こんばんは!今回から数話は番外編です!
旅路の終わり。
悟と硝子と、そして
出が引き留めてくれることを(そして私と一緒には来てくれないだろうということもなんとなく)分かっていた私は、予め出の分のコーヒーに硝子お手製の睡眠薬を仕込み、家を出るどさくさに紛れて出に口付けを交わしてやったりして──現在。
年が明け、1月3日。
私こと
高専関係者によって敷地を囲うようにして張られた、立ち入り禁止を意味する危険表示バリケードテープ。
もう既に中を調べ終えた後なのか、それとも流石の呪術界も三ヶ日は
その境を見張る人員が一人も配置されていないテープ付近。
お休みの呪術界と違って、三ヶ日だというのに教祖の存在しない教団には人影。冷たい石畳に膝をつき、泣きながら祈りを捧げている教徒を遠目に見つけた。
果たして、あの教徒は私が死んだことを知っているのか。それともバリケードテープが張り巡らされた施設を見て、教祖はどこかへ逃げたのだと絶望しているのか。
「…………」
決して届かぬであろう祈りを一瞥。
姿を悟られぬようにタイミングを見計らい、息を潜めて敷地内に侵入した。
「…………」
馬鹿を言うな。
ここは私と、私の家族の場所だ。
言葉を改めよう。
私は姿を悟られぬようにタイミングを見計らいつつも、一人悠々と我が家へと
「…………」
真っ白な石畳の上を歩いて。
広く低い段差をいくつか登って。
建物内を歩いて。
長い廊下を歩いて。
その果て。
教祖である私と、教団幹部である家族達しか立ち入りを許されていないミーティングルーム。
かつての私が上機嫌で開け放していた両開きの重たい扉を、祈るような思いで慎重に開く。
扉の向こうには私の帰還を待つ家族達がいて、私の顔を見て安心したような表情を浮かべる。
そんな光景を望み、信じて開け放つ。
「…………分かってはいたけれどね」
誰もいない。
何も無い。
忽然と。
ソファ等比較的大きなインテリアを残して、棚に収納されていたファイルも、テーブルの上に置かれていた家族達のちょっとした私物も、壁に掛けられていた出含む家族達との集団肖像画も──ほんの僅かでも百鬼夜行の証拠資料足り得る物は、高専関係者の手によって全て押収された後だった。
百鬼夜行からもう1週間以上経っている。ここにあった資料達は全て確認され、私達の過去やら動機に至るまでが──
「……なんてね」
焦ったフリをしてみたけれどその実、私の心の波は少しと荒立ってはいなかった。
もしも、百鬼夜行で勝利を収めることが出来なかった場合。
私達は最初から、
それもその筈、これだけの規模の宗教団体。今までは
だから後々不利になりそうな資料や、貴重な呪具なんかは予め別の場所に移している。私の秘書(菅田真奈美)は優秀だから、私が死んだ(ことになっている)今、また別の──そしてまた別の場所──という具合に、足取りを悟られずに上手くやっているに違いない。
「……ハァ、骨が折れるよ。全く」
しかし、今回ばかりは家族達の優秀さが仇となっていた。
同期達に別れを告げた12月30日から今日まで、私は何もしていなかった訳じゃない。
敗走時に数十分の間だけ集まる秘密の場所や、そこでの集合に間に合わなかった場合の次点、等。等々。
毎日毎日、誰かいないかと様々な場所を巡った。
しかし、誰とも会えず。
足取りも追えず。
今日に至っては、いる可能性が限りなくゼロに近いこの場所を訪れる始末。
あれだけ優秀な家族達の上に立ちながら、祈ることしか出来ない自分が情けない。でっち上げた仮初めの宗教団体だから、そもそも祈る
いや、いた。
「…………」
私達は、死んだ出をある種の象徴──聖なる者として、事あるごとに出の死を持ち出していた。
「…………」
出が生きていることが分かった今となっては。
そして、出と百鬼夜行について話し合った後となっては。
「…………」
でも、間違い無く救われていたんだ。
私も、そして家族達も。
出の死という共通の怒りで、より強固に繋がれていたんだ。
浮舟出は、私達を救ってくれたんだ。
「…………」
後にする。
続いて向かったのは、私の個人ルーム。
教祖室と銘打たれたこの部屋はその名の通り教祖である私の為の部屋であり、家族達と言えども無闇な立ち入りは憚られていた一室。
学校でいうところの校長室の内装をイメージしてもらえれば分かり易い。
ドアを開ければ開けた空間と、少し遠く、椅子に座っている
かつての私は教祖室に一人でいることを寂しく思い、この部屋に置かれている柔らかい本革の椅子に毎朝少しだけ腰掛け、出の左腕を胸に抱きながら、秘書である菅田真奈美から今日一日の予定を聞いて、聞き終えるや否やすぐさま家族達の待つミーティングルームへと向かっていた。
そんな、名前だけのなんでもない部屋。
高専の奴等が欲しがるような資料も、ここには無い。
本当に名前だけの部屋。強いて言えば、どうしても私が下さなければならない決裁やらなにやらに使う私の代表者印と朱肉、そしてサインを記す為の万年筆とインク──くらいは置いていたかもしれない。
そんなレベルで何も無い部屋のドアを、気乗りしない面持ちのまま片手で開ける。
家族の内の誰か一人でもいる可能性は、ミーティングルームよりも低い。むしろ皆無と言っても良い。
だから、取り敢えずの確認として開け放つ。ドアを完全に開いたまま、室内の壁際にあるドアストッパーを足で移動させる。
ドアを開きっぱなしにすることに明確な意図は無いが、追われる身(というか姿を見られてはいけない身)である以上、何となくこうしておいた方が良い気がしたからだ。
ドアを開けたことによる室内から廊下への空気の移動。
まず感じたのは、どこか懐かしさを感じる埃のような匂い。その後すぐに『あぁ、遠方からの任務帰り、数日振りに部屋に帰った時みたいだ』と高専時代の記憶から懐かしさの原因を把握。口角が僅かに上がり、次いで。
「…………そこに、誰かいるのか」
私は部屋の奥、プレジデントデスクの向こう。
こちらに背を向けたままの、背もたれの大きなデスクチェアに向かって恐る恐る声を掛けた。
単純な推理だ。
もし過去の私がいつも通りの朝のルーティンを行っていたのなら、部屋から出る時に
高専関係者によるガサ入れの後だからといって、あのデスクチェアを移動させることはあっても向きを変える必要は無いからだ。
「…………」
「答えろ。よもや、たまたま潜り込んだ浮浪者というわけでもないだろう」
「…………」
「答えろ」
デスクチェアに座った誰かは答えない。
呪力も感じられない。
数秒の沈黙。
その間にもう一度デスクチェアの向こうの呪力を視てみるが、やはり僅かばかりの呪力も感じられない。
完全なる非術師だ。
「…………」
デスクチェアに座った誰かは答えない。
……仕方ない。あまり
部屋の入口から、デスクチェアに向かって歩き出す。私も相手も口を開かず、自らの靴音だけが室内に
遂に、手が届く距離。
私はデスクチェアの背もたれを掴み、強引に振り向かせ──ようとしたところで、デスクチェアが座っていた主の力でゆっくりと回転し始める。
手を引っ込めて目を凝らす。側頭部、横顔、そして椅子に座っていた人物の顔をはっきりと確認して、私は呪力を込めた右手の指先のことなど忘れてただ呆然と呟いた。
「出の、お母様……!?」
「……久し振りね、夏油君」
思わずたじろぐ。ここにいる筈の無い人物に
左手で片目を隠すように押さえた。
出のお母様は音も無く立ち上がり、私に歩み寄ってくる。距離を保って近付いてくる歩幅分下がると、私とお母様はプレジデントデスクの前まで移動していた。
「何故、あなたがここに」
思えば、出の葬式振りの再会。
つまりは10年振り。
あの時はもう二度と会うことはないだろうと思っていたが、いざこうして予期せぬタイミングで再会してみると、不審者相手に用意していた詰問の言葉なんて全て頭から消し飛んでしまっていることに気が付く。
咄嗟の言葉も思い浮かばず、口をパクパクとさせているだけの間抜け。出のお母様は──
「……まずい」
気付く。
「──流石、察しが良いんだね」
振り向こうとした背後から、声が掛かった。
聞き覚えの無い声。女性の物。過去の記憶に答えは無く、恐らく一方的に知られているのだろう。
取り敢えず、ポーズとして両手を挙げておいた。
「不意打ちなんて舐めたマネするなよ」
「それって背後を取ってる私のセリフじゃないの?」
私の言葉に、背後の人物が短く笑う。
「……
「いや、まずはお話したいだけだから。サクッと殺すつもりはないよ」
お話。
要領の得ない物言いに眉を顰める。お相手の殺意がそこまで手前に置かれていないものだと分かったので、振り向いて良いのか判断に迷う。背後から呪力は感じるが、それが果たして相手の身体から滲み出ているものなのか、それとも相手が持っている呪具からのものなのか、判断が付かない。
息を呑み、一瞥。
出のお母様は両手を合わせ、祈りながら震えていた。
「振り向いても良いよ」
「それはどうも──」
許可を得る。
私は両手を下ろしてから振り向き、音も無く背後を取っていた人物の顔を拝む。
「はじめまして、夏油傑」
ショートボブパーマ。
身長は165cmほど。
知らない学校の制服。
額には縫い目。
性別は女性。
片手にはサバイバルナイフのような形の呪具。
高専に入学する前までの女性遍歴から知り合いであるかどうかを思い出そうとしてみるが、目の前の相手が浮かべるこちらを舐めたような表情は、どう照らし合わせようがヒットはしなかった。
完全な初対面な上、しかし私のことは知られている。
あまりよろしくはない展開である。
「……はじめまして、お嬢さん」
視線を固定したまま、今度は背後を取られる形となった出のお母様に意識を向ける。どういう腹積りなのかさっぱり分からないが、先程の言葉から、最終的には私を殺すつもりなのだろうと理解する。
「あー、もしかして浮舟の母が気になっちゃう? 分かったよ。お母さん、こっち来て」
「……はい」
私の意図が分かったのか──いや私の立場になれば誰だってそう思い至るに違いない──出のお母様を気ままに呼び寄せるショートボブパーマの女。一連の流れから、二人の立場関係が垣間見えた。
「……それで、私に何の用だ。えーっと……」
「
「そうか、お嬢さん」
呼び名に困るフリをして何か情報を得ようとしたが、空振りに終わる。
お嬢さんは手のナイフを宙に投げては取ってを繰り返しながら、ドア枠に寄りかかった。
「単刀直入に言うとさ、君の身体が欲しいんだよね」
「身体?」
「そう。……まぁ、正確には君の術式がね」
「…………」
いつでも殺せるように、半身に構える。
「そう殺気立たないでくれよ。すぐに
まるで、やろうと思えば本当に出来てしまうかのような言い方に、特級としての自分のプライドが逆撫でされた。思えば、初手が不意打ちでは無く言葉の投げかけだった点も腹が立つ。
「私のことをいつから見ていた?」
「結構前から。百鬼夜行の前も、
「……出に手を出したら殺すぞ、ガキ」
「だから、
沸々と、殺す準備が整い始める。あとは出のお母様をどうやって遠ざけるかという、その一点だけが決まらない。そんな段階。
そもそも、出のお母様はどうしてコイツと組んでいるんだ?
私を殺そうと企んでいる奴と、どういう利害の一致で行動を共にしていると言うんだ?
「まぁ安心してよ。私から浮舟出を傷付ける気は無いからさ」
なんの保証にもならない発言。しかし奴の隣に控える出のお母様は、その発言にどこか安心したような表情を見せた。
互いの意思が共有されていない?
つまりは利用されている?
「なんでこうして君にベラベラと大事なことを話してると思う?」
「どうせ殺すから、だろう」
「正解、よく俯瞰出来てるじゃん」
拍手をするように、ナイフの腹を手のひらにペシペシと当てて笑う女。ふと額の縫い目に視線をやると、すぐさまリアクションが飛んでくる。
「やっぱ気になる? この縫い目」
「……あぁ、そうだ。ずっと気になってたんだよ。ここまで医療が発達した現代社会で、そんなにもハッキリと縫い目が見えているのが不思議でたまらない。定期的に糸を取り替えでもするのか?」
「良いね、悪くない考察だと思うよ」
「あと、髪型が似合ってない」
「それは持ち主に言ってよ」
「……
「うん。この身体の。……これも縫い目の話に繋がるんだけどね」
目の前の女が発する情報に頭を回す。
スウェットのポケットに入れているスマホに手を伸ばそうとも考えたが、もう少し隙を作らないと成功しそうになかった。
「そうか、糸を取り替えるんじゃない。抜糸して、また同じように縫い合わせているのか」
「そういうこと。まぁ、ばっちぃから糸も定期的に変えてるけどね」
「脳が本体」
「良いね」
「相手を殺し、空っぽにした頭の中に脳を移動させるのか」
「そう。術式って身体に刻まれるものだからさ。脳味噌捨てちゃっても大丈夫なわけ」
ショートボブパーマの女が、自らの額を指でノックして笑う。
それから、一瞬にして笑顔を下ろして指示を出し始めた。
「お母さん、そろそろ準備して」
「……はい」
隣に立つ出のお母様を顎で遣う。
出のお母様は懐から何やら錠剤のような物を一粒取り出し、震える手で自らの口に放り込んだ。
出のお母様は目を瞑って上を向き、喉の動きから嚥下し終えたのだと理解する。
そして──
「うぅ……」
頭痛に苦しむ際につい溢れるような呻き声と共に、出のお母様が床に崩れ落ちた。受け身も何もなく、大きな音を立てて床に転がった。
「お母様……!」
慌てて駆け寄り、膝が汚れることも構わず、屈んで上半身を抱き抱える。
気付けに頬を小さく叩いてみるが反応は無く、それに合わせて首が力無げに揺れ動くだけだった。
口元に手を翳したことによって、呼吸していることは──辛うじて生きてはいることは分かったが、私には何も安心なんて出来ない状況だった。
「何をッ……。出のお母様に、一体何をさせた!」
部屋の入り口に立つ女を睨み上げる。
女は私の怒声にピクリとも反応を示さない。
しかし問いかけには答えるつもりなのか、どこからか取り出したストップウォッチ片手に持ちながら、ストップウォッチから目を離さずに答えた。
「オマエを殺す準備。術式についても教えてあげたことだし、もうそろそろ知りたいことも無くなってきたでしょ」
ストップウォッチに向けていた視線が私へと向かい、目が合う。
つまらなそうにこちらを見下ろす冷めた瞳。
私は女から視線を離さずにゆっくりと立ち上がり、決して背後を晒さぬように歩き出した。
殺すだなんだと言いつつも未だ攻撃を仕掛けてこないことに違和感を覚えつつも、何の邪魔も障害も無く出のお母様をデスクチェアに座らせることに成功した。
出のお母様が座ったまま前に折れていってしまうことがないように背もたれを下げて。
それから。
あの家を出てから、道すがらに取り込んできた呪霊達を虚空から引き摺り出した。
「
ゆっくりと歩き、部屋に顕現させた呪霊達:計四体に道を開けさせ、女との距離を先程話していた際のソレよりも更に近付ける。
近付けば如実に露わになる、私と女の身長差。このまま前蹴りを叩き込めばすぐに勝敗がついてしまいそうな、見かけの脅威の無さ。
しかし私には今まで培ってきた経験がある。呪術戦に於いて、体格の優劣等術式の前では二の次だと言うことも、よく分かっていた。
私はこの女の術式を──この女が今まで手に入れてきた術式を知らない。
だから、油断や手加減なんて間違っても出来ない。
だって約束したのだから。
だから殺す。
相手がどれだけ私のことを知っていようが関係無い。
確実に、殺す。
「
「ありがとう」
「だがな、出のお母様に手を出すことは赦さない」
「なんで? もしかして結構好みのタイプだった?」
女の軽口に、必要以上に頭に血が上っているのを自覚する。
しかし私は敢えてその怒りを隠さずに、女の目を真っ直ぐ睨んで吠えた。
「──出と結婚する時にご挨拶に伺うからだッ!! もしこの一件でマイナスなイメージを持たれたらどうするつもりだッ!!」
「……キンモいね〜」
女が呆れたように笑う。
私は喚び出した呪霊達に
呪霊達が各々雄叫びを上げながら駆け出す。鋭い爪を──乱雑に生えた牙を──燃える身体を──女を殺す為に飛び掛かる。
「そろそろ時間だね」
呪霊達の接近を前に、構え一つ取らない女。
私がその態度に訝しんだのと、私の背後から突然呪力反応が芽生え始めたのと。
ほぼ、同時だった。
∩
「……私は」
「あ、気付いた?」
瞳を覗き込まれていることに、ぼんやりと気が付く。段々と視界の霧が晴れていき、私の瞳を覗き込んでいるのがつい先程まで殺そうとしていた女だと分かり、慌てて
「……?」
椅子?
私は、座っていたのか。
立ち上がった際の視点に違和感を覚えつつも、振り返る。そこには、私が立ち上がった勢いで後方へと脚部のキャスターを転がしている見慣れたデスクチェアが。
「…………?」
可笑しい。
そこには、出のお母様が座っていた筈。
眠っていたはずのお母様の目が覚めるほどの時間、私は眠ってしまっていたのか?
視界の霧が晴れても、思考には深い霧がかかったまま。次いで視線を前へと戻せば、女と目が合った。
同じ目線の女と、目が合った。
「ッ…………」
息を呑む。
せめて一発でもと拳を握れば、自身の頼りない握力を自覚する。
握っていた手を開いて、見下ろす。
「…………?
小さい。
手のひらが、小さい。
それに、少し皺もある。
指の長さも、爪の長さも違う。
「…………」
女を睨む。
女は肩を
そこには。
私がいた。
スウェット姿の私が、仰向けに倒れていた。
「……え、は?」
夢か。
それとも現実か。
現実だとして、これはなんだ。
瞬時に干上がった喉。呼吸が上手く行えずに、私はフラフラと
歩幅が小さい。
身体が重たい。
「分かってきた?」
女が私の混乱する様を見て楽しそうに笑う。
「なにが、起こって……」
遂には、
両膝を付き、気付けに頬を小さく叩いてみるが反応は無く、それに合わせて首が力無げに揺れ動くだけだった。
口元に手を翳したことによって、呼吸していることは──辛うじて生きてはいることは分かったが、私には
「はい鏡」
女に手鏡を手渡されるが、受け取る気力も無く。
身体から力が抜けた私の様子を見て、女は溜め息を吐いた。それから手鏡を私の正面にまで持っていき「これで良い?」と苛立たしげに呟いた。
薄々気付いていた事実に怯えながら、視線を向ける。答え合わせをする度胸も無いまま、分からないという恐怖に突き動かされてつい視線を向けてしまう。
手鏡の中には、出のお母様がいた。
「なん、で」
私の口の動きと、息がぴったりだった。
呆然と両腕が垂れ下がる。
周囲を見渡してみても、そこに答えもヒントも無い。
あるのは現実。
私の意識が──魂が、出のお母様の身体に移ってしまっている。
この一点のみ。
「まぁ、こういうことだよ。君の身体から魂を抜き取っちゃえば──ご覧の通り。抜け殻となった君は、スヤスヤと眠ってしまっている。魂が存在しないこの状態では決して目が醒めることはなく、
淡々と種を明かした女が、持っていた
刀身がゆっくりと沈み込んでいく。スウェットに赤黒い染みが広がり、それでも
「あ、ああ……!」
自分が死んでいくのを目の当たりにする恐怖。女に掴み掛かってでもやめさせようとするが、この身体の持ち主の筋力ではイメージ通りに動けず──そして急激な動作に笑った膝では力が入らず、もう一度床に付けてしまった。
間に合わない。
私を、助けられない。
咽び泣くこの声も、聞き慣れない。
「お母さんの魂が何処に行ってしまったのか、気にならない?」
現実感の無い現実に打ちひしがれているところに、女の問いかけが耳に滑り込んでくる。
しかし私は
目に涙を浮かべながら死を抱え込んでいた。
私に抵抗する力は無いと踏んだ女が、大股で歩み寄り、私の──出のお母様の胸骨辺りに人差し指を向けた。
「
「……?」
「お母さんの術式はね、魂の入れ替えじゃない。魂の抜き取りなんだ」
「抜き……取り……」
「今、浮舟母の身体には本来の浮舟母の魂と、君──夏油傑の魂がシェアハウスを始めちゃってるわけ。幸い、君が今こうして喚いている間は浮舟母は眠りについているわけだけど」
ひみつの嵐ちゃん! における嵐シェアハウスみたいなもんだね。
女は自らの例えの妙にクスリと笑ったが、私には何が何だか理解できなかった。
「何を言って……」
「最期なんだけど……まさかさっきの術式の説明で満足しちゃった?」
女は気を利かせているつもりなのか、語る様子はどこか誇らしげだ。
そうこうしている間にも
「お母さんにも、浮舟出よろしく
「…………」
「彼女、
「……ハァ?」
「だから浮舟出と一緒で、
教鞭でも執っているかのような女の振る舞い。
しかし私の頭は、その様子を尻目にかつて上層部の奴等を殺した時のことを思い出していた。
「…………」
出の過去──それも遠い過去に起因する、上層部の殺害動機。
それはつまり
しかし私は、出の葬式の時と今回。二度もお母様と会っている。10年という月日を経た再会で、しかし10年前も今回も、
だから私は勝手に、
だってそうだろう。
出の幼少期に亡くなっている父親なんて、見るからに──聞くからに怪しいじゃないか。
「……あの錠剤は、睡眠薬のようなモノか……」
「そう。で、もう一つ。お母さんは術師としての才能が乏しくてね。術式を使用できるのは1日に一度。そして使用時間も最長5分と決まってるんだよ。それが過ぎれば、魂は元の場所に戻り、元の身体も──浮舟母も眠りから醒める」
女は
「──だから、
「…………」
女と視線が合う。
「予定通り、君の身体は
「オマエ……ッ」
「残り僅かな時間で何か出来ないか、とか考えてる? 無駄だよ」
「…………」
深呼吸。
女からの挑発を尻目に、数分後には──元の身体に戻った時には出来なくなっているであろう呼吸をゆっくりと行う。気を張って、脳に酸素が行くように努める。
その結果、私が出した結論は
悟られぬよう、弱者であることを徹底する。
出来るだけ憐れで、間抜けに映るように意識する。
「…………私は、離反時に上層部から
「へぇ、アイツのことを」
「頼む、無関係の出を巻き込まないでくれ。この通りだ……」
「知らないよ。千年前の
突き放すように言い放った女は呪具を
「……
「今のが最期のつもりだったんだけどね。……まぁ邪魔も入らないだろうし、時間までなら別に構わないよ」
「……何故、出なんだ」
「何故、というと?」
「……出の家系に代々術式が遺伝──相伝しているなら、こんな目に遭うのは出じゃなくても良かった筈だ。現に、お母様もほぼ同じような術式を行使している」
「あぁ、ソレね」
女は『全然知らないんだ』とでも言いたげに鼻から息を吐いてから。
「
「…………」
「だからお母さんの術式は浮舟出とは厳密に言えば全然違うんだけど──まぁ言いたいことは分かるよ」
「…………」
「でも
「……つまり」
「重要なのは浮舟出に発現した
「…………」
気が遠くなる。
人の為に生きた彼が人の為に死に、何かの奇跡で蘇ったかと思えば、いずれ辿る地獄の末路。
出の笑顔を脳裏に思い浮かべ、いつかあの笑顔が失われてしまうのだと思うと──そしてその場に私が居てやれないのだと思うと、どうしたって気も遠くなる。
「…………いや」
違う。
気が遠くなっているんじゃない。
私の魂が、元の身体に還ろうとしているんだ。
「……すまない、出」
未だ聞き慣れない出のお母様の声色で呟き、上を向く。
「バイバイ、夏油傑。思ったより間抜けで助かったよ」
「……よく覚えておけ。オマエは私の大事な人に手を出したんだ。この恨み、絶対に──」
こちらに手を振る女に睨みを効かせ、口を開いて何秒か経過したところで。
私の意識は途絶えた。
∩
「…………」
空調の効いた心地良い温度。
壁一面に填められたいくつもの透明な窓の向こうには鮮やかな青空。
私以外には誰も居ないロビー。
室内だというのにどこからか聞こえてくる蝉の音。
いつの日か、星漿体──天内理子の護衛の一件で訪れた空港のロビー。
そのベンチに、私は独り座っていた。
「……慣れないね、いつまで経っても」
誰にも届かない言葉をひとりごちて。
「…………」
1月3日、私が人知れず死んだあの日。
気付けば私はこの場所に立っていて、どこにも行けず彷徨っている内にここが
正確には天国やら地獄やらに振り分けられる前の、未練を残した者が立ち止まる一時的な空間──的なニュアンスだと私は受け取っているが、いかんせん誰にも出会わないので証明のしようがなかった。
「…………」
この空港では、睡眠も食事も必要が無かった。時間の流れが現実とは異なるのか、いつだってこの窓の外は澄んだ青空だし、独りの空間に気が狂ってしまうこともなかった。
「……皆」
空港では時折、下界の──現実世界の様子が見れた。
出が九十九由基の手によってあの家から連れ出されたことも。
出の生存が皆にバレてしまったことも。
新一年生が入学したことも。
出が領域を展開したことも。
高専に特級が侵入したことも。
その裏で
全て、ここから見ることが出来た。
出がどれだけ傷付こうが、悟がどれだけ任務に追われていようが、硝子がどれだけ目の下の隈を濃くしようが、ここでの私に出来ることはない。
それでも、何も出来ないこの場所で皆の無事が知れるというのは案外悪くないものだった。
閑話休題。
10月31日。
渋谷で、
高専で祓った特級呪霊の空いた枠によって、敵側の戦力は幾ばくか弱体化したものと考えていたが、甘かった。
まさか悟を封印する為にあそこまでするだなんて。
あんなにも出を苦しめるだなんて。
「…………」
歯噛み。
出は、少しでも多くの仲間を──そして非術師を救う為に奔走していた。泣きながらも、ゲロを吐きながらも、着実に命を救っていた。
「…………」
だと言うのに。
「……夏油?」
空港の正面入口。
人感センサーが機能していない自動ドアの向こうに出の姿を見つけた時、私はどうにかなってしまいそうだった。
番外編(という名の本編で組み込め切れなかった重要なお話の数々を渋谷事変前に紹介しておこうのヤツ)は4〜5話くらいを想定しています。
今回のお話からメッチャ昔のこと掘り返したりします!各自読み直していただけると嬉しいです!別に読み直さなくても全然大丈夫です!
夏油傑だ〜い好き!
ではまた!