こんばんは。ブーストありです。
20000字超え!?
遡ること、数日前。というか、12月25日。朝目覚めたらドデカいベッドにて同期達にしがみつかれるようにして寝ていた〝僕〟の話だ。
上記の常ならざる、言ってしまえば異常な光景を朝イチで目にした〝僕〟。その際に生まれた動揺を目覚ましに起床した同期3人によって、これからは同期みんな一緒に暮らすこと、それから〝僕〟はもう外には出させないこと──といった説明を受けた後のこと。
こんな生活やめようよ。健全にいこうよと泣きついてみたが、笑顔でその願いを却下された後のこと。
当然のように出勤していった五条と硝子ちゃんを引き攣った笑顔で見送った後のこと。
「まさか、〝僕〟は一生ここで暮らすのか。そんなわけないよな……ないよな?」
ド広いリビングにてド柔らかいソファに沈みながら、実感の湧かない頭を
夏油はこれから4人で暮らしていくにあたり、まずは風呂を含めた家中の掃除をするとかでリビングにはおらず、復活した後としては初めてとなる一人きりの時間帯。
知らない人ばかりが映る情報番組をぼーっと観ながら、ふとローテーブルの上に置かれたスマホに目が移る。
スマホ。
スマートなフォン。
何故略してスマフォじゃないのかはこの際さて置き、五条から渡された最新機種のスマホ? なる携帯の進化系端末。
今朝同期達に手取り足取り教えてもらった、電話帳アプリからの電話の掛け方とメールの送り方(いつでも連絡してきて良いよ♡とは五条の言葉)それからフリック入力? のやり方。あとは電源の入れ方切り方──言うならば〝僕〟には到底使いこなせず、
スマホ。
まだ口が慣れない。
スマホの隣には、五条が〝僕〟の為にと置いていった映画のDVDの数々。青い幽霊がどうたらとか言ってたような気がするが、よく覚えていない。適当に選んだパッケージを手に取り、裏面を確認してから戻す。暇だなと呟きながら、視線をスマホへと移した。
待機状態となっているスマホの真っ黒な画面を見詰めていると、ふと思い付いた。というか思い出した。
そうだよ。
「……電話掛けられるんじゃん」
天啓。
〝僕〟はソファから飛び起き、スウェットのポッケからスマホ用タッチペンを取り出した。スマホの画面はDSとは違い、肌じゃないと反応しないので〝僕〟の義手では──あぁ、まどろっこしい。
タッチペンでスマホをタッチ。最近の子はタッチではなくタップと言うらしいが、
タッチペンでスマホの画面を
同期のみんなに教えてもらった操作方法を今一度思い出す。この四角い、電話マークが付いてるヤツをタッチすると電話出来るんだったよな。
恐る恐る該当箇所をタッチペンで触ると、キーパッド画面──つまりは携帯や固定電話でも馴染み深い1〜9、そして*0#の文字配列。画面下部にある、連絡先と書いてある場所をタッチすれば予め登録されている五条と硝子ちゃんの電話番号が表示されるのだろうが、今の〝僕〟に必要なのはこのキーパッド画面だ。
つまりは手入力。
同期達はこのまっさらに近い連絡先欄を見て、これで大丈夫だと高をくくっていたようだが、前使ってた携帯に登録されていた電話帳なんてものが無くとも、〝僕〟はあの人の電話番号なら呼吸をするように容易に
同期達はそこのところを失念していたようだ。〝僕〟がどれだけ
「……決まった」
決まってねぇわ。
順番に押していった電話番号に間違いが無いことを確認し、緑色のボタンを押す。
押してから、10年経ってるんだから電話番号くらいとっくに変わってるんじゃ? と気付く。
気が付く。
……。
「……ま、まぁ、繋がらなかったら繋がらなかったで」
自分を励ますように独り言を。ワンコール、ツーコールと大好きな先輩──歌姫先輩を呼び出そうと〝僕〟のスマホが頑張ってくれている。というか呼び出せるってことはこの電話番号はまだ生きているのかと考えて少しほっとしていたところで、コールが止んだ。慌ててタッチペンを放り投げ、スマホを手に取って左耳に当てる。
「……も、もしもし」
『……はい、庵です」
「ッ〜〜〜〜〜〜!」
恐る恐る声を出すと、スマホの向こうから聞き馴染みのある声。流石は携帯の進化系であるスマホ君。〝僕〟が使っていた携帯よりも歌姫先輩の声がクリアに聞こえて、まるですぐ隣にいるかのような臨場感に思わず身震いしてしまう。
『……どなたですか。イタズラなら切りますよ』
そうだ。当たり前だけど、〝僕〟のこのスマホの電話番号は歌姫先輩の携帯(もしかして歌姫先輩もスマホなのかな)には登録されていない。なので歌姫先輩からすれば突然知らない番号から電話がかかってきたということになる。
こちらを怪しんでいるのか、五条や夏油と話す時のように──もしくはそれ以上に冷たく、何も言わずに黙っているこちらを咎めるような声色で問いかけてくる歌姫先輩。
早く名乗らなければ。
「ぼ、〝僕〟です、浮舟出です。昨晩、ちょっと訳あって生き返ったんです! 歌姫先輩お久しぶりです!」
『っ…………』
驚いているのか、スマホの向こうで息を呑む音が聞こえる。嗚呼、電話出来て良かった。電話帳に頼らずに歌姫先輩の電話番号を暗記していた己の記憶力を褒めながら、歌姫先輩の次の言葉を待つ。
しかし、待ち望んだ歌姫先輩からの言葉は予想だにしないものだった。
『……貴方が誰だか知らないけど、どういうつもり?』
「……へ?」
『その名前は……その声は……! 私の大事な後輩の物よ! 私を騙してどうしたいのかは知らないけど、貴方みたいな偽物がアイツの名前を騙るのだけは許せない!』
「ちょ、ちょっと待って下さい歌姫先輩! 〝僕〟ですよ、声聞いて分からないんですか!?」
『このッ──分かるわよ! 私が浮舟の声を忘れるわけがないじゃない。分かるから混乱してんのよ……!』
「いやいや、本物ですから! 10年振りの報告になっちゃって本当申し訳ないですけど、〝僕〟は混じりっけも紛れも無く、どこからどう見ても正真正銘浮舟出です! 信じてください!」
『アイツが死んで10年経った。昨日は夏油が大馬鹿やらかして、今度はなに? 目的はなんなの?』
「いや、生存報告ですよ! ……あとちょっとしたサプライズ的な? ──兎に角、そんな悲しそうな声出さないでください! もっと喜ん」
『良い加減にしなさいッ!』
「っ……」
『声も、口調も、話し方も。
「……う、歌姫先輩」
『その声で私の名前を呼ぶなッ!』
「……」
『良い? 次またこんなふざけた真似してみなさい。その時は、必ずアンタを探し出して報いを受けさせるわ』
「あ、あの……」
『チッ──』
〝僕〟の使っていた携帯と変わらない、通話が切れた音。通話終了と文字が浮かんだスマホを呆然と見詰め、現実から逃れるように大きく息を吐く。電源ボタンを押してスマホ画面の灯りを消してから、〝僕〟は泣いた。ソファに丸まり、片腕で膝を抱えて丸まり、音も無く泣いた。嗚咽も何も無く、ただ山奥の澄んだ谷川のようにサラサラと両眼から涙がとめどなく流れていく。
このまま体内の水分を全て消費して死んでしまいたい衝動に駆られる。
「出、リビングも掃除機かけたいから少し良いかな……って、出!? どうしたんだい、何故泣いているんだ!?」
「げ、夏油ぉ……!」
背後から肩に手を置かれる。絶望感に打ちひしがれる中聞こえた安心する同期の声に、〝僕〟は振り返りながらソファを飛び越え、夏油の胸に飛び込んだ。
「ふふふふふふふ──あ間違えた──嗚呼出! 可哀想に! 怖い映画でも観たのかな? よしよし、私の胸で良ければいくらでも貸そう」
〝僕〟の頭を撫で、背中を撫で、尻を撫で、優しい言葉をかけてくれる夏油。
高校生とは思えないくらいの声量でわんわん泣き、やがて疲れ、訪れる眠気。それを察した夏油にベッドまで運ばれて、隣で寝かしつけられる。
流石にこれは同期の範疇を超えていると頭の中の理性的な自分が提言するが、疲れと悲しみによって生まれた眠気に支配された〝僕〟の脳には聞き入れられなかった。
「大丈夫だよ、私がついてる」
夏油の、こちらへの思い遣りに満ちた甘い言葉。
歌姫先輩に信じてもらえなかった悲しみと、歌姫先輩を怒らせてしまった後悔。〝僕〟の中にあったその二つは、夢の中までは追いかけてはこなかった。
∩
『その声で私の名前を呼ぶなッ!』
百鬼夜行の後始末を終え、訳あって高専京都校に足を運んでいた冥冥。用事のついでに可愛い後輩の顔でも見るかと赴いた職員室にて、ドアの向こうから聞こえた怒声にらしくもなくノックをしようと上げた右腕が硬直した。
「…………」
庵歌姫は感情的である。しかしそれは決して常時というわけではなく、その起伏が激しいのは特級術師である五条悟と、昨晩乙骨憂太との戦闘で死んだ特級呪詛師の夏油傑の前だけだ。
また五条君に
冥冥は一瞬停止した思考の
「め、冥さん」
スマートフォンを握り締めたまま、どこか呆然とした表情の歌姫が冥冥に気付いてその名前を呼ぶ。何やら様子がおかしいことに気が付いた冥冥は、「やあ」と返してから近寄った。職員室には、歌姫以外には誰もいない。
「どうかしたのかな。廊下から声が聞こえてね」
「ああ、すみません。ちょっと……」
「浮かない顔だね。
未だにスマートフォンを握ったまま挙動不審に視線を彷徨わせる歌姫を見て、冥冥は異常を察知。歌姫に寄り添い、指の背で優しく頬を撫でながらその理由を問うた。
「じ、実は──」
そして、歌姫の口から語られた一部始終。その突飛さと真正面からでは理解出来ない内容に、冥冥は思わず目を見開いた。
「……その話は本当かい?」
「いえ、絶対嘘です。理由は分かりませんが呪詛師が私を騙す為に──」
「そうじゃない。その会話は本当にあったものなのかと、そう聞いているんだよ」
「……はい、本当にありました。それなら掛け直してみますか?」
「いや、やめておこう。どうせ電話越しだ。偽物ならその辺り上手くやるだろう」
それよりも。
例え電話の向こうの浮舟出が偽物だとして、歌姫を狙う理由はなんだ?
「…………」
冥冥は少し考えてみる。歌姫に電話を掛けた人物の動機とやらを。
冥冥は少し考えてみる。その人物が歌姫に電話をかけることが、何を意味するのかを。
12月25日。
百鬼夜行という呪術界を揺るがす大事件を終えて一晩明けたばかりの今日この時。未だ混乱が残る術師達の間を抜け、何故歌姫なのか。
……。
思考。
「もっと確実な方法を取る」
「……と言いますと」
不安げに冥冥を見上げる歌姫。庇護欲をそそられるようなソレにしかし冥冥は眉一つ動かさず、ただ
「なあに。
そして翌日。
歌姫との遣り取りを元に冥冥が取った行動は〝五条悟の観察〟である。何故その行動に至ったかと言うと、思えば浮舟出という人物はいつも3人の同期達と行動を共にしていたからだ。電話の向こうの浮舟出が本物か偽物かどうかなんて現時点では何も分からないが──兎に角。
故《ゆえ》に五条悟。
この時点で冥冥は、電話の向こうの浮舟出を名乗る人物がもしかしたら本物かも知れない、という可能性にまで手を伸ばしていた。
だから五条悟。
浮舟出の身近な人物という捜査対象ならば別に家入硝子でも良かったのだが、対象に違和感を覚えさせずに近づけるのが前者だったからそうしたに過ぎない。
つまりは、電話の向こうの手がかりも何もない人物を現代のハイテクなあれそれを駆使して追うのではなく、まずは身近な人物の様子を窺ってみよう──そういうことである。
それと、理由はもう一つ。
冥冥の直感だ。
そして観察して分かる、五条悟の異変。異常。
「……どうやら本当になにかありそうだね」
間違いない。五条君は何かを隠している。
更に翌日。
「頼んだよ、カァ座右衛門」
早朝、都内某所。背の低いビルの屋上にてカラスを一匹空に放つ。
五条悟の尾行をしていた冥冥は、五条悟がその帰路に着く途中でこちらの追跡を撒いたことに業を煮やしていた。
尾行はバレている。
しかし
これが普通の依頼だったならば、追加料金が発生しているところだ。
しかし冥冥は黙って作業を続ける。理由を明記するのは無粋というものだ。
「…………」
片目の視覚を共有しているカァ座右衛門が閑静な住宅街を飛び回る。当たり前だが近隣に異変は無い。
どれくらい捜索しただろうか。カァ座右衛門とは違い全くその場から動いていない冥冥は、寒さに耐えながらの捜索である。それもやがて耐えかね、少し休憩を入れようかと考えた矢先、カァ座右衛門が電線に停まった。目線の先には豪邸と言っても差し支えない大きさの一軒家。
そして、その窓に映る四人の人影。
「ッ……!」
尾行対象である五条悟。
その同期の家入硝子。
百鬼夜行で死んだはずの夏油傑。
「そうか……まさかとは思っていたが」
そして、10年前に死んだはずの可愛い後輩──浮舟出。同期から逃げ惑いながらもどこか楽しそうに笑っているその幸せそうな表情に、冥冥は一度カァ座右衛門との視覚共有を切った。
「…………」
目頭を数度揉み、空を見上げる。寒空に消えていく白い息の
「……成る程ね、選べということか」
突如として目の前に現れた、幻覚と
冥冥に突き付けられた選択。もしくは大金になり得る特ダネ。
夏油傑の生存。
浮舟出の生存。
そして、その両者の生存を隠蔽していた五条悟と家入硝子。
「…………」
突如として舞い降りた大金獲得のチャンスに、冥冥はつい先程まで感じていた
どの情報を売れば金になるか、どう立ち回ればこちらの
それが取らぬ狸の、となってしまわないように慎重に、慎重に事を考える。
「……もう良いよ、カァ座右衛門」
兎にも角にも、こうしてはいられない。電線にて待機していたカァ座右衛門に合図をし、冥冥も早々にその場を後にしたのだった。
∪
「それからは簡単な話さ。信頼出来る人物に情報を売り、その人物が今日家から連れ出して高専に送り届けると報告してきたので、歌姫を連れて慌ててこの場に駆け付けたんだ」
と言っても、もう真夜中になってしまったけれどね。冥冥さんは自嘲気味に肩を
「成る程ねー、そんなことがあったんだー」
「知らなかったですー」
「二人とも痛い痛い痛い痛いッ! 肩を握り潰そうとしないでッ!」
冥冥さんの説明を聞き終えた一同はみなそれぞれ、様々な反応を見せた。その中でもオレの同期二人である五条と硝子ちゃんの反応は別格で。今この瞬間知らされた、数日前のオレの裏切りとも呼べる行為に怒りを露わにしていた。
「いずるはそんなに僕達から離れたかったんだ? 全然気付かなかったよ。……まぁ別に離すつもりはないけどさ」
「いずるはそんなに私のこと嫌いだったんだな。悪いな気付けなくて。……まぁ
「勝手なことしたのは悪かったって! でもオレにだってそれなりの考えがあってだな」
「「どんな?」」
言葉を合わせ問い詰めてくる五条と硝子ちゃん。なんか、オレへの怒りを通して仲良くなってませんかお二人とも。
どもらないように努めて言葉を発す。
「オレは、何かあったら歌姫先輩を一番に頼るって約束してんの! だから電話して生きてるよって伝えて、今後どうしたら良いか相談しようとしてたの! というかお前等が嫌いとか逃げたいとかそんなんじゃなくて──いやまぁ逃げたい気持ちは多少あったけど──どっちかっていうと約束を口実に歌姫先輩とお話したかっただけなの!」
「本心が出ましたね」
「しかも二つね」
絡まれないことを察したのか、七海と灰原がジト目で横槍を入れてくる。えぇい黙っておれ。
同期二人に詰め寄られている最中。背泳ぎをし始めたオレの両目が、ふと歌姫先輩の視線と交わる。
「あ、……うぅ」
しかし合わせていられずに目を逸らす。逸らしてしまう。
「……これは重症だね」
冥冥さんがやれやれと言った様子でそう呟き、五条と硝子ちゃんのディフェンスフォーメーションを軽々とすり抜けてオレの手を取った。
「え?」
お姫様抱っこの体勢で軽々とベッドから下ろされ、手を引かれ連れていかれる。その先には歌姫先輩。
近付く。
どんどん近付く。
「め、冥冥さん。何を」
「仲直りだよ。ほら」
遂には、歌姫先輩はもう手の届く距離まで近付いていた。
「あ、あわわわわわ」
膝が震え、腰が引ける。歌姫先輩を怒らせてしまったという取り返しのつかない過去がオレから発言権を──発言するという意思を奪い去ってしまう。何か話さなければならないが、オレみたいなクソ野郎が歌姫先輩のような素晴らしい御方と話してどうするという結論が全ての思考を上書きしていく。
「──ごめんなさい」
「……え?」
脳内が己への罵詈雑言で渋滞しかけた時、ふと前を見れば歌姫先輩が頭を下げていた。
虚を衝かれる。
ぶわっと溢れた冷や汗がオーバーヒートしていたオレの脳を冷却する。
冷静な思考を、取り戻す。
慌ててオレも頭を下げる。先輩が頭を下げていて後輩が何もせずに呑気に突っ立っているなんて光景、この世界に有り得てはいけないのだから。
「え、いやいやいやいや──いやいやいやいやッ! なんで歌姫先輩が謝ってるんですか! オレが……オレが誰よりも先に謝らなくちゃいけないのにッ!」
「……私は、可愛い後輩の言う事を信じてあげられなかった。駄目な先輩よ」
「そんな──すみませんでした歌姫先輩! オレは歌姫先輩なら信じてくれるだろうという、どこか適当なノリで何も考えずに電話をかけちゃいました! 本当なら電話じゃなくて直接出向いて土下座しなくちゃいけなかったんです! 目を見て床にデコ擦り付けて、この10年でかけてしまった多大なるご迷惑を誠心誠意謝罪しなくちゃいけなかったんです!」
「この馬鹿! 先輩である私が謝ってるんだから、まずはそれを受け取りなさい! なにカウンターで謝ってんのよ!」
「いいや、歌姫先輩の方こそ謝らずにオレを殴るべきです!」
「殴るわけないでしょ!」
「謝らないわけないでしょ!」
∩
「この馬鹿! 先輩である私が謝ってるんだから、まずはそれを受け取りなさい! なにカウンターで謝ってんのよ!」
「いいや、歌姫先輩の方こそ謝らずにオレを殴るべきです!」
京都校にて教師をしている先輩と、愛する同期の男。その二人のコント染みた遣り取りに、つい先程まで場に漂っていたシリアスな空気が恋しくなった五条と家入は、やさぐれた表情で二人の
「……なんだか、馬鹿ップルの喧嘩見てる気分になってきたよ」
「私は先輩に
「硝子、煙草吸っちゃ駄目でしょ。ほら没収」
「チッ……。五条こそ、なんであの空間に割り込もうとしてんの。空気読めよ」
「いや割り込むでしょ、普通。これ以上良い雰囲気になられたらたまったもんじゃないし」
「ふふ、二人が楽しそうで良かったよ」
ダルそうに会話をする五条と家入。そこに入ってきたのは、この状況を作り出した真犯人とでも言うべき女性、冥冥。そういえば言いたい事があったんだったと、五条は冥冥の手を取り廊下へ連れ出した。ドアを閉める際、家入のどうでも良さそうにこちらを見る瞳が印象的だった。
暖かい医務室から、凍るような寒さの廊下へ。灯りもそこそこの薄暗い廊下で五条は壁に寄りかかり、寒さなんて物ともせず普段通りに佇む冥冥をアイマスク越しに睨み付けた。
「……で? 冥さん。言い訳があるなら聞くけど」
「と、言うと? 五条君、何か言いたいことがあるのなら、しっかりと言葉にしてくれないと伝わらないよ。私にも、そして浮舟君にも、ね」
目を閉じて妖しげに微笑む冥冥。煽られた五条はその言葉を受け流すことなくガッチリと両腕で受け止めて、正面から言い放った。
「じゃあ言わせてもらうけど──
「ああ、その話か」
とぼけたように笑う冥冥に、当たり前でしょうがと五条が詰め寄る。
回想始め。
冥冥が浮舟の居場所を突き止めた翌日、五条は冥冥の元を訪れていた。
『おや、どうしたんだい五条君。もしかしてデートのお誘いかな』
『とぼけないでよ。最強である僕の
『見てた、とは?』
『あーもう、分かったよ! 口止め料をたんまり払うから、
『よく出来ました。それで、ここからはお金の話なんだけど』
『アンタいつもお金の話だろうが!』
その後、五条が冥冥指定の口座に振り込んだのはザッと5000万円。五条個人の力で稼いだ額か、はたまた五条家の財源を頼ったのかは定かではないが──兎に角。浮舟出が生きていることと、百鬼夜行の首謀者である死んだはずの夏油傑を匿っていること。その二つの秘密をどうか誰にもバラさないでくれという思いを存分に込めて、五条は自分なりに誠意を見せた。
『これで、
『うん、確かに。私は約束は守る主義だ。それにお金が絡むなら尚更、ね』
回想終わり。
だと言うのに。
確かにそう言ったはずなのに。
こうもあっさりバラされてしまっている現実。こういう金銭の遣り取りが絡む物事は──ましてや普段なら他者との金銭での遣り取りが多い冥冥は、信用が命ではないのかと五条は今一度問い詰める。冥冥はこの後に及んでも眉一つ動かさず、動揺一つ見せやしない。
冥冥は可愛げたっぷりに小首を傾げ、頬に指を添えてこう返した。
「あの金額って、敵の親玉である夏油君を匿っていることを秘密にしてくれって話の口止め料だろう? てっきり浮舟君のことは何でもないのかと思っていたよ」
「騙されたッ!」
冥冥のあんまりな解釈に頭を抱える五条。いや確かに、このお金で傑といずるのことは内緒にして下さいとは明言していないけれども。
……しかし。
「いや絶対おかしいけどね! 僕が傑の為に5000万も払うわけないけどね! ──絶対二人分のつもりで払ってたけどね!」
「五条君が、たった一人の親友の為に
「うるせー!」
5000万円。
いくら実家が太くて、自らも特級の名を冠する術師であるとはいえ、五条にとっても5000万円という金額はデカい。
しゃがみ込む。後頭部をポリポリとかきながら溜め息を吐いて、5000万円もあれば本来何が出来たかとIFの未来を少し考えてみる。何度
盛大に舌打ち。
「あークソ、冥さんって根っからの味方じゃないの忘れてた」
「私はお金の味方だよ。あと、近い将来お金が舞い込みそうな子のね」
クスクスと楽しそうに笑う冥冥。その、
「内緒話は終わりかな? じゃあ戻ろうか。彼の容体も気になる」
「……まぁ確かに、ちょっと怒り過ぎたかな」
泣いてないと良いけど。
そう微笑みながら医務室のドアを開くと、室内の全員の視線がこちらに向く。しかしそれも一瞬で、全員の視線はまた浮舟と歌姫の方へと向き直った。
浮舟と歌姫は泣きながら抱き合っていて、無事和解出来たのだと容易に想像出来る。
そんな二人も五条と冥冥の姿に気付いたのか「本当にすみませんでした」「良いのよ、私こそ」と最後まで謝り合いながら、名残惜しそうに離れた。
「……それで、これからの話なんだけどさ」
「これから?」
やがて。
浮舟と歌姫が離れた後。
浮舟が涙をスウェットの袖で拭い、歌姫が
五条からの切り出しに、隣に座る家入から抱きつかれている浮舟が首を傾げながら言葉を返す。浮舟は、自身の首元に顔を埋める家入からの、執着心たっぷりの眼差しに気付く様子も無く。言われた言葉をそのまま受け止め何だろうと考えている。そのあどけなさに五条は「可〜愛い」と一言呟いてから答えた。
「そ。こうしていずるの存在がみんなにバレちゃった以上、
「意外だな、悟。お前ならもっと駄々を捏ねると思っていたのだが」
「勿論、学長。そうしたい気持ちは山々ですよ」
「山々なのかよ」
五条、もう良い大人でしょ。
浮舟がそう言いたげな瞳で見るが、五条は気付かない振りをして話を続けた。
「でも、それよりもあの生活に同期以外の
「そんなに良いものだったんですか」
「勿論。どんなものかは絶対に教えないけどね」
「…………」
七海からの問いかけに、意地悪く答える五条。その遣り取りをどこか他人事のように見ていた当の浮舟は、未だ首を傾げて斜め上を向いていた。
「……それで、オレはこれからどうなっちゃうわけ?」
視線を正面に戻してからの、当然の疑問。返答に困り、言いづらそうに口籠った五条の代わりに、夜蛾が答えた。
「出、お前には二つの選択肢が与えられる。そのどちらを選んだとしても我々は出の意思を尊重し、出を最大限サポートすることを約束する」
「…………」
夜蛾の形式張った言い方に喉を鳴らしてから何度も頷く浮舟。それから、夜蛾は人差し指を一本立てた。
「一つ目。ここでの──今まで出が術師として過ごしてきた人生。その間全ての記憶を消され、呪いとはなんの関係もない一般人としての人生を歩む」
「いっぱんじん」
「そうだ。無論、出が今後何不自由無い生活を送れるよう、金銭面では多額の援助を出そう」
「……それで、二つ目は?」
夜蛾の説明を聞いているのかいないのか、浮舟はその先を急かす。まるで、この選択は気に入らないとでも言っているかのように。
夜蛾が二本目の指を立てる。
「二つ目は、今まで通り
「二つ目」
「…………」
即答。夜蛾の言葉すら遮る程の速度で導き出された浮舟の解答に、医務室内全員の視線が、驚きの色を含ませる。ざわつきながら浮舟を見詰める。
空気が少し張り詰め、重くなるのを感じる。夜蛾は浮舟の、余りにも躊躇無い答えに面食らいつつも、この場における最高責任者として返す。いつも掛けているサングラスは、その衝撃により少しズレていた。
「い、出。もう少しよく考えろ。これはお前の今後に関わる重大な問題だぞ」
「分かってます。だからこそ──重大な問題だからこそ、オレは迷いません」
浮舟の真っ直ぐな眼差しが、穢れや邪念の無い透き通るような眼差しが、己の為に集まってくれた一同の瞳に合わされる。一人一人と視線を交わらせてから、浮舟は言葉を続ける。その肩を、一同の中でも取り分け動揺している様子の家入が掴む。掴んで揺する。
「いずる、もう駄目だよ。戦っちゃ駄目、お酒も飲んじゃ駄目。いずるはもう苦しんじゃいけないの。分かるでしょ……?」
必死の説得。瞳に光が入っていない家入からの言葉を受けた浮舟は、どこか申し訳無さそうに、そして気まずそうに答えた。顔は家入の方を向いてはいない。
「……オレは、術師を続ける」
「なんで……」
「そりゃあオレの天与呪縛は長生きには向かない。みんなが心配してくれる理由もよく分かる。──でも、オレが辞めたことで、オレが助けられた筈の命が助からなくなるのが我慢ならない」
「出、そんなこと考えたらキリが無いぞ」
夜蛾からの指摘。
それは、術師ならば誰もがぶつかる人命救助の壁。もしくは命の取捨選択という術師人生を通じて問い続けていく大きなテーマでもある。
命を救うということ。
誰かを助け、誰かを助けられないということ。
助ける人を選ぶということ。
割り切ること。
諦めること。
そして、
上手く自分の中で答えを出すのではない。
上手く自分の中で折り合いをつけられなければ、他人の命の重さに押し潰されてしまう。
覚悟が、ブレてしまう。
そんな術師を今までに何人も見てきた夜蛾は、黙って浮舟の動向を見守る。浮舟が何を考え、何を選択しようとしているのか。夜蛾は大事な教え子の考えを尊重する為に、少し汗ばんだ手のひらを握って答えを待っていた。
返答。夜蛾に対する発言というよりかは、この場にいる全員に向けた発言。
「オレが両腕を失くした日に術師を辞めていたら、美々子ちゃんと菜々子ちゃんはもっと苦しい思いをしていた筈だ。オレが自分の身を第一に考えられる人間なら、
「…………」
浮舟の言葉が震える。
「……分かるだろ、オレはもう
「よく聞け出。俺も──勿論他の皆も、出には苦しんでほしくないんだ。それでも、
決意は変わらないんだな。
夜蛾が浮舟の真意を探るように問いかける。
浮舟は揺らがない。
夜蛾を見つめ返す。
思わずたじろいでしまうほどの決意に満ちた瞳で。
「勝手ですみません夜蛾先生。でもオレは絶対に術師を辞めません」
「そんな、なんで、嫌だよ……いずる……」
家入が浮舟のスウェットの胸倉を、皺が残りそうな程の握力で握りしめる。しかしその状態から引くでも押すでもなく、ただ家入の怒りだけがその胸倉に反映されていた。
「……安心して硝子ちゃん。オレは、死ぬつもりはないよ。
だからごめんね、硝子ちゃん。
浮舟がそう呟き、左手で家入の後頭部を優しく撫でる。家入は何も言わずに壁際まで離れ、暖房の暖かさの及ばない冷えた壁面に背中を預けてそっぽを向いた。
思ったよりも呆気無く終わった家入からの説得に、浮舟は撫でた体勢のまま宙ぶらりん状態の左腕を下げる。
しかし、そんな家入の恨みを表すかのように、浮舟の胸倉には皺がいつまでも残っていた。
「…………出、お前の決意はよく分かった」
沈痛。
教え子の選択に苦しそうに顔を歪ませながら、夜蛾がそう呟いた。それでも、夜蛾が浮舟に有無を言わせず一般人としての人生を歩ませなかったのは、それが夜蛾なりの誠意だからだ。
しかし。
やはり。
浮舟はこちらを選んでしまう。
心のどこかでは分かっていた筈の、二つ目の選択。しかしいざこうして、目の前でなんの躊躇も葛藤も無く選ばれるとは思わなかった。
本当にこれで良かったのかと自責する夜蛾。それを察した五条が、夜蛾をフォローするように明るい声色で場の空気を乗っ取った。
「まぁ、僕達本っっっ当に不本意だけど、やっぱいずるが
「夜蛾先生、五条……」
怒られると思っていたのか、少し目を細めていた浮舟が五条の言葉に目を見開く。他の面々も順番に浮舟に声をかけていく。
「もう無茶すんなよ、出」
「おう、パンダ。ここまで運んでくれてありがとうな」
「……浮舟センパイ、
「真希ちゃん……、良いんだよ。オレの方こそごめんね。お腹、お大事に」
「こんぶ?」
「ミステリアスボーイは、それどういう意味なんだ?」
「コイツは棘。身体は大丈夫なのかと聞いてるぞ」
「そうか、棘ピー。君のおかげでグッスリ眠れたオレは、今すこぶる機嫌が良い。呪言サンキュな」
「浮舟先輩。私は浮舟先輩が術師を続けることには反対です。……ですが、おかえりなさい。また会えて嬉しいです」
「七海……。うん、ただいま。大きくなったな」
「浮舟先輩……!! 俺……! 俺……!!」
「おー、灰原。よーしよしよし。本当に悪かったな」
「浮舟先輩。貴方が生きていて下さって何よりです。私、本当に嬉しく思っています……!」
「伊地知、元気そうで良かった。立派になったな」
「全く、次からはちゃんと
「すみません歌姫先輩。次こそはキチンと」
「そこは『もうこんな事しません』と言うべきじゃないかな?」
「め、冥冥さん。……確かに」
和気藹々と、一人一人と言葉を交わして再会を喜び合う浮舟。
浮舟出には、飲酒をしてほしくない。
浮舟出には、戦ってほしくない。
浮舟以外の全員にあった共通認識。しかし、それでもやはり、浮舟が
浮舟にとって、仲間との
金属製の左手を握る。関節が軋むほど力を込めて、それを己が決意とする。
人を助けて、仲間を悲しませず、決して死なない。
それがこれからのオレの行動目標だ。
以前のように四六時中飲酒をしていたら問答無用で酒瓶を没収されてしまいそうな雰囲気。浮舟の今後の飲酒量としては今までよりも大幅に減少するのだろうが、それでも。また任務を受けたり後輩を指導したりだとか、死んでいた10年で失ったモノを取り戻せるのだろうかと浮舟はこれからの未来に淡い期待を抱いてみる。
また歌姫先輩と冥冥さんと飲みに行きたいし、七海と灰原を食事に連れ出したい。なんだか辛そうに見える伊地知を労いたいし、一年生達とキチンと仲良くなりたい。五条と硝子ちゃんとしっかり話し合って今後のことを決めていきたいし、夏油にもなるべく早く連絡を入れたい。
浮舟は色々なことを脳内で思い浮かべ、これから忙しくなるぞと破顔。そしてふと壁際に視線を流せば、浮舟の周囲を囲む仲間から離れ、元気が無さそうな様子の家入の姿。俯いているので、その綺麗な髪が重力に沿って前に流れている。よって家入の表情は窺い知れない。
緩みを見せた医務室内の空気。その空間に、夜蛾の咳払いが響く。
浮舟は視線を戻した。
「……それで、今後のことだ」
「今後……って、あれ。オレが術師に戻るって話で終わったんじゃ?」
「まぁ話を聞け。俺が提案したのは、
「……?」
「この場にいる全員、これ以上出が呪霊と戦うのは到底許容出来ない」
「……??」
夜蛾の言葉が理解出来ない浮舟。しかし、夜蛾の言葉に五条も後輩も先輩も、うんうんと頷いている。
「だから出──お前、しばらく高専でゆっくり休め」
「は?」
「死んだ筈のお前が実は生きていたなんてイレギュラー、そう簡単に世に流して良い情報じゃない。適切な折を見てだ」
「そうそう。それに、やっぱり
「は、はぁ……?」
いまいち話を掴み切れていないのか、頭に疑問符が浮かんでいるままに返事をしてしまう浮舟。そんな浮舟の感情を目敏く読み取った五条が明るく答えた。
「まぁつまり、いずるは死んじゃうくらい頑張ったんだから、今後しばらくは休暇がもらえるってこと! その間にこっちで書類の諸々とか、呪術界に対するアレソレはやっておくから!」
「……お休みってこと?」
「そうそう!」
「…………えぇ〜?」
∪
突然決まった、当面の間の長期休暇。明日にでも任務に繰り出すつもりでいたオレとしては、その告知は盛大な肩透かしそのもので。へなへなと身体の力が抜け、溜め息を吐いてしまった。
「……なんで貴方、そんなに
理解出来ません、と七海がドン引きした目でオレを見ていた。ドン引きしつつも、その目は社会を知っているように見えた。
「いやいや、オレだって好き好んでお酒飲んでるわけじゃないのよ? ただ、久しぶりに外出て、一年生達と組み手なんかしちゃったもんだから身体動かせるのが楽しくて楽しくて」
言うならば、鍋の汁余っちゃったから白米ぶちこんで雑炊作りますか的なやつ。まだオレの体内にはアルコールが残ってるので、思考もポジティブなのだ。
七海にワーカホリック認定されてしまいそうな場面。オレはその疑惑を払拭しようと、いかに自分が怠惰であるかを語ろうかとしていたところで、伊地知が口を開いた。
「……あの、疑問なのですが」
「どうしたの伊地知」
「……何故、浮舟先輩と一年生の皆さんは組み手を? それに至った理由がいまいち掴めないのですが」
瞬間、青ざめる一年生三人。どうしてだろうと考えてみると、ああ納得。そういえばオレは喧嘩を売られたのだった。
「確かに、僕も気になるなぁ。ねぇ? いずる」
「え、そうか? オレは全然気にならないけど」
一年生達は事情を知らなかったとはいえ、今こうしてオレを取り巻く現状を見て察した筈だ。自分達が一体何をしてしまったのかを。
五条がアイマスクをずらし、宝石のような綺麗な瞳でオレの顔を覗き込む。気のせいかもしれないが、少し怒っているように感じた。
「誰が悪いの? どっちから喧嘩ふっかけたの? どこからお酒持ってきたの? 誰が持ってきたの? いずるは自分の意思でお酒を手に取ったの? いずるは自分の意思でお酒を飲んだの? 誰も止めなかったの? 僕達とのラブラブ生活でなんでお酒飲ませてもらえなかったかとか考えなかったの? 僕達の悲しむ顔とか欠片も脳裏を
いや少しじゃねぇわ。ブチ切れだったわ。見ろ、一年生達怯えてんじゃねぇか。教員がそんな姿教え子に見せるなよな。
…………。
仕方ねぇ。庇ってやりますかぁ〜(肩ぶん回しジェスチャー)。
「五条、よく聞いて」
「なに? 僕今、一年生達にキツいお仕置きを与えながらも同時に強くなってもらえるような、夢のプランを考えてたんだけど」
「考えんなそんなこと!」
「だって一年生達が悪いんでしょ? いずるはなにも悪くないんでしょ?」
問い詰めるように顔を近付けてくる五条。オレは左手で五条の顎を持って押し返しながら答えた。
「いやいや、一年生の子達は悪くないの! 全部オレが悪い!」
「出……」
「センパイ……」
「ツナ……」
押されて顔が歪んだ五条の向こう、羨望の眼差しを向けてくれる可愛い後輩達。へっ、そんな目で見られちゃ先輩の偉大さを見せるしかねぇよな。五条はオレに任せな。こう見えても、五条と夏油が喧嘩した時はオレが仲裁に入ったり入らなかったりしてたんだぜ。
「へぇ。じゃあ、
「…………」
「いずる?」
そ、そう言われると状況変わってくる〜!
いやちょっと考えてみよう。高速思考開始。
今の五条の言い方だと、監禁生活中にあれだけこっぴどくお酒を飲むなと、大人しくしてろと言われてきたオレが、五条と硝子ちゃんの知らぬ間に謎の金髪美人の手引きによって家を抜け出した挙句に高専までやってきて将来有望な一年生達を殴り付けたってことになっちゃわないかコレ!?
駄目駄目! こんなんこのあと五条と硝子ちゃんに何されるか分からんわ!
「嘘嘘! やっぱ全部コイツ等が悪ィわ! 好きなだけ怒っちゃって!」
「出……!?」
「センパイ……!?」
「ツナ……!?」
高速思考を終えたオレが口を開いて再び閉じた時には、オレは大事な後輩を売るカス人間という存在に様変わりしていた。
閑話休題。
シュウウウウ。
頭頂部から上る一本の湯気。そんな湯気が計四本が天井まで届かずに消える。
つまりは喧嘩両成敗である。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「しゃけ」
「……全く」
正座して項垂れるオレと一年生達の姿を見た夜蛾先生は溜め息と共にそう呟き、それから手を叩いた。皆の視線が夜蛾先生の元へと向く。
「この辺りで良いだろう。そろそろ解散だ、部屋に戻れ」
壁掛け時計を見てみれば、夜というよりももう朝が近付いてきている時間帯。年がら年中忙しい呪術界のことだ、大晦日である明日──というか今日も、みんなは予定があるのだろう。
「出は、取り敢えずは寮の自室を使え。悟と硝子が
「あ、ああ。はい」
無理だ。諦めよう。
夜蛾先生からの号令を受けて、医務室から出て行こうとする一同。その背中に、一人の声。
「……んで」
「硝子ちゃん?」
「……なんでッ」
誰もが動きを止める程の声量。しかもそれが、いつもクールで多少のことでは動じない硝子ちゃんの口から発せられたとなっては、みんなが怪訝な顔をしてしまうのも頷ける。
突然の発言。医務室内の全員の視線を一身に受けた硝子ちゃんは恥じも物怖じもせず、ただオレの瞳を見詰めて──いや、睨んでいた。
「なんで、いずるがまた戦わなきゃいけないの……? なんで、みんないずるの選択を尊重してるの……?」
子供のような、純粋さを孕んだ口調。オレ達の遣り取りが心の底から理解出来ない。そう言いたげな声色で硝子ちゃんが問うてきた。
夜蛾先生が答える。
「……硝子。出を大切に思う気持ちは俺達にも良く分かる。だが俺達に出来るのは、出を側でサポートしてやることだけだ」
「いずるを大切に思うなら、いずるに術師なんかさせちゃ駄目だろッ!」
「ッ」
年上への、目上への暴言。しかしオレ達が硝子ちゃんの発言に驚いたのはそんな理由ではなく、ただ硝子ちゃんがどうしようもなく悲しんでいて、どうしようもなく怒っていたからだ。
夜蛾先生が諌めた時とは違った意味で張り詰めた場の空気。
口論の渦中、そのど真ん中のオレ。しかしこんな肝心な時にどうしたら良いかと考えられるほどオレの頭は優秀ではなく。突然の出来事に脳内の思考を司る部分の大半がストップしてしまっていた。
「……なんで」
硝子ちゃんが苦しそうに、怒りに震えた声で呟く。
「……なんで、
「…………」
硝子ちゃんを見る。しかし硝子ちゃんは下を向いてしまっていて、目を合わせることは叶わない。
同期達は、オレがお酒を飲んで嫌な思いをしているところを幾度となく目にしている。オレとしても別に見せようとしているわけではないのだが、それだけ同期達とはいつも一緒にいたということだ。
「…………」
だからつまりは、ゲボ吐いたり二日酔いでのたうち回ってるオレの身を案じての怒りなのだろう。嬉しい限りじゃないか。こんなオレの為に怒ってくれるなんて。
「しょ、硝子ちゃん。落ち着いて、オレは前みたいな頻度でお酒を飲んだりはしないからさ」
だから、硝子ちゃんを宥めなければ。そんな思いで硝子ちゃんに向き合う。夜蛾先生が何やら制止の声をあげているような気がするが、今オレが気にしなければいけないのは硝子ちゃんのことだけだ。
しかし、硝子ちゃんから返ってきたのは、どこまでも冷たい眼差し。思わず萎縮し、半歩後ろに下がってしまう。
「……いずるは、何にも分かってないんだね」
「そ、そんなことないよ。硝子ちゃんも五条も、勿論他のみんなも。アル中のオレの身を案じてくれてるんだろ?」
「……それだけなら、私も五条もわざわざ監禁なんかしなかった」
「それはどういう」
「少し黙って」
「は、はい」
睨まれ、言う通りに口を閉じる。やがて硝子ちゃんはゆっくりと、言葉に合わせて一歩一歩前に進み始めた。
「私は学生時代から、いずるには何も苦しい思いはしてほしくなかった。ただ日々を楽しく、幸せに生きてもらいたかった」
歩く。
「でも、私達は術師だから。いずるだけが
歩く。
近付いてくる。
その緊張感に喉が干上がる。
「高専に侵入した男に両腕を落とされた後も、いずるは術師辞めなかったよね。お願いだから怪我をしないで、苦しまないでって、私は必死に説得したよね」
「…………」
「でもいずるは続けちゃうんだよ。私が何を言っても聞いてくれなかった」
「…………」
「結局
「…………」
「だから百鬼夜行の夜、いずると10年振りに再会して胸に誓ったの。もう二度とあんな間違いは犯さないって。いずるが術師を諦めてくれないなら、どこにもいけないように隠さなくちゃって」
「…………」
ここにきて初めて気が付く、硝子ちゃんからの想いの大きさ、果てしなさ。夏油から、異性としてオレを好いているというのはなんとなく聞いていたけれども、しかしそれは気が付けばその全貌を望めない程大きく膨らんでしまっていとは露ほども思わず。どこまで大きいのだと顔を上げればそのまま後ろに倒れてしまいそうだ。
硝子ちゃんはもう目の前まで近付いてきている。
身が強張るほどの想い。
一歩も動けなくなるほどの想い。
硝子ちゃんを恐れてしまうほどの想い。
嗚呼、なんでオレは今まで気付かなかったのかと過去の自分を叱咤してもし切れないくらい、今更気付くという過ちは大きかった。
取り返しがつかない。
取りやめもできない。
「もう一度だけ聞くね」
「ッ」
大き過ぎる想いと、こちらを見る時の重たい瞳。そんな外見とは裏腹に、オレに問いかけてくる硝子ちゃんの声は優しいものだった。
だからこそ、心臓が縮み上がる。
死刑囚が刑の執行前は好きな物を食べさせてもらえるように、今オレの身に降り掛かる優しさは、この後に来る何かへの弾みの為のものなんじゃないかと勘繰ってしまう。
暑くもないのに汗が流れる。硝子ちゃんは優しく問いかけてくる。
「いずる、今日はここまでどうやって来たの? 誰に連れてきてもらったの?」
「…………」
「教えて?」
「……オレは、一人でここまで来た。硝子ちゃん、協力者なんていないよ」
言う。
口からの出まかせを、同期に対する紛れも無い嘘を。
硝子ちゃんと由基ちゃんを天秤にかけたのではない。これは助けてもらったオレなりの恩義としての嘘である。
「……へぇ」
しかしこの場での解答としては最悪のものだったらしく。それを聞いた硝子ちゃんの呟きは、想像を絶する程に低く、底冷えするようなものだった。
どうしたら良いか分からなくなっているオレを他所に、硝子ちゃんは話を続ける。
「……私はいずるに、苦しんでほしくない。だから、いずるを監禁してでも安全な場所に閉じ込めておきたい。分かる?」
意識の擦り合わせ?
いや、そんなんじゃない。これは分岐点だ。
オレの解答が、硝子ちゃんの選択が。今後の全てを決定付ける。
「いずるは? いずるはどうしたい?」
問いかけ。硝子ちゃんの表情はいつもと何ら変わらず、直前の遣り取りさえなければ夕飯のメニューを決めているかのような日常味に溢れたものであった。
「……オレは」
硝子ちゃんと見詰め合う。硝子ちゃんの瞳はどこまでも濁っていた。
「…………」
どう言うのが正解なのだろうと考えてみる。
嘘を吐いて硝子ちゃんのご機嫌を取るような上っ面の解答だけはしてはいけない。
それはオレ達の友情にヒビを入れる行為だ。
だから。
だから、こればっかりは正直に言うしかない。
伝えて、ぶつかって、どうにか着地点を見つけるしかない。
「……オレは、術師を続けたい。呪霊を祓って困ってる人を助けて、いつまでもみんなと一緒にいたい」
「……そっか」
オレの解答を聞いた硝子ちゃんが、哀しそうにクスリと笑う。束の間、硝子ちゃんの瞳に光が戻る。オレはそれを見て安心し、少し肩の力を抜いた。
「……ごめん、いずる。我儘言っちゃった」
「オレの方こそごめんね。硝子ちゃんを悲しませちゃってる」
「仲直りのハグしよ」
言ってから、医務室内にいる他のみんなの存在を思い出したのか。口を押さえて恥ずかしそうに、困り眉で笑う硝子ちゃん。しかしオレには断る理由も無く、ただ頷いた。
「……うん。分かった」
両手を広げる硝子ちゃん。オレも両手を広げ、近付く、近付く、近付く。
「…………」
医務室内の温度よりも遥かに温かい硝子ちゃんの体温が、交わった身体の輪郭の向こうから鼓動に合わせて流れてくる。その温かさにふと目を閉じて安心していると、硝子ちゃんがオレを押し倒そうとしていることに気が付いた。いつの間にかオレのすぐ後ろにはベッドがあり、その気になればすぐに寝転べてしまう距離まで来ていた。
「……硝子ちゃん、みんなが見てるよ」
からかうようにそう言うと、硝子ちゃんは気にせず笑う。
「靴、脱いで」
どうやら本当にベッドに寝転ばせるつもりらしく、ここには未成年(オレ含め)もいるんだけどなと肩を竦めてから取り敢えず指示に従った。いざとなれば五条や夜蛾先生が止めてくれる筈だから。今は、冷静さを取り戻しつつある硝子ちゃんの言う通りにしよう。
硝子ちゃんはオレに指示を出した直後、片膝を立ててベッドに腰掛けたオレの足を掴む。優しい所作で靴を脱がせると、オレの黒い靴下が露わになった。
さっき一年生達と組み手したけど、オレの足臭くないかしらと恥ずかしくなって足を捩るが、硝子ちゃんの掴む力は存外強く、振り解くことは叶わなかった。
硝子ちゃんがオレの左足を掴んだまま、呟きのような声量で言う。
「……私は、いずるには術師を続けてほしくない。いずるにはどこにも行ってほしくない」
「……うん、本当にごめん」
謝ると、オレの左足を掴む力が少し強くなった。
「……でもいずるは絶対術師を続けちゃう。もう私が何を言っても無駄なんだよね」
「…………」
「
「へ?」
「
立てた片膝の上にオレの左足を乗せ、まじまじと触診していた硝子ちゃん。何気なく白衣の内側を弄った直後、その手には銀色の医療用メスが握られていて。
硝子ちゃん?
名前を呼んでそのメスの意味を問いかけるよりも先に。
他のみんなが硝子ちゃんの行動の意味を察するよりも先に。
オレが振り解いて逃げ出すよりも先に。
高々と振り被ったメスが、オレの足へと──オレの踵の少し上、腱の部分へと吸い込まれた。
「だから……! いずるが、歩けなくなっちゃえばッ……!」
誰好き?
-
浮舟出
-
五条悟
-
家入硝子
-
夏油傑
-
七海建人
-
灰原雄
-
伊地知潔高
-
庵歌姫
-
冥冥
-
夜蛾正道
-
九十九由基
-
乙骨憂太
-
折本里香
-
禪院真希
-
パンダ
-
狗巻棘
-
枷場美々子
-
枷場菜々子
-
伏黒甚爾