……なんだか寮から遠いところまで走ってきてる気がするのですが。
おかしいですねぇ? あの公園は寮からせいぜい徒歩5分くらいの場所のはずなんですど?
推しとランデブーしているあまりの多幸感で考えるのをやめておりましたが、走り始めてから体感2時間は経過してませんか?
しかも、普段なら来ないような地域まで出掛けてきてませんか、これ? どこここ?
「あのぅ……スズカさん?」
東の空も青くなってきた頃、意を決してスズカさんに問いかけました。
長距離走に合わせて整えられた呼吸のペースを乱すような真似、畏れ多いですけど。
「デジタルちゃん、どうかした?」
おぅふっ、見返り美人。萌えッ。
「いや、差し出がましいようで誠に恐縮なのですが、我々はどこに向かっているのでしょうか?」
スズカさんと一緒に走っているという事実があまりにありがたすぎて時間を忘れておりましたが、さすがにおかしいと気付きました。
確か寮に戻ることで意見が一致して、急いで帰ろうって話をしたはずなんですけど……。
「ふふっ。さて、どこかしらね」
いたずらに笑う女神。
あっ不意打ちはズルい。萌え~ッ!
いやいやごちそうさまなんですけど、そうじゃなくて。
「寮に帰るのは……」
「あー……そうね。ちゃんと道を覚えておかなくちゃね。でも、デジタルちゃんもご覧? すごく素敵な景色よ。先頭は譲ってあげないけど」
求めていた答えとはちょっと違いますが、可愛いのでおk。
2人で駆けていたのは、まだ人通りの少ない街並み。
ここは起伏の多い地形で、前を向けば無造作な灰色のテクスチュアか、あるいは大気を塗りつくす澄んだ青と赤のグラデーションかが目に飛び込んできます。
目まぐるしく変化する世界のパースに、現実世界の複雑さを思い出しました。
坂の多い道路を走っていくには足元から気を緩めてはなりません。でも、スズカさんのランニングが奏でる心地よいリズムに合わせて身体を動かせば、自然と息が入りました。
スゥゥゥゥゥ…………あっ、いい匂いしゅる……。風に乗ったスズカしゃんの芳香が女神の息吹のようにあたしへ吹いて……。ハァァン、無限に呼吸できりゅ……。
このままどこまでも走っていけそう、とウマ娘としてのあたしが言っているのが分かりました。ヘンタイとしてのあたしも言ってますが無視します。
……やっぱり、帰るのは惜しいですね。
分かってはいますけど、この貴重な時間を終わりにするのが残念でなりません。
スズカさんもまるで寮に帰ろうという様子がありませんし。
なんだか何もかも許されるような気がしてきました。
「あたしはどこまでも付いていきますとも……!」
「ありがとうデジタルちゃん。でも……なんというか、私の背中にすごく視線が突き刺さってくるのを感じるのだけれど……」
「お気になさらず。スズカさんの美貌ならばそれはもう様々な視線が向けられるでしょうが、スズカさんの背後は誰にも譲りませんよ、今だけは」
「ウソでしょ……視線がより強くなった……」
人通りが少ないとはいえ、行き交う人全てを魅了するスズカさんの走り。見惚れてしまう気持ちはよ〜く分かります。
あたしも一瞬たりともスズカさんの動きを見逃すまいと、たなびく髪も振れる尻尾も伸びる脚もぜ〜んぶご覧に入れさせていただいております。
はぁ〜眼福。ふひひひひ。
しかしまあ、さっきの一件で痛感しました。
あたしは出しゃばるべきではない、と。
推しに悪影響を及ぼしかねない。そんなことは望んでいない。ウマ娘ちゃんの楽園に泥の水たまりを作るような真似はしたくない!
今回はなんやかんやでいい感じ〜になったのでいいですが、油断はできません。
いつ調子に乗ってハメを外すか分からないのが人というもの。
自戒、自戒、自戒。
次回こそは誰にも干渉しないモブAとして、こっそりひっそりそろりそろりと行動しましょう。
と、決意していたところ。
『──ますか、聞こえますか、デジタル』
!? どこからかあたしの声が……!?
『アグネスデジタル。あたしは今、あなたの脳に直接話しかけています』
うはwそういうことかw
テレパシーならぬデジパシーの受信に気がついた瞬間、呆れるのを通り越していよいよもってあたしはすべてを赦しました。
これは他のあたしによるものですね、把握。
もう、なんでもありですか!
『我々は一心同体……あたしたちに備わっている非凡な妄想力をもって、共有したいイメージを電波として発信するように頭の中で強く念じれば、文字通り同じ脳を持ったあたしたち同士ならば言語的、視覚的、聴覚的な感覚の種類を問わず共有することができるようです……』
なんぞ?
コミュニケーションもいよいよ来るとこまで来ましたね!
スマホとかの装備品を複製することはできなかったようですけど、この能力さえあれば我々の観測したあらゆるシチュエーションを存分に楽しむことができるじゃないですか! しかも、おそらくは他のあたしが見た事をそのままに受信できるので、あたかもあたし自身がそれを観測したかのような追体験ができるってことですよね!
キタコレ! あたしはエスパーになってしまった!
さすがタキオンさん! こんな能力まで備えさせられるとは!
でも、それならこんな便利な能力、早く教えてくれればいいのに。
『いや、この能力はさっきスズカさんに我々が見つかりそうになったとき、あなたから猫化しろという命令が無音で聞こえてきたから発覚したのですぞ』
ああ……なるほど。
さっきスズカさんに我々の異常事態を悟られまいと、公園の茂みの中にヌコチャンたちがいるように偽装してほしいと心の中で強く思ったのでした。
それがこのデジパシーによって他の3人に意思が伝達され、無言の連携プレイが成立したというわけですか。知らず知らずのうちに、あたしがトリガーになっていたという話ですか。
……それ、あたしたちが茂みの中に隠れてるのがバレそうになった時点で発揮してほしかったんですけど!
「それであたしたち、件の状況はいかがですか?」
閑話休題。
あたしは頭の片隅で気になっていました。ファルコンさんとフラッシュさんの密会が……言い方アレですね。秘密の話し合いとやらの顛末のことが。
そんな大事な情報、事前に聞いていたならばあたしが忘れているはずないんですけど。おっかしいな〜? どうして他のあたしは知ってるんでしょうか。記憶が引き継がれていないということなんですかね。やっぱり、本当にあたしはオリジナルのアグネスデジタルのクローンってことなんでしょうか。
あたしの疑念などいざ知らず、対話先のデジタルは興奮気味に応答しました。
『ええ! しっかりデジラッチしていますよ! ちょうど今進展があったところです!』
アグネスデジタルのパパラッチ、略してデジラッチ。
デジタル・アイが6つも集まれば、ホシを観察して得られない情報は無いでしょう。それはもうゴシップレベルの情報ならば、ながらスマホをしながらでもタレコミできるレベル。
知りませんけど。
なにせデジタル・アイが増殖する機会なんてありませんでしたから。
「では早速、教えてください!」
『はい、こちらをご覧下さい──』
そう伝えられ、頭に流れ込んできたのは公園での出来事──
▲▼▲▼
「ふぅーっ! いよいよだね、フラッシュさん!」
朝5時半を回って、トレセンのウマ娘ちゃんも活動を本格的に始めたようです。
公園に身を潜めている我々アグネスデジタル三人衆は、仲睦まじく横に並びながら歩んでくるファルコンさんとフラッシュさんを観測致しました。
じゅる……。おっともう
ちなみに我々は公園の茂みの中にいて、道路を歩いているファルコンさん達とは公園の広場を挟んでそれなりに距離があるので見つかる心配は無いと思います。
アグネスデジタル
「そうですね。準備は滞りなく進んでいます」
「うん、手伝ってくれてすっごく助かってるよ! ありがと☆」
「お構いなく。2週間前からスケジュールに組み込まれていたことですから。むしろ、ファルコンさんがこれほどまでに朝に強くなったことに少々驚いています」
「へへん、もう慣れちゃったよ! 最初はホントに大変だったけど……今はもう、このライブが待ち遠しくって!」
「ウマドル活動は全力で、というわけですね」
「そう♪」
な、なんと!?
ファル子さんがライブを計画しているって!?
寝耳に水の情報ですよ!
だってファル子さんのウマッターのアカウントでも言ってませんでしたし、学園の掲示板にもビラの掲示はありませんでしたから。
ウマドル広報活動に抜かりのないファル子さんが、客集めを怠るはずがありません。
つまりこれは……今の今までひた隠しにされていた、ファル子たんゲリラライブの大スクープ!
噂は本当でしたか!
しかし、ゲリラで行うことに何か特別な意味でもあるのでしょうか?
ライブの開催をどうしても隠したい理由が。
それにしても……ダートのレースで輝かしい活躍をお見せくださったスマートファルコンさん。彼女の煌めきに魅せられたファンは多く、ウイニングライブでは特等席を取るのがだんだん難しくなってきました。
遠い
朝焼けに染まる屈託のない笑顔がトゥインクル……。
「でも……ゲリラライブ、今思うと久しぶりかも。大丈夫かな?」
「大丈夫です。私も協力して、仕込みから十全な計画で進行したのですから。それに、ファルコンさんが立つステージが失敗するはずはないでしょう?」
「……そうだねっ! フラッシュさんからもらった素敵なアイデア、今回のライブにピッタリだし! 絶対大丈夫!」
えっ!
フラッシュさんもバキバキ関わっておられる!?
思わずお二人を見やれば、これからデートでもするんかみたいな軽やかな足取りで歩いていらっしゃいました。推せる。
そういえばフラッシュさんの凛々しく美しいお顔が、普段ファルコンさんと接しているときの静かでママみ的な微笑みではなく、なんとも自然な笑顔になっているような?
そうか、『全て予定の範囲内』だから……!
想定外の事態に振り回されることに少なからず「仕方ないですね」的な感情が入り込むのは、極限まで効率化したスケジュールを守りこなすエイシンフラッシュさんならそれこそ仕方のないこと。元々想定外のことを完全に排斥しようとするようなお方ではありませんが、ファル子さんというご友人の頼みでもスケジュールが狂うのはやはり好ましくないこと。
でも今は違う!
今、お二人はライブに向かって、一緒になって楽しんでおられる! その麗しき眼差しの絡み合いを見ればわかるッッ!
このゲリラステージは……! アイドルとプロデューサーとしてではなく、学生と学生としてのあどけない友好関係で築き上げられようとしている……!
やばい、膝が震える……!
産まれたての子鹿ならぬ、産まれたての子デジになってしまう。あたしのほっそい脚がぷるぷると震えて地面の感覚を忘れそうになる。
新生デジは生まれ落ちたばかりの世界への好奇心で目を爛々と輝かせています。だがしかし幸か不幸か、目の前に広がるは閃光のような推しカプのキャッキャウフフ! 赤ちゃんには眩しすぎて致死量!
あかん! リスキルされる!!! 生まれたばかりなのに死ぬ!!!
「朝のスタジオ練習で通しを仕上げてしまいましょう。いいですか?」
「うん! 見に来てくれる子に喜んでもらえるように、ファル子、頑張っちゃう! しゃいしゃーい☆」
オギャぁ…………。
▲▼▲▼
「ハァハァ…………」
なんということでしょうか。
告知前のライブ情報というゴシップを入手して、かつファル子さんとフラッシュさんの秘密の談笑までパパラッチしてしまうとは。
えっ! これマジ!?
あまりの尊さにデジたんたちが赤ちゃんになってしまった……。あんたらの
『この推しによる無自覚攻撃によりデジたん-1、デジたん-2が負傷。興奮を抑えきれず鼻から出血するほどの重傷です。今は声を押し殺すので精一杯の模様……』
鼻血まで!?
世話のかかるバブちゃんですねぇ! 自分で拭いてください!
黙っていようとも、あたしのことですから、声を出さないように挙動不審になって手をジタバタさせてどうにか体内に溜まった尊みエネルギーを発散させているんでしょう。……俯瞰したくありませんでしたけどッ!
かくいうあたしも身体を動かしながらの極太供給に思わず絶叫したくなってましてッ! スズカさんが近くにいるとはいえ、ランニングしていなかったら耐えられなかったかもしれません……よくぞ耐え忍んだあたし!
「てか、
『いやダメですけど、鼻血には至りませんでした。2人に比べると軽傷です』
「さいですか」
個体ごとに症状に差異があるんですか。まあ、突然の供給に対する心構えや対応によってダメージコントロールは可能ですから、そういうこともあるでしょう。
となると次に気になるのは……ライブの開催日時ですね。
ゲリラライブは告知なしで行うパフォーマンスです。ファル子さんもトゥインクル・シリーズに臨む前は、河川敷で段ボールの舞台に乗ってよくやっていたそうです。映像で残ってないのが悔やまれる……ッ。
つまりは、見られるかどうかは運次第ということです。
だが今回は少なくとも『ライブがある』という確信を得ることができました。このレベルの情報であっても、事前に何もないのとは大違いです。
『ガハッ……こちらデジたん-1……』
あ、起きた。ダメそう。
『ファル子さんは「いよいよ」と仰っていました……。つまり近いうちにこのライブは開かれる可能性が高いです……! ひと時も気を緩めてはなりませんッ!!』
うお~~~楽しみだぁ~~~!!!
『これはまだ序章にすぎません……! これから各自は己の成すべき仕事をこなしに動いてください!
檄を飛ばすデジたん-1に続き、あたしたちは萌えの力で闘志を燃やしました。
『さあ、何でもない今日という日を面白くしようじゃありませんか。同志デジタルよ、己の使命に殉ずる覚悟を持ってウマ娘ちゃんの楽園に飛び出せ!!』
『『「
デジパシーの声に合わせて、力強く答えました。
デジ探知機に反応あり! 尊みシグナルを検知!
変態同志よ、編隊を組み、直ちに発信源へ向かえ──!
「──デ、デジタルちゃん! 赤信号よ!」
「ひょえ?」
デジパシーに気を取られて意識が上の空になっていたところをスズカさんに呼び止められる。
頭が現実世界に戻ってきた、その瞬間。
──目と鼻の先を大型トラックが横切る!
「ちょわーーーーっ!?」
同時にドンと胸を打つ強い衝撃!!
えっ、轢かれた!?
いや……意識は正常。トラックはあたしの目の前を通過しました。
死の気配に髪を掠められ、さすがに目が覚めました。
避けようにも身体が思うように動かなくてどうなるかと思いましたが、危うく轢かれずに済んだようです。
「もう。どうしたの、いきなりボーっとして……!」
「す、すみませんでした……って、あれ、スズカさんはいずこ?」
目の前に居たはずのスズカさんはいない。
でも確かに声は聞こえる。
どこから?
……すごく近くから。
耳元から伝わる、鈴の声音。
ヒヤッとしたあたしの頭とは裏腹に、包み込むように暖められているあたしの身体。
それがスズカさんの体温だと気がつくまでに時間は要しませんでした。
「赤信号に突っ込んでいきそうになるんだもの、抱き止めなかったら本当に危なかったわよ……?」
……。
あ、ちょ、ちょっと待って。
しんどい。
色んな意味で恥ずかしい……!!
トラックを避けようとしても身体が動かなかったのは、スズカさんに抱き止められてたから。目の前からスズカさんが消えたのも、スズカさんに抱かれて視界から消えていたから。
首筋に触れる柔肌がほんのりと汗ばんでいて、あたしの身体に絡み付いている。
体温が、呼吸が、鼓動が、溶け合い混ざり合う。
その事実に気がついたときには時すでにおすし。
突発的かつ僅か数秒の抱擁でさえ、致死量オーバーの甘い猛毒。
アッアッアッアッアッアッアッアッ……!!!
心拍数急上昇、トレンド1位。
あたしの
火照った顔はまさしく赤信号。
デジたんの脳が衝動的に緊急指令を発令しました。
心臓よ、ただちに急停止せよ……と。
アッ、息が────。
「────コヒュッ」
「あれ? ……デジタルちゃん? デジタルちゃーん!?」
性懲りも無くまた、あたしはヲタクの恥晒しになりました。