アグネスデジタル、分身す   作:イントナル森

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3話 アグネスデジタル、擬装す

 サイレンススズカの朝は早い――。

 

 見ずやあけぼのと誰に言われるまでもなく、彼女は目を覚ました。

 これはその日たまたま目が冴えてしまったのではない。夏にはヒクイナの鳴き声が戸を叩くよりも早く、冬には諸人こぞりて眠り給う朝でさえ、彼女は必ず目を覚ます。

 

 待ちきれないからだ。

 走っているときにしか得られないあの感覚に再会したいからだ。

 朝、目が覚めて何よりも先に思い浮かべるのは先頭の景色。

 

 風を切り、大地を蹴り、1人だけに用意されたパノラマに酔いしれる。絶えず変化する景色の中で、可視化された突風のように存在する、そんな自分の姿を思い浮かべている。

 

 サイレンススズカは、誰にも邪魔されず、自分だけの世界を駆け抜けることに心を奪われていた。

 

 この気持ちを形容するなら、恋というより本能が適切だろう。

 ウマ娘なら多かれ少なかれ誰もが持っている欲求を、スズカは人一倍持っていただけだ。いつからそうなのか、いつまでそうなのか、彼女にすら分からない。だから彼女は命の限り、自分の脚が求める限りあのパノラマを求めてしまうのだ。

 

 この日もまた、単なるモーニングルーティンの一環としてスズカは目を覚ました。どこからか響いた、ほんの小さな部屋の揺れが気になって、いつもよりも早く目が覚めてしまったようだ。だが彼女にとってそれはある意味喜ばしいアラームだった。

 ほのかな明かりの中で、すでに走ることで頭をいっぱいにしながら、ジャージに袖を通す。

 部屋を出る前、ふと同室のウマ娘の様子を一瞥する。今日はにんじんケーキのバイキングでも夢に見ているのだろうか、スペシャルウィークが幸せそうに寝顔を覗かせてくれる。その表情につられて微笑み、サイレンススズカは寮を抜け出した。

 

 本来なら外出は禁じられている時間だ。しかしルールを守ることよりも、見たことのない景色が見られるかもしれないといういたずらな好奇心が勝ってしまった。

 寮長に迷惑をかけてしまうのは胸が痛かった。寮全体の秩序にも関わる。もしかしたら朝練自体が禁止されてしまうかもしれない。

 でも廊下に出てみれば、自分以外にも寮を抜け出そうとしているウマ娘がいるではないか。なんだかその小さな背中を追い越したくなって、結局ルールを破ることを選んだ。

 

「きっと寒い朝の空気も気持ちいいわ」

 

 今日は何もかも許されてしまいそうな気がした。きっと後ろめたいことも風が拭ってくれる。

 

 そんな気持ちでサイレンススズカは、どこか遠くを目指して一目散に駆け出していく。

 

 

 

▲▼▲▼

 

 

 

 時刻はいつの間にか午前4時に差し掛かろうとしていました。

 まだ空気は冷たいですが、大抵のウマ娘ちゃんにとっては些事。もちろんあたしにとっても。

 ましてやスズカさんなら余裕でしょうね。

 で、でもなんでここにスズカさんがいらっしゃるのですか……?

 

 超朝型のウマ娘ちゃんたちの活動時間に差し掛かっているのは確か。

 しかし、寮の外出時間は朝の5時30分からなので、普通は誰とも出逢わないはず……。それにこの公園はスズカさんの普段の走行ルートには入っていないはず……?

 

 ……もしや、寮を抜け出したのを見られたのか!? そしてスズカさんは自らも寮の規則を破ってしまうことになるのを厭わずに、あたしを連れ戻しに来られたというのか……!?

 な、なんてことをしでかしてしまったのだ、デジタル! 推しに不要な罪を被せてしまうなど……ヲタクの風上にも置けぬ輩め!

 

 いや、これマジでヤバくないですか???

 

 そも、できることなら、あたしは推しに自分の存在を認識されたくないんですよォ。自分が推しに影響を与えてしまうことが怖いんですよね。そしてなによりあたしは自然なままのウマ娘ちゃんをこっそり堪能したいのです。

 

 てゆーか、尊敬している人の前にのこのことだらしない顔をさらけ出せますか!? 無理ですよね! 眩しい貴方の輝きであたしを照らしてーーーッって感じですよね! ハイ!!!

 

 んで今回の何がヤバいって、あたしが普通に朝の外出可能時刻を破ったのはともかく、スズカさんにもそれを破らせてることがヤバい。

 さっき呟いてたことを聞く限り、スズカさんはあたしが寮を抜け出したのを見てます。あれほどお優しいスズカさんであれば、なんだかんだ言って心配になり様子を見に来てしまうこともありえてしまうでしょう。

 

 普通に朝練がしたいだけなら、寮長さんに叱られることが分かってまでこの時間に抜け出すメリットは多くはないと思いますし……。いやでもあれだけ走ることが大好きなスズカしゃんなら、あたしに構わずこっそりと寮を抜け出しちゃうお茶目な一面もありうるか……? いやいやまさか。いくら走るのが大好きとはいえ、学園のルールに従わない不真面目さをスズカさんが気にしないはずがありません……。

 

 いずれにせよ、最適解はあたしが出頭してスズカさんと寮に帰ることでしょうか。これ以上の罪をスズカさんに背負わせるわけにはいきませんから……。時間的にはバレる可能性は少ないのでマダガスカル。

 

 

 でも、残念ながら姿を現すわけにはいかないのです。

 

 

 

 だって、あたし、いま、4人いるんですから!!!

 

 も~~~!

 

 

 

 どうしようかと頭を抱えていると、またスズカさんの呟きが聞こえてきました。

 

「せっかくだし、もし見かけたら一緒に走ってもらおうかと思ったんだけど」

 

 なんか畏れ多いこと言ってる!

 一緒に走るって……出頭ってコト!? 

 でもスズカさんと2人だけでイケナイ共犯関係ってのもアリ……いやナシ!!! 推しの潔白を穢すような真似が許されるわけないでしょーが!

 

 そもそも()()()()ってのが叶わぬ夢なんですよね。今。

 

 ……噂をすればと紛れ込む、あたしの声というノイズ。

 

「どっちから話します? この後起きる神シチュについて? それともやはりタキオンさんのアブナイ身体実験について?」

 

 デジタルもデジタルで、話してる場合じゃないですってば! お気付きでないのですか!? 公園の砂の大地に女神が降臨しているのですよ!?

 

「神シチュじゃないですか? やっぱり我々が今集まった理由ですし、ここで改めて共有するなら」

 

「そうですねー。連携プレイにおいては事前準備が勝敗を決しますので」

 

 あたし以外で進められていく会議。

 なんで気が付かないんですか!? あなたたちも()()()なんですよね!?

 

 え、それともいない? あたしが幻覚見てるだけ?

 

 ……覗いてみましょうか。

 アグネスデジタル超五感(スーパーセンス)が一つ、この『デジタル・アイ』で! くわっ!

 

 ピピピピピピ……。

 

 茂みから『デジタル・アイ』で凝視したスズカさんは、学園の赤いジャージに身を包んで佇んでおられました。どのような空間においても調和する透明さを備えた美麗な風貌は、『最速の機能美』の名をほしいままにするスズカさんをよく表した言葉だと改めて思いました。

 早朝の街の暗く小さな公園さえ、明るい栗色に染め上げるウマ娘ちゃん。まさしく、暁の空を彩るパブリックアート。

 瞬きする暇も与えてはくれない神々しさ。自分の目が乾燥するのも愛おしい。見ているだけで涙が止まりません。

 

 嗚呼、この瞬間を一眼レフで収めたい……。この一瞬を現像してデジタル美術館で永遠に保存したい……。

 

 デジタル・アイが鑑定結果を出しました。

 ピピーガガガ……。

 サイレンススズカ、ホンモノ。

 やった~~~~~!! 本物だ~~~~~!!

 

「あら、そこに誰かいるの?」

 

 あばばばばばばばばば!!!

 

 まずいです!

 スズカさんがあたしたちに気が付きそうです!

 

 だというのに、他のあたしに目配せしても全く動じる気配がありません。

 ちょっと! 好きなことの話になると視野狭窄になる癖はやめてくださいよ! せめて今は!

 なんて一人で虚しく焦っていると、他のあたしの口から聞き逃せない情報が発されました。

 

「何を隠そう、最近ファルコンさんがこっそりとライブの準備をしているそうなのです……!」

 

 何ですと!?

 そんな耳寄り情報、初耳ですぞ!?

 

 うわ、聞きてぇ~~~!!! 聞かせてください! 是が非でも!

 

「毎夜毎夜部屋の奥から聞こえてくる、2人だけで交わされる内緒話……。そして外出が許可される朝の5時半、ファルコンさんとフラッシュさんが共にどこかへと消えていく……そんな話がこのトレセンウマヲタ界隈で耳にされるようになったのはご存じですね。あ、これは2人だけの秘密を暴きたいとかいう話ではなく、ちょこーっとだけ往路と復路での会話を拝聴できればいいな~くらいの話でして──」

 

 うわあ~~~! 聞きてぇ~~~~~~!!!

 

 でもでも、聞いてる時間はないです! 今にもスズカさんが茂みの裏でヨダレ垂らしまくってるあたしを複数人発見して「ウソでしょ……」って言いかねません!

 いや、生の「ウソでしょ」も聞きてぇな! どうしよ~!!!

 

 考えろ、デジタル。

 ひとまずこの場を切り抜ける策は何か……!

 

 こうしているうちにもスズカさんの足音が近づいてきます。

 

 こつり、こつりと、足音が鳴るたびにあたしの脈拍は加速していく。もう冷静に思考する余裕はなさそうです。

 

 ……ええーい、出るしかねぇ!!!

 

「しゅ、しゅじゅかしゃん!」

 

「きゃあっ!?」

 

 バサーッと、思わず茂みから勢い良く立ち上がってしまいました。

 

 ああ、推しを驚かせるなどヲタクの面汚し……。しかもスズカさんの悲鳴が聞けてちょっと喜んでいるあたし。己に嫌気がします。

 

 これはもう、さすがに不用心が過ぎました。もう一挙手一投足に神経を注がなくては。不意に立ち上がったあたしに対して他の3人のあたしがどんな反応をしているのか気になりますが、スズカさんにあたしたちのことを勘付かれては絶対にNGなんで、様子を伺うわけにはいきませんね。

 

「ど、どうしたのデジタルちゃん? こんなところに隠れて……」

 

「あ、いえ、その」

 

 目を丸くしてあたしを見つめるスズカさん。あっ、顔がいい。良すぎて辛い。

 む、むがぁぁぁぁ~~。まともに会話できる気がしないよぉ~~。

 

 とはいえこの場を切り抜けるかどうかはあたしにかかっています。

 他愛のない日常的な会話を捏造するのです。

 他のあたしのためにも、スズカさんのためにも、そして神シチュのためにも……! 心を鬼にして、二枚舌を使うしかない……!

 

「じ、実はですね、昨日この公園でお腹をすかせてたヌコチャンをお世話しておりまして、で、今朝も朝練のついでに様子を見に行こうと思ってここまでこっそりと……その……」

 

 ぐおおおおお!!! 保身の為に推しに嘘をつくなどヲタクの恥晒しィィィィ!!! ここで腹を切りたい!!! それに全然5時半のルールを破る理由にはなってない!!!

 しかし正直に言うほうがもっとマズイとはさすがに分かってるゥゥゥゥ!!!

 

 ごめんなさい、スズカさん。後でアグネスデジタルとアグネスデジタル共が腹を切ってお詫び致します。

 胃が痛い。

 

「へぇ、ネコ……」

 

「さ、さ、左様でございまして……ふへへ」

 

 とりあえず茂みから注意を逸らすべく、茂みを抜けてスズカさんの方へ出ることに。

 ああああ、会話を交わすだけでも心臓バクッバクなのに、あたくしめから推しに近づくなんて、おかしくなっちゃいそう! 心臓が破裂しそう!

 

 僅かな間、少しの言葉を交わしただけ。なのに、今にもあたしの変な色に染まってしまいそうな、まるで子供が浮かべたシャボン玉を触ろうとしているような、スズカさんの繊細さが肌から伝わってきました。もうとにかく気が気じゃないです。消えたい。空気になりたい。スズカさんの呼吸で肺に取り込まれてスズカさんの細胞の活力になるなら本望。

 

「でも、この近くに野良猫っていたかしら? 商店街の方には結構いた気がするけど、こっちにもいるなんて知らなかったわ」

 

「えっそれは」

 

 マ、マズイ! 疑問を抱かれた!

 ネコじゃなくてサルとかにすればよかったのでしょうか!?

 

 なんて思う間にも、スズカさんが茂みに向かっていかれる。

 

 ヤ、ヤバイ! 覗かれる!

 この感覚……小学生の時にこっそり学校に持って行った同人誌を友人に覗かれそうになる感覚に似ている!

 や、やめてくり~~~!

 

 何とかして誤魔化さねば……。噓つきになるのも嫌ですけど、あたしが4人いるなんて状況を他人に説明するほうが嫌! せめて本当にヌコチャンがいてくれればこの場は誤魔化せるのですが……!

 

 すると茂みの中から。

 

「ニ、ニャオーン……」

 

「ミャー……」

 

「ゴロゴロ……ゴロゴロ……」

 

 オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙…………!!!

 あ、あたしが、あたしたちが、猫の声真似を……ッッ!!!

 裏声を無駄に使って……ッ。

 ガハ……ッ。

 

 ええーい、やめいやめーい!

 誰得だっつってんでしょーが!

 

 いや、しかし……ナイス! 助かりました。

 同志、デジよ……! 己が身を分かち合ったあたしたちよ……!

 あなたたちの献身は、無駄にはしない……!!

 

「3匹もいるのね?」

 

「そ、そうなんですよ~、アハハ……。もう、元気がよくって大変で……」

 

「まぁ……」

 

 嘘から出た真、いや全然真ではありませんが、ひとまずあたしの話に信憑性は持たせられましたかね。猫デジタルもタイミングよく鳴きやんでくれましたし。ナイス擬装!

 

 この隙にと話題を転換させていただきます。

 

「そ、それよりもスズカさんこそ、こんな時間にどうされたんです?」

 

「あー、それは、その……」

 

 するとスズカさんも歯切れの悪い様子。やはり、門限を破っている自覚はおありなのでしょう。

 女神のつぶらな瞳が泳いでいらっしゃる。嘘をつこうという様子には見えませんが、言いにくいことを言おうとしているのは分かります。

 

「追いかけなきゃって思ったのよ……つい」

 

 !?

 

「誰かが騒いでる音が聞こえて……ちょっといつもより早く目が覚めちゃって。それで廊下を見てみたら外に出ていく子が見えて……そしたら私、いてもたってもいられなくなって……」

 

 ああ〜! やっぱりあたしのせいだぁ〜!!!

 

 直接的にあたしのせいとは仰られなくとも、事実関係が完全にあたしを起因とするもので相違ございません〜!!!

 

 追いかける、という言葉にもスズカさんがあたしを捕まえようとしているという意思が込められているはず。

 そりゃそうだ! いくら分身したあたしに連れ出されて混乱していたとしても、学園のルールを易々と破っていいはずがないんですよ!

 冷や汗が背中を伝いました。

 

 スズカさんもきまりが悪そうにあたしから目を逸らして話をしていました。待って、そんな顔をしないで〜!

 と、とにかく謝らないと!

 

「そ、それは全部あたしのせいなんですよ! だから俯かないでください! 寮のルールを破ってスズカさんまで巻き込んだことも本当に悪く思ってます!」

 

「いいえデジタルちゃん。確かに時間を守らなかったのはいけないことだけど……それは私も一緒よ。自分のわがままに身を預けたのも、おんなじ」

 

 優しさが痛い! 罪を共に背負おうとしてくれるスズカさんの優しさがあたしの心臓を貫いてくる!

 この方には敵わない。あたしごときでは到底辿り着きえぬ人徳をお持ちでいらっしゃる。

 

「だから……一緒に行きましょう? 今この一瞬しかないチャンスもあるはずよ」

 

 ……そうですよね。今すぐ寮に帰るしか許されるチャンスはないですよね!

 ここまでご迷惑をおかけしてしまったのですから、潔く栗東の皆さんに下げる頭を持って帰らないといけませんね!

 ちゃんとした時間からスズカさんが朝練を始められるようにする為にも、今から走って帰らないと!

 

「……はい! あたしも覚悟を決めました! スズカさん、誠に恐れ入りますが、一緒に走って貰えますか?」

 

「ふふっ、もちろん。デジタルちゃんと走るのは初めてだし、せっかくだから楽しみましょうか。それじゃあ付いてきて!」

 

 あたしに差し出された細く愛らしい手。さすがに触れたりはしませんでしたが、もうスズカさんのペースに任せてあたしは付いていくことにしました。

 

「は、はひぃ〜〜!」

 

 罪の意識ももちろん拭い去ったわけではありませんが、思わぬ神シチュに破顔してしまいました。

 そもそもスズカさんとこうしてお話しできているなんて、奇跡の賜物であります。

 一見クールで美しいスズカさんですが、裏には静かに走りへの強すぎる情熱を秘めています。それを知っているあたしは陰ながら発狂させていただいている身でございました。

 なのに今、あたしはスズカさんと併走している!

 それもこんなに近くで! わお!

 経緯はともかく、こんなことがあたしの身に起きちゃっていいんでしょうか!?

 

 最後の晩餐ってやつですかね。それとも毒を食らわば皿までか。

 己の不手際による後始末は自分でできる、ヲタクの名に恥じぬ振る舞いをしなければ。

 

(後は任せましたよ、あたしたち……!)

 

 少なくともあたしは他のデジタルたちの言う、ファル子たんマル秘情報についての調査に携わることは叶わなさそうです。せいぜい寮に帰った時にファルコンさんたちのお姿を頂戴できる可能性が微レ存。

 まあ、代わりに抜け駆けさせてもらってますが!

 

 公園の薮の中に残した3匹の子デジたんに心の中で別れを告げつつ、あたしはスズカさんと共に朝焼けの街に足音を響かせていきました。




デジ誕当日までに完結まで書ききれなかったので更新をお待ちください。
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