読み飛ばしても問題はありません。
魔術師ギルドの施設内には、大きな共用スペースがある。
幾つかの机と椅子が並べられているだけのそこは、単純に「広場」と呼ばれることが多い。食事は禁止されている。
その空間の端、ある男が、紙とペンをお供に机の上に二冊の本を広げて、それらを睨みつけながらうんうんと唸っていた。ここでは、そう珍しい光景ではない。
「おっ、トミダくーん」
そこへ、一人の女性が小走りで寄ってくる。それだけで、トミダと呼ばれた男の周りは、少なくとも平常ではなくなった。
彼女の通り道にいた一人の魔術師は、露骨すぎないようゆっくりと、目を逸らしたまま距離を取る。
また、そこから少し離れた位置でお喋りに興じていた三人の魔術師たちも、女性の姿を認めると、それぞれが小さく頷いて、さっさと広場を出て行った。
わざわざその場を離れずとも、彼女が現在の目当てであるトミダを忘れて、他の魔術師へ絡みに行くことはない。それは、彼ら本人も何となく理解している。
それでも、何が彼女の気に障るか分からなかった。気に障れば、何をされるか分からなかった。少しでも関わりは減らしておきたい。
「はいはい、何のご用ですエスメラさん」
トミダは、本から視線を上げ、若干引きつった顔で応答する。
彼女のことが嫌いなわけではないが、このような衆目のある状況だ。同情と軽蔑の入り混じった視線を浴びるのは、間違っても気分の良いものではない。
だが彼女、エスメラは、そんなトミダの様子を気に留める様子もなく、話を始める。
「バジリスク6頭以上、他の面子は確保できてないんだけど、来れる?」
「また二人ぃ……?」
「たぶんそうなるわね」
「他の内容の方は」
「ほい」
トミダが言い切る前に、エスメラから一枚の紙を差し出された。冒険者ギルドの依頼書だ。
「いやこれ、勝手に持ってきちゃダメでしょ」
彼の指摘はもっともだ。掲示板から勝手に依頼書を剝がすのは、ギルドから禁止されている行為だ。後から来た冒険者から依頼書を隠してしまえば、不正に仕事を独り占めできてしまう。
そして、エスメラがそのような行為を決してしないかと言われると、絶対の自信を持って頷くことはできなかった。
しかし、当のエスメラは、トミダから向けられる疑いの視線に抗議するように頬を膨らませて言う。
「あのねえ、さすがに私もそんなことしないわよ。ちゃんと受付も済ませてきました。判だって押されてるでしょう?」
「ああ、ホントだ。いや、でも、俺が受けなかったらどうするつもりだったんですか」
「そのときは一人で行くつもりだったけど」
それを聞いて、トミダは隠しもせずため息を漏らした。
「あんたさあ……」
確かに、彼女は腕が立つ。バジリスクの数頭なら一人で対処できるだろうし、距離の問題だって、転移でどうとでもなる。そうは言っても、一人で行う討伐依頼は、やはり危険度が高いのだ。
しかし、トミダのため息は、彼女の無鉄砲さ故ではなく。
「それ聞いたら俺が受けるって、分かってて言いましたね?」
「んふふ、分かったところでどうしようもないでしょ?」
「ああ、行きますよ、行きゃいいんでしょ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべるエスメラに、トミダは呆れて了承した。だが、その口元は緩んでいる。
そして、渡された依頼書に目を通し、期限と目的地、報酬を確認した上で、尋ねる。
「んー、これ、明日出発だと助かるんだけど、大丈夫ですか?」
「明日、明日かあ。まあいっか、うん、全然問題ないよ。明日ね。」
自らの赤髪を指に巻き付けながら、エスメラはぼそぼそと呟き、頷いた。
明らかに『全然問題ない』ようには見えなかったが、トミダはそれ以上追及しない。
「トミダ君の方こそ大丈夫なの、忙しくない?」
「まあ余裕があるわけじゃないけど、最近討伐行ってなかったですし。魔術師なんて魔物ぶっ飛ばしてナンボでしょう」
「相変わらずねえ」
また変なこと口走ってる、とでも言いたげな視線がエスメラから注がれている。
あんたにだけはそんな目されたくねえよ、と内心の不満を表に出す代わりに、彼は別の言葉を探した。
「原稿は終わってるんですか?」
原稿、とは、エスメラが最近書き始めたエッセイのことを指している。
魔術師が一般の目に触れる場に連載を持つことは珍しい。数少ない前例も、魔術師としてのプライド故か、ある程度高度な話をする場合がほとんどだった。
そのような状況で、雑談の垂れ流しのような文章を、あろうことか「総合ギルド日報」というギルドの人間ならおおよそ誰もが目にするような場で連載し始めたのが、エスメラだった。
さらに、この魔術師界きっての危険人物が、あろうことか連載のタイトルに「魔術師」などと入れるものだから、それはもう大きな話題となったものだ。
魔術師たちにとっては汚点と言ってよい存在が、世間に向かい大手を振って魔術師を名乗り始めたのである。面白く思わない人間は多かった。
「ええもちろん。書かなきゃお金もらえないし」
トミダも初めの頃は信じられなかった。よりにもよって彼女にそのような仕事を任せるなど、正気ではない。それに、彼女が長続きするとも思えなかった。
だが、周りの予想に反して、エスメラは意外と真っ当に仕事をこなしていた。万年金欠だった彼女にとって、エッセイの原稿料は相当ありがたいものだったらしい。
「また変なこと書いてないですか?打ち切りになっても知りませんよ」
「あー、まあ一回ボツにされちゃったけど、書き直したら通ったから大丈夫じゃない?」
「ボツって、何書いたんですか」
「違法っぽい内容が含まれてるからって言われたけど」
「違法って」
「ね、今更よねえそんなこと。今まで何回罰金くらってきたのって話よ」
「そういう話じゃねえよ」
しかし、やはりと言うべきか、何度も過激的、批判的なことを書くために、それなりの苦情は寄せられているようだが。
トミダが日報関係者の友人から聞いた話だと、苦情の内容は主に三つ。「お前に口出しされる筋合いはない」と「何と恐ろしい内容を平気で載せるのか」と「魔術師の面汚しを表に出すな」だ。
それでも、彼女の書くものを望む読者も多くいるようで、すぐさま打ち切られることはないそうだった。
エスメラが周囲から一定の人気を得ているらしいという事実は、もしかしたら、彼女の人間性以上に恐ろしいことかもしれない。
「あの、すみません」
そこに二人の会話の間へ割って入る声があった。
彼女らが声に振り返れば、魔術師ギルドの職員が、少し疲れたような顔で立っている。
二人は気が付いていなかったが、この職員はだいぶ前からそこに立ち、割り込めそうな会話の隙を伺っていた。
「エスメラさん。少々よろしいですか」
「私?」
「ギルドマスターがお呼びです」
その名前を聞いて、隣のトミダはわずかに緊張し、身構える。
ギルドマスターから直接声がかかることなど、そう多くない。
「マスターが?要件は?」
「ちょっとそこまでは……。私的な話とは聞いていますが」
「ふうん、私的ねえ……」
そこまで聞いたエスメラは、軽く俯き口元に手をあて、何かを考えるように目の前を見つめる。
そして、机の上に散らかった物に目をつけると、顔を上げた。
「トミダ君、この紙とペン使っていい?」
「え、ええまあ、どうそ」
質問の意図を図りかねたままトミダが許すと、エスメラは小さな白紙に何事か書き始める。
いきなり始まったそれに、トミダと職員は怪訝な目を向けるが、彼女が気に留める様子はない。
「何をする気ですか?」
率直に尋ねたトミダに、エスメラは悪戯っぽい笑みで返し、ペンを置く。そのまま、何事かを書いた紙を、自分の胸の前あたりに突き出した。
外見上は、それだけだ。彼女は紙を虚空に差し出しただけのように見えるだろう。
しかし、トミダはすぐに異変を察知する。少し遅れて職員も理解した。
魔術を使おうとしている。
「何する気ですか」
先ほどと同じ質問だ。だが、その声色はより強く緊張している。
「大したことじゃないわよ」
はぐらかすような返答にトミダが食ってかかろうとした、そのときだった。
エスメラの手にあった紙が、突然ふっと消えてしまった。
もう彼女の指先は何も挟んでいない。まるで、初めからそこには何もなかったかのようだった。
「ね?」
転移魔術だ。それを理解したトミダは、はーっと盛大なため息を吐き出す。エスメラは愉快そうに、クスクスと笑っている。隣の職員は、目の前の事態について行けておらず、目を丸くしたまま突っ立っていた。
「ややこしい真似しないで下さい……」
「そっちが勝手に焦ったんじゃない」
「ギルドを燃やす気かと思いましたよ」
「私のこと何だと思ってるの?ひどいわあ」
「自分が周りからどう見られているかぐらい、いい加減わかるでしょう」
片手で頭を押さえたトミダが、またため息を漏らす。それは、彼女が周囲から散々言われてきた言葉だった。
「……麗しき孤高の一級魔術師」
呆れたような様子の彼に、エスメラは目を逸らしながら答えた。
「あ、現在執筆活動中っていうのも踏まえて、知的な印象も上がって」
「ほざけ放火魔」
「あっ、ちょっと!」
一応、バツの悪そうな顔をしていたエスメラだったが、一転して咎めるように声を上げる。
「冤罪、冤罪よ!酷い侮辱です!」
「ほんとにぃ?」
「ホント!」
あるとき、この街で連続放火事件が起こった。そこでギルド内では、冗談半分本気半分で、ある魔術師が犯人なのではないかという噂が流れたのだ。ある魔術師とは、もちろんエスメラである。
そこから定着したあだ名が「放火魔」だったのだ。ちょうどその時期に、彼女がボヤ騒ぎを起こしたのも拍車をかけた。
「でも、分かりやすくて良いじゃないですか」
「不名誉な上におっかないでしょ!」
そしてその名は、放火事件の犯人が捕まった後も、彼女をよく表した名として使われ続けているのだ。
さすがに、本気で彼女が犯人だと信じる者はほとんどいない。だが、皆が心のどこかで「もしかしたら本当に犯人かも」と思っていた。
火魔術を好んで使うだけならともかく、問題なのは彼女が日頃見せる、倫理観の無さと喧嘩っ早さだ。疑いを持たせるには十分なものだろう。
「何なの放火魔放火魔って!もう前の話でしょうに、ずーっと言われてるんだけど!」
「日頃の行い」
「最近はもう変なことしてないのに!衛兵さんの顔が懐かしいくらいなのに!」
「衛兵の世話になってた時点でダメなんですよ普通」
「だって!いきなり放火魔呼ばわりされるとね!?事情知らない周りの人がギョっとするんだよ!?嫌じゃん!」
会話になっていない言い合いが熱を帯びていく。もっとも、必死になっているのはエスメラだけだが。
「あのー」
「何!?」
ヒートアップしたエスメラの様子を見計らいながら、職員が声をかける。
反射的に噛みついてきたエスメラに少々怯む職員だったが、仕事中だ。恐がる前に言うべきことがあった。
「い、いえ。あの、ギルドマスターがお呼びなので、できればお早めに……」
「んん、ああそうですね……いや」
要件を思い出し、落ち着きを取り戻したエスメラは、しかし、何かに気が付いた様子で言葉を中断する。
そして、にっこりと微笑んで続けた。
「大丈夫ですよ、もう大丈夫です。ありがとうございました」
「は……?」
突然の意味の分からない返答に、職員は間の抜けた声を漏らす。
何が大丈夫なのか、と尋ねようとしたところで、背中を叩かれた。
「ありがとう、もういいよ。面倒なことを頼んで悪かったね」
後ろから声がかかる。良く知っている声だ。何度も聞いたことがある。
「わ、分かりました」
指示に従って、職員はその場を去る。上司からの指示だ、逆らう理由もない。
職員の陰から現れた銀髪の少女は、その髪と同じ色の双眸でエスメラを見上げた。
「ギルドの職員で、私の部下だ、あまりいじめてやるなよ」
「その大事な部下に私用の伝言を頼むのは如何なものですかねえ、マスター」
その言葉に、第十一代魔術師ギルドマスターは苦笑を浮かべた。確かに、あまり褒められた行いではなかっただろうな。
「ギルドマスターが、いつの間に、ここに、なんで」
状況についていけていないトミダが、困惑をそのまま口から漏らす。
それに対してギルドマスターは、一枚の紙を見せつけることで答えた。
「紙切れ一枚寄越して、逆に私を呼び出すとはな。お前らしいと言えばらしいが」
紙には「面倒だからそっちが来て」と書かれている。
「何やってんですか!」
先程エスメラが転移で飛ばした紙は、ギルドマスターを呼びつける内容だったのだ。手間だからお前が来いと。
誰にやっても無礼だと思われる行為だろう。ましてや、己の所属する組織のトップに対して行って良いものではない。
「私用だって言ってたからよ?ちゃんとした話だったら聞きに行くわよ」
「んなもん建前に決まってるでしょ!」
「いや、今夜の酒盛りの話だ」
マジで私用だった。トミダは、話に付いていくのを諦めることにした。
この二人は、両方ともどこかおかしいのだ。いや、自分だって「戦い好きの変人魔術師」としてエスメラと一括りにされることもあるのだが、それはそれとして。
座っていた椅子により深く座りこむトミダを横目に、エスメラが口を開く。
「で、今日の飲み会がどうしたんです?」
「些末だが緊急事態が起きた。それで欠席が増えすぎてな、今回は延期ということになった」
「あらそうですか。私も明日予定が入ったので、今回は欠席しようと思っていましたよ」
「ほー。なら丁度良かったな」
そのままきゃいきゃいと話を続ける二人を、トミダは他人のように眺めていた。
ギルドマスターが現れた時点から、この広場にいた他の魔術師たちは離れて行ってしまった。遠くから、珍獣か猛獣でも見るかのような目が注がれている。
そのような場に自分がいるという事実だけで、なんだか心の底から疲れがこみ上げてきた。もっとも、それをそのままため息として吐き出すことはしないが。
そんなことをすれば、エスメラに何だどうしたと突っつかれ、また彼はこの輪の中へ戻ることになるだろう。まだもう少し、他人のフリのようなことをしていたかった。
「ねえトミダ君!飲み会五日後になるらしいんだけど、それまでに帰って来れるかな?」
しかし、ため息をつくまでもなく、トミダは輪の中に引き戻される。
馬鹿らしくなった彼は、抑えていた疲れをはーっと吐き出し、苦笑交じりに答えた。
「ええ、はい。さっさと終わらせてやりますよ」