……いずる、ありがとね」

「硝子、何を──」

「アンタと過ごした高校生活は楽しかった。大好きだよ、いずる」

「……しょうこちゃん、オレも、大好きだぜ」

 

 血は止まらない。反転術式を流し込む為に浮舟の左胸を押さえている家入の手は、空気に触れて酸化した血液によってドス黒い色に染められている。

 目の前の現実を受け入れられず、呆然と立ち尽くす夏油。家入が、そんな夏油を涙で潤んだ瞳で見上げる。

 

「夏油も、いずるに話しかけてあげて。呼び掛けに答えなくなっても、心臓が止まっても、こっちの声は最期まで聞こえてるから」

「い、出……」

 

 避けられない死。周囲への警戒を忘れて、夏油が膝をつく。

 

「……出が、一体どれだけの思いでここまで来たと思っている。それをこんな、あんまりだ」

「……げとう」

「愛してるよ、出」

 

 夏油の脳裏に、浮舟との3年間がフラッシュバックする。彼との日常、彼との思い出。そして彼の笑顔が脳裏に焼き付く。

 その末に出た、柔らかな、しかしそしてぎこちない微笑み。

 夏油はもうすっかり目を閉じてしまった浮舟の額にキスをしてから、立ち上がった。それから浮舟に背を向ける。

 

()()()()()()()()

「……夏油、どこ行くつもり」

「今言った通りだ」

「アンタ、今の顔鏡で見なよ。そんな顔してる奴行かせられないから」

「何故だ」

「……殺すつもりでしょ」

 

 言い様も無い夏油のプレッシャーに、思わず視線を落とす家入。夏油は背を向けたまま、新たに呪霊を呼び寄せた。

 

「殺すのは駄目。アンタが処罰を受けることになる。最悪──」

虹龍(こうりゅう)、二人を守れ。硝子、出を頼んだよ。……私は、やるべきことを精一杯やる」

「ちょっ──夏油!」

 

 マンタ型の呪霊に乗り、飛び去る夏油。その背中に呼びかけることしか出来なかった家入は、今も尚血を流し続ける浮舟に、大丈夫。大丈夫だからと抱き締めて声をかけ続けた。

 任務遂行後、帰還間近の凶弾。

 浮舟が撃たれた後、更なる追撃は無く。虹龍(こうりゅう)が周りを旋回する中、家入は浮舟を抱き締め続ける。

 

「……いずる、聞こえてる?」

「……聞こえてないよね」

「……私さ、さっき告白したよね」

「……いずるもさ、大好きだって言ってくれたよね」

「……これってさ、もう私達って付き合ってるって事で良いのかな」

「……答えてよ、いずる」

「……私、今まで何千って人を癒してきた。その中には治療が間に合わない人もいてさ」

「……初対面の人が目の前で死ぬって瞬間を、今まで何度も立ち会ってきたの」

「……これが人の死かって、その時は思った。ただあるがまま、物言わぬ死体になった人に、私は涙一つ流さなかった」

「……でも、やっぱ同級生が──好きな人が死ぬのって辛いよ……。ねぇいずる。この気持ちどうしてくれんの」

「……いずる」

「……大好き。大好きなのに」

 

 腕の中で眠る想い人。彼の名を何度も呼びながら、一層強く抱き締める。抱き締める力なんて決して緩めない。痛いなら声を上げてみろ。そう言わんばかりに、自身の胸中を吐き出すように、全力で抱き締める。

 その胸越しの鼓動。

 彼はまだ生きていた。

 

「……いずる」

 

 抱いたまま、立ち上がる。自身よりも重たい身体を、膝を震わせながらもなんとか一緒に立ち上がらせる。

 そのままにすれば横に倒れていく彼の左腕を掴み、肩で支えて歩き始める。その周囲を、虹龍(こうりゅう)が守るように旋回する。

 

「……頑張って」

 

 呟くようにそう言った家入。それは浮舟に言ったのか、それとも自分に言い聞かせたのか。

 浮舟出は、助からない。それは家入自身が、医者になる為に努力している家入自身がとてもよく分かっていること。

 いずるは助からない。早く地面に寝かせてあげて、楽に逝かせてあげるべきだ。

 ……けれども。

 家入の人間としての不合理な部分が、浮舟の生を諦められなかった。

 雑草が足に絡み付く。いくら太陽が傾き始めているとはいえ、相変わらずの猛暑。汗を流しながら、浮舟を必死に運ぶ。車が待つ麓まで、運ぶ。

 

 

【その子を置きゆけ、わらは】

 

 

「ッ──!」

 

 突然感じた悪寒と共に振り返る。

 呪霊。しかも相当強い。

 ボロ切れを身に纏った老人のように見えるが、頭部が異常に大きい。身長は3メートルほど。

 後方支援型の私は勿論、こんなの並の術師じゃ相手にならない。そう思わずにはいられないほどの呪力量と禍々しさを、目の前の呪霊は持ち合わせていた。

 

「……早く来いよ、クズ共」

 

 後退りしながら、こんな時に限っていないクズ共(五条と夏油)に内心ありったけの暴言と共に中指を立てる。

 呪霊が口を開く。それを攻撃の前触れだと認識した家入は叫んだ。

 

虹龍(こうりゅう)ッ、私達を守れ!」

 

 夏油(主人)に、家入と浮舟を守る為の盾になれと命じられた呪霊──虹龍(こうりゅう)は、家入の命令を理解してか、それともあくまで夏油(主人)の命令に従ったまでか。兎に角、虹龍(こうりゅう)は大きな口を開けながら呪霊に向かって特攻した。

 

 

【世の中よ道こそなけれ思ひ入る。山の奥にも鹿ぞ鳴くなる】

 

 

「歌……?」

 

 呪霊の行動の意味を理解するよりも前に虹龍(こうりゅう)が横真っ二つに切り落とされた。虹龍(こうりゅう)はジタバタと痙攣しながら地面を暴れ回り、やがては動かなくなり、霧散して消えた。

 

「術式──コイツ、ヤバいッ」

 

 消えた虹龍(こうりゅう)を見てカツカツと笑う呪霊に背を向けて逃走を試みる家入。その背中に投げかけられた呪霊の言葉は酷く低い音だった。

 

 

【逃ぐるつもりか】

 

 

「絶対に助ける……!」

 

 頼りない足取りは低速ながらも段々と呪霊から距離を取ることに成功し。このままなんとか逃げ切り、クズ二人(五条と夏油)の助けを待とうと考える家入の背中に、歌が響く。

 

 

【見せばやな雄島の海人の袖だにも。濡れにぞ濡れし色は変はらず】

 

 

 知ったことか。歌を詠う呪霊に構わず歩き続ける家入。そんな自分の腹部に痛み。まず制服に切れ目が入り、ゆっくりと肉を裂いていく感触。それから段々と身体の内部まで切れられていくのが激痛と共に分かる。分かってしまう。

 

「……しくったなぁ」

 

 想い人の顔を見る。助けることはできなかったが、どうせすぐに天国で会える。いや、私達のことだから地獄行きかな。

 なんて冗談が、自然と頭に浮かぶ。

 ああ、可笑しい。

 家入硝子はリアリストである。神も仏も、天国も地獄も信じておらず、目で見えることだけが真実だと受け止める性格だ。

 

「……私は前世があるとか、輪廻転生とかは別に信じてないけど」

 

 内臓にまで至らんとする切れ目に視線を遣り、構わず浮舟の頬を撫でた。

 

「……それでも、いずるとは死んでも()()()()ずっと一緒にいたいよ」

 

 切れる。

 切れる。

 切れていく。

 反転術式が追いつかないくらいのスピードで。

 

「──ありがとう、硝子ちゃん」

 

 胴体から真っ二つ。

 しかしその枕には『あわや』が付くことになった。

 つまりは危機一髪。家入の上半身と下半身を分ける為に放たれた見えない斬撃は、突然動き出した浮舟の左腕によって弾かれた。

 鍔迫り合いのような、金属同士が擦れる嫌な音。火花を散らし、見えない斬撃は見えないまま宙に消えた。

 

「い、いずる……?」

 

 家入が驚愕の表情で浮舟を見る。

 しかし腹部の痛みに堪えかね、膝を折る家入。支えられていた浮舟もつられて崩れ、二人仲良く地面に転がる。地面を転がった際に二人の距離は手が届かない位置まで離れてしまい、歩かねば触れ合うことは出来ない。

 腹部に走る激痛に反転術式を流して治療。地面に生える草と傷口が擦れる痛みに構わず、這いずって浮舟の元へと進む。

 倒れたままの浮舟と目が合う。浮舟は、笑って口を開いた。

 

「……硝子ちゃん、オレを助けてくれてありがとう」

「いずる……! 待ってて、今ちゃんと助けるから……!」

「大好きだ、硝子ちゃん」

「高専に帰ったらいくらでも言ってもらうから! 今は手を伸ばして! アイツから逃げないと!」

 

 

【別れの言の葉や済みし】

 

 

「……よう、また会ったな」

「嫌だよいずる! ずっと一緒にいてよ!」

「……ごめんね、硝子ちゃん」

 

 泣きじゃくる家入に手を伸ばす浮舟、家入も手を伸ばすもその距離は未だ届かず。

 カツカツと笑った呪霊がその大きな頭部に違わない大口を開け。

 身動きの取れない浮舟の身体に齧り付き、浮舟が家入に向かって伸ばした左腕以外を噛み切り──飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ∩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五条悟は、麓にて〝窓〟と話している時、猛烈な呪力反応を感知していた。

 

「どうされましたか、五条さん」

「……黙ってろ」

「は、はい」

 

 傑の呪霊じゃない。

 ならば。

 その結論に至るより先に、五条はその場から飛び出していた。

 

「ご、五条さん!?」

 

 名を呼ぶ〝窓〟には振り返りもせず、山の中を高速で駆け上がる。間も無くして到着した呪力源。そこには、一人(うずくま)り涙を流す家入の姿があった。

 

「硝子ッ!」

 

 駆け寄り、頬を掴んでこちらを向かせる。

 硝子の泣き顔なんて初めて見た。そんな場違いな感想を抱きつつ、家入が持っているソレに気付いた。

 

「……な、なんで。なんでいずるの義手()が」

 

 義手()だけが。

 放心状態で呟く五条に、家入が涙を流しながら返した。

 

「……いずるが撃たれて、その後呪霊が突然現れた。夏油の呪霊でも倒せなくて、勿論私にもどうにもできなくて。いずるが、いずるが……!」

「撃たれた……? それに呪霊?」

 

 理解の及ばない出来事が家入の口から語られる。浮舟と再開し、六眼で確認した時には間違い無く呪霊はいなかった。

 

「──傑は」

「いずるを撃った奴を追いかけてる」

「どこに行った」

「……あっち」

 

 硝子が指を差した方向。そちらを向いた瞬間、呪力反応。

 三年間同じ学舎で過ごしてきたのだ。その呪力が誰のものかなんて、間違えようもない。

 

「……行ってくる」

 

 〝蒼〟で飛び出す。はっきり言って、まだ現実を受け止め切れない。彼が死んだだなんて、どれだけ時間を与えられたって信じられるはずがない。

 だって、さっきまで笑いながら話していたのに。

 だって、死なないって言っていたのに。

 

「切り替えろ。切り替えろ俺……!」

 

 周囲の景色が線に見えるほどの高速の中、無限によって風圧で消えない涙を溢しながら、山の中を突き進む。

 そして、呪力源。

 こちらに背を向けて立つ、見知った後ろ姿。

 その後ろ姿に声をかけようとして、足元の血溜まりに気が付く。

 

「──やあ、悟」

 

 肩に置こうとした手を止め、同じタイミングで後ろ姿が動いた。

 180度。つまりは半転。

 笑顔でこちらに語りかける人物、夏油の姿は返り血で染まっていた。

 

「す、傑。お前、何を……」

 

 血溜まりと、夏油。何度も何度も交互に見てみるが、その二つの関連性に気付けなかった。気付きたいと、頭が答えを得るのを拒んでいた。

 

 

「ああ、()()かい?」

 

 言うな。

 頼むから、これ以上俺を混乱させないでくれ。

 

「──報いだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記録──2007年9月。

 愛知県▪︎▪︎市山中。

 その場に居合わせた複数人の術師の証言を基に、準一級術師:浮舟出《うきふねいずる》の死亡を確認。

 浮舟出が装着していた呪具は高専へと返却され、以後一切の持ち出しを禁ずる。

 

 又、現場にて発見された非術師の遺体に、特級術師:夏油傑のものとされる残穢が確認される。自ら罪を告白した夏油傑はその場で身柄を拘束。

 夏油傑の今後の処遇については、未だ結論が出ていない。

 

 数日に渡って現場を検証したものの、一級呪霊:産土神(うぶすなかみ)の生存はその後一切確認出来ず。

 以上で本件の捜索を打ち切り、この報告を持って以降の捜索の一切を禁ずる。

 

 

 

 

 

誰好き?

  • 浮舟出
  • 五条悟
  • 家入硝子
  • 夏油傑
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