アル中とさしす組   作:大塚ガキ男

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こんばんは!ブースト有りです!




アル中と領域展開。

 

 

 

 

「「「「かんぱ〜い!」」」」

 

 ガチャン。

 掛け声と共に、五つのビールジョッキがかち合った。

 呷る為に傾けられたビールジョッキを握る手。その手から腕へと視線を移す。

 右手首にはシルバーの腕時計が巻かれていて、それより上には前腕辺りまで捲られたワイシャツの袖。首元にはネクタイ。笑顔。

 それぞれのジョッキの持ち手は皆同じような格好をしていた。腕時計のメーカーだったり、ワイシャツに薄い縦ラインが入っていたり、ネクタイの柄だったりと細かな違いこそあるものの、おおよそ同じ職種に見えるような風貌をしていた。

 ドン。

 それぞれのタイミングでビールジョッキを卓に置き、それから話し始めた。

 

「いや〜、プレゼン上手くいってよかったなァ!」

 

 その内の一人、浮舟が口元にビールの泡を残したまま気さくに笑いかける。

 

「先輩、口! 泡ついてるって!」

 

 内の一人、虎杖が笑いながら浮舟に指摘を入れる。言われた浮舟は「マジ?」とワイシャツの袖で口元を拭った。

 

「全く……。出を見ていると、それでよくトチらなかったものだと肝が冷えてくるな」

 

 内の一人、両面宿儺が腕を組んで呆れたように笑う。しかしその瞳には確かな優しさが宿っていた。

 

「まぁ、私達はチームですから。助け合いですよ」

 

 内の一人、七海が微笑みながら宿儺に言う。言われた宿儺は、肩を組んで笑い出した浮舟と虎杖を視界に入れながら「そういうものか」と呟いた。

 半個室の居酒屋。

 座敷。

 六人用のローテーブルを囲むように座っていた上記の四人。席順としては、浮舟と虎杖が隣。七海と宿儺が隣。というもの。

 それぞれビールをもう一度呷ったりメニューを眺めたりと楽しみながら、話題は浮舟が挙げた()()()()から逸れていくことはなかった。

 

「失礼します、唐揚げとフライドポテトになります」

「おっ、キタキタ!」

「すまん、生ビールをもう一杯頼む」

「かしこまりました」

「すみません、私も」

「生ビールをお二つですね。他に注文はございませんか?」

「あっ、梅水晶と砂肝もお願いしまァす!」

「先輩渋いなぁ」

「梅水晶、こちらサメ軟骨と鶏ヤゲン軟骨がございますが」

「サメ軟骨で! ──あとみんな大丈夫? ……はい、じゃあそれでお願いします!」

「かしこまりました。失礼致します」

 

 浮舟の言葉で、店員が暖簾を潜って去っていく。店員がいると話を続けられないのは()()()()なようで、暖簾の揺れが収まったのを確認してからまた話し出した。

 

「なんかあの店員、浮舟先輩に似てなかった?」

「分かります。目元とか特に」

「えぇ、そうかァ?」

「雰囲気だけだろう」

「オレあんなに格好良くないし」

「いやいや、浮舟先輩格好良いじゃん。この前も取引先の受付の女の子に連絡先聞かれてたし」

「いや、まあ聞かれたけどさ。そんなことよりあの店員さん──」

「気になるのなら、また料理を運んできた時に確認すれば良いだろう。それよりも早く食べてしまえ。冷めるぞ」

「確かに!」

 

 瞬く間に脱線。

 熱々の唐揚げと格闘している浮舟を眺めながら、七海と宿儺が無言でビールジョッキを(から)にし。

 

「プレゼンの話ですが」

 

 七海が舵を取り直した。

 

「虎杖君。場に配布した資料とプロジェクターの画像が一致していない場面が二度ありました。原因は分かっていますか」

「うぅ……。家で確認した時は大丈夫だったのに」

「たわけ。お前だけ資料のページを順番を間違えたままホチキスで留めていたからだ。それを基にスライドを作れば、不一致は至極当然のことだろう」

「まあまあ!」

 

 浮舟が虎杖の背中に手を回し、ポンポンと優しく叩いて慰めながら。

 

「アレは()()()()の範疇で済みましたし、なによりあの後のフォローが抜群でしたから! なァ、真人!」

「──えっ?」

 

 四人の視線がこちらに向く。

 六人用のテーブルの、誕生日席に座る自分へと。

 真人が話を振られて内心焦っていると、()()()()の記憶がじんわりとどこからか降りてきた。

 

「──まぁ、アレくらいどうってことないよ。俺と悠仁の資料を入れ替えれば済む話だったし」

「傑作だったのは、その時真人が『悠仁はあとで俺が無為転変しておきますんで』って一言添えたのがさ! オレ思わず噴き出しちゃったぜ!」

「浮舟先輩の笑いで、また周囲に笑いが伝播して。……結果としては良い方向に転がりましたが、それでも手放しで喜べるプレゼンではありませんでしたよ」

「いや、よい。誤字は無かったし、画像やグラフの使い方も悪くなかった。小僧の努力は見て取れる」

「しかし」

「これ以上詰めてもなにも無いだろう。……しかし、まぁ。次回また同じ失敗をせぬよう、今ここで対策でも述べておけ」

「……次からはリハを誰かに見てもらいます」

「うむ。それで良い」

「よし、暗い話終わり! 楽しいお話しようぜ!」

「御料理お持ちしました」

「楽しいおつまみも来たことだし!」

 

 〝器〟と呪いの王が笑い合っている。

 というか、人間と呪霊が笑い合っている。

 真人は中身の減っていないビールジョッキの持ち手を掴み続けながら、目の前に広がる異様な光景に唖然としていた。

 ──なにが起こっている。

 ──というか、この場所はなんだ。

 ──何故俺もみんなと同じワイシャツ姿なんだ。

 ──というか、プレゼンってなんだ。何故俺にその記憶がある。

 頭に浮かび続ける疑問の数々に、真人はどうにかなってしまいそうだった。

 ビールジョッキの持ち手を握る右手指の関節辺りに感じる冷たさも、半個室内の不思議な熱気も、暖色系のライトも、壁の向こうから微かに聞こえてくる他の客の喧騒も。

 全てが現実としか思えない。

 ──そもそも、俺は里桜高校に。

 

「……真人、大丈夫か?」

「え、なに? 出」

「いや、なんだか悩んでるような顔してたからさ」

 

 浮舟に名を呼ばれ、真人は慌てて顔を上げる。しかし異変を気付かれたのか、浮舟の眉は悲しげに下げられている。心配させてはならないと、誤魔化すように笑って返した。

 

「なんでもないって。楽しい酒の席で悩むわけないだろ」

「そうか? それなら良いんだけど」

「んぐっ。ビールも冷えてて美味いし──あ、七海。馬刺し俺の分もお願い──ポテトも塩気が効いてて美味いし。なにより良い店だし」

 

 だから気にすんなよ。

 浮舟の懸念を笑い飛ばし。

 真人は笑い飛ばしてから、なぜ俺は()()()()()()()()()()と思ってしまったのかと疑問に感じて。

 

「じゃあそろそろ、領域の説明(術式の開示)でもしますかね」

 

 浮舟がビールジョッキ片手に、おもむろに立ち上がった。

 

「……は?」

 

 浮舟の言葉に、真人が慌てて視線を向ける。今なんて言った? と現実に引き戻されていると、他の三人も声を上げた。

 

「おっ、なんだなんだ〜?」

「浮舟先輩、景気良くお願いします」

「ケヒッ。これが無ければ飲み会は始まらんからな」

 

 しかし浮舟の言葉自体には疑問を抱いていないのか、他の三人はまるでスピーチを聞くかのようにつられてビールジョッキを掲げ始めた。

 

「オレの領域は、対象を結界内に引き摺り込んだ後、その場にある酒を飲ませることで初めて成立する」

「いいぞいいぞー!」

 

 笑顔で話す浮舟に、笑顔で言葉を飛ばす虎杖。

 ──他の奴には違う言葉に聞こえているのか? 

 真人は喉に残るビールの苦味に気を取られながらも、浮舟の言葉に黙って耳を傾け続けていた。

 真人も、それに虎杖も七海も宿儺も。

 既に術中。

 

「だから逆を言えば、酒を飲む前に現実(あっち)のことを思い出せれば無事で済むってことなんだよな。この結界は、店のドアから外に出ればそのまま現実世界に戻れるようになってるからさ。あんま閉じ込めてないんだよ」

「ハッハッハッ! まぁ良い! 酒の席では無礼講だ! 赦す!」

 

 浮舟の言葉に、宿儺が口を開けて笑う。

 

「まぁ、真人も無事にお酒飲んでくれたわけだし、これでもう自力で抜け出すのは不可能になったわけだ」

「ククク、なんてこと言うんですか。浮舟先輩……!」

 

 浮舟の言葉に、七海が必死に笑いを堪える。

 真人以外に、自我が残っている者はいなかった。

 皆楽しそうに、笑っている。

 皆楽しそうに、浮舟の言葉に耳を傾けている。

 

「この飲み会は誰かが潰れるまで永遠に続く。酔いにくい体質だから〜とかそもそも呪霊だから〜とか、そんな理由はここでは通じない。お酒を飲んだ量の規定を超えれば、次の瞬間にはテーブルに突っ伏すことになる。ちなみに、規定量はオレがその都度変更出来る」

「……俺は、どうなるの?」

 

 浮舟の説明に、真人がようやく口を挟む。俄かに震える唇で、自らの末路を問う。

 領域展開。

 呪力で構築した生得領域内で必殺の術式を必中必殺へと昇華する、呪術の極致。

 この領域内でどれだけの時間が経過したのかは定かではないが、真人の中ではつい先程のように感じられる、自らの領域展開。

 必殺必中という言葉の凄まじさを肌で感じ、頭で理解しているからこその、引き摺り込まれた側の恐怖。

 浮舟は虎杖を立たせて、また肩を組んだ。二人して左右に揺れながら続ける。

 

「それは潰れてみてのお楽しみ。お前、泥酔したこととか無いだろ? ワクワクするよなァ、ありゃ酷ェ気分だぜ。オレは泥酔する度に死にたくなる」

「先輩、オチ前で脱線しないでよ〜」

「おう。そうだよな虎杖君」

「オチ?」

「あぁ、みんなはオレが急にスタンダップコメディ始めたと思ってるからさ」

 

 頬をかきながら笑う浮舟。説明を受けているのになに一つ理解出来ない状況に、真人は震えが止まらなかった。

 

「あ、そうそう。自分だけお酒飲まないようにしようとか考えても無駄だぜ。誰かが規定量に達した時点で、その()()はみんなに共有されるから」

【膳を持ちきたり】

「あ、そこ置いておいて下さい! ありがとうございます!」

【空ける皿収むかし】

 

 真人が暖簾の向こうから料理を持ってきた店員の姿に釘付けになっていると、浮舟が「それじゃあ」と声を張った。その声に連られた皆がビールジョッキを高く掲げ、先程まで震えていた真人もなにもなかったように、いつの間にか笑顔で皆と同じように振る舞っていた。

 現実のことも。

 明日のことも。

 今はただ、全てを忘れてこの時間(とき)を。

 

「さっき乾杯したばっかだけど!」

「よっ!」

「真人だけじゃなくみんなも巻き込んじゃったけど!」

「どこまでもお供します」

「これからみんなは地獄みたいな目に遭うわけだけど!」

「よい。赦す」

「明日は休みだし、今日は潰れるまで飲むぞ! ──改めて、かんぱ〜い!」

「「「「かんぱ〜い!」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ∩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ…………」

「ぐ…………」

「あぁ…………」

「げぇ…………」

 

 死屍累々。

 里桜高校のグラウンド上に人が転がっていた。苦しそうに顔を顰め、ゼェハァと必死に呼吸を行いながら吐き気を堪えていた。

 仰向け、大の字になって寝転がる虎杖悠仁。

 虎杖悠仁の頬、大きく開いた口から唾液を一筋垂らして呻く両面宿儺。

 ゴーグルを外し、眉間を押さえてうなされる七海建人。

 うつ伏せに転がり、焦点の合わぬ瞳を虚空へと向けている真人。

 全員が、戦闘不能に追い込まれていた。

 夏場の生温い風が校舎と校舎の間を縫ってそれぞれの身体をくすぐる。酔いで(ほて)った肌にはなにも嬉しくはないが、現実に戻ってきたことを実感させるには十分であった。

 

「……なんだったんだ、今の」

「あ、頭に響く……。少し黙れ、小僧……」

 

 虎杖の呟きに、虎杖の頬が返した。

 

「……は、祓わなければ」

「……無駄だろ。俺たち……みんな動けない」

 

 七海が立ち上がる為に身体を動かそうとするが、思い通りに動かない四肢。その姿に、頑張っても無駄だと真人が諦め混じりに声を掛けて。

 

「──よし、多分誰も死んでないな」

 

 誰もが倒れ伏す中、ただ一人立っていた浮舟が皆の顔を見渡してからそう呟いた。両手は制服のポケットに入れたまま、気持ち良さそうに空を見上げていた。

 

「先輩……」

「出……」

「浮舟先輩……」

「出……」

 

 虎杖が、宿儺が、七海が、真人が。助けを求めてその名を呼ぶ。

 しかし浮舟はその声に応えることはなく、淡々と自分の話したいことを話し始めた。

 

「〝僕〟の領域はさ、縛りをいっぱい結ぶことで()()()()()()()()を限りなく下げてるんだよね」

「領域……?」

 

 浮舟の言葉に、七海が酔いで胡乱な脳内のまま単語を反芻する。

 

「一つ目は、領域の効果で誰も殺さないという縛り。デフォのままだったら、みんな今頃あの世行きだったんだからな?」

「出め……」

 

 浮舟の説明に、虎杖の頬が楽しげに笑う。しかし気分は優れず、その笑い声は強がりのようにも聞こえた。

 

「んで二つ目、人数制限。()()()()()()()()()()()()()()()。これは多くても少なくても駄目で、絶対に四人。じゃなきゃ〝僕〟も終わる」

 

 終わる。

 正確には、縛りを履行しないと、必要呪力が桁違いに多くなってしまうので、寿命が危ないということ。

 あの世行き。

 浮舟は皆の手前言葉を濁したが、一人理由を知る宿儺はゲラゲラとか細く笑っていた。

 

「本当は〝僕〟を含めて四人にしたかったんだけどな。今回は特殊なケースだったし、ぶっつけ本番で結んだ縛りだったから精査している暇も無かった。……あ、他にも縛り結んでるけど、それは内緒ね」

「……出、なにが目的なんだ」

 

 ペラペラと自らの領域の効果を説明する浮舟。真人がグラウンドに頬を潰しながら理由を問えば、不意に浮舟の瞳がこちらに向いた。

 

「ヒッ……」

 

 澄んでいた。

 こちらを憎むでもなく恨むでもなく、呪うでもなく。

 間も無く視線が外される。その際の表情で、真人は察した。

 

「……そうだ。領域展開後は術式が焼き切れる。出は飲酒をしなければ呪霊すら見えない体質。つまり今は、俺のことも見えていないし俺の声も聞こえない……」

 

 質問は無意味。

 そうと分かっていても、問わずにはいられない。指先一つ自由に動かせない身体では、このままでは煮るなり焼くなり──

 

「……今の出は、呪霊が見えない」

 

 真人は気付いた。

 それから、視線を動かす。自分と同じように地面に転がっている面々を視認してから、心の中でガッツポーズを決める。

 術式が焼き切れた今、浮舟出に真人を視覚することは不可能。

 つまり。今この場にいる誰も、真人にトドメを刺せない。

 自分の方へと傾き始めた天秤。真人は嗤いながら、酔った頭ではありながらも冷静に思考していた。

 

「順平を呼ぶ? 無理だよなぁ……! 順平は俺の魂に触れることは出来ない……! 本当に誰も俺を祓えない!」

「そういうことですか……──浮舟先輩、私の呪具を使って下さい。祓えなくとも、今ダメージを与えれば再生は容易ではない筈。方角は私が指示します! 逃げられぬよう、早く!」

 

 真人の言葉で我に返った七海が、慌てて浮舟に指示を出す。

 しかし浮舟はその言葉を聞いても慌てた様子は無く、笑って返した。

 

「落ち着けって七海。ちゃんと考えてあるから」

「分かりました」

「領域の効果の続きな。〝僕〟の領域の効果って、ただ対象を泥酔状態にして昏倒させるだけじゃないんだ」

 

 浮舟が呑気に説明を続ける。七海は内心焦りに包まれていたが、浮舟の落ち着けという言葉に素直に従って口を閉じていた。

 真人がその不自然な遣り取りに目を奪われている内にも、浮舟の説明は続く。

 

「領域内で〝僕〟とお酒を飲んだ者は、領域終了後に状態異常:泥酔を付与される。それに陥った者は指先一つすらまともに動かせやしない。耐え難い頭痛と終わりの無い吐き気に襲われながら、状態異常が解けるまで地面に転がりっぱなしってわけ」

「……浮舟先輩、いつになったら解けるんですか。これ」

「今回の感じだと、10分くらいかな? 10分経ったらこの(かん)の記憶も消えて嘘みたいにいつも通りに戻る筈だから、それまでは勘弁な」

 

 浮舟が顎に指を当てながら、独自の計算で答えを出す。

 10分。

 それまでは行動不能。

 戦闘中としては有り得ない程無防備な状態に、七海も真人も宿儺もそれぞれの理由で歯噛みした。

 

「あ、今こう思っただろ。こんな絶好のチャンスに、術式が戻るまでチンタラしてて良いのかよって」

「…………」

「思ったよな、七海」

「はい。思いました」

 

 ──まただ。

 ──出が問いかけたら、あの七三はその部分だけやけに従順に答えている。

 まるでロボットのような返答。どういうことなんだと真人が頭を悩ませていると、程なく解答。

 

()()()()()()()()。領域内で〝僕〟とお酒を飲んだ者は、領域終了後から状態異常:泥酔が解けるまで〝僕〟のことを()()()()()()()()()()()()()()()()()()と認識するようになる。言っちまえば、〝僕〟に対してなに一つ隠し事が出来なくなるんだよ」

「…………は?」

「真人。お前がどこに転がっているのかは知らないけど、〝僕〟は今からお前にいくつか()()をする」

 

 全部ゲロっちまえ。

 浮舟は楽しげに笑った。

 真人の身体が震える。

 震えようとしているわけでも、泥酔の所為でもない。

 自分という存在が身体を持ち始めてから、今に至るまで──未だかつて感じた事のない魂の代謝(恐怖)に、魂から震えてしまっているのだ。

 

「……でも〝僕〟が質問して、真人が答えて、七海がそれを〝僕〟に伝えて──って流れは七海が可哀想だ。七海も、取り繕ってはいるけど内心気持ち悪くてたまんないだろうし。体調どう? 七海」

「頭痛が酷くて、浮舟先輩の声もしんどいと感じています。……申し訳ありません」

「気にすんな。だって〝僕〟が悪いんだし」

 

 仰向けで地面に寝転びながら、普段よりも低いトーンで答える七海。

 そういうわけだから。

 浮舟はパンっと手を叩いた。

 

「今の〝僕〟に真人の言葉を伝えてくれる頼もしい助っ人を発表します」

「……順平とか?」

「あ、言っておくけど順平君じゃないよ。いくら真人(オマエ)が行動不能だとはいえ、いざみんなの泥酔が解けた時に順平君の身が危ないからな」

「…………」

「虎杖君、カモン」

 

 浮舟が名を呼ぶ。

 真人は鼻で笑った。

 馬鹿を言うな。虎杖悠仁は自分で領域に引き入れてたじゃないか、と。

 今だって、俺達と同じようにグラウンドに転がっているだろう、と。

 真人は浮舟の言葉を見下(みくだ)して──

 

「あ、もう動いていいの?」

 

 平然と起き上がった虎杖の姿に、顎が外れるほど驚いた。

 そう。

 虎杖悠仁は浮舟の領域の効果を、ほとんどと言っていいほど受けていなかった。

 証拠に、起き上がってから浮舟の元まで、楽しげな足取りで真っ直ぐに歩いてきている。

 身体は自由に動き、浮舟の呼びかけに応えている。

 

「真人。テメェの驚いてる面が見えなくて残念だよ」

「……あ、あァッ!?」

 

 真人は気付く。

 浮舟が領域内でことあるごとに虎杖に触れ、その度に術式の中和を(おこな)っていたことを。

 領域内では二つの術式が作用する。

 一つ。領域自体に付与された術式。

 二つ。領域の主が自ら使う術式。

 この場合、浮舟が中和したのは領域の主が自ら使う術式。

 状態異常:泥酔ということになる。

 

「……といっても、完全に素面(シラフ)ってわけにもいかなかったんだけどな」

 

 反省反省。

 後頭部をかきながら照れ笑った浮舟。その隣に並び立った虎杖が、真人を見下ろしながら指を鳴らした。

 

「気にしないでよ先輩。むしろ俺、領域のお陰で今テンション上がってんだよね」

「あー。言うならば状態異常:ほろ酔いってところか?」

「かもね」

「ざ、ざけんなッ! 出お前──天与呪縛じゃなかったのかよ! なんで領域展開なんか……! いや、そもそもなんで術式なんてもの持ってんだよ!」

 

 真人の心境としては、対局相手に一から詰みまでの手順を懇切丁寧に説明されているようなもの。どうしようもない焦燥感と命の危機だけが、真人の声色を荒立たせていた。

 

「虎杖君。この戦いが終わった後も、君には〝僕〟の領域展開に関する記憶が残る。そこで一つお願いがあるんだけど……」

「分かってるって。みんなには内緒、でしょ?」

「話が早くて助かる」

 

 虎杖君の魂とシェアハウス中の宿儺様にも内緒ってのは難しいかも知れないけど。

 浮舟は、状態異常:泥酔を付与されている宿儺の今後の取り扱いに対してそう前置きをしてから。

 

「〝僕〟の術式(コレ)はまだまだ分からないことが多い。領域だって、構想としてはあったけどやるのは今回が初めてだし」

「?」

「そもそも、自分の術式に関してはこのままずっと分からない方がむしろ良いのかも知れないけれど」

「……どゆこと?」

本人(〝僕〟)ですらよく分かっていないんだから、このことは絶対に誰にも言わないでねってこと」

「オッケー」

「約束だよ──さて、話を戻そうか。虎杖君」

「おう」

「真人が瀕死になるまで好きにボコっちゃって。その最中に〝僕〟が適宜真人の仲間の情報とか質問していくから。虎杖君は真人がゲロったことを全て記憶していてほしい。真人がもう何もゲロんなくなったら、祓ってくれて構わない」

「オッケー」

 

 浮舟の指示に従い、虎杖が真人の眼前に立った。瞳を動かして見上げようとしても視界に収まりきらないほどの近さに、真人は震えながら許しを乞うた。

 

「ま、待て待て……! こんな死に方は嫌だ……!」

「浮舟先輩には聞こえねーよ」

 

 しかし、慈悲は無し。虎杖はしゃがんで、真人の髪を乱雑に掴み上げた。真人の顔だけが起き上がり、口の端から垂れていた唾液も一緒に()びる。

 

「お、お願いします! もう人は殺しません! 仲間にでもなんでもなるから!」

「……浮舟先輩。真人(コイツ)、メチャクチャ命乞いしてるけど」

 

 ボロボロと涙まで流してみせた真人。情けなく、つい先程までこちらの()に指をかけてきた相手とは思えない振る舞いに、虎杖の中の殺意が少し削がれる。念の為浮舟に指示を仰ぎ──

 

「浮舟先輩ッ!?」

 

 振り返ると、浮舟の横っ腹から木の根が突き抜けていた。

 

「あ……?」

 

 呆けた浮舟。

 開いた口から血が溢れる。

 

「アハッ……! アハハハハハッ! やっぱ持つべきものは呪霊(友達)だよね! 花御(はなみ)!」

 

 つまりは増援。

 誰よりも早く事を察した真人がゲラゲラと嗤って、瞬間グラウンドに花が咲いた。

 一輪でも一束でもなく、グラウンド全体に畑のように咲き誇った。

 術式の焼き切れた浮舟には花畑すらも見えず。ただ突然穴が空いた腹で全てを察し、周囲を見渡してから口を開いた。

 

「い、虎杖君。真人を」

「この花──」

 

 祓え(殺せ)

 浮舟が、血液を喉に絡ませながら指示を出す。

 しかし虎杖は視界いっぱいに広がる花野に、束の間危機感が失せて(思考を乗っ取られて)しまっていて。

 虎杖はかつて、五条に領域展開のレクチャーを受けた時のことを思い出していた。

 あの時も、今と全く同じように花畑が出現し、瀕死の火山頭の呪霊を取り逃がした。

 つまり。

 自分はこんな状況で何突っ立っていたんだという焦りから来る発汗により、虎杖悠仁はようやく意識を取り戻した。

 冴えた頭に残るぼやけた余韻のままに、拳を握って真人の方へと振り返る。その顔面に向けて拳を落とそうとした瞬間。

 

「また遊ぼうねぇ出ッ! 今度はちゃんと殺す気で行くから! ──」

 

 突如として場に現れた呪霊が真人を抱えて連れ去り。

 間も無く、〝帷〟が解けてグラウンドに日が差し込んだ。

 

「クソッ……! ──浮舟先輩! 俺、追ってくる!」

「いや、行くな虎杖君」

「でも!」

「真人だけならまだしも、増援がいるんだろ? なら行くべきじゃない」

 

 言われ、逃した呪霊と怪我をしている浮舟──虎杖は天秤の上に乗せた物の価値を計りかねていた。

 歯噛み。

 それから諦めがついたのか肩を落とした。

 

「相手の狙いは順平君に里桜高校を襲わせることと、それによって生じる虎杖君との衝突。……まぁ大元を辿れば宿儺様に関するあれそれが関わってくるんだろうけれど、兎に角。今回は〝僕〟達の勝ちだ」

「……勝ち?」

 

 この場で呪霊を視認し、尚且(なおか)つ後を追えたのは自分だけ。にも関わらず呪霊を逃してしまったという事実に落ち込む虎杖。

 浮舟は励ますように笑い、腹を押さえた手、その指の隙間から血が流れ出ているのを無視した。

 

「あぁ。仲間は誰も死んでないし、体育館にいる里桜高校の生徒や教職員の方々も順平君がいるから死んでない。つまり敵の狙いは失敗に終わったってワケだ。……あれ、そういえば順平君大丈夫かな?」

 

 浮舟が体育館で待機させている吉野順平の存在へと遅れて思考が届いたところで、丁度声がかかった。

 

「浮舟さーん!」

「あ、順平君。怪我は大丈夫?」

「ぼ、僕は大丈夫です。それよりも浮舟さん、貴方流血してるじゃないですか!? 早く救護を!」

 

 体育館方面から走ってきた順平。虎杖と殴り合っていた時に出来た打撲以外に新しい怪我もないようで、慣れない運動に息を切らしながらも到着。しかし浮舟の怪我に気付き、慌てて駆け寄ってきた。

 

「あぁ、酷い怪我だ! 虎杖君、包帯とか持ってないよね!?」

「悪ぃ、持ってない」

「すみません、寝転がってる貴方は!」

「……私は動けません」

「こ、ここにも怪我人が!?」

「私は問題ないので、まずは浮舟先輩のことをお願いします。……まぁ〝帷〟は上がったので、じきに誰かしら来るでしょう」

 

 未だ泥酔状態の七海が、視線すら合わせられずに天を見つめたまま答える。先程の戦いを──浮舟の領域展開を知らない順平だけが、なにも気にせずわたわたと慌てふためいていた。

 

「浮舟さん凄いお酒臭いし、何故か両手の毒は治ってるし!」

「ははは、領域の効果だな。……って、そんなことより」

「そんなことより!?」

 

 なんでもないように笑う浮舟に順平がドン引きしたところで。

 

「順平君、そっちに呪霊逃げていかなかった?」

 

 浮舟が神妙な顔付きで問うた。

 

「……僕は体育館の中にいて、グラウンドの様子はよく分かりませんでした。でも真人の笑い声が段々近付いてきたので、外に出たら真人と真人を抱えて走る白くて身体の大きな呪霊がいました」

「それで?」

「向こうも僕を殺す暇は無かったようで、目が合った途端逃げていきました」

「良かった、何事もなくて」

「はい。それで、澱月(おりづき)で白い方の巨人の背中に一発当てただけで。……すみません、仕留められませんでした」

「え、一発当てたの?」

「はい……でも僕は」

「いやいや、凄いよ順平君。特級呪霊二体に気圧されず、無防備な背中に一発喰らわせてやるなんて! 偉い! 将来有望! 虎杖君、後で七海に()にこの事報告するように言っておいて!」

「ナナミン、今聞いてるんだからよくない?」

「いや、そろそろ忘れると思うから」

「……あー」

「忘れる?」

 

 浮舟が新しく出来た後輩を褒めちぎり。

 虎杖が首を傾げ。

 順平がありったけの賛辞を受けて照れながらも、文脈の読めない単語にまた首を傾げ。

 七海が勢いよく起き上がった。

 

「──わ、私はなにを」

「ナナミン、もう大丈夫なの?」

 

 仰向けの姿勢から状態を起こして片膝立ちの状態に。そこらに転がっていた呪具とゴーグルを手に取って周囲を警戒するが、真人がいないこと──それから〝帷〟が上がっていることに気が付いて安堵の息を吐いた。

 それから視線は浮舟の傷口へ。

 ジト目で睨みながら、七海は問うた。

 

「……何があったんですか」

()()が説明する」

 

 虎杖と順平を押さえるように(もしくは何も喋らせないように)一歩前に出た浮舟が、実はと嘘を吐き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ∩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……領域に虎杖君が飛び込んだことでツギハギ呪霊は両面宿儺の怒りを買い、深傷(ふかで)を追ったツギハギ呪霊は命からがら逃走?」

「そうなんだよ。七海は真人の領域のなにかしらの効果で気を失ったみたいでさ。覚えてない?」

「……いえ、全く」

 

 表情一つ変えず、ペラペラとそれっぽい嘘を吐いた浮舟。虎杖はその背中を黙って眺めながら「この人嘘なんか吐けたんだ」と妙な角度から感心していた。

 七海はなにかを考える素振(そぶ)りを見せたが、やはり領域に引き摺り込まれた後の記憶は無いらしく。

 眉間を強く揉んでから、溜め息を吐いた。

 

「……戦闘中にも関わらず、まさか意識を失うとは。申し訳ありませんでした」

「良いって。真人もすぐ逃げたし」

「ちなみに、その傷は?」

 

 七海が浮舟の傷を目敏く指摘。

 浮舟は笑いながら(かわ)した。

 

「あぁ、アイツ汚くてさ。逃げる前に俺に一発入れてから逃げやがったんだよ。油断してたから普通に喰らっちゃった」

「貴方……。いえ、説教はまた後で」

「出来れば説教自体しないでほしいんだけどな」

 

 七海は何か言いたそうにしていたが、浮舟の流血を見て取りやめた。

 それから、浮舟の後ろを一瞥してから言った。

 

「そうも行きません。勝手に里桜高校(ここ)に来た理由も説明してもらわないといけませんし、なにより私は家入さんの後輩でもありますので」

 

 逆らえません。

 首を振ってそう言った七海。浮舟は背中に感じる圧に気付かないフリをしながら、堪らず問う。

 

「な、なんで硝子ちゃんの名前が?」

 

 浮舟からの問い。

 後輩に当たる七海はすぐに答えようと口を開いたが、声までは発せられず。

 口を閉じ、額を押さえて視線を外してしまった。

 

()()()

 

 代わりに、背後から肩に手を置かれた。

 浮舟が恐る恐る振り返れば、そこには目の下に濃い隈を残した家入がいつもの白衣姿で立っていた。

 

「しょ、硝子ちゃん。お待たせ」

「あぁ待ったよ。校門前、灰原が運転する車の後部座席でずっとな。音沙汰無いんで一眠りしようかと思ったら〝帷〟が上がったし、〝帷〟が上がってもいずるが一向に帰ってこないから慌てて駆け付けたらこのザマじゃないか」

「ご、ごめん」

「気にするな。ただ私に心配をかけさせて、その挙句腹に穴を空けているだけだろう」

「……硝子ちゃん、怒ってる?」

 

 家入の感情の籠った長文に、浮舟が窺うように尋ねる。

 その問いこそが家入の怒りを決定付ける一言に他ならず、家入は「フッ」と静かに笑ってから浮舟を片手で乱暴に抱き寄せた。

 浮舟の顔が家入の胸に埋まり、それから温かな白い光に包まれる。反転術式による治療が始まったらしい。

 胸に埋まったままの浮舟が何やらモゴモゴと抵抗しているが、家入に聞く気は無いようだ。

 

 

「この中に、私の治療が必要な程の傷病者はいるか?」

 

 それから場に言い放つ。

 虎杖と順平が顔を見合わせる中、先輩への対応を心得ている七海が皆の代わりに答えた。

 

「いえ。浮舟先輩の助力もあり、皆軽傷です」

 

 ついでに、尊敬する先輩のフォローも忘れない。言外に『なのであまり責めないであげてください』という意味を込めての言葉でもある。

 家入はそんな意図など見透かしているかのように七海の言葉を鼻で笑い、それから抱き寄せている浮舟の頭をもう片方の手でクシャクシャと撫でた。

 

「そうなのか、いずる。後輩を助けるなんて立派じゃないか」

「モゴモゴ」

「あぁ偉いよ。同期として誇らしい」

「モゴ」

「──でも許さない。『頼むから傷付かないでくれ』って前に言ったよな? 後輩を助けようと勝手に行動した結果が曇りの無い善行だったとしても、私はお前が傷付いていると知っただけで胸が痛くてしょうがないんだ」

「モゴ……」

 

 夏の湿度も裸足で逃げ出すほどの家入の慕情。執着心。

 虎杖も順平も気まずそうに目を背け、遅れてグラウンドに駆け付けた伊地知と灰原も素知らぬ顔でバインダーに事後報告を書き込み始め、七海に至っては片手で目を覆ってなにも見えないようにしていた。

 

「灰原」

「はい!! なんですか家入さん!!」

「帰るぞ。現場は伊地知に任せて、お前は私といずるを家まで送れ」

「えぇ!?」

 

 家入による突然の暴言(発言)。言外に後片付けを一人でやれと言い付けられた伊地知は、驚愕に目を潤ませた。

 灰原は家入の命令を受けてから、一度現場を見渡してみることにした。

 一部壁がボロボロに崩れ落ちている校舎。

 グラウンドに飛散しているガラス片。

 デコボコに歪んだグラウンド。

 体育館で未だ倒れている生徒、教職員。

 要保護者である吉野順平。

 果たしてこの状況を伊地知一人に任せて良いのか。

 

 

 時に。

 そう無い規模の任務では、受け持ちの〝窓〟だけでは後片付けは不可能という結論に達することがある。メジャーなところで言えば、産土神の一件や少年院での一件等が例に挙げられる。

 その場合、周囲の〝窓〟に応援を要請した上での大人数での後片付けに、残穢の掃除。そして警察関係者への根回しに被害に遭った生徒の保護者への対応。報道規制にetcといった具合に()()()()()()()()()仕事を覚悟しなければならない。

 今回は死んだことになっている虎杖と浮舟が絡んでいる。上層部への報告は避けられぬ以上、残穢の掃除(証拠の隠滅)はいつもより念入りに(おこな)わなければならない。

 

 

 と。

 見渡し終えて、考え終えて。

 頭の中で補助監督としての色々をじっくり考えた灰原は、家入に向かって自信満々に親指を立てた。

 

「分かりました!! ということだから伊地知、後は頼んだよ!!」

「えぇ!?」

 

 どう見ても一人で指示を回す量ではないのですが!? 

 伊地知が泣き言を漏らすも、その声は誰にも届かず。

 

「灰原、私は昨日から働きっぱなしだ。貴重な他者反転の使い手をこんな扱いするのは良くないよな」

「はい!! 良くありません!!」

「というわけだから二、三日休暇を貰う。治療ついでにいずるも貰っていくから、その間誰も怪我するんじゃないぞと皆に伝えておいてくれ」

「分かりました!! 五条さんへの説明はどうしますか!?」

「放っておけ。そもそもいずるは私の物なんだからな。行くぞ」

 

 家入は浮舟を抱き寄せたまま、校門前に付けてある車に向かって歩き出してしまった。灰原がその後を追い、残された術師三人と補助監督の伊地知。

 

「伊地知さん、俺達どうしよう?」

 

 遠ざかっていく灰原の背を見て肩を落とした伊地知に、虎杖が声をかける。その哀れな姿に気が引けたのか、声量はいつもより控えめに。

 伊地知はか細く笑いながら、頭をフル回転させながら答えた。

 

「……他の補助監督に見つからぬよう、私の車で待っていてください。私は色々やることがあるので出発まで時間がかかってしまいますが、なるべく早く戻りますので。そうしたら病院に行って念の為の検査を受けましょう」

「びょ、病院? それって」

「はい。吉野君のお母様も入院されています」

 

 後片付けのタスクに『死んだことになっている虎杖悠仁を他の補助監督に見られないようにする』を組み込み、熱くなった脳を自覚しながらそう答えた伊地知と、母の生存を実感して喜ぶ順平。

 しかし七海が横から会話に入っていた。

 

「いえ、病院までの虎杖君と吉野君(二人)の送迎は私が。ついでに吉野君の件について学長にも話を通しておきます」

「に、任務後の七海さんに運転させるわけにはいきません! ここは私が」

「……伊地知君。あなた今何時間起きていますか?」

 

 七海に問われ、指を折り始める伊地知。しかし両手の指では足りなくなった辺りで、七海は「もう良いです」と切り上げさせた。

 

「つまり寝不足ですよね。そんな状態で未成年二人を車で送迎するつもりだったのですか?」

「はい……」

「責めているわけではありません。補助監督という仕事の大変さは、灰原を通じて多少なりとも理解しているつもりですから」

「はい……」

「伊地知君の判断を叱りはすれど、それとこれとは話が別。ここは私が送り届けます──構いませんね」

「はい……」

「ということなので虎杖君、吉野君。行きますよ。空腹であれば途中でコンビニで軽食でも買っていきましょうか」

「あ、俺マック行きたい」

「軽食と言ったでしょう。……はぁ、分かりました。吉野君もそれで構いませんか?」

「は、はい!」

 

 伊地知から車のキーを受け取った七海。歩き出して、その背中を二人が追っていく。

 

「さて、もうひと頑張り……ですね」

 

 伊地知は三人が校門を──つまりは里桜高校の敷地を跨いだのを見送ってから、ハンカチで額の汗を拭ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『小僧』

 

 七海が運転する車の後部座席。

 順平との会話もひと段落ついて、なんとなく窓の外の景色を眺めていた虎杖。

 突然頭の中に響いた宿儺の声に眉が動いた。

 

『出の領域展開を見ただろう』

「……お前も覚えてたのかよ」

「何か言った? 虎杖君」

「ううん。なんも」

 

 宿儺に対する発言を吉野に聞かれ、慌てて弁明。

 順平もそこまで不審に思うほどのことではなかったのか、母へと送るメールの文面を精査する作業に戻った。

 

『記憶を覗かせてもらった。……良い領域だ。深傷を負っていたとは思えないほどの展開速度と、幾重にも張り巡らされた縛りの数々──何より領域内の描き方も愉快だ。あれだけ内装を凝っている上に、中で仮想の飲食も可能と来た。呪霊相手だから今回はたまたまこの結末を迎えただけで、対術師だったなら間違いなく出が勝っていたのであろうな』

「……何が言いてぇんだよ」

 

 先程よりも声を抑えて問う。

 今度は誰にも聞かれず、代わりに頭の中で宿儺の笑い声が響いた。

 

『領域を展開出来るということは、術式を持っているということだ。つまり出は天与呪縛でもなんでもない。ずっと貴様等に嘘を吐いていたのだ』

 

 ゲラゲラと宿儺が嗤う。

 虎杖は視線を窓の外に固定したまま「だからなんだよ」と一蹴した。

 宿儺は「なんだ」と冷めた虎杖に悪態をついてから。

 

『出はいずれ俺の物となる。……この意味が分かるか』

「キショい妄言としか思わねぇよ」

浮舟()は俺の側に戻り、人間の敵となるということだ』

「…………」

 

 以降、宿儺が口を開くことはなかった。

 静かな車内に、カーラジオの音とエンジン音。

 窓越しに聞こえる道路とタイヤの摩擦音。

 順平がスマホを触る音に、虎杖自らの呼吸音。

 様々な音が耳に入ってくる中で、虎杖は自身に課せられた()()()()()をどう守るべきかと、人知れず鼓動が早鐘を鳴らしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





飲み会あるある。何回も乾杯しちゃう。


ずっとずっと前から『領域展開オチ』からの今回の『乾杯始まり』をやりたかったので、遂に書くことが出来て感無量です。

幼魚と逆罰編は今回で最終話です。無事書き終えられたのは、皆様の感想と評価とここすき、そしてなにより読んで下さったお陰であります。
本当にありがとうございます。
本当に。

次回次々回と『浮舟のプロフィール』と『今までのお話1話ずつに対する一口解説』みたいなのを投稿します。
今話に至るまでに設定等でなにか質問がありましたら、一口解説でまるっと全部お答えさせていただきます。勿論、今後の展開上お答えできないこともありますが、なるべくお答えさせていただきます。

ではまた。




誰好き?

  • 浮舟出
  • 五条悟
  • 家入硝子
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