アグネスデジタル、分身す   作:イントナル森

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5話 アグネスタキオン、診察す

 こちらデジたん-1。トレセン学園(もくひょう)に侵入した。ただいまより作戦を開始する──

 

「デジタルちゃん、お誕生日おめでと~!」

 

「はぇ?」

 

 意気揚々と教室に入るやいなや、あたしはクラスメイトから拍手で出迎えられました。

 パチパチパチパチ……と、朝から盛り上がっておられる。

 な、なんぞや?

 見れば、あたしの机の上には小さなお菓子の山ができており、その周りにいる同級生の皆様が愛くるしい笑顔で「おいでおいで」と手招いておられます。え、何、あたしですか? 後ろを向いてもどなた様もいらっしゃらないので、やはりあたしですか。

 なにゆえ?

 

「もう、やっぱり忘れてそう! 自分の誕生日くらいちょっとは気にしなよ!」

 

 と、学友ちゃんの言葉を聞いて思い出しました。

 

 そういえば今日は5月15日で、あたしの誕生日だったのだと!

 

「あ、ああ~! そうでした! てか、申し訳ない! こんなお祝いされたって返せるものなどあたしには何も……」

 

「そんなんいいってー。めでたいバースデイなんだから、今日はデジタルが自分を主役だって思っていいんだってー」

 

「う……」

 

 クラスメイトのウマ娘ちゃんたちに和気あいあいと囲まれてしまい、謙遜することもままならず。

 教室の隅っこでこっそり皆さんのお姿を嘗め回すようにウォッチングしてるだけのあたしに、わざわざこんな準備をしてくださるなんて。トレセン学園には聖女しかおらんのか!?

 皆さんがあたしのために用意してくれたらしいお菓子の山がフッジッサーンのように雄大に感じられました。

 尊い…………。

 

 ご厚意を無下にするわけにもいかず、あたしは両手を合わせて深く深く礼をしました。

 

「ありがたや~! このデジタル、賜った恩義には必ず報います!」

 

「あははは! じゃあほら、先生来る前にしまっちゃってよ。そのお菓子」

 

「涎が出るのは分かるけど、授業中に食べちゃダメだぞ~!」

 

 そういってクラスメイトは各々の席へお戻りになりました。

 友愛に包まれて思わず顔がたるんでしまい学友にだらしない顔を見せてしまったご様子……お恥ずかしい限り。

 

 照れを隠すように、あたしはお菓子の山をせかせかと鞄にしまいました。購買で買えるチョコやクッキーに交じって、箱にその地域で活躍している子がプリントされた地方限定の銘柄やウマ娘ちゃんシール付きのウエハースなど、あたしのことを考えて用意してきてくれたものもありました。

 雑念とか何もなしに、とっても嬉しいです!

 さすがに授業中にいただくのはもったいない。帰ってから一つずつじっくり味わわせていただきましょう。

 

 ……。

 

 ……しかし、これ、他のあたしたちと分けた方がいいんでしょうか。

 

 せっかくあたしが貰ったものなのに、それをみすみす手放すような真似をするのはなんだか惜しい気がします。

 他のウマ娘ちゃんとならともかく、あたし自身と分配する必要はあるのでしょうか。

 

 いやいや。何を言うか。

 これはあたし個人に渡された贈り物ではなく、誕生日を迎えたアグネスデジタルに対しての贈り物です。

 たかが分身の1人であるあたしが独占するなど、道理ではないはず。

 

 しかし、デジたんー4はあたしたちを差し置いてスズカさんと併走なんてしてましたし。

 その機会だって、このあたしが享受してもよかったはずなのに。

 

 ……うーむ、どうしたものか。

 

 

 

▲▼▲▼

 

 

 

 そんなこんなで、昼休み。

 廊下ですれ違う十人十色のウマ娘ちゃんたちのスイートなワンシーンを心のカメラで激写しながらデジパシーで共有。溢れ出る鼻血を抑えつつ向かうは──

 

「やあやあデジタル君。調子はいかがかな?」

 

 怪しげな光が宙を泳ぐ奇妙な一室。

 旧理科室──タキオンさん専用の研究室であります。

 黒い机の上に無造作に立ち並ぶフラスコやビーカーの中で、不自然に彩られた謎の液体が次なる化学反応を待ちわびています。

 

 相変わらず、トレセン学園らしからぬダークな雰囲気のお部屋。心臓が影に掠められるような緊張感が漂っています。春なのに、この部屋だけ季節の変易を無視したようにひんやりしているのです。

 

 そしてこの闇の世界の主たるは、薬品の匂いが染みついた萌え袖白衣に身を包む科学の申し子、アグネスタキオン様。暗がりの中からあたしを呼ぶその声色は、ようやく実験が進められるというような待望の色を帯びていました。

 

 ほぉぉ……! やはり実験室に身を置くタキオンしゃんもふつくしい……! ミステリアスの権化!

 あの試験管になりたい! タキオン様、その萌え袖で優しく握って! ガラス製ゆえ壊れやすいのです、あたし!

 

「それにしても甘い匂いがするねぇ。調理実習でもあったのかい?」

 

「あ、いえ! これはたぶんさっき貰ったお菓子の匂いでしょう!」

 

 タキオンさんの目線があたしの持つ鞄に移るのを見て、あたしは鞄を開き、タキオンさんに中の宝の山をお見せしようとして──慌てて自分でお菓子を差し出しました!

 あぶねぇーっ! 鞄の中のあれやこれや(マル秘ノートとか)を覗かれたら死ぬるとこだったァ!!

 

「そうかそうか。実は、私は昨日から寝てなくてねぇ。まだ朝食も済ませてないんだ。備え置いていた携帯食料が無くなってしまってどうしたものかと頭を悩ませていたんだよ……チラッ」

 

 と、突然ご自身の空腹を主張するタキオンさん。何ともわざとらしく、ちらちらとあたしの顔を覗いてきます。

 これは、暗に「そのお菓子をよこしてくれよ」という合図であります。

 カワユス! こんなんデジたん耐えられないッ!!! そそられる庇護欲ッ!!! 今日のお夕飯はチョコフォンデュにしましょうね!!!

 

 ともあれ……これは好機(チャンス)

 

 結局、あたしはお菓子に手を付けてしまったのです。

 

 耐えきれませんでした……ッ! ご学友から頂いた贈り物を独り占めできないことがッ!

 推しからもらったサイン色紙を自室に飾るのと同じです。分身それぞれが部屋を持っているとして、あたしのサイン色紙を廊下に貼ったり他のあたしの部屋に飾ることはしないのです。他の誰のものでもない、あたしだけに向けて与えられた贈り物なのですから。夜寝る前に色紙を見てぬふふしたいし、朝起きて色紙を見てでゅふふしたいのです。

 

 お菓子を頂いたことを報告するくらいはしてもいいかもしれませんが……後でつつかれるくらいならいっそ隠し通してしまいたい。

 自分の手元にあってはあたしの独占欲が発動してしまいます。隠し持つことによる罪悪感に悩まされるくらいなら、物欲しそうな美顔のタキオンさんに献上してしまった方がいい。このお方は私が守護らねばならぬ。

 

 というわけで、これはチャンスとみたあたしはまだ食べてない全てのお菓子をタキオンさんに献上しました。

 朝の会話はデジパシーで共有もしていないですし、バレないでしょう。

 

「おお……これはこれは! 圧巻だねぇ! どれ、後で紅茶を淹れて頂くとしようかな」

 

 中身の入った菓子箱の大群を前に、子供のようにはしゃぐ女神。我が目前に現形した神の麗姿を拝見できただけでも、今日を生きた甲斐があったというもの。

 

「しかし君、いいのかい? この菓子たちは貰ったものなのだろう?」

 

「いいんです。こんな幸せを享受するのは、デジたんの身には余るといいますか……」

 

 そう、身に余るのです。

 クラスメイトたちから貰ったのはお菓子だけではありません。お菓子を通して、あたしをウマ娘ちゃんたちの友達の輪に迎えてくれたのです。元はコミュ障のあたしからすれば、その温もりのなんとも得難いありがたいことか。

 こんなに市販のチョコレートが温かく感じたのは久しぶりでした。ちょっと溶けてた。

 

 想いを受け取れたのであればそれで充分。なればこそ、このお菓子はあたしが食べつくす必要はないのです。

 

 今日があたしの誕生日だったのは盲点でしたけど、そのおかげで良い思いをさせてもらいました。

 

「……ほう」

 

 ……ハッ! また思考が声に出てた!?

 どうかは分かりませんが、タキオンさんは何かに引っ掛かりを覚えた様子。眉毛がぴくりと動き、少し考えるような素振りをしてから、

 

「まさか自分の誕生日を忘れていたとは言うまい?」

 

「……忘れておりましたッッ」

 

 あたしの記憶の粗を読んだのでした。

 

「ふぅン……」

 

 それを聞いたタキオンさんは、何故か面白いことを聞いたような笑みを浮かべました。

 

「だが君のことだ。アレを忘れるはずはあるまい」

 

「アレ、とは?」

 

「君に渡した石のことさ。もちろん、肌身離さず持っているだろう?」

 

「ああ、もちろんですとも! ほら、この通り!」

 

 あたしは自分の頭につけた大きなリボンをずらして、リボンの下にこっそり付けていたそれを見せました。

 無色透明の光を纏ったクリスタルをあしらったヘアピン。見た目よりも重みを感じるのはこれが他でもないタキオンさんから貰ったものだからでしょうか。

 

 この宝石(クリスタル)を与えられたあたしこそが、分身の実験の最重要被験体であり、オリジナルのアグネスデジタルであるという証。

 いわば、この状況における最大のアイデンティティなのです!

 

 ……なんて考えた刹那、ふと頭によぎったとある可能性。

 

「もしかしてこれは、あたくしめへの誕生日プレゼントということに……?」

 

「──ああ。そうだとも。その宝石は()()()()()私が見繕ったんだ。他の君には渡していない、()()()()与えた特別な贈り物だ」

 

「ほ、本当ですか? 他のあたしにも同じようなヘアアクセサリーをお渡ししているのでは……? 」

 

「していないとも。ヘアピンの贈り物をしたのは、君だけさ」

 

 と、やけに特別性を強調なさるタキオンさん。 

 言葉の一つ一つに情熱が込められていて、なんだかプロポーズでも受けているかのよう。

 

「どうだい? 君ほどの審美眼を持つ者ならばさぞや気に入ってくれたと思うのだが」

 

「そっそそそそれはもちろんでしゅとも大変ありがたく」

 

 ヒョアアアア……! 面映くてめまいがしましゅ。

 推しの瞳がはっきりとあたしを捉えて離さない。

 ダメ、顔に熱が……! 脳が溶ける……! ハァハァ……! 何も考えられない……!

 

「……っと、あまり時間を取るわけにはいかない。君がここに来た目的を果たそうじゃないか」

 

「ひぇ……?」

 

「診察だよ。問診と……()()()()

 

「…………ほぁ?」

 

 あれ、いつの間にかタキオンさんの手には体重計となんかよくわからん装置が。

 

「時間がないんだ、全部同時に調べさせてもらおうじゃないか! なぁに、今日は君のおめでたい誕生日だ。遠慮は無用! さぁさぁ私に協力したまえ! まずはその身体が分裂前と相違がないか検査する間私の質問に口頭で答えてもらおう──!」

 

「べ、ば、ろ、な、が」

 

 言葉にならない返答をしたところで、研究のスイッチが入ったタキオンさんを止めることはできません。

 

 いつの間にか半ば強引に腕を引かれて、体重計の上に乗せられて、なんかパッドをつけられて目の前に視線がほとんど同じ高さになった推しがいてしゅごい近くで何か質問を囁かれて頭が頭が頭が頭がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる──

 

 

 

 みゃあああああああぁぁぁぁぁーーーッッ!!!!!

 

 

 

▲▼▲▼

 

 

 

「天才魔法使い、スイーピーのお出ましよ! タキオン!」

 

 威勢よく戸を開き、闇の研究室に光を差し込ませたのは、魔法少女を自称するウマ娘。スイープトウショウだ。

 アグネスタキオンの怪しい研究に宝石というアイデアをもたらした張本人。とはいえ、スイープがたまたま現在パワーストーンに興味を持っていただけであったが、今回の騒動に関わる人物の一人であることに変わりはない。

 

「あれ、デジタルもいたの……って、寝てる?」

 

 スイープが部屋に入って真っ先に目にしたのは、尋ね人ではなく何故か床に倒れている一般ヲタクウマ娘の硬直した顔。

 尋ね人──白衣をまとったアグネスタキオンはそのウマ娘の傍でしゃがみ込み、彼女の身体を調べているようだった。よく見たら、タキオンはデジタルのふくらはぎを揉んでいるではないか。

 

「彼女は失神中だよ。過度な興奮を起因とした自律神経の乱れによる、ね。ククク……まあ、必要な情報は概ね手に入ったからよしとしよう」

 

 スイープはその状況の奇妙さにほんの少し「うげ」と声を漏らしかけたが、ギリギリのところでとどまった。

 対してタキオンは不敵に微笑みながら、アグネスデジタルの身体状態や筋肉量などを事細かに記録している。

 

 デジタルが白目をひん剥いているのをいいことに、タキオンはデジタルの身体を隅々まで触診し、測定を行っているのだ。

 気を失うまでは瞳孔を開いて呼吸が荒く挙動不審だったデジタルも、気絶さえさせれば微動だにしない。

 タキオンにとってデジタルを尊死させることは、もはや患者に麻酔を打つ手間を省いている程度の認識でしかないのかもしれない。

 実際、この気絶癖も慣れてしまえば可愛いものであると、タキオンは同室ウマ娘のその不可思議で解きほぐしがたい性質に大いなる関心を寄せていた。

 

 しかしそんな茶番は魔女の興味を1ミリも引かない。

 スイープはあきれ顔で話を切り出した。

 

「ふーん。で、()()()()()だったわけ?」

 

「──記憶が断片的だ。しかも、空いた記憶を補完しようとありもしないエピソードを捏造している可能性がある」

 

 それはタキオンが身体検査に加えて行った、デジタルに対する問診の診断結果だ。

 タキオンはデジタルに対して、過去の記憶を確認するための質問をいくつか聞いた。途中でデジタルが気絶することを想定し、最初の僅かな質問を特に重要な内容とした。

 そして、その受け答えからタキオンが診断したこと。それは、

 

「分身のデジタルくんそれぞれは、分裂する前の個体──すなわちオリジナルの、全ての能力を受け継いでいるわけではないと見ていいだろう」

 

 タキオンの予想を聞いたスイープは淡々と意見交換に参加する。

 

「興奮させてたんなら、混乱してありもしないことを口走っただけじゃないの?」

 

「確かに心理状態の影響は考慮すべきだ。しかし、普段から興奮状態になることの多いデジタルくんだが、私との会話の中ではある程度理性的な問答が可能だと判断している。彼女は聡明だからね。それに──」

 

 タキオンは気絶中のアグネスデジタルの胸囲をメジャーで採寸しながら、訝しむように言った。

 

「──私は薬なんて飲ませていない。これはあからさまな偽りの記憶だ」

 

「え……?」

 

 それは、スイープにとって耳を疑うような発言だった。

 

 タキオンにとってもそうだ。己が発した言葉を改めて疑問に感じるように眉をひそめている。

 

 事態の観測者であるタキオンが認識している原因とは異なることを、事態の当事者の片割れであるはずのデジタルが証言したのだ。

 分身事件の共通認識を持つタキオンに対して、わざわざ噓偽りを話す必要があろうか。

 

 沈潜するタキオンを、スイープは一蹴する。

 

「てっきりまたアンタの悪巧みかと思ってたのに」

 

 ぴしゃりと言い放つスイープにようやく顔を向けて、タキオンは豆鉄砲でも食らったように笑う。

 

「おやおや! 心外だねぇ! まるで私が今まで何度も悪知恵を働かせてきたみたいな言い方じゃあないか!」

 

「自覚がないことのほうがタチが悪いわよ……」

 

 周囲への迷惑行為について全く悪びれない様子のタキオンに対して、スイープはげんなりと息をつくしかなかった。

 

 スイープトウショウとしては、分身が発生した状況こそ大きな興味の対象なのだ。もし当初の推測通りタキオン製の薬に対象を複製させる効能があったならば、スイープは是が非でもその原理を突き止めて複製魔法を会得するつもりだった。

 だがそうでないとタキオンが言う以上、秘術の薬は諦めるしかない。故意に隠し事こそすれ、タキオンがあからさまな噓をつくことはないだろうという程度の信頼は置いていた。

 デジタルが現れた瞬間をスイープが観測していない以上、タキオンの言説に耳を傾けるしかない。

 

「……私が知る限り、彼女たちは()()現れた。私を含めた外部からの干渉なしに、ね」

 

 デジタルの髪の毛を1本採取したタキオンが口を開く。

 

「どういうこと? アンタの薬も使わず、何もないところからデジタルが現れたっていうの?」

 

「そうさ。そもそも、内服薬の一つや二つで生物のクローンが発生するはずがないだろう。もう少し常識的に考えたまえよ」

 

「アンタがそれを言うの!?」

 

 魔法使いとして敬っていたタキオンがやけに現実的な意見を述べたことには、さすがに驚くほかなかった。

 だが思えば確かにタキオンの薬は、服用した被験者の身体に作用し恒久的な身体能力の向上を目指すものであった。毛量が増えたり身体が光ったりと副作用の方が目に付くのだが、それは置いておこう。

 

「私が物理法則の中で操作しうる範囲を超えてきた、という点が肝要なんだ。カフェの言う『お友達』みたいなものかもしれないねぇ」

 

 タキオンが指摘したのは、物理法則の限界とでもいうべきものを軽々と乗り越えてきたこの騒動の特異さであった。

 研究室で何気なく実験台にしようとしていたアグネスデジタルが、突拍子の無い爆発と共に分身し、現れた4人全員が意識なくぶっ倒れていたことを、目の前で観測していたタキオンは現代科学の文脈でどう説明すればいいと言うのか。

 

「正直、状況を把握するので精一杯だ」

 

 と、タキオンはデジタルの二の腕をキャリパーで挟みながら思案する。だがその表情はお手上げというより、むしろ楽しそうだ。

 

「あまり話が掴めないけど……すごい魔法使いがいたものね! 何も無いところから鳩や花を出すどころか、人型のクローンまで生み出せるなんて! ありえない魔法だわ!」

 

 スイープもまたタキオンの話に目を輝かせていた。

 やはり未知なる物への好奇心という点において、2人はウマが合うらしい。

 

「そう、ありえないのだよスイープ君! しかし、だからといって目の前で発生している現象について思考を止めるわけにはいかないのさ! 目を背けるのは容易いが、それはこの事象を利用するチャンスをみすみす手放すことになる」

 

「へぇ。チャンス?」

 

「遺伝子レベルで同一である個体の複数人に対して対照実験を行える環境というのは、恣意的に生み出せるものではない。ウマ娘の身体に関与する研究をしている私にとって、これは好機(チャンス)なわけだよ、小さな魔女君!」

 

 タキオンの言説をまとめると、「よくわかんないけど分身してるデジタルを実験台にしたい」と言っているに過ぎない。至って平常運転である。

 彼女の下でなお気を失っている小柄なヲタクちゃんが隠し持つ謎と神秘。タキオンはどんな思いでその娘の瞳孔にライトを当てているのだろうか。

 

 まくし立てるように言葉を重ねるうちに小腹が空いたのか、タキオンはウエハースを頬張った。

 

「あむ……原理や意味付けを議論するのは後回しにしほう、わたひは哲学者ではないからね。もぐもぐ……私は私が観測した事実を基に、この()()を調査するだけさ……はむ」

 

「食べながら喋るんじゃないわよ、みっともない」

 

 先の問答から、デジタルの分身がオリジナルと同一であるかについては疑わしい。オリジナルとクローンの、ひいてはクローン4人のそれぞれに身体的・精神的な違いはないのか、違いがあるとすればどのような点に表れているのか、検証せずにはいられなかった。

 

 タキオンは分身の謎の究明方法とウエハースを咀嚼しつつ、スマホを取り出した。

 

「ふぅン……どうやらこちらに向かっている者がいるようだ」

 

 スイープがその画面をショルダーハックすると、トレセン学園周辺の地図上に4つの異なる色のアイコンが示されていた。そのうちの1つは現在地と同じ場所で光っており、別のアイコンがこちらに向かってきているのが分かる。

 

「GPS?」

 

「ああ。それぞれへの()()()に超小型の発信機を隠してあるんだ。各個体を正しく識別する手段は必要だからねぇ」

 

「アンタ、どこまでも周到ね……プライバシーとかぜんぜん気にしないわけ?」

 

「調査手段など選んでいる場合ではないのだよ、この状況下においてはね」

 

 タキオンはデジタル4人衆を監視する仕組みを昨日の今日で構築していた、ということか。その超光速の手際の良さには目を見張るものがあるが、件の贈り物を選定したスイープからすれば思うところもある。

 まさか発信機を上手く仕込むためだけにわざわざ宝石を求めたというのだろうか、と。

 

「もちろん宝石たちにも役割はある。あれらは少なからず彼女たちの制御に役立ってくれるはずだ……仮説立証の初期段階であるがね。発信機については、パワーストーンのそれとは独立した目的で私が必要だと判断したから利用しているまでのこと。目を引く宝石のおかげで発信機を仕込んだことがバレていないのは偶発的なメリットさ」

 

「むむ……」

 

 いまいちタキオンからの謝意が伝わってこない言い方にやきもきするスイープ。

 与り知らぬところで宝石たちに悪趣味な工作をしていた点が気に食わないが、こうした挙動を逐一指摘しようものならきりがないからである。

 スイープが何か言いたげに睨み付けている間の沈黙に、会話の途切れを感じたタキオンは一息ついて立ち上がった。

 

「さて」

 

 白衣を脱ぎ捨ててどこかに出かける風に身支度を始めたタキオンを、スイープは制止する。

 

「ちょっと! どこに行くつもり!? せっかくこのスイーピーが手伝いに来てあげたのよ!?」

 

「来訪者を別の場所に誘導する。預かっている手紙はそのデジタル君に渡すことにしよう」

 

 独り言のような返答を投げつけたタキオンは机の上からいくつかのクッキーをポケットにしまい込み、部屋を後にしようとする。

 

「悪いがそこのデジタル君を少々匿ってくれたまえ。そうしたらこの研究の成果は共有すると約束しよう」

 

「それくらいアンタがやればいいじゃない! 逃がさないわよ!」

 

「そこにあるお菓子たちも全部君にあげよう! どれ、少しでいいから頼むよ!」

 

「え! こんなにくれるの! わーい!」

 

「さらば!」

 

「……って、コラー!!」

 

 スイープが甘いおやつに目をときめかせた隙を見計らって、科学者は不敵な笑みを浮かべながらフィールドワークへそそくさと乗り出した。

 お菓子を食べる権利をタキオンが囮に利用した形だ。アグネスデジタルが貰ったはずの甘味は僅か数時間でたらい回しにされ、山ほどあったはずの贈り物は約2名の中抜きにより半分ほどしか残っていない始末。それでも1人で食べるには手に余る量だが。

 

 ぴしゃりと閉められた扉の残響も消え、薬品の匂いだけが残る暗室に取り残されたお菓子の下請け人──もとい魔法少女は、

 

「もぉ~! なんなのよ、アイツ! 分身の魔法を制御するにはアタシの力が要るっていうから仕方なく付き合ってあげてるのにぃ!」

 

 と、たいそうご立腹な様子で腕をぶんぶんと振り回した。

 こんな気味の悪い部屋で気絶した被験者と放置されるなど、偉大なる魔法使いを志すスイープにとって役不足もいいところだ。鬱蒼とした雰囲気はスイープの好むところだが、やることがなくただじっとしているなんてつまんない。

 

 ──何より、アタシを使い魔のようにあしらうタキオンがムカつく。

 

「ぜったい、ぎゃふんと言わせてやるんだから! 魔法の凄さを認めさせなくちゃ、気が済まないわ!」

 

 助力を仰いでおきながら自らをぞんざいに扱う薄情者のマッドサイエンティストに、対抗する決意を固めたスイープであった。

 

 

 

 ……隣で白目を剥いて卒倒しているヲタクのことなどとうに忘れていた。

 

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